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Channel: ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5
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死語

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自分を説明する、というようなことはしたことがない。
特にまわりが自分のやることを誤解したり理解できなかったりして、大騒ぎして責め立てるようなときがそうで、日本のひとなどは、そういうとき、謝れ、謝れの大合唱になるが、謝る理由がないのに、謝る必要は感じない。
それは何が起きているかが理解できないきみらの問題で、ぼくの問題じゃないよ、もっとしっかり考えてみればどうか、とおもうが、
そんなことを言うとますますたいへんで、日本語世界では、こちらから見ていると「ネットを挙げて」という勢いで非難の大合唱になるのがわかっているので、ほっぽらかしにする。

投げやりにみえるかもしれないが、この方法は案外よくて、説明も弁解もしないので、自分の頭で考えてわかる人しか残らないので、英語でも日本語でも、真の友達だけが残ってゆくという利点があります。

日本語の場合は特徴があって、藤沢のスーパーマーケットでチーズを物色していたら、わしの手をおしのけて自分の手にとってみるおばちゃんがいる。
いちどならず二度三度と押しのけるので、失礼に耐えかねて手を払いのけると、
「ガイジンさんて、こわいわねえ、わたし、手をたたかれたわよ!」と友達に述べている。

雛形というか、こういうことが原型で、再三再四、集団でニセガイジン呼ばわりして、マンガ的なことに、自分ではどうやら「本格的な英語読解法」とでも思い込んでいるらしい、日本の大学受験の便宜につくられた「構文解析」を駆使して、わし英語がインチキであると証明したと触れ回っている人がいる。
このひとなどは、では、対象の現代英語用法を持ち出しては露骨に受験でこときれてしまった人生の、この人の馬鹿っぷりがわかって気の毒なので、言わなかったが、ロバート・オッペンハイマーが引用したことで有名になった
“Now I am become Death, the destroyer of worlds” みたいな英語表現は、どう「構文解析」するつもりなのだろうと可笑しかったが、このひとのこそこそとした陰口で、ああ、日本人だなあ、とおもったのは、どうやら敵わないと観念したらしいところで、
「しかし、英語人が相手の英語をくさすようなことを言うことはありえません」と講釈をたれはじめたことで、自分で失礼なことを述べておいて、なんとも言い返せなくなると、相手が失礼なことを述べかけたようなことを言い出すのは日本人の特徴である気がする。

残念なことに、日本の人は、くやしさのあまりだかなんだか、名状しがたいほど卑しい態度を示すことが多くあって、おなじように議論してみる相手の中国人やインド人と較べると、そういう表現をするとまた逆上するのが判っていても、明らかに劣っている。

日本語という言語全体の地盤沈下は、目を覆いたくなるほど、といいたくなることがある。
わしが日本語に興味をもったのは、まず第一には、子供のときの、親切で豁達な日本のおとなたちに囲まれて暮らしたパラダイス体験が理由だが、もし「細雪」や「俊頼髄脳」、芭蕉や北村透谷がなければ、日本語に「子供のときに楽しい思い出をもった国の言葉」以上の興味をもつことはなかっただろう。

過去に偉大な文学をもった言語はいくつもある。
ところどころ偉大な作家を輩出した言語もいくつかある。
でも11世紀初頭というような時代に、長大で、複雑で、入り組んだ、人間の手に負えない人間の心理を表現した小説を生んで、そこからほとんど絶え間なく、現代のいまの瞬間まで普遍性を感じられる文学を生み続けた言語は、数えるほどしか存在しない。

日本語に興味をもった最大の理由はそれで、すぐれた文学を生み出しうる言語は、必ず、その民族の血のなかに分け入っていくだけの価値がある言語だからです。

いっぽうで、ときどき、主にインターネットや新聞メディアのようなものを眺めていて、日本語という言語は寿命がつきたのではないかと思う事がある。
日本語との付き合いは10年になるとおもうが、この10年、日本語世界で語られてきたことは堂々巡りとしか呼びようがない議論で、北に十歩行けば、南に十一歩行き、東に八歩行けば、西に八歩もどる。
言い方を変えれば右往左往で、その右往左往を支えているのは、日本語に瘴気としてたちこめる独特の語法で、ただ「日本人は、ゼノフォビックなのではないか」と言えばいいものを、「もちろん、そうでない日本人もいるし、一概に言ってはいけないのは承知しているが、日本人のなかには外国嫌いが、少しいきすぎる人もいるのではないか」としか言えなくなってしまっている。

そういうバカみたいな言い方をしないと、「日本人として一緒くたにするのは乱暴すぎる」「ぼくは違う」「暴論であるとおもう」といっせいに不快の表明がロジックの不備追究の形で始まるからで、見ていると、議論全体が、なぜ日本人だというだけで、そんな言い方をされないといけないのか、とか、私は日本人だが韓国人の友達も中国人の友達もいる、そんな言い方は酷いとおもう、というほうに、どんどん流されてゆく。

ほんとうは、「日本人は、ゼノフォビックなのではないか」と問いかける発言者と、その発言を聞く人間の集合全体にとって「もちろん、そうでない日本人もいるし、一概に言ってはいけないのは承知しているが、日本人のなかには外国嫌いが、少しいきすぎる人もいるのではないか」というようなレベルのことは当然のこととして常識として了解されいなければいけないのに、社会としてその常識を欠いているか、あるいは何らかの理由で常識を欠いている「ふり」をするせいで、議論がどんどん低劣なものになってゆく。

めんどくさくなってきたので、自分を例にして結論を急ぐと、なんだか英語が判るふりをして、ニセガイジンと囃し立てつづけてきたはてな人たちが、ニセガイジンと信じたとすれば、ほんとうの理由は、自分でいうのはさすがに、ははは、な感じはなくはないが、もしかすると、こちらが習得した日本語が彼らの目からみて「上手に過ぎる」からではなかろーか。
いっぽうで、実は英語が理解できないので、わし英語の評価ができなくて、英語を母語としない人間が書けるわけがない英語なのは、理解できないのであるとおもわれる。

(はっはっは、言ってしまった)

いまは些末な例をだして話をしてしまったが、日本語全体が世界の現実から切り離されて、どこか、まったく架空な世界へ飛んでいってしまったような実感がある。
言語として、全体が無効であると感じます。

そのことには、自分に引き寄せていうと、どういう理由によって悟ったのか、この頃はトロルおじさんたちは都合が悪くなったらしく「おまえの英語はニセガイジン英語」は慌てて削除して、作戦を変更して、旧来の「反日ガイジン」に戻ったらしいが、日本をちゃんと見つめることなしに、まともな日本語を書けるようになるわけがない「現実」のほうは、どうでもいいらしい。
「自分は英語が英語人よりも出来る」という宣言だけで、英語が出来ることになって、わし友英語人たちの英語を「たいしたことない」「自分のほうがうまい」と述べるのに日本語でしか言えないことの不思議さを自分で意識すらしないところが、「宣言してしまえば、それが真理」の、いまの日本人の杜撰をあますところなく示していて、そうおもって安倍政権をみれば、なるほど、その手の国民が信任した政権だと、簡単に納得できてしまう。

日本語は「現実の重み」をまったく欠いた言語になって、放射能が安全だと屁理屈をこねれば、おどろくべし、俄に放射能は安全なものになって、中央銀行が市場にオカネを投下しまくるという「机上の繁栄」が、現実に日本の繁栄だということになってしまう、なんだか文字通りの子供だましの経済繁栄が出現して、いっぽうで、日に日に貧しくなる実際の生活は「気のせい」だということになってゆく。

ここでは詳述しないが、それは実は大きな意味では「言語の衰退」なんです。
言語が現実から剥離して、言語だけで自己完結する詭弁の世界に陥るという事態は西洋世界では古代ギリシャの末期が知られていて、その結果、古代ギリシャ諸都市はすべて滅びてしまった。
ローマ人たちが子弟にギリシャ語を必須として課しながらギリシャ人の考え方をまねることを厳禁したのは、そのせいでした。

近くは訓詁に凝った清代の中国や韓国がそうで、この二国は結局、現実に密着した言語をもっていた当時の欧州と日本に蚕食されていくことになった。

われわれが日本という社会に見ているのは、実は、「言語が死に瀕した世界」で、そのことは判り切っているが、それをどう当の死語の体系のなかで暮らしているひとびとに伝えればいいかというと、マヌケなことに「途方にくれます」としか言い様がなくて、なんだか曖昧な、ぼんやりした気分になってしまいます。



ガメ・オベール人格

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くだらないことをおぼえているのねー、と感心することがある。
くだらないこと、と言っては悪いに決まっているが、わしが書くブログは、現実については、ほとんど脚色なしで自分の身に起きたことを書く(そうでなくて、あれだけの量のお話がつくれたら正真正銘の天才である)ので、当然、細部は変えてある。

最近の数年は、ほとんどモニさんと一緒に時間を過ごすので、ときどき、この挿話は、こっちの記事ではモニさんの身に起きたことになっているが、こっちはガメさんの身に起きたことになっていますね、となかよしのお友達が言ってくることがある。
効果覿面、というか、そういう重複記事を書くと、一回に5,6人は来ます。

ふっふっふ、見たな、と考える。

昨日の「死語」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/06/17/leukemia/

の場合だと、こーゆー、3年前の記事「阿Q外伝」(←「阿Q正伝」のダジャレ)
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/11/05/q/
があって、「こっちだと、モニさんになってますね」と、むかしからのお友達が書いてきた。

長いあいだブログを読んでいる人は、当然、こういう例が無数にあることに気付くが、前から何度も説明してあるように「これは特定を避けるための約束ごとだったな」と判っているので、笑っているだけです。

 

ときどき頭が悪いトロルおっさんたちが鬼の首でも取ったように吹聴して歩くらしいが、バカな人はバカなので、もう相手をしてあげるのも業腹であるし、またあらためて説明するのもめんどくさいというか、第一、むかしは「おまえの家を探し出して門の前に隠しカメラを設置してやる」とか年中いってきていたトロル対策として気を付けるために始めたのに、トロルにトロル対策なんです、と述べてもおとなしく聴いてくれるわけがない。

細部を変える方法がない、例えば自分が出た大学のことなどは、だから初めからいっさい書かないことにしているが、蛇の道は蛇、おそろしいもので、むかしアカデミアの人に図星を言われて、ぶっくらこいてしまったことがある。
このときは、どうも、酔っ払って自分の大学を「コメディアン養成所」と書いたのがまずくて、イッパツでピンと来たものであるらしい。
出身大学に関係があるわけでもない日本の人なので、たいそうぶっくらこいてしまったが、念のためにいっておくと、マジな俳優も輩出してます。
ま。全体の傾向からいうと歴史的には無職者大量養成所ですけど。

いまでは筆名化しているが匿名にしたり、ビミョーにディテールを変えて誤魔化したりしているのは、単にゲームブログの昔から、そうしていて、いまさら違うスタイルにするのがめんどくさいということもあるが、なんだかそうしているうちに日本語のなかに「大庭亀夫またはガメ・オベール」という別人格が出来上がってしまったので、それでいいや、というか、日本語が実人生に干渉しないためには、そっちのほうが都合がよい、という発見をしたせいもあります。
書き出した頃は意識しなかったが、何年も経って、実人生とブログに記録される日本語版自我である大庭亀夫とのあいだに、かなり乖離が生じていなくもないいまになると、なんとなく、現実の可愛げがなくえばっている自分よりも、日本語のブログに記録される、ほんとうの姿であるが、描線が、ややマヌケな自分のほうが自分として好きなのでなくもない。

羞じらいもなくいうと、自分の一生は、物質的にも精神的にもうまくいきすぎていて、五分に一度は木に触ればならないほどで、労働は自分がどうしてもやりたいときにやればよくて、投資の方針が図にあたって、財産は増加する一方になり、リスクの係数がゼロに近付いているのに、勢いというものは怖いもので、ニュージーランドだけで税金を払うのは名前が広く知られてしまうという点で都合がわるくなった。
母親に似て、なんだか妙に生真面目な、この世の生き物だとはおもわれないほど美しい子供がふたりいて、天人にも五衰があるはずなのに、容貌と容姿とが一向に歳をとっていかない不思議な伴侶がいる。

おとなになるというのは、こういうことか、というか、昔すべりひゆたち古い友人に対してよく冗談で述べていた「温厚で成熟したおとな」になって、若い時にはおとなになると退屈なのではないかと思っていたが、まったくそんなことはなくて、朝起きてから、よし今日はこれとこれとこれをやって遊ぶぞと決めて、あるいは、なああああんにもしないぞ、と決めて、夜まで、あっというまに時間が経ってしまう。

日本語で考えたり、書いてみたりすることも遊びの一部に定位置を占めていて、他のことをやりながら、ときどき日本語世界をのぞいて、書き込んでみたり、他人がやっていることを眺めてぼんやりしていたりする。

最近は日本の人への親切心がゼロに近くなって、またしても羞じらいもなく述べると、ここまで来てしまったのは自業自得やん、さんざん人が心配して述べたことを嘲笑しておいて、いまさらなにゆーてんねん、どうでもいいや、とおもう気持ちが抑えられなくなって、おもしろげでなさそうなこと(例:共謀罪)は興味もなくて読みもしなくなったが、文化上のことや、食べ物や、日本語世界独特の、ちょっと壊れたような情緒が視界にはいると、ゆっくり相手をして遊ぶ。
そういうことになると、日本はまだまだ面白い文化をもった国で、へえええー、と思ったり、おおおおーと思ったりで、奇抜で、見ていてなんとなく嬉しくなってしまうようなことがいまでもたくさんあります。

英語のほうの人格はというと、もうほぼ固まりかけて来ていて、育ちがよくて裕福なおっちゃん(←自分で言っている)というか、家事は他人まかせ、仕事はどんどん有能な他人に割り振ってスカイプであれこれ話をしているだけで、ときどき、あちゃあ、なことが起きるが、なにしろ仕事の仲間のひとびとは、極端に頭がきれるひとびとばかりなので、あっというまに解決されて、どうしてこの状態で自分がボスなのか、まあ、帽子みたいなもんかと思ったりして、仕事は仕事で、どんどん成長していく。

そもそも就職したことがないのでCVは書いたことがないが、神様に「自分が得意なことを書きなさい」と言われたら、「うまくいっていることに倦まないこと」と書くのがよいのではないだろうか。

膨大な、と言ってもよいエネルギーと時間とオカネとが、主にモニさんの管理によって、貧しいひとびとや、人生ののっけから運が悪かった子供、クソッタレな人間に飼われてぶち捨てられた犬や猫、というようなものに注ぎ込まれているが、不遜なことをいうと、ときどき、人間の一生って、このていどのものなのか、とおもうことがある。

人間の一生なんてたいしたものではない、たいていの人間にとっては片手間で一生の成功などは達成できる、そんなものに夢中になるのはくだらない人間のやることだというのは家訓のようなものだが、ではどうすればいいか、という苛立ちは、イタリアまで娼婦のあとを遙々追いかけていった先祖のおっちゃんでなくても、わしでも持っている。

ダメな人間に、なぜ彼がダメであるか言って聞かせるのは、無駄というものだが、ダメな世界に、なぜ世界がダメなのか解き明かしてみせるのも、結局はムダな努力なのではないか。

子供の時にはモンテーニュの一生は、なかなか魅力があると考えたが、あるいは気まぐれを起こしてハーレーに見せないままで引き出しにプリンキピアをしまったままのニュートンの一生は良いかもしれない、と考えたが、人間の一生は有限であることによって永遠を憧れすぎるという欠陥を持っている。

永遠をみないことだ、と詩人は述べたが、あれは永遠が眩しいからではなくて、永遠がもつ価値は有限がみせている幻想にしかすぎない、と述べたのだといまさらになって気が付きます。

夢のなかで、霧のなかから忽然と現れた自分自身に「きみはいったいどこへ行くのかね?」と問うと、なぜ判らないのか、という顔で、「過去へ」と言う。
それ以上は問わなかったが、もし問うていれば、夢の中の自分は、未来というものへの深い軽蔑を語って聞かせてくれたのかもしれません。


北極星2型

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少なくとも北極星2型のほうはアメリカや日本を挑発しているのではなくて単純に量産型のミサイルに必要なテストを行っているにしかすぎないように見えます。

ツイッタで書いたとおり

で現状の北朝鮮の国力で量産できるミサイルのデザインはほとんどこれしかないというデザインに沿って、少数部品、安価、高確実性・安定性のミサイルを設計して必要な諸条件をついにクリアしてしまった。

その最終点検が5月21日の打ち上げということでしょう。

北朝鮮の北極星2型は裾野のない北朝鮮技術世界のなかで、ちょうど日本の零戦のように、ビンボな国家財政、低い工作力、歪な材料工学、…というような拾いあげられるものが少ない社会のなかで、拾えるだけのものを拾って傑作兵器をつくりあげるという快挙が生んだミサイルだと言ってもよいとおもう。

作った人は、マストドンで教えてくれた人がいて、キムジョンシクという人だそうでした。
教えてもらった名前を頼りに日本語検索をかけてみると、

なんだか、よくわからないセレブサイトみたいなサイトに記事が出ている。

http://yuumeijin-shokai.com/kimu-jon-shiku-2295

零戦の時代の日本の工業力がどのくらいお粗末なものだったかというと、高速で回転する金属をちゃんと受け止められるベアリングがもうつくれなかった。
当時、最も高いベアリング技術を持っていたのは同盟国であるナチのドイツだったが、教えてもらえなかったのでしょう、日本はベアリングの歩留まりが悪いので有名な国で、QC自体を職人芸に頼っていたので、職人たちが徴兵されてゆくと、女子学生たちが作ったエンジンがどんどん焼き付いて、使いものにならない航空エンジンが量産されることになっていった。

堀越二郎技師の最も偉いところは、日本の工業技術を見渡して、最も「使える」部分を組み合わせて零戦を作って行ったところで、いまから振り返る人は「当たり前じゃないか」と言うかもしれないが、例えば液冷式は当初から一顧だにしなかった。

自社製の金星エンジンよりも中島飛行機製の栄エンジンの採用を強く主張したことでも判るとおり、自社のエンジンラインアップに液冷がなかったからではなくて、
日本の工作技術の程度の低さを熟知していた堀越技師は構造が複雑で部品点数が多く、一個の不良部品が全体のエンジントラブルを引き起こしやすい液冷エンジンを採用するわけにはいかなかった。

ドイツ系の技術は、いまでもそうだが、技師が実現しようとする高いレベルの性能に到達するために、極めて複雑なシステムをデザインしてしまう、という欠点を持っている。
ポルシェがつくった超重戦車マウス

https://en.wikipedia.org/wiki/Panzer_VIII_Maus

を典型とするような理屈もあっているし、実現も可能ではあるが、
「ほんとにこれをつくるんでしか?」と言いたくなるような、迷宮的なシステムを実用化しようとする傾向があります。

この傾向の延長上にあるナチ・ドイツの技術的な傑作がMe262ジェット戦闘機

https://en.wikipedia.org/wiki/Messerschmitt_Me_262

とV2ミサイル

https://en.wikipedia.org/wiki/V-2_rocket

で、このふたつの兵器は、簡単に言って連合軍側の度肝をぬいた。
エンジニアたちが、ただただぶっくらこいて、ほんとにそんなものつくっちゃったのか、と言い合う体のものでした。

あるいは、三式戦闘機飛燕に搭載されたエンジン、ハ40は、最初期型メッサーシュミットBf109E型に搭載された比較的構造が簡単な千馬力級液冷式エンジンのデッドコピーだったが、当時の日本の技術では丸写しのマネッコ生産すら難しくてエンジンが止まって石のように落下する飛燕が続出した。
空冷式に較べると液冷式は遙かに戦闘機に向いていて、同じ出力のエンジンなら正面面積が20%減少して、CD値が小さい機体デザインをも可能にする結果、だいたい最低でも6%は速度が速かった。

水平速度が速い戦闘機が好きだった堀越技師は、だから、液冷式の飛行機がつくりたかったでしょうが、それでもエンジンは空冷と初めから決めていたのは、そのせいです。

その結果うまれた傑作機零戦は、なによりも手間はかかるが工作が簡単だという長所を持っていた。
「手間がかかる=生産効率が悪い」ことと「工作が簡単」なことは相反する性質ではないかと思う人がいそうだが、零戦は、相当に精度が悪い工作でも額面通りの性能が発揮できる、いわばAK47のような兵器であったことに特徴があって、ゆるい、許容度のおおきい設計は、連合軍の爆撃で徹底的に破壊された飛行場のあちこちから部品を集めてきて、整備兵たちの手で、数機の零戦が完成してしまうほど、おおらかな戦闘機だった。

いつか軍ヲタ中国系人たちと話していたら、「ガメ、知っているか?日本人たちが鼻にかけている零戦なんて、バルサの模型みたいなもので、急角度で突っ込んで引き起こそうとすると、操縦桿が利かなくなるは、空中分解を起こすわ、だし、第一操縦席の背板にすら装甲板が付いていない、性能をあげたいだけの見栄の固まりのような飛行機だった!
日本人の見栄っ張りで、現実にはたいしたことがない国民性がよく出ていると思わないか?」と述べていたが、この人達の後知恵は公平だとは言えなくて、零戦が進空した1939年の時点では世界の過半の戦闘機は防御鋼板を持っていなかった。
零戦がまるでマッチに火をつけるように被弾するたびに炎に包まれたのは、どちらかといえば洋上を飛ぶ長大な航続距離を実現するための大きな翼内タンクによるもので、戦闘機の背面が敵に露出したときに最も被弾しやすい場所にタンクが広がっていたのは、やむをえない理由によっている。
実際、映画で観るのとは異なって、「機体を引き起こして逃げる」のはタブーなので、空戦記を観てもパニクってさえいなければ浅角度ダイブか横旋回で逃げていたようです。

義理叔父の祖父なる人は、戦時中は海軍の高級将校で、零戦も馴染みがある飛行機のひとつだったようだが、義理叔父によく、
「いい飛行機だが、日本の工作精度はひどくて、離陸する零戦がよく増槽タンクと胴体のあいだから、隙間から洩れる燃料の白い線をひいていたよ」と笑っていたそうでした。

液体燃料エンジンのミサイルは、工作がたいへんで、裾野が広い工業技術力が必要なのは常識であるとおもう。

キムジョンシクという名の人なのかどうか、ちょうど戦前の日本でいえば堀越二郎にあたる北朝鮮の天才技師は、堀越二郎とおなじ天才技師のセンスで固体燃料でないと金正恩がめざす「安定して飛行するミサイルの大量生産」などは夢のまた夢であると考えたのでしょう。

ツイッタやマストドンでも北朝鮮のミサイル技術が他国の技術の寄せ集めだと述べる人が多かったが、わしは、そうおもわない。
他国の技術は、ちょうど堀越技師がそうしたように集めるだけ集めて参考にしたようにしか見えません。
北極星2型は、わし頭のなかでは零戦と相似形をなして対称をつくっている。
スペックを聴いただけで傑作とわかるというと笑われてしまうでしょうが、もともと発明という大時代なもので初めの財をなした、わしの技術心に訴えるところがある。

センスがええんでないかい?
と思わせる。

金正恩はもとより個人主義や自由主義の側からいえば敵でしかない全体主義に立つ独裁者だが、拠って立つ観点を変えれば、アメリカや日本という戦争をしたくてたまらない、好戦に狂った軍事大国の恫喝と挑発に晒された小国の、経験もない指導者であるわけで、核を捨てれば国として考えてやってもいいど、とアメリカや中国や日本が述べるたびに、ではあんたらを信じて核計画を放棄したリビアやイラクはどうなったというのか?と問い返したい気持ちでいっぱいでしょう。

わしが考えても、北朝鮮が核開発計画を放棄すれば、いまの体制はあっというまに解体されて、金正恩は、よくてウサマビンラディンと同じ運命、悪くすればベニト・ムッソリーニのように、逆さづりになって革命広場で死体が狼藉される運命にあるとしか思えない。

北朝鮮が編み出した戦争上の奇策は、つまり「これまでタブーとされた核兵器の使用を前提とすることによってビンボ国にアメリカ・中国・日本の軍事超大国と同じ戦力を獲得させる」ということで、いったん北極星2号が量産ラインに載れば、一朝時には、あたかも通常弾頭スカッドのように核弾頭の中距離ミサイルを日本に向かって撃ちまくるだろうとアメリカのアジア軍事専門家たちも予測している。

トランプの登場で、ちょっと怪しくなってしまったが、在日米軍を叩くという建前で日本に向かって核ミサイルを撃ちまくっても、アメリカはなお通常兵器で報復するだろうという、中国絡みの推量があってのことです。

以前に「日本は戦域化した」と書いたが、どうやらキムジョンシクという人であるらしい北朝鮮の天才技師が完成した素晴らしい安定度のミサイルによって、現実の開戦も近くなってしまったような気がして仕方がない。

日本が開戦に踏み切ったのは、仔細に観てゆくと、軍指導者の蒙昧に加えて、零戦が望外の性能を発揮して、殆ど無敵だったことが、案外とおおきな原因であったことが見てとれます。
「零戦があればやれる」と日本の指導者たちは開戦前・戦争中を通じて何度口にしたかしれない。

アメリカが制裁の手を強めて、日本の対外資産凍結、石油禁輸という、アメリカのほうから観れば「制裁強化」という魂のこもらない政治術語で語られる施策に踏み切ったとき、アメリカの想像力を遙かに越えて、日本の指導部は、「もうここまでだ。こうなれば機動部隊と零戦に賭けて太平洋侵攻を企図するしかない」と思い詰めていったのでした。

今日、日本語ニュースを読んでいたら岸田外相が日本の独自制裁強化として資産凍結や中国に働きかけての石油禁輸可能性について述べていた。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017052100244&g=prk

「歴史は繰り返さない」と、わしはガッコで習ったが、歴史はときどき繰り返しているように見えることはあるよね、と、そっと呟いてみるのでした。


ミナの誕生日に

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もののけがいる
もののけが いて
よく見ると5センチくらい地面から浮き上がったまま 左足の拇指を、右足の拇指でかきながら
照れくさそうに Grosgrainの店先にたっている

おもいきっておおきな黒いリボンがついた黒い麦わら帽子をふわっとかぶってみる
違うひとになったみたい
と うっとりしている

Grosgrainの店先には
いろんなひとが来るんだよ
ネットの上にある店だから やましい心のひとには みえないんだけど

ひとだけでなく 精霊や動物たちもやってくる
ハイランドキャトルとエミューが 肩を寄せ合って店先を覗き込んでいる

この帽子は素敵だけど
ダメだな
ぼくの頭はちいさすぎる

わたしの頭はおおきすぎるし
角が邪魔でかぶれない

魂と魂がふたつの滝のように流れ込んで
ぶつかりあって きらきらと反射する
水のしずくが
ミナの
途方もなく透明な
不正をにくむ心の陽光のなかでおどっている
どんな画家にも描けない七色に彩られた
虹をつくっている

帽子屋さんなのに
政治に抗議して 駅のまえにひとりで立っているんだって
と 貘がいいにきたのは
もう3年前ではないかしら

貘とぼくは
人間には姿がみえないのをいいことに
ミナの横に立って
シロツメクサの花を編んで たすきにして
一緒に おおごえをはりあげたものだった

よろしく おねがいしまああああーす
この世界を助けてください
この世界は もうすぐ死んでしまいそうなんです
おねがいです
助けて

さて これから貘とふたりで
地獄の閻魔どんの家まで出かけて
6月16日生まれの前田ミナがやってきたら
ここはあなたの来るところではなくて
この炎の道をずっといった
突き当たりにあるエレベーターで
あがっていくと層雲があって 積雲があって
鰯雲をぬけたくらいのところの最上階に
神様達が宴会をしているペントハウスがありますから
まっすぐにそこへおでかけください
と言わせるように念をおさなければ

ミナがこの世に生まれてきたことは
なんていいことだろう

6月16日になると
神様も酔っ払って
ミナの頑固を祝福する

何年も枯れない花を愛でるひとのように

ミナ、@MinaMaeda、 誕生日おめでとう!
いえーい!


ガメ・オベール人格

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くだらないことをおぼえているのねー、と感心することがある。
くだらないこと、と言っては悪いに決まっているが、わしが書くブログは、現実については、ほとんど脚色なしで自分の身に起きたことを書く(そうでなくて、あれだけの量のお話がつくれたら正真正銘の天才である)ので、当然、細部は変えてある。

最近の数年は、ほとんどモニさんと一緒に時間を過ごすので、ときどき、この挿話は、こっちの記事ではモニさんの身に起きたことになっているが、こっちはガメさんの身に起きたことになっていますね、となかよしのお友達が言ってくることがある。
効果覿面、というか、そういう重複記事を書くと、一回に5,6人は来ます。

ふっふっふ、見たな、と考える。

昨日の「死語」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/06/17/leukemia/

の場合だと、こーゆー、3年前の記事「阿Q外伝」(←「阿Q正伝」のダジャレ)
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/11/05/q/
があって、「こっちだと、モニさんになってますね」と、むかしからのお友達が書いてきた。

長いあいだブログを読んでいる人は、当然、こういう例が無数にあることに気付くが、前から何度も説明してあるように「これは特定を避けるための約束ごとだったな」と判っているので、笑っているだけです。

 

ときどき頭が悪いトロルおっさんたちが鬼の首でも取ったように吹聴して歩くらしいが、バカな人はバカなので、もう相手をしてあげるのも業腹であるし、またあらためて説明するのもめんどくさいというか、第一、むかしは「おまえの家を探し出して門の前に隠しカメラを設置してやる」とか年中いってきていたトロル対策として気を付けるために始めたのに、トロルにトロル対策なんです、と述べてもおとなしく聴いてくれるわけがない。

細部を変える方法がない、例えば自分が出た大学のことなどは、だから初めからいっさい書かないことにしているが、蛇の道は蛇、おそろしいもので、むかしアカデミアの人に図星を言われて、ぶっくらこいてしまったことがある。
このときは、どうも、酔っ払って自分の大学を「コメディアン養成所」と書いたのがまずくて、イッパツでピンと来たものであるらしい。
出身大学に関係があるわけでもない日本の人なので、たいそうぶっくらこいてしまったが、念のためにいっておくと、マジな俳優も輩出してます。
ま。全体の傾向からいうと歴史的には無職者大量養成所ですけど。

いまでは筆名化しているが匿名にしたり、ビミョーにディテールを変えて誤魔化したりしているのは、単にゲームブログの昔から、そうしていて、いまさら違うスタイルにするのがめんどくさいということもあるが、なんだかそうしているうちに日本語のなかに「大庭亀夫またはガメ・オベール」という別人格が出来上がってしまったので、それでいいや、というか、日本語が実人生に干渉しないためには、そっちのほうが都合がよい、という発見をしたせいもあります。
書き出した頃は意識しなかったが、何年も経って、実人生とブログに記録される日本語版自我である大庭亀夫とのあいだに、かなり乖離が生じていなくもないいまになると、なんとなく、現実の可愛げがなくえばっている自分よりも、日本語のブログに記録される、ほんとうの姿であるが、描線が、ややマヌケな自分のほうが自分として好きなのでなくもない。

羞じらいもなくいうと、自分の一生は、物質的にも精神的にもうまくいきすぎていて、五分に一度は木に触ればならないほどで、労働は自分がどうしてもやりたいときにやればよくて、投資の方針が図にあたって、財産は増加する一方になり、リスクの係数がゼロに近付いているのに、勢いというものは怖いもので、ニュージーランドだけで税金を払うのは名前が広く知られてしまうという点で都合がわるくなった。
母親に似て、なんだか妙に生真面目な、この世の生き物だとはおもわれないほど美しい子供がふたりいて、天人にも五衰があるはずなのに、容貌と容姿とが一向に歳をとっていかない不思議な伴侶がいる。

おとなになるというのは、こういうことか、というか、昔すべりひゆたち古い友人に対してよく冗談で述べていた「温厚で成熟したおとな」になって、若い時にはおとなになると退屈なのではないかと思っていたが、まったくそんなことはなくて、朝起きてから、よし今日はこれとこれとこれをやって遊ぶぞと決めて、あるいは、なああああんにもしないぞ、と決めて、夜まで、あっというまに時間が経ってしまう。

日本語で考えたり、書いてみたりすることも遊びの一部に定位置を占めていて、他のことをやりながら、ときどき日本語世界をのぞいて、書き込んでみたり、他人がやっていることを眺めてぼんやりしていたりする。

最近は日本の人への親切心がゼロに近くなって、またしても羞じらいもなく述べると、ここまで来てしまったのは自業自得やん、さんざん人が心配して述べたことを嘲笑しておいて、いまさらなにゆーてんねん、どうでもいいや、とおもう気持ちが抑えられなくなって、おもしろげでなさそうなこと(例:共謀罪)は興味もなくて読みもしなくなったが、文化上のことや、食べ物や、日本語世界独特の、ちょっと壊れたような情緒が視界にはいると、ゆっくり相手をして遊ぶ。
そういうことになると、日本はまだまだ面白い文化をもった国で、へえええー、と思ったり、おおおおーと思ったりで、奇抜で、見ていてなんとなく嬉しくなってしまうようなことがいまでもたくさんあります。

英語のほうの人格はというと、もうほぼ固まりかけて来ていて、育ちがよくて裕福なおっちゃん(←自分で言っている)というか、家事は他人まかせ、仕事はどんどん有能な他人に割り振ってスカイプであれこれ話をしているだけで、ときどき、あちゃあ、なことが起きるが、なにしろ仕事の仲間のひとびとは、極端に頭がきれるひとびとばかりなので、あっというまに解決されて、どうしてこの状態で自分がボスなのか、まあ、帽子みたいなもんかと思ったりして、仕事は仕事で、どんどん成長していく。

そもそも就職したことがないのでCVは書いたことがないが、神様に「自分が得意なことを書きなさい」と言われたら、「うまくいっていることに倦まないこと」と書くのがよいのではないだろうか。

膨大な、と言ってもよいエネルギーと時間とオカネとが、主にモニさんの管理によって、貧しいひとびとや、人生ののっけから運が悪かった子供、クソッタレな人間に飼われてぶち捨てられた犬や猫、というようなものに注ぎ込まれているが、不遜なことをいうと、ときどき、人間の一生って、このていどのものなのか、とおもうことがある。

人間の一生なんてたいしたものではない、たいていの人間にとっては片手間で一生の成功などは達成できる、そんなものに夢中になるのはくだらない人間のやることだというのは家訓のようなものだが、ではどうすればいいか、という苛立ちは、イタリアまで娼婦のあとを遙々追いかけていった先祖のおっちゃんでなくても、わしでも持っている。

ダメな人間に、なぜ彼がダメであるか言って聞かせるのは、無駄というものだが、ダメな世界に、なぜ世界がダメなのか解き明かしてみせるのも、結局はムダな努力なのではないか。

子供の時にはモンテーニュの一生は、なかなか魅力があると考えたが、あるいは気まぐれを起こしてハーレーに見せないままで引き出しにプリンキピアをしまったままのニュートンの一生は良いかもしれない、と考えたが、人間の一生は有限であることによって永遠を憧れすぎるという欠陥を持っている。

永遠をみないことだ、と詩人は述べたが、あれは永遠が眩しいからではなくて、永遠がもつ価値は有限がみせている幻想にしかすぎない、と述べたのだといまさらになって気が付きます。

夢のなかで、霧のなかから忽然と現れた自分自身に「きみはいったいどこへ行くのかね?」と問うと、なぜ判らないのか、という顔で、「過去へ」と言う。
それ以上は問わなかったが、もし問うていれば、夢の中の自分は、未来というものへの深い軽蔑を語って聞かせてくれたのかもしれません。


変わりゆく英語世界

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時がたつにつれて、トランプ大統領の誕生は、少なくとも英語人にとっては「アメリカン・ドリームの死」と受け取られているのが明白になってきた。
ウォール街のゲートキーパー、ヒラリー・クリントンを嫌ってドナルド・トランプに投票した結果がトランプ大統領の誕生なので皮肉だが、政治では、憎悪のあまり反対の主張をもつ候補に投票した結果が、正気を欠いたドアホな選択になるのはよくあることなので、ものごとが生起する仕組みとして、判らなくはない。

連合王国のファラージュなどは、オチョーシモノらしく、やったあ、これで英語圏は続々と白人至上主義になって、もっともらしく経済やインフラストラクチャへの負荷を理由に、他文化圏からの移民しめだしに動くぞと算段して、毎日、あの下卑た大口を開けて笑いころげていたが、あにはからんや、カナダの可愛げのない御曹司トリュドーは軽蔑の色を隠さず、トランプたちが期待した、期待される資質十分のオーストラリアのターンブルも、まったく同調してくれなかった。

個人的にバラク・オバマの友人であって、選挙中から公式の席でもトランプは嫌いだと述べていたニュージーランドのジョン・キーは、もちろんで、ジョン・キーの盟友で、首相をついだビル・イングリッシュも、トランプへの敬意はまったくもっていないのが、歴然としていた。

多分、本人にとっては予想外の孤立のなかで出発したドナルド・トランプの思想的影響力にとどめをさしたのは、意外なことにフランス人たちで、マリールペンをゴミ箱に捨てて、本質的に極めてフランス的なエリートであるエマニュエル・マクロンを選ぶことによって、フランスの誇りを取り戻してみせた。

われわれは、みなフランス人たちに対して自由社会の産みの親としての強い敬意をもっている。
難産で、自由を産み落とした母親自身は生き延びられなかったが、フランスこそが現代の自由主義社会を産みだした国であることは、誰でも知っている。

マクロンの勝利が決まった夜、「よく頑張りましたね」という調子のイギリス人のインタビュアーに「あなたたちに自由主義を教えたのを誰だとおもっているの?
わたしたちフランス人ですよ!」と誇りをこめて、愉快そうに、高らかに述べているおばちゃんのことを、わしは一生忘れないだろう。

ドイツのチャンセラー・メルケルが臆せず堂々と述べてみせたように、ヨーロッパはトランプの頭の悪さと無責任な人格のせいで、安全保障上の危機に瀕している。
ヘビよりも残忍さと狡猾さの点でたちが悪いプーチンの腕を縛り上げていた縄をトランプが、ほいほいと、と形容したくなるような軽薄さで緩めてしまったからで、
トランプにとってはニューヨークのパーティ会場で出来たお友達たちが出身してきた遠い北の寒い国にすぎなくても、欧州にとっては現実の脅威であるロシアに対して、自分たちだけで対峙して身構えなくてはならなくなったが、引き替えに、欧州は再び自由の灯火として世界の人間が仰ぎ見る位置に登ろうとしている。

欧州の文明が、さまざまな文明史家、哲学者、歴史学者、文学者、詩人たちによって死を宣告されたのは1919年のことだった。
グレートウォーを通じて、欧州がそこに至るまで営々と築いてきた文明は、物質的にも精神的にも隅々まで完全に破壊されてしまった。

奇妙だが判りやすい例をとると、戦争の始まり、ピストルの撃ち合いに始まって、すぐにライフル、機関銃とエスカレートしていった空中戦の終わりには、イギリス・フランス兵とドイツ兵は、ほとんど必ず相手の顔を見にもどって、手振りで挨拶して、お互いへの敬意を表してから銘々の基地に帰るのを習慣とした。

1917年になっても、まだ、リヒトホーヘンの第1戦闘航空団は、リヒトホーヘンとフライングサーカスと呼ばれた、わざと目立つように赤や黄、原色の色とりどりの塗装をほどこした戦闘機に乗って、ほとんど「空の騎士団」の趣を呈していた。

しかし、もうこの頃には、地上では、後の第二次世界大戦と較べても、遙かに悲惨な、人間を殺傷するものなら何でもありの、人間の精神の限界を試すような戦闘が繰り広げられていた。

個々の人間の思惟や嗜好、志操の高さなど問題にしない文明という鋼鉄の爪が、人間性そのものを引き裂いて、戦場をのし歩くようになっていた。

やがて空でも、儀礼もなにもわきまえない「勝てばいいじゃん」「空の騎士なんて気取るのはくだらない」のカナダ人たちがやってくると、空中戦も文明から文明への変化に呼応して、無慈悲なものになってゆく。
リヒトホーヘンがカナダ人やオーストラリア人たちが見守るなかで戦死するのは1918年4月21日のことです。

欧州文明が、普遍性を失って、さすらい始めるのは、だいたいこの頃のことで、代わってアメリカが自由社会のチャンピオンの階段を駆け上がってゆく。

アメリカが産みだした文明の特徴は、まず第一に圧倒的な物質的な冨で、日本の人でいえば、山本五十六という、あとでアメリカを相手に真珠湾襲撃という、相手をあっといわせてひと泡ふかせるだけで、戦略的には殆ど無意味な作戦を指揮したひとは、ニューヨークの下町で、ビールを一杯頼めば、見渡すかぎりの食べ物が無料であるのを発見して、「こんな国と戦争をするのは絶対にダメだ」と肝に銘じたという。

このあとも、ほとんどまるまる一世紀のあいだ物質的繁栄を継続することによって、アメリカ人の「豊かさ」によって形成された精神は、国民性になって、それはどういう感じのものであったかというと、まだわしガキの頃は、田舎に行くと残映が残っていて、例えばシャンパンというイリノイの田舎町に行くと、歓迎の宴がひらかれたレストランで、1kgのステーキの固まりがテーブルに並んだめいめいの前に置かれる。もっと異様な感じがしたのは、イギリスならば一枚か二枚、そっと手にするソビエを、女のひとや子供たちも含めて十数枚わしづかみにして、使うことで、おまけに、なにしろオントレーもなにも巨大な量なので、レストラン中の人間が半分も食べられなくて、どうするのかとおもって見ていると、ドギーバッグもなにも頼まずに、ばんばん捨ててしまう。

いまは、もちろん、環境保護運動や、食べ物を大切にしましょう運動で、まったく異なるが、1990年というようなその頃はまだ、田舎にいけば、「アメリカ的気分」というのは、自分が必要とする量の二倍も三倍もモノを獲得して、過剰な物質にひたりきって、しかも価格など考えないで、どんどん手に入れる、というようなのが「アメリカ文明」の気分だったと思います。

一方では、それとまったく対照的な清教徒的な質素さは、カンザスやなんかに集住していた北欧系移民たちが強く保持していたが、アメリカの、はっきり言ってしまえば「醜い冨」は、もともとアメリカ文明の基盤をなすものだった。

そのなんともいえない卑しさに満ちた物質的繁栄の沼地からドナルド・トランプは現れて大統領になった。

よかったのは、トランプの「白い人がいちばん」の、幼稚で、しかし危険な気分がアメリカの外へ広がっていかなかったことで、連合王国は、多分、左側のポピュリストであって、わし友にいみじくも「結婚詐欺師みたいなやつ」と評されて、わしを大笑いさせたコービンに引き摺られる政治的な痴愚化が起きていることをみても、どうやら経済的な繁栄の終わりの始まりに立っていて、これからまた長い国有化とストによって停止する生活活動と、移民に対する敵意を隠匿した居心地がわるくなってゆくコミュニティの坂道を、ゆっくりとおりてゆくに違いない。
もともと人種差別的な傾向が強い社会なので心配されたオーストラリアとニュージーランドは、トランプが、両国の国民が抱いている「醜いアメリカ人」そのままの人格であることが幸いして、返って、反面教師になって、ほんとうは移民をしめだす機運だったのが、「ああなってしまっては、どもならん」で、冷静さを取り戻している。

もっとも、もともとのお国柄がお国柄なので、口にしないだけで「アジア人は死ぬほど嫌い、無条件に嫌い」な人は相変わらず多いのは判り切っているので、これが反移民運動になって爆発すると厄介なので、もっかは、数年というつもりで、主にアジア人の移民を制限することを目的とした厳しい移民資格制限を設けている。

英語圏はどこに行こうとしているのかというと、国家としてのアメリカは暫くどんどんダメになってゆくかもしれないが、多分、90年代の「ブロークンイングリッシュ文化」に始まったマルチカルチュラル社会が飽和に達して、それに対する悲鳴とでもいうような白人至上主義と国境主義の巻き返しが起きて、これから十年二十年という時間をかけて、いまの、まだこなれない多文化社会を定着させて、なんとか消化して、この平衡を保とうとしていくに違いない。

だいたい、普段の会話では、欧州、豪州を問わず、いまくらいの多文化配合でちょうどいい、というひとから、ちょっとアジア移民やアフリカ移民が多いかなあ、でも自分の生活の範囲では気にはならんね、このくらいは多文化社会をめざせばやむをえないだろう、くらいの広がりで、以前に較べると、「もっとどんどん移民をうけいれるべ」という人はいなくなった。
一方では「移民を追い出すちまうべ」というほうは、極右の怒号としては聞こえてくるが、こちらも普段の生活では耳にしません。

クルマの世話をよくお願いする腕のいい整備工のおっちゃんが、「自分のことしか考えないアジア人たちには我慢ならないねえ。あいつら永住ビザがあったってなんだって、犯罪を起こしたりすれば、どんどん追放して国に送り返せるようになってくれないと、不公平だとおもう。そう、おもわんかね、ガメ?」というので、
「2007年から法律が変わって、もうそうなってるみたいよ」と述べると、あらま、っと云うような顔をしていたくらいがゆいいつで、案外と淡々と暮らしています。
肌の色を問題にしていない、というよりも、気にしてない、いないことになっている、という人も少なくはない。

自分自身についていえば、新しい世代の移民が増えて、食べ物がチョーおいしくなって(←こればっかり)、経済は活性化されて、いままで、のおんびりだった欧州系人もシャカシャカと働くようになって、もっと移民にどんどん来てもらえばいいんじゃない?とおもうが、ま、正直に述べて、わしはチョー少数派で、意見を述べるたびに、「また、ガメはあんな無茶苦茶をいう」という反応でしかない。
そーゆー因循旧弊なことでどーする、とおもうが、人間には肌でなじんだ社会というものがあるので、やむをえないといえばやむをえない。

よく、「ガメ、そんなことばかりいうが、きみは90年以前の、あの、人間のぬくもりがあって、やさしい感じのするロンドンがなつかしくはないのか」と言われるが、幸福な子供時代を与えてくれた、みなが気心がしれていて、おとなたちの笑顔にあふれた昔ロンドンはたしかになつかしいが、そんなもん、いまさらグダグダ言ってても、お亡くなりになってしまった社会なんだからしょーがないじゃん、と考える。

日本語なので、こっそり言うと、オークランドやメルボルンでなくて、クライストチャーチを溺愛していたのは、あの街は実に20世紀の終わりまで昔のイギリスのあたたかみを残していたからだけど、英語では、たとえ口が裂けて、「わたし、綺麗?」のおばちゃんになっても、そんなことは言いません。
このあいだ、あのでかいマスクをした女の人は、貞子ちゃんとおなじ映画のキャラクタだとおもっていたら、ツイッタで相手と話がぜんぜんあわなくて、調べてみたら実在の人で、むかし話題になったようだが、それは閑話休題ネタであるとして、
わしは、こっそりクライストチャーチでイギリスのぬくもりを、ずっと後まで堪能したので、もういいのです。

じっと見ていると、ごく自然に吐き気がこみあげてくる、トランプの、これ以上ないほどの醜い顔と表情をみながら、このくらいなら、英語世界も、まだもう4.50年は保つかもな、とひとりごちてみる。

この次にくるのは、多分、「外国語としての英語で築かれた世界」で、その頃にはナイジェリアをはじめとして、世界に広がりはじめたアフリカ文明人が、バントゥに引き継がれて、「アフリカの世紀」がやってきていることだろう。
そうして、その揺籃は欧州であるはずです。

その理由や歴史的な必然性については、また、今度。


メルボルン

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メルボルンは南半球では、もしかしたらゆいいつの、ふらふら歩いていて楽しい町です。
ニューヨーク、東京、バルセロナ、メルボルン、歩いて移動する人間向きに出来ている町は、どことなく「居心地の良さ」の種類が共通している。

オーストラリア人には、多分、偏見なのだろうが、がさつで考えが浅いところがあって、いまもむかしもあんまり好きになれないが、資源と運に恵まれた国で、むかしから豊かな国だった。
そこにもってきて、例えば過去20年間のGDPの伸びをみると65%という恐ろしいような成長で冨を貯えて、ますます豊かになって、知っている人も多いと思うが、この20年間の長期経済成長は世界1位です。
余計なことをいうと、先進国中ただ一国、この20年間に二桁のマイナス成長を記録した日本と、わしガキの頃から、南北のふたつの国の盛衰を較べて見てきたことになる。
20年前は、いまだにオーストラリア人おっちゃんおばちゃんたちが根にもっているように、まだ日本人がたくさんいて、ずいぶんオーストラリア人を見下したようなことを言っていたが、あんまり愉快なことではないので、どんなことを言っていたのかは省略する。
おなじ20年間に、書いていてもなんだかちょっとびっくりだが、世界第2位の成長を達成したニュージーランドとともに、この20年間で日本とちょうど立場が逆になったことをしるせばよいだけに思います。

気に入った町には家を一軒は必ず買う、子供じみた癖があるわしは、当然、子供のときから馴染みがあるメルボルンにもToorakというところに自分のための家を一軒買ってもっている。
かーちゃんととーちゃんが持っている家の、ごく近くです。
ヤラ川の南で、むかしは日本人のオカネモチがたくさんいたところだが、最近は日本人の姿をあまり見かけなくなった。
CBDの最もおおきい駅であるフリンダースから小田急線そっくりの雰囲気の電車に乗って四つめの駅なので昔は下北沢と読んでふざけたりしていた。

Toorakがバブルライフスタイルの中心のようになって嫌いなムードになってきたので、この家はひとに貸すことにしたままいまに至っているが、入ってくる家賃をいまひさしぶりに見てみると、
すんごい金額で、もらうほうながら、こんなに家賃が高くてはやっていかれないのではないだろうか、と考える。
まさかいくらとは書かないが、一週間で10万円を遙かに越える金額です。

このToorakがあるサウスバンクとヤラ川の反対のノースバンクとで地域文化がかなりはっきり変わってきているが、近年は、どーだろーか、ノースバンクのほうが多分オフィス街があるせいで、地に足がついていて、文房具店ひとつとっても、ずっと店員が落ち着いている気がする。
小さな小さな伊東屋のような店で、当の、銀座の伊東屋の話をすると、案の定店員のほうでも数回でかけていて、あんな地上の楽園のような店はない、と、ふたりのいいとしこいた男で、うっとりと中空に視線を漂わせて話し込むことになる。
メルボルンやシドニーのようなオーストラリアの都会のひとつの特徴は、日本の黄金時代を知っているおっちゃんやおばちゃんが数多く住んでいることでもある。

伊東屋と書いて気が付いたが、メルボルンはどことなく東京に似た所がある町でもあります。
町全体が、ほのかにタタミゼしているというか、英語風ならばタタミナイズされているというか、店の品物の配置や、佇まいに、ときどき、びっくりするように東京風なセンスが感じられて、アジア的な町ということなら、シドニーのほうが全体にアジア的だが、日本の人にとってはメルボルンのほうが落ち着ける町であるような気がする。

「クビを傾げている長方形」のようなCBDを最近無料になったトラムで、まず北にのぼって、精確に言えば北北西にのぼって、Spring Stくらいを振り出しに、まずプロセコを一杯飲んで、モニさんとデレデレして、へらへらした顔になったら冬の冷たい空気を頬に感じながら、ゆるい下り坂を下りて、Little BourkeやLittle Collimsをぶらぶら歩く。
むかしからメルボルンには酔っ払いに来ているようなものなので、馴染みというか、勝手しったる店が数多(あまた)あって、午餐前からシャンパンを1本開けた朦朧とした頭でも、油断して閉まったままのガラスドアを堂々と粉々に割って入店するようなヘマはやらなくてすむ。

ときどき、ほんとうは前後不覚になっていても、ニソッと笑うと目のヘロさでばれてしまうが、見た目がまったく素面であるのと、モニさんというアルコールが入ってないときでも、ふたりでいるときには自動的にわし理性の役割を代行ではたしてくれる聡明な妻が傍らにいて奇妙なふるまいに及ぶとお尻をつねったりしてくれるので、規制が利いて、なんだかやや過剰にニコヤカなだけで、よく見るとニコヤカすぎてやっぱりヘンだが、ちょっと見にはただの機嫌がいい大男にしか見えません。

メルボルンはもともと戦後に、なにしろ金輪際食べられなかった鶏卵がアメリカ軍の放出で食べられるようになった喜びのあまり「スパゲティカルボナーラ」を発明してしまうほどのビンボで、本国では食える見込みがなかったイタリアから集団で大量の移民がやってきて住み着いた町で、そのくらいを皮切りに、欧州人のおおきなコミュニティが次々と出来て成り立っている町です。
あんまりよく事情を知らない人でも割と簡単に判るというか、例えばメルボルンという町では、バルサミコビネガーやオリーブオイルの大半が、ひどい場合はカノーラと混ぜてあったりするニセモノで、デパ地下のようなところでも、堂々とニセモノだけが並んでいる。
欧州デリでもおなじで、なぜそうなるかというと、オリーブオイルやバルサミコの輸入事業を地元に根をおろしたマフィアが牛耳っているからでしょう。
イタリア人が浸透して定着している町の常で、ちゃんとマフィアのファミリーが存在する。
マフィアの家業のひとつはオリーブオイルとバルサミコで、
そういうところは、やや、ニューヨークと似ていなくもない。

マフィアがいる町の通例で、観光客や暢気なオーストラリア人からは酷い味の料理を出してぼりまくるが、おいしい店もあって、Hardware Laneのような観光客でごったがえすレストラン街でも、む、むにゃあああ、とおもうくらい美味しい料理を出すイタリア料理店が存在する。

こーゆー感じ。

もっともモニさんとわしは、食べ物は、もっぱらフランス料理で、たまには実名で書くと、Bistro Vueなどはご贔屓の店と言うも可なり。
ツイッタでお友達を羨ましがらせて悶絶させるために載せたのは、ここの料理だった。

このタタールステーキも

そうして、ウッシッシ、天国のチョコスフレも

名物の行列がなければ、通りかかって、The Hardware Societeのようなフランス朝食を出す店で、むやみにちっこい椅子に腰掛けて、やはり小さくて低いテーブルにマウンテンゴリラのようにおおいかぶさって、ウッホウッホウホッホ、と舌鼓を打ちながら幸福になることもある。

(もっとも。このポークベリーとコロッケは、家の料理の人やモニさんが作るもののほうがおいしかったんだけど)

アンチョビやコロッケの南欧料理がおいしいのもメルボルンという町のいいところで、小皿の料理を頼んで、あっちでプロセコ、こっちでカバ、数ブロック先でシャンパンと、バークロールをして、二万歩も歩くと、今日はなんという健康的な一日だったろうと感動する。

表面には、というか、当の中国の人達にはまったく不可視だが、反アジア人感情は、残念ながら圧力釜のなかのようで、多文化主義の建前が抑えつけてはいるが、
メルボルンの友達と会うと、東アジア人、特に中国系人に対する反感はたいへんなもので、これがあのオーストラリアでいちばんマルチカルチュラルであると謳われたメルボルンかあ、とがっかりすることが多くなった。
むかしから、わしが出かける先は、なぜか白い人ばかりで、シンガポールにいてさえブルースコンサートで、「シンガポールて、こんなにたくさん白い人がいたのね」と思うくらい欧州系人で充満していて、メルボルンでも、オペラ調に翻訳した「マイフェアレディ」や、なんだかテレビの刑事ドラマじみたて格調もなにもありゃしない、ひどく出来が悪い「マクベス」や、行くところ行くところ白い顔ばかりが並んでいて、アジア人のひと、ほとんどいないじゃん、どこへ行っちゃったんだろうね、とモニと話していたりしていたが、Bourke Streetに行ってみろというので、日本なら新宿か、店が並ぶBourke Streetに出かけてみたら、なるほどアジアの人がどっちゃりいて、ああ、なるほど、これのことを指してアジア人の洪水とかゆうてはんねんな、と納得したりした。

納得しはしたが、だからなんやねん、というのがわしの感想ではあって、オーストラリアもニュージーランドも、より一層アジア系移民を減らすために新しい移民政策をまたぞろ作成しているが、地図を広げて見たらんかい、というか、
自分の国の地理的位置をまったく失念しているらしいところは、やる気になれば泳いで渡れる狭い海峡を隔てたEUからの離脱を決めて、「きみたちは、ひょっこりひょうたん島という日本の話を知っておるかね。島ごと大西洋を西に移動できるとでも思っているの?」と大庭亀夫先生に皮肉を言われた連合王国人と瓜二つなのだと言われている。

地図みてみいよ。
きみらが「ほんとうのオーストラリア人」とか「ほんとうのニュージーランド人」と、たいして考えもせずに述べて、ここはわしらの国だと息巻いているが、その故郷なる土地は地球の反対側にあって、地図を見ればオーストラリアもニュージーランドも、アジアの国だとしか言いようがない。
だいいち話してみればすぐに判るが、アジア移民も三代目、早ければ二代目でも、すでに英語人で、オーストラリア人で、単に皮膚の色と体格体型が異なるだけで、欧州系人となにも変わらない。

オペラやシェークスピアにうつつを抜かして、酔っ払って、小皿叩いて、ちゃんちきアリアを歌ったりする(←判らない人は三波春夫を学習するよーに)のは楽しいが、それが「ほんとうのメルボルン文化」であるわけではない。
イタリア文化やフランス文化、イギリス文化や、レバノン文化が流れ込んで、ぐるぐるとCBDで渦をなして、酔っ払いでろくでなしの欧州系人や、朝少しだけ早起きして他人より稼ぐ中国人や、鼻っ柱がやたら強くて意地でも自分の間違いを認めない中東人や、いろいろな人が、いろいろなものを持ち込んで新しい文化を産みだしかけている。

メルボルンは、ロンドン、トロント、ニューヨーク、ロサンジェルス、…世界にいくつか存在する多文化センターのひとつで、どの都市もそれぞれ異なるありかたで、まったく文化が異なる者同士のあいだに起きる相互作用が、どうすればポジティブにクリエイティブに働いて、どうすればお互いの嫌悪や否定につながらないように出来るか試行錯誤している。

いま世界の自由社会は敗退に敗退を重ねていて、地図を見ても、個人主義や自由主義が生き延びているのは、ごく僅かな地域でしかない。

わし友は、「なんだか古代ギリシャにもどったみたいだ」と皮肉を述べていたが、そのとおりで、息も絶え絶えというか、後退戦の繰り返しで、わし友でも中国の若い優秀なひとびとは、「民主主義などは、結局、人口が少なかったかつての欧州で生まれた幻影にしかすぎないのではないか?
西洋的な価値に、未来において人類を生き延びさせる現実性はあるのか?」と議論をふきかけてくる。

メルボルンのHardware LaneのCampari Houseの屋上には青空の下でワインが飲めるバーがあるが、そこでテーブルを囲んで、巨大な人口を抱えた地球のうえで民主主義が現実に有効であるかどうか、たたみかけるような議論を挑む、でも真剣このうえない若い中国人たちのことを思い出す。

ガメ、きみは間違っている。
これからの世界では自由主義はただの贅沢にしかすぎない。
誰かが死ななければならない世界で、死ぬのは中国人であってはならないんだ。
人間の平等というが、どちらかが死ななければならないのなら、それは他民族でなければならない。
そのためには、中国に自由主義が蔓延るなんて、とんでもないことなんだよ。
西洋人にとっては都合がいいだろうけどね。

そーゆーものなのかも知れないが、いまは興味がない。
まあ、ワインでも飲みなよ。
マオタイもいいが、オーストラリアのシラズはうまいのね。
こういうことはさ、きみみたいにただでさえスピードのある知性を全開にして考えちゃダメなんだよ、きっと。

ゆっくり、思案する。
Little Bourkeでハシゴして、酔っ払って、中国もイギリスもアメリカも、なあーんにも区別がつかなくなったら、ふたりでラリーしているんだかラリッているんだかの言葉の往復運動のなかから、意外な名案が顕れないとも限らない。

なんとかなるさ。
ミサイルが飛び交いだす前に。
根拠なんて、なんにもないんだけどね


二目と見られない未来

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第一報は、「荒天下での単段ロケットの発射」だったが、だんだん判ってくると、二段式ロケットの発射で、実験に影響するほどの嵐ではなかったようでした。

北朝鮮のミサイルは、もっか、ふたつの解決すべき問題を抱えていて、以前から述べているが、お温習いをすると、
ひとつは、大気圏再突入における姿勢制御、もうひとつは核弾頭の小型化と量産化です。
両方ともに専門家の意見が分かれていて、もっとも厳しい評価をくだしているロシア人たちは、北朝鮮はどちらの技術的な難関も解決に至っていない、という立場、NASA系やシンクタンク系、あるいはアメリカ軍系のアナリストたちは、実はてんでばらばらで、両方とも出来てしまっているのだと述べる人もいれば、どちらも出来ていないという人もいて、いや見ればわかるじゃないか大気圏再突入技術は確立されているのさ、というアナリストがいるかとおもうと、冗談じゃない、大気圏再突入というのは、もっとたくさんデータの積み重ねがいるということをきみは知らないのか、と憤慨している。
CIAなどは小型核弾頭の完成を祝賀した北朝鮮のパーティの写真を指して、金正恩のいうことは信ずるに足る、と述べる。
あんなの、ただのモックアップの木型なんじゃない?と反論する核専門家がいる。
「だって、小型核弾頭をすでにもっているのだとしたら、地下核実験のデータの説明がつかないじゃない」

韓国勢になると、「あの地下実験データは水爆実験を巧妙に偽装しているのだ」という人までいて、最後の水爆説をなす奇特な人を別にすれば、この侃々諤々の人々は、いずれも元NASA研究者、元国防長官、CIAの極東アナリスト、ジョージタウン大学系シンクタンク…と錚々たるメンバーで、日本でよくいる、「わたしはきみたちと違って軍事経験がある専門家だが」と述べて、とんでもないトンチンカンなことを述べ続けている、たいていは「元自衛隊員」の予想屋おじさんたちとは異なって、見識によって敬意をもたれている人々なので、つまりは、「さっぱり、わかんねえ」が正直な気持ちなのでしょう。

 

過去の戦争が国家的な野心や征服欲によって起きたのに較べて、現代の戦争は誤解と偶発によって起きる。
誤解と偶発を防ぐための情報の共有が、いまの平和とは到底いえないが世界全面戦争は70年にわたって避けられてきた最大の理由です。
キューバ危機に見られる絶体絶命の全面核戦争のピンチをすでに1962年に持ちながら、どーにかこーにか、やっとこさ核戦争を回避し続けて、ヒロシマ・ナガサキ以来、70年の長きにわたって核戦闘が起こらず、フランス人たちが述べた「核の脅威による人類全体の失語症、言語の意味の喪失」の世界から、われらの「なんにもしないおじさん」バラクオバマの演説に象徴される「核廃絶」への動きに至って、胸をなでおろしかけたところにあらわれたのが、ドナルドトランプでした。

このおっさんの最大の特徴は頭が悪くて考えが粗雑なことで、自分で堂々と認めているとおり、本を読むことと考えることが大嫌いなこの老人は、政治教養そのものが大統領に就任するまでの、インテリの極右狂人である家庭教師のスティーブバノンとの対話だけで出来ている。

イスラム教徒のアラブ人は悪いやつらだからやっつけなければいけない。
まともな人類は白色人種だけだから有色人種は区別して扱わなければ道理にかなわない。
日本人や中国人のようなマネだけが上手で、はしこくて、狡い人間たちに盗まれてきたアメリカ合衆国の冨を奪い返すのは自分たちの使命である。

以前に書いたとおりバノン自身は、さらに向こう側の黙示録的思想の持ち主で、核兵器よりも危ないおっさん

バノンという厄災
https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/02/01/steve_bannon/

だが、トランプのリアリティショー頭で理解できたのは、だいたい、有色人種とイスラムは悪い、わしつおい、そのうえ、えらい、くらいのもので、その先にまでバノン思想の理解が到達した徴候は見られない。
可愛くてたまらなくて、ハグするのにお尻に手を回したりしているので、「ほんとは近親相姦なんじゃない?」とまで言われた娘の婿はんが、シェークスピアが悪意で絵に描いたようなユダヤ人であることの影響もあるでしょう。
トランプの人種差別は欧州人の人種差別よりもずっと単純なもので、
ユダヤ人でも東欧人でも、白ければえらい、色付きはゴミ
という歴史上初の単純を見せている。

このやたら頭が粗雑なおっさんが判っていない政治上の常識のうち、日本人にとって最も危険なのが、軍事という棍棒は相手に見えないように上衣の下にこっそり忍ばせておくからこそ有効なので、頭の上でぶんぶん振り回して威嚇すると、たいていは弾みで戦争になる、という人間が長い歴史を通じて、痛い思いどころか何千万人という死者を生みだしたあげく、やっと理解できるようになった事実で、どうやら現状は、ぶんぶん振り回してみたあげく、不思議にやあるらむ、北朝鮮は全身を緊張させて、にらみ返し、中国は「核戦争になったって、おれたちの責任じゃないよ。これは日韓米と北朝鮮のあいだだけの問題じゃん」とそっぽを向いてしまって、その結果、世界中の人間がぶっくらこいてしまっていることには、話全体が誰もひとりも望んでいない北朝鮮と日本・韓国・アメリカ連合軍との全面戦争に向かっている。

以前から散々述べてきたように、戦争経済の皮肉というべきか、北朝鮮は通常兵器による戦争を戦うにはあまりにビンボなので、最も安上がりな破壊兵器である核ミサイルをぶっ放しまくるほかには方法がない。

中距離ICBMを高々と打ち上げて近距離核ミサイルとして使われてしまえば、イージス艦による防御などは夢のまた夢で、まして、いままでの戦闘でミサイルの筐体は撃墜できても、返って、弾頭はあらぬ方向に落下して爆発するのが常で、中東では「民間人殺し」とまで言われたパトリオットなどは、低い弾道で飛来するミサイルに対してすら、いっそ撃たないほうがマシな程度の防御力しかない。

昨日、英語紙と日本語記事への翻訳を見較べていて、日本語版では綺麗さっぱり該当の箇所が削除されているので笑ってしまったが、いまの諸条件を見渡して、全員が合意して、なんでもいいから新しい突破口を探さなければ、と焦っているとおり、現況では少なくとも韓国・日本の相互の連絡が全く悪い、まるで仇同士にしか見えない「連合軍」と後ろ盾のアメリカと、アメリカが全く計算にいれていないことには、戦前の日本人の気質そのまま、撃ちてし止まんで、民族の性質として戦争になってしまえば、無我夢中で国家的にアドレナリンを全開させて、文字通り最後のひとりまで徹底抗戦して玉砕することしか考えていない北朝鮮との戦争は、避け得ないコースに入ってしまっている。

奇蹟的にブレークスルーが出来るとすれば、G20くらいが山で、予想もしなかった名案があらわれなければ、当初の予想の5年後どころか、今年にもアメリカの先制打撃によって戦争は始まってしまいそうです。

日本語社会は悪い癖で、真実を隠蔽して、英語記事まで、どういう理由によるのか改竄して、英語記事に較べると奇妙に短い記事になっていたりしているが、ふつーの日本人にとって、節目節目を見分けて緊張する方法がなくはなくて、例えば一例をあげると、「次回空母が朝鮮半島にもどってくるときは絶対に危ない」や、これは実は昨日現実になってしまったが、アメリカと韓国が実弾ミサイルを発射して北朝鮮を威嚇しはじめると危ない、というような、いくつかの目安があって、政治の話などはいくら書いていても退屈で、楽しくないので、この辺で今日はやめたいが、またそのうち元気がでたら書いてみます。

アメリカが「中国から北朝鮮への強い圧力」と呼んでいるのは表面には出ないが実際には人民解放軍が国境を越えて北朝鮮に地上侵攻する姿勢をみせろ、という要求を含むものであるようで、中国が頭から強く否定しているのは、だから、つまり、「バカも休み休み言え」というアメリカの常識のなさへの怒りであるに過ぎない。
ありきたりの外交知識に拠る人は「そんな中国にもアメリカにも利益にならないことをトランプ政権がいうわけはない」と言うだろうが、トランプには、中国にゴリ押しの圧力をかけて人民解放軍の国境への集結を強要する理由があるようです。

最も現実性が高い筋書きは、アメリカの「ピンポイント攻撃」による先制攻撃が起きる → 報復としてソウルへの重砲・ロケット砲群による一斉砲撃と東京・在日米軍基地に対するミサイル攻撃が即座に起きる、と全員がほぼ一致しているが、戦争は「専門家」の予想を常に越えて、あるいは言い換えると、日本の人は自分たちが1941年の12月にやったことを思い出せばわかる、専門家の常識を越えた着想をえたときに、それによる一種の興奮が支配層を衝き動かして起きる事が多いので、例えばアラスカまでの飛翔距離を延伸すればミサイルが到達できる、アメリカ太平洋艦隊の根拠地、真珠湾へのミサイル攻撃を北朝鮮が企図するというような奇想天外があるのかもしれません。

だから、どうなるのかは、作戦起案者以外の誰にも判らないが、ひとつだけ現状で確からしいことは、書いていても信じられないし現実感が湧かないが、戦争が避けられなくなったらしいことで、溜息どころではなくて、どうするんだ、おい、と言いたい気持ちが起きてきます。

神様も、異常気象で頭がおかしくなったのかもしれません。



日本とのつきあい

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いちばん初めのブログ記事から、10年たつのではないだろうか。
たった6行の記事は、ためつすがめつ、何度も読んで、どこにも不自然な日本語表現がないことを確かめて、あまつさえ、義理叔父と従兄弟にも廻覧して、丸一日かけて書いたものだった。
ガイジンぽい言い回しや間違いがあるほうが「ガイジン」という特殊カテゴリの人類が存在する日本語の世界認識ではうけるのは判っていたが、そういうことは嫌で、特に日本語世界で人気者になろうというつもりで始めたのでもなかったので、当時から見るからに地方語化して、普遍性を失って、相対化された日本語を見る立場にあった者には明らかに瀕死の言語だった日本語を自家薬籠中のものとして、日本人の生活とはいったん切り離したものにしてしまえばいいと目論でいた。
いわば、日本語ではなくて自分語を創造しようといういたずらっ気で、ここまでずるずる続けているのだと思います。

この奇妙な試みには、予期しなかった副作用があって、日本では戦後民主主義の感覚が死んで、もうすぐ民主制が機能をとめるだろうとか、日本人には悪い癖があって、なにもかも知っているつもりで、英語ではcut cornersと言う、一見はむだに見えるのかもしれない手順を省いて、端折って、大事に至る社会のくせがあるので、東海村の臨界事故を見ればいい、そのうちに原発事故が起きるだろうとか、近くは、アベノミクスは傍目には失敗するに決まっている経済政策であると述べて、バルセロナの連合王国人経済学者の論文を紹介したりして、いろいろと議論の材料を提供してきたが、不幸なことに日本には「はてな」という、極めて日本的な、わしの目には悪んだろくでなしの、ごつきじみた屁理屈おっさんやおばさんの巣窟にすぎないが、日本ではリベラルコミュニティの中心ということになっているらしいものがあって、主にここから、文字通り何百何千というトロルが集団で襲来して、というよりも驚くべき事に、特有な執拗さと薄気味悪さまるだしで、いまだに根気よく中傷しつづけているが、ニセガイジンの合唱という反応で、日本人である自分たちのほうがいかに英語が得意かというほかには反応がなくて、まったく議論にならなかった。

その結果、まさか日本の現在に少しでも影響があったとは自惚れないが、議論もなにもなしに、原発は予想どおりぶっとび(といっても公正を期すためにいうと、わしが爆発するだろうと考えていたのは「もんじゅ」だったが)、トリクルダウンという遙かな昔に実証的に、社会としての痛みとともに否定された考えを日本人の経済音痴につけこんで持ち出して、保守系の経済学者には、「おまえは日本政府にカネをもらったのではないか」とまで言われたクルーグマンの「ノーベル経済学賞受賞」という後光に包まれた「ま、日本は特殊だからもしかしたらうまくいくかもね」のひとことに目がくらんで、ひれ伏して、日本の、なにがあってもやじろべえのように経済と財政の安定を取り戻す抜群の回復力の源泉だった年金と個人預金をあらかた注ぎ込んで日本の経済体力を根底から破壊したアベノミクスを出袋することになっていった。

神のいない経済社会について ゾンビ経済篇
https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/01/07/isgoddead/

そーゆーわけで、議論にもなにもならなかったが、こちらからすると、それはいわば日本人側の問題で、わしの知ったこっちゃないというべきか、知っているのに、なにも言わないと寝覚めが悪いだろうと考えて、やれるだけのことはやっていこうと思っただけのことだったので、別になんとも思っていない、ではひどいが、日本語にあまりいれこんだ日などには、なんだか頭が日本人風になって、怒りや失望を感じるが、部屋をでると、憑き物が落ちたように日本語が落ちて、あれ、あの感情はいったいどこから来たのだろう?と訝るていどのもので、ちょうど悪夢から覚めた人のように、こんなことを述べてごめんだけど、「そーか、わしは日本人じゃないんだった。日本人でなくてよかった」と胸をなでおろしたりしていた。

福島事故は過去のものになって、あれほど精確に事態を把握して気を付けていたはずのオダキンたちも、鮨や刺身を楽しむようになって、福島産の食べ物も、わざわざ「食べて応援」しなくても、流通して、普段に食卓に供されるようになっている。
それはそうだろう、とこっちも思うので、日本人の忘れっぽさということではなくて、そのくらい鈍感にならないと原子炉のメルトダウンが起きて、そのままほっぽらかしな、とんでもない島で、毎日の生活なんて出来はしない。

もっとも、ここから見ていると、現在進行ちゅうの出来事で最も日本にとって厄災であるのは、健康だけでなく、文化への悪影響の点でも、というのは日本語から真実性を奪いつづけて存在自体が文化の絶え間ない破壊力として働いている点でフクシマ事故だが、「これで日本も大丈夫!次の選挙で自民が大勝して、アベノミクスで大復興」と世の中を挙げて騒いでいたただなかで、ニセガイジンと冷笑されながら、ひとりでぶつくさこいていたアベノミクスも、あたりまえだが、実体産業の育成ゼロという、日本社会の口ばっかりで地味で実質的な努力はなにもしたがらない、ナマケモノ体質をそのまま反映した、ぶざまな性格で、いままで積み上げた社会の留保金を使いはたして、結果としてかつては無敵無病息災の優良児ぶりを誇った日本の財政は絶体絶命の窮地に陥ることになった。

見ていると、日銀総裁や首相は、そろそろ退くときがきたのを敏感に察して、
「自分は正しかった」ということにしたいのでしょう、台湾沖航空戦を思い出せばよいが、なけなしの有り金を株式市場に注ぎ込んで、株価を維持して、「勝った勝った、また勝った。勝たんでもええのに、また勝った。バブル景気以上の未曾有の大繁栄!」と述べて、英語世界からは「とうとう頭がおかしくなったのではないか」と訝られている。

これもしつこくしつこく零細ブログ(←このブログのことね)が述べてきた、平和憲法を捨てると現実の外交世界において日本は戦争に巻き込まれることになる、というほうも、書いている本人が、「もうさっそく戦争に巻き込まれちゃうのかあー。はやいね」と呆れるほど効果覿面、早速にアメリカにどんと背中を押されて、飛んでくる核ミサイルを受けて立つ「アメリカの盾」の役を買ってでることになった。

憲法第九条の終わりに
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/14/wherepeaceends/

原発がぶっとぶのも、民主制を失うのも、財政的に破滅の淵に立つのも、経済が瀕死の床に伏すのも、あるいは、いつ核ミサイルが飛んでくるかもしれない戦域下の国になりはてるのも、
だからゆーたやん、とも言えるが、そういうことは言っても仕方がないことであって、どちらかといえば、どれもこれも当時からわかりきったことであったのに、なぜ現実に破滅するまで突き進みたがるのか、そっちのほうの理由を切に知りたいと考える。

この零細ブログがいまでも、細々と、というよりももう少し実情に即していうと、へろへろへろと続いているのは、josicoはん (@josico)という名前の、といって、当然本名を知っているが、日本語みたいに、アホな勘違いおっさんが言語の地平の見渡すかぎり控えている言語世界で、うっかりjosicoはんの現実をばらしてしまうと、ミツワに群がるように日本の人がたくさん住んでいるオレンジカウンティに住んでいるので、危ないので言わないけれども、ゲームデザイナーの友達が書いた一通の手紙が原因で、ここまで何百とあらわれた、主にはてなから襲来するアホおやじたちにげんなりしても、日本語と日本の人への信頼が保たれているのは、最近は日本人はもう廃業したと称しているが、わしジーンズを半分に切ってもまだ長すぎる足の短さからしても日本人たるを免れない義理叔父と、従兄弟と、josicoはんの存在によっている。

josicoはんは初めて会ったときは、日本の某大手ゲーム会社に勤めていて、英語ゲームを通じて知り合ったが、ある日突然、もう日本にいるのは嫌だからバルセロナに行ってタコ焼き屋を始めるのだと言い出した。
2008年くらいのことだったと思います。
結局、タコ焼き屋は、先にグラシア地区の、わしアパートの近くで先に始めてしまった日本の人達がいて、行ってみると、アルゼンチン人のにーちゃんが、あいよっと、見事な手際でタコ焼きを焼き上げていて、ニューヨークのイーストビレッジの「福ちゃん」だったか、ラティノにーちゃんの見事な手際と甲乙つけがたくて、これは競争が厳しいのでやめたほうがよいと判断されて、わしの相も変わらずちょーテキトーな思いつきの提案にしたがってjosicoはんはブライトンの英語学校に通って、一時は仕事がみつからなくて、ビルのお掃除おばさんならなんとかの事態に立ち至ったが、神様は勇者を好む、急転直下で、マネージャーの態度に腹を立てて目の前で椅子を蹴っ飛ばして抗議するという自分の職業ごと蹴っ飛ばすようなjosicoはんらしい向こう活きを示す事件があったりしたあと、いまはアマゾンでゲームデザイナーをやっていて、このあいだは、やったー、グリーンカードもらったぜー、これで故郷の大阪にビザの心配をせずにタコ焼きを食べに行ける、と喜んでいた。

josicoはんは、友達なので、わしとまるで考えが異なる人で、政治上の考えも異なるし、第一、フットボールみたいな、いいとしこいたおとなが半ズボンでボールを追っかけ回すお下品なスポーツの熱狂的なファンで、最も肝腎なPCゲームの趣味さえ異なるが、友達というものは、そーゆーものです。

あれから、イタリアで20何年か主婦を続けているすべりひゆ@portulaca01は、相変わらず、よく訪問販売に来ていて仲がよかった「イタリアでは暮らしにくいのでドイツに行く」と述べて、それまでの厚誼を謝して去ったアフリカ人のにーちゃんは今頃どうしているだろーかと案じたり、息子が大学に入るかどうかハラハラしたりしながら暮らしていて、ずいぶん前から、すっかりイタリア主婦で暮らしているし、いつか「ブログで読んでおもしろそうだったから行ってきた」と、あっさり述べて、全然あっさり言って着けるようなところにない、スペイン・ガリシアのド辺境にある洞窟に出かけていって、洞窟の真上にある山のてっぺんでクロマニヨン人たちの生活について物思いにふけったりしていたチドリ@charadriinaeは、

Cueva de El Castillo
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/21/cueva-de-el-castillo/

また欧州のどこかの、ついに白状しなかった潜伏先からフランスにもどって、紹介すると自動的に本名がばれてしまうので初めにだした本(フランス語で書かれている)を紹介するのは控えるが、次に出版する子供向けの本を書いているのだろう。

10年たてば、個人の生活はおおきく変わる。
いや、そのひと自身がおおきく変わってしまう。
自分自身を考えても、子育てに専念した期間の最近数年間も含めて、英語人としての実生活は、おおきく変わってしまった。
ときどき、日本語で書いているうちに、なんだか日本語の大地の上で一人歩きしはじめてしまった感がなくもない日本語人格であるガメ・オベールが日本語を書いているのを見ると、「おぬし、若いのお」と思うが、 仕方がないというか、わし日本語は生活において使われることがない特殊日本語なので、その日本語のなかで人格を獲得しているガメ・オベールが、わし自身なのは間違いなくても、なあああんとなく、考えにおいて甘ったれていて、ちゃんと年齢を重ねていかないのも、あたりまえといえばあたりまえなのかもしれません。

日本語を通してみえる世界は、日本自体がもう遠い記憶のなかにしかないせいで、なつかしくて、ぼんやりしていて、時間のなかに滲(にじ)んでいる。

人形町の路地で低い空を見上げていた日本にいた最後の冬

Hurdy Gurdy Man
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/

や、夜更けの森をモニとふたりでよく散歩した軽井沢の夏

山の暮らし
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/07/25/karuizawa/

思い出すよすがとして、写真を撮って、日本語でブログを書いておいて、よかったとおもう。

甲羅を経て30代も半ばになれば、世の中を渉るすべにも熟達して、例えば人間の好悪を判断するくらいのことでも、顔をみれば、どの程度の倫理感を持っている人間であるかくらいは判るようになってしまう。
若いときのように、周囲の状況が目に入らずに闇雲にパワーを発揮するということはなくなってしまうので、ほんとうはバカヂカラのタヂカラオになれば、サッカーで0-6で負けているときでも、無茶苦茶のバーサークで、7-6で勝ってしまうようなこともあるのかもしれないが、そんなことはなくなって、0-3くらいになれば、今回は、もう、ちょっとあかん、と無意識に頭が「手抜き命令」を発して、グラウンドを駆け抜ける速度も、0.3km/hくらいは遅くなるのではあるまいか。

一面、おとなになるということは自分が住む社会において「壁」をなすということでもあって、この頃は若い人と話すことが多いが、若いひとびとは会う度に工夫して、苦心惨憺して、わしという壁に体当たりしてくるもののよーです。
ふっふっふ、ワカモノよ、その程度の理屈で壁がへこむと考えるなんて、あまい。
金沢の落雁より甘いやつめ、と考えるが、テニスのラケットを手に、家のレンガの壁にボールをぶつけて遊んでいた頃は、まさか壁というものが自分にぶつかってくるものを跳ね返して楽しんでいるものだとは知らなかった。

おとなになるということには、自分よりも若い、まったく異なる考えの人間が増えてくるという、年々増大する楽しみを持つことでもある。
なにもアドバイスを求めて言ってこなければ 眺めて、うふふふ、そーゆーやりかたじゃダメなんじゃない?と考えて、黙ってみているが、話して理解できる能力がありそうな若い衆に聞かれれば、「そんなんじゃ無理よ」と応えることもある。
狡かったり、ナマイキだったり、自分をおおきく見せようとしたり、若い人はみなそれぞれ魅力があって、唇をかみしめて悄気ていると、まさかほんとうにやりはしないが、肩をだいて、元気だしなよ、と言いたくなるときもあります。

人間であることは、なんという良いことだろうとおもうが、その思いを重層的にしているのは日本語やほかの外国語で、うまくいえないが、ひとつの言語でしか考えない場合には見えないものがいつも見えているような気がする。
その「可視化された本来不可視のもの」には理屈だけではなくて、情緒が含まれ、感情が含まれ、世界をおおう色彩のようなものまでが含まれる。

日本語の森にはいっていくと、いつのまにか、頭から爪先までが日本語になって、鏡さえみなければ自分が日本人になるときがある。
そういうとき、時間の向こう、遙かな過去の遠くから、ゆっくりとした声で、ぎょっとするほど美しい声が聞こえてくることがあります。

あれが自分がめざしてきた日本語なのだな、と直感する。
その声がする場所にたどりつくまで。


爪先立ちの世界

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地下鉄をおりて、ゆるやかな坂道をあがっていくと、バルセロナでいちばんおいしいハモン屋があって、冬の朝、でっかいコートを着込んだ近所のおばちゃんたちが、舗道にだしたテーブルで、蜂蜜を塗ったクロワッサンとカフェコンレチェでの朝食を前に、話し込んでいる、おいしいパンを焼くベーカリーがあって、その先の急坂を右に曲がってしばらく行ったところにぼくがバルセロナで初めて買ったアパートがある、という話を前にもしたことがある。

だだっ広いテラスがある屋上の家で、夏に暑いのでバルセロナのひとたちはペントハウスのピソ(アパート)など買わないのだと知ったのは、ずっと後のことだった。
そのテラスに、テーブルを出して、パンコントマテをつくって、「バルセロナでいちばんおいしいハモン屋」のおっちゃんが、裏のハモン庫へ連れて行ってくれて、この豚がいい?これは、脂は多いが、とてもおいしいんだよ、と一個ずつ説明して売ってくれたハモンイベリコを皿に並べて、カバを開けて、もみ手をしながら遅い朝食を摂ったものだった。

遠くには、まだその頃はクレーンが3基か4基、まわりに立っていたサグラダファミリアが見えていて、テラスの手すりの近くのほうまで歩いて行って右をみると、遙か遠くに丘のうえに立つ携帯電話用の中継塔が見えた。

おもいだすと、なつかしいなあ、とおもう。
考えても、信じがたいことだが、最後にバルセロナにでかけてから、もう4年が経っている。
病みつきになるVichy Catalanをやまほど積み上げて、飲んで、Cavaやワインを一日中ちびちび飲む生活から、ずいぶん遠いところに来てしまった。

あのピソはグラシアといっても、ほんの下町で、近所の人はやさしい人情家ばかりで、毎日楽しい暮らしだった。
すぐに顔をおぼえて、ずいぶんスペイン語が上手になったね、グラシアは気にいりましたか?
今度、広場の近くにできたバーに行ってみた?

ああ、あの頑としてカタロニア語しか喋らない人間たちのレストランのことだね。
気にしなくていいんだよ。
あのひとたちは、いわば過激派で、外国人とみれば仇のように考えるひとたちだからね、と述べて片眼をつぶってみせたりしていた。

ときどき、なぜいまこの瞬間に自分はバルセロナで暮らしていないのだろうと訝しくおもう。
なぜ、生まれてからずっとおなじで、もうとっくの昔に飽きがきている、退屈な英語社会で、庭師たちのブロワやヘッジをトリムするチェーンソー、あるいは掃除の人たちの高圧放水機の音、延々と芝を刈る芝刈り機の音を繰り返し聴いて暮らしているのか。

育児に専念したかった。
北半球は、どうもおかしい、turmoilが来そうなので、連合王国や北米は離れて、オーストラリア/ニュージーランドに拠点を移すのにしくはない、と考えた。
まだ生きている海があって、ハウラキガルフに潜ってみれば帆立貝がカーペットをなしていて、水面近くを泳いで陽光にきらきらと輝いている魚群の下を、キングフィッシュが、ゆったり泳いで交叉してゆく。
海の美しさは息を飲むようで、これほど美しい海は、もうここにしか残っていない。

理性的な理由はいろいろあるが、感情はまた別で、モニとふたりでワインを飲んでいても、バルセロナの革命広場でフランス国歌を歌っていたフランス人のホームレスのおっちゃんや、多分日本人の、画家風の、何十年もバルセロナに住んでいる人の足取りで、あきらかに酒に酔って赤い顔をして、ふらふらと広場を横切ってゆく、背の高い老人のことをおもいだしては、なつかしいね、どうしてこんなに懐かしいのだろう、とふたりで不思議がることがある。

いっそ魂も肉体もふたつあれば、片方はヨーロッパにいてもらって、片方は南半球で、それぞれのよいところを楽しんで暮らしてもらえる。
大陸欧州とオーストラレイジアという、いまの世界の、ふたつの楽園で、つつがなく遊び暮らして、楽しい一生をまっとうできる。

ところが、モニにしても、自分にしても、肉体も魂も1セットしかないので、難儀をすることになる。

時間とオカネが両方ふんだんに欲しかった。
富貴の増大をゲームにして、興奮によって働きづめに働いて成功の快感にひたって暮らしたり、逆に時間をたくさんつくるために、つつましい生活を心掛けたりするのは、どちらも趣味にあわなかった。

人間には、もうひとつ知識欲という厄介なものが若いときには特にあって、やむえをえないので極く若いときは、阿片に中毒した人のように数学ばかりにのめりこんで、自分がめざした小さな発見に到達するまで大好きな勉強に埋没していた。

数学などは30歳になっても「感じ」がつかめない人はダメで、さらにいえば自分が狂っていた分野などは、はっきり言って20代のうちになんらかの新しい価値に邂逅しない人間は、ぜんぜんダメなただのシューサイで、研究ではなくて研究者の肩書き付きの生活そのものや、大学の教員をめざすのならともかく、ふつうはそんな生活に魅力を感じないでの、ちょうどよいというか、驚く友達や先生を尻目に、人よりもだいぶん若かったのをよいことに、さっさと足を洗って、第二回戦で、20代でなければ出来ないことをやろうと考えた。

居直って述べると、オカネは別に自分でつくらなくとも、親にゴロニャンをすればいいだけでも手にはいったとおもうが、偶然の幸運で、転がり込んで、慌てて凍死術を勉強して、途中で目がさめてしまうとエイリアンに襲われるのかもしれなくても、世間目には「凍死家」というものに化けおおせることにした。

やってみると実はこれは罠で、投資というものはゲーマー魂に訴えるところがあって、意馬心猿の人生になりそうで危なかったが、モニさんという聡明な魂に出会って、世の中には細部の光に満ちた生活という人間の一生で最も面白いものがあるのを教わった。

つまりは、ここまでが、いわば前段の粗筋で、これからどーしよーかなあーと思ってる。
先週、きみに話したとおり、ぼくはこれから2025年くらいまでの世の中に、よい展望をもっていない。
下余地、という、経済の指標ひとつとっても、不景気を恐れすぎた結果、世界中の経済が背伸びをする結果に陥っていて、例えば英語世界では未曾有の失業率の低さが話題になっているが、そしてそれはもちろん良いことだが、誰でも知っているとおり、失業率が低いことの一般的な問題は、実は失業率がそれ以上低くなる余地がないということのほうで、なんだかマンガじみているが、歴史上の大きな不景気の直前は、低失業率であることが多かった。
金利もおなじで、アメリカも日本も、かつては20%を超えていた金利が、どんどん下がってきて、いまは0%に限りなく近付いて、地を這うような金利で、これももう下げる余地がない。
そうやってひとつひとつみていくと、株式のPEでもなんでも、壁におしつけられたような余地のなさで、いわば爪先だちでぐらぐら揺れている経済繁栄のなかで、きみもぼくも暮らしている。

そこにさまざまな理屈をつけて「xxxだから大丈夫」と言っているが、きみもぼくも、よく承知しているように、それはただの気休めで、累卵と言う言葉を連想させるいまの経済繁栄の危なさは、ソフトランディングを望める状態は、とおの昔に過ぎてしまっている。

そして、この、世界中で積み上がる、すさまじい借金!

オカネに患わされるのが嫌なので、ぼく自身は借金をしたことがない。
同業の友達には、ガメは原始経済のひとだから、と笑われるが、借金ほど不可視で危険なものはない。
銀行人が聞けば卒倒するだろうけどね。

きみもよく知っているとおり、いまの金融クレジット理論をつくったのは、きみもぼくも個人としてよく知っている、彼らだったが、いろいろな人間と議論を繰り返して彼らは数学的な理論として組み上げていったが、ウォール街あたりで、知ったようなタームをふりまわしている猿みたいな金融のひとびとは、そんなこと、実は何も理解していないんだよ。

例のCDOが典型だが、自分達が犯罪に手を染めたことすら理解していない。

そういう金融人たちの頭が悪い上に浅薄でおそるべき無責任な体質と、中国を流れの中心、しかもブラックボックスで中身がまるでみえない中心としたオカネの奔流との組み合わせでプロパティマーケットがどうなったかというと、例えばニュージーランド人のホームローンの総額は、バカバカしいことにGDPの二倍を超えている。

一方で、核戦争に情報共有と寡占化の圧力をかけまくって、21世紀初頭には、廃絶が考えられるところまで来た核兵器の脅威は、よく考えれば簡単な理屈で、「技術開発をどんどん進められる自信があれば、他国のいうことなど聞かずに進めてしまえば誰にも止められない」理屈を発見した指導者や独裁者の手によって、どんどん進められて、まず北朝鮮の手によって日本は戦域化された。
多分、いまの動きを見ていると真珠湾が核ミサイルで攻撃される可能性がはっきりしたところで、アメリカは韓国と日本の、初めの24時間で、国境に展開する12000門を数える重砲の通常弾頭による砲撃だけで のソウル近辺に限定しても42000人の死傷者だっけ?
それに短距離ミサイルによる在韓基地周辺と、核ミサイルによる東京と在日基地への攻撃で、いったいどれだけ人が死ぬのか判らないが、トランプにとってはアジア人の犠牲とハワイへの核攻撃では較べるのもめんどくさいことで、太平洋の防衛線をアチソンラインに戻すことを覚悟して、北朝鮮との全面戦争に乗り出すに違いない。

このシナリオ、どっかで見たことあるとおもったでしょう?
ぼくは何を思ったか日本語でも書いたことがあるんだよ。

ヒラリー・クリントンの奇妙な提案
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/hillary-clinton/

つまり、アチソンラインに戻すのは、ヒラリー・クリントンが国務長官だった頃に、日本の捕鯨を利用して反捕鯨を南太平洋関係諸国の精神的な核にまとめ上げた、巧妙な「将来のための万が一外交」で、これは図にあたって、それまでアメリカとは軍事国交断絶といってもいいくらいで、かろうじてオーストラリアとのアンザック同盟を通じてアメリカと軍事的な連絡を保っていたニュージーランドと、正常な軍事外交を回復することに成功した。

いまでは、アメリカの最も機密性が高い情報収集は最も安全なニュージーランドで集中して行われていることは公然の秘密であるとおもいます。

それやこれや、いろいろなことを考えていると、北半球は危なすぎて、南半球を根拠地にすることは当面は変えられないことにおもえてきて、モニに聞いてみると、はたして大喜びで、どうも仕方がないとおもう。

オーストラリアやニュージーランドの政府の人間や政治家たちと話して見ると、問わず語らず、国ごとゲートコミュニティを目指しているのかと揶揄したくなるくらいで、当面は移民を大量受け入れする成長よりも社会の保障らしい。
中東の人やアジアの人には、どんどん敷居が高くなって、また退屈な社会に逆戻りしそうにみえなくもない。

書いてきて、くたびれたので、もうこの辺にします。
なんだかヨーロッパに戻りにくくなってしまったよ。
一年のうち、3〜4ヶ月はいるだろうが、そのほかのときは、オーストラリアとニュージーランドで、ふらふらしていて、ときどき2ヶ月くらい、タヒチ、フィジーやニューカレドニア、サモアやトンガへ、たまにはヨットでも出かけてヘロヘロしているくらいではないだろうか。
こっちからあっちへ行くのは、素人みたいなヨット乗りでもいけるが、帰ってくるのは難行なのはきみも知っているとおりで、業者に頼むといくらかかるんだろうと見積もりをとったら二万ドルだって。
バカにしてるよね。

さっそくトンガの人と会って、話を聞いたら、「トンガは魚は釣れませんよ。海の水が綺麗すぎて、魚を釣ろうとすると目があっちゃって、お互いを見つめ合ってるうちに逃げちゃうんですから」と言うので笑ってしまった。

これから暫く、世の中はたいへんそうだけど、お互いに、落ち着いて観察して、ダメ頭を回転させて考えれば、なんとかなっていくものだろう。
きみがいつか言っていたように、どうせお互いにたいした人間ではないのだから、せめてもお互いをおもいやって、同じときに地球に乗り合わせたもの同士、文明の力に頼って、やっていくよりほかにない。

そうだそうだ。
このあいだきみが言っていたペリカンの新しいインク、すごくよかったんだよ。
ゴールデンなんちゃらとかいう。
オレンジ色がとてもよくて、この次のモニさんへのラブレターはあれで書くつもり。

パーカーの見た目は万年筆だけど、ほんとうは新発明のヘンテコな筆記具もすごくよかった。

今度、オークランドに来たら、アマナでプロセコをおごるよ。
もうすぐマレーシアとシンガポール、それと例のあの国に出かけるけど、10月の終わりには帰ってくるつもりです。
空港まで、正式に販売が始まるので今度はテスラで迎えにいけるかもしれない。

では、また。


死者の吐息_1

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全体に灰色で、ところどころおもいだしたように色がついている遠い記憶のなかで、ぼくは神保町の交差点に立っている。
日本には何度も行ったので、滑稽なことに、目を凝らしてみても、自分が子供なのか十代の終わりなのか、はっきりしない。
子供だとすれば、そんなところにひとりで立っているのだから、なにかの用事で、坂の上のヒルトップホテルという小さなホテルに母親と一緒に立ち寄ったのかもしれない。

義理叔父が気に入っていて、叔母が忙しくて日本にひとりでいるときには、ときどき館内案内に出ていない六階にただひとつある、まるで隠し部屋のような、モーツアルトの自筆楽譜や、高価なオーディオセットに囲まれた部屋に一週間も二週間も泊まっていることがあったから、面会に、ときどき母親と一緒にでかけた。

おとなの話などは退屈なので、母親と義理叔父が60年代風の制服を着たウエイトレスが給仕する一階のコーヒーショップで話をしているあいだ、坂をおりて、漱石が卒業したのだという碑がある小学校の脇をとおって、小川町へ出た。

その頃はまだ日本語の本を手にとってみても読めるわけではなかったので、多分、一誠堂や北沢書店に足を伸ばすか、近所のアメリカ人が経営する浮世絵のギャラリーでコーヒーをおごってもらったりしていたのではないだろうか。

日本は、とても不思議な国だとおもう。
例えば数寄屋橋の交差点を二階から眺めていると、ふと、この国はほんとうは現実に存在しているわけではなくて、ただ心象としてだけ存在しているだけで、読みかけの本に目を戻して、また窓から外をみると、そこには「日本」として見覚えていた町とは、まるで異なる町並と、姿も表情も異なる人びとが歩いていそうな気がすることがあった。

道を渡っていても、通りの向こう側にいかにも所在なげに立っているひとびとは、みなこっちを見ていて、じっと見つめていて、それなのに、信号が変わって通りの半ばまで渡ると、ひとびともビルもなにもかもがかき消えて、自分自身は突然明け方のベッドで目を覚ましていそうな気がする。

なにもかもが、どことなく現実感を欠いていて、表情が乏しく感じられたり、風景でさえ、どこか微妙に細部を欠いているような気がしてたまらなくなる。

子供のときには、よく、日本という国はほんとうは心のなかにだけ存在する幻影で、「こうでありえたかもしれない人間の社会」を過去からやってきたひとびとか、そうでなければ次元が異なる宇宙からやってきたひとびとが演じてみせている一種の仮想的な劇場なのではないかという空想を楽しんでいた。

その奇妙な思考の習慣がどこからやってくるかは判っていて、アボリジニ人を追い立てて、砂漠に「放って」、狩猟の対象にしたり初期コロニアルオーストラリア人や「神の名において」アラブ人の嬰児を虐殺して剣先に刺して並べたりしていた十字軍の物語を、忍び込んだ父親の書庫で読みすぎて、子供なりに、すっかり西洋文明に嫌気がさしていたぼくは、この世界のどこかに「この文明ではない他の文明」が存在することを切望していた。

ジョン王の国を夢想するのはさすがに無理でも、どこかに人類が見落としている文明があって、人間の欠陥だらけの世界にも意外なヒントが眠っているのではないか。

一見、西洋のモノマネで出来ていて、そつなくマネしてはいるが、ただ西洋文明の同工異曲にすぎないように見える日本の文明は、おおきな候補のひとつで、実は意匠として西洋を採用しているだけで、薄皮をペリペリと剥がすように、やはりどことなくインチキくさい西洋を剥がしてみると、その下からはまったく西洋文明の想像がおよばない、見たこともない文明が息づいているようにみえることがあった。

例えば、能楽というものがある。
歌舞伎は欠伸の連続で母親のお伴をさせられるたびに閉口したが、能楽は、あっというまに時間が過ぎ去るほど好きだった。
物語の内容は拍子抜けするほど通俗であるのに、足運びひとつとっても強く非現実的に演出されていて、全体を包む緊張は、到底この世のものではない。

いつか書いたように、日本に来たばかりの頃に、時差ボケで眠れないまま両親と夜更けの奈良公園に出かけて、暗闇でふとみあげてぶっくらこいてしまった金剛力士像がある。

先生について教わった日本刀、取り分け古刀の圧倒的な美があって、いまでは世界に有名な兜と鎧の造形がある。

ところどころ見え隠れする「見知らぬ日本」は、まるで生き物のように強い生命力で感じられて、それがどうしても過去のものに見えないことで、惹きつけられたのでした。

日本の人は視覚芸術にすぐれている。
いま、この瞬間にも草間彌生は造形しつづけているが、芸術の活動も、あんなふうになると巫女としてミューズの降臨を助けているのと変わらない。
詩人の言語能力が詩人の手をむんずととらえて彼/彼女の理性が思いも寄らなかった表現の高みに詩を運び去ってしまうように、日本の視覚芸術家の目は、画家の手におもわぬ形を描かせてしまうように見えることがある。

あるいは変わった例をあげると、日本の映画や物語は、たいてい過剰な感情や情緒が盛り込まれていて、そこから腐ってゆくが、かろうじて踏み止まっている例を考えると、映画「鉄道員」は、物語の真の哀切さが亡霊の心にあるものであることによって陳腐な人情物語であることから救っている。
意外に思う人が多いと想像するが、あの「鉄道員(ぽっぽや)」という映画は、英語人やフランス語人に熱狂的なファンを持っているが、熱狂の焦点が日本の人とまったく異なるところに特徴がある映画でもある。

そういう事情は能楽や小泉八雲の物語を眺めて行くと、さらに明瞭になって、実は西洋並みの物語と比較して死と生の価値が入れ替わっているところに日本の文明の特徴はある。

生は仮の姿であるよりも、むしろ無価値なものであって、日本文明が価値を見いだすのは、そのささやかな生の世界を囲繞している圧倒的に巨大な死の世界のほうなのであるように見えます。

古代マヤ人の文明にも蹴球が存在して、社会のなかでスポーツであるよりは遙かに高い桁違いの価値をもっていた。
当然、その勝者は社会の最大の称賛を一身に集める存在だったが、その栄誉の授与の表現は勝者の首をはねることでした。
死によって、彼の栄光は完成した。

今日は、もうこれくらいにするが、例えば西洋文明の尺度では単なる集団サディズムにすぎない武士道が社会のなかで美学として、あるいは極端な場合には倫理規範として機能するためには、では社会の現実はどんなふうでなければならないかを考えることは、いまの日本の殆ど生活のすべての局面に及ぶ価値の倒錯をよく説明する。

この次は、実は日本の文明においては死は生の一様態で、生は死になりきれなかった人間の存在の在り方であって、そのことがどんなふうに生の文明である西洋文明の受容を誤解の連続に終わらせて、いま向かっている破滅へ日本を運ぼうとしているかを考えたいと思っています。


三島事件へのメモ

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四谷駅から、麹町とは堤を挟んで反対側の、外堀通りの坂をおりてゆくと、靖国通りと合流するところで、市ヶ谷総監本部がちょうど左側に見える。
東京の電車に乗るのは、地下鉄にしろ、JRにしろ、人間がぎっしりで全然無理だったので、東京にいたときは、タクシーか歩きか自転車だったが、飯田橋に出るこの方角に行くときは、快適なのでよく自転車で出かけた。

ちらっと左側を振り返るたびに、あれが三島由紀夫が割腹自殺したビルだよね、と飽きもせずに、性懲りもなく考えて、いったいどういう事件だったのだろう、と1970年に起きた、その風変わりな事件のことを反芻したものだった。

三島由紀夫という人は、デビューが早かったせいもあって、戦後文学であるよりも戦前の文学者群に連なっている。
谷崎潤一郎の世代の絢爛たる日本文学の空気を、戦争をはさんで、戦後にまで持ち越した人です。

「三島由紀夫の詩的な文体」と書いた人が以前に存在して、首を捻って、それはいくらなんでも逆だろう、と思ったりした。

島崎藤村は、詩人から小説家に変身するにあたって、詩的言語では散文がつくれない、あるいは散文の美が形成されないことを発見して、「千曲川のスケッチ」という、日本の近代文学のなかで五指にはいる素晴らしい文章を残している。
若い頃にはすぐれた詩人だった藤村が、やはり詩人で、親友だった北村透谷とおなじ運命をたどらないですんだのは、藤村が散文と詩の言語を峻別したからであるのは、あんまり文学の素養などなくても、両方を較べて読めば、かなり簡単明瞭に判ります。

三島由紀夫はそこから、さらに一歩散文側にすすんで、詩的でない表現であるどころか、中期以降は、すでに現実の日本語社会では死語になっていた表現を、螺鈿細工のように鏤めることによって、世にも美しい文章を残した。

その選択が意識的なものであったことは、川端康成たちの証言を読まなくても、ごくごく初期の幻想小説である「煙草」のようなものを読めば、これも簡単に納得できます。

三島は戦後文学の、どの系譜にも属さないことによって、孤独な地位を保っていた。
思想的には、流行らないどころか、とうの昔に奇矯とみなされていた天皇国家主義者だったが、ダヌンツィオ的な美学上の政治嗜好であったことは、楯の会の制服のデザインひとつみても判る。

案の定、正統右翼の日本人達も、扱いに困って、イロモノ扱いで、まあ、作家先生のやることだから、わたしらのような根っからの右翼には判りません、というような発言が多く残っている。

案外と、当時でも三島由紀夫の「政治的主張」なるものは、彼の文学の一部だとみなされていたようでした。

初めて読んだ三島由紀夫の小説は、英語版の「春の雪」で、ものすごく退屈な小説で、いったいなぜこんなものが英語でも日本語でももてはやされたのだろう、とひどく訝しんだのをおぼえている。

そのあと、というよりも、そのずっとあとで、「近代文学同人」のような戦後文学を、日本語の勉強のために欠伸を噛み殺しながら読み進めていて、吉行淳之介の、真に底意地の悪い「スーパースター」という、バーでみかけた三島由紀夫を、孔子を嘲笑う長沮・傑溺よりもさらに質が悪い皮肉な目で描写した短編小説を読んで、ふと興味が蘇って全集を買い込んで片端から読み始めて、だんだんに惹かれていって、ひと夏が終わる頃には、偉大な小説家と認識するようになっていた。

三島由紀夫の小説は、挿話がたくさん詰め込まれている。
一場の情景が完結的に描かれて、焚き火の前で着衣を脱ぎすてる海女や、炎上する金閣とともに、読者の心に長く残る印象を刻印する。

なかには、文学史に残る、という大時代な言い方をしたくなる、唸るような挿話があって、取り分け、極めて薄汚れた事件を描いて、汚濁した穢れの美を描く後期の三島の常套手段は、その、作家の人間性への絶望の深さに由来する巧みな希望のない暗黒の美で、虜にされるのに十分だった。

公刊時、ほとんどまったく、と言ってよいほど評価されなかったらしい四部作に観察者の知性そのものとして現れる本多繁邦は、清顕の転生を見届けることを役割とする弁護士として、戦争を生き延びるが、社会的信用の絶頂で、公園で覗きをはたらいているところを、「覗き仲間」の裏切りによって警察に逮捕される。

自他共に「選ばれた者」として振る舞う透が、単なる相対的に他にすぐれているだけのニセモノに過ぎないと判ることよりも、読んでいて、三島由紀夫という人の世界への絶望の深さが実感されるのは、こちらのほうで、世界というものの底意地の悪さ、邪さ、冷然と人間の美性を葬ってみせる三島由紀夫の才能の冴えは、言葉は適当でないが、読んでいてうっとりさせられる。

あるいは、こちらは有名なシーンだが、勲が夢見たテロリストとしての昇る太陽の輝きのなかでの死は、現実世界では、目的もはたせないまま、惨めに追いつめられたドブネズミの死でしかなくて、死の瞬間に「赫奕と昇る太陽」は、自刃の刃をつきたてた瞬間に瞼の裏に見える幻でしかない。

一貫しているのは、ストイックに空をのぼりつめて、羽根の蠟を太陽の熱に熔かされて地面にたたきつけられて死にゆくヒーローたちの唯美的な精神の緊張は、彼らの内心にだけ存在する美で、周囲の人間の目には、ちょうど神風連の、電線の下を通るときには、不浄をさけて、扇を頭のうえにかざして、明治の時代の文明開化人たちの失笑と冷笑をかった神風連に似て、軽侮の対象の、滑稽な狂気にしかすぎないことでした。

手違いのなかで最もおおきかったのは、総監部のバルコニーに立って演説をする前の自衛隊員たちを集めよと述べた要求書に「各部隊別に整列して静聴すること」という当然の一項を加えることを忘れていたことでしょう。

バルコニーのうえから、神風連風の拘りによって拡声器の使用を拒んだ三島由紀夫は、懸命に演説を試みるが、報道新聞社のヘリコプターと、あるいは三島由紀夫の滑稽な大時代に笑い転げ、あるいは戦後民主主義の世の中に自衛隊によるクーデターという素っ頓狂なアイデアで憲法改正への実力行使を訴える、「なんにも判っていないお坊ちゃん小説家」への「引っ込め」「バカ」「キチガイ」の悪罵で、演説がなにを述べているのかも聞こえず、二時間の予定をたった10分に縮めて、総監室に引っ込まざるをえなくなります。

ふりかえってみると、三島由紀夫は、あの滑稽な死を初めから判っていて、計画して演出したのだとしかおもわれない。
小説家のすぐれた美意識は、世人の冷笑と嘲笑、ひそひそと交わされる「バカなのではないか」「やっぱり小説家の政治意識なんて、あんなものさ」という声を、決行前から聴いていたのだとしか考えられません。

胸を張り、通らない声をはりあげ、あまりの滑稽さに若い資材部隊の隊員たちの笑いものになった、左翼知識人たちに、おもいきり罵らせて溜飲をさげさせた、荒唐無稽な、それでいて現実をありのままに見る目を持つ人間がみれば、そこに投げ出された現実は、まるで、浅薄なものをすべて浮き彫りにさせてやまないような、床いっぱいに広がった大量の血液の海であり、ごろりと転がったふたつの生首と、血の臭いとともに部屋の空気のなかに漂う、極限の苦痛であるという、印象がちぐはぐな事件でした。

戦後の歴史を、手負いの獣の足跡を追うように、事件まで追いかけてきた外国人にとっては、三島が文字通り生命を賭けて嫌悪したものは、アメリカの過剰投資によってもたらされた、おもいもかけぬ繁栄が生んだ、日本の社会の弛緩した精神であり、全体主義社会にとっては殆どそれだけが人間が人間たる拠り所になるはずのストイックな精神の欠如であったことは、ほぼ自明なことでした。

言い換えれば、個が全体と対峙して拮抗することによって生まれる、個々の生の欲求の緊張で成り立っている自由社会の、意匠だけをまねて、国家社会経済主義がうまく過剰投資のツボにはまることによって生じた空前の経済に驕って、最低限の真摯すら失った異様な社会への三島由紀夫という人の絶望の表現だった。

救いがあるとすれば、「そんなことを言うなんて、おまえも反動で、ほんものの自由主義者ではないのだろう」と罵られながら、案外とたくさんの文学者が、三島由紀夫の反逆劇の本質を見抜いていたことで、曖昧な低い声であっても、明瞭に、「狂っているのは三島ではなくて世の中である」と述べている。

ドナルド・キーンは事件が三島文学の論理的に必然の帰結であると遠慮がちに書いているし、いつものレトリックの竹細工のなかから小林秀雄は、事件に心を動かされた自分の魂の反応を訝っている。

面白いのは森鴎外の孫で、「話の特集コミュニティ」とでもいうべき雑誌のまわりをめぐって付き合いがあった森茉莉で
「滑稽な日本人の状態を、悲憤する人間と、そんな状態を、鈍い神経で受けとめ、長閑な笑いを浮べている人間と、どっちが狂気か?」

と述べて、このあと80年代90年代を経て、いまに至る、日本特有の薄笑いに満ちた狂気をはやくも明快に予言している。

三島由紀夫は思想などというものはどうでもよかったので、過去の遠くの押し入れから、手頃なものを引っ張り出してきて使っただけだったが、言語に手をひかれて自分でも思考をこえた見知らぬ場所に連れて行かれた鋭敏な言語感覚のほうは、このあとの日本の、あまりたいした理由のない傲りと自惚れで自画自賛を繰り返す、社会としてまるごと鈍感で弛緩した未来を、すでに知っていたようにみえます。

三島を狂人扱いして、文学者としては成功したのに思想家・政治家としては評価されなかった異常者の社会的栄達を願った劣等感の裏返し、という事件への評価が定着していって、自衛隊の最高責任監督者防衛庁長官であった中曽根康弘は制服組責任者の益田総監に「自分には将来がある。退職金を二段階引き上げてやるから、おまえが責任をとれ」と述べて「詰め腹」を切らせ、おどろいたことに自分はいっさい責任をとらなかった。

生き残った3人の学生は、まるで日本社会の側からの事件の批評の要約のような罪名で起訴されます。

嘱託殺人、傷害、監禁致傷、暴力行為、職務強要。

ベストセラー作家が引き起こした一幕の茶番として戦後史に記憶された事件を調べてみると、意外なくらいたくさんの「戦後」に関わる現実の様相が眼前にあらわれて、歴史の書き換えは現実の歪曲によるよりも事実の観念化によって引き起こされることのほうが多いのだという、単純な教訓を思い出させられる。

未亡人が公表に激怒したという作家の生首の写真を眺めながら、日本の「戦後」は、いま考えられているものとはまるで違う手触りのものなのではないかと考えると、なんだか、どこまでもぼんやりした気持ちになってしまうようでした。


マクドナルドとレイ・クロック

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Ray Krocというひとには昔から興味がある。
いうまでもなくマクドナルド帝国を一代で作り上げた人だが、52歳になるまで、やることなすことダメで、しかも理由は傍目にはあきらかで、ビジネスアイデアをからきし持てず、取り憑かれたようにたいしたことのないアイデアに夢中になっては、周囲の失笑を買う体の人だった。

伝記映画「The Founder」にも出てくるが、すがりついている信条はただひとつで、「才能と人間の成功は関係がない。persistenceがすべて」という、身も蓋もないことをいえば、1950年代当時の自己啓発セミナーにいけば、どんな講師も述べることを、ただ親鸞が法然の教えをひらすらに信じたように信じていただけで、そういう言い方をすれば、信念の持ちようにいたるまで凡庸な人だった。

自分に才能とセンスがあると思い込んでいる人間は、十中八九失敗する。
簡単なことで、自己に対する批評能力の持ち合わせがある人間が、20歳をこえて「自分には衆にすぐれた才能とセンスがある」とおもいうるなどということはありえないので、つまり鏡に映った自分の顔を評価する能力を欠いているだけのことだからです。

自己に対する批評軸を持てない人間に成功のドアを開けてやるほど世の中は親切にできていない。

 

幸い、わが光輝あるドビンボパートタイムゲージツカ時代や徒弟アカデミア時代に知り合った、やたら鼻っ柱が強かったり、自分が天才であることを理解できない世の中を呪って罵倒していたりした仲間達は、みな大半がゲージツカから芸術家に表記が変更されて、今度は「世の中なんて、あまいもんじゃん」と恐ろしいことを述べているが、もちろん視界の隅には死屍累々、自称天才の生きた屍が山のように積み上がってもいて、その冴えない死体の山は、あんまりたいしたことがない20ワット電球くらいの才能を、世にも稀な太陽の輝きと錯覚した人間によって主に占められている。

一方で自己評価能力を完全に欠いた「自分には天賦の才能がある」と頭から決め込んでいる天才というものも存在しないことはなくて、誰でも知っている例を挙げればモーツアルトやピカソがそうだったが、そういう人間には25歳前にはどんな条件でも頭角を現しているという厳然たる事実があって、そうでない自称天才は、オックスフォードやケンブリッジ、MIT、ハーバードに行けば山のようにいるが、どれも二束三文の秀才で、頑張れば准教授かうまくすれば教授で研究職にはとどまれることがあるが、やっていることの価値からいえば、まとめて薪にしてログバーナーで燃やしてしまったほうが世の中のためであると言えなくもない。

学問以外でも投資のような仕事をしていると、自薦他薦の天才あるいは天才風にもたくさん会うが、話してみるのは面白くても、能力や着想そのものは、「あんた、その程度で突出していると思っていたらあかんがな。どんなに上手な絵でも、残念ながら才能の光がない絵は、他を引き立てる「地」にしかなりまへんで」と述べたくなる人ばかりで、言っても聴きやしないのはわかっているので、せいぜい礼儀正しく「なるほど、わかりました」としか言わないことにしているが、ドアが閉まったあとに、さて、ああいう人は、これからどんな一生を送るようになるだろう、と不吉な予想をめぐらすことはある。

Ray Krocの成功の原因は、初期においては、マクドナルド兄弟と出会って、Ray Kroc自身では決して持ちえなかったレストランのキッチンの合理化、それまでは20分は優にかかっていたハンバーガーを、待ち時間30秒で、より高い品質で提供するというアイデアとスピード調理に特化したカスタムキッチンという、アイデアを実現する方法をもっていて実際に成功した店を運営していた兄弟に出会ったからだった。

ためらうマクドナルド兄弟を、持ち前の熱弁で説きつけて、自分をフランチャイジーにすることを認めさせます。

そうして数十店規模のマクドナルドハンバーガーチェーンを成功させたところで、今度はHarry J. Sonnebornとの邂逅によって、レストラン事業がビジネスモデルであったものを、マクドナルドの名声と人気を使った不動産開発業へとビジネスモデルを変更して、それがマクドナルド帝国の原動力になってゆく。

余計なことを書くと、ビジネスに興味がある人には、ここがちょっと面白いところで、このマクドナルドの不動産開発によって莫大な収益をあげてゆくビジネスモデルを、元のレストランビジネスに戻して日本でマクドナルドを展開したのが藤田田で、実際、ビジネスとして眺めると、扱い商品と名前はおなじでも、アメリカと日本のマクドナルドでは全く異質なビジネスであることは、よく知られているとおもいます。

あくまで、良心的な「おいしいハンバーガーをだす店」にこだわるマクドナルド兄弟を、オカネモウケのための足手まといと感じだしたRay Krocは、ありとあらゆる手で商標権を兄弟からまきあげようとする。

兄弟の兄のほう、Maurice McDonaldが病気で倒れたりしたのをきっかけに、2.7Mとマクドナルドの売り上げの1.9%をロイヤリティとして払うことを条件にRay Krocは、晴れてマクドナルドの商標を手に入れる。
Krocの自伝や、映画では、描き方を和らげてあるが、現実には相当ずるい手を使って商標を奪取したことは、契約に明記されていないことを口実に1.9%のロイヤリティは、結局、いちども払わないで終わったことを記せば十分でしょう。

アメリカのプラグマディズムには、現実に適用されるときに現れる面白い側面があって、例えば、どこの師団でも編入を拒否したアフリカンアメリカンの兵士たちを、将軍たちのなかで積極的に受けいれたのは北欧神話を信仰し、軍隊のなかでは人種差別主義者の権化のように思われていたGeorge Pattonで、びっくりしているアイゼンハワーに述べた「ドイツ野郎を皆殺しにするのに役にたつなら、白くても黒くても、おれは気にしない」という科白は有名になった。

当時、就業機会に恵まれなかったユダヤ人やアフリカンアメリカンや女の起業家たちを、Ray Krocは、フランチャイジーとして、どんどん受けいれていきます。

経営技術的には、徹底的な手続き主義で、しかも現場にそれを細部に至るまで実行させることに固執した。
一例を挙げると、マクドナルド帝国が完成したあとでさえ、自分の執務室から通りを横切ったところにある一支店に出かけては、フレンチフライを揚げる時間が10秒長い、ゴミ箱の周りが定時に掃除されていなかったとマニュアルのうち遵守されていない点をあげて糾弾したという話で、有名な「どのハンバーガーにもピクルスは二枚」のようなことから始まって、どんな細かいことでも、どのレストランでも同じにすることがRay Krocの「マクドナルド主義」の秘密だった。

人間的には、客観的に述べて、どこからどこまでもbastard(クソ野郎)だったRay Krocは、日本語なら「糟糠の妻」という、自分という成功とツキから見放された、糖尿病患者の、周囲からは成功の夢ばかり見ているマヌケとみなされていた男を支え続けて来た苦労時代の妻エセルに隠れて、自分を信頼したフランチャイジーのRawland Smithの美しい妻Joanと12年のダブル不倫を続けて、挙げ句に掠奪する形で結婚する。

このJoan Krocは、ビジネスマンとしてだけでない名声と栄誉を手にいれたかったRay Krocにいまでもたくさんの子供を癌やほかの不治の病から救いつづけている、ピエロがトレードマークのRonald McDonald Houseを含む慈善事業を通じて、Ray Krocが望んだ栄誉を与えることに成功します。

52歳の負け犬然とした中年男が、自宅を妻に内緒で担保にいれて始めたマクドナルドハンバーガーは、「マクドナルドを、どの町にもある教会とおなじ存在にするのさ」というKrocの大言壮語そのままに、あっというまにコースト・トゥ・コーストどころか、世界帝国に成長して、1984年にKrocが現役のまま心臓病で死んだときには、8300店を数えるようになっていた。

以前、

シャーリーズ・セロンの場合/ 生活講座 番外編
https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/01/20/survival-kit-e/

を書いたときに、レイ・クロックの例を挙げたら、「そんなビジネス上の成功などは成功のうちにもサバイバルのうちにも入らない」と言いに来た人が何人かいた。
まるで子供のようだ、と、日本の人らしい自分の人生に対する無責任ぶりに、へえ、と考えたが、それは、厳しいことを言えば人間の世界というものに対する洞察力を欠いた、「なにもしない人の意見」だと言わないわけにはいかないよーです。

「人間はとにかく食わなければいけないのだ」というような退屈なことを述べているのではなくて、人間の一生の面白さは、自分がどんな才能の持ち主であるのか、まずたいていは知らないまま暮らしていくほかないことで、自分にとって興奮を呼び起こされて、夢中になることは、それが音楽であるのか、絵画であるのか、数学なのか、ビジネスなのか、そういうカテゴリだけではなくて、自分がどのようなタイプの考えを気に入っているのかさえ、自分ではよく判っていないことに起因している。

文無しで、凡庸で、道徳心に欠けた病気持ちの中年男だったRay Krocは、一方では、自分では考えもつかなかった他人のビジネスプランで、斬新なものに出会うと、損得を忘れて夢中になって話し込む人でもあった。
その「熱」が、誰にとっても「うさんくさいセールスマン」にしか過ぎなかったRay Krocに、たくさんの人が付き順った理由でした。

Ray Krocの一生は、「人間は、どういう条件が与えられると成功するのか」ということについて、ビジネスに限らず、膨大なヒントを提供している。
しかも、どこにでもあるマクドナルドのゴールデンアーチを見かけたり、モニの目を盗んでこっそりビッグマックを食べたりするたびに、Ray Krocの摩訶不思議な一生をお温習いできるので、それだけでも、わしは感謝している。

兄弟の若いほう、もともとのマクドナルドのアイデアの発案者である「ディック」マクドナルドに、「なぜ、きみは、そんなにマクドナルドの名前にこだわるんだい? 初めて会ったとき、ただでスピーディキッチンを全部見せてあげたんだから、ぼくらには黙って違う名前でやればよかったじゃないか」と聴かれたRay Krocの答えは、「McDonaldは、ハンバーガー屋の名前として最高だからさ。
なんとかバーガーやバーガーうんちゃらじゃ、ぼくなら食べに行く気はしないね」と事も無げに応えたという。

Krocはビジネスマンとしての自分の天才がどこにあるのか、成功したあとでさえ自分でも全く知らなかったわけで、ほんとうに人の才能というものは、誰にもどうにも全く判らないものだ、と、その逸話を思い出すたびに考えます。

だから素晴らしいのだけど。


Do you speak Japanese?

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毎日の生活で日本語をまったく使わなくなって7年経つ。
それまでも日本に住んでいても日本人の友達は少なかったせいで、生活自体は英語と少しのフランス語で、日本語を使う機会はとても少なかったが、日本にいるのといないのとでは、やはり何かが根っこから異なるようです。

まず初めの症状は日本語の本を読めなくなってしまった。
最盛時は、おおげさにいうと、英語で本を読むのとたいして変わらない労力で日本語を読めたが、英語圏にもどると、瞬く間に日本語が読めなくなった。
長い文章がぜんぜんダメで、読みだしてしまえば、それでもなんとかなるが、読みだしてエンジンがかかるまでがたいへんで、もっかの感覚では、日本語よりも能力が低いはずのイタリア語のほうが読みやすいくらいまで落ちぶれている。

比較的簡単に読めるのは自分が書いたブログとツイートで、なんだか自分の足を食べる鬱病の蛸みたいで良い気持ちがしないが、事実なのだから仕方がない。

いちばん、ぶっくらこいたのはマストドンで、日本語のひとびとが、楽々と500文字を使い切って、ツイッタとは打って変わった、自分の思考の深い場所からくる考えを述べきるのに、こっちは青息吐息で、書くのはもちろん、読むのも大変で、予想を遙かに越えてダメだった。

説明するのもめんどくさい、インスタンスのなかで日本人独特と言いたくなる村感情がいっぺんに出来て辟易したせいもあるが、這々の体で日本語マストドンをやめにして、もっかは大陸欧州語アカウントに切り替えてしまったのは、どちらかといえば500文字が言語体力的に厳しかったせいであるようです。

理由もわからず不思議なのは古典日本語のほうが現代日本語よりも読むのに楽なことで、現代日本語よりも、例えば俊頼髄脳に親しみを感じる。
その感覚は、70年代以降の日本の映画の大半は殆ど嫌悪感をもってしか観られないものが多いのに、50年代と60年代の日本映画は、バカみたいに繰り返し観ていて、小津安二郎や黒澤明はもとより、液体人間でもマタンゴでも、何度観てもあきなくて、ほとんどBGMのように流していても、いっこうに苦にならない感覚と似ている。

有名な

いづれの御時(おほんとき)にか。女御(にようご)、更衣(かうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやんごとなき際(きは)にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり。

に、すでに象徴されている、独特の、おだやかな海がたゆたうような日本語の思考のリズムが好きなので、日本語をやめてしまう、ということは考えられないが、ますます「自分語」と化して、誰にも読めない言語で、こっそりと自分が考えていることを書き留める、という用途に特化されてゆくのではなかろーか。

正直に述べて、日本の社会は、誰にも救えないところまで堕ちてきている。
いくつかの節目があったが、まず福島の大震災のあとに福島第一発電所の事故について社会の基幹の側が嘘をついて事件を収めようとしたことは、日本語と日本社会におおきなボディブローだった。
権威でくるんだ恣意を、どうやれば真実と置き換えられるかという悪魔の知恵を日本人は学んでしまった。

日本語の優美をつくっている、言語として、あらゆるものを相対化しうる能力が、悪い方に利用されて、真実そのものが相対的なものになって、恣意が真理よりも優位に立つことになってしまった。

考えるまでもなく、言語にとっては、真理性や現実と自分を切り離してしまうことは自殺行為で、当然の帰結として日本語はかつての普遍語からどんどん転落して、外国語として日本語を眺めている人間の目には、傷ましいことに、いまの日本語は言語としての体をなしていない。
意味があることを述べようとしても、周囲の顔色をうかがって、肯定してもらえるかどうかをまず考えてから何事かを述べるしかない言語に落ちぶれてしまっているし、社会に目を転じても、糾弾と罵りあいの技法が巧妙になってゆくだけのことで、言語として自我や自己の信念を構築して、その自分が信じていることどもと相手の信念との違いを検証するという議論の基礎中の基礎まで破壊されてしまって、日本語での議論という言葉は、阿鼻叫喚の同義語であるところまで落ちぶれてしまっている。

現代英語を救ったのは、移民たちの「ブロークンイングリッシュ」だった、という話を前に書いたことがある。
自分達が幸福に暮らせる生活を求めて英語社会に大量に流入した移民たちは、激しい勢いで英語自体を変えていったが、ここで長々しく説明する気はしないが、異文化が英語を使って自分たちを表現しようとする強い衝動は、英語自体を変えてゆくのに十分なエネルギーを持っていた。

語彙においてもpostponeから派生語としてインド人たちが発明したproponeのような単語にはインド文明の時間に対する思想が色濃く反映しているし、My daughter is convent-educated のような表現は、そもそも英語が多文化社会化しなければありえない表現なのは言うまでもない。

無理矢理他言語を呑み込んで「星の王子様」の象さんを呑み込んだヘビの帽子みたいになった英語は、しかし、なんとか消化して、いったん消化してみると、英語自体が伝統英語に較べてより多くのことを言いうる言語になっていった。

日本語は、ちょうど反対の方角へ歩いていってしまった。
日本社会は、ほとんど自覚症状もないうちに、社会がまるごと、ひどいゼノフォビアに陥ってしまったが、それに伴って世界を表現する力そのものが弱まって、いまこの瞬間にパッと思いつかないが、例えば「映画を鑑賞する」という。
いつかツイッタで「映画メッセージを鑑賞しました。素晴らしい映画でした」というツイートを見て、なるほどこれは困ったことになっているのだ、と考えたのを思い出す。
「メッセージ」がArrivalのことであるのは、前後のやりとりを読んでいるうちに判ったが、あの映画を「鑑賞」されてしまった制作者のほうは、どんな顔をするだろう、と想像すると可笑しかった。

日本語は日本語のなかで堂々巡りを始めていて、外との接点を失ってしまっている。新聞のニュースの見出しが社会の関心を反映しているものだと仮定すると、日本語ニュースの、「ほんとうに同じ世界に住んでいるのだろうか?」とおもう見出しの排列は、びっくりするようなもので、日本語人全員が外からはそこに何が立っているのか見えにくい内側の中心を向いて立って目を凝らしていて、外の世界への関心は、内側にある水晶球に映って始めて関心を呼び起こされる体のものであるようです。

そういう社会の性向は、常に細部に端的にあらわれるもので、例えばオリンピックで日本選手がブロンズメダルを手にした、というニュースをみると、ぶっくらこいてしまうことには、1位と2位が誰であったか書いてない。
「日本人が世界の場で3位になった」ということだけが重要で、他の他国人のことなんてどーでもいい、という社会的な常識が背景にあるわけで、ちょっとついていけない気がする。

そのくらいのことでおおげさな、という人がいそうだが、英語世界では、「いったいどうしてこの人は見返りさえ期待できないことに自国民が犠牲になるようなことばかり他国に申し出るのだろう?」と訝られている外交音痴を絵に描いたような安倍晋三首相が、「外交が得意」ということになっているのだとしって、椅子からずりこけるくらい驚かされたりするのは、結局、おなじ文脈にあって、みなが世界に対して背中を向けて立っているからだとしか思われない。

言語は美を失うことによって死ぬ。
日本語の美は、映画でみると60年代に、文学でみると現代詩が死んだ70年代に死んでしまったように見えて、80年代になると、卑しい言語がちょうど外来のウイードが猖獗するように在来の日本語を制圧して、普遍語どころか地方語としても機能しなくなっていった。
そのことには、本質的に日本語の側からの批評・編集作業でしかない翻訳を中心とした日本語の外来文化の取り入れかたが、世界と足並みを揃えて議論しながら自分達を変革してゆくために必要な情報の十分の一も供給できなくなったことや、多分、大学受験をめざす教育に由来している言語の機能そのものへの誤解がおおきく働いている。

言語を喪失することは、そのまま社会の喪失であって、日本の現在の混乱と低迷と、それを解決しようとして身動きするたびに悪い方へ社会が動いて行くという特徴は、区区とした政治的社会的な誤判断よりも、より本質的で文明の深いところに理由が根ざしているように見えます。

ちょうど新しく競争力のある産業を育成する地道な努力を重ねるという最も根本的な努力を放棄して、秀才たちが机の上で描きあげた「株価をあげればすべては解決」とでも言わんばかりの、世にもケーハクな経済政策だったアベノミクスが、国富を喪失して、国民は貧困化するという世にも惨めな失敗に終わったのとおなじで、崩壊した言語を再生させる努力もなく、例えば英語教育に力をいれても、そもそも言語というもの自体への考察を欠いた「国際人として活躍するための道具としての英語」など、いくら上手になったところで、突然人間の言葉を話しだした犬さん以上の喝采が得られるとはおもえない。
まして、文明としてなにかをうみだす社会になるはずはなくて、文明として本質的な新しい価値を世界に付け加えることが出来なかった言語社会が一過性でない繁栄を獲得した例は歴史には存在しない。

いままで20年間を費やしてきた小手先の工夫では日本には破滅しか待っていないのだという現実を、日本語人全体が見つめるべきときに来ているのだとおもいます。


初心者のペナン_1

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黒いSUVを4,5台連ねた一団が正面玄関に到着すると、なかから、ニカブをかぶった黒装束の女の人の一団が子供達と一緒に降りてくる。
とても礼儀正しい一団で、リフトのドアを開けて待っていると、「わたしたちは、まだ時間がかかりますから、どうか先にいらしてください」と述べる英語が、心地よい発音の見事な英語で、どうやらアラブ世界の上流階級の人々のようでした。
ニカブでバシッと決めた女の人たちと、無茶苦茶行儀がいい子供たちの後から、銀髪のおっさんがおりてきて、オットーさんであるようだったが、ポロシャツにショーツで、まるでわしであるかのようなノーテンキないでたちで、ひとりでマヌケな感じを漂わせているので、我が身を省みて、おもわぬ親近感を抱いてしまった。
天女が舞い降りて人間のふりをして歩いているようなモニに並んで、見るからにデヘヘへな姿のわしは、だいたい、他人の目には、このおっちゃんのように見えているのではあるまいか。

マレーシアは中近東のイスラム人たちから観ると、イスラム世界の最東端のひとつであることに加えて、文化や生活の面での非イスラム世界との緩衝地帯という側面を持っている。
ペナン観光の中心地のひとつにあって観光客でごったがえすGurney Plazaの地下の、東京でいえば紀伊國屋スーパーかナショナルスーパーに当たりそうなスーパーマーケットに行ったら「NON HALAL」というでっかい看板を出したサラミ屋があってモニさんとふたりで大笑いしてしまったが、この頃は世界のどんな町に住んでいても「Halal」という看板は見慣れたものになっていても「NON HALAL」という看板は初めてで、マレーシアだのお、と感心します。
ジョージタウンという町は、一面、シンガポールを中心とした客家移民文化圏とインドネシアやマレーシアを中心とするイスラム文化圏の、摩擦の多い、表面は宥和的でも深層では鋭く対立しつづけるふたつの強力な文化圏が、ブルが頭をぶつけあって、角を交叉させてゴリゴリゆわせている東南アジアの最前線でもあって、シンガポールが独立せざるを得なかったのも、そのためだったことは誰でも知っていることであると思います。

スラマッパギ〜(おはよっす〜)、と脳天気に述べながら朝七時半のディムサム(点心)屋へ入っていくと、もう客は二巡目か三巡目で、なにしろ朝6時から開いている店もたくさんあるくらいで、エネルギー最充塡で、働き者のマレーシア人たちは、どんどんオートバイにまたがってでかけてゆく。

衛生的でなさそうなものは、いっさい口にしないモニさんは、ジャスミンティとセサミボールだが、およそゴジラが食べられそうなものなら、なんでも食べて、いつかはイギリス人とオランダ人の八人のグループでバンコクで食事に出かけて他の7人とも重篤な食中毒で病院に搬送されたのに、ただひとりなんともなくて、「不死身」「生きた解毒剤」と謳われたわしのほうは、なあんとなくたまり水で食器を洗う店の人の手先に視線を送っているモニさんの正面に腰掛けて、ガツガツと、焼売やチャーシュー饅頭、豆腐の魚肉詰め、揚げ豆腐と貪り食べている。

ペナンは地元の人が喜んで認めるとおり、町全体が食道楽のヘンな町で、しかも英語でいうcheap eats、日本語でいうB級グルメに特化していて、考えてみると、記憶のなかの日本の人の生活の好尚にぴったりあいそうな町でもある。

実際、空港でも町中でも、たくさん日本の人が右往したり左往したりしていて、見た目ではもちろん、数字の上でも人口の40%を占めると地元人が述べていた中国系マレー人や、中国人、韓国人と区別がつかないが、例えばすれちがいざまに、あっ、いまの人、日本語で話してたな、と思う事が何度もある。

海辺のGurney Plazaからは離れたところにある島の東北端の旧市街にはGAMAという恐ろしげな名前のスーパーマーケットがあって、ペナン人が、あの日系スーパーは50年以上前からあるのさ、と、うそおおおんなことを述べていたが、そのスーパーに限らず、あっちにもこっちにも日本の食品や製品が並んでいて、Prangin Mallにはベスト電器まであるので笑ってしまった。

笑ってはいけないが、日本のプレゼンスが世界中で後退・縮小しているいまの世界では、数少ない「ニッポン」が目立つ町で、なるほど、だから日本の人がたくさん年金生活をしにやってくるのね、と、正しいか正しくないか、えーかげんで判然としない納得をする。

シドニーやメルボルンで、おおきな企業でマジメに勤め上げれば月に30万円〜40万円だという年金をあてにして退職生活をするべく計画して移住してきた日本の人達は、オーストラリア経済の大繁栄とともに生活費高についていけなくなって、あらかた日本に帰らざるをえなくなった、とニュースになっていた。
ニュージーランドでも事情はおなじで、まだいまのところは生活費が落ち着いたレベルのクライストチャーチには残っているが、オークランドにはとてもではないが住めなくなって、日本に帰らざるをえなくなったひとが多いようでした。

ペナンは、例えば一杯のチャーシュー麺が7リンギ(180円)くらいで食べられるところが、通りの、あそこにも、ここにも転がっていて、しかも味の水準がびっくりするくらい高いので、おなじチャーシュー麺が14NZD(1200円)はして、このチャーシュー、なんだかヘンな臭いがするんじゃない?の、オークランドとは較べるべくもない、自分が月30万円の年金を頼りに暮らす日本人年金生活者であるとすれば、やはり、一も二もなくペナンを選んで住むだろうと思います。
ペナンは、日本の人にとってはパラダイスなのではなかろーか。

英語人にとっても、楽ちんなところがあって、地元の人は英語は覚束なくても、なんというか、マレー語を話せないアンポンタンな英語人に馴れている。
ひとの国にやってきて、あろうことか英語でまくしたてる横柄な態度に対して歴史が培った寛容で接する術を知っているので、タイランドのような国に較べると、英語人にとっては格段に楽です。
アジアだとはいってもコモンウエルスなので、例えばスポーツの趣味は共通していて、普段の生活にバドミントンやスクォッシュ、テニスが溶け込んでいるのはニュージーランドとまったく変わらない。

マレーシアは歴史的にコモンウエルスのなかでもニュージーランドと結び付きが強い国で、例えばColombo Planによって、富裕なマレーシア人の子弟は大量にニュージーランドに留学してきていた。
中国人や日本人が土地開発に大金を投入しだすまでは、ニュージーランドでアジア系の投資家といえば、だいたいにおいてマレーシア人だったのでもあります。

珍しくも用事があってペナンに来ているが、なにしろ大庭亀夫さんの「用事」などは、遊んでいるのと区別が判然としない「用事」なので、大半の時間は好物のNasi KandarやNasi Lemakの探索に費やされている。
あるいは子供のときからTe Tarik評論家なので、広々とした店内の天井で、ゆっくりとシーリングファンがまわっているカフェに座って、一杯1.5リンギ(40円)のテタリックを飲んでいる。

ペナンはマレーシアのなかでも客家的な町だが、人気(ひとけ)のないカフェで、そうやってのんびりテタリックを飲んでいると、中国圏であるよりもマレーで、マレーシアはいいなあ、と思う。

ありがとうは、テリマカシ、で、どういたしましてはサマサマだけど、甘くないアイスコーヒーは、コピ オー コソン アイス、かな?

コソンと言えば、0,1,2,3,…は、コソン、サトゥ、ドゥア、ティガッだよね。
ティガッまでは簡単におぼえたが、4のアンパッをすぐに忘れてしまう。

頭の中で、ぶつくさとつぶやきながら、クソ暑いカフェのテーブルに座って、なんだか幸せである、と考えました。

(画像はte tarik 英語人はテタリックと言うが、ほんとの発音は、カタカナでは「テタレ」に近い音だとおもいまする)



初心者のペナン_2

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ジャラン・シントラの豆腐屋さんの店内を眺めながら、ふと、この光景はどこかで観たことがある、とおもう。
思いだしてみると、それは数限りなく持っている幕末以来の日本の写真集のひとつで、昭和30年代の豆腐屋さんを撮ったものであることに気が付きます。

シンガポール人のおっちゃんたちは「自分が子供の頃のシンガポール」を懐かしんでペナンの町に来るという。
日本のおっちゃんたちが、「タイに行くとね、おれが子供のときの貧しかった東京がそのままあるんだよ〜」と嬉々としているのとおなじでしょう。

「貧しかった頃の日本とおなじ」と言われてタイ人が嬉しいわけはないが、そういうことまでは気が付かないのが、まさに「貧しかった社会」で育った世代の人々だということなのかも知れません。

ペナンは見ようによっては町全体がデパ地下のような町で、シンガポールのものよりも遙かに面白いリトルインディアがあって、すぐそばには中華中華中華な通りと路地の一画がある。
イギリス統治時代のコロニアルなジョージタウンが縮退して痕跡器官化したような建築がならぶ一角があるとおもうと、イスラムの屋台が軒を連ねていたりする。

オークランドのように若い多文化社会は、「さあ、これからは多文化でいくぜい!」という意気込みがあって肩に力が入っているが、ペナンの多文化社会は、古びて、落ち着いて、自分から見て異文化であるものが、そこここにあることに慣れていて、見ていて安心できるところがある。
最後にムスリムと中華人たちの激しい衝突があったのは、たしか1960年代の終わりであったはずで、それ以来、お互いの違いを認めて、落ち着いて相手を眺めてみれば、なあんだおなじ人間なんだね、きみがスカーフをかぶっているのが嫌だったんだけど、こうして話してみると、きみとぼくの違いは、ぼくと同族のいけすかないXXとの違いよりずっと少ないみたい、と気が付いて、仲良くするということはお互いの違いを理解することなのだ、同化しようとしたり同化さようとしたりするのは仲良くすることの反対なんだという単純な真理に目覚めてから50年が経つ先輩多文化社会の貫禄のようなものがある。

英語人客用にデザインされたごく一部のアジア料理屋を除いて、オークランドではアジア料理屋で、わしとおなじ白い人を見かけることは少ない。
英語も通じない、そーゆー料理屋は、なんだか3,4軒しか店がない、さびれた町の一角にあって 3割がたも安い値段で、何倍もおいしい中華料理やベトナム料理が出てくるが、そういう店に、いつもとおなじヘラヘラした顔で入ってゆくと、たいてい初めは店の人がぎょっとしたような顔で、「なにか御用ですか?」というような表情をする。
これも毎度おなじみなチョーでったらめな中国語で、テーブル、ひとりなんだけど、と述べると、おお、客なのか、物好きなという顔で案内してくれます。

そういう店は二度目三度目になると、逆に「おおっ、来たね!この頃見なかったじゃないか」という顔になって、いそいそとテーブルを仕度して、心持ち多めの量が載った皿が出てきて、頼んでもいない付け合わせが出て、キョトンとしていると、「食べてみろ。うまいぞ。おごりだ」と威張っている。

あるいは「こんにちは」のつもりで、長い間、ずっと「さよなら」と述べていたシアワセな韓国語で、挨拶してテーブルにつくと、初めはなよなよとした葉っぱだけのキムチだったのが、あんまりいつもしつこくお代わりをするものだから、のっけから「どさっ」と音がしそうなくらいキムチを大量に盛った皿を置いていく。

ペナンではタミル人が中華料理屋にあらわれたり、中国系人がパンジャビ料理屋に現れたりするのは普通のことなので、そういう異文化交流の出来事すらなくて、異なる文化が共存していることが通常の、ふつーの状態で、スカーフをした女の人達が、白い人や、中国系人やマレー人たちに混じって、Koay Teow Th’ng 、豆腐や揚げ豆腐、カマボコや魚丸の具を一個ずつ選んで、最後に麺の種類を選んで食べる、スープを、スマホの画面に見入りながら食べているだけです。
時々、お互いのスカーフにくるまった顔を見合わせて、「うん。ここのはなかなかおいしいね」というように頷きあっている。
ロンドンやメルボルンやオークランドで、文字通り、社会を挙げて大騒ぎして、何年も議論に明け暮れて、やっと決まったことが、ここでは、そのずっと以前から当然のこととして行われている。

最後にシンガポールに行ったとき、招いてくれたシンガポールの友人たちが「シンガポールは、いま中国人たちや中国化の波と戦っているところなんです」と述べて、述べている二人自身が李さんや劉さんで、ファーストネームは英語名だが、白い人の杜撰な目には中国人としか見えないので、しばらく何を言っているのか判らなくて、シンガポール人のアイデンティティはとっくのむかしにシンガポール人であることに変わっているのだということに気付くまで数秒を要して、内心、恥ずかしかったが、中国化が激しく進んだシンガポールと較べて、マレーシアは、遙かに文化的多様性に富んでいて、その豊穣な事実が、経済の成長にプラスになるか、もともとマレーシア人が不得手な政治のボロさに足を引っ張られて、四分五裂の要因となるか、まだ予断を許さないところがありように見えます。

文化の違いは、だいたいどの社会でも、思いもかけないところにくっきりと現れて、まだ滞在の初期にしか過ぎないが、すでに、おお、これはすごい、とおもうのはマレーシア人の「音」の感覚で、こんな音の感覚は観たことも聴いたこともない。

クルマ好きの人はマレーシアの自動車会社「プロトン」の名前を、例えば長い間ロータスの親会社をしていて新世代のエランを作った会社として知っているとおもうが、このプロトンの警告音は、とってもヘンで、いまどきのクルマなのでバックするときに障碍物があるとセンサーが察知して警告音をだすが、その音が「キピピピピッー!」というような、なんというか、金属ねじが断ち切られて絶命する寸前に、断末魔の絶叫をしているような音です。
町中の諸音も、うまく言えないが、音の選択や音程があきらかにヘンで、町全体が突拍子もない音で溢れている。

いっちゃんぶっくらこいたのは、Dunkirkを観に行った映画館で、まず時間5分前に劇場内へ入ると、誰もいなくて、しいいいーんとしている。
広告や予告編はおろか、BGMもなにもなくて、まるで夢のなかの映画館の椅子に腰掛けているようです。

白いおっちゃんと、若いアジア人の男の人のゲイカップルが入ってきて、定刻になったとおもうと、どっかああああーん、とすごい音がして、気の毒にアジア人の若い男の人は文字通り飛び上がっていたが、大音響どころではなくて、マジメに鼓膜が破れるのではないかと心配しなければならないすさまじい音量で映画が始まってしまった。
ついでなので述べると、しかも、映画が始まっても、なぜか館内の照明はついたままで、こちらは「あり?マレーシアの人は照明をつけたまま映画観るのかな?」と思ったが、こちらは、えがったことに単なるミスで、すぐに消えてもらえた。

大音量のほうはそのままで、モニさんとわしはたまたまイアプラグとコンパクトなノイズキャンセリングフォンを持っていたので、イアマフ代わりにノイズキャンセリングをオンにしたヘッドフォンを付けて映画を観て、事なきを得たが、後にも先にも、といって「後」のほうは二度目は勘弁してほしいという願望にすぎないが、耳栓とノイズキャンセリングフォンをして映画を観るのは初めてのことでした。
結局、20人くらいは観客が入って来て、大音響のなかで容赦なく急降下爆撃で殺されるイギリス兵や、燃料が切れて、浜辺の低空を優雅といいたくなる静かさで滑空してゆくスピットファイアを観ていたが、マレーシアの人達は、殺人的大音響で映画を観るのに慣れているもののよーで、なんだか不思議の観念に打たれてしまった。

ペナンにいる、といっても、たいしたことをやっているわけではなくて、というよりも、なんにもしない毎日を過ごしにやってきたようなものなので、プールサイドで寝転がって、本を読んだり、午寝をしたりで、もう少しマジメに観光をしなければとおもうが、相変わらずのめんどくさがりで、仕事の人の招待でカッチョイイレストランに出向くと、いい町ですねえ、などと述べているが、ほんとは、内実はナシレマクがすげーうまかったんですよ、と思っているにすぎない。
ダメな観光客の典型で、なにしろリトルインディアがあるのを知らないままやってきたくらいダメな観光客なので、ほんとうはこーゆー人がペナンについて書いても仕方がないのかも知れません。

朝の7時半、夜が明けたばかりの通りを散歩していると、小学校の、学期の初日でもあるのか、それともただの毎朝の光景なのか、子供達を学校に送り届けた母親たちが、三々五々、あちこちに小グループをつくって立ち話をしている。
スカーフをかぶったおかあさんと、褐色の肌の背が高いおかあさんと一緒に中国系のおかあさんが、何事か楽しそうに話して笑っています。
2002年だかに「インターネットの時代は終わった!」というベストセラーが出た日本の人らしく、Brexitとトランプの大統領当選で、「これからは移民なしで、一国一民族の時代に戻るのだ」とトーダイなんちゃら研究所だかの「研究者」が述べていて、いつものケーハクとはいえ、ふきだしてしまったが、なんちゃら研究所の部屋で、一生懸命空想力を働かせて賢い結論にたどりついたつもりのおっちゃんの頭のなかにはどんな世界があるのか不分明でも、ペナンの町の朝の光景ひとつを観ても、世界は異なったものが手をつないで歩いてゆくほうに変化して、しかもその変化は、国際結婚や、異文化の親友が出来て行くことによって十分に不可逆化していて、いまはおおきな流れに錯覚されても、トランプやファラージュなどは、人間の文明の進化についていけない愚か者が、一時の反動にのって得意になっているにすぎない。
賭けてもよい。
トランプ政権やBrexitは彼らが言挙げする問題をなにも解決できないまま、返って悪化させて終わるでしょう。
現実をみない思い込みの政策など、どんな時代でも、うまくいった試しはない。

証拠は、どこにあるのかって?
きみはニッポンジンだのい。

証拠は、ほら、あそこで、学校の鉄柵の塀ごしに、身じろぎもしないで、新入生の教室に消えていった息子を見つめている母親がいるでしょう。スカーフでメガネをかけて、ローブを着たその母親は、さっきからもう5分は経っているのに、あそこで、じっと遠くから息子を見守っている。

息子を見守る母親の気持ちは、そのまま社会の未来の平和と繁栄を願う気持ちでしょう。
母親たちが未来へ向かって祈る気持ちは、強くて、研究者の思いつきなど、つけいるすきはないとおもう。

あの母親が息子の将来を祈る気持ちは、そのまま社会の善が実現される人間の強い意志に通じている。

そうして現代社会が急増する人口に耐えながら共に繁栄していくためには、多様性を許容して、お互いに相違を、議論の力で細部まで突き詰めて理解して、自分の正しさを相手に押しつけない態度にしか可能性はない。

あの母親の祈りが神に通じるまで


マレーシア

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マレーシアは中東のイスラム・ペルシャ世界とアジアの文明が浸潤しあっている、おもしろい国だとおもう。
ニカブ姿(頭から黒い布で踝まですっぽり覆って、でもよく見るとおなじ黒の色で一面に美しい刺繍が施されている!)の女の人達が、たくさん歩いていて、めいめい、グッチやシャネルの紙袋をさげて、楽しそうに笑い合いながら午後を楽しんでいる。

くだらないことで喜ぶ、と言われそうだけど、昨日はニカブの女の人に道を訊かれたんだよ!
残念なことに、知らないビルだったけど、知っていたら、ニカブのひとの手をひいいて一緒に歩いて案内していたのではなかろーか。

知ってるかい?
ニカブの女のひとたち、食事のときは顔の布を外して食べるの。
あのyoutubeでバイラルになった、ローマの広場のベンチで手づかみのスパゲッティを高くもちあげて顔の布の隙間から食べている、優雅とはいいかねる動画の印象とはまるで異なって、ナイフもフォークも使い方が堂にいって、とても上品なんだよ。

もちろんニュージーランドにもニカブ姿の女の人は、たくさんいるけど、なんだか緊張して、交差点に立っている姿が暗然としていて、アラブの女の人は抑圧されているからだろーか、と思っていたが、こっちがバカタレなだけで、リラックスしたニカブ人たちは、快活で、品がよくて、あたりまえだと言われてしまうだろうけど、きみやぼくと変わりがない、普通の人達だった。

あのニカブ姿のままでパラグライダーをやるんだよ!
それもひとりやふたりでなくて、人気があるらしくて、何人も行列しているの。
黒い裾をひるがえして、沈みかけた太陽にさしかかる姿が映画のETみたいで、無知なわしとしては、超現実的な、幻想的な光景に見えました。

ジョージタウンは、おいしい店は全部屋台で、冷房も何もない露天にあるという意地悪な町で、すっかり夏バテになったモニとぼくは、バトゥ・フェリンギの、着いてみるとなんだか途方もない数の日本人がいるホテルに行った。
テラスにいると海風が気持ちがいいホテルで、ルームサービスで三食を摂って、あんなひとにいえないことや、こんないけないことばかりしていました。

やっと機嫌がよくなって、落ち着いて町を眺められるようになると、供給過剰なコンドミニアムや点が面に拡大していけない都市化経済が目に付いて、どうやら、たくさん解決が難しい問題があるようでした。

日本人であるきみには、よいニュースもある。
マレーシアは日本のプレゼンスが、ぶっくらこくくらいおおきいんだよ。
クアラルンプールには、例の超高層なツインタワー(といっても本当は3つのビルで出来ているそうだけど)の足下のモールからパビリオンという新しいモールまで歩いて行ける冷房がある遊歩道があって、暑さにコンジョナシのぼくは、夜になるとこの遊歩道を行ったり来たりして過ごしていたんだけど、一風堂があって、バリウマがあって山頭火があるラーメン屋をはじめとして、CoCo壱番屋があって、北海道なんちゃらチーズケーキがあって、コールドストアレジという普通なスーパーの棚から油断して商品を買うと、説明もなにも日本語の商品をそのまま買うことになったりする。

シンガポールみたいに伊勢丹デパートメントストアがあって、伊勢丹の制服を着た書き割りの女の人がエスカレーターの脇でお辞儀して立っていて、モニが「なつかしいね」と笑っていました。

おおきなスーパーマーケットには、どこも日本コーナーがあって、アメリカでいえばミツワみたいというか、イオンみたい、おお、そういえばペナンのクイーンズベイという新興住宅地にはイオンそのものがあって、軽井沢から佐久や上田のイオンによく出かけていたモニとぼくは、顔を見合わせて「日本にいるみたいだね」とにっこりしてしまった。

マレーシアに来てから、もう5週間か6週間になるのではないかとおもうけど、なにしろモニとぼくには気候が暑すぎるので、毎年、ニュージーランドの冬に来て遊ぶのは無理じゃないかなあーと、昨日もモニとふたりでカクテルを飲みながら話していたところ。
アメリカが、あんなふうになってしまって、このあいだトランプが選ばれた直後にカリフォルニアに行ったときに、やっぱりそれはそうだろうな、とおもったとおり、普段の生活には影がさしていなくて、誰が大統領でも変わりゃしないんだけど、ひとつだけ面白かったのは、いつもなら当然政治の話を口にするべきひとたちまで、まるでトランプという名の大統領などいないかのような素振りで、誰も話をしたがらなくて、無視する形で、影がさしているのだといえなくもない。
それでも遠くのオーストラレイジアから見ていると、到底正気の国には見えなくて、アメリカ人のオカネモチ友達からは年中家を買うための問い合わせが来ていたりして、どうにもアメリカまで遙々、寝心地の悪い飛行機のベッドに揺られてまで行く気が起こらない。

欧州も、なにごとによらず終始楽観的なかーちゃんやとーちゃんと話しても、あんまり芳しい話はなくて、あれほどもういいかげんに帰ってこいと言っていたのに、この頃は、ニュージーランドに根拠をおいたまま長旅を我慢してあちこち行くのもいいかもしれない、なんて言うんだよ。

マレーシアには地震がない。
地面が揺れない社会らしくて、ひとびとは落ち着いて、のんびりしていて、「まじめなのにのんびりしているって、いいなあ」と思ったりしています。
これは面白いなと考えたことのひとつに、スーパーマーケットの店員が、自分の裁量で、お釣りをおまけしてくれたりするということがある。
些細なことだけど、よく考えると、おそるべきことで、文化の違いが、こんなに強烈にビジネスにあらわれている例は珍しいと思いました。

テキサスでは$5ランチの店のChili’sが、ここではやや高級なレストランで、普通のマレーシア人にとってはフトコロが痛いけど、窓外に公園の噴水を見ながらデートするためには出費もやむをえないとまなじりを決したおにーさんがチャドルの女の子を誘ってやってきたりするのだけど、ファヒータを頼んだら、ここでも店員の裁量で色々なものをタダで持ってきてくれる。
日本だって、そういうのあるよ、というだろうけど、上手く言えないけど、ちょっと違っていて、ここでも「店員の裁量がおおきい感じ」がはっきりしている。

残念なことに、ぼくの観察では、よほどの市場のタイミングと運に恵まれないと、マレーシアが目論見どおりシンガポールに取って代わるのは難しいだろう。
アジアのイスラム金融の拠点になるかどうかが鍵だが、いまのところは、ちょっと難しいんじゃないかなあーという冴えない感想でした。

きみらしく、マレーシアに住むと、日本軍の残虐行為のせいで嫌なおもいをするのではないかと心配していたけど、多分、安倍政権がみせた居直りのせいで、残虐行為を歴史の靄のなかから顕在化させて、はっきり可視化させようという動きは、特に若い世代にあって、日本軍の苛酷というのも愚かしいくらいの、どう考えても不必要にすら思われる残虐な行為の数々を生き延びた老人たちにインタビューして、動画に残したりしているけど、アジアの人の生来の善良さなのか、日本人だから憎む、というようなことがあるとは思えません。
普通に応対していれば普通に応対が返ってきて、モニとぼくは、「テニマカシー!」だけは、絶対に気を逃さず、隙があれば言うんだけど、マレーシアの人の反応は、なぜか、まず吹きだして、大笑い(←外国人に言われるとなんとなく照れくさいらしい。日本の人の「笑い」に似ている)してから「サマサマ−」という。
そういう調子で、日本の人に対してもおなじじゃないかなあ、と想像します。

さっきアメリカ人ともだちに「おい、ここは一風堂のラーメンが世界一安いんだぞ」と書いて、くやしがらせようと画策していたんだけど、円に価格を翻訳しようとすると一杯が27リンギで、ということは9NZDで、ということは700円くらいのはずで、2500円だかで、その上に2割のチップを払うマンハッタンの一風堂に較べると、四分の一以下の値段だということになる。

だいたいなんでもかんでも日本やニュージーランドの四分の一から五分の一で、マレーシアのひとは安い安いと言われるとふて腐れてしまうだろうけど、でも日本人にとっては、物価の面でも暮らしやすいのは事実ではなかろうか。

MM2Hビザも取りやすいそうだし、年金制度が盛大に轟沈することが予想されて、こちらは比較的には健全だったのに、無理矢理連結しているせいで、一緒に心中でご臨終になりそうな保険制度を抱える日本で、あんまりオカネもないんだけど、ということでも、なんとかなりそうな老後は、案外、この国にあるのかもしれません。

ほら、マレーシア政府からAOLのおっちゃんが買い取ったエアアジアもあるでしょう?
ツイッタで誰かに聞かれたので見たら、羽田⇆クアラルンプールの安い航空券は往復369リンギ、日本円で1万円だった。

アコモデーションは世界一チェーンのホテルが世界一安いのだというから、偵察に来てみるのにいいかもよ。

きみのお母様は、「口ばっかりで、政府は自分達国民の面倒を見る気はないのが判ったんだから、自分で自分の面倒をみるしかない」と述べていたそうだけど、その息子・娘世代のきみにとってはなおさら準備をしていかないと仕方がないのではないだろーか。
まだ保っているけど、自分の仕事を通じてみていると、日本がこのまま無事ですむとは到底おもえません。
自分の将来を探しに遠くへ出かけなければならないときに日本人はさしかかっているのだとおもいます。
英語世界への移住は、正直に述べて、ハードルがものすごく高くなって、このあいだ帽子デザイナーの友達は、旦那さんが、あろうことかIELTSで9.0を超える得点をとったとかで、サウスオーストラリア州から招請状が来たと言っていたけど、オーストラリア人の友人でも、「テストされたら、おれ、オーストラリアから国外追放なんちゃうか」というくらい資格要件が厳しいので、選択肢としては日本の人にとっては良いような気がします。

なんだか、だらだらと書いてしまったのは、外の暑さのせいということにさせてください。
これから気に入ったモニとふたりでバーに行くんだけど、バーまでの2ブロックが難関で、昨日も夕方でかけたら行き倒れになりそうだった。

恥ずかしいことに、と言うべきだろうけど、ドレスコードがある、そのバーは、白い人しかいなくて、まるで大陸欧州のどこかの町にいるような顔で、価格をみるとケチンボなぼくなどは黙ってたって帰りたくなるようなコクテルを飲んでいる。

唐突に「どうも自分はアジアとは本当には縁がないんだな」と考えて、ちょっと寂しい気持ちになったことを報告しておきます。

では


クアラルンプールで

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英語ニュースがトランプだらけなので、うんざりして、日本語ニュースをぼんやり眺めていたら、スピナーが日本でも流行りだしたという記事があって、人気の理由のひとつは自分でも組み立てられることだ、と述べている。

記者も組み立てに挑戦してみました。

そこで目が止まる。
組み立てに「挑戦」する。
日本語がうまく話して書けるようになって「日本人なみですね。いや、もしかしたら日本人よりもうまいかもしれない」と言われるようになった頃は、でへへへと喜んでいるばかりで、なんとも思っていなかったが、だんだん日本語の深みにはまってくると…あ、いや、理解が深まってくると、この「挑戦」が、読んでいてひっかかるようになってしまっている。

むかし東京の目黒で、コンビニの若いバイトがやめてしまったかなにか、なんらかの事情で、70代くらいのじーちゃんたちが3人で、いかにも覚束ないやりかたで店員をやっているのに出くわしたことがある。
肉まん評論家なので、東京にいるときにはよく肉まんを食べて、維新號や神楽坂五十番が好きだったが、別段コンビニの井村屋でも嫌ではなくて、そのときも肉まんを買おうとしていたのだったとおもいます。

ところが、支払いの列でひとり前の大学生の弁当で、「あたためてください」と言われたので、じーちゃんたちはパニックに陥っていたのだった。
驚くべきことに、このじーちゃんたちは、店の電子レンジの使い方が判らないらしくて、客の大学生が、こーするんです、あーするんです、と説明するのを懸命に聴いて、やっと弁当を暖めることに成功する。

「挑戦」という言葉を観ると、そのときのじーちゃんたちのねじり鉢巻きをしてフンドシを締め直しそうな勢いが思い出される。

この生硬な、日本人が意味不明なchallengeの使い方をする原因にもなっている古色蒼然とした表現が、いまだに多用されることの背景には、日本の文化のどこか奥深いところにある、ものに臨むときの生硬さ、気負いがあるのでしょう。

映画を「鑑賞する」という。テキトー日本語学習者の目からみると、これも「ど、どーしたんだ」と、ちょっと上半身を引く体勢になりそうな言葉で、映画を「鑑賞」という感覚は、日本語が判れば判るようになるほど、違和のある、判らない感覚と感じる。

ご趣味は?
AV映画の鑑賞ですけど、というような会話を思い浮かべてしまう。
まあ、ワイルドなご趣味でけっこうですわね。
それで流派は、どちらの?
日本ですか?
それともアメリカ?
最近はpornhubのようなお下品なものが出来て、まったく嫌ですねえ。
外国人は、つくづく、陰翳のある、もののあはれがわからない。

「鑑賞」されては、くすぐったい映画はたくさんあるとおもうが、それでも映画は「鑑賞する」ものだと日本語教科書が教えているのは、実際に頻用されるからで、
この表現が陳腐化をまぬがれて生命を保っているのも、やはり、その背景には日本人の気持ちのどこかに映画を観てなにごとかを学ぼうという制服を着て畏まった気持ちがあるからなのに違いない。

別に悪くはないし、第一、たとえヘンテコだと感じても外国語にめくじらを立てるつもりもなくて、そんなヒマがあれば「めくじら」は目のどの部分にあたるのかを辞書で調べたほうが教養の増進に役立つと思われて、目のヘンなところがおったってしまうと剣呑なことになるのではないかと考えたりもして、思考材料としても有益だが、その生硬さが、日本文明のなにかの部分の本質につながっているような気が、いつもしている。

答えはないのか、って?
答えはないんです。

ずっと読んでくれている人はみんな知っているが、このブログは疑問が出てから、波頭のあいだに「?」が沈んで、数ヶ月を経て、海面に浮上して、また潜航して、
あーでもない、こーでもない、何年もたって、やっと暫定的な解答らしきものがあらわれる息の長さで、なにしろ「ビンボ生活サバイバルその1」が出て、おお、常には非ず面白いのでは、とおもって待っていると、その2は四年後だったりする。

名曲「やぎさん郵便」よりも、ひねもすのたりのたりのたりなブログなので、聴けばガチャポンにご託宣がおりるオラクルのようなわけにはいかないのです。
第一、 アポロンの神殿の祭壇の石の体積を2倍にするのは無理だったではないか。

Batu Ferringhiという浜辺のリゾート地で、ホテルのてっぺんのテラスから、夕陽を背景にパラグライディングするニカブ姿の女のひとたちを眺めて数日を過ごしていたらスティーブ・バノンがホワイトハウスをおんだされたというニュースが流れてきた。

近来にない良いニュースで、これでやっと人間に、というよりももっと特定して述べると白いひとびとに、自分たちの思想と哲学を再検討して、マニンゲンになる時間の余裕が出来た。
前に書いたがバノンなる人は、報道されているよりも実像はもっと怖い人で、述べ続けてきたことを追ってきたほうからいうと、簡単にいえば思想家です。
ビンボな家で、暴力おやじにぶちのめされながら育ったバノンは、やがて憎悪をエネルギーに変える、というお決まりと言えばお決まりのパターンで自分を鍛えてゆく。憎悪を核エネルギーのごとく反応させると巨大な力がわくが、一方では、憎悪の言葉が自分の脳髄を不可避的に支配することのほうは、この手のひとたちのご多分にもれず気が付かなかったようで、誰がみても、ホワイトハウスのなかに入り込めば実現可能なプランであるところが怖かった。

もう何度も書いたので、ここでは繰り返さないが、ひとことでいえば世界の最終破滅戦争を起こして、その核の巨大な破壊の炎のなかから「覚醒した白人種」が立ち上がって再び世界を支配する、という戸塚ヨッットスクール思想で、なんてふざけてはいけないが、コンジョナシが主な欠点な白人文化に喝をいれちゃろうという怖い思想で、トランプなどはどうでもよいくらい怖いおっちゃんだった。

そのバノンがホワイトハウスを出たので、手に入るいちばん良いシャンパンを持ってきてもらって、モニとふたりでお祝いしました。

まるでヴィイに出てくる地の霊のようになんでもよく見える哲人どんが述べていたように、日本に北朝鮮の核ミサイルが飛んでくる可能性は変わらないが、というよりも、北朝鮮が核のナイフを日本の喉首に突きつけたかっこうなのを是認してアメリカが自分の外交的全面敗北を認めて譲歩するか、金正恩が大好きな日本料理を食べ過ぎて頓死するかしなければ、いまのままいけば外交論理的にのべて遅かれ早かれ飛んでくるに決まっているが、世界規模にならない以上、日本の人にしても逃げるところもあれば、第一、北朝鮮の核は向こう20年がとこはキロトン級なので国土が廃墟になり、汚染されても、ま、福島第一事故みたいなもんだからということにして、なんとか被害をまぬがれた地方に住み続けることも出来るかもしれない。

バノンの構想とは次元が異なる話で、ホワイトハウスから破滅思想というおっかないものが退場して、強欲と痴愚だけが留まったので、トランプという厄介な問題は、あちこちで戦乱を起こしはするだろうが、本質的にはアメリカ国内の問題で、アメリカ人たちの問題とみなしてもよいことになった。

テラスのコーナーにあって、電動式ブラインドで人目を遮断して、楽しい裸ではいれるようになっている畳で言えば三畳くらい?のバスタブに浸かって、モニさんとふたりで祝杯をあげるだけの理由はあって、酔っ払って、ほんとうによかった、
これで人間はまた人間の言語の有効性を取り戻す時間がもてる、と考えました。

暑いところが苦手なのは判明したが、いまいるところは一泊が1500USドルだかなんだかのアパートで、根がケチンボのわしとしては、キャンセルしてもオカネは戻ってこないので、計画を切り上げて例えばいったんニュージーランドに戻ろうという気にはならない。

なああんとなく、ずるずるといて、やたら天井が高い部屋の、ガラス壁の向こうに広がるクアラルンプールの町を見渡しながら、陽光に輝く高層ビルの群を観て、「暑そう」とうんざりしている。

クアラルンプールやペナンに責任があるわけではなくて、自分達が暑熱に極端に弱いことを忘れていたこちらがマヌケなだけだが、それにしても、対地角度がちょっと異なるだけで、こんなに暑いなんて、理科でちゃんと教えてくれればよかったのに、と考えた。
教えたのかも知れないが、多分、子供絵本の魔方陣で悪魔を呼ぶことに熱中していたかなにかで、少なくともわしは聴いていない。

十全外人なので熱帯にも征服の手をのばさないわけにはいかなかったが、藤甲軍に手を焼いた諸葛孔明みたいというか、気候が異なるところでは、おもわぬことが起きる。

やむをえないので、冷房をつけて、ゲームをやって遊んだり、本を読んだりしています。
いつ見ても誰もいない、でっかいプールがあるので泳ごうとおもうが、暑いと涼しいことをするのまでめんどくさくなるもので、まだやってみていない。

水泳に挑戦したりモニさんを鑑賞したりして、もう少し、この町にいようと考えています。


2025年の日本めざして

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宇宙好きの子供の悪夢のひとつに、ふらふらと群を離れたおおきめな小惑星が地球に向かい始めて、ある日、科学者が軌道を計算してみると、正真正銘、地球と真っ向から衝突する、というのがある。

北朝鮮と日本の対立は、これと似ている。
政治的諸条件を計算してみると、いまのところ、北朝鮮とアメリカの衝突は不可避で、アメリカと北朝鮮が衝突すれば、最大の標的は、表面は日本が最も好戦的な言辞を述べていたことによって、本音は、いまの北朝鮮の核ミサイル技術の水準で現実に軍事兵器として信頼しうる破壊が行えるのは日本までで、グアムになればもう大気圏への再突入の問題や、GPS誘導を欠いた精度が低い飛翔を余儀なくされることによって、戦争にならないので、日本に核ミサイル攻撃を集中することによって外交的な勝利の端緒をみいだすしかないという理由によって核攻撃は日本を標的にしたものになるだろう。

もっかの状態は、核弾頭とミサイル筐体の量産体制を築きながら、トランプと安倍の愚かさによって手に入れた初期外交勝利を保持して、アメリカ国民に「おまえたちの頭のうえに核を落とせるのだぞ」と恐怖心を植え付けることで、ちょうど60年代の中国とおなじように核の力に守られた独裁社会のなかで、これも中国的な経済発展を目指している。

金正恩は、アメリカとの戦争が、そのまま北朝鮮の破滅であることをよく知っている。
そのうえ、曲芸師的なオポチュニストで、オモチャじみた核・ミサイル技術をちらつかせては外交的妥協を引きだして、長期ビジョンのある経済政策はまったく行わなかった、簡単に言えば遊び人の父親金正日とは異なって、北朝鮮の自己の政権が生き延びる道は躍進的な経済の発展にしかないこともよく判っている。

では、戦争の危険などないではないか、という人がいそうだが、なぜそれでも戦争が不可避なチキンレースの一本道を日本と北朝鮮が段々と距離を詰め合いながら向かい合いに歩いているのかは、日本の人にはアメリカ人にはまったく理解不可能な「圧迫されたもののメンタリティ」が、戦前の行動を思い起こせば、簡単に得心がいくはずで、いったん民族的な怒りに火がついてしまえば、日本人と心性が似て、日本人以上に徹底的な半島人の血がたぎって、誇張ではなく最後の一兵まで戦うだろう。

日本は本土にアメリカ軍が上陸するオリンピック作戦に怖じけづいて、呆気にとられるほど淡泊に手をあげてしまったが、なにしろ、北朝鮮は朝鮮戦争をみれば、国土が完全に蹂躙されて、寸土も余さないほどアメリカ軍に徹底的な敗北を喫しても、まだ戦う意志を捨てなかった国で、ヒットラーのドイツみたいというか、民族として辱められるくらいなら滅亡したほうがマシという国です。

しかもアメリカの大統領はトランプで、この頭が悪い、他者や他文化への想像力をまったく欠いたおっさんは、ディメンシャなのではないかと医学者たちが目下真剣に疑って危惧するほど、おもいつきで破滅的なことを始める癖があって、いよいよ国民の人気取りのために始めたアフガニスタンでの戦争がにっちもさっちもいかなくなれば、「じゃ、北朝鮮」というくらいの気安さで、戦争を始めかねない。

しかも前に何度か書いたように、アフガニスタンは「紙の上では楽に勝てそうにみえるのに、いざやってみると必ず泥沼化する土地柄」の典型で、ソ連の退役将校たちが「アフガニスタンは、やめたほうがいい。あそこは地図上の作戦と戦争の現実が異なる土地の典型だ」と述べているのに、アメリカの将軍たちは「われわれとあなたがたの軍隊とではテクノロジーの次元が違う」と鼻で嗤って、ものの見事にアフガニスタンという巨大な罠にはまってしまった。

しかもアフガニスタンと関わりを持つことは常に、歴史を通して、ロシアとの火種を抱え込むことで、オバマの政権が迂闊に戦争規模を拡大できなかったのもそのせいだが、まわりの軍事専門家がいくら説明しても、トランプの頭には入っていかないらしいが、トランプほどの粗忽さならば、ロシアとの全面対立に発展する可能性もおおきく存在する。

北朝鮮が盛んに中国を非難したりしているのも、中国と事を構えたいのではなくて、中国を可視的に巻き込んで、自分の国とアメリカの対立を中国とアメリカの対立にすりかえようという目論見だが、トランプはこちらも理解していないのは明らかで、この単純で知的能力に劣る老人の目には、中国がいよいよ北朝鮮と対立しはじめたと、なんだかその辺にころがっている政治好きのおっちゃんみたいな理解でいるらしい。

いまのホワイトハウスのボスたちの顔ぶれを見ると、自己クーデター政権というか、求心力の中心は軍人、つまりは軍人内閣で、どこにも自由主義国家らしい片鱗はなくて欧州人たちの失笑を買っているが、いうまでもなく軍人は戦争を嫌う。

あれほど好戦的だった参謀本部が呑んで戦争の拡大を収拾しようとしたトラウトマン工作を蹴ったのは近衛内閣のほうで、軍人は常に戦争についての具体的想像力を持っているので、戦争を簡単に始めたがらない。
ところが総司令官であるドナルド・トランプは戦争への想像力はゼロでしかないのが言動から判っていて、自分の都合が悪くなれば、北朝鮮への先制攻撃に走って、安倍政権もおおよろこびで参戦するのは確実なので、切羽詰まった文大統領は「朝鮮半島を戦場にされるのは、お断りします。やるなら日本との同盟を頼ってやれ」という破天荒な演説をおこなった。

その演説に対する日本社会/マスメディアの反応は「怖じ気づいた韓国の醜態」「敵前逃亡」「卑怯者」というようなものだったので、遅かれ早かれ、やはりミサイルは飛んで来て、当たるも八卦当たらぬも八卦、PAC3では、どんなタイプの核ミサイルも防ぐのは無理だが、せめてTHAADとイージス艦の防空能力に期待して、開戦があとになればなるほど増えてゆく核弾頭の、例えば百発という数のミサイルいっせい射撃のうち、何発落とせるか、星に願うくらいしかやることは残されていないのかもしれません。

最終的に戦争が起こらない僥倖があるとすれば、金正恩政権が倒れるかトランプ政権が倒れるか、あるいは北朝鮮に核開発計画の進行を認めて、おおきく妥協するか、その三つがいちばん可能性があるが、三つとも直ぐに起きる可能性は低い上に、仮に金正恩政権が倒れると、中国が一種の非武装地帯を鴨緑江沿いにつくることになって、アメリカとの対立が飛躍的に高まることになる。
北朝鮮におおきく譲歩すると、核戦争の危機が一気に遠のくが、遠のくといっても、どっかに行ってしまうのではなくて、やはりチキンレースの一本道を、十数年という向うがわに遠のくだけで、すぐに戦争になる可能性がないかわりに、より破滅的な戦争の危機が内包されて、しかも、この路線の最大の障害は、実際には「日本の核武装が確実」になることです。

アメリカの極東政策の基本は、このブログには何度か登場した、いまでは公開されている周恩来・キッシンジャー会談のときから、変わっていない。
「空前の好戦民族である日本を封じ込める」ことで、「日本を守る」という口実で居座っているアメリカ駐留軍の第一の目的は「巨大な軍事力を日本そのものに置くことで日本の軍事化を防止する」ことであるのは、アメリカ軍将校にとっては常識で、キッシンジャー自身が、言葉にして述べている。
中国との軍事的な黙契の大底をなしているのが、この「日本はアメリカが責任をもって封じ込める」という約束で、最近、人民解放軍が、政府の意向にさからって「跳ね返り行動」を取り続けているのは、人民解放軍がアメリカの約束の真実性を疑いだしているからにほかならない。

アメリカ軍が日本を守ってくれる、などという幼児の願望に等しい日本の人の願いとは別の次元で、戦争における自分の足場、いわば極東における真珠湾/グアムとしての日本という名前がついた列島を、敵が仮に上陸してくれば防御線と規定している現在のアメリカの太平洋戦略は改訂されつつあって、日本の重要性は薄れているが、ここに政府としておかれている日本政府が核武装をするとなると、中国にとってだけではなくて、ロシアやアメリカにとってもたいへんなことで、周・ニクソン以来の東アジア和平の枠組みが根底から壊れてしまうので、誰にとっても、そんなことを許すわけにはいかない。

一方で、北朝鮮がどんどん核武装の量と質を拡大していって、いまですら歴史的な好戦性を剥き出しにしつつある日本人が、黙っているわけはない。

紆余曲折を経ながら、どこかで、まったく異なるパースペクティブが得られない限り、極東の核戦争危機は煮詰まっていって、日本が列島ごと廃墟になる可能性は、残念ながら、かなり高いだろうとおもわれる。

どこで、この不可逆的にさえおもえる政治状況ができてしまったのだろう?と考えて振り返ると、日本の人が民主党政権の極端な無能さに苛立って安倍政権を選んだ時点で事態は固定されてしまった。

政治では、ダメなものとよりダメなものがふたつ列んでいるときに、比較的にマシだからという理由でダメなものを選択してしまうのは、よくあることではあっても禁忌で、そこが選挙を媒介にした民主制が生き延びていけるかどうかの要というか、ダメと、よりダメを比較している自分の視座のほうを動かすしか方法がない。
選挙の前に、仮に自分が投票しなかったとして選挙後の政治地図がどうなるかを予測して、それが少しでも自分が「こうなって欲しい」と願う政治地図になるために投票行動をとることを「戦略的投票」と呼んだりするが、到底そんなことで追いつかなければ、急激な俯瞰の転換を求めて、通りにでて叫び、事態が絶望的な場合は暴力革命を志すことすらある。
もっとも自由主義革命の母であるフランス革命が無惨な失敗に終わったことでも判るように、革命がうまくいく可能性はひどく小さくて、歴史上ゆいいつ上手くいった革命はアメリカの独立革命で、これは圧政者がイギリスという外国だったからうまくいったのだが、図式をあてはめると、日本が中国に支配される事態が起きれば、そこには革命がうまく成し遂げられる可能性もあるのかも知れません。

日本の場合は、歴史的にも、文化の本質においても、世界に例をみない、「骨の髄まで」と言いたくなるほどの天然全体主義社会で、民主的に日本を運営していくチャンスがあったのは実像とは似ても似つかない「頭がおかしい宰相」にされてしまったせいもあったが、やや理想主義的に官僚の利権と正面から衝突して、たちまち弾き出されてしまった鳩山首相くらいで、頑張って踏み止まって、政権を支持しつづけるくらいのところに日本に民主社会が実現される可能性があったのだろうが、ちょうどその頃日本にいた自分の経験からいうと、現実には到底起こりえなかったことで、やはり民主制みたいなものを軍人が他国の社会に鋳型として押しつけても、肝腎なところでうまく機能しない。
表面の型をなぞって、その根底にある精神に至るのは、難しいというか、つまりは不可能なのかも知れない。

そうやって考えると、いまの日本が迎えている危機は、要するに寸法の直し方すら教えてもらえなかったお仕着せの服が、身体にあわなくなって、社会ごともともとの全体主義的文明に回帰する過程で生まれた必然なので、考えてみれば当たり前だが、日本人が自分の頭で考え直した自分たちの社会へ作り直していく以外には、戦争の危機回避も含めて方法はないのかもしれません。

中国の若い人などは言葉にしてはっきり「西洋のモノマネしか出来なかった国の悲劇」だと日本のいまの状態を論評していたが、おかしなことをいうと、この人は天才的な頭脳の持ち主だが文学も美術も興味がないひとで、日本の文学と美術とから日本に近付いていったこちらとしては、全面的には肯定できないところがあるとおもう。
そのときは、相手が美術と文学にはまるで関心がないのを考慮して、日本の数学者たちの仕事を例に日本文明の独立性について説明したが、納得したような、しかねるような、曖昧な顔をされて終わってしまった。

やっと日本語で意味が通じることが書けそうな程度に日本語学力?が回復してきたので、ここから、だいたい2025年くらいまでの日本をめざして、日本がダメになった理由、日本がどうすればまた独立性をもった文明として繁栄していけるか、日本語学習者として考えた事をここに書いていこうとおもっています。

うければ、どんどん書くし、うけてないなとおもうと中断して、お話しがどっかへ行ってしまって、本人は遊びにいってしまうのは、いつものことなのだけど


2025年の日本をめざして_2

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歴史は繰り返す、というが、繰り返さない歴史の典型が戦争で、戦争は、ほとんど一度も過去の形態を繰り返したことがない。

むかしは死刑囚は斧でクビをちょん切られるものと定まっていて、いっぺんでクビが切断できればよいが、なかなか頚部切断の勘所に当たらないので、頭にあたったり肩にあたったりクビのまわりがギタギタになって死そのものよりも斧で痛めつけられる苦しみのほうを虜囚は恐れた。

この非人道的な死刑に野蛮を感じたのがギロチン博士で、はずれなしにスパッとクビが切断できるように工夫したのがギロチンです。

戦争における戦車の発明も同等の発想にたっていて、若いときから戦争好きの右翼おやじだったウインストンチャーチルが戦車を発想したのは膠着を常とした当時の塹壕戦を打撃力のある「フィスト」で打開するという、子供のときから人形を使った戦争ごっこばっかりやっていた戦争オタクのチャーチルらしい考えだったが、これが高級将校たちに広汎に支持されたのは、近代塹壕戦があまりに悲惨で、人間の限界を越えて、発狂する兵士は数知れず、生き残った復員兵も廃人同様が続出したので、なんとか塹壕戦をなくさないと、多少でも文明的な戦争はやれなくなってしまう、という理屈だった。

リデルハートが目を付けたのは、戦車の打撃力のある機動性で、打撃力があって機動力があるのなら、これを集団で使用して、ちょうど艦隊のように運用すればよいのではないかと考えついた。
この冗談じみて単純な考えは、思考の飛躍が苦手なイギリスにおいては採用されなかったが、リデルハートの著作を読んで感銘をうけたドイツ陸軍のハインツ・グデーリアンによって現実化されます。

戦車を集団使用して、とにかく敵の抵抗線の最弱部を突き抜けて反対側に行ってしまう。そこから後方の(軍隊にとっては神経組織にあたる)通信網をずたずたにして、各所に点として孤立した敵を、無防備な想定外の方向から攻撃して破壊する。

元祖のリデルハート、グデーリアン、フランスのドゴールのような戦術オタク以外には思いもよらなかった、あとで「Blitzkrieg」と呼ばれることになる、この戦車の集団使用によって、兵器と兵員の質・量ともに圧倒的にドイツを上廻っていた世界最強の兵力を誇っていたフランスは、あっというまに陥落してしまい、最も重要なことは、それまでは「愚かな左翼」を黙らせるために道化としてエスタブリッシュメントが操っているにすぎなかったアドルフ・ヒットラーが、三段跳びで一挙に神韻を帯びたゆいいつ絶対の独裁者「フューラー」として君臨することになってしまった。
昨日まで支配層にとっては冗談のタネだった菜食主義者で偏執的潔癖さをもった 狂人じみたおっさんが、いきなり絶対支配者になったことが、いままでの世界の歴史で最大の危機であったナチの時代を生みだしたのでした。

今度は、どうやら核ミサイルの応酬という新しい戦争を目撃することになるらしい。

前にも書いたが、子供のころ、原爆を生みだしたオッペンハイマーの有名な「I am become Death」のビデオを観て、「60年代は核の不使用どころか、全面核戦争の危険がある時代だったのだなあ。なんという恐ろしいこっちゃ」と考えたことがあったが、冷戦の終わりとロシアの国家破綻を起点にして、ついに「核使用をためらわない」と公言するトランプの登場に至った現代の世界の根底的な問題は、核という絶対暴力が自分達の文明を根こそぎに破壊するものだという認識を人類全体が再び失ってしまったことです。

キューバ危機の頃、たとえばサルトルたち、当時の哲学者は核の暴力の規模があまりに圧倒的なので人間の言語からは真理性と意味とが失われてしまっていることを認識していた。
暴力と言語に代表される認識と思惟の内面意識とは、相対立するもので、暴力が支配する世界においては言語は意味をもたない叫喚程度の意味しかもちえない。
文学などは圧倒的な暴力の下では芸術として無効なのではないか。

人間はそこに戻ってしまったわけで、北朝鮮の核開発は、実際には、その核という暴力が人間の文明の底で息を吹き返して人間の文明から意味を奪い始めたことの歴史的あらわれにしかすぎません。

歴史は、つねに一見連関のない事柄が互い協力するようにして、世界をひとつの方向にひっぱってゆくが、いま日本がメルストレエムの渦巻きに呑まれていくように、核攻撃に向かって一歩一歩あるくことになった理由の根源は、ブッシュのイラク攻撃にあります。
お坊ちゃん学校に行った人間ならおなじみのある、一種の人間味に似た、かわいげのある表情の悪魔であるブッシュは、父親をオカネの入り口にあたる顧問にして戦争で利益をうける各社につけると、アメリカの脅迫に屈して核開発をあきらめたイラクめざして雪崩をうって地上軍を突進させた。
アメリカの国益に敵対する各国の独裁者の面々は、この「惨劇」をじっと眺めていました。

父親の死後、独裁の地位をついだ金正恩が、この過去の歴史から学んだことは、「自分も核を捨てれば必ずアメリカに殺される」ということだったでしょう。

金正恩は結局、アメリカの脅迫をシカトして、核開発に国力全体を注ぎ込み、ミサイルと弾頭の開発に成功して、現状は、衆目の一致するところ、この外交的賭けに完全に勝利した。

北朝鮮が活路をみいだそうとしているのは、大雑把にいえば中国が歩いて来た道のりであることは言うまでもありません。

核とICBMの開発を強行して、とにかく持ってしまえばアメリカは手出しを出来なくなる。
その段階に至れば手近な韓国と日本への攻撃を材料に恫喝することによって外交的な戦果をあげながら、経済を発展させて、世界経済のなかに自国を組み込み、アメリカが一方的に自国を破壊するという目論見を思いとどまらせることが出来る。

世界中に北朝鮮を近い将来の投資先として考えている投資家は、たくさんいます。
勤勉で従順な国民、ほとんど資本主義を知らないウブな市場…投資家にとっては、「わたしを使って稼いでください」と言わんばかりに目の前に身体を横たえている国を前にして食指を動かさない投資家はいないでしょう。
実際、北朝鮮は、いったん国が安定すれば、ありとあらゆる投資機会にあふれていることで知られている。
しかも指導者は残酷性の強い独裁者とはいえ、経済の発展のためならどんな便宜も供与しようとすることが間違いない、しかも先が長い若い指導者であると来ている。

前回述べた絶体絶命の危機から日本が逃れ出る道もここにあって、現実の問題として、北朝鮮に核開発を黙認して、経済発展を積極的に助けるほかには、北朝鮮とアメリカ、といっても戦争になったときの実態は北朝鮮対日本・韓国の戦争を避ける方法は、多分、ほかには存在しないとおもわれる。

問題は、現実に北朝鮮の暴発防止プログラムに入る場合の北朝鮮のスタンスで、いまの状況であると、北朝鮮にとって深刻な問題がおきれば北朝鮮は日本へ小型核弾頭のミサイル攻撃をおこなって、それにアメリカが反応して自国を攻撃する姿勢をとれば、とっておきの大陸間弾道弾でグアム・ハワイ、ひいてはアメリカ本土を攻撃することをちらつかせて抑止する、というシナリオになっている。

つまりは、頭にくれば右手に握りしめた核ミサイルの剣で、おもいっきりアメリカの盾である日本をひっぱたいて、それでアメリカが激昂するようならアメリカ自体の頭上をめがけて剣をふるうと脅す、ということでしょう。
トランプが日本との軍事同盟に基づく義務を結果としてでも最後まで誠実に履行する確率は、1割、あるかないか。

このブログでは何度も出てくるように、中国の特徴は、ひとくちに「中国」といってもひとつではないことで、やや政治力が衰えてきているとはいってもいまだに独立した勢力である人民解放軍と習近平が率いる政府のふたつの勢力が中央にあって、その中央に面従腹背する存在としての地方がある。
中国という国は水滸伝を読めば得心がいきそうな国民性の反映で、世界のなかでも飛び抜けて統一を保つの難しい国で、顔を近づけて仔細に検討してみると、なんだかもう無茶苦茶といいたくなるような内情で、いまのところ統一が保たれているのは、要するに「儲かっているから」という単純な理由によっている。

儲からなくなれば、どうなるかというと、それぞれが自分の相対的な面子の上昇と利益の増大に向かって、他勢力はおかまいなしにふるまいだすわけで、日本にとって切実な問題でいうと、人民解放軍の悲願である「対日戦勝利」に向かって挑発を繰り返しだすのは、まず間違いないところだとおもいます。

そうやって考えると、トランプ大統領や安倍首相がいま向かいだした政策は、バカまるだしなことをやっていて、つまりは習近平を困らせて人民解放軍を助けようとしているようにしか見えないことになる。

習近平からみると、「なんで安倍やトランプは、そんなに戦争がやりたいんだ!」と叫びだしたくなるような事態でしょう。
人民解放軍と、それと結びついた政敵が勢いづくことは習近平が最も恐れる事態だからです。

どの戦争の前にも判で捺したようにシアワセな論者がいて「経済的にみあわない戦争などおきるわけがない」という。
近くも、1938年のイギリス人は、おおまぬけもいいところで、同じ理屈に立って「ついに世界に恒久平和が訪れた」と、いまふりかえってみると、愚かとしかいいようがない平和達成感に酔ったりしていた。
チェンバレンの政治ロジックを嘲笑うかのようにドイツがポーランドに侵攻するのは翌年の1939年のことです。

「利にあわない戦争は起こらない」理論がいかに間違っているかは経済の理屈と国権の理屈は異なるのだということに気が付くだけでも十分でもあるけれども、もうひとつ、いまの日本が直面している世界に添わせて述べると、前回述べたように「軍人は戦争を避けようとする」が、いっぽうで軍人は必要だとみなせば戦争をためらわない存在であることも付け加えておいたほうがいいかもしれません。
トランプ一家と取り巻きがあまりにひどいので日本ではマティスやケリーに期待するという、おっそろしい理屈をなす人がいるけれども、軍人は軍人なので、軍人に政治を期待して破滅的な結果にならないことは珍しい。
「良識のある軍人」ほど破滅を招きやすい恐ろしい存在はないのは、たまたま在任中には決定的な破綻が露見しなかったアイゼンハワー大統領が在任中に行っていた倫理のかけらもない、無惨なほど人間の低いところを見つめた打算だけで出来た行動を見れば十分であるような気がする。
それを冷徹な現実主義と呼ぶ人は、ついに政治にも倫理にもまったく鈍感で縁がないひとです。

軍人が戦争を避けようとする傾向があるのは戦争が現実になにをもたらすかを普通人よりも想像力をもって考えられるからだが、一方で軍人は、その悲惨をもたらす戦争行為をためらわらないように徹底的に自己を教育した存在でもある。

簡単にいえば戦争行為に関して限定してのべれば、軍人は通常の社会の基準からいえば異常者なので、また通常社会の物差しで定義する異常者でなければ戦争を職業とすることはできはしない。

いまのアメリカのホワイトハウスは、どこからどうみても実質は軍人内閣で、戦争に向かう確率は通常の国よりも遙かに高い。
ところが、その遙かに高い確率で起きそうな戦争の、ちょうど戦域に位置することがいまの日本の地政学的な不幸で、あらためて地図を観るといいが、日本は、いま戦争にむかって焦点をつくりつつある、北朝鮮、中国、ロシアのすべてに隣り合っている。
しかも軍事テクノロジーの進歩と核兵器以外有効兵器をもたないビンボ国北朝鮮の存在によって、戦場は東に拡大して、海を隔てた日本こそのが戦場になる形勢です。

アメリカが、外交的敗北を認めて北朝鮮に対して大幅に譲歩して経済を助けることになれば何とかなる可能性もであるが、失敗すれば、今度は中国がアメリカと可視的に対立しだすことは、ほぼ明らかでしょう。
そうなった場合、チョシンの地獄が、数十倍数百倍の規模になって、日本の国土で展開されることになる可能性まである。

仮に北朝鮮の金正恩政権が瓦解した場合でも、アメリカ勢力圏と国境を直截接するわけにはいかない中国は、逆に韓国を支配下におくという離れ業をみせるかも知れません。

日本の安全保障にとって深い関係があるイランについても書いておこうとおもったが、昨日おそくまで遊んでいたので眠くなってしまった。

戦争の危機の話は、もうこのくらいにして、次からは経済の話にしたいとおもっています。

では


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