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Channel: ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5
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爪先立ちの世界

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地下鉄をおりて、ゆるやかな坂道をあがっていくと、バルセロナでいちばんおいしいハモン屋があって、冬の朝、でっかいコートを着込んだ近所のおばちゃんたちが、舗道にだしたテーブルで、蜂蜜を塗ったクロワッサンとカフェコンレチェでの朝食を前に、話し込んでいる、おいしいパンを焼くベーカリーがあって、その先の急坂を右に曲がってしばらく行ったところにぼくがバルセロナで初めて買ったアパートがある、という話を前にもしたことがある。

だだっ広いテラスがある屋上の家で、夏に暑いのでバルセロナのひとたちはペントハウスのピソ(アパート)など買わないのだと知ったのは、ずっと後のことだった。
そのテラスに、テーブルを出して、パンコントマテをつくって、「バルセロナでいちばんおいしいハモン屋」のおっちゃんが、裏のハモン庫へ連れて行ってくれて、この豚がいい?これは、脂は多いが、とてもおいしいんだよ、と一個ずつ説明して売ってくれたハモンイベリコを皿に並べて、カバを開けて、もみ手をしながら遅い朝食を摂ったものだった。

遠くには、まだその頃はクレーンが3基か4基、まわりに立っていたサグラダファミリアが見えていて、テラスの手すりの近くのほうまで歩いて行って右をみると、遙か遠くに丘のうえに立つ携帯電話用の中継塔が見えた。

おもいだすと、なつかしいなあ、とおもう。
考えても、信じがたいことだが、最後にバルセロナにでかけてから、もう4年が経っている。
病みつきになるVichy Catalanをやまほど積み上げて、飲んで、Cavaやワインを一日中ちびちび飲む生活から、ずいぶん遠いところに来てしまった。

あのピソはグラシアといっても、ほんの下町で、近所の人はやさしい人情家ばかりで、毎日楽しい暮らしだった。
すぐに顔をおぼえて、ずいぶんスペイン語が上手になったね、グラシアは気にいりましたか?
今度、広場の近くにできたバーに行ってみた?

ああ、あの頑としてカタロニア語しか喋らない人間たちのレストランのことだね。
気にしなくていいんだよ。
あのひとたちは、いわば過激派で、外国人とみれば仇のように考えるひとたちだからね、と述べて片眼をつぶってみせたりしていた。

ときどき、なぜいまこの瞬間に自分はバルセロナで暮らしていないのだろうと訝しくおもう。
なぜ、生まれてからずっとおなじで、もうとっくの昔に飽きがきている、退屈な英語社会で、庭師たちのブロワやヘッジをトリムするチェーンソー、あるいは掃除の人たちの高圧放水機の音、延々と芝を刈る芝刈り機の音を繰り返し聴いて暮らしているのか。

育児に専念したかった。
北半球は、どうもおかしい、turmoilが来そうなので、連合王国や北米は離れて、オーストラリア/ニュージーランドに拠点を移すのにしくはない、と考えた。
まだ生きている海があって、ハウラキガルフに潜ってみれば帆立貝がカーペットをなしていて、水面近くを泳いで陽光にきらきらと輝いている魚群の下を、キングフィッシュが、ゆったり泳いで交叉してゆく。
海の美しさは息を飲むようで、これほど美しい海は、もうここにしか残っていない。

理性的な理由はいろいろあるが、感情はまた別で、モニとふたりでワインを飲んでいても、バルセロナの革命広場でフランス国歌を歌っていたフランス人のホームレスのおっちゃんや、多分日本人の、画家風の、何十年もバルセロナに住んでいる人の足取りで、あきらかに酒に酔って赤い顔をして、ふらふらと広場を横切ってゆく、背の高い老人のことをおもいだしては、なつかしいね、どうしてこんなに懐かしいのだろう、とふたりで不思議がることがある。

いっそ魂も肉体もふたつあれば、片方はヨーロッパにいてもらって、片方は南半球で、それぞれのよいところを楽しんで暮らしてもらえる。
大陸欧州とオーストラレイジアという、いまの世界の、ふたつの楽園で、つつがなく遊び暮らして、楽しい一生をまっとうできる。

ところが、モニにしても、自分にしても、肉体も魂も1セットしかないので、難儀をすることになる。

時間とオカネが両方ふんだんに欲しかった。
富貴の増大をゲームにして、興奮によって働きづめに働いて成功の快感にひたって暮らしたり、逆に時間をたくさんつくるために、つつましい生活を心掛けたりするのは、どちらも趣味にあわなかった。

人間には、もうひとつ知識欲という厄介なものが若いときには特にあって、やむえをえないので極く若いときは、阿片に中毒した人のように数学ばかりにのめりこんで、自分がめざした小さな発見に到達するまで大好きな勉強に埋没していた。

数学などは30歳になっても「感じ」がつかめない人はダメで、さらにいえば自分が狂っていた分野などは、はっきり言って20代のうちになんらかの新しい価値に邂逅しない人間は、ぜんぜんダメなただのシューサイで、研究ではなくて研究者の肩書き付きの生活そのものや、大学の教員をめざすのならともかく、ふつうはそんな生活に魅力を感じないでの、ちょうどよいというか、驚く友達や先生を尻目に、人よりもだいぶん若かったのをよいことに、さっさと足を洗って、第二回戦で、20代でなければ出来ないことをやろうと考えた。

居直って述べると、オカネは別に自分でつくらなくとも、親にゴロニャンをすればいいだけでも手にはいったとおもうが、偶然の幸運で、転がり込んで、慌てて凍死術を勉強して、途中で目がさめてしまうとエイリアンに襲われるのかもしれなくても、世間目には「凍死家」というものに化けおおせることにした。

やってみると実はこれは罠で、投資というものはゲーマー魂に訴えるところがあって、意馬心猿の人生になりそうで危なかったが、モニさんという聡明な魂に出会って、世の中には細部の光に満ちた生活という人間の一生で最も面白いものがあるのを教わった。

つまりは、ここまでが、いわば前段の粗筋で、これからどーしよーかなあーと思ってる。
先週、きみに話したとおり、ぼくはこれから2025年くらいまでの世の中に、よい展望をもっていない。
下余地、という、経済の指標ひとつとっても、不景気を恐れすぎた結果、世界中の経済が背伸びをする結果に陥っていて、例えば英語世界では未曾有の失業率の低さが話題になっているが、そしてそれはもちろん良いことだが、誰でも知っているとおり、失業率が低いことの一般的な問題は、実は失業率がそれ以上低くなる余地がないということのほうで、なんだかマンガじみているが、歴史上の大きな不景気の直前は、低失業率であることが多かった。
金利もおなじで、アメリカも日本も、かつては20%を超えていた金利が、どんどん下がってきて、いまは0%に限りなく近付いて、地を這うような金利で、これももう下げる余地がない。
そうやってひとつひとつみていくと、株式のPEでもなんでも、壁におしつけられたような余地のなさで、いわば爪先だちでぐらぐら揺れている経済繁栄のなかで、きみもぼくも暮らしている。

そこにさまざまな理屈をつけて「xxxだから大丈夫」と言っているが、きみもぼくも、よく承知しているように、それはただの気休めで、累卵と言う言葉を連想させるいまの経済繁栄の危なさは、ソフトランディングを望める状態は、とおの昔に過ぎてしまっている。

そして、この、世界中で積み上がる、すさまじい借金!

オカネに患わされるのが嫌なので、ぼく自身は借金をしたことがない。
同業の友達には、ガメは原始経済のひとだから、と笑われるが、借金ほど不可視で危険なものはない。
銀行人が聞けば卒倒するだろうけどね。

きみもよく知っているとおり、いまの金融クレジット理論をつくったのは、きみもぼくも個人としてよく知っている、彼らだったが、いろいろな人間と議論を繰り返して彼らは数学的な理論として組み上げていったが、ウォール街あたりで、知ったようなタームをふりまわしている猿みたいな金融のひとびとは、そんなこと、実は何も理解していないんだよ。

例のCDOが典型だが、自分達が犯罪に手を染めたことすら理解していない。

そういう金融人たちの頭が悪い上に浅薄でおそるべき無責任な体質と、中国を流れの中心、しかもブラックボックスで中身がまるでみえない中心としたオカネの奔流との組み合わせでプロパティマーケットがどうなったかというと、例えばニュージーランド人のホームローンの総額は、バカバカしいことにGDPの二倍を超えている。

一方で、核戦争に情報共有と寡占化の圧力をかけまくって、21世紀初頭には、廃絶が考えられるところまで来た核兵器の脅威は、よく考えれば簡単な理屈で、「技術開発をどんどん進められる自信があれば、他国のいうことなど聞かずに進めてしまえば誰にも止められない」理屈を発見した指導者や独裁者の手によって、どんどん進められて、まず北朝鮮の手によって日本は戦域化された。
多分、いまの動きを見ていると真珠湾が核ミサイルで攻撃される可能性がはっきりしたところで、アメリカは韓国と日本の、初めの24時間で、国境に展開する12000門を数える重砲の通常弾頭による砲撃だけで のソウル近辺に限定しても42000人の死傷者だっけ?
それに短距離ミサイルによる在韓基地周辺と、核ミサイルによる東京と在日基地への攻撃で、いったいどれだけ人が死ぬのか判らないが、トランプにとってはアジア人の犠牲とハワイへの核攻撃では較べるのもめんどくさいことで、太平洋の防衛線をアチソンラインに戻すことを覚悟して、北朝鮮との全面戦争に乗り出すに違いない。

このシナリオ、どっかで見たことあるとおもったでしょう?
ぼくは何を思ったか日本語でも書いたことがあるんだよ。

ヒラリー・クリントンの奇妙な提案
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/hillary-clinton/

つまり、アチソンラインに戻すのは、ヒラリー・クリントンが国務長官だった頃に、日本の捕鯨を利用して反捕鯨を南太平洋関係諸国の精神的な核にまとめ上げた、巧妙な「将来のための万が一外交」で、これは図にあたって、それまでアメリカとは軍事国交断絶といってもいいくらいで、かろうじてオーストラリアとのアンザック同盟を通じてアメリカと軍事的な連絡を保っていたニュージーランドと、正常な軍事外交を回復することに成功した。

いまでは、アメリカの最も機密性が高い情報収集は最も安全なニュージーランドで集中して行われていることは公然の秘密であるとおもいます。

それやこれや、いろいろなことを考えていると、北半球は危なすぎて、南半球を根拠地にすることは当面は変えられないことにおもえてきて、モニに聞いてみると、はたして大喜びで、どうも仕方がないとおもう。

オーストラリアやニュージーランドの政府の人間や政治家たちと話して見ると、問わず語らず、国ごとゲートコミュニティを目指しているのかと揶揄したくなるくらいで、当面は移民を大量受け入れする成長よりも社会の保障らしい。
中東の人やアジアの人には、どんどん敷居が高くなって、また退屈な社会に逆戻りしそうにみえなくもない。

書いてきて、くたびれたので、もうこの辺にします。
なんだかヨーロッパに戻りにくくなってしまったよ。
一年のうち、3〜4ヶ月はいるだろうが、そのほかのときは、オーストラリアとニュージーランドで、ふらふらしていて、ときどき2ヶ月くらい、タヒチ、フィジーやニューカレドニア、サモアやトンガへ、たまにはヨットでも出かけてヘロヘロしているくらいではないだろうか。
こっちからあっちへ行くのは、素人みたいなヨット乗りでもいけるが、帰ってくるのは難行なのはきみも知っているとおりで、業者に頼むといくらかかるんだろうと見積もりをとったら二万ドルだって。
バカにしてるよね。

さっそくトンガの人と会って、話を聞いたら、「トンガは魚は釣れませんよ。海の水が綺麗すぎて、魚を釣ろうとすると目があっちゃって、お互いを見つめ合ってるうちに逃げちゃうんですから」と言うので笑ってしまった。

これから暫く、世の中はたいへんそうだけど、お互いに、落ち着いて観察して、ダメ頭を回転させて考えれば、なんとかなっていくものだろう。
きみがいつか言っていたように、どうせお互いにたいした人間ではないのだから、せめてもお互いをおもいやって、同じときに地球に乗り合わせたもの同士、文明の力に頼って、やっていくよりほかにない。

そうだそうだ。
このあいだきみが言っていたペリカンの新しいインク、すごくよかったんだよ。
ゴールデンなんちゃらとかいう。
オレンジ色がとてもよくて、この次のモニさんへのラブレターはあれで書くつもり。

パーカーの見た目は万年筆だけど、ほんとうは新発明のヘンテコな筆記具もすごくよかった。

今度、オークランドに来たら、アマナでプロセコをおごるよ。
もうすぐマレーシアとシンガポール、それと例のあの国に出かけるけど、10月の終わりには帰ってくるつもりです。
空港まで、正式に販売が始まるので今度はテスラで迎えにいけるかもしれない。

では、また。



2025年の日本をめざして_2

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歴史は繰り返す、というが、繰り返さない歴史の典型が戦争で、戦争は、ほとんど一度も過去の形態を繰り返したことがない。

むかしは死刑囚は斧でクビをちょん切られるものと定まっていて、いっぺんでクビが切断できればよいが、なかなか頚部切断の勘所に当たらないので、頭にあたったり肩にあたったりクビのまわりがギタギタになって死そのものよりも斧で痛めつけられる苦しみのほうを虜囚は恐れた。

この非人道的な死刑に野蛮を感じたのがギロチン博士で、はずれなしにスパッとクビが切断できるように工夫したのがギロチンです。

戦争における戦車の発明も同等の発想にたっていて、若いときから戦争好きの右翼おやじだったウインストンチャーチルが戦車を発想したのは膠着を常とした当時の塹壕戦を打撃力のある「フィスト」で打開するという、子供のときから人形を使った戦争ごっこばっかりやっていた戦争オタクのチャーチルらしい考えだったが、これが高級将校たちに広汎に支持されたのは、近代塹壕戦があまりに悲惨で、人間の限界を越えて、発狂する兵士は数知れず、生き残った復員兵も廃人同様が続出したので、なんとか塹壕戦をなくさないと、多少でも文明的な戦争はやれなくなってしまう、という理屈だった。

リデルハートが目を付けたのは、戦車の打撃力のある機動性で、打撃力があって機動力があるのなら、これを集団で使用して、ちょうど艦隊のように運用すればよいのではないかと考えついた。
この冗談じみて単純な考えは、思考の飛躍が苦手なイギリスにおいては採用されなかったが、リデルハートの著作を読んで感銘をうけたドイツ陸軍のハインツ・グデーリアンによって現実化されます。

戦車を集団使用して、とにかく敵の抵抗線の最弱部を突き抜けて反対側に行ってしまう。そこから後方の(軍隊にとっては神経組織にあたる)通信網をずたずたにして、各所に点として孤立した敵を、無防備な想定外の方向から攻撃して破壊する。

元祖のリデルハート、グデーリアン、フランスのドゴールのような戦術オタク以外には思いもよらなかった、あとで「Blitzkrieg」と呼ばれることになる、この戦車の集団使用によって、兵器と兵員の質・量ともに圧倒的にドイツを上廻っていた世界最強の兵力を誇っていたフランスは、あっというまに陥落してしまい、最も重要なことは、それまでは「愚かな左翼」を黙らせるために道化としてエスタブリッシュメントが操っているにすぎなかったアドルフ・ヒットラーが、三段跳びで一挙に神韻を帯びたゆいいつ絶対の独裁者「フューラー」として君臨することになってしまった。
昨日まで支配層にとっては冗談のタネだった菜食主義者で偏執的潔癖さをもった 狂人じみたおっさんが、いきなり絶対支配者になったことが、いままでの世界の歴史で最大の危機であったナチの時代を生みだしたのでした。

今度は、どうやら核ミサイルの応酬という新しい戦争を目撃することになるらしい。

前にも書いたが、子供のころ、原爆を生みだしたオッペンハイマーの有名な「I am become Death」のビデオを観て、「60年代は核の不使用どころか、全面核戦争の危険がある時代だったのだなあ。なんという恐ろしいこっちゃ」と考えたことがあったが、冷戦の終わりとロシアの国家破綻を起点にして、ついに「核使用をためらわない」と公言するトランプの登場に至った現代の世界の根底的な問題は、核という絶対暴力が自分達の文明を根こそぎに破壊するものだという認識を人類全体が再び失ってしまったことです。

キューバ危機の頃、たとえばサルトルたち、当時の哲学者は核の暴力の規模があまりに圧倒的なので人間の言語からは真理性と意味とが失われてしまっていることを認識していた。
暴力と言語に代表される認識と思惟の内面意識とは、相対立するもので、暴力が支配する世界においては言語は意味をもたない叫喚程度の意味しかもちえない。
文学などは圧倒的な暴力の下では芸術として無効なのではないか。

人間はそこに戻ってしまったわけで、北朝鮮の核開発は、実際には、その核という暴力が人間の文明の底で息を吹き返して人間の文明から意味を奪い始めたことの歴史的あらわれにしかすぎません。

歴史は、つねに一見連関のない事柄が互い協力するようにして、世界をひとつの方向にひっぱってゆくが、いま日本がメルストレエムの渦巻きに呑まれていくように、核攻撃に向かって一歩一歩あるくことになった理由の根源は、ブッシュのイラク攻撃にあります。
お坊ちゃん学校に行った人間ならおなじみのある、一種の人間味に似た、かわいげのある表情の悪魔であるブッシュは、父親をオカネの入り口にあたる顧問にして戦争で利益をうける各社につけると、アメリカの脅迫に屈して核開発をあきらめたイラクめざして雪崩をうって地上軍を突進させた。
アメリカの国益に敵対する各国の独裁者の面々は、この「惨劇」をじっと眺めていました。

父親の死後、独裁の地位をついだ金正恩が、この過去の歴史から学んだことは、「自分も核を捨てれば必ずアメリカに殺される」ということだったでしょう。

金正恩は結局、アメリカの脅迫をシカトして、核開発に国力全体を注ぎ込み、ミサイルと弾頭の開発に成功して、現状は、衆目の一致するところ、この外交的賭けに完全に勝利した。

北朝鮮が活路をみいだそうとしているのは、大雑把にいえば中国が歩いて来た道のりであることは言うまでもありません。

核とICBMの開発を強行して、とにかく持ってしまえばアメリカは手出しを出来なくなる。
その段階に至れば手近な韓国と日本への攻撃を材料に恫喝することによって外交的な戦果をあげながら、経済を発展させて、世界経済のなかに自国を組み込み、アメリカが一方的に自国を破壊するという目論見を思いとどまらせることが出来る。

世界中に北朝鮮を近い将来の投資先として考えている投資家は、たくさんいます。
勤勉で従順な国民、ほとんど資本主義を知らないウブな市場…投資家にとっては、「わたしを使って稼いでください」と言わんばかりに目の前に身体を横たえている国を前にして食指を動かさない投資家はいないでしょう。
実際、北朝鮮は、いったん国が安定すれば、ありとあらゆる投資機会にあふれていることで知られている。
しかも指導者は残酷性の強い独裁者とはいえ、経済の発展のためならどんな便宜も供与しようとすることが間違いない、しかも先が長い若い指導者であると来ている。

前回述べた絶体絶命の危機から日本が逃れ出る道もここにあって、現実の問題として、北朝鮮に核開発を黙認して、経済発展を積極的に助けるほかには、北朝鮮とアメリカ、といっても戦争になったときの実態は北朝鮮対日本・韓国の戦争を避ける方法は、多分、ほかには存在しないとおもわれる。

問題は、現実に北朝鮮の暴発防止プログラムに入る場合の北朝鮮のスタンスで、いまの状況であると、北朝鮮にとって深刻な問題がおきれば北朝鮮は日本へ小型核弾頭のミサイル攻撃をおこなって、それにアメリカが反応して自国を攻撃する姿勢をとれば、とっておきの大陸間弾道弾でグアム・ハワイ、ひいてはアメリカ本土を攻撃することをちらつかせて抑止する、というシナリオになっている。

つまりは、頭にくれば右手に握りしめた核ミサイルの剣で、おもいっきりアメリカの盾である日本をひっぱたいて、それでアメリカが激昂するようならアメリカ自体の頭上をめがけて剣をふるうと脅す、ということでしょう。
トランプが日本との軍事同盟に基づく義務を結果としてでも最後まで誠実に履行する確率は、1割、あるかないか。

このブログでは何度も出てくるように、中国の特徴は、ひとくちに「中国」といってもひとつではないことで、やや政治力が衰えてきているとはいってもいまだに独立した勢力である人民解放軍と習近平が率いる政府のふたつの勢力が中央にあって、その中央に面従腹背する存在としての地方がある。
中国という国は水滸伝を読めば得心がいきそうな国民性の反映で、世界のなかでも飛び抜けて統一を保つの難しい国で、顔を近づけて仔細に検討してみると、なんだかもう無茶苦茶といいたくなるような内情で、いまのところ統一が保たれているのは、要するに「儲かっているから」という単純な理由によっている。

儲からなくなれば、どうなるかというと、それぞれが自分の相対的な面子の上昇と利益の増大に向かって、他勢力はおかまいなしにふるまいだすわけで、日本にとって切実な問題でいうと、人民解放軍の悲願である「対日戦勝利」に向かって挑発を繰り返しだすのは、まず間違いないところだとおもいます。

そうやって考えると、トランプ大統領や安倍首相がいま向かいだした政策は、バカまるだしなことをやっていて、つまりは習近平を困らせて人民解放軍を助けようとしているようにしか見えないことになる。

習近平からみると、「なんで安倍やトランプは、そんなに戦争がやりたいんだ!」と叫びだしたくなるような事態でしょう。
人民解放軍と、それと結びついた政敵が勢いづくことは習近平が最も恐れる事態だからです。

どの戦争の前にも判で捺したようにシアワセな論者がいて「経済的にみあわない戦争などおきるわけがない」という。
近くも、1938年のイギリス人は、おおまぬけもいいところで、同じ理屈に立って「ついに世界に恒久平和が訪れた」と、いまふりかえってみると、愚かとしかいいようがない平和達成感に酔ったりしていた。
チェンバレンの政治ロジックを嘲笑うかのようにドイツがポーランドに侵攻するのは翌年の1939年のことです。

「利にあわない戦争は起こらない」理論がいかに間違っているかは経済の理屈と国権の理屈は異なるのだということに気が付くだけでも十分でもあるけれども、もうひとつ、いまの日本が直面している世界に添わせて述べると、前回述べたように「軍人は戦争を避けようとする」が、いっぽうで軍人は必要だとみなせば戦争をためらわない存在であることも付け加えておいたほうがいいかもしれません。
トランプ一家と取り巻きがあまりにひどいので日本ではマティスやケリーに期待するという、おっそろしい理屈をなす人がいるけれども、軍人は軍人なので、軍人に政治を期待して破滅的な結果にならないことは珍しい。
「良識のある軍人」ほど破滅を招きやすい恐ろしい存在はないのは、たまたま在任中には決定的な破綻が露見しなかったアイゼンハワー大統領が在任中に行っていた倫理のかけらもない、無惨なほど人間の低いところを見つめた打算だけで出来た行動を見れば十分であるような気がする。
それを冷徹な現実主義と呼ぶ人は、ついに政治にも倫理にもまったく鈍感で縁がないひとです。

軍人が戦争を避けようとする傾向があるのは戦争が現実になにをもたらすかを普通人よりも想像力をもって考えられるからだが、一方で軍人は、その悲惨をもたらす戦争行為をためらわらないように徹底的に自己を教育した存在でもある。

簡単にいえば戦争行為に関して限定してのべれば、軍人は通常の社会の基準からいえば異常者なので、また通常社会の物差しで定義する異常者でなければ戦争を職業とすることはできはしない。

いまのアメリカのホワイトハウスは、どこからどうみても実質は軍人内閣で、戦争に向かう確率は通常の国よりも遙かに高い。
ところが、その遙かに高い確率で起きそうな戦争の、ちょうど戦域に位置することがいまの日本の地政学的な不幸で、あらためて地図を観るといいが、日本は、いま戦争にむかって焦点をつくりつつある、北朝鮮、中国、ロシアのすべてに隣り合っている。
しかも軍事テクノロジーの進歩と核兵器以外有効兵器をもたないビンボ国北朝鮮の存在によって、戦場は東に拡大して、海を隔てた日本こそのが戦場になる形勢です。

アメリカが、外交的敗北を認めて北朝鮮に対して大幅に譲歩して経済を助けることになれば何とかなる可能性もであるが、失敗すれば、今度は中国がアメリカと可視的に対立しだすことは、ほぼ明らかでしょう。
そうなった場合、チョシンの地獄が、数十倍数百倍の規模になって、日本の国土で展開されることになる可能性まである。

仮に北朝鮮の金正恩政権が瓦解した場合でも、アメリカ勢力圏と国境を直截接するわけにはいかない中国は、逆に韓国を支配下におくという離れ業をみせるかも知れません。

日本の安全保障にとって深い関係があるイランについても書いておこうとおもったが、昨日おそくまで遊んでいたので眠くなってしまった。

戦争の危機の話は、もうこのくらいにして、次からは経済の話にしたいとおもっています。

では


マレーシア独立60周年に考えたこと

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ちょうど午前0時ぴったりに、花火というよりは砲撃音のようなすさまじい音で、いっぺんに花火が打ち上げられて、あちこちの高層ビルのガラス壁面に反射して、CBD全体が万華鏡のようになった。

独立60周年記念、道路を行くクルマもクラクションを盛んに鳴らして、子供たちも目を輝かせて走り回っている。

熱帯の国の独立記念日。
ニカブの人も、ショーツに袖無しトップの欧州系人も、並んで、ベンチに腰掛けて、眩く輝く明るく照らされた空を見上げている。

アイデンティティがない国だという。
独立以来、マレーシアは、「マレーシアとは、なにか?」
どんな性格の国なのか、ということに悩み続けた国だった。

マレー系人と話していると、中国系人への敵意のおおきさにびっくりしてしまう。
「あいつらを追い出さないかぎり、この国はほんとうに独立しているとはいえない」という人さえいて、ペナン島出身のリークアンユーが、人気を博して、シンガポールという独立国をつくったことの背景の一端がわかります。

6年前だったかシンガポールに行ったとき、ちょうど出発の直前に、象徴的な事件があった。
シンガポールの共働き夫婦は家事を滅多に行わないので、インドネシア人の家政婦さんを雇うことが多い。
日本でいえば2DKの小さいアパートに、住み込み専用のトイレよりは少しおおきいくらいの小部屋が付いているのはシンガポールでは比較的ふつうのことです。

中国系シンガポール人の夫婦が、数週間の休暇旅行に出かけるのに、いったいどういう考えをすればそういうことになるのか、カップラーメンの山と一緒に、インドネシア人の若い家政婦を、この畳いちまいあるかないかの部屋に閉じ込めて、鍵をかけて出かけてしまった。
窓のない小部屋で、冷房も切られたまま監禁されたインドネシアの女の人は、気の毒に、暑さと換気の悪さのせいで窒息死してしまいます。

インドネシアの英字紙記事は「これは決して特殊な例ではない。シンガポールでは、われわれの同胞が、年々、奴隷としてこき使われ、使い捨てにされている」と述べている。

インドネシア人の怒りはすさまじいもので、口から口に噂は広まり、やがて事実であることがわかると、国民的な規模でシンガポールに対する怒りが爆発して、コンクリート材料の輸出の停止から始まって、一時は、冗談ではなくて、ほぼ国交が断絶しそうなところまでいってしまった。

あるいはシンガポールの市内をマレー系のドライバのタクシーで走っていたら、急な割り込みをするクルマがいる。
運転手の怒り方は、ロンドンの悪態ばかりついて柄が悪いタクシー運転手になれているわしから見ても、やや常軌を逸したもので、吐き出すような口調で、「ちくしょう、中国人ドライバーめ!知ってますか?中国人ってやつらは、みんな、ああなんだ。自分のことしか考えない。決まりを守らない。これがおれの国なら、クルマを止めて、みんなで取り巻いてぶち殺してやるんだが」と怖いことをいう。
最後に中国系人とマレー系人の大規模な衝突が起きたときには、たしか800人だかの中国系人が一方的に惨殺されたはずで、タイの人もそうだが、マレー系の人も、いつもは親切でおだやかなのに、いちど怒りに火がつくと、悪鬼のようになる。

あるいは2007年だったとおもうが、12月31日にシンガポールにいて、翌朝、新年のお祝いを述べたついでに、ホテルのレセプションのマレー系の女の人に、「シンガポールは春節と、年に二回お正月のお休みがあっていいですのい」と、いつものごとくノーテンキな軽口を述べたら、いつも親切で受け答えがやわらかいこの女の人が、ぶっくらこくような怖い真剣な顔で、「あれは違法です。中国人たちは、まったく決まりを守らない。わたしは許さない」と述べたので、話の収拾がつかなくなってしまって、まあ、とにかく、とかなんとか、ぶつぶつと言いながら、そそくさと引き揚げてきたことがあった。

マレーシアの支配層(←嫌な言葉)の人間と話していると、ひとくちにいえば「混迷しているのだ」という印象をうけます。
まだ統一がうまくいっていないのだ、ということもできる。
ペナン島が、あれほど落ち着いた雰囲気なのは、島であることが奏功して、マレーシア一般とやや別の「中国系社会」として安定しているということがあるようでした。
経済的には西欧型の金融とイスラム金融の汽水域になっていて、おもしろいことがたくさんあるが、ここでは、そんな話をしても仕方がないので、やめておくとして、たんなる旅行者としてのマレーシア滞在は、楽しいものでした。

中近東の食べ物が大好きなモニとわしとにとっては、おいしいものがたくさんある天国で、ひさしぶりに、新鮮な香辛料に浸かった、ラムやチキンの、身体中がぽんわり宙に浮いてしまうようなおいしさの、陶酔的な食べ物ばかり食べて、それだけでも、もう、とてもとても幸福で、クアラルンプールはいい町だなあ、とおもう。

ドバイやカタールの有名店の支店があったりして、オークランドにも中東料理店はいくつもあるとは言っても、やはり味の深みと冴えが違う。

ロンドン以来、ひさしぶりにペルシャ系人の友達が嫌うというよりも蔑んでいるアラブの支配層とゆっくり話ができたのも、たいへんよいことで、同席したイギリス人とも話したが、これからの西欧世界とアラブ世界の目立たないような交渉は、これまでのようにロンドンではなくて、だんだんとクアラルンプールのようなところが舞台になってゆくのかもしれません。

ニュージーランドでは妙におおきな声で話して、まわりのひとをびっくりさせたり、甚だしきにいたっては、「写真を撮らせてください」と若い女の人に声をかけて、いきなり抱きついてタイホされたりして、奇矯な行動がめだつ日本のひとたちは、マレーシアでは、うまく社会に溶け込んで暮らしているように見えました。
日本のプレゼンスはとてもおおきいのに、そっくりかえることもなくて、「なんだ、やれば出来るんじゃないか」という感想をもった。
クアラルンプールではマレーシア人に日本人の感想を聞きはしなかったが、聞けば、多分、よい印象の答えが返ってくるのは、別段、実際に聞いてみなくても、町でみかける日本人たちの姿をみていれば、なんとなく想像がつきます。

奇矯な行動、を見たのはペナンのファイブスターホテルだけだったので、観光客と住んでいる人の違い、ということなのかも知れません。

一方では、わが同胞の白いひとたちは、てんでダメで、あらあー、こんなのもあるんだとSuriaというモールのなかのホーカーズで、いいなあーこれ、と思いながら眺めていたら、ストールに近いテーブルに陣取った若いアメリカ人の男のふたり組が、店のカウンターのなかにいるマレー人の店員に、クイッ、クイッと音がしそうなものを飲む手真似で、カウンターのペプシコーラの缶を指さして、手のひらで手招きして、それをここへ持ってこいとジェスチャーしている。
とんでもない、大失礼な仕草で、このバカなアメリカ人ふたりは、21世紀になっているというのに、いまだに白人は少なくともアジア人の主人であると考えているのがわかって、不愉快というか、 ぼーぜんとしてしまうというか、ただひたすら、店のマレー人が、失礼は感知しても、失礼の度合いは感じないでいたことを願った。

だいたい、どこに行っても、アジアの国では、白い人同士は、お互いでかくて白くて、なんとなく間が抜けていて目立つので、リフトはもちろん、道端ですれ違っても、目配せで、やあ、と述べあうことが多いが、クアラルンプールでは、だいたい暑さでボロボロになっていて、顔色が悪いうえに目の下に隈までつくっている人が多くて、ゾンビが熱中症になったような姿で、蒼惶と歩いていて、お互いに目配せをする気力もない。
マレーシアは特に小さな人が多いので、ところどころ、でっかい道に迷って町にさまよいでたクマさんみたいなのが、よろよろと歩いているところは、いかにも東南アジアの国には不向きで、トランプのようなオオバカタレに対する国家安全保障としては、この暑さがいちばんなのかも知れません。

シンガポール人との付き合いは、子供時代からのもので、長いどころではないが、仕事の上では、ここ数年はシンガポール人がよく述べるように、世界中から、コバンザメ商売というか、なんとかシンガポールの成功者にお近づきになって、繁栄のおこぼれにあずかりたい「起業家」がたくさん押しかけていたりして、もう天井に頭をぶつけて繁栄がジタバタしている段階に至ってひさしい。
シンガポールの英語圏と中国語圏の接点という役割は特に金融において変わらないが、物理的には近い、クアラルンプールとシンガポールの、人間の交流においての意外なほどの距離の遠さを考えると、今回はたくさんの人間に会いすぎてぶちくたびれてしまったが、土地鑑とお友達ができて、まあ、よかったかと思っています。

あと一週間くらい、のんびりして、プールで泳いだり、涼しい夜には屋台をひやかしたりして、ミドルイースタン料理をたらふく食べて、予定よりは早いが、メルボルンかオークランドにいったん戻って、ぐーすか眠って、今度はどこかニューカレドニアかタヒチかフィジーで、来年以降の生活について、ろくでもない計画を策謀しようと考えている。

さて、ロティチャナイでも食べにいくかな。
モニさんは熱帯の町にくると、いっそうよく眠って、朝ご飯を一緒に食べるのをこうしてブログを書きながら待っているといっても、もう午後2時半で、朝ご飯なのか昼ご飯なのか、もしかしてハイティーなのか、食事の定義が唯心的に変化して、
唯心仏教が東南アジアで流行ったわけである、と、意味不明なことを考えました。

では


ターニング・ポイント

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ひとつの言語社会というものは、時間のおおきな流れのなかでは伝統に帰るものなので日本人として心配する必要はないが、いま現在と向こう20年くらいの日本語世界は低調すぎて、何について話をするにしろ、全体として時間のムダであると請け合える。

いまの日本語世界で話しあわれる殆どの問題は、世界のどこかでは、もう決着がついてしまっている問題で、好きな人は議論すればよいが、でも、どうせ何年かしたら当たり前になることなんだから、議論するだけ時間のムダなんじゃない?と思う事が多い。

日本語で話をするのは大好きだが、日本語ツイッタでは色々な人の呪詛が聞こえてくるほどブロックしている人が多くて、ただお友達とだけ話をするチョー小規模なサークルにしてしまったりしているのも、そのせいで、いまさら、20世紀を19世紀に向かって逆進しているような人々と話しても仕方がないから、話すのにめんどくさそうな人は手当たり次第ブロックしている、ということがある。

それで世間が狭くなるかというと、全然そんなことはなくて、返って世間が広くなっていってしまうところが日本語の日本語たる所以で、持っている意見が等質な人が多いというか、日本語の名前が未だにちゃんとおぼえられないタワケのわしからすると、「手が付けられないくらいバカな人」(例:ネトウヨ)
「受けの良いリベラルな主張をしてたくさんの人に受けいれられている嘗ての朝日新聞みたいな人」(例:書きません)とか、そんな調子で、いくつかに分類されて、個々の名前は、あれ、この人とこの人は別の人だったのか、がびいいいーん、と思ったりしていて、相手への認識がテキトーすぎて、実態が判ると、何人かいる、わしにしつこくしつこく付きまとっているトロルの人々も怒るのではなかろーか、と考えることがある。

日本語は政治について話すのに向いていない。
言語として向いていないというよりも、政治について話す習慣の歴史が浅いからで、英語世界でも特にイギリス系の社会ならば、夕食後のテーブルの話題のなかでも大きなトピックは政治で、家族で、親と子が相手の顔をじっと見据えながら、延々と政党の主張の是非について夜更けまで議論するのは、珍しくもなんともない、ごくふつーの「家庭の団欒」の光景です。

息子夫婦とは同居していないじーちゃんとばーちゃんが、住んでいるウエリントンから、えんやこらさとオークランドの両親の家に来ていれば、このひとびとも加わって、
「反アジア人がうけるとおもえば、このままではニュージーランドは日本人の洪水になる、なんて誇大もいいところの好い加減なことをいうピータースのニュージーランドファーストなんかに投票する人間がいるなんて信じられない」とガールズスクールに通う16歳の孫娘が述べると、ばーちゃんが「だから、それはもう謝罪したじゃないの。ピータースは人種や大企業のことになるとおかしなことを言うことはあるけど、わたしたち年金生活者の生活を守るための政策では、よいことをたくさん言っている。あなたがた若い人には判らないでしょうけど、ピータースが内閣に入って実現したバスや劇場の老人割引きパスなんて、平均的な老人には、とてもありがたいものなのよ」と言う。
両親は両親で夫と妻で、国民党と労働党に分かれて、例えばキャピタルゲインタックスの創設が是か非か、じーちゃんとばーちゃんや娘や息子の同意を求めながら議論している。

そういう社会に育っていれば、例えば労働党の立場から国民党を、糾弾的な言葉で非難するというようなことは、よっぽど異様なことなのが説明なしで了解されるので、日本語社会では極く一般的に見える糾弾口調や、妙にささくれだった相手を貶めることを目的としたような言葉には、発せられる余地がない。

別に紳士的であるというようなことを述べているわけではなくて、相手がどうしても憎くて許せなければ、大臣に向かってチン〇ンの張り形を投げつけたほうが、まだ気が利いていると合意がある社会のほうが民主制には向いている、と述べているのに過ぎない

直観的な言い方をすると、優等生的な人間や「良い人」が多い社会では民主制は機能しない。
「男も料理をすべきだ。女にも機会を与えるべきだ。妻の仕事のために、ぼくは家事はなるべく引き受ける。ヘルマンヘッセは、古いが矢張りいいので読むのを進める。趣味は中国語で、中国人だからと言って軽蔑する人はおかしいと思う…」とアイスリンクの上を滑らかに滑るように正しいことばかり述べる人は、差別用語を連発して、なにからなにまで人間の価値に挑戦でもするかのように反知性的な言葉を連発する人間と同じくらい危険な人間だという鑑(かん)がある社会でなければ、民主制のようなものは、もとから機能として完璧どころかダメにダメを重ねていて、投票だけではどうにもならずに、通りにでてデモをしたり、インターネットで意見を述べたりして、合わせ技でやっとこさ機能しているような自由社会維持のシステムとしてボロい制度なので、うまくいくわけがない。

学校秀才や正しいことばかり言う人間を徹底的にうさんくさがる英語人の度しがたい習慣は、過去に、その手の人間に引き摺られて痛い目にあった結果なので、ほら、そこのどれ、と名指しできなくても、ベスト&ブライテストはダメなんじゃないの?という気分がなければ、うまくいかないものであるらしい、というくらいは知っていて損はないかも知れません。

このブログにいくつも宛先として名前が出てくるオダキンは、二次元の悪趣味な絵が好きな人で、その二次元絵が、未成年ポルノの領域と重なって見えた頃は、激しく喧嘩して、お互いの柄にもなく絶交したりしていた。
しかし、その歪さを生みだす内面の正しさへの強い衝動が、本人は言わないだろうが、文字通り職業を賭けた「福島事故の放射能は安全とは言えない」というチョー勇気がある発言につながっていった。

なにしろ同じ大学のなかに理系の一流国立大学教授であることを曖昧なバッジのように使って、「消防署のほうから来ました」と言って消火器を売りつけるおっさんではないが、科学のほうから来ました、で、 大学教師をしていることに飽きているのでしょう、実際には、素人政治活動としか呼びえない活動を、相手が科学素人であることをいいことに、科学者としての活動であるかのように見せかけて行うような、とんでもない破廉恥な同僚がいるのに、「だって危ないかも知れないじゃないか」と述べてみせるという国立大学教師という役人としては破天荒な勇気を見せた人です。

ある物理学者の友達への手紙2
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/04/odakin2/

なぜ、すらすらとして開明的な秀才がダメで、あちこちで言うことが間違ってヘンで凸凹しているオダキンがOKなのかというと、つまりは「より人間であるほうが民主制社会に向いている」ということで、オダキンでいえば、救い難いほど頑固頑迷だが、それも要するに個人主義や、それを基礎にした自由主義は、なんだかヘンテコな形をした頑固な「個人としての人間」という固い殻で出来た人間でないと保持していかれない、ということなのではなかろうか。

ここから、このブログは、これまでのお温習いの記事のような場所から舵を切って、だんだん、普遍的な話題に歩いて行こうと思っている。
日本語で書いていることを活かして、いわばカタカナの注釈やレ点がある漢文の領域から、ひらがなの領域へ向かおうと考えています。
日本語ツイッタでヒマツブシをしていたりして、「えー、それはこうなんじゃないかなあー」と思ったことから、少しづつ、ツイッタでもブログでも小説でもエセーでも変わらない、あの基底音のような場所へ行こうと思っている。
どうしても政治について述べたければ、だから、「民主制とはなにか?」というような超ダッサイ題名になってゆくでしょう。

理由はもちろん30歳も数年を超えてしまったからで、例えば40代になって、時事の問題を懸命に論じていたりするのは、いくらなんでもカッコワルイので、もうそういうことは後生にまかせて、そういう問題が胸に迫ったときには、すっくと立って、通りに出て、火炎瓶は流石に嫌だが、石を投げつけるほうに向かいたい。

これから段々わかってくるとおもうが、20代の自分にとっては勤め人になるなどは論外で、ビジネスマンとして成功するなども、ゲーマーのスト2大会で優勝するのと違いを認めることは出来なかった。
クレジットがあがる代わりに銀行の預金が増えるだけのことで、到底まともな人間が夢中になれることではないのは、誰にだって判ることだと思います。

だから世間の分類でいえば「投資家」と呼ぶしかないものになったが、実態は、投資家というよりも「定石発明家」で、別リーグというか、テキトーで、1年のうち20日も働いていれば、過労死を友人みなが(冗談で)心配してくれる境涯に至った。
つまり、ものすごいナマケモノなので、ここからは30代で死ぬのか百歳になっても、まだ生きていて、とつおいつ過去を振り返って、「あの福井のいまはつぶれた旅館で食べた見た目が変わった肉は人魚だったのかな。確かめればよかった」と呟いているのかは判らないが、日本語と他の内緒にしている言語で書いて、サーバーの隅に置いて、遠い未来の若者が、スペインの洞窟のディスクを眺める人のように、何気なしに読んだ誰かが、「この人は、まるでぼくのようだ」と呟く光景を楽しみに、文章を書いていこうと思っています。


猫の幸福

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カウチで、どべっと寝転がって顔を背もたれの気持ちのよい表面ですりすりしていたら、
「ガメは、つくづく猫だな」とモニさんが、いっそ、しみじみした口調で述べている。
体長が2mを越える猫って、それは誇りも高い虎かライオンなのでわ、とおもうが、それを口にして大笑いされると自分の気持ちが傷つきそうなので、ぐっとこらえている。

灼熱のマレーシアから帰ってくると、ニュージーランドは、わし最適温度とでもいうべき11〜12℃で、なんだかニコニコしていて、ゴロゴロして、猫だと言われてなくても、喉をならして、みゃあみゃあ鳴きたいような気持ちになります。

近所のパブに行ってステーキを食べる。家族連れが多いパブで、腕のいいシェフがいて、食べ物はなんでもおいしいが、特にアイフィレステーキがおいしいので、よくここにやってくる。
欠点は、いつも賑やかなことで、わしは平気だが、モニさんは大きな声をだすのが苦手なので、話がしにくそうです。

「大きい声を出す練習をすれば?」
「どうやるの?」
「のどの深いところから声をだせばいいんですよ」

モニさんが、やってみると、なんだかおとなの男の声をマネしようとしている子供のようになって、鼻の下に付けひげをつけた少女のような印象の声になってしまう。

ウエイトレスがやってきて、アイフィレの焼き方はどうするか、聞く。
このパブではミディアムレアがちょうどいい。
ピンクで、血が滴らないくらいの、ミディアム。

付け合わせは何にしますか?
「チップスとコールスロー」
「わたしはシーザーサラダとマッシュドポテトにしてください」
ソースは?
「ペッパーコーン」
「わたしもペッパーコーン」
バロッサバレーのシラズを頼んで、シメシメ、今日は楽しい夜になりそうだ、と考える。

ステーキが来ると、モニさんが、「シーザーズサラダって、コールスローのつもりで言ったんだけど、まあ、いいか」とひとりごちている。
モニさんは、頭のなかで、言葉が不思議に変換されて、イメージと言葉が一致しないことがあるので、聴いていても別に驚きはしません。

ソースがマッシュルームソースなので、ウエイトレスに合図をして来てもらうと、
「ペッパーコーンソースと聞くとマッシュルームソースと書いてしまうのは、どういうことなのだろう?」と首を傾げている。
モニさんは、なんだかニコニコしてウエイトレスを見上げている。
もしかしたら前世では姉妹だったのではなかろうか。
そう思って、見直すと、すらりと背が高くて、整った顔の、美しい女の人です。

ニュージーランドに帰ってきたなあ、と思う。
三ヶ月くらいヨーロッパに出かけていても、以前はこんなふうに思わなかったので、マレーシアが熱帯のアジアの国でニュージーランドとは違いすぎる国だからか、それとも、モニもわしも歳をとったのか。

パブで、隣の人がでっかいスペアリブを食べているので、「ずいぶん大きいね」と軽口を利いたり、モニはモニで、やはり隣のテーブルの女の人と久しぶりに見たミルクシェークについて冗談を述べあっている。

日本はゼロトラレンスなのでパブでワインを飲んで運転して帰るというわけにはいかなかったが、ニュージーランドは出来ないことは法律にしないので、二杯くらいまでならワインが飲めるように法律をつくってあります。

外に出ると、そよ風がふいて気持ちがいいので、クルマを置いて、少し散歩する。
まわりの家を眺めながら、ヘンなデザインの家だね、
あの家の玄関はカッコイイな、と言って、ふたりで無責任な論評をする。
なんだか、とても幸せで、人間なんて、この程度の幸せがときどきあれば、十分生きてきた価値があると思えるものなのかも、と妙なことを考えます。

ほら、あそこ、とモニが述べている。
小さく指さしたほうをみると、舗道で、70代くらいの男の人と女の人が、立ち止まって、抱き合ってキスをしている。
よくある光景、と言えば、それだけのことだけど。

若い時から、ずっと一緒に苦労を共にしてきた夫婦なのか、一生の終わりになって再婚した同士なのか、そんなことは知らないし、もちろん、どうでもいいことです。

人間が人間であって、出来ればわがままに暮らして、夕暮れ、一緒に歩いていける程度には健康で、話しているうちに愛情がこみあげてきて、立ち止まって、抱擁して、唇を合わせている。

眺めていると、人間には、要するにそれ以上のことなどは何もなくて、富貴も、地位も、おまけというか、余計なことで、こうやって、モニさんとふたりで、あと何十年いられるか判らないけど、ふたりでいたい、と突然、思い詰めるような気持ちになってしまった。

ガメ、シャツにステーキソースが付いてるぞ、とモニさんが言うので我に返った。

でも、見ると、モニさんの、女神みたいと形容したくなる、あのやさしい顔で、微笑んでいて、どうやら、わしが何を考えていたか、すっかり知っているようでした。

毎日毎日が過ぎて、もっと若い時なら、平穏すぎて退屈だと思ったに違いないが、
いまは平穏に退屈を感じるのは、要するに自分の頭のなかの文明が未成熟だったからだと判っている。

そうして、それが判るようになったのは、モニさんと出会ったからだった。
ひとの運命なんて、たったひとつの邂逅に一生が依存している。

モニ、大好き。
わしは、なんて幸せな猫なのだろう。

Meow!


2017年のサバイバルキット_1

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あちこちでテロの爆弾事件が起きて、ショッピングセンターで逃げ惑うひとびとに向かって半自動小銃を撃ちまくる白い男がいて、ほんとはやはり隣国は核ミサイルを撃ちこもうとしているのではないかと、不安な眼差しで空を見上げている人がいる。

ウサマ・ビン・ラディンはアメリカ人と一緒に肩を並べてアフガニスタンで戦う戦士だったが、いざ苦しかった聖戦が終わって、故郷のサウディアラビアに帰ってみると、イスラム人の口からは「傍若無人」としか呼びえない米兵たちの振る舞いに次第に怒りを募らせていった。
ニカブの女たちを指さして手真似で嘲笑して野卑な言葉をなげかけるGIや、イスラムの神にかけらも敬意をみせない米兵達に苛立ったからです。

ある日、ウサマ・ビン・ラディンが通りに立っていると、目の前でアメリカ軍の女兵士が着替えはじめた。
木陰に立って、さっさとTシャツを脱いでブラひとつの姿になって、着替えている。
ビン・ラディンがアメリカを滅ぼすべきだと心に決めたのは、このときだといいます。
なんでも検証好きの日本の人のためにいうと、わしはこんな経緯は勉強したことはなくて、子供のとき、朝のテレビで観たことを受け売りに述べているだけなので、信用できないが、少なくとも英語人に流布された物語では、そういうことになっている。

カネモチのドラ息子の特徴は、突拍子もないことを頭のなかだけでこね回して作り上げて、その計画を現実に実行した場合の現実の地獄絵に対しては一片の想像力ももたないことだが、ウサマ・ビン・ラディンも、その通りの人で、霧がたちこめた朝、ニューアークに着陸しようとしてエンパイアステートビルに激突して危うくビルを崩壊させかけた有名な事故が頭のどこかに残っていたのでしょう、旅客機をハイジャックして、世界貿易センターに突っ込ませると、思いがけない爆発を得て、ふたつのビルは完全に崩壊してしまった。

ベルギー人友は、9月11日は良く晴れたので、テラスで洗濯を、と考えて、テーブルにワインとグラスを並べて、あの生活を楽しむのが得意な人のいつものことで、手作りのサンドイッチも並べて、爽快な午後を楽しもうとしていたところに、視界の横の低空を、旅客機が横切っていった。
飛行機がつっこむと炎を黒煙があがって、これは大変なことになったと思ってテレビをつけたら、二機目が突っ込んでいった。

自分で気が付かないうちに、みるみる涙が両目にあふれてきて、何が起きたのが判らないが、何が起こったにせよ、この数年続いた平穏な幸福は終わったのだと悟ったといいます。

もっと大袈裟にいうと、アメリカの幸福は終わったと感じていた。

実際、この記事を書いている2017年までの時点では、アメリカは、この事件のショックから立ち直ることはなかった。
ちょうど日本の歴史でいえば福島第一発電所の事故のようなインパクトで、アメリカ人たちは怒り、悲しみ、なにごとかと戦おうといきりたったが、自分の「敵」が正当な戦場に軍隊として姿をあらわすことはなかった。
行き場のない怒りは、ニューヨーカーを駆りたてて、イスラム人が経営するお土産家電店につかつかと入っていって大声で中東人を罵倒したり、イスラム人を町でみかけると、すれちがいざまに「自分の国に帰れ」と言わせたりした。

欧州人は、むかしから、テロというようなものにはなれている。
そのころはまだフランスに向かう新規開業のユーロスターがウォータールーステーションから出ていたので1994年のことではないかとおもうが、親の目を逃れてこっそり買ったマクドナルドハンバーガーの空き袋を捨てようと考えたら、ゴミ箱というゴミ箱が封印されていて、閉口したことをおぼえている。
当時はIRAの爆弾事件が続いていたころで、内緒だがアイルランド人贔屓だったぼくは、複雑な気持ちになっていた。

憂鬱な気持ちのままユーロスターに乗って、出された折角の鱈にも食欲がわかなくて、様子を見に来たウエイターが、ひどく落胆した顔になって「お気に召しませんでしたか」と述べたことまで鮮明におぼえているが、そうやって「なれる」ことは本当にはなくても、生活の一部にはなっていたわけです。

こうやって書いてみると異常なことで、30代前半である自分の世代の人間にとっては、例えばUK人であるならば、テロは日常に組み込まれたリスクで、突拍子もないことに、チェンマイでガイドの、待っているときにはいつでも日本の漫画を鞄から取りだして読んでいたガイドの若い男の人に「タイ人はどうやってデング熱を防ぐのか?」と聞いたら、「それは生きるのに必要なリスクですから」と答えられて、ややたじろいだが、そのときに、自分の頭が理解するために努力したのでしょう、脳裏を掠めたのはロンドンのテロのことだった。

英語ではconsequencesという。
自分が何事かをおこなって、その結果の必然として一連の反応が自分に跳ね返ってくることで、日本語だと応報だろうか。
なんだか、ちょっと違うような気がするので英語のままconsequencesというが、21世紀も、17年も経ったいまの世界は、過去の出来事のconsequencesのなかで生きているので、子供のとき、ロンドンのあちこちで爆弾が爆発したのは、クソッタレのクロムウエルがアイルランド人から徹底的に収奪して、ついにはレンガを食べなければならないほどの困窮にアイルランド人たちを追い込んだ歴史の結果であるし、911は、アメリカ人の伝統的な他文明への鈍感さの結果であるに過ぎないとも言える。

日本の都市が北朝鮮の核で焼かれるセットコースに入ったまま、刻一刻と核という広島・長崎以来の文字通りの地獄の業火に向かって進んでいるのは、実に、戦前の日本という歪んだ文明が北朝鮮に残してきた政治・社会的なDNAが、朝鮮人が儒教のときもみせた情緒的な徹底性によって尖鋭化した反応を生みだした結果で、日本はまさに自分が生みだした子供によって、焼き殺されようとしている母親に似ている。

どうすればいいか。
ひとつだけ、日本の人がいちばん考えるのが苦手な社会がおこなってきたことのconsequencesのなかに立たされた個人にとって、サバイバルとして行いうることは、「自分の社会についていかない」という方法以外にはありえない。

1923年の関東大震災のときに人の群れの判断に頼って被服廠跡に向かった人は他の38000人のひとびとと共に炎に焼かれて命をなくすことになった。
例えば日本人ならば、それが思い出すべき教訓で、世界がturmoilのなかにあるときに生きてゆく秘訣は、秘訣はヘンだが、要諦は、他人についていかずに自分の頭で考えて、懸命に計算して、そういう言い方が判りやすければ打算して、でもよい。
いまの時点で、自分はあそこにいなければならない、という地点めざして歩いていくことです。

日本語ネットで出会った、ユニーク(←英語の意味)な知性のタメジロウは誤解している。
若い人に海外への移住をすすめることが多いのは、平均的な日本人の条件ならば海外に出た方が個人として「生き延びられる確率が高い」と思われるからで、いつかこっそり述べたように、自分が日本人ならば、案外、海外移住などは環境が変わりすぎて賭博なので、日本のどこか、ラーメンがおいしいところかどこかを選んで、ひねくれた顔のまま、ヘムッと口を結んで住み着くのではなかろーか。
その場合はぼくは、地元のコミュニティに対しては一顧だにしないだろう。
朝のパンを買いに行ったパン屋の若い女の子に、自分のアカデミックな背景を洩らしたりして、卑怯に及んで、自分の生活を守る障壁をつくるくらいはやりかねない。

日本の諸自治体は面白くて、「海岸性から遠ければ遠いほど平穏である」という特徴を有する。
例えば軽井沢の近くには佐久平という町があったが、この佐久という町は、日本でいちばん日照が多いのと災害が一度もないのとで有名で、地震もなければ、台風すらきたことがない。
なんだか日本の町ではないようなところで、そういう軽口を利いてはいけないが、天日干しの米作と、かつては突出してすぐれていた臨床医療のレベルのほかは、なにもない地域に北朝鮮のミサイルが降ってくるのは、想像のゲームとしても難しい。

日本を、さまざまな理由で出られない人も、まだ諦めることはない。日本に住んで日本人をやめて暮らすことが出来るのは、日本社会で「ガイジン」であった、ぼくはよく知っている。

ガイジンになっちゃえばいいんですよ。
村八分というが、村五分くらいで暮らすのは、現代の日本では十分に可能であるとおもわれる。

日本の、社会としての荊の道は、まだ続くとおもっている。
日本の社会の常で、日本の国としての立場が悪くなればなるほど、社会にも悪意が充満して、魂が呼吸することが難しくなってゆく。
でも、日本に居残ったまま生きていく方法は、あきらめなければ、まだまだあると思います。

義理叔父は感傷的、情緒的なところが少ない珍しい日本人だが、2011年のJFKで、成田行きの飛行機の搭乗を待っていたら、白い家族の子が義理叔父に向かって、まるで神様から直接教わったような鮮やかな発音の日本語で、
「がんばれ、ニッポン!」と叫んで、どうにも、カッコワルイことに涙が流れて止まらなかったと述べていた。

がんばれ日本人。
がんばれ、ニッポン


2017年のサバイバルキット_2

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あんまり東京が暑いので、もう少し涼しいところへ行こうと考えた。
いろいろ聞き合わせてみると、軽井沢という町がよさそうなので、出かけて探索することにしました。
鳥井原というところに、西洋式に駐車場が広い「つるや」というスーパーマーケットがあって、しめしめ、ここなら同類の外国人がいて、この町に住むのが良い考えかどうか聞いてみることが出来るだろう、と考えた。

店内に入って、誘拐する幼児を物色する目つきになって、歩いている人をスキャンする。

おっ。白いおばちゃんがおるな。
しめしめ。

話しかけてみると、「ここはパラダイスですよ!」とアメリカ人の訛りでいう。
ミッショナリの人で、日本の町にいくつか住んだが、こんなに住みやすい町はない。
このスーパーだって、駐車場が広いでしょう?
クルマで、あちこちでかけて、探さなくても店の前に駐車スペースがある。
夏は、人で大混雑でたいへんだけど、道の数がたくさんあるから、地理が判るようになれば渋滞につかまって難儀することもない。
絶対に薦められます。

そーかそーか、と考えて、軽井沢に昔から別荘をもつおっちゃんとおばちゃんの友達に全面的に家探しを依存して、夏のあいだ、こっそりやってきて、「あー東京はあちかった」をする家を買い求めた。

住んでみると、あんまり涼しくもなくて、日中はちゃんと30℃を越えたりして、これでほんまに避暑地ですかあ、コモ湖のほうがまだ涼しいのお、と考えたりしたが、この「夏の家」の購入には予想もしなかった「おまけ」がついてきて、おまけのほうが本商品の夏の家よりもゴージャスで、それが「日本の田舎」でした。

軽井沢自体は東京の飛び地のようなところで、退屈、というと怒られるが、東京の巣鴨あたりな感じの生活で、面白いことは何もない。
現に、軽井沢でいちばんおいしい天ぷら屋は万喜という店で、家の掃除にくるおばちゃんに、万喜の天丼を買ってきてくれるように頼むと、
「え?また天丼食べるんですか?ガメちゃんて、天丼男ですね」とか、
頭が揚げ物の怪人のような言われかたをしたりしていたが、うまいものは仕方がない。
話がそれたが、この天ぷら屋は、中目黒の店で、夏になると東京の店を閉めて、軽井沢にやってくるという愉快なひとびとで、この天ぷら屋に限らず、東京の店が多くて、わしが夏の家を買ったときは、もう存在しなかったが、その昔は紀伊國屋スーパーまであったそうでした。

鹿島の森ホテルというホテルの前から、ゴルフ場の脇へ折れて、離山(はなれやま)の森のなかをクルマで上がってゆく。
くにゃくにゃくにゃと曲がりながら、とんぼの湯という銭湯風な温泉の脇へ出ます。
まっすぐいくと嬬恋村という、チョーよい名前の、森が深い、広大なキャベツ畑がある村に出る国道を横切って、ややクランクっぽくなっている道に入っていくと、1000m道路で、いまなら、まっすぐ行くと、ビル・ゲーツの、学校よか大きな、アホなサイズの家がある。

ウインドーズで、世界のオフィスを下品にしてボロ儲けをこいたおっちゃんの家をすぎて、ますます真っ直ぐに行くと、満州開拓団がやっとここで定着した大日向で、それをまたずんずん行くと、追分で御代田で、…と続いている。

モニとわしは、あの道をいったい何回通っただろう?
わしは生来ボログルマが好きで、軽井沢でも、必要なことがあるのでやむをえずピッカピカのクルマを、東京から乗ってきたのとは別に一台おいてあったが、普段乗るのは歴戦の勇者というか、買ったときにそもそも8万キロ走っていた4WDで、サードギアに入れられるのがわししかいなかったので、森のなかのフランス料理屋とかで酔っ払って代行サービスを頼むと、ストールして、「すみません、このクルマのサードギア、どうやったら入るんですか?」と泣きつかれて、代行サービスのおにーさんを助手席に移らせて、自分で運転して帰ったりしていた。

サードギアが入らないくらいで泣き言を言うのでは、わしガールフレンドは務まらない。
代行サービスに来てガールフレンドにされては、たまらないが、そういう意味ではなくて、かつては、デートにやってくると、オカネモチの倅だと聞いていたのに、やたらボロいモーリスマイナーで現れて、いまにも襲いかかりそうな顔でニタニタしながら運転しているうちに、「あっ、やばい、ブレーキが利かない」と言い出して、信号のたびにパーキングブレーキを、ぐわっと引いてクルマを止めていたりして、「今度、あのクルマでやってきたら、マーシュランドの沼に捨てて帰ってくる」と言われたりしていた、強い人で、ことほどさように、ボロクルマが好きで、菅平の下り坂でクルマが減速できなくなってモニさんが悲鳴をあげたりしていたが、ははは、田舎めぐりほど楽しい遊びは、日本では存在しなかった。

国道18号線沿道の汚さはイタリアのラチオよりも酷くて、錆び付いた「ラブホテル」の看板や、半分倒壊しかけている倒産したパチンコ屋や、なんだかよく判らないクルマのスクラップやタイヤや家具が積み上げてあるゴミの山が、あちこちにある。

ところが国道から折れて狭い細い道へ入ってゆくと、これはまたびっくりするような美しさで、人間が金銭欲に駆られてゴミの山を積み上げるまでは、いったいどのくらい美しい国土だったのだろう、とよく考えた。

丸子町や御牧村、東部町、立科、浅科、佐久穂、別所、美しい田舎は軽井沢から近いところでもたくさんあったが、なかでも素晴らしかったのは広大な「名前がついていない森」や「名前がついていない野原」で、多分、名前がついていないせいでガイドブックにも載らないからでしょう、クルマから降りて、辺りを見渡して、モニさんと感嘆の声を挙げることがよくあった。

それまでは日本が美しい国だとおもったことは一度もなかったが、そのとき初めて、なるほど19世紀の母国のおっちゃんや、やたら文字を書くのが好きだったデンマークの水兵や、イザベラ・バードのおばちゃんは、こういう景色を観て「美しい国」と述べたのだな、と得心しました。

なにを長々と書いているの?
あんた、サバイバルキットの続きを書いているんじゃないの?
と言われるはずで、当然だが、なにを述べているのかというと、このあいだ述べたように「よそもの」として田舎にやってきて、ほんとは日本人だけどガイジンみたいにして暮らしているニセガイジンとして、暮らしてゆくのは、よい考えなのではないかと書こうとしている。

大雑把な人は大雑把で、日本に住んでいてはダメだと述べて、自分が住んでいるニューヨークじゃないとダメだとかメルボルンはいいよおーと述べて、それはたしかに本当なのだけれども、仔細にみれば日本も住めなくはない。
それも単に住めなくはないだけではなくて、外国に住むのと相応な、あるいは、外国に住んでも不思議なくらい一向に英語が身につかなくて、20年くらいアメリカに住んでいて、旦那さんもアメリカ人なのに、ちょっと話しているだけでも「単語を拾って話している」だけなのが判って、日本の人にとっては、なんらかの理由で、英語を身に付けるのがこんなにたいへんなのか、と、まさか口に出しては言わないが、心のなかで思ったりする。
言語などは、よく例に出すコンラッドを初めとしておとなになってから英語をベンキョーしはじめて名文家として知られた人などはいくらもいて、
母語人よりも上手になったりするのは、それほど大変なはずはないが、日本人はなぜかダメで、そういう苦労を差し引いても外国に移住してよかったという人はいくらでもいるはずだが、差し引いてしまうとマイナスで、こんなことなら日本にいたほうがよかったと考えて舞い戻ってしまう人も、また、たくさんいる。

福島事故が撒き散らして、その後は、なんだかこうやって考えていてもぶっくらこいてしまうが、政府が積極的に全国に向かって散布した放射性物質を怖がるのは、ただのまともな反応にしかすぎないが、

例えば長野県ならば汚染は千曲川の東岸で止まっている。
もっと大事なことは、長野県の人は昔から「千曲の東でりんごを食うな」というくらいで、りんごひとつとっても千曲川の西へクルマで買いに行く人が多い。

これが重要なことなのはなぜかというと、そういう偏見が土地に長くある場合、伝統的な流通がそこで切れているからで、たまたま汚染されていないまま千曲川の西が残ったのと相俟って、千曲川の西に越して農家や牧場の直販品を食べて暮らせば、汚染された食べ物を食べる確率はぐっと小さいものになります。

金沢や富山の人は自分たちの食べ物のおいしさに誇りをもっていて、その結果、流通のサークルがひどく小さいもので、遠くはせいぜい京都になっている。
もちろんスーパーマーケットは、そんなことはなくて、全国から食べ物が来ているが、それでも、伝統的な流通のせいで、金沢周辺の、地元のものが多いように見えました。

要は自分の生活なのだから、社会問題として捉えないで、自分が生き延びる方法を考えることに集中して、個人の立場から生活を組み立てていけば、あるいは北朝鮮とアメリカの戦争に巻き込まれても、北朝鮮という国がまともな通常兵力を持たないこともあって、案外と普通の生活を楽しんでいけるかもしれない。

次の回では、一歩進んで、日本でしか出来ない楽しみを並べて、外国に移住したくない/できない人たちと一緒に、問題だらけの日本の生活を、いまの慢性症状がついに劇性に変わったあとでも、楽しんで、いえーいな生活をすることを考えたいと思っています。

社会なんて脆いものだが、個人としての人間はしぶとい。
社会がダメになって個人の生活も一緒にダメになるのは、要するに全体主義的なものの考え方をしているからで、個人主義の強さは、社会が破綻したときこそ発揮されるのだということを、一緒に考えたいと思います。


2017年のサバイバルキット_3

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モニさんは、「鉢木」という能楽な名前の日本料理屋でフランス人の友達とあうことになっていたので一緒に北鎌倉で降りた。
もう日が傾きかかっていたが、ひさしぶりに鎌倉まで歩いていきたかったし、約束の時間までは、まだだいぶん時間があったからです。

浄智寺の脇から、鎌倉の、特徴がある低い山に登っていける道があって、化粧坂(けわいざか)を通って、源氏山公園に出て、お化けが出るので有名な日野俊基の墓から道を降りて、佐助に出る。
佐助に出れば隧道を通って鎌倉の駅はすぐで、その鎌倉の駅の近くに用事があるのでした。

ハイキングコースの標識があるブッシュに入った瞬間に、ああ、鎌倉はいいなあ、と考えた。
町の空気が、一瞬で田舎の空気に変わって、昔は売春街として賑わったという化粧(けわい)坂をのぼりきったあとは、なんとなく、精霊たちが茂みのあちこちや、枝のうえから見詰めているのを肌で感じます。

昔は、鎌倉にいれば、東京では味わえないこの田舎の空気を吸いに、普通に舗道を歩けばあっというまに着いてしまう道を、例えば港南に行くのにも天園をのぼって、わざわざ岩から岩に飛び移るようなことをしながら、無駄な苦労をして、歩いていったりしたものだった。

鎌倉の自然は、例えば、わしガキの頃のトンブリッジウエルという町の自然に似ている。
野放図な、湖の岸辺に立って見渡すと、どこか知らない惑星に来たのでもあるような、人間を寄せ付けない美しさのニュージーランドの森林とは異なって、人間が何世紀にも渉って手を加えて、慈しんで、いわば人間の吐息がしみ込んだ自然で、天園にしても、源氏山にしても、腰掛けて空を眺めていると、過去の人間たちが、周りにぼおっと現れて、銘々、朝ご飯の仕度をしたり、立ち話に興じたり、夫婦で喧嘩をしたりしはじめそうな気がしてくる。

さっきの化粧坂にしても、13世紀にはすでに50万人を越えていたという鎌倉の稠密な人口のなかで、掘っ立て小屋のような家を林立させて、道を通り抜けるには袖をひく女の人達を避けねばならなくてたいへんだったのだという。

それが、いまは切り通しなどは、ただの自然に帰っている。

あるいは義理叔父とふたりで、横須賀線の終電で帰って来て、酔い覚ましに段葛の道を歩くと、満月の光で、何かがきらきらと光っている。
「細かい石英みたいなものがありますね」と口にすると、義理叔父が笑って、
「ああ、それはね、昔の侍の人骨なんだよ。この辺りは、ほら、この右手が官庁街にあたる武士屋敷が続いていてね、この段葛を挟んで、何度も何度も戦闘があって、葬ってもらえた者は良いが、置き捨てにされた者もいて、そういう死体が朽ち果てて、こんな細かい骨の欠片になってしまったのだよね」と言う。

歴史が何重にも堆積して、地に埋もれて、層をなして、この辺りで家を建てようとすると、ほとんど必ず遺構が出て、開発業者は大損をする、という話をずっと後で知った。

イギリスや日本では、そういうありかたで、自然もまた文明なので、自然にしか過ぎないと軽くみていると、いつのまにか、言語も習俗も染みついた、自国の文明に溺れこんでしまう。

放射能汚染を厭い、破綻寸前の財政に青ざめて、これはやはり外国に逃げなければダメなのではないかと悩んでいるきみの袖をつかんで放さないのは、案外と、この長い文明をもった歴史かも知れなくて、実際、外国に移住してしまえば、自国の呼吸のようなものからは、断ち切られてしまうことになる。

これから先の日本で生きていくには、まるで荒野を歩く人のように生きていかなければならないのは、ほぼ判っている。
自分の感覚と思考だけを頼りに、五官を研ぎ澄まして毎日を暮らせなければ、あっというまに、いま始まったばかりの、狂躁的で浅薄な文明崩壊に巻き込まれてしまうでしょう。

文明崩壊の大渦巻きに呑まれないで暮らそうとおもえば、大渦巻きのなかで自分の一生をコントロールできなければ自分を見失うことになるのは当たり前で、そのためには、なにかひとつ自分が拠ってたつ思考のよすががなければならないのは、ほぼ自明だと思います。

観念は役に立たない、ということを憶えておくと、良いのではないか。
読書家が殆どの場合、自分はなんでも知っていると思い込んでいるだけの愚か者なのは、たいていこれが理由で、観念には、観念と自分を結びつけるだけの切実さが欠けているということが判っていない。

では何が現実へのアンカーとして働いて、自分をつなぎ止めてくれるかというと、多くは生活のディテールで、それも些細な、二階堂の見栄えはパッとしない鮨屋が出前で運んでくる絶品の細巻きや、神田のまつやの、ご飯が江戸風にちょっと固いが、それさえ大目にみれば十分おいしい天丼や、あるいは神田食堂で、日式タリというか、トレイに並べた卵焼きや鮭や、明太子にひじきで、奮発して冷や奴までつけて、いそいそと席について、むふふ、と頬を緩めながら、箸を割ってとりかかる定食の、食べ物の楽しみでもいい、あるいはキッチン南海で色の黒いカレーを食べて、ついでにスヰート餃子で味噌汁と餃子を食べて、おもむろに東京堂書店の棚のあいだを徘徊する習慣でもいい、要するに自分に滋養を与える毎日の生活で、それが壊されない限り、社会は見限って、もうそんなもんは知らんわ、という態度で暮らせれば正常でいられて、此処も彼処も、どっちでも質の高さは同じであると述べるに足るだけの文明の実質を、まだまだ日本語世界は持っている。

ここまで書くと気が付く人もいるはずだが、例えばおなじ読書にしても、翻訳された本というものは、たいていの場合、害しか与えない。基盤になっている現実がないまま日本語に置き換えられた思想や感情は、空疎なエキゾチシズムに過ぎなくて、例えば日本語を十分に理解しているという前提でエラソーを述べれば、英語の「春の雪」は、正真正銘の駄作で、日本語の詩と俗の危うい境界を揺れながら辿るような、三島由紀夫の特長がなにも出ていない。
同じように、日本語でフォークナーを読んだところで、トランプを大統領にした、アメリカの血と肉が、感じられるわけはない。

そのくらいなら、いっそ居直って、日本語で思考された日本語の本しか読まないことにして、空間的に読書対象を広げるかわりに、どんどん時間を遡行して、イーブリン・ウォーの有名な逸話ではないが、「随分、古い日本語ですねえ」と言われて相好を崩すくらいになったほうが良いような気がする。

実際、耳袋などは誰が読んでも面白いし、今昔物語は日本語の弛緩ぶりがいまひとつでダメだが、同じ題材でも、例えば源俊頼の手にかかると、紫式部の弟の臨終の物語のような、素晴らしい一場の情景に居合わせることが出来ます。

日本昔話
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/04/30/dildo/

なんだか話が復古主義者のようになってしまった。

いろいろ言っているが、自分のほうが、異文化が大好きで、世界の表面をウロウロと歩いて、こっちの町に6ヶ月、あっちの町に3ヶ月と住んで、挙げ句のはては、やっぱり英語社会がいちばんいいのい、と呟いてモニに笑われたりしている、自分の姿が脳裏にうつって、やはり人によっては、どんなに住んでいる社会がボロボロになっても、生まれついた社会がいいのだろうか、という迷いが出ているだけなのかも知れません。

最後の冬、モニとふたりで低い空をみあげて、この国をこれほど好きだったのはなぜだろう、と考えたのをおぼえている。
他人に聞かれれば文学と答えることになるが、実はそれは理由の一部でしかないことは、自分ではよく知っている。

黙っていたけど癌で、やっと治ったんだよと言うので、会いに行ったら、見送りに駅まで行くよ、と述べて、断っているのについてきて、突然、おれも途中まで一緒に乗るよ、と言い出して、たったひと駅のために新橋までのグリーン券を買って、誰もいない終電のホームに降りて、観ると、病み上がりで、60歳をすぎたじーちゃんなのに、まるで健康な子供でもあるかのように電車が動き出したのにあわせて、走りながら手をふっていたKさんや、
ただの定食屋の持ち主と客にしか過ぎないのに、日本にやってきたので何年かぶりに訪ねていったら、カウンターの客が呆気にとられて、大笑いするなかを、キッチンから跳ね板をあげて飛び出してきて、 わしの胴体に細い両腕をまわして、「ガメちゃん、会いたかった! 元気だった? おばちゃん、あんたに会いたかったのよ。どうして手紙もくれないの? ダメじゃないの」と涙を流してまで大袈裟に再会の喜びを表してびっくりさせたおばちゃんや、感情過多と笑わば笑えで、泣いたり怒ったりばかりしている人達が、何世紀にもわたってつくってきた日本語の世界は、正面から見詰めれば、豊穣で、馥郁として、この世界に類稀なほど美しい言葉で、いくら考えても、これだけの美しい言語をもった文明が、そう簡単に、卑しさと放射能にまみれて滅んでよいわけはない。

どこに遊びに行くかモニとふたりで話していて、「日本は?」というので、もう絶対いかない、怖いもん、と答えたらモニが、なんだか謎めいた、可笑しくてたまらないとでもいうような顔をして笑っていた。

そう。
自分でも知っているのさ。

わしはまた、いつか、あの20世紀から一向に出てこない、国ごと座敷牢に入ってしまったような国を訪問するだろう。
どんどん進歩してゆく、この世界で、ひとつだけ、まるで生きることに興味をなくして立ち尽くしているかのように、立ち止まってしまった国。
自分の、すぐ後に窓があるのに、鏡を見つめて、自分の顔の向こうの景色を観ようとばかり努力している国。

日本という不思議な国を。
わしの奇妙なパラダイスを。

いつか、きっと。

(いまは、まだ怖くてダメだけど)



Despacito

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夢のなかでは、まだ古い丸ビルが残っていて、丸ノ内の駅前でタクシーを待っているぼくのまわりを薄い灰色の影のようなサラリーマンたちが歩いている。
1999年に取り壊されたはずの丸ビルがあるのならば、日本にいた時期から考えて、まだ子供のはずで、ひとりでタクシーを待っているわけはないが、夢は夢で、きっと、この丸ノ内は、おとなになってからもういっかいやってきたら、こんなふうにやってみたいと考えた、夢のなかの丸ノ内であるのに違いない。

行列の前のひとが、唐突に振り返って、きみ、知っていますか?
このサラリーマンたちの半分は、実はもう死んでいる人達で、自分達が死んだことにも気付かずに、こうやって毎朝、出勤してくるのですよ。
ほら、あの鼻の下にチョビ髭を生やした丸眼鏡の男は、ずいぶん旧式な三つ揃いを着て、随分太い傘をもって、ご丁寧に帽子まで被っているでしょう?

ぼくは、あの男をたまたま知っていて、清瀬で結核で死んだのは、戦争前のことだった、ぼくは….

と言いかけて、急に霧のなかへ溶け込むように消えてしまった。

ああ、このひとも、もう死んだ人だったのか、と当たり前のように思って、日本はヘンな国だなあ、と考える。
日本? 日本は関係がないんじゃない?

ぼくの一生のすべてのスタートは、ビクトリア公園の、低い丘の上に立って、霧雨のなかで、タシットを見下ろしていた、あの午後にある。
人間は死ぬのだから、十分に生きなければいけない。
競走のように歩くのをやめて、自分にはどんな歩幅が最適で、どのくらいのスピードで歩くのが最も快適なのか、見いださなければならない。

歳をとった人間が忘れてしまっていることは、若い人間のまわりにも死んでゆく人はたくさんいて、若者は、十分すぎるほど死について考える。

死について考えることは、生きることについて考えることで、産まれてから、だんだん人になって、まだ子供は子供だが、ほんとうに人らしくなるのが15歳くらいだとして、それから、多分、70歳くらいまでは、ただ寿命があるだけではなくて、人間として考えられる確率が高いだろう。
もちろん例外はあって、例を挙げればラッセル卿のような人もいるが、早くから人間である実質を失う例は遙かに多くあって、若年のうちから痴呆症になる人もいるし、器質的な病でなくても、例えば強姦にあって、魂そのものが死んで、死んでしまった魂が、ただ苦悶しながら、肉体をもてあましているようなこともある。
あるいは、他人、例えば母親が生きたかった人生を歩いてしまう人もいて、ひたすら勉強して、医師になって、それが如何に自分の魂にとって、寸法があわない職業であっても、ただ世間が口を揃えて褒めそやしてくれることだけを生きる縁(よすが)に、自分は正しい一生を送ってきたのだと、自分自身に対して、虚しい説得を続けることで生きてゆくひともいる。

カウチに寝転がって、自分の足を眺めていると、なんだか他人の足のようで落ち着きがなくなった経験は、誰にもあるに違いない。
肉体は、必ずしも、きみ自身であることを意味しないのは、しばらく鏡をのぞかない生活をしていて、何ヶ月も経って、ふと自分の顔を鏡のなかにみると、他人が立っているようにみえることでも判る。

ぼくの場合は、ときどきやってみる無暗矢鱈に日本語を書いてみたりする時期がそうで、日本語を、狂った人のように書きなぐって、日本語で世界が構成されたようなときに、ふと鏡をみると、そこには異形の人が立っていて、ぎょっとすることがある。

また違う夢のなかでは、ぼくはトランピングの途中で、タスマントレイルを数日歩き続けて、疲れて、ネルソンの町に降りて、土手に背中を預けて、ステーキパイを食べている。

土手の上の道を、数人の人が歩いて来て、そのうちにひとりの声が、自分が子供のときに死んだ曾祖父で、あの最後に息を引き取るまで快活だった声で、
「人間の一生なんて、たいしたことはないのに、まったくご苦労なことだ」と述べている。

ああ、これは本当に曾祖父だ。
この人は、これが持論なんだ。
なつかしいなあ、でもどうして死から蘇って、こんなところにいるのだろう?

夢のなかの現実の排列はデタラメに見えるが、実は法則がある。
覚醒の生活のなかで、最も夢の現実に似ているのは本棚だろう。
この棚は外国語で、フランス語の古典はここがいいだろう。
こっちは宗教の関係にしてみようか?
でも、そのときには、フランス語の宗教の本はどこにいれれば、うまく収まるのだろう。

夢は、あるいは夢のなかの現実の排列は、どこまでも永遠に本を並べ替える作業に似ていて、考えていると、人間はみんな、自分の過去と思惟についての司書にしか過ぎないのではないかと思えてくる。

では覚醒した現実はどうかというと、夢や死と、それほど変わらないような気がする。
覚醒した現実を保証しているのは大脳による認識だが、認識がほんとうに自我の主体によって行われているかどうかには、常に、よく知られた、おおきな疑問がある。
自我は、自分が選択したふりをしているだけで、意識を欺すことによって、支配者を気取っているだけなのではないか?
たとえば思考ということを例にとれば、ほんとうに考えているのは与えられた言語の、いわば歴史性による自立運動であって、意識はそれを追認しているだけなのではないか。

だが肉体の感覚は、リアルである。
よく知られているように、視覚も聴覚もあざむくことは簡単で、世界の上下などは、被験者にVRデバイスを被せて、そのまま一週間も生活させれば、簡単に上と下は逆転する。
でも重力は?と問う人は事情に通じない人で、飛行機を操縦する人ならば、自分が見ているのは水平線だとして、空はほんとうに水平線の上にあるほうの領域なのか、ほんとうは自分は飛行機を裏返しにして飛ばしていて、海を空と錯覚しているのではないか、と混乱した経験を持つ人はざらにいる。
実際、航空機事故の理由のひとつになっている。

そうやって感覚の真実性そのものは、あてにはならないが、感覚のリアルはこの上もなく確かで、神が人間をうらやむ理由があるとすれば、神には感覚受容器が網羅された肉体がないことであるのは、簡単に想像がつく。

性の興奮や、愛する人の髪に触れるときめきや、肌と肌をあわせる恍惚を、神は持ちえない。
人間の肉体という、滅びやすい受容器を持たないからです。

30余年を生きてきたが、なんだか、ときどき退嬰的な気持ちになると、およそ人間が自分の一生に期待するようなことは、すべてやってしまった気持ちになる。
それはきみの想像力が足りないからだよ、という父親の声がすぐに聞こえてくるが、人間の一生には、ほんとうにやってみる価値などあるのだろうか?
ほんとうは、ただ肉体という受容器で、つかのま、この世界を感覚するために戻ってきているだけのことなのではないか。

いつもの疑問が、また夢のなかにさえやってきて、夢のなかの不眠をつくりだしている。

それとも、覚醒の生活と認識している時間のほうが、実は夢と定義しうる時間で、夢は覚醒した時間が把握できない秩序の時間が意識の流れになっている現実なのだろうか。

笑うかもしれないが、それがぼくの頭を占めるおおきな疑問で、つまり、大雑把に述べてしまえば、「自分はたしかに存在しているのか?」という疑問であって、同時に、きっと自分が死を迎えるまで、答えることが出来ない疑問なのではないかとおもっています。

それで、一向にかまわない、という気持ちはあるのだけれど


EFL

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どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、という。
そう述べるのは必ず日本の人で、英語人からは聞いたことがない。
多分、日本の人のことなので、何らかの嫌味を述べて、こちらの気分を悪くしようとしているだけのことなのかもしれないが、ぼくは言われたことを字義通りにとるほう、というより、まず字義通りにとるように自分を訓練してきたので、言われたことを、そのまま考えて、そういうものだろうか、と不思議におもう。

この世界には、英語が母語なみに出来る人は日本語人の想像を越えた数で存在する。
子供の時に連合王国にいました、というような人が多いのはたしかだが、そうでなくて、例えば「水平社」について知りたかったので、物理の勉強の傍ら勉強したんだよ、という人もいます。

数学は学問コミュニティの在り方の上で、むかしから国際性が強いので、大抵の分野で、言語を超えた協業が盛んで、そのせいで、3,4カ国語が話せる人は普通に存在して、バルト三国あたりの出身であると、なんだか母語が6つくらいあるような、愉快なじーちゃんが現役で存在する。

中国の人であって、英語が母語並に出来て、英語社会の、さまざまな問題に興味を持たない人が存在しうるかというと、そんなことはあるわけはなくて、たいていは、自分の生活と利害の相関がなくても、トランプはなんてバカなんだ、一方のヒラリーも、いいかげんに何の反省もなく白いキャリアウーマンの鈍感をひっこめればどうなのか、のような「大きな問題」から始まって、いったい何の権利があってキャドベリは、ニュージーランドの工場を閉めて、連合王国の工場に生産を集中してしまったんだ!
あんな甘いキャドベリなんて食べられたもんじゃない、というチョコレートの義憤に至るまで、英語人と世界への感情を共有している。

ある言語を習得することは、その言語を使う人間たちの「血の中へ分け入っていく」ことで、日本語を身に付ければ、日本語人とともに喜び、日本語人とともに怒り、日本語人とともに嘆くのは、ごく自然な、あたりまえのことで、
どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、
という感想のほうが、ぼくには理解を越えている。

だって、日本語への共生の感覚がなければ、言語の習得のしようがないでしょう?
ルーク・ミツミネ@soloenglishjpはツイッタ上で出会ったオーストラリア人で、カタロニア人の奥さんと一緒に京都に住んでいる。
テキトーをこいて、奥さんのアイダと会うまでは、ファッションモデルのバイトをしたり、オーストラリアで働いたり、台北に住んでいたりしたが、奥さんと出会ったのがよくて、更生して、とーちゃんとして、ビジネスを起こして、忙しそうに暮らしている。

ファミリーネームでわかるとおり、ルークは片親が日本の人で、本人によればそのせいで、日本語が「母語並」に使える。
母語は英語で、たまたまぼくが好きな町であるブルーマウンテンの少し手前にある町で育ったので、こちらは当たり前というか、多分、普段の生活で悪態をつくときに出るのは英語なのでしょう。

ここには、面白いことがあって、ルークは日本語で怒っているときには、まったくの日本人として、ただし日本以外の世界を十分に知っている日本人として怒っていて、やりきれない気持ちや、日本人の狭い了見に憤懣を爆発させたりしている。

当たり前なんじゃない?ときみは言うかもしれないが、ぼくは日本語で考えているとき「だけ」日本語世界について憤懣をもって、次の瞬間でも、モニさんがお茶とケーキを持って現れると、さっきまで確かに身内に存在した憤懣は見事に雨散霧消してしまう。

スイッチが切れたように、といえばいいのかもしれません。
日本語にひたっていたときの感情は、綺麗さっぱり姿を消してしまって、もっと踏み込んでいえば、別の人格になってしまうのだとしか、言いようがない。

観ていると、ルークには、それが起こらなくて、ぼくのほうは、なるほど言語はどんなに上達して、あるいは母語人よりも巧みに乗りこなせるようになっても、それとは関係があるのかないのか、スイッチのオンオフがある言語と、スイッチがオンのまま、ずっと自分の魂と干渉している言語があるのだとおもう。

その、言語の底の底のようなところに、日本語学習者であるぼくには、まだ見えていない秘密が蟠っているように見えます。

どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、という、と冒頭に書いた。
そう述べるのは必ず日本の人で、英語人からは聞いたことがないのは、つまりは日本人は言語の習得ということを、思想の時点ですでに誤解しているからで、骨がらみ、というが、ひとつの言語を「コミュニケーションの手段」や「仕事の道具」、まして、「キャリアを充実させるためのステップ」として身に付けることなんて出来るわけがない。
言語は、ひと言でいえば血肉そのもので、手にもって使える斧やナイフとは異なる。
いわば、まだ見ぬ自分の魂の培養で、極端にいえば、ふたつの言語に通暁することは、ふたつの魂を持つことであると思います。
実際、やってみれば判るが、母語なみになった言語は、その言語によって、自我がすこおおおし、異なるような気がする。
英語のJames と日本語の大庭亀夫は、なんだかひとつの身体を取り合う、二重人格のそれぞれであるような錯覚に、よく陥る。

前置きが長くて、なんだかもう終わりの頃になって本題に入るのは、このブログの特徴だが、ここからが本題で、現代の世界の参加資格のようなものは、「自分の英語人格」を獲得することなのではないか、と考えることがある。
そうあるべきだ、と述べているのではなくて、出来上がって眼前に現れてしまった現実として、そういう世界になってしまっているんじゃないかなあー、というくらいの意味です。

マレーシアのペナンで、ジョージタウンに用意してもらった宿泊施設は豪奢で文句のないもので、やる気になればペナン島の精霊たちと運動会がやれそうなくらい広くもあったが、なにしろ暑くて、建物内部は無論クライメイトコントロールが行き届いて、どこか欧州の、夏のピレネーの村かなにかにいるような快適さだったが、
ここにCCさん@_cc_bangkokという悪い人がいて、名前を書いてしまっていいものかどうかいつも判断がつかない聡明な奥さんと一緒に、ペナンに住んでいて、ツイッタを通して、とんでもなくおいしいそうな屋台料理を、これでもかこれでもかこれでもかと日夜見せつけ続けている。

生来いやしい人間としては、それを見逃すわけはなくて、ペナンでは発達しているuberに乗って毎日、今日はChar Koay Teow、明日は蒸し鶏でないローストのチキンライスと、食べに行きます。
その結果、モニもぼくも、たった一週間で夏バテに至ってしまった。
モニさんは一日16時間は軽く眠って身体の恢復の要求に応え、ぼくのほうは、だんだん、楳図かずおの蛇女のように床を、ズルズルズルと床を這って蛇行するようになっていった。

蛇さんであるのをやめて、ある日、すっくと立ち上がって、「こうなったらビーチしかない!」と叫んで、やや西のビーチに数日移動したのはそういう理由によっています。

ホテルの部屋で、なにをしていたのかというと、モニさんと、とても人に言えない、あんないけないことや、こんな人には言えないことを、ぐふふふふ、していたのだけど、食事は全部ルームサービスで、普段は観る機会がないテレビ番組を、勢い、観たりしていた。

ブータンとインドの外交官が、中国の外交官と、マレーシアの討論番組で互いに通訳ぬきの英語で激論を交わしていて、なにがなし、これからの世界はこうなっていくのだなあ、と感じた、ということを話しているのです。

アクセントからして明らかに英語が母語ではない双方が、しかし、「公的人格」とでもいうものを獲得したうえで議論していたからで、多分、あの中国の外交官もインドの大使も、銘々の母語では、出てくるわけはないパースペクティブから発語していた。

英語の発想に立っていて、絶望的に異なるお互いの立場を、しかし、かろうじて議論の場として共通の舞台にしているのは、その、「英語の発想」だったのが簡単に看てとれました。

EFL、という。
English as a foreign languageの略で、ESL 、English as a second languageとも言います。

つまりは母語でない英語のことで、世界は、急速にEFLを共通の普遍語として共有する方向でステージをつくってきた。

日本の人にEFLの概念の話をすると、なんだか覚束ないアクセントの英語を思い浮かべてしまうらしいが、そうではなくて、
ここで述べているEFLは「母語並」の外国語としての英語ということを考えている。

英語には、誰が聴いたって歴然と異なる、スコットランド英語、イングランド英語、アイルランド英語、オーストラリア英語、ニュージーランド英語…..があるが、EFLは、出自はそのうちのひとつと見做すことも出来て、お里は、多分、大学であるとするのが説明するのに最適でしょう。
パンの匂いがちゃんとするラテン語というか、生活の匂いもちゃんと身に纏ったラテン語のような役割で、言語として、よく出来ている。

この言語のパースペクティブの光源は、「お互いを理解しやすい地点に立つこと」で、この俯瞰光源にあたる点を獲得したことで、EFLは思考・議論の言語として不動のものになった。

ぼくの好きな映画「English Vinglish」には、娘が、英語をまったく話さない母親を恥ずかしがって、ベンガル人で、というのはインドでベンガル人であることの意味を述べれば諸事を英語で情報処理する日常である校長と会わせないように画策するところが出てくるが、ここに出てくるインディアン・イングリッシュは、EFLに近い機能を持っている言語です。

いつものことで、ごみんごみんだけれども、ここまで書いてきたら、なんだかくたびれてしまったので、駆け足にするが、EFLの言語としての俯瞰光源をもちうるかどうかは、ここから先は、そのまま「世界に参加できるかどうか」という問題につながる。
多分、大学受験のせいで、日本の人は、英語を学問と捉えるひどい悪癖があるけれども、英語をベンキョーしている場合ではなくて、英語の世界の血の流れのほうに、自分から分け入っていかなければ、日本人全体が世界から疎外されていくのは、知っていて知らないふりをして、訳の判らない詭弁を構築するのでなければ、どんな人間にもわかることだと思います。

日本語のほうからみれば、EFL世界であっても英語世界は「翻訳されなければ判らない世界」かも知れないが、おなじ事象をEFL英語の側からみれば、日本語は「言語のない世界」の影のなかに逼塞している世界であるとしか認識のしようがないことを、もっと日本人は、ちゃんと理解すべきだとおもう。

それに、ほら、「わたしはあなたを愛している」と述べるのは、
相手の言葉のほうがいいでしょう?
それが、お互いにとって「相手の言葉」であるのは、いまのところEFLだけで、
土曜日の朝、シーツの上で手をしっかり握りあって、「わたしは、この人と一緒に、この世界を冒険していくのだ!」と決心するには、母語であるよりはEFLのほうが相応しいのかも知れません。

夢のなかに分け入っていくには、希望の言語が必要なのだとおもいます。


時間という価値

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ミラ・クニスやキャメロン・ディアスはオンラインゲームが大好きなので有名で、二人とも、ゲームに熱中するあまり撮影の仕事をすっぽかした前科を持っている。
ふたりともWOW(World of Warcraft)のファンで、起きると、そのままコンピュータの前に座って、用事がなければ、またベッドに戻って眠るまでずっとミッションをこなしたり、モンスターを殺しまくったりして、一日中、快哉を叫んで暮らしていたもののよーです。

ふたりの時間あたりの労働単価を考えると、とんでもない高価な遊びだが、もちろん、ふたりとも意に介さなくて、最近になって、セラピストの治療をうけて、我慢出来るようになるまでは、まったく無軌道に筋骨隆々の蛮族になりすまして、血しぶきの雨のなかを颯爽と駆け抜けることに人生の意義を見いだしていた。
インタビューを聴いていると、ふたりとも、オカネを湯水のように使うことに飽きて、時間を湯水のように使うことの恍惚に身を委ねていた、という趣があります。

時間が最も高価な、人間の一生で価値のあるものだ、という考えは、21世紀においては特に強い意味を持つようになった。

勤め人の身分では、無論、そんなことは許されないが、ボス同士ともなると、相手からemailが来ているのにシカト、などはふつーのことになって、20世紀の人が聴いたらショック死しそうな非礼だが、「用事がなければ返事もしない」というのは、予想に違わず嫌なやつから、だんだん社会に浸潤して、最近では自分の友達でも、かなり悪い習慣が身についてしまった人が多い。

仕事での音声による電話は、なおさら少なくなって、電話がかかってきても、ちらと名前を見て、出ない人が殆どではないだろうか。
「まともな人間はテキストで要件を伝えてくる」という頭があるので、テキストはもれなく読んでいても音声のほうはまずほったらかしにしてある。
「電話なんかで、いちいち話をされては仕事の時間だけで半日が埋まってしまう」という社会的なコンセンサスが出来ているので、出なかったからといって、お咎めがあることはありません。

まったく音声で話をしないかというと、そんなことはなくて、例えば恋人からの電話は出る。
忙しい午後に、のおんびり話をします。
通りを歩いていると、地下鉄の出口で、あるいはベンチに腰掛けて、世にも嬉しそうな顔で、笑い声をあげたりしているのは、あれは、もちろん夫や妻や、ボーイフレンドやガールフレンドと話をしているからで、あけすけに幸福なので、見ているほうも、なんとなく楽しくなってくる。

昨日、またぞろ、例のかつては大繁栄をしていたが、いまは、ひとり去り、ふたり去って、すっかり寂しい数の集団になりはてたらしい、はてなのトロルおじさんがひさしぶりに鬱陶しい姿を現して、タイムラインで、ひとしきり話題になった。

なんだか言うことも、やりかたも、彼らが工夫に工夫を重ねて、過去には百戦百勝であったらしい、いま振り返るとマンガ的に姑息な「戦術」も、十年という月日のなかで色あせて、同じことの繰り返しなので、飽きられて、「見慣れた光景」になってしまったので、タイムラインでも盛り上がりを欠いて、すぐに話題としての生命が終わってしまったが、話をしながら、また、あの同じ疑問、「なぜ、このおっさんたちは、他人を不愉快にするためだけの行為を他人に嫌悪忌避されながらでも何年経っても倦まずに続けられるのだろう?」と考えた。

自分の体験で言うと、いまだにからみつく、おっさんトロルたちが、なんだか一斉攻撃みたいなことを始めてから8年弱たっていて、英語社会でなら完全な偏執性の狂人だが、日本語社会では、割とふつーであるらしい。
こちらから見ると、どう見てもありあまる悪意の余り発狂したとしか思えない人達が、日本社会では受けいれられているのはなぜだろう、と考える。

英語でもトロルは、ネット世界に遍く存在して、グヒヒヒと陰に籠もって笑いながら、ネチネチ絡みつく人間はいっぱいいるが、英語人の飽きっぽさが禍いして、一週間以上おなじ人間に絡みつくしつこさはない。
少なくとも、目撃したことがない。

日本語社会では、8年どころか十年選手もたくさんいて、あちこちで絡みついて、原動力は、われらの賢者、哲人どん @chikurin_8th が述べるとおり嫉妬なのかもしれないが、それにしても、当たり前だが8年10年と経つあいだには、こちらはみな生活がどんどん変化したり伸展したりして、ミナは遂に念願をかなえて、サウスオーストラリアのアデレードに帽子デザイナーとして移住することになり、だいすけさん @cienowa_otto はおとーさんとして子供と一緒に成長し、と、どんどん変わり、あるいは積み重ねているのに、顕著な対照として、トロル側は、どうも、生活自体にまったく変化がないらしい。
トロル専業、他者糾弾専業のような趣です。

そーかそーか、待てよ、もしかしたら、そーかも知れないね、と思って、ブロックしてあるアカウントをもの好きにも覘いてみると、ふつーのアカウントと、このトロル族の最も明らかな違いは、発言している人の背後にあるはずの生活がまったく感じられないことで、よく考えてみると、これは、たいへん面白いことです。

「結局、警察に電話してもらいました」というような報告は、emailやダイレクトメールでも、よく来る。
トロルは、シャブ中やアル中やなんかと同じ依存症なので、やっているうちに止められなくなって、だんだん過度な刺激を求めて、語彙もますますoffensiveになって、遅かれ早かれ自分の生活を破壊するところまで行きつく。
これは、ちょっと危ないかなあーと思っても、自制が利かなくなるもののよーです。
「そういうことは、したくなかったんだけど、職場の庶務課にまで電話してくるようになると、先生、なにかこういう人たちと関わりがあるんですか?とまで言われるようになって、仕方がなかったんですよ」と、言い訳している。
それでも止められなくて、逮捕される人もいる。
他人を不愉快にさせたい一心で前科者になるなどは、たいへん日本的だと思うが、本人は、案外、本望なのかも知れません。
なんだか、家を売って、砂漠のトレーラーハウスに住み込んで、朝から晩までポーキーズ(スロットマシン)に入れ込んで、文無しになって、人生まるごと破滅して、せいせいした顔で自殺するラスベガスのギャンブラーに似ていないこともない。
依存症、中毒というのは、行きつくところまで行きつく、破滅願望が、その正体だからでしょう。

このトロル依存症が日本社会で特に蔓延しているのは、と言っても誤解されるといけないので、念の為に述べておくと、例えばニュージーランドでも、オンラインのいじめは深刻な社会問題で、どうやって防止するか、年中話しあわれているが、面白い違いがあって、英語社会のトロルは自分が間違っていて悪いことをしているのを知っているが、日本語のトロルのほうは、往々にしてリベラル知識人を自称していたりもして、自分のほうが正義に立っていると錯覚している、重大な違いがある。
自分こそが正義だと、外からみる人にとっては、とんでもないとしか言いようがない思い込みに立っているからトロル行為に十年も打ち込めるので、そこのきみ、笑ってはいけません、あれで、自分では信念に燃えて持続的に正義の戦いを戦っているくらいに思っているのよ。
言っててもアホらしくもあり、信じがたいが、どうやら、そう思う以外には説明がつかない。

ことがここに至る理由は、日本語社会では生活が安くて、時間は安物の、というより殆ど価値のないものとして流れている、ということなのでしょう。

普通の人間は、他人を不愉快にするためにわざわざ時間を使ったりしないのは、自分の手持ちの時間の価値を知っているからで、ミラ・クニスのように、それが夕陽を浴びた草原での蛮族との一騎打ちであっても、他人を不愉快にするために時間を使うような惨めなことをやらないのは、やればやるほど自分が惨めになってくるからで、日本語では、どうも、そう思わないらしいところを見ると、結論はひとつだけで、そもそも自分の時間に価値を認めていなくて、その価値の裏付けになる生活が自分の一生から欠落しているという結論以外は出てこない。

実際にも、いちど、トロルおじさんたちの現実の生活を見てみたことがあるが、まさか名前は書かないが、
東大理科三類(←医学部進学課程ですのい)に合格して有頂天になったものの、それがほんとに頂点で、気の毒なことに本人の資質には向かない研究者を志して、論文も書けずに、そのまま日本の社会がかつての秀才に憐憫してお情けでつくってあげたようなポジションで給料をもらって悶々と暮らしている人や、自己の研究実績としての論文リストを開いて見ると、「研究論文」の提出先がほとんど「週刊金曜日」という雑誌である不思議な「学者」、あるいは会社にこきつかわれて、日本社会の仕組みそのものに踏みつけにされているような過剰な労働で生活もなにも、生きてオカネを稼ぐのがやっとの人、というような面々で、それ以来、気の毒で、書いてあることを見るのも彼らが考えているのとは別の意味で苦痛になっていった。
そう思って注意してみると、「まともな学者ならば、こんなことは言わない」というような文言があちこちにあって、なんだか、見ていて傷ましいような気持ちになります。

ここで大事なことは、彼らが首尾良く、例えば研究者の道を歩いていたとしても、自分自身の考え方が災いして「生活」は実は生じなかったのではないかということで、その原因は、いつかまた違う機会に拠りたいが、多分、子供のときからの「効率主義」や「時間をつかいつくす」毎日の姿にあるでしょう。
要点だけを、うまくつかんで、効率よく他の競争者を出し抜く才能は、同時に物語から細部を脱穀して、粗筋だけをつかみだす作業を自分の一生に課す才能でもあって、生活というものの実体が細部である以上、その人の人生からは、どんどん生活が抜け落ちてゆく。
どんな人間になるか想像できなければ、夏目漱石の「明暗」を読んだ、という言明が、夏目漱石の明暗の粗筋を読んだ、に限りなく近付くような人格を考えれば当たらずも遠からずで、ヘンなことをいうと、おもしろいことに、こういう一生への姿勢は、日本人が大得意な「英文読解法」に似ているのでもあります。
英語全体からすると一時の形態にすぎない20世紀のやや生硬なエッセイのようなものを読むのに特化した構文解析と称する、言葉を悪くすれば猿の芸に似た読解法などは、典型で、一定のジャンルにある英語の意味を取り違えずに読むには、本来の英語の実力よりも低い力量で読めるので便利だが、英語能力自体は逆に、永遠に縁がないものになってしまう。

言うまでもないが、自分の生活がない一生を送るということは、「生きなかった」ということです。
心から、ああいう人間たちを社会が再生産しないといいなあーと思う。

お互いをナイフで刺しあっても、なにもいいことはないでしょう?
その簡単な事実を、ひとりひとりの人みんなが、理解できる日が来ることを願っている。

きみもぼくも、お互いの生活を慈しみあって、肩を支えあって歩くように出来ているのだから。


八勺徳利とミサイル

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マンハッタンの、特にヴィレッジの辺りを歩いていると、いまではもう錆び付いた核シェルターのサインが、あちこちに残っている。
いつロシアのミサイルが飛んでくるか判らなかった時代の名残で、アメリカ人たちの、巨大なダモクレスの剣の下で暮らすような生活は、1991年のソビエト連邦崩壊まで続きました。

冷戦が続いているあいだも、キューバ危機が終わったあとでは、一般の人間は、アメリカ=ロシア間のホットラインに始まった偶発全面核戦争を防ぐさまざまな仕組みを聞かされて、信じている人も多かったが、あとで明らかになった現実の歴史は、1983年の、公表されなかった「人類を救った英雄」スタニスラフ・ペトロフの事件ひとつをとっても、いままで核戦争が起きなかったのは、どちらかといえばただの僥倖で、特に人類の叡知が増大して核戦争防止の知恵が備わったわけではないことを教えている。

ニュースを落ち着いて読めばわかるとおり、なんだか軍人ばかり増えて中南米のクーデター政権みたいだ、と揶揄されているホワイトハウスのなかで、軽佻なトランプを横目で見ながら、なんとか北朝鮮との戦争を避けようとしている「避戦派」の人々の目標は、同盟国である日本人の視点からいうと、
「北朝鮮の核ミサイル攻撃能力を日本対象に限定させる」ということです。
アメリカが北朝鮮の予想外のミサイル/核技術の進捗にぶったまげて、情報を世界中からかき集めて、ようやく確信に到達した現実は、1 北朝鮮の長距離核ミサイル技術はブラフではなくて実用化に限りなく近い 2 固体燃料ロケットの中距離核ミサイルは、少なくとも姿勢制御技術の精度が甘くてもすむロフテッド軌道によればすでに実用化されている 3 グアム以遠の標的を狙う基礎技術は確立されているが、こちらはまだいくつかの問題、特に大気圏再突入時の姿勢制御の問題が解決されていない
、であるらしい、ということで、簡単に言えば「韓国と日本の二同盟国を灰燼に帰することは出来るがアメリカ本土/領土は、まだ安全である」ということでしょう。

従って、ホワイトハウスの選択はふたつで、「核攻撃が日本に対してまでしか行えないいまの段階で、譲歩して、北朝鮮の生存権を認めて核ミサイルプロジェクトを凍結させる」か、「核攻撃が日本に対してまでしか行えないいまの段階で北朝鮮の軍事能力を破壊する。つまり戦争を始めて早期に北朝鮮を国家として壊滅させる」のどちらかに定まったことになる。

この場合、面白いのは、といって、面白がってはいけないが、興味深いのは、北朝鮮という国が核攻撃に特化した軍事力の国で、アメリカのB1の接近に気が付かなかった防空の失態を恥じて、ミグ21を東海岸に移動させたというが、訓練の燃料代にも事欠く国の貧しさに加えて、通常兵器が骨董品と呼びたくなるような時代物ばかりで、役に立たないので、少しでも事情を知っている人間にとっては北朝鮮の場合に限っては「戦争=核戦争」であることが判っている。
ゆいいつの例外が、北朝鮮から見て、ちょうど東京から鎌倉くらいの距離にあるソウルを壊滅させることに特化してデザインされた榴弾砲群やロケット砲群で、大時代な兵器だとおもうかも知れないが、長崎に落とされた原爆が与えた被害をみればわかるとおり、実はソウルのような都市の攻撃には、この通常兵器群のほうが決定的な効果がある。
もうひとつ、ビンボなので、使えるものは使わないと戦争にならない、ということもあります。
ニュースのなかで、口にだしてはっきりそうとは言わないが、アメリカが韓国への核攻撃を実際には想定しておらず、核攻撃の標的になるのは、いまのところは日本だけだと想定しているのは、つまり、そういう理由によっている。

日本語での議論を眺めていると、混同されているらしいので、念のために書いておくと、北朝鮮は日本を恐るべき・憎むべき敵と考えて、日本を攻撃しようとしているのだと考えている、あるいは、考えているふりをしている論者がたくさんいるが、北朝鮮は固より「敵はアメリカだけ」と決めていて、金正恩は最近、側近というよりも仲良しクラブじみた同世代の取り巻きの人々に「おれはワシントンDCに一発核爆弾を打ち込めれば、それで国ごと亡びてもよい」と述べたそうだけれども、あくまで敵はアメリカで、その仇敵にまでは核ミサイルの腕が届かないので、技術的に可能な日本を攻撃するプランになっているにすぎない。

往来で出くわした力士たちとの喧嘩で、後方に控えるご本尊とやりあうのは無理なので、露払いの太刀持ちで、目の前にいる可愛くないガキをぶん殴ってやる、という理屈と本質的にそう変わらない理屈で、基地攻撃を口実にして、手が届くアメリカの領地である日本を攻撃しようとしている、ということです。
つまり、北朝鮮にとっては日本は独立した主権を持った国ではなくて、単なるアメリカ軍が設営した「陣地」なので、この列島の形をした前方基地を、ゆいいつ効果が期待できる手持ち兵器である中距離核ミサイルで、徹底的に叩く、というふうに見えている。

以前は、中枢である東京が核攻撃の脅し文句に入っていなかったのに、最近は入っているのは、具体的な攻撃プランが検討されて出来上がっている証拠で、仮に日本に住んでいるとすれば、なんとなく、考える度に、空をみあげたくなるような雲行きであるとおもう。
北朝鮮が核プログラムを凍結して、そのままおとなしくしていると考える人は誰もいないので、つまり日本は国として人質に差し出されるのと同じことで、戦争が避けられても、避けられなくても、どっちみち核ミサイルの飛来に怯えて暮らさなければならないのは同じ、という、なんとも表現できない、行き場のない袋小路に日本は迷い込んで、もがいている。

もっかの日本人にとっての微かな希望は、北朝鮮と中国の関係が急速に悪くなっていることで、北朝鮮は戦争になった場合の出口のドアを開けてくれる国をロシアに変更しようとしているが、政治関係が変化すれば、そこにはおもわぬドアが開く可能性があって、多分、そのくらいにしか日本の希望はないのだと思われる。
中国との関係が悪化すれば、ゴルバチョフ時代のソ連とおなじで、ミサイルを飛ばそうにも、制御するための電気代も、軍事車両を動かすためのガソリン代も出ない、というような状況に陥る可能性があって、気が付いてみれば頼みの綱の核戦争を実行するオカネと物資すらなくなっている可能性が日に日に大きくなっていて、そこに期待するくらいが、寝付けない夜をなんとか眠る考えであるのかもしれません。

「世界が尊敬する日本」「世界中が憧れる日本」と日本を挙げて、浮かれて、ベストセラーの半分くらいが「日本人すごい」本で、大騒ぎしていた頃は実際にはシカゴの町で、美術館でぼんやり腰掛けていたら近くに立っていて、話しかけてきたアフリカンアメリカンのおばちゃんが、日本に興味がある人で、東京にいたことがあるんだよ、と言ったら、「日本人は、どうして、あんなに自転車が好きなのだろう?」と述べるので、「SPECIALIZED とか人気があんだよね。割と価格が低いレンジのほうが多いけど」と言ったら、きょとんとした顔で、「あの重そうなダッサい自転車がSPECIALIZED製なのか?」と聞き返されて、なんだか話が行き違っているので、よく聞いてみると、おばちゃんは道いっぱいに広がった自転車の群れの、60年代の北京の通勤風景を東京だと思っていた、ということがあったくらい、都会の一部の人をのぞいては、日本について関心がある人は少なくて、日本人が仮構の「世界」でスポットライトを浴びる自分の姿を空想の世界でつくりあげてはしゃいでいるのに過ぎなかったが、アニメの力や、おそるべし、日本のことで段々知られてきて、日本人の生活のイメージも、理解されるようになってきた。

ラーメン二郎などは初心者が行ってみることを憧れる聖地で、もともとアメリカにいれば、顔が売れていて、あちこちでヒソヒソされるので、繁華街の交差点にぼんやり立っていても、誰も気づきもしない東京が好きになって、内緒で通い続けた結果、日本通になってしまった年季の入ったわし日本大好き友は浅草の大黒で天丼をたべて、神谷バーで電気ブランを飲みたい、などとスカイプで述べている。
築地の岡田でいかフライとかさ、東京のカルチャちゅうのは、なんというか、気がおけなくて、いろいろなものの距離が洗練されて、「間(ま)」がいいんだよ、という。
焼き鳥や鮨のカウンタひとつとっても、客と大将の距離が、ちょうどよくて、遠すぎず、近すぎず、これ以上工夫しようがないくらいの絶妙な距離で、ああいう芸当は、やはり江戸の歴史がある東京でないと無理なのではなかろーか、などと半分夢見心地の顔で思い出している。

それから、いつも判で捺したように、でも、あーあ、福島事故で、今度は北朝鮮の核攻撃だぜ、という。

いったい、日本人たちは、日常以外のなにが欲しかったのだろう?
ビンボでも、あんまり世界が尊敬してくれなくても、人目に立たない町の路地裏で、信じがたいことにシカゴ・モダンジャズカルテットがバックグラウンドにかかっている蕎麦屋で、「おばさん、カレー丼ひとつね!」
おお、あと、ビールもつけてよ。今日は、ぼく、いいことがあったんだ。

たったそれだけのことが出来る都会は、このクソッタレばかりの世界には、もういくつも残っていなくて、東京は、そういう人間が、ひっそり人間らしさを満喫できる、ほとんど最後の砦だった。

いつか、ほら、ふたりで川辺の料亭にでかけて、川面を眺めながら、のんびり酒をのんだことがあったよね。
ガメは、おれが日本酒の飲み方を教えてやる、と、エラソーなことを述べて、自分で盃を満たす奴があるか、手酌といって、そーゆーことは友達と一緒のときは、しないことになっているんだよ。
ダメダメダメ、まだ速すぎる。
酒を飲む速度は文明の速度で、酒の作法は、そのまんま文明の性格なのだから、もともとは稀代ののんびり文明だった日本文明に敬意をもたなくちゃダメじゃないか、と、教師染みて、お説教してたくせに、しばらくすると、自分が酔っ払って、眠ってしまった。
こら、ガメ、おまえはそれでも名門XXの息子か、人前で酔っ払って眠るなんて、なんちゅうとんでもないやつだ。

あのときにね、ぼくは、ああ、ガメは、日本の文明の、一種のだらしなさ、背筋がのびない弛緩したところが好きなんだなあ、と思った。
家の玄関を出ても、日本社会では、まだ家のなかで、どこまでも家で、他人が闊歩する空間が存在しない。

ガメは、きっと、自分が生まれて育った西洋というものに、うんざりしているのだな、と思ったよ。
だから、きみは、あんなにも日本に拘ったんだね。
「西洋ではないもの」が生き延びることを、強く願っていたのだと、そのとき、気が付いた。

核ミサイルは、ダイジョブ、ダイジョブじゃないと言い争っている日本人たちの上に、遅かれ早かれ、結局は飛んでくるに違いない。

福島事故とおなじことで、日本人が口でどんなに否定しても、核を凶器とする国の戦域に入ってしまったことは、日本の文明を、またしても根底から変質させてしまうだろう。

戦争は起きるだろうか?と聞いたら、ガメは、論理が示すことが起きるだけのことさ、と言っていたが、あれはやっぱり戦争は起きるという意味なのかい?

話しているうちに、ふたりとも、すっかりバーボンで酔っ払ってしまって、最後におぼえているきみの科白は、
もう、どうだっていいのさ、
だった。

ある日、多分、よく晴れた午後に、ぼくは唐突に死ぬだろう。
ミサイルにはよらないだろうが、交通事故か、病気か、多分、口にするのも憚られるテキトーな理由で、きみもぼくも、なんだかあっけなく死んでしまうに違いない。
友達たちがやってきて、故人は生前はへらずぐちばかり叩いていて、議論好きで、まことにうるさかったが、いざ黙られてみると、無性に寂しい、とかなんとか弔辞を述べるだろう。
核ミサイルが飛んでくる可能性が増えたからといって、個人の側からみれば、無数にある、しょも無い死の原因が、またひとつ増えただけのことだと言えなくもない。

今度、夢のなかで、一緒にでかけて、昔のように、木挽町の裏通りの、あの、黒ずんだ木の壁の、おおきな暖簾がさがる店を訪問しよう。
八勺徳利の樽菊正宗で、鱒の照り焼きやだし巻きで、日本を堪能しよう。
きみと最後に出かけた夜の次の週に、ぽっくり死んでしまったあの店の大将がやってきて、カウンタの向こうから、身をのりだして、これ煮こごりだけど、食べてみますか、うまいですよ、
住んでみれば、
冥途もそんなに悪いところじゃない。
いつか、遊びに来てくださいよ。

そう言って、あの皺の形がいい笑顔で、にっこり笑いかけてくれるかも知れないね。
東京、なんとかして、生き延びてくれないかなあ。

あの店の、きみとでかけた、あの静かな、楽しい晩に戻る方法があるだろうか?


東アジアの好日

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10月18日の十九全まで伴走するつもりで、そのまま勢いがついて25日まで日本語浸りになっていた。
ベッドやカウチに寝転んで、MacBookを開いて、仕事や友達とのやりとりをしながら、日本語窓を開いて、日本語の友達とふっふっふと話しているのが楽しいからで、ときどきは机の前に座っていても、たいてい映画を観ながら、ずっとツイッタを開いている。

日本語でも報じられているとおもうが外国人にとっては要するに「習近平がはたして自分の名前をつけた思想/理論名を発表するかどうか」が最大にして殆どゆいいつの関心で、「習近平新時代中国特色社会主義思想」と命名して、自分が毛沢東に較べればやや光彩が地味な、それでも鄧小平よりも偉大な指導者であるという自己認識を示したことは十分に衝撃的で、えらいこっちゃな気持ちを起こさせる結果だった。
中国式の政治文法に従えば習近平と思想のあいだに挟まっている「新時代中国特色社会主義」の長たらしい夾雑の分だけ毛沢東に遠慮しているだけで、命名の根幹を成す「習近平思想」が真に誇示したいことの根幹であるのは言うまでもない。

外から見ていると日本は面白い国で、近隣の北朝鮮や中国を、顔をつぶす、殴る、蹴るで、あんまり意味がない侮辱と挑発を繰り返している。
中国についていえば、鄧小平を内心激怒させたに決まっている思い切った日本との協調路線をとった胡耀邦に対して中曽根康弘は靖国神社に参拝して胡耀邦の党内でのメンツを完全につぶして、対日協調派をまるごと壊滅させる世界の外交通を唖然とさせる暴挙に出た。
これから、やがて人民解放軍の鋭い関心の対象になるだろう尖閣諸島についていえば、なんとか紛争を避けたかった中国政府が編み出した「棚上げ」という妙手を石原慎太郎都知事が右翼的な政治的勘の良さを発揮して私有化を宣言することで、上がっていた棚を蹴り壊して、その後がすごい、当時の首相だった野田佳彦が国有化を宣言するという、中国政府の顔を正面から蹴りつける、ものすごい行動にでて、将来の日中戦争をほぼ確実なものにしてしまった。
その頃、「あの日本の首相は、政府の掣肘に業を煮やした人民解放軍からオカネをもらっているのではないか」と下品な冗談が流行ったが、冗談を別にして、なぜ将来の尖閣戦争を予約するようなバカなマネをするのか、世界中を訝らせた。

だいたいにおいて、日本の対中国外交の特徴は一貫して対日宥和派をつぶし対日強硬派を助ける結果になる行動で貫かれていて、いま年表を眺めていても、日本の外交は無能というよりも終始、未来への紛争の種を蒔き続けることに特徴があるようです。

このブログでもいくつか記事にした北朝鮮に関しては、言うに及ばずで、世界中見渡してもトランプよりも北朝鮮と戦争をやりたがっているのは安倍首相くらいなものである上に、あろうことか、その安倍首相を経済政策の大失敗にも関わらず、北朝鮮との臨戦態勢を理由に行われた選挙で国民が支持したのを見て、70年間アメリカに首根っこを押さえつけられていた手がトランプ政権になって弛むと早速飛び上がるようにして戦争に向かっていきりたって、「日本人て、なんであんなに戦争が好きなんだろう?」と遠く離れたニュージーランドでさえ、よくパブの話題になるほどだった。

しかもびっくりすることには伝えられるマスメディアの報道をみれば一目瞭然な一般市民の韓国に対する深い憎悪と軽蔑を反映して、北朝鮮が見抜いているとおり、同盟国である韓国とは見せかけの協調以外は、ボロボロで、世界で最も協調体制がない軍事同盟に挙げられるくらいひどくて、日本語の報道を通してさえ注意して読めばわかるが、アメリカ軍は軍事同盟の実質は韓国とのものだと決めているように見える。日本は、まあ、勝手に突撃してくださいと言わんばかりで、談話をみても北朝鮮との戦争にかかっているのはソウル市民の生命がイメージで、一方では核攻撃の対象が韓国やアメリカ準州や本州ではなくて日本であることに言及しながら、そちらは、「自分で望んだ戦争なのだから仕方がないのでは」と言わんばかりの無関心さで驚かされてしまう。

中国は北朝鮮は戦争になっても仕方がないと例の北京大学の有名教授の口を通して述べて、アメリカが呈示している戦争への諸条件を、よっぽどトランプを信用していないのでしょう、異例なことには担保的に公開して、どのような条件下ならば金正恩を見放してもよいかについて公言するようになった。
国連監視団にアメリカ軍が加わるのはいくらなんでもお断りだが韓国軍なら受けいれる、というのだから、中国に関する限り、戦争をやっても文句はいわない、まあ、勝手におやりなさいというゴーサインをだした。

英語世界の中国通のひとびとが、俄に習近平が従来考えられていたのより早期の台湾併合を狙っていることに気付いて騒ぎ出したのは、つまりはそれがきっかけで、十九全で方針に習近平の名を冠した理論なり思想なりを口にすることがあれば、台湾併合と日中限定戦争への動きは、ほぼ確実なことにおもわれる。

案の定、先々週は中国政府が人民解放軍とのあいだで近い将来の台湾への武力侵攻を決定したという具体的な作戦計画を伴ったニュースが流れたが、ニュースソースは本物の中国政府でも、台湾の友達に問い合わせてみると、「台湾人は中国本土への併合は覚悟しているが武力ではなく政治的圧力によると考えている。上陸作戦云々は、中国らしい圧力のひとつにしか過ぎないとおもう」と書かれていて、これから日本に対しても同様の外交を展開するだろう「中国式外交」の一環であったようでした。

以前に述べたように、日本に関しては、もう、いまさら議論をする必要はなくなった。
最後の最後の引き返せない通過点をすぎて、ダメ押しに、好戦的な思考に夢中になっている安倍晋三に国民として変わらぬ圧倒的支持を与えたことは、日本が戦禍の半世紀への引き返せない一本道に入ったことを示している。

自分が日本人で若い人間であるとすれば、金銭的には「現金を日本の株に変えて、破綻したときの国外脱出の資金にする」という以前からの考えをまだ変えないでいるでしょう。
安倍政権が政府が日本企業の株式を買い支えるという前代未聞の政策を変えないかぎり外国勢は安心して日本株を買い続けるだろうし、破綻が視界に入って、逃げ遅れて、下がった株価で売る羽目になっても、自分でもやってみたわけだけれども、とっくの昔に株式に投じた金額の3倍は回収しているので、極端な話株価がいきなりゼロになっても、まあ、最後はそうだよね、で諦めがつく。

一方、なにしろ「日本の借金相手は国内限定なので、いざとなればオカネをどんどん刷って返済すればいい」という、そのまま「いざとなれば国民をどんどん困窮に追いやって名目上の破綻だけは避ける」という日本支配層がデザインした国の負債の構造そのものの主張で、なぜか安心立命している人までいるくらいで、破綻となれば、現金紙幣などは戦時中の軍票どころではない紙屑です。

というよりも世界の先進国でただ一国自国民の預金を凍結して当時は貧富の差がおおきかった日本の富裕層の現金預金をまるごと接収して一文無しにして自分だけは助かった過去を持つ日本政府のことなので、またぞろ、「一日の預金引きだし額の上限は5万円になりました」くらいは言いだしかねなくて、言論の自由どころか経済の自由まで制限しかねない。

さいわい、1949年とは異なって、英語さえ話せれば外国銀行に口座を開いて外貨を預金することは簡単に出来るので、(これについてもアメリカの銀行に口座を開くのは難関で、ソーシャルセキュリティナンバーがない場合はカリフォルニアなどは全然無理で、ハワイでかろうじて開ける、という怪説がネット上では定説になっていて、ぶっくらこいたが、これもいつもの日本語世界特有の「定説になっている嘘」で、実地主義で、もの好きなわしは、カリフォルニアに行ったときに個人では必要がないのにやってみたが、自分の国よりも簡単な程度の手続きで口座とクレジットカード/デビットカードがつくれた。隣のアフリカ人はなかなかつくってもらえない、とぼやいていたので、どうやら英語による面談の印象という奇妙な基準はあるようでした)口座をつくって、外貨で預金しておくのがよい。
どうしても英語で話すのがめんどくさければ日本の銀行でも悪くはないが、預金の凍結に外貨預金が含まれる予定なのかどうか知らないので、なあんとなく外国の銀行のほうがリスクが小さい気がする。

わしが理屈で考えて将来はこうなる、と述べると、いますぐ起きるとおもうせっかちな人もいて、むかし、主にもんじゅの運用の仕方と東海村事故を念頭においてだが「日本の原発は必ず爆発する」と述べたら、次の週に「まだ爆発しないじゃないか、ウソツキめ」と言いに来た人がいたが、何度もいうが予想屋ではあるまいし、「2011年3月の11番目の日に海神の怒りによって海辺の禁断の火が永劫の厄災に変わるであろう」なんて言うわけがない。
そういう「予言」にはいっさい興味がないし、だいいち、さっきも言ったとおり、わし頭のなかではすでに、お友達を中心とした「他人の話を聴く能力がある人たち」だけに話しているので、
日本では多数派のいちゃもんおっさんたちには読むのを遠慮してほしいとおもってます。
鬱陶しくて、邪魔なだけだからね。

閑話休題

国民が安倍晋三を支持したことには間違いがないが、わし友のみなさんが安倍晋三を支持したとは考えにくい。
年中、安倍晋三の話がでるたびに、ツイッタのタイムライン上で、ぎょええええー、ぐああああーをしているからで、もっかアメリカ人友達たちは、トランプのニュースが出るたびに、f***f***f***、ぶわっかやろー、チビチン(←トランプのトレードマークですね)噛んで死ねをしているが、同病相憐れむで、いまなら日本の人はアメリカ人と仲良く出来るのではないかとおもわれる。

しかし、政治は政治でしかなくて、言い方を変えると安倍晋三に腹をたてることは自分の生活を「向こう側」から見ていることで、自分という個人の側から世界を見て考えれば、世界はずいぶん違って見えるに違いない。

個々にみな異なるパーソナリティと環境なので、当然、これからやりたいことも皆それぞれに異なるが、例えば「本を読む」ことはやめられはしないだろう。
例えば、いまこれを書いているときならば、わしはMichael Peppiattの「francis bacon in your blood」を読んでいるが、こういうお友達のあいだで話題になっているさいちゅうの本を読んで、友達と、ああ思う、こう思うと述べあうことは、一日のなかでも最も楽しい時間に属する。
わしバスルームには、他の部屋のバスルームにあるモニさんとふたりで入るバスタブとは別に、縦に長いひとむけに特注されたスチール製のバスタブがあって、スチールと最近はほとんどがこれのグラスファイバーのバスタブとの主な違いは、湯温が長い間保たれることで、いつまでも暖かい湯につかって本のページをめくることは、わし生活のおおきな楽しみを成している。

あるいはモニさんを誘って、歩いていけるところにひとつ、クルマで数分のところにみっつある浜辺のどれかに出かけて、散歩して、海岸通りにずらっと並んだカフェのどれかでワインやビールを飲んだり、映画を観たりして帰ってくる。

庭の芝生にだしたラウンジチェアで寝そべっていて、突然マリーンエンジンの音が聞こえるので見上げるとスピットファイアが美しい楕円の翼を太陽に燦めかせながら低空で飛んで行ったり、トゥイたちが他の鳥の声のものまねに失敗するのを聴いて笑ったりしているうちに、一日はあっというまに経ってしまう。

むかしの小説だかエッセイだかに共産党時代のチェコの人が日本人旅行者と話していて、自分の国の首相の名前を知らないのを発見して、「うらやましくて涙がでそうになった」と述べるくだりがあったのをおぼえているが、個人と政治との理想的な関わりは本来はそんなもので、自分の国の指導者がどんなものであるか口角に泡をためて議論する日常が正常であるわけはない。
ニュージーランド人は連合王国人とおなじで無類の政治好きだが、政治談義は主に家族の夕食と食後のデザートの時間にするもので、たとえネットだけの知り合いでも、政治を理由に仲違いしたり不信を感じたりするのは愚かなことだと皆が知っている。
まして現実世界では、せいぜい、へえ、あんた、あんなん好きなん、で終わってしまうのが普通です。

自分の生活がないものだけが政治にからみとられていく。
政治の本質は敵か味方かで、人間性から遙か遠いところに理屈が位置しているのでもあって、そんなことばかり考えていては、自分の一生などなくなってしまう。

あるいは日本のような国では、テレビを止めて本を読むのは、カルキ臭がひどくなった水道をやめて、自分の家の庭に井戸を掘る作業に似ているかも知れない。
地の神が冷やしたシャンパンを滑車を鳴らして、カラカラとあげて、丸太の切り株に腰をおろしてカエサルの本を開けば、時間が急にゆっくり流れ出して、戦争好きのゲルマン人たちや、戦争よりも恋愛が大事なラテン人たちが、静かな呼吸をはじめる。

人間の一生とはなにか。
それがどれほど限られた時間に起こる出来事に過ぎないか。
気が付いて、きみはびっくりしてしまうかもしれないけど、
それこそがきみの一生の始まりなのだとおもいます。


ひと跳び毎に、ひと足毎に

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自分のスペイン語を読む速度の遅さと語彙の小ささを呪いながらカタロニア独立のニュースを読んでいた。
バルセロナで撮られた、人で埋めつくされた街路の写真は、よく見ると、なつかしい場所がおおくて、ああ、この広場に面したアメリカ人ばかりのイタリア料理屋で巨大な量のイタリア料理のフルコースを食べて、フルコースを平らげた客に店がご褒美としてふるまってくれる1本まるごとのレモンチェロを、ひとりですっかり飲んでしまって、モニに呆れられながら、浮かれて、カンツオーネを歌ったら、受けて、拍手喝采で、アンコールの連続で、酔っ払ってしまっているひとの挨拶でいつまでも手をふっていたことがあった、とおもいだしていたりした。

ワインの樽がテーブルの代わりになっているバールで、パタタスブラバスを肴に朝に出る虹のように美しい色のカバのサングリアを飲んで、「革命広場」という、カタロニアの歴史をおもえば胸がしめつけられるような名前の広場で、小さな箱の上に立ってラ・マルセイエーズを歌うフランス人の浮浪者のおっちゃんを見ていた早朝のことをまだはっきりとおぼえている。

「革命広場」の朝の歌
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/14/la-marseillaise/

自由を求めててんでに立ち上がって、訓練もなく弾薬も十分にもたなかった烏合の衆のバスク人とカタロニア人の人民戦線は、それでもよく戦って、ナチ空軍のコンドル部隊やファシストたちの高度に訓練された軍隊に押しまくられながら、いくつもの英雄的な戦闘を戦って、世界中を感嘆させ、ヘミングウェイや、その頃は、ひとりの世界に絶対的に不服な若いジャーナリストに過ぎなかったジョージ・オーウェルたちに義勇軍として銃を持たせたりもするが、6月にはビルバオが、8月にはサンタンデールが、10月にはヒホンが陥落して、マドリード、カスティーリャ=ラ・マンチャで南北に分断されたカタルーニャは孤立して、翌年の7月、十万人を動員して、若い女の兵士たちが英雄的な突撃を繰り返して死んでいったエブロの戦いで敗退すると、あとは、ただ独裁者のフランコのナチドイツの支援を受けた30万人の大軍勢のなぶり殺しにあうだけの戦いになっていった。

12月、フランコの軍がカタルーニャになだれ込んで、バルセロナが陥落したのは厳しい冬が訪れた1月だった。
お決まりの逮捕と連行が続いて、バルセロナ人の家庭の食卓という食卓から父親や息子、姉や妹たちまでが姿を消し始めたとき、皆殺しの運命を悟った50万人のバルセロナ人たちは、ジローナ、フィデウと道を徒歩で辿って、フランス領へ逃れます。

フランス人たちは口をぬぐって歴史の本から事実を拭い去ってしまったが、フランスの「自由の同志」たちは、冬のピレネー山脈を越えて必死のおもいでのがれてきたカタルーニャの50万人の同胞を強制収容所にぶちこんでしまう。
十分な食料も水も与えられなかった。
イギリスもフランスも「政治上の判断」からフランコたちを承認していたからです。

あんまり、ここで、そのあと何が起きたか書きたくもないが、大半のカタロニア人は、飢えと寒さのなかで収容所の塀の内側で死ぬ。

ひと跳び毎に、ひと足毎に
旅人よ 道はない
道は 歩いてのみ作られる
後を振り返ると
二度と踏むことのない 足跡が見える
旅人よ 道はない
道は 歩いてのみ作られる

という有名な詩句を残した
詩人のアントニオ・マチャドも、このときに収容所のなかで世界に見放された孤独と飢えと望郷の念に苦しみながら死んだひとりでした。

カタロニア人たちは、およそ自由を求める人間として考え得るかぎりの辛酸をなめた。
彼らを最も苦しめたのはフランコとナチの軍隊よりも、個々の自由主義に拠った人々と共産主義者と無政府主義者のあいだで繰り返された絶え間のない主導権争いと裏切りあいでした。
自分達が信仰するカトリック教会も、すでにフランコの弾圧の手先になっていて、神父に自分が銃をとってフランコの兵を殺したことを告白でもした日には、その日の夜にはフランコ軍の兵士に連行されて処刑されなければならなかった。
カトリック教会は、コミュニティに深く信頼されて人々の生活の奥深くまで関わっていることを利して、カタロニア人弾圧の最も効率がよい機械に姿を変えていた。
宗教人の卑劣をあますところなくみせつけた。

共産主義原理そのものが政治性の権化であることから必然として導かれる全体主義を体質とする共産党と、ひとつの思想であるというよりは反マルクス主義の反体制の思想傾向を持つさまざまな集団の総称であるアナキズムのあいだに挟まれて、いいように利用されたのは個々の人間の自由への意志と善意への信奉だけを共通項として世界から集まっていた自由主義者たちだった。

やがて、どこへも行けはしないカタロニア人たちを置いて、ジョージ・オーウェルやアーネスト・ヘミングウェイたちは、失望のなかで、それぞれの国に帰ってゆく。

普段はバルセロナの町の北側の、グラシアばかりが好きで、こもりきりで、ディアグノルの名前の通り斜めに走る道からバルセロナ側にほとんど出かけなかったわしは、それでもときどきオリンピック地区の新しいレストランに行く気を起こして、パッサージュ・ド・グラシアの観光客だらけの幅の広い道をおりて、ランブラを歩いて、海辺へ出かけることがあった。
オーストラリア人のルークがツイッタで、「おお、そこはアイダとよくデートしたバーの近所である」と述べていたが、ランブラから道を折れて、裏道へ入っていったすぐに、わしが好きだったカフェがあって、そのカフェは「ジョージ・オーウェル」という名前の広場に面している。

いよいよ頭がどうかしている、というか、今週は、その広場のことをおもいだすたびに、急に嗚咽がこみあげてくるような気持ちになって、壁をなぐりつけて、声にだして世界を呪いたい気持になることがある。

いまの世界では自由主義は地球上の至るところで敗退していて、アメリカでも欧州でも、有色人種への憎悪のセンチメントに思考そのものが呑み込まれようとしている。
アジアでは中国は毛沢東の昔からもともと西洋式の自由主義どころか民主制度すら軽蔑していて、そんなものはカネモチの家の高い窓にかかるレースのカーテンのようなものだと鼻でわらっている。
西洋文明を相対化しうる現代の世界ではゆいいつの文明世界で、西洋の価値の否定はお手の物なのでもあります。

自由主義は、世界じゅうで敗退しつづけている。

ロンドンの自分のことをとてもよく知っている友達に「なんでニュージーランドなんだ?」と訝しがられて、冗談で「これは、ぼくの長征なのさ」と答えたことがあったが、ロンドンに本社を残したまま、40人を越えない欧州人たちと一緒にオークランドにやってきて定着を始めたときには、あながち冗談でもない気持ちになっていた。

いまはバルセロナを引き払ってやってきたロシア人とウクライナ人が主になって足がかりをつくっているシドニーとメルボルンも含めて、柄にもなく、これからは自分達の自由を守るために戦わなければならないときが来そうだとおもっています。

残念なことに、一緒に肩をならべて戦いたかった日本のお友達たちとは、以前に説明した理由で、そのときはきっと敵同士として再会することになるのかもしれないけれど、それはそれで仕方がない。

盾をならべて、垂直に空を指した槍をにぎりしめる。
ヒロイズムは常に滑稽だが、人間は脆弱な生き物なので、折りにふれて、英雄的な感情に頼らざるをえないこともあることを判ってもらわねば困る。
盾を地面に打ち付けて鳴らす、わしらの猛り立った心をきみは許してくれなくては困ります。

ファランクスは出来たが、通常のファランクスとは異なって、一歩ずつ踏み出していくわけにはいかない。
高い崖にはさまれた狭い道に重列をなして、デクノボーのように立って、敵の戦鼓が聞こえ始めたら、膝を緩めて、ほんの少し低く構えて、左がわの友達を自分の盾で庇う。
まさか自分たちの自由を求める心の代償が死でありうる時代がまたやってくるとは思わなかった。

Burning burning burning burning
O Lord Thou pluckiest me out
O Lord Thou pluckiest

burning

でも、そこには、神様なんていやしない。

あとには混沌。
そして、沈黙

自由を求める人間の声が死に絶えるまで

   


ビンボ講座_その3

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いまなかだいすけは、もともとは全然知らない人で、疲れ果てて、会社をやめて、蒼惶として通りを歩いたというツイートひとつで、すっかり気持ちをつかまれてしまった人だった。
真実は胸をつく、というが、なんだか真実が途方もなく少なくなって、糾弾の言葉や、嫌らしい感じのする謙遜や、本人が思っているほど遠回しでもsubtleでもない、しょもない自慢や、よくよく動機を突き詰めれば嫉妬でしかない相手への嫌悪の言葉に埋もれて、実りのない、燦めくかけらもない、ただ泥濘の海のような日本語のなかで、無防備に書かれただいすけさんの、かつて経験した空から太陽が消えたような、絶望の思い出が心がつかんで放さなかった。

だいすけさんは、鉄ちゃんで、あんまり言わないことにしているが、わしも9mmゲージな鉄ちゃんなので、ちゃんと趣味の符丁もあっていて、多分、いまもフォローしているはずだが、ツイッタで話したりする。
ときどき、書いたほうはとっくの昔に忘れているブログ記事を拾ってきて、道端で拾ったフライヤーを裏返してみるようにして読んで、これは面白かった、と述べている。

そのうちのひとつに「ビンボ講座_その1」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/04/15/binbo_1/

というブログ記事があって、いつものこと、書いた当人はすっかり忘れていたが、読んでみると、おもしろくなくはなくて、おお、ビンボ講座その2を読まなくては、と探したが見つからない。
くっそおおおー、いいかげんなブロガーだな、こいつ、とおもってビンボ講座_その2と題して書き始めたら、ビンボ講座_その2読書篇というのが、実は筐底に埋もれていて、じゃ、2を3に直して題名にしちゃえばいいよね、と書いているのが、この記事です。

そーゆーことなので、もしかすると、どっかにビンボ講座3もあるのかもしれないが、そのときは旧3と新3ということにして、おだやかで寛容なおとならしい気持を保っていてくれると、とても助かる。

森野夏が、いまなかだいすけのツイートのあとに、ぶつぶつと独り言を述べていて、「インターネットが速いほうがオカネがなくならないというが、その速いインターネットをひくオカネがないんだけど」と言っているので、よしでは消極策はやめて、なんとかオカネが増えるほうで、考えてみよう、と考えて、この記事を書いています。
さようであるから、森野夏も、だいすけさんと並んで、正座して読むように。
ふたりとも、ドマジメなので、念の為に述べると、冗談だが。

オカネモウケといえど、人間の思惟のうちなので、思想をもち原則を立てて臨むことは大事で、1000円を1年で1200円に増やすのでも、「これは絶対にやってはいけない」「これは、つねに自分で努めなければいけない」と明快明瞭に意識しなければ、たいていはうまくいかない。
まずだいだいだい初心者が、よくおぼえておかなければいけないことを書いておきまする。

1 speculation (投機)と investment(投資)を、はっきりと区別する。

株なら株を買って、100万円が99万円になるのであっても、そういう投資をする人は「結果としてオカネが減ってしまう」だけであっても、投資に手をだすべきではなくて、投資の絶対の前提条件は「投じた資本は1円たりとも失わないこと」です。それが守れない人は投資はいさぎよくあきらめて、労働して、貯蓄が消費をうわまわるように努力するしかない。
ミセスワタナベ、という業界用語で、これは、投機世界の一大勢力を成している日本人の素人FX投機家を総称したあだ名だが、FXは、どんなに頑張って数学的に理論化しても投機で、まして個人で手をだすのは、ばかげている。
いま、これを書いている瞬間に、むかし、2007年だかに、友達たちにbitcoinを投資としてではなく、
「持ってみる」ことを経験するために買ってみたほうがよい、と述べて、そのときbitcoinを購入した人は、十万円買ったとして、いまはそれが140億円だかなんだかになっているはずだが、bitcoinはそもそも投資対象になりうるようなものではなくて、決済手段なので、いまの高値は、もう2,3年は続くと「専門家」が口を揃えて述べているが、続いたって続かなくたって、バブルはバブルで、誤解に誤解が積み重なって出来たアブク銭なんか手にしていても、先行きろくなことはないので、この辺で、さっさと売り飛ばして、その分の現金は、意識の上でないことにしたほうがよい、と最近は答えまくっている。

最も身近なspeculationは「宝クジ」で、「投じた資本は1円たりとも失わない」どころか、オカネが戻ってくるほうが稀なので、夢を買うといえば聞こえはいいが、つまりは、最もアホな投機で、オカネの神様に宝クジ購買の列に並んでいるのを目撃でもされた日には「こんなフマジメな野郎には、未来永劫1円も儲けさせてあげません」とゆわれるに違いない。

通常の世界であれば、最も頭を使わなくてもすむinvestmentは定期預金で、例えば1990年代のニュージーランドでは、1年定期預金の金利が年利10%だったりしていた。これが、だんだん低金利時代になるにしたがって、9%になり8%になり、毎年毎年低下して、いまは3.5%くらいではないかとおもうが、ではこれで食べるためにいくら原資が必要かというと、(原資)x0.7x0.035=50000 として、2ミリオンダラーは現金がないと、最低生活が営めない。

それでは効率が悪いうえに、現金も現代世界では商品で、安定が悪いので、だいたい1年で初心のうちは10%のリターンを目標に投資を工夫するのがよいと思います。

ビンボなうちは、というのは投資で食べられないうちは、収入から生活に必要な出費を払って、なんとか残ったオカネを(ここが案外大事だが)まったく別の口座にのけて、そのオカネを年利10%で増やすことに専念するのが、レッスン1としては最もよい。

投資でオカネモウケは、極端にいえばアホでも出来るというか、誰にでも出来るが、頭がいい人ほどオカネをバカにする気持が強くて、たいして勉強もしないまま、FXのようなspeculationに走ってしまう。
ビギナーズラックと言う、ぼくの若い医者の友達も、やめたほうがいいよ、というのに、ぼくから聞きかじった知識をもとに、「数学理論を駆使して」FXを初めて、一年後には「3億円でけてしまった」と喜んでいたが、その後3年会っていないけども、いまはマイナス5億円になっていなければいいが、とおもうだけです。
Speculationの心理学は賭博と似ていて、1億円ブラックジャックで稼ぐ人は1億円ブラックジャックでするので、speculationへの禁忌を自分の頭のなかにつくっておかないと、何百億円持っていてもおなじことで、世の中には金鉱や油田や、夜も眠らずに考えて検討しても、絶対に損はなさそうな「投資話」は無限に存在して、しかもオカネモウケというものは、純粋にゲーマー的な行動なので、10億円稼げば次は100億円稼ぎたくなるが、天網は恢々にして、だいたい、どこかで素寒貧になることになっていて、それを防ぐためには租税回避の悪用なりなんなり、順法ではあっても神様に許してもらえないことに手を染めなければ結果を温存できないので、あんまりそっちへ踏み出してまともな一生が送れるとはおもえない。

投資の勉強は投機の勉強とは異なって、楽しいもので、例えば株投資ならば「どんな人が社長をやっているかなあー」と調べるのは、たいへん重要なことで、彼の言行や、なかんずく1年に一回発表しているはずの会社としての報告は、読んでいて、「ああ、この人はこういうところがダメなんだな」「おお。このひとのこういう考えは面白いな」がたくさんあって、ふつうの知性があれば飽きない。
数字もPEから始まって、面白いといえば面白くて、やっぱり飽きないが、気を付けなければいけないのは「チャート理論」のようなものは、数学的に検討すれば学部生でもわかる、血液型性格判断のようなものなので、「窓があいた」とか言い出すと、だいたいは、ほんとうに開いているのは自分が立っている床の戸で、あっというまに奈落に落下、ということのほうが多いとおもう。

2 なにが投資でなにが投資ではないか

をはっきり区別することも、やはり大事で、よく間違えることでいうと、自分で住んでいる家や、ふだん運転するクルマは資産のうちに入らない。
もう少し精確にいうと資産に勘定しない習慣をつけたほうがよい。
簡単というか、自分が住んでいる家や自分のクルマはオカネを生まないからで、ぼくの友達には親から借金して買った高級住宅地の家に、8人の店子を住まわせて、自分も一緒に住んで、家賃を徴収している人がいるが、自分の家を多少でも資産に数えたければ、そういう自前フラットメイト制度を採用するしかない。
同様にクルマでもuberかなにかに使うしかなくて、オークランドにはベントレーでuber をやっているおっちゃんがいるそうだが、副事業としては、やっぱり赤字なのではあるまいか。

さて、これからときどき原則を書いていこうとおもうが、「そんなこと、言ったって、ガメ、わたしは1000円、2000円という世界を生きているのだぞ」と森野夏などは、ぼっそり言いそうだが、初めにやりたいのは「オカネを正面から考えて理解する」ことなのだから、別に、「いま架空にここに10万円あるとして」で、架空に投資をしていくのでも、将来にはおおきく自分を助けてくれるのではあるまいか。

まず、生活用口座と分けて維持費ゼロのプランから「投資用口座」をつくって、そのオカネを増やすことから初めて遊べばどうか。

と、ここまで書いてきて、突然思い出したが、日本語で公開でこういうことを書いていると、例外なく世にも不愉快なトロルおやじたちが湧いてきて、そもそも、それが理由でオカネの話はやめることにしたのだった。

どうするかな。
その4以降は非公開にして、どっか違うところで、ブログ番外編にして続きを書いたほうがよさそーです。
最近は、トロルの相手をするのがめんどくさいので、日本語のお友達に会いに戻ってくるだけだが、隣のテーブルの柄のわるいおっさんが突然話しかけてくるというか、訳の判らない勘違いおっさんに悪態をつかれるのが、あまつさえ、おっさんが突如テーブルに立ち上がって「このひとはウソツキですよおおおー」と突然店内に触れ回るというような異常なことが必ず起きるのが日本語というものの運命で、くだらないので、なるべくアホなおっさんが避けられるように工夫しようと思っている。

ちょっと、算段します。
だいすけさんと森野夏には、せっかく正座してもらったんだけど、
膝をくずしてもらって、もう案外長いつきあいになったよね、とツイッタで述べあって、一緒に、ピノノアールでも飲もう。
あ。日本は冬だから、日本酒のほうがいいかな。
立山、このあいだモニとふたりで、「おいしいねえー」と言ってのんでたら、1本のんじったので、もう八海山しか残ってないんだけど。

友達同士でしか酔っ払えないやりかたで、酔っ払って話をしよう。
たいせつに思っている者どうしで。


2017年を振り返って(その1)

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新年の迎えかたは、日本式のほうが好尚にかなっている。
イギリスやニュージーランドでは、ご存知のとおり、人がおおぜい集まってきて、広場で、カウントダウンを唱和して、年が明けると、ドドオオオーン、ヒュヒューで花火が盛大にあがって、大好きな人と、あるいは単に隣り合わせた人と、キスをして、シャンパンで飲んだくれて盛り上がる。
オークランドでは派手さが足りないので、橋ごとブオオオオンと花火に包まれるシドニーまで出張る人もたくさんいる。

わしは性格が温和でおとなしいの(そこのきみ、なにを笑っておる)大騒ぎは嫌いで、ふだんの日にしかやらなくて、わざわざ年が変わった次の刹那までバカ騒ぎをしようとはおもわない。
いちど、高いビルのペントハウスから年を迎えるバカ騒ぎを眺めていたことがあったが、若い衆は、屋根の上にのぼって、ビールを飲みながら、花火を眺めている。
観ていると、エッチしてるやつまでいる。
あんなタイミングだと姫終わりと姫初めの二度に及ばなくてはならなくて、新年早々大義である、とおもうが、本人たちは辺りに人目がなくなればのべつまくなしにイチャイチャモンモンしているだけで、特に新年とは関係がない通常行為なのかも知れません。

日本のお正月はドラマや映画で観るだけで、実態というか内情が判らないが、ひとに聞くと、紅白歌合戦というベラボーな長寿番組を観て、行く年、来る年をみて、永平寺には雪がふっていて、鎌倉ならば、ごおおおーんごおおおーんと鳴り渡る除夜の鐘を聴いて、おめでとうございます、と述べあうのが正統であるらしい。

そっちのほうが、ぜんぜんカッコイイじゃん、とおもう。

いちどだけ飛行機のなかで新年を迎えて、1月1日をシンガポールで迎えたことがあったが、ホテルの受付のマレー系のねーちゃんに、いつものごとく、アホな軽口を利いて「シンガポールは洋式と春節と二回正月があって、いいですね」と言ったら、ものすごく怖い顔で、「あれは中国のやくざもんたちが、勝手にやっているだけで、違法です。我が国には正月は今日一日しかありません」と言われたのを明瞭におぼえている。

2017年はトランプで始まってトランプで終わる年だった。
あの見るからに頭がわるそーな、巨大なエゴと、貪欲と、四六時ちゅう欲望がおっ立った醜悪な老人の顔を毎日みることになったのだから、もうそれだけで世界の人間の悲劇は底が知れない。
スティーブ・バノンが去って、これで、まあ、なんとかなるべ、後はアメリカ国内の問題だから、アメリカ人が勝手に沈没すればええわ、と考えたのは浅慮で、気まぐれと、玉突きのごとく右往左往する感情とで、テキトーに巡航ミサイルをぶっ放したりする老人の考えは、予測するということが出来なくて、当初は、そもそもトランプの雇い主なんじゃないの?と疑われているプーチンですら、当惑が隠せないのが見てとれた。

近所のおおきな家を買った中国の富豪だかなんだかという噂の人が買って、貸家にしたことがあって、賃貸管理会社がええかげんで、11人くらい集めて来た店子がとんでもないやつばかりで、なにしろ毎晩遅くまでパーティでどんちゃん騒ぎを繰り広げていたことがある。
いま考えてみると、あれはPパーティで、「P」というのは覚醒剤のメタンフェタミンのことだが、このフェニルメチルアミノプロパンで、すっかりいかれて、ある日曜の朝などは屋根の上で20人くらいが踊り狂うというくらいひどかった。

ふだんは、お互いに姿を見かければ手をふって挨拶するだけで、「近所づきあい」は年に1回くらい一緒に夕食を食べにいく程度しか行わないのがニュージーランド式だが、あんまり無軌道でうるさいので、だんだん通りで近所の者同士が寄ると触ると噂を述べあうようになった。
結局、近所人が列席して、ミーティングを開いて、弁護士が雇われ、中国の人の所有だというのはアジア人への反発をうまく使った偽装で、マフィアだかなんだかだと判明した家主の正体を事務弁護士が突き止めて、出ていきなはれ、と勧告して、追いだしてしまったが、この「無軌道で、なああああーんも考えてない、欲望のみにしたがったケダモノじみた若者たち」が、トランプと行動パターンがそっくりであることには、近隣のひとびとは皆気が付いていて、近所迷惑事件以来、不思議にもお互いを誘ってパブやなんかに行くことが多くなったテーブルで、よく話題になっていた。
なにしろ、頭のなかに論理や未来への展望というものが存在しないので、やることに予測がつかない。
欲望のまま、あの野郎は黄色い野郎だから虫がすかねえ、と内々に言っていたかとおもうと、オカネニンジンを目の前にぶらさげられたとかで、突然、習近平って、いいやつじゃん、と言い出すというデタラメさで、2017年は、アメリカが、ここまで積み上げた、自由だの平等だの、アメリカンドリームがうんちゃらで、希望の国なんだぜ、ここは、のソフトパワーが一気に化けの皮が剥がれて、ゼロになって、ゼロの床も突き抜けてマイナスになって、あっという間に「ふつーの国のなかでいっちゃん強い国」というだけの存在に変わっていった。

日本の人に判りやすくいえば、バブル絶頂期の日本と似た存在で、世界でいちばん繁栄していて、うらやましいとはおもうが、誰も尊敬しない国になった、ということです。

トランプの大統領職への当選は、ビンボ白人パワーの炸裂ということになっているが、それは見かけだけのことで、だんだん調べていくと、構造的には例のCollateralized Debt Obligationを手品にしたウォール街人たちの犯罪を、訳はわからないなりにインチキを嗅ぎ取って、北欧州ならば絶対に大量の逮捕者を
出して、犯罪性が詳細に追究されるべき事態であるのに、野放しにして、末端のヘータイに至るまで別荘を手に入れ、ウハウハウハ、だからアメリカンドリームは好きなのよおー、儲かっちった、ビンボ人の犠牲? 負け犬がガタガタ言ってんじゃねーよ、あんたに複雑な金融が判るわけないでしょ、をしている醜悪な人間たちを見て、「これがアメリカであるはずがない」と考えて、ラッダイト運動に似た破壊行動に出たのがトランプへの支持、というよりもヒラリー・クリントンへの激しい拒絶と不支持の原因だった。

ラッダイト運動である以上、トランプがダメ男であるのは承知のうえで、これまでヒラリー・クリントンが象徴するエスタブリッシュメントやバラク・オバマが象徴する理念を完膚ないまでに破壊する人間なら誰でもよかったわけで、マスメディアの予測とは異なって、次期大統領も、昼ご飯に、ビッグマックふたつとフィレオフィッシュふたつ、山盛りチップスを特大コーラで流し込むトランプが元気ならば、75歳のならず者が再選されるだろうし、もうこりゃボロくなって使いものにならねーな、ということになれば、もっとひどいのが大統領になるだろう。

つまりは「オバマまでのアメリカ」の理念が瓦礫の山になるまでは、止まらないのではないかという気がする。

通俗版バノン戦略みたいなことになっている外交は、これも滅茶滅茶で、国務長官時代の実績をみれば外交の勘がよかったヒラリー・クリントンならば、とっくの昔に世論を誘導して、「アメリカの大義」を盾に周到に準備して北朝鮮と開戦しているだろうが、ツイッタを使って罵りあいをするという、あんた高校生ですか、な挙にでて、どんどん「偶発戦」の可能性が高まって、その結果、どういうことになったかというと、あっというまに中国に東アジア全体のヘゲモニーを握られて、それまでは戦域から一衣帯水の、隣に位置し続けることによって弥栄に栄えてきた日本は、戦域下の国になってしまった。
もっとも、副産物としてひとつ1000億円を超えるミサイル迎撃システムをいくつも買わせたり、一発1億6千万円の巡航ミサイルを、これから先どんどん仕入れさせる、F35も、ま、おひとついかがですか、お代はリボルビング払いで結構です、という軍需商売に、日本政府はホイホイ払ってくれるのが判ったので、運がいいというか、いまのトランプの頭にあるのは、時期を見計らって、日本に北朝鮮と代理戦争をやらせて、アメリカは「忠実な同盟国として支援する」という黄金シナリオでしょう。
この方式であると、北朝鮮が例えば大気圏への再突入技術を確立していないのでまだダイジョブをしておけば、国民が不安になることもなく、先延ばしをして、韓国と日本に地上軍を編成させて、アメリカ軍はその指導にあたって、ベトナム方式で、例え、いまはあっというまに敗北するだろうということになっている北朝鮮のゲリラ戦に特化した部隊が意外に強くて長期化しても、地上戦も経営してゆくことが出来る。

核の標的も日本なので、日本が「平和国家でいたい」と言い出すと困るが、その心配はなさそうなので、どんどん兵器を買ってもらいながら、戦争当事者をアメリカから日本にすり替えるチャンスが増えてくる、という考えなのでしょう。

トランプと周囲を固めた軍人内閣みたいなヘンテコなホワイトハウスの浅慮から生まれた新しい東アジアの情勢の最大の変化は、アメリカと日本の側から見るかぎり「日本の戦域化」だが、実はほんとうになにが起こっているかは、外交・軍事でいえば、太平洋の西側を南北につなげて見ている習近平のほうから眺めないと、うまく理解できない。
習近平は、どうやら十九大後の動静を見ていると2022年頃までに台湾を併合するつもりでいるらしい。
あいだの説明をとばして言うと、これには意外な意味があって、しかも日本にとってはおおきな意味があって、一面、アメリカとの直截対峙の第一歩を踏み出したことになる。
やってみて手強ければ、手を緩めて、米中直截対話型の和平で時間を稼ぐだろうし、一気に西太平洋に覇権を確立して、太平洋の西側を「中国の海」にする可能性がある。
日本人からすると、最も恐ろしいのは金正恩でもプーチンでもなくて、習近平で、この強運に恵まれた政治家は、国内にライバルがおらず、経済は躍進して、人民解放軍にも伝統の独立性を維持しうる人材がいない、という好運に恵まれて、十九大で高らかに宣言したように、いまや鄧小平を越えて、毛沢東にほんの僅か足りない権威を持ったと自覚している。
次に目指すのは毛沢東をはっきりと超えた権威を持つことで、台湾併合は、そのためにどうしても必要な外交成果と考えているもののようです。

日本が遅かれ早かれ戦争に巻き込まれることを、このブログでは何年も前から書いて、それに対する日本の人の反応は「誰の得にもならない戦争なんて起こるわけねーじゃん、頭おかしいw」から、「マジかも」に変わってきた。
だから、もう、「危ないんちゃう?」と述べる時期は終わったのだとも言えて、これから日本が入ってゆく戦乱の世紀を、多分、その頃には安倍政権を選択したことの非を悟っているはずの日本国民が、どう舵をとってゆくか、遠くから眺めていこうと思っています。

肝心要の経済を、ここから書かなければならないが、いつものことで、ぶちくたびれてしまった。

また回を分けて書きます。
産業を育成しなくても経済は繁栄しうるという安倍内閣や黒田総裁の信念が、どうなるか、アベノミクスはひどい失敗に終わったが、国のオカネで買い支えた高い株価をテコにした心理効果で、なんとか財政がおっちゃぶれる前に、国民ごと浮かれて好景気ブームを起こそうというマスメディアも一丸となった手で、景気がよくなっていくかどうか、自分で考えて観たこと書き記しておこうと思っています。

来年になっちゃったりするかもだけど。

空を見上げる若い人への手紙3

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英語から日本語の世界を訪ねてみると、政治への怒りや、社会的不正義への怒りが渦巻いている。
憲法9条を改正するとはどういうことか、歴史修正主義を許すわけにはいかない、日本は、このままではダメになる。

日本語の世界に住んでいると気が付かないが、あるいは日本の外に住んでいても、日本語との色が濃い縁を保っていれば気が付かないが、それは、とても英語世界の日常とは異なる風景で、良い悪いではなくて、社会や政治について強い関心を持つ国民性を持った日本の母語である日本語社会と、音楽や絵画、食べ物や、自分が夢中になっている人のほうに遙かに関心がある英語社会との違いだろうと思います。

東京でタクシーに乗ると、面白いのは、どの運転手さんも、政治に対するひとかどの政治評論家のような自分の識見を持っていて、あのひとたちも当のアラブ人やアジア人にあんなことばかり言うとは思えないが、イーストエンドからチェルシーにもどるまでのあいだじゅう、アジア人観光客の悪口や、ロンドンはいまやロシア人が売春宿に払うカネと、アラブ人が飲み屋で払うカネだけで食ってるんでさあ、というような話に終始して、柄も悪くて、識見のかけらもないロンドンのタクシードライバーとは、知的レベルが根本から異なる、という印象を与えられる。

ぼくは、きみたちが国会議事堂前に集まって、おもいおもいに、てんでに声をあげるニュースを観るのが好きだったんだけど、ときどき、きみたちは居酒屋で夜と触ると政治の話をするだろうか、と考えて、そうではなくて、いま流行っている音楽や、欧州の新しい思潮について話している、と想像することのほうを好んだ。

理由ですか?
理由なんてものはなくて、きみたちが糾弾することばかりを能にして、肩で風を切るひとびとでないと思いたかっただけだとおもいます。

きみたちは石を投げたりはしなかったが、ぼくたちは、かじかむ手に石を握りしめて、迫ってくる警官隊に投石した。
悲壮な気持や、あまつさえ、体制への怒りというようなものではなくて、ぼくは、「体制に向かって石を投げるのが好きだった」と述べたほうが、より現実に近いと思います。

体力にすぐれていたので、友達の女の人を引き倒して、物陰に連れ込んだ警官たちを見咎めて、物陰で、他の場所からは見えないのをいいことに、警官たちをこっぴどく殴りつけることもあった。
それも、もちろん、正義心に駆られてではなくて、なんというか、語弊がある言い方をすれば、スポーツのようなものだった。
多分、国家という絶対暴力がライオットポリスの姿でみせた片鱗に対して、自分自身の個人としての暴力が、どのくらい有効か、たしかめてみたい気持があったのだと思います。

SEALDs、って言うんだっけ?
きみたちが始めて、タイミングが悪かったけども、正当にも、解散した運動は、日本訪問をやめてしまったあとの、日本の政治社会に対する、ほとんどゆいいつの「良い記憶」で、表札だけは民主制の、天然な全体主義社会である日本で、ぼくが見た、ゆいいつの自由の影であったとおもっている。

石を投げたって、世界は変わらないんだよ。
まして、みなで正当なことを述べても、世界が変わるわけはない。
暴力についていえば、世界が変わるような暴力は、パンの値段が暴騰したことに怒って、バスティーユの、政治とはあんまり関係がない門衛たちを襲って、台所からもちだしたクリーバーでクビをちょん切って、納屋から持ってきた鋤に挿して、安いパンを寄越せと行進する、パリのおかみさんたちの暴力だけが世界を変えうる。

あるいは不当な税金に怒って、
One if by land, and two if by sea
と述べた植民地人が手に手にもった旧式銃だけが世界を変えうる。

そういうことどもを、異なる方角からいうと、政治に関心を持つ人間には政治を変える力はない。
政治に無関心な人間の団結だけが政治と社会を変えてきた、という人間の皮肉な歴史があるのだとおもいます。

最後に話したとき、きみは、「オープンマリッジの講習会に行くのだ」と述べて、ぼくを笑わせた。
笑ったのは可笑しかったからではなくて、きみが、なんというくだらない人間になったのだろう、と考えたからでした。
端的にいえば、きみが、自分とガールフレンドの関係にまで政治性をもちこんだのを感じとったからです。
人間と人間の関係のなかへ、原理をもちこめると考えるきみが、ぼくには、とても疎ましかった。
きみのまわりでパターナリズムとかなんとか、判ってもいない、くだらない用語を弄ぶ、とうに中年を過ぎたおじさんたちがSEALDsの「軍師」になっていたりして、なんだ、そういうことか、とぼくはがっかりしたのでもあった。

世界は「経験」の悪い息で濁っている。
おじさんやおばさんたちは、なぜ自分たちが狡猾にも、この世界を生き延びてきたかを、ちゃんとおぼえていて、その成功体験を、より若い世代に伝えようとする。
こうすればいいんだよ。
こういうときには、こんなふうに考えればいいんだよ。
こんなふうに言ってやれば、こういう右翼的な考えは黙らせることが出来るんだ。

判った、あなたたちの言うことは判ったけど、
でも、誰もぼくのことを判ってやしないじゃないか!!

かつて、バーダーマインホフの頃、欧州では、そのひと言で、政治的なおとなたちは沈黙することになった。
なぜ政治を良くするために参加する人間が、個人として人間でなくてはならないのか、彼ら政治的人間には理解できなかった。
いまの欧州の、すべての有効な社会運動は、その経験と反省に立っている。
政治の本質が非人間的なものであるという、共通の理解に立っているのだと思います。

ぼくが、この短い、余計な記事を書いてみようとおもったのは、きみがデモのあとに空を見上げた、という、ただその行為にかかっています。
どんな青年が、政治的なデモのあとで空を見上げるだろう、と考えて、きみたちのSEALDsという運動の正統性を理解した。

きみは、いまごろ、「オープンマリッジの講習会」にガールフレンドと出たあとで、なにを考えているだろう、とおもう。
もちろん、ぼくにとっては、結婚と新車の購入とに分明な区別がつかなくなったアメリカ人の詭弁にしか過ぎない「オープンマリッジ」などは、意匠も意匠、須臾の間にあらわれたやくざな考えにしか過ぎなくて、そのこと自体は問題ではないが、
そういう行動が自分を救うかもしれないと考えたきみの、傷ましい「浅さ」のことを考えた。

その浅さは若いことから来たものではない。
その浅さは、とっくの昔にこの世界に絶望した、悪んだおとなの頭に由来している。

ほんとうは、シェイクスピアでもよければ、近松門左衛門でも世阿弥でもよい、古典に親しめば、人間の意匠と真実の区別は、簡単につくようになります。
理屈で考えようとすると、必ず踏み込むことになる迷宮から、古典の作者たちはきみを救ってくれる。

なぜ政治的人間であることがダメなのか。
どうやって意匠にすぎない思想を、本源の思惟と見分けるのか。
もっといえば、人間の真実はどこにあるのか。

その程度のことは、古代ギリシャくらいですでに完結的に述べられていて、そうした真実を、笑いや、感動の涙のなかで理解したければ、比較的新しい叡知であるシェイクスピアでも、事は足りる。

文明の歴史に照らせば、日本語も日本語社会も、必ず立ち直るに決まっているが、あと最低でも50年はかかる話で、これからの日本語社会は、自ら招き寄せた戦乱の世紀や、財政の崩壊や、経済の世代替わりを経験していかねばならない。
考えてみると、きみのような20代の日本人にとっては、苦難の一生が、先達によって準備されてしまっているわけで、市井の投資家おっちゃんであるジム・ロジャーズが何度も繰り返し述べているように、まるでありとあらゆる苦難に晒されるために生まれて来たような世代です。

タイミング、ということだけど。

いまは、あんまり見るべきものがない日本文明も、また復活するときが来るだろう。
いっぽうで、経済や「国力」が回復することはないだろうとおもう。
日本人が行った最悪の選択は安倍政権への支持で、この選択は、例えば財政的には日本を経済世界で盤若な存在にしてた基礎的な国富を破壊してしまった。
産業を育てるという地道な努力にはいっさい興味をもたずに、机上のおもいつきでアベノミクスと名付けた「秀才のマヌケな考え」をあますところなく体現したプランを、あろうことか国家の財政基本プランにもってきて、ここまでの近代日本を支えてきた国家の基本となる財政性格を変えてしまった。
いわば、「美しい国」の政治的主張だけではなくて、国家の実質においても、世界中の人の鼻つまみ者だった、戦前の軍事大国/経済小国に、日本は後退しつつある。

さっき書いたジム・ロジャーズは、あの人は日本が大好きな人なので、日本の若い人達に対して親切心を発揮して「いますぐに国を離れろ」「どうしても、それが出来なければ農業をやって生き延びることを考えよ」と述べている。

そうして、それは、そのままほかの世界中の投資家の日本への意見であると思います。

「このままでは日本はダメになる」という意見をツイッタやなんかで見かけるたびに、ぼくは日本人の暢気さに息をのむ。
まるで、癌の予防本に読み耽る末期癌患者のようです。

いつか、どこかで会えるといいね。
ぼくは、ますます人に会うのが嫌いになっていて、あんまり公の場に出かけないが、相変わらず自分でシルクプリントでつくった赤ゴジラのTシャツを着ていることが多いの。
投資家の会合でも、ひどいときは、ショーツと赤ゴジラで出かけてしまったりする。

でも、人間が人間に邂逅するときは、最も予期しない形でも会うという。
そして、ぼくは、とてもきみと会うことになるような気がします。

そのときのために

生活防衛講座その4_ビットコイン篇

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1BTC(ビットコイン)が2万ドル(AUD)を超えた、というので大笑いしてしまった。
いまは調整が働いて、半分くらいになったようだが、それにしても誤解に誤解が重なって、ビットコインが投機の対象になった上に、普段は投機に狂わない人たちまで、家を売り、クルマを売り、奥さんや子供を売った話は聞かないが、そういう人までいそうなくらい、夢中になってビットコインに狂っていくようすは、いっそ古典的なバブル現象で、黒いチューリップか、あるいは南海の泡沫か、21世紀になっても、こういうことは起きるのだなあ、と感心してしまう。

ブロックチェーン理論に興味があったので、そこから派生したビットコインについて、日本語でも、2010年頃から、ツイッタやなんかでいろいろな人と話してきたのをおぼえている人もいるだろう。
ビットコインの側から興味を持ちだしたらしいセツ@seapolloさんから始まって、哲学者らしくブロックチェーン理論の側に興味を示して議論に加わった哲人どん@chikurin_8thまで、いろいろな人が集まって、マストドンやツイッタで、あーでもないこーでもない、と話しあうのは楽しいひとときだった。

買ってみないと判らないよね、というので、ぼくがビットコインを面白がって買ってみたときは、おおよそ1bitcoin=1US$で、暫くはコーヒー屋でコーヒーを飲んで、支払いのときにみるとビットコインのサインがあるので、
「もしかして、ビットコインで払えるとか?」
「ええ、払えますよ」
で、大喜びでウォレットを開いて払ったり、ビットコインで買い物が出来る機会があるたびに、興味津々で使ったりしていたが、そのうち、飽きてしまって、仕事のほうでは会計処理がめんどくさいこともあって使いそびれて、ブロックチェーン理論のオベンキョーは続行したものの、教材として買ったビットコインは、大半、というよりも殆ど、そのままほっぽらかしになってしまった。

それがバブルというものは、恐ろしいもので、例えば仮に1000ドル分、1000ビットコインをウォレットに入れっぱなしにして、飽きてしまって、そのうちに忘れてほっぽらかしていた人は、今年になって、ビットコインの大騒ぎが報道されて、ウォレットを開けてみると、2000万ドル弱、20億円ほどに換金できるのを発見したわけで、実際、英語世界では、むかし大好きだったボーイフレンドに言われて、2000ドル分買っていたのが、40億円になって、ぶっくらこいてしまった若いウエイトレスや、酔っ払って買ったのはいいが、本人によれば10億円を超える価値があるはずのビットコインの、コードが思い出せなくて、というか記録していなくて、目の前の大金が引き出せなくて輾転反側、身悶えする地獄の日々を送っている会社員、文字通り、悲喜こもごも、もっかバブルに踊る英語社会を、そのまま体現したような喜劇が繰り広げられている。

ビットコインは、もともと投機や、まして投資の対象として向いていないことは、チューリップの球根が投機に向いていないのとおなじことで、言うまでもない。
ところがバブル社会の心理はおもしろいもので、ひねくれた言い方をすれば、投資に向いていなければ向いていないほど、かつての欧州人がチューリップの球根に巨額の資金を注ぎ込んで破産していったように、ビットコインにも多額の資金が注ぎ込まれている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Tulip_mania

投機対象としてのビットコインの笑い話じみた市場に触れたついでに、投機対象としてのビットコインそのものについて述べておくと、おおかたの投資会社の予測は、これから8000ドルくらいまで落ちていって、そのあたりで落ち着くだろう、というものです。
予測をしているのは投資会社であっても、このブログでは明瞭に区別しようとしているように投資(investment)と投機(speculation)というふたつの、ほとんど正反対の行動のうち、ビットコインの売り買いは、明らかというのもアホらしいほど明らかにspeculationで、おいおい説明していこうと思っているが、例え初っぱなに元カネが10万円で10億円稼いでもダメなものはダメで、投機は人間をおぼれさせてビンボにする。

もっとも、それではぼく自身が「ビットコインなんて泡沫の最たるもので、最後はチャラよ、1ビットコインが1ドルに戻るのよ」と思っているかというと、そんなことはなくて、多分、2年か、10年か、30年か、時間軸の遙か遠くを見る視線への漸近線では、10万ドルくらいのところで落ち着くと考えています。
だから、どうしても投機がやってみたくて、途中のハラハラドキドキ、ぐわああああ、いええええーいの感情のローラーコースターに耐えるコンジョがあれば、ずっと持っていれば、なんとかなるよーでもある。

ビットコインには違うオモロイ側面があって、miningが出来る。
なんのこっちゃ、と思う人は、悪いことは言わないから、これからオベンキョーしてみればよい。
他人が気張らしに書いたブログなんか読んでも、ほんとに面白いことは何もわかりません。
実務的なことについて、ブログ程度の長さと気楽さで書かれた文章は、入り口やヒントにはなっても、そこから何事かをちゃんと学ぶということは出来ないので、ああ、そういうことがあるのか、で自分でドアを開けてみないと、なあんにも始まらない。

PCゲーマーコミュニティの人間は、みなおぼえているはずで、ビットコインは登場した2009年には、「もしかしてゲーマーのパートタイムジョブとして最適でわ?」と、ゲーマーたちが色めき立って、ほんとはfpsが稼げるGPUを手に入れたいだけの本心を隠して、ぶわっか高いグラフィックカードを買う資金をおとーさまやおかーさま、あるいは、旦那や奥さんから調達するための口実にした。
やってみると2枚差しくらいでは遅くてどうにもならないので、結局は、物置にいっぱい余っている旧式PCパーツを動員して、専用コンピュータをつくる羽目になる。

miningにめっちゃくちゃな計算量が必要なせいで、マルティプルGPUで並列処理したほうが効率よくビットコインをmining出来るからで、AsrockのH110PRO BTC+
https://www.asrock.com/microsite/H110ProBTC+/

のようなグラフィックカードが6枚挿さる、チョーへんてこなマザーボードを買って、ぶおおおおおーん、騒音と、冬でも室内温度が30℃を越える、暑熱地獄に耐えて、えっさほいさとビットコインを採掘した。
当時のPCマガジンや、ゲーム雑誌、ゲームフォーラムを見ると、こんなに苦労しても全然収入にならねーじゃん、という、ゲームソフトを買う時間とオカネをひねるだすためには、結局スーパーマーケットの店員やなんかで、身すぎ世すぎしなければならなかったPCゲーマーの悲嘆の声があふれている。

それが1BTC(ビットコイン)が1000ドルを超えだして、PCのほうもmining に特化されたAntminerシリーズ

http://bitmain-miner.co.uk/?gclid=CjwKCAiA4ILSBRA0EiwAsuuBLbyuWthPT-t606PLLfvpXw2XLjNqG0RiP9NM337tTJ_9EpFwEBwukRoCn_wQAvD_BwE

が主流になった頃から変わってきて、いまでは個人ベースの採掘はもちろん、ビットコインファームがあちこちに出来ています。

ブロックチェーン理論からの当然の帰結で、ビットコインが採掘は時を経るにつれて難しくなっていく。
ちょっと考えでいうと一定量のビットコインしか埋蔵されていないのに参加者がどっと増えたのに加えて、例えば、ふたりのminerがおなじブロックを同時に発見した場合、短いほうのチェーンは破棄されたりする頻度がおおくなるからだと思いますが、実際には、いまの時点で、どの要因がいちばん強く働いているかは、ぼくには判りません。

いまインターネットで、ちょっとだけ眺めていると、個人の片手間の小規模採掘で、うまくやっている人で月60万円、平均して20万円/月くらいの利益をあげているのが普通の姿のようですが、英語社会では、ビンボゲーマーの楽しみで、案外、一日採掘専用化した元ゲームPCの画面を眺めて、「おお、今日は1200円もうかったやん」をやっている人も多いように見受けられて、これは、なんとなく楽しさが判るような気がする。

90年代、インターネットがまだネットスケープナビゲーターベースで、ずー、ぴー、ずずずずー、がががががあー、ぎゃあああー、というモデムの音とともに、ずるっ、ずるっ、ずるっとwebページが出ていたりしていた頃には、
「ロトの当たりナンバーを予測するサイト」というものが、たくさんあって、コンピュータだけは持っている英語国の田舎のビンボニンは、数学を必死に勉強して、なんとか独自の「ロト数字組み合わせ確定理論」を見いだそうとしていたものだった。
そんな理論、できるわけはないが、ヒマに明かせて、牛や羊の面倒を見ながら、そんなことばかりやっている「ダメゲーマー」ビンボニンは、多かった。
彼らの至福は、大量に時間を費やして夢をみることで、到底、現実の一攫千金ではなかったように思います。
ビンボの幸福、というのは、往々にして、妄想からやってくる。

ぼく自身は、「ビットコイン2万ドルに近づく」の「おバブル」なニュースを聴いて、持っていたビットコインは、アホらしくなって売ってしまった。
ビンボ講座で力説しているとおり、投機で得たオカネは労働や投資で得たオカネから、いわば「差別待遇」にしておかないと、後々、ろくなことはないからで、投機でおもいもかけず得たオカネは収入と思わず、どこかに、現金の形でも、なんでも、ほったらかしにしておくのが最も正しい。

ビットコインは、皆にも勧めたように、投機ではなくて新しいブロックチェーンの時代を理解する教材として、自分でも買った。
買うと買わないとでは、やはり、おおきく異なって、ブロックチェーン理論に支えられた世界がやってくる跫音というか、その新しい世界の手触りのようなものが、やはり判るような気がすることがよくあった。
まだまだブロックチェーンは第一歩を踏み出したばかりのところで、いずれは、不動産屋や銀行のようなものまで、理論の消しゴムで消し去るように、消えて、二世代も経てば「そういえば、そういう商売があったんだよなあ」になっていくだろうが、ビットコインは、ブロックチェーン理論の大地に頭をだした竹の子というか、初めの「現実」で、そういうものは常に、オカネの理屈なんかちっともわからない、ビンボゲーマーのような、ビンボニンの世界から始まることを、面白いと思います。

実際、パーソナルコンピュータ自体が、そうだったが、ビンボニンの見果てぬ夢は、時に、世界を革命的に変えてしまう。
ビットコインは、だから、ヴァスティーユ襲撃のようなもので、この狂躁曲も新しいものが嚆矢として現れるときにつきもののバカバカしさだと思えば、楽しく、遊んでつきあっていけるものだという気がする。

きみもウォレット、ダウンロードしてみれば?
Bread、けっこういいよ。
始めは、1000サトシ(1000X(10のマイナス8乗))だって、いいやん。
新しいものって、おもろいよ。
例え、それがオカネ世界のものでも。

新年、おめでとう

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今年も1年間、付き合ってくれてありがとう。
ぼくの日本語の先生は、ガメ、日本語ではね、お礼の言葉は、立ち止まって、唐突にふり返る人のように言うのが、いちばんカッコイイんだよ、と言っていたけど、あれは、日本語には限らないのではあるまいか。

大町のローソンから、折れて、友達の家へ向かうんだ。
もう10年も前のことだけどね。
鎌倉の駅で降りて、裏駅のわきの小さなコーヒー屋でコーヒーを飲んで、御成通を歩いて、左におりて、大町へは行くんだよ。
途中に和菓子屋さんがあってね。
波乗り饅頭というヘンな饅頭があるの。
ここの主人は、とてもいい人で、…と言っても、会ったのはぼくが子供のときにいちどきりだったけど、仕事の人ではないようなやりかたで、
折りをつくる手を休めて、「きみは、どこから来たの?」と言う。
なんとはなしにイギリスと言いたくなかったので、「うんと遠くから」と答えたら、しばらく天井をみるようにして考えていて、「うんと遠くから、って答えはとてもいいね」と言ってくれて、ぼくは、多分、あのときから、鎌倉という町が好きになったんだとおもう。

西脇順三郎先生が、戦時下、憤懣を噛み殺して歩きながら
「学問もやれず絵も描けず」と、大層芸術的な愚痴を述べたのは、あの道をずっとずっとまっすぐ行ったところにある切り通しで、むかしは浄明寺にあった親切な鮨屋のひとびとが、「ぼっちゃん、もう夜だから、あの切り通しを通って帰ってはいけませんよ」
「あそこは、怖い幽霊がでるからね」と述べて、でも、ぼくはローソンに寄っていかなくてはならないし、森が好きだし、なによりも外国人だから日本の幽霊はでないとおもう、と、いま考えてみるとあんまり論理的でない理由を述べたら、心配して、若い衆をつけてくれたのだった。

そうだよ。
ぼくは1年の最後の日で、昼間からお酒を飲んで、心が柔らかくなっているので、述べると、ぼくは日本という国が大好きだったんだよ。
多分、日本人であるきみよりも好きだったのではないかと思っています。

ぼくが初めて日本にやってきたときは、田舎ではまだ外国人の子供は珍しかったのか、奈良の定食屋で、オムライスを頼んだら、給仕するおばあちゃんの手がガタガタ震えていたのをおぼえている。

90年代が目の前の日本で、そんなはずはない、といつか言われたけど、鎌倉や横浜では顔つきが日本人と違っていても、ふつうに扱ってくれたけど、田舎では、というよりも、東京やなんかではまだ「ガイジン」のアイデアは残っていて、あんまりここに書いてもしかたがないから書かないが、あとで笑い話になるようなことがたくさんあった。

カンザスのアメリカ人の女の人で、日本語が信じられないくらい上手な人がいて、弘明寺や横浜でときどき一緒に遊んでもらって、冗談がうまい、カッコイイ女の人だったが、あるとき、ほとんど涙ぐむようにして、
「ガメ、日本に住もうとおもったりしちゃダメだぞ。日本人は絶対に外国人を仲間とは認めない。絶対に、心を開いたりはしない。
日本に住むのだけは絶対にダメだぞ」と言う。
いつも咄嗟の反応がマヌケなぼくのことで、(多分、口を半開きにして)びっくりしてなんと言えばいいのか判らないまま、見る見る涙があふれてくるカンザス人のヴァイオレット色の目を見つめていた。

多分、ぼくは、こんなふうに言いたかったのではなかったか。
「ぼくはガイジンのままで、いいんです。
自分の母国でもガイジンでいたいくらい。
ぼくは、この世界が、あんまり好きではないのかも知れません。
友達は好きだけど」

原宿でおりて、ハンバーガーのウエンディーズに向かっていたのだとおもう。
表参道の坂をおりて、なんだか圧倒的な数の人の群れを見ていた。
土曜日だったのかも知れません。
隣を歩いていたのは誰だったかも、もうおぼえていないが、日本語や英語ではなくてフランス語で話していたのをおぼえている。

群衆は何のためにあるのか。
人間の生命は、どんな場合でも等価であると言えるか。
数とおおきさは生物の集団に対して予想外なほどのおおきさの影響を与えることが知られているが、それが人間に対してだけは適用されないのはなぜか。

早熟な、ませガキだったぼくは、隣の人とちょっと話さないで黙ったまま歩くと、ろくなことを考えない。

そうやって歩いていたら、突然、日本に対する「愛情のようなもの」が、噴きだすようにこみあげてきて、困った。

(閑話休題)

ぼくはきみの国を再訪することはないだろう。
旅行自体に興味がなくなってきたし、それでも出かけようと決めている場所のリストには、故郷を別にして、サンセバスチャン、マルメ、ウィーン、トロントと決まっていて、生活圏といったほうが判りやすいメルボルンを別にしても、まだ出かけるならばプライオリティが高い町がたくさんあって、どう数えても、ストップオーバーならばともかく、きみの国の町を再訪する機会はないように思えます。

松江という町に行きたかった。

https://leftlane.xyz/2017/11/11/odakin2/

別府にも松山にも行ってみたかった。

でもなんだか、ぼくにはぼくの言葉で、「きっともうあの懐かしい日本には行かないだろう」と判る。

誤解しては困るが、放射能とかミサイルとか、まして、地震は関係がない。
嫌いになったわけでも、興味がなくなったわけでもない。
でも、いまもある国なのに、過去のなかに立っている国であるような気がするの。
ぼくがどんなに行こうと考えても辿り着けはしない、遠い過去に存在する国であるような気がしているのだとおもいます。

ぼくは、やがて、日本語という言語を忘れるだろう。
日本語で話しかけられれば、答えるていどには、死ぬまで言語能力として残っているだろうけど、いま、こうやって、血が通って、きみの父祖が、きみの先祖が、笑いながら、あるいは憤怒のなかで、思惟した言葉としての日本語は、ぼくの脳から去っていくに違いない。

ときどき、それは英語母語人としての防衛反応なのではないかとおもうこともある。

一日に話している時間はフランス語がいちばん長いが、でも母語は英語で、日本語は、なんだか隙さえあれば、時間が余る度に必死に書いていないと忘れてしまう。

語彙の喪失から始まって、外国語を無理して準母語なみにしようと考えた人間に襲いかかってくる症状を、自分の言語能力に観察しています。
だって、まわりに日本語を話す人がいないんだもの。
義理叔父は、いまでも日本語で話しかければ日本語で答えてくれるが、従兄弟は、もう日本語を捨てていて、日本語で話しかけても、英語でしか答えてくれない。

だから、ぼくの日本語はもうすぐ死んでしまうだろうとおもうが、もう1年でいいから、日本語を書いて遊んでいたい。
日本語でしか言えないことがある。

この感情を精確に理解できるのは、ぼく自身以外には、存在するわけがないわけだけど。

いま、時計をみたら年が明けているので、大好きな国の友達にあらためて挨拶を送ります。

明けまして、おめでとう。
今年もいい年になるといいね。
2018年も、きみやぼくは人間でいられるだろうか?
やさしい心をもっていられるのかしら。
この世界に起きていることは、きみやぼくを明らかに試しているが、
それはどんな意味において試しているのか。

ほんの数秒後の未来へ向かって手を差しのばすと手首から先が消えてゆくような気がする。
通りを渡ると、自分の姿が、霧のなかに消えて、向こう側には着かないような気持になる。

いったい、ぼくたちは、どこへ向かっているのだろう?

2018年へのメモ

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1 課税攻勢元年

金融機関ハ本令施行ノ際現二存スル預金其ノ他金融業務上トノ債務ニシテ命令ヲ以テ定ムルモノ (以下封鎖預金等卜稱ス)ニ付テハ第三条第二項ノ規定二依ルノ外其ノ支拂ヲ爲スコトヲ得ズ

という第一条から始まる「金融緊急措置令」が発せられたのは1946年2月17日のことでした。
日本政府は、このとき「戦争が起こした社会の疲弊によるハイパーインフレ解消のために新円に切り替えるため」と説明して国民は納得したが、おもしろいのは、現実には預金封鎖を必要とするほどのハイパーインフレは、当時の日本のどこにも存在しなかったことで、ほとぼりが冷めた2015年には、NHKの特集番組のなかで、証言が公開されて
福田赳夫が「通貨の封鎖は、大臣のお考えではインフレーションが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか?」と問うのに、預金封鎖当時の担当大臣澁澤敬三が
「いや、そうではない。財産税の必要からきたんだ。まったく財産税を課税する必要からだった 」と、あっけないくらいに、ものすごいことを正直に述べている。

もちろん、資産そのものに課税するのは世界中見渡しても前代未聞(*)で、課税というよりは国家の徴税権を利用した国家権力の恥も外聞も無いなりふり構わぬ国民からの富の強奪でした。

この預金封鎖は、このあと2年間続いて、世帯主で月300円、世帯構成員が1人100円に引き出しが制限される。

いまの日本円におおざっぱに換算すると、月に引き出せるお金が世帯主が10万円ちょっと、家族ひとりあたりが35000円から36000円か、そんなものではないでしょうか。

日本の国債は国内の国民から借りているから財政破綻は起こりえない、とチョーしあわせな意見を述べる人がいるが、それは取りも直さず、政府が破綻するよりも先に個人の生活が破綻することを意味していて、ダメ押しの事実を述べれば、政府が財政的に破綻してしまえば国民の政府に対する請求権は消滅するが、おもしろいことに、というか、あんまりおもしろくないのかもしれないが、財政が破綻しても、国家が存在するかぎり徴税権は消滅することなく存在して、1946年の例で判るとおり、生活は生存に必要な最低生活しかできない預金引き出しの制限をかけても、収入に対しては増税して強制的に課税を増やして財政の再建に注ぎ込むことは出来る。

もうひとつ、この預金封鎖の頭がよかったところはインフレ対策に見せかけながら「資産そのものに重課税する」という荒技、というより反則技を使ったところで、知っているかぎりにおいては、堂々とこのタイプの資産課税をおこなった近代国家は、戦後日本だけであるとおもいます。

そんなひどい、とおもうかも知れないが、当時の日本人は、いまの23〜4万円にあたる「月500円生活」に比較的満足で、家計簿が大流行し、節約の知恵がもてはやされて、案外、ビンボを楽しんでいたもののよーでもある。

悲惨を極めたのは、戦前には厳然と存在した日本の「上流階級」で、現金資産はそのまま政府に没収されてしまったのも、おなじで、この預金封鎖令とGHQによる農地解放で、階級ごと、あっけなくふっとんでしまって、跡形もなくなってしまう。
日本の大衆社会の淵源がこれで、「カネモチは自業自得」で終わりにできるお国柄で、ほぼ不問に付されてしまった。

もう何年も前からブログに書いているとおり、日本の財政は危機を通り越して、ナイアガラの滝の瀑布の突端で、爪先だって踏ん張っている状態なので、どんなにもっても2020年まで、日本社会らしく、あーでもないこーでもない、ありとあらゆる、さーきーのーばーしーの秘術をつくして、がんばりまくっても2025年までには100%オダブツの見通しなので、株価をあげればなんとかなるさのアベノミクスに、株がさがれば公金をつぎこんで株価をあげて、なけなしの国民が貯め込んだお金を外国人投資家に貢ぐ結果になった事にもあえて目をつぶって、つぎこんですっからかんの国の財布は、経済がなんだろうが政府の手にしっかりと握っている徴税権で奪った金で膨らませる以外に方法は残っていません。

だから、多分、増税につぐ増税で、それも日本の政府のいつものやり口を考えれば
ステルス税を増やし、おおめにみていた交際費をしめあげ、あそこにもここにも課税して、どんどん増税して、ひょっとしたら呼吸するのにも課税を始めるかもしれません。
はい、息を吸ってえー、吐いてえー、ちゃりーん、一回5銭なので、本日は22000回で、1100円の課税になりますー、まいどー、なのではなかろうか、
というのは冗談だが。

経済に較べると、財政は普通の国民には不可視で、いまの安倍政権に至っては、もともとオカネに弱い人なので、首相そのひとが財政と経済の区別がついていないのではないかしら、という発言もよくあるが、破綻するまでは実感できないものの筆頭で、非難できるものでもないが、危ないものは危ないので、財政の専門家たる財務省の役人たちは、いくらなんでも、もう危ないとわかっているので、どんどん増税するのは判っている。

2018年から始めないと間に合うわけがないので、今年が増税元年になることと、もうひとつは、1946年もそうしたように、人民戦線主義的というか、「カネモチは悪だ。なんか悪いことをやってるから儲かったんだ」が浸透している国民性を考えると、そろそろ富裕層の狙い撃ちが始まるのではないかとおもっています。

日本は富裕層も、案外のんきで、「安倍ちゃんは、勝ち組の味方だから、でへへへ」で、安心しているのかも知れないが、日本政府は牙をむきだすと、実績から言っても富裕層に容赦する、ということはありえない。
むしろ逆で、大多数の国民は富裕層が破滅しても「いい気味だ」くらいにしかおもわない国民性を熟知していて、初めの大攻勢は富裕層に向かって行われそうな気がします。
日本に住所がある人は根こそぎだとおもうんだけど

 

 

2 習近平の黄金夢

 

アメリカの大統領がトランプになったときには、まだ半信半疑だったのが、重い腰をあげて、本人に会ってみて、現実離れした幸運が実際に身の上に起こったのだと理解したとき、習近平はコーフンで眠れなかったに違いない。
とんでもないマヌケがアメリカの大統領になるという見果てぬ夢を、いったい何人の中国共産党指導者は視てきたことだろう!

中国の外交には癖があって、相手がちょっと油断すると、そそそくさくさくさと、躙(にじ)り寄るように地歩を獲得する。
むかし中国とソ連が国境問題で緊張していたとき、夜中にソ連兵がコーヒーを飲みながら国境線を望見していると、先週はたしかに黒松の向こうにあった鉄条網が、木のこっち側にある。
あれ?と思って双眼鏡をかまえなおして目をこらすと、なんと、夜闇にまぎれて、匍匐した数百人の中国兵が、そっと鉄条網の杭を抜いて、数メートルずつソ連領内へ動かしている。

いや、そんな70年代の古い例をもちださなくても、短気な日本の人ならば尖閣の、寄せては返す、中国流の領土拡張戦術に、やりきれないおもいをかみしめて、うっかり石原慎太郎の尖閣棚上げを台無しにする、辛抱のない暴挙に喝采して、あまつさえ、いったい何をどう考えたら日本側の主張の正統性を根本から破壊する、野田佳彦の尖閣国有宣言に頷いてしまった人もいそうな気がします。

「アメリカ・ファースト」と述べることは、そのままアメリカがグローバル・リーダーとしての地位を放棄したことを意味している。
アメリカが世界の王で、他の国は王からの権力の簒奪を狙うにしろ、王を支持するにしろ、王が揺るがしようもなく座している王座をめぐって外交を展開する、という従来の枠組みを、なぜかアメリカのほうからおりて、これからは強い者勝ちの乱戦でいこうぜ、といいだしたわけで、そのアメリカの愚行によって起きるのは、アメリカの拡大していた力の縮退です。

アメリカは、トランプがツイートするたびに縮んでいる。
欧州はすでに愛想をつかして、NATOそのものの枠組みを見直し始めている。台湾は見るからに悲壮な決意を固め、イランはペルシャに立ち返って、サウジアラビアの擡頭をおさえて中東世界の王たろうとほとんど無意識のように蠢動しはじめている。

もともと力の真空ができやすいアフリカ大陸に至っては東のソマリアから西のマリまで、北アフリカからレソト・南アフリカに至るまで、あちこちに真空地帯が生じて、アフリカ専門家は、どもならんわ、おれ、もう知らんと述べていた。

習近平が毛沢東をこえる権威を身に付けるチャンスを見逃すはずはなくて、中国でその手の箔をつけるためには、

1 台湾を武力併合する
2 日本に対して戦勝する

のふたつが最もてっとりばやい。

北朝鮮が核をバランス棒にして綱渡りを続けてこられたおおきな理由は、まず第一に中国がアメリカの属国(と露骨に言われれば韓国も日本も怒るに決まっているのでアメリカの呼び方にならって、礼儀正しく、同盟国、と呼んでもよいが)と直截国境を接することを外交上のタブーとして、北朝鮮の存続を全力をあげて支持してきたからだが、もともと金正恩と個人としての反りがどうしてもあわない習近平は、ここにきて、覚悟をきめて、アメリカ軍抜きならば韓国軍をも含めた国連軍の監視下においてもよい、と例のまわりくどいやりかたで述べている。

オバマ政権が縮小したアメリカ軍は、もっか戦線正面を一個半しか持つ能力がない。
「半」はとっくの昔に解決してしまったはずのアフガニスタンに釘付けなので、仮に朝鮮半島で戦端を開いてしまうと、中東も東欧もガラ空きで、そうなると習近平は南シナ海の例の人工要塞島をてこに、どんどん圧迫を強めて、拠点基地であったはずのグアムを戦域化して、ダーウィンと直截対峙するところまで行くだろう。
陸軍や空軍とことなって、海軍はつかいものになるまでには30年はかかるが、圧迫を強めるためだけのためならば、空母を数隻浮かべておけばいいだけなので、ソマリア警戒のときのような、みっともないスキャンダルを起こさなければ、中国海軍の「威容」を保っていける見込みがついている。

アメリカ軍は早々と北朝鮮が日本をミサイル攻撃する拠点となる、山脈北側に点在して秘匿された基地に手をつけずに、アメリカ本土に届くおそれがある長距離ICBMのローンチパッドと弾薬デポだけに攻撃目標を限ると半ば公式に表明してしまったが、この「日本を守るのはあきらめました」といわんばかりの作戦は、つまりは、北朝鮮に地上戦の戦線をひらく能力をアメリカ軍が持っていなくて、戦争が長引いて、北朝鮮が初めの一撃で早期に瓦解しない場合は、要するに、韓国軍と日本軍であとを引き継いで戦争してね、ということでしょう。
実際、アメリカ軍のいまの実力では、ほかに戦争の始めようがない。

周到に周到をかさねた準備をしていたところに、アメリカのほうからグローバル・リーダーの地位を放棄してくれたのだから、ここで勝負にでなければ習近平は返ってメンツを失うことになる。
トランプが生んだ真空が中国を危険な国変えてしまったのだ、といってもいいようにおもいます。

3 ツイッタ戦争

第一次世界大戦は1914年6月、オーストリア・ハンガリー二重帝国の嗣子、フランツフェルディナントが暗殺されたことによって始まった、と教わって、そーですか、と納得してしまう人は、そもそも歴史のセンスがまったくないので、よっぽど自分の歴史に対する姿勢を考え直したほうがよい、とよく言われる。

ほんとは、そんなことで世界大戦が始まってしまっては困るからで、むかしの物理学者たちが考えたエーテルではないが、目に見えない何かが歴史的な大気に充満してしていなければ、そんなことで戦争になるわけがない。
戦争へと向かう起点ではありえても、発火の原因にはなりえない事件でした。

これで、どう、誰が考えても戦争をして得なことがあるわけがないので戦争は起こらない、というのは、昔からあんまり現実を顧慮しない人間がすがりつくように信じた妄信の典型で、現実には計算によって戦争を起こした例は、少なくて、戦争はほとんど不合理な理由によって起きるもので、例えば1941年にアメリカと戦端を開いた日本のように、社会をおおいつくす不燃性の圧迫感に堪えかねて、理屈にもならない理屈で、いわば「スカッと」するために自暴自棄的な開戦をした例もあれば、キューバ危機がもう少しで世界を灰にするところだったり、スタニスラフ・ペトロフが間一髪で世界を救ったりした事件を仔細に見ていけば、いまでもまだ世界が存続しているのはラッキーだっただけで、ラッキーなうちに直通電話をひいたり、情報を共有したり、誤解がつみかさなる余地をへらして、偶発戦争の確率を漸減させてきたのがいまの世界だった。

ところが、アメリカに戦争の現実感に乏しい、リアリティショーと現実の区別がついていないらしい大統領があらわれ、中国は一時の貿易損失を計算にいれても、十分に採算があう、自分が世界の覇者たりうるチャンスが来たと知悉している、しかも国内にライバル政治家がいない指導者にひきいられて、そこに軍事的虚勢を張り続けることによってしか未来をみいだせないビンボ国が核をにぎりしめて眉を逆立てている。
その北にはロシアという韓国とおなじ程度の国力しかないが、軍事力だけは膨大な国が、KGBの陰謀戦のエキスパートに率いられて、世界地図を眺めている。

まるで1960年代に書き散らされた三流SFが、そのまま地球の上の現実に引っ越してきたようなお膳立てで、世界は、去年、誰かが外交専門フォーラムで述べていたように「これで偶発戦争が起きなければ不思議」という状態にある。

昨日(1月3日)、去年の4月18日に北朝鮮のIRBM(中距離戦略ミサイル)KN17が打ち上げに失敗して, 순천시 (順川)市に落下して被害をもたらした経緯が
The Diplomatの記事になっていたが、では、このミサイルが福岡に落ちていたらどうなっていたのか?
あるいは、ソウルに落ちていたら、どうなっていただろうか?

純粋な偶発に加えて、偶発戦争が起きれば願ったりかなったりの人民解放軍は、日本の電子戦能力調査から一歩進んで、東京を目標とした模擬爆撃の爆撃機編隊を飛ばして演習しているが、随伴の戦闘機は、プロらしくない、まるで暴走族の若者のような挑発を空自やアメリカ軍機に対して行うことがよくある。
この挑発に、気が短い空自パイロットが乗って場合は、どんなことが起こるか?

火薬庫のうえで、煙草を喫いながら毎晩博奕を打っていれば、いつかはなんらかのきっかけで引火して誘爆するのではないかと考えるのは、わりあいに普通の心配におもえます。

世界は、ほとんど「戦争をのぞんでいる」ような相貌をみせていて、このことには、つまりは富の偏在からくる世界的な社会のフラストレーションが背景にあるが、それはまた今度述べるとして、2018年は、戦乱の世紀の嚆矢になる可能性が極めて高いということくらいは、頭にいれておいたほうが、いいよーな気がします。

4 火も、また涼し

日本人なのだから、日本に残っていて悪いわけはないが、財政の逼迫に起因する重税国家化にくわえて、もうひとつ頭にいれておかなければいけないのは、日本列島の物理的位置は数十センチしか変わっていなくても、地政学上の位置は、北朝鮮の核ミサイルテクノロジーの長足の進歩と、アメリカ軍の日本駐留の意味が日本の軍事大国化抑止から、前線基地へと変わってきたことによって、おおきく変化してしまっていることで、日本の人が最もイメージしやすいものでいえば、日本は、すでに中東の人工国家イスラエルとおなじような位置になっている。
軍事技術が停滞していた過去100年でいえば、朝鮮半島の位置に日本は移動しているので、すぐに始まるか数年後か、いまの政治地図がブラックスワン的に壊滅的に変わらなければ、ほぼ確実に戦争に巻き込まれる。
なんども書いたように、この戦争不可避へのコースに舵をとったのは、特殊な地政学的条件と自分が加害者であった歴史条件を逆手にとった妙手であった平和憲法下の戦争放棄を捨てた安倍政権と、それに圧倒的支持を与えた日本人自身に他ならないが、いまさら、そんなことをいいつのっても、仕方がないので、日本はみずから開いた地獄の門から飛び出してくるものと正対して、民族として、国として、生き延びなければならないでしょう。

もう少し事態が逼迫すれば、悪い冗談のようだが、今日あたりは危ないから横須賀には出かけない方がいいかも知れんな、と頭の隅で計算したり、向こう五年は住むとなると、沖縄への栄転は断ったほうがいいかもな、と打算したりする生活が普通になるかも知れません。

自分が日本人で、あのときツイッタで会った友達なら、どうするだろう、とよく考えてみるが、案外、ビンボで気楽な境涯なら、外国になど行かず、なれた町に住み続けて、

五月雨、五月雨、ときどきミサイルがふってくる東京
と戯れ歌を歌いながら、放射能がいっぱい入っていそうな羽田のアナゴを食べに、銀座を歩いているかもしれない。

それはきっと、常住坐臥、安静な心というようなものでなくて、心のどこかに、いつもやけくそみたいなところがあるからで、理屈よりも、感覚を優先するからでもあるでしょう。

ビンボなら増税といったって、月3000円で、酒と煙草をやめる口実になっていいんだよ、くらいの減らず口はたたきそうな気がする。

ほんとは、ただ自信がないからだけなのかもしれないが、でも移住して新しい町に住むなんて、めんどうなことはやりたくねえ、と言うのではないかしら。
東京から大阪に引っ越すだけでも、文明が異なりすぎて考えとしてゾッとするのに、メルボルンなんて、くるみ餅もねえところに引っ越せるかよ、と思うに違いない。

まことに愚かなことだが、愚かであるほうを、理屈だてて正しいことよりも選ぶ人間の心根に従って、多分、東京に住み続けて、夜の高い空でキラッと光るミサイルを眺めながら、「綺麗だなあ」とつぶやいて、死んでいくのではないかとおもいます。

いつから、おれは、人間でなくなったんだろう、と訝りながら。

 

(*)現金資産対象の資産課税をキプロスが2013年にやっている、と@newarrowcomのご指摘がありました。

 

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