Quantcast
Channel: ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5
Viewing all 799 articles
Browse latest View live

日本のこと_1

$
0
0

dsc02426

なぜ、あなたがそこに立っているのだろう、とおもうことがある。
人間が出会うことほど不思議なことはなくて、あなたと会って、結婚という社会制度に名を借りて、ふたりだけで暮らそうと決めたことの不思議をどんなふうに説明すればいいのか判らない。

いい考えだとおもう、という、あなたの答えを信じたふりをしたが、ほんとうはあなたが別段日本に限らず、アジア全体に(偏見というのではなくて)まったく興味を持っていないのを知っていた。
わがままなぼくは、信じたふりをして、まだもうちょっと付き合ってみたいと思っていた日本語が成り立たせる社会を、あなたと一緒に訪問したのでした。

東京も鎌倉も気に入らなかったけれど、あなたは軽井沢は気に入ったようだった。
「長野県の人は冗談が判らなくて、真に受けて、ニュージーランドの人たちみたいだ」と述べたら、あなたは、なんだかムキになって、軽井沢の人は善い人ばかりではないか、と怒っていたが、ほんとうは、それを聞いて、とても安堵していた。
自分の都合で、あなたの一生のうちの何分の一かを浪費したくはなかったから。

1回目の滞在の終わりだったか、あのミキモト真珠店の、白髪の老店員が、あなたが身に付けていたネックレスを指して「お嬢さんのような立派な家のかたにお売りできるような真珠を、お恥ずかしいことですが、もう私どもは持っていないのです。
海水の温度があがって、いまの真珠は、あなたがたのようなひとびとが身に付ける真珠に較べれば、二流以下のものしかないのですよ。
どうか、お嬢さんがお持ちの真珠を大切になさってください」と述べて、びっくりして、あなたは日本文化を少しずつ好きになっていった。

一瞥するだけで、社会でも個人でも、すっと本質を見抜いてしまうあなたは日本の社会が天然全体主義とでも呼ぶべきもので、そのせいで個人は深く深く病んでいて、個人から全体を見ずに全体から個人を見る、奇妙な視点を持っていることに辟易して、まったく興味をもたなくて、日本の社会で暮らしているはずなのに、すべて欧州かアメリカに住んでいるかのようにふるまって、友達も皆欧州人で、もちろん日本の人と接触すれば、途方もなく親切だったけれども、社会は嫌いで、それなのに日本という不思議な(日本の人が聞けば地団駄を踏んで怒るだろうが)途方もなく遅れた社会に興味を持つようになっていった。

軽井沢の家が、森の奥にある趣であるのも良かった。
あなたは、都会っ子で、フランス系のアメリカ人として、あのマンハッタンの、なんだかバカバカしいほどおおきなアパートメントで過ごしてきて、実家は、あの通りの日本語で言えば荘園だが、田舎で過ごしたことはなくて、そのせいで、軽井沢の家がとても気に入ったようでした。

オカネをかけて念入りに舗装された県道?の脇にクルマを駐めて、ガメ、ここでピクニックにしよう、景色が素敵、と言い出したときには、ぶっくらこいてしまった。
あなたは舗装道のまんなかに敷物を敷いて、のんびり、ランチボクスを拡げて、コーヒーを飲み出して、恬淡としている。
「クルマが来たら、どうするの?」と聞くと、
ガメは、観察力がないなあ、この道路に最後にクルマが通ったのは、さあ、一年以上前だと思う、と述べて、澄ましている。

ずっと後になって、道路が続いていく先の、何のために架けたのかよくは判らない橋が閉鎖になっていて、クルマが来る心配をしなくてもいいのが納得されたけど、
そのときは、大胆さで、モニだなあ、とマヌケな感想を持っただけだった。

きみは笑うだろうけど、ぼくは、自分がきみだったらなあ、とよく思うんだよ。
こういう感情も嫉妬と呼んでもいいかも知れません。

いつか夜のミッションベイに行ったら、バーでふたりでワインを1本飲み終わったところで、ガメ、波打ち際に行こうぜ、と述べて、途中で靴を脱ぎすてて、波打ち際に素足をひたして立った。

聴こえる?
といって、微笑う。

ほら、音楽みたいでしょう?

ニュージーランドのハウラキガルフは、潜ってみると、70年代の日本漁船の乱獲に怒ったマオリ人たちが日本漁船に立ち入らせないようにしてから、帆立貝たちにとっては天国で、カーペットのように帆立貝が生息していて、死ぬと、
亡骸の貝殻は割れて、波に運ばれて、浜辺に運ばれてくる。
その小さな小さな帆立貝の破片が、波でお互いにぶつかりあって、
なんだか超自然的な旋律を奏でる。

そのことを、なぜか、先験的と言いたくなるようなやりかたで知っていて、
現実にはどんなチューンなのかを知りたくてやってみたのだと、後で、きみはこともなげに言うのだけど。

その精細な目で、興味を持ち始めた日本を見て、カメラを持って、日本を撮りはじめた。
その最後の日を書いたブログを、いまでも懐かしく読む。

Hurdy Gurdy man
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/

きみやぼくにとって、日本て、いったい何だったんだろう。
西洋の「日本」は明らかに基礎を小泉八雲に拠っていて、人柄もよくて、親切で、日本に対して巨大な理解をもった、この弱視のアイルランド人に出会ったことは、日本の人にとっては、文字通り世界史的にラッキーなことだった。
そのことは大学で後任の夏目漱石に対しておおげさに言えば叛乱を起こした学生たちの失望の言葉を読めば判ります。

内部では北村透谷という偉大な詩人、といっても詩の形では滑稽な詩しか書けなくて、散文を書くと詩になってしまうという不思議な詩人だったが、が島村藤村という意識的に内なる詩人を殺して、散文家として徹底した詩人の魂を通じて、日本という(嫌な言葉だけど)情念を育てていった。

日本語は輝いていって、大江健三郎が生涯目標にして、手が届かなかった岩田宏や、その岩田宏を好きだと大江健三郎が述べたのを聞いて、おまえは若いのにどうしてそう詩が判らないのかと殴り合いの喧嘩になった田村隆一の頃に頂点を極めていた。
もちろん同じ時代に、西脇順三郎という人が、むかしのヴァイニルでいえばB面の佳曲をつくるように、不思議に美しい日本語を奏でていった。

その燠火が消える頃に、モニ、きみとぼくは日本にやってきて、ふたりで、
なんだか欧州人からみれば「ここではないどこか」に見えなくもない、不思議な社会を眺めていたのだった。

ぼくの日本語を読む人は、よく福島第一事故と、そのあとの政府の出鱈目に呆れて日本を去ったのだと誤解する人がいるが、現実はそうではなくて、2010年に、ぼくは日本語社会に「飽きて」、それまでは居心地がよいようにと願って買ってもっていた、鎌倉、広尾、軽井沢の家を売り払って立ち去ることにしたのだった。

ぼくの悪い癖で、興味がなくなって、そうなると戻って仕度をする気もしないので、人任せで、オークランドに着いた引越の荷物を見たら、ゴミが入ったままのゴミ箱まで、そのまま綺麗に梱包されていて、なにがなし、日本の人の丁寧さを思い出して、なつかしい気持ちに浸ったりしていた。

そうして、「日本」はどんどん遠くなっていった。
ぼくは、ほんとうのことを認めてしまえば、中途半端なことが嫌いで、中途半端が嫌いだという人間がおしなべて嫌いなので、ややこしいことだが、
言語なら母語人よりも上手でないと嫌なのだと思う。
気が狂った人のように日本語ばかり読んでいた時期があって、気が付いてみると筑摩書房の近代日本文学全集や岩波の古典文学大系をはじめとして、主立った日本文学全集をあらかた読んでしまっていた。

学校で教わったフランス語や、映画やテレビ番組が中心だったイタリア語やスペイン語に較べて効率が悪かったが、ぼくは良かったと思っている。
日本語は、実は、沈黙のために生まれた言語ではなかったか。

去年、欧州の帰り道に寄った二日間を除いて、もう、まるまる6年間も日本に戻っていないんだなあーと思う。
ぼくにはぼくと日本語を話す周りの人や友達を持たないので、もう6年間、ほとんど日本語を使ってないことにも驚いてしまう。

日本語ネットで、入れ替わり立ち替わり現れる日本人の大半は、意地悪で、悪意と憎悪をたぎらせていて、ありとあらゆる手をつくして相手を傷つけようとする人ばかりで酷いが、日本にいたときの現実世界の日本人を憶えているので、特にそれで日本人自体を嫌いになるということもないみたい。

きみとぼくが日本に数ヶ月でも住むことは、もうないだろうけど、ほら、おぼえてる?
湿気がすごい軽井沢の真夏に、家の庭の森にテーブルを出して、ふたりでシャンパンを飲んでいたら、突然、豪雨が降り出して、気持ちがよくて、ずぶ濡れになりながら、ふたりで躍り上がって喜んだ。
あるいは、ニュージーランドに行く前の日に、忘れ物を取りに軽井沢の家に行ったら、出立する朝には森全体が凍って、この世のものとは思えないくらい美しかった。

日本は最近の歴史が醜い仮面と悪趣味な服を着せてしまったが、もともと美しい国なのだ、とぼくは思っている。

日本の人の心も、同じなのかも知れません。



サバイバル講座2

$
0
0

img_5533

ふもとまで、足下に見渡す限りタシックが広がっていたのでヴィクトリアパークだったのではないだろうか。
冬で、12歳だったぼくは、遠くに暗い灰色に鈍く光っている海を見ながら、
ぼくはひとりで歩いていかなくてはいけないのだ、と頭がおかしくなってしまったひとのように思い詰めていた。
いつでも暖かい家庭と、振り返っていま考えると現実であるにしてはラッキーすぎるような代々積み重なったおおきな冨と、だいなかよしの動物たちに囲まれて、そんなことを考えるのは風変わりで愚かな子供だった証拠だが、その頃は、もしかすると「幸福」というイメージがまだ好きになれなかったのかもしれません。

子供の頃、スコット探検隊やシャックルトンの南極での冒険の物語を大好きだったぼくは、「厳しさ」や、取り分け極北という言葉があらわしているような魂の酷寒のなかに自分をおくことに、子供らしい気持ちで憧れをもっていたのでもあるのでしょう。

きみがワーキングホリデービザを頼りにしてクライストチャーチの空港に友達と3人で降り立ったとすると、きみはもう半分ゲームに負けている。
語学校で気の合う日本人仲間達と毎週のランチを韓国レストランで楽しみだしたとすれば、今回の自分を救う試みは8割方ダメだったということだとおもいます。

ガメは、へんなことを言うなあ、と思うかも知れないが、特に留学や移住に限ったことではなくて、気持ちの上で、ひとりでいない人間は、安全から遠く離れたところに立っている。

日本語世界では特に、例えば大きな地震があって、ひとびとが避難するときに、たくさんの人がめざす人の流れに身を任せて、逃げていく人もいるかもしれないけど、それはとても危険なことで、せめて、周りの人間に「なぜこの人達はこの方向に向かっているのか」を聞かなければいけない。

少なくとも、自分の頭のなかで懸命に考えて、津波ならば少しでも高いところを目指して必死に走り、空襲ならば地下の深い所にあるチューブ構造の地下鉄をめざして逃げるというふうに、自分の理性が単独で納得できるところに逃げるのでなければ安全とは到底いえないとおもう。
人間の一生のサバイバルも、とても似ている。

人間はひとりでいて自分の頭で考えるのでなければ安全ではない。
他人の判断に従うのは楽ちんだけど、それはとても自分の一生にとっては危険なことだ、というのは、あんまり観察にすぐれていなくても、親のいうことをたいした考えもなしに聞いてしまって、医師になって、大学教師になって、50歳に近付いたインチキな自分を発見して茫然としている人の数の多さを考えてみれば、すぐに判る。

医師なり公務員なりの「安定した職業」につくよりも、自分の内側に住んでいる、例のきみの最大の親友である自分自身の、よくは聴き取れない声に耳をすまして、自分自身という最大の友達が喜んでくれそうな方角に歩いて行くのが最も「安全」なのは、図書館に足を向けて自伝というような本を開いてみれば、そこここに記されている。

なんども挙げた例をここでもあげれば、コリンウイルソンという作家が作家になったのは、それが「自分にとっては最も確実に生き延びる道だったからに過ぎない」と、この人は折りに触れて述べている。

前にコリンウイルソンについて書いたときに、好奇心を起こして日本語ウィキペディアを読んだら、「経済的事情から16歳でやむなく学校を去り」と書いてあって、びっくりしてしまったが、この「アウトサイダー」と「殺人百科」の著者が、自分にとっては学校は危険な場所で、なるべく早く、皿洗いでもなんでもしながら著作家になるのでなければ、社会という石臼に挽き殺されてしまうだろうと考えたのは11歳のときで、例えば同じウィキペディアでも英語のほうには

By the age of 14 he had compiled a multi-volume work of essays covering many aspects of science entitled A Manual of General Science.

と書かれている。

人間にとっては、自分でない自分の方角へ歩き出してしまうのが最も危険なことで、たいていの場合、小さいときから、折りにふれて「自分は医者になりたかったがダメだった」と残念そうにつぶやく父親や、この子が大学の先生になったら、どんなに素晴らしいでしょう、と夫に言って楽しげにしている母親こそが、きみ自身の最大の敵であるという事態は、おもいのほか、ありふれた事態で、一生で初めて出会う自分の一生を根底から台無しにする罠は、意識的無意識的に両親が仕掛けたものであることは、どうだろう、ほんとうは圧倒的に多数なのではないだろうか。

自分が何になりたいかを考えるのは、普通の人間には、まず無理で、自分の心のなかにある磁針が自分のやりたいことのほうを向くように自分の心を開いてリラックスした状態にして、少しでも夢中になれることのほうに自分の足を向けていくのがよさそうです。

ひとりで空港に立って、ほとんど言葉も判らないまま空港から町へ向かうシャトルを探して歩くきみは、なんだか泣きそうな顔をしている。
義理叔父は、80年代の初め頃には、安売りの「訪問チケット」には、よくそういうことがあった、いいかげんなチケット屋にだまされて買わされたシアトルでの入国審査と乗り換えの時間が15分しかないチケットで乗り換え便が出てしまって、見かねた見ず知らずの香港人がデスクを叩いて交渉して手に入れてくれた代替便のシアトルからデンバー、デンバーからシカゴ、シカゴからニューヨークと飛行機を乗り継いでニューヨークに着いてみたら、夜中の1時になっていた。
しかももともとはラガーディアにつくはずが、ニューアークに着いて、ニューアーク・リバティはニューヨーク州ですらないニュージャージー州の空港なので、途方にくれて、現金もないのに、とにかくそれしか方法がなかったのでタクシー乗り場にオカネも持たずに並んでいたら、自分が立っている、すぐそばの駐車場で、銃声がして、翌朝わかったことは、ひとりの女の人が撃たれて死んだ現場に立っていた。

おれは呪われているんじゃないかとおもったよ、というので笑ってしまった。
やっぱり西洋とは相性が悪いんじゃないかと考えた。

面白かったことがひとつあってね、パンパンパーン、と拳銃の音がしたら、立っているのは俺だけで、周りのアメリカ人たちは見事に地面に伏していて、半分くらいのひとは教本どおり銃声に足を向けて自分の身体を倒している。
おれ、多分、この国で生きていくのは無理だな、としみじみ考えた。

やけくそで、一文なしのままスラムの一角にあるSさんのアパートがあるビルに夜更けに着いたら
全然安全じゃない通りにSさんが立っていて、渋谷のハチ公の前で待ちあわせていた気楽なひとのように、やあ、と言って手を挙げるの、おれはもう涙がでて、その場で泣き崩れそうだったよ。

そういうのって、赤ゲットっていうんじゃないの?
うるさい。ガメ、それに、それ死語だぞ。
と話しながら考えていたのは、なるほど日本語人が英語世界へ初めてやってきて、新しい生活を始めるというのは冒険なんだな、という発見でした。

そんなの当たり前じゃない、という人がいそうだが、そうでもなくて、
いま考えてみると、なにくわぬ顔をして両親が計画的教育をしていただけだが、
あっというまに着いてしまうパリやミラノ、親の夏の家があるコモ湖やジュネーブはもちろん、お伴をしなさいと命ぜられては、その頃はもちろんヒルトングループの手におちて、どうにもならないほど落ちぶれてしまう前の、かーちゃんのマンハッタン短期滞在の定宿だったウォルドフアストリアの、いつもおなじタワーのスイートで、しかも子供の頃のぼくから見ると、アメリカ人の、なんだかヘンテコリンな発音だったが、英語は一応英語で、なんでコットンバッドが「Qチップ」なんだ?と無限に疑問が生じる会話だったが、それでも自分が見知った英語人とはまるで種類が違う英語人たちが右往左往していて、むかしは肩章のある白い制服だったいかにもブルックリン子のボーイさんたちと、話して、笑い転げたりしていた。

実感として、どこかへ、えいやっと跳ぶわけではなくて、生活範囲がおおきくなるにつれてじわじわと広がってゆく感じで、特に英語を話す町でなくても、その感じのおおもとは変わらなくて、まるで空飛ぶ咸臨丸でアメリカを訪問したような義理叔父の感想とは、まるで異なる。

きみが友達とつれだって他の国を訪問してみようとおもうのは判らなくはないけど、グループで、と決めた瞬間、きみのせっかくの旅の決心は、もうそこで半分死んでしまっている。

留学や旅行を例にとって話したけれども、もちろん国内で一生を送るのでもおなじことで、自分が他人とグループをなしているときには、耳をそばだてて自分自身の心に聞いてみると、たいてい警鐘を鳴らしている。
ひとりでいなくていいの?
ひとりで世界と向き合うのでなければ、世界の一部ごとちぎれて、世界のまあるいシャボン玉のなかで、お友達が吐く楽ちんな意見の息を一緒になって呼吸しているだけじゃない、と足を踏みならすようにして、きみに伝えようとしている。それに、

ひとりでないと仲間がつくれないでしょう?
友達でいえば、友達は、まったく異なる独立した魂の持ち主が出会って、岩田宏が美しい詩のなかで述べているように、きみと会うのは初めてだけど、きみと会えなかったらいったいどうしようかと そればかり考えていたよ、とお互いを抱きしめたくなるほど、急速な化学反応のように、この人は、どっかへ行っちゃっていたわたしなんだ、と感じるから友達なので、友達というものはもちろん友達を作りたいとおもって積極的に作ったりできるものであるわけがない。

まして「大好きな人」は、会ったその日から、ふたりで同時に発狂してしまった人のようになって、明日は試験だというのに夜の6時から朝の4時まで、4時やまもとになって声が枯れるほど夢中になって話しあって、世界など眼中になくなって、
あんないけないことや、こんなひとに言えないことまで許しあって、気が付くと、離ればなれに暮らすなんて考えられなくなっている。

でも一緒に発狂して空が二倍の大きさになって、世界が突然素晴らしい色彩に輝き始めるのは、きみと「大好きな人」が、まるで異なる人間同士だからで、ひとりとひとりで完結している人間同士でなければ、融合は起きるはずがない。

なんだか今日は教会の十字架の前で、よだれかけみたいな白い服を着て、神様が書き損なって失敗した黒表紙の脚本を手に持ったおっちゃんのスタンダップコメディみたいになってしまったけど、
この世界を生き延びたければ、きみはどうしてもひとりでいなくてはならないんだとおもう。

仲間なんていらないでしょう?
友達は、例えば大学の食堂で、昼食を食べているんだか言葉の剣を抜いて決闘しているんだかわかんないような毎日を送っていたぼくですら、友達なんかいらん、とおもっていても、ひとりまたひとりと増えて、いつのまにか、久しぶりに顔をあわせると、相手の、なつかしくて涙をじっとこらえる顔をおもしろがるほど、向こうもきっとおなじことを観察してアホみてえと思っているだろうけど、離れがたくなって、もうこいつの考えることなんて、どうせこいつの考えることなんだから、正しくたって正しくなくたって、どうでもいいや、いまのアンポンタンのままでいいから、ずっと長く生きてくれ、と思うようになる。

繰り返していうと、友達はきみがきみで居続けた結果として「出来てしまう」もので、お友達になりたい、というのはだから論理にも情緒にも反していて、ほんとうの言明ではありえない。

サバイバル講座、を書き出した後悔は、ぼくは、あんまりこういうことを話すのが得意じゃないんだよ。
なんだか話しているうちに、すっかり飽きてしまった。
だから約束はできないけど、もし書く気が残っていれば、今度は学問や職業の選択のやりかたについて話しに戻ってきます。
ツイッタやなんかで付き合いがある人は知っているわけだけど、ぼくは具体的な話以外には、たいした価値を認めない。
誰かが言っていることは上の空でしか聞いていなくて、やっていることしか見ていない。

「このひとは人間は問題だが良いことは言っている」というようなことを述べているひとを見かけると、述べている本人が言葉が人格と切り離せるものだと妄想しているのがわかって、それは取りも直さず本人が人間というよりは人間のパチモンみたいなヘンな生き物なのを告白していて、興ざめというか、バカバカしくて何事かを述べる気が削がれてしまう。

自分に課した育児期間が終わったいまは、何をするにも時間が惜しくて仕方がない。
他人に「こうするのがいいんちゃう?」と述べる時間はムダな時間のなかでも気が遠くなるようなムダで、向いてもいないし、多分、おなじ話題に戻ってくることはないだろうけど、万が一もどってきて書こうと思うようなことは、過去の記事に繰り返し書いてあります。
いま思い出すだけでも、政治的な人間になるな、徒党を組むな、防御的な姿勢をとるな、YESかNOか迷ったらNOと言え、邪な人間に憎まれない人間は要するに本人が邪悪なのさ… と、まあ、チョーうるさいことで、親切な人間の傍迷惑さというものを思い起こさせる。

到着した空港で、呆気にとられた顔の友達たちを尻目に、「じゃあ、ぼくはここからひとりでホストの家に向かうから、日本に帰る前の週くらいになったら、また会おうね」と述べて、すたすたと歩きさってゆくきみは、まるでぼくの若い妹か弟のようです。

がんばらなくていいから、自分自身を欺かないで、なんとか自分自身に親切にして生きていこうと固く決心したきみが、パブで働いて、ある日ふと店のなかを見渡してみると、椅子席はガラ空きに空いているのに、立ちテーブルを選んで、奇妙に背が高い、にやけた顔のにーちゃんが半パイントのラガーを持って立っていて、その傍には、なんだか現実でないような、目が覚めるように美しい女の人が微笑んでいる。
きみは、きっとにやけたにーちゃんの背中の赤いゴジラを見て、クスクス笑いだすに違いない。

ゴジラTシャツって、聞いたときのイメージとはちがって、なんだか、炎を吐いてすごんでいるわりに可愛いゴジラだったんだな。
どんな人だろうと、ときどき考えた、あの人は、やっぱりヘンな人だったんだ、と納得する。

ほら、会えたでしょう?
きみの友達に。

ぼくだって、ずっと待っていたんだよ。

でわ


バノンという厄災

$
0
0

dsc00559

ラウンジャーに寝転がってコミュニティペーパーを読んでいたら、ページの3分の1ほどもある、若い、いかにも屈託がない4人のイギリス人の男女の写真があって、「Team Brexit」と書いてある。
なんじゃ、これは、と思って読んでみると、イギリス人は欧州の助けなどはなくても、ちゃんと健康にやっていけるのだということを世間に見せるためのランニング・チームだという。

ますます、なんのこっちゃ、だが、到頭イーストベイ・クーリエという最も豊かでリベラルな地域のコミュニティペーパーにまで、こんな記事が出てくるようになってしまったことに軽い衝撃を感じる。

Brexitは人種差別とは何の関係もない、という建前になっている。
大陸欧州との考え方の違いや大陸欧州的に硬直した官僚主義と、イギリス的価値は相容れないと述べているだけである。
Brexit支持者の主張であって、日本でも未だに人気があるモンティパイソンのメンバーも、同じ趣旨を述べています。

人種差別とは何の関係もないBrexitは連合王国の正式の外交方針になって、その結果、アジア人は路上で唾を吐きかけられ、ロンドンで生まれて育ったジャマイカ人は「国に帰れ」とクルマから叫びかけられる。
たいてい白い人しかいない夜更けの小さなスタンダップコメディクラブでは、中国人や日本人を嘲笑するネタが、ぐっと増えている。

80年代に日本人とみると、すれ違いざまに「自分の国へ帰れ、猿め」と述べたりするのは戦争を通じて日本人への憎悪を育んだ老人たちか、パンクなにーちゃんたちと決まっていた。
ことさら判りやすい扮装のスキンヘッヅがダブルデッカーの二階席で跳びはねながら、誰に向かってなのか「ジャップ、国へ帰れ」と、アホはアホらしく集団で床を鳴らして跳びはねていたのを最後に見たのは1991年ではなかったろうか。
舗道から眺めていたガキわしは、どうも、治らないよね、このわしらのビョーキ、人種差別は北海文明の本質なのではなかろーか、と子供らしからぬ諦念をもって考えていたのをおもいだす。
あの頃は専ら日本人が対象だったが、この頃なら、中国人が対象だろう。
あの剃りハゲたちくらい頭が悪ければ、どこかで頭の線がショートして、いつのまにか中国は日本に戦争を仕掛けて勝利したことになっていそうな気がする。
まだ日本が国として存在すると、わかっていないのではないか?

大統領選挙期間中、Steve Bannonがトランプ陣営で軍師を勤めているようだというニュースは英語人の眉をくもらせた。
バノン?
あのバノンかい?
飲んだくれの白人至上主義者。
他人種を絶滅させるというようなことになると、ますます働きがよくなる鋭敏な頭脳の人種差別主義者。
いや、人種差別主義者という言葉は正確ではなくて、もっと正鵠を期せば人種絶滅主義者だろう。
アフリカ系人などは根こそぎにしてしまえばよいし、アジア人は平べったい顔を見ただけで虫酸が走る、という絶対白人優越主義の伝道師バノン。

トランプがただの「おやじパリス・ヒルトン」から、もう一歩さらに危険な人物へ変貌したのではないか、という考えがみなの頭をよぎって、嫌な気持ちがした。
しかし、まさか、いくらトランプがバカでもバノンは極右への影響力を利用するために陣営に導き入れただけだろう。

「そこまでのことは起きるわけありませんよ。現実の世の中は案外と無事平穏にすすむものなんですよ。あなたはオーバーだなあ、わっはっは」なのは、程度は異なっても日本人だけではない。
西洋の人間もおなじで、最大の根拠は、いろいろあったのは事実だけど、世の中はまだ続いているじゃない、
心配しないでのんびり行こうぜ、ということであると思われる。
いままで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫ですよ。
それに戦争みたいなものも二度の大戦から人類はたくさん学んだからね。

Steve Bannonが入閣した、というニュースは、おおげさでなくて、鈍器で頭を殴られるくらいの衝撃だった。
なあああーんとなく、それでも「海の向こう」のことであったアメリカのバカタレぶりが、他人事ではなくなって、自分の仕事の分野でも対処しなければいけなくなったのは、まさにSteve Bannonが入閣したせいだった。
背景のおおきな絵柄の政治的な事柄が市場に直截影響を与えるのは、80年ぶりというか、わしキャリアでは初めてです。

Bannon入閣のニュースでボーゼンとしているうちに、バノンはあっといまにNSC (National Security Council)、日本語でなんと呼ぶのかいま調べてみるとアメリカ国家安全保障会議を牛耳る地位についてしまった。
もう意図を隠さなくなった、というべきで、バノンの「世界を地獄の業火のなかにたたきこんで、その混乱のなかから白人種が世界の支配者として復活する」というヒットラー的な人種闘争の年来の信奉者であることを考えれば、自由に戦争という外交手段を操れるポジションにつくことは、ずっと前からの戦略だったのでしょう。

考えてみると、権力の働きという角度から考えると、要するにミャンマーでクー(クーデター)が起こって軍事政権が誕生したのと同じ事で、好戦性において、民間人と軍人の立場が逆転しているだけで、シビリアンコントロールが徹底した制度を逆手にとったバノンらしい妙手と言えなくもない。

むかし不穏な時期のオーストラリアのアウトバックに行こうと思って、近所のオーストラリア人に治安を聞いたら話の最後に「ぼっちゃんは白人だから大丈夫ですよ」と言うので、ぶっくらこいてしまったことがあった。
え?おっちゃん、いまもう90年代だよ?
もうすぐ21世紀なんだよ?
それで、白人じゃないと無事じゃないかもしれないの?
うっそおー、と思ったが、
今度、折りを見てモニとふたりでアメリカの中西部の田舎を旅行してまわって、いろいろな人と話してみようと思っているが、
90年代などはかわいいもので、いっそ30年代まで逆行したような雰囲気であるらしい。

21世紀になっているのにジョージ・タケイたちが、また日系人狩りが始まるのではないかと心配しているのは滑稽だと書いている人を見かけたが、アメリカ人が排外主義に走ったときの暴力性と徹底ぶりを肌で学習した世代にとっては、この白人至上主義が、日系人にまで及ばなければ、そちらのほうが不思議だと感じている。
もしかすると日本人が無事でいられるのはハワイとオレゴンとカリフォルニアくらいだけになってしまうのかもしれない、と不安な未来像を組み立てている。

Bannonのやり方や考え方をよく知っていれば、ムスリムバンは、別に徹底しなくてもよい、まして、テロ対策だなどとは発案者の当の本人が露ほども信じていないのは、誰にでもわかる。
彼が踏み出したのは、白人支配復活への戦略の第一ステップで、まず国内で騒擾を起こして混乱を起こすこと、だいたいみっつくらいの種類の騒擾を起こして、国内が昏迷していけば、その次は国外での騒擾で、国家主義的な「愛国心」を大規模に育てることを目論むだろう。

ターゲットは無論中国だが、バノンは、それこそ「ナチの手口」を、意味も判らずに使った日本の政治家とは異なって、長年研究を重ねてきているので、手強い敵は我慢しうるかぎり後において、取りあえず、油断している日本をターゲットにするつもりかもしれない。
ツイッタで、こりもせずに日本語で英語世界で行われている観測を述べたら、
「不安を煽るな」から始まって「ジャパンハンドラーが去ったので大丈夫です」
「世界2位と3位のGDPの国を破滅に追い込むなんて考えられない」
という人が案の定やってきて、すぐさま中止して、
「おかあさんは、死なないんだよね?」と母親の膝にすがりつく幼児を思わせるような日本のひとの、いつもの、「なにも悪いことは起こらない。絶対、絶対、起こらない」の反応を楽しむだけにしたが、現実から顔をそむけて、自分が心のなかに描いた暢気な書き割りだけを見つめて暮らせば、結局はどうなるかは1945年に日本を襲った徹底的な破滅の教訓が教えている。

トランプは、日本が安全保障上、完全にアメリカに依存していて、しかも政権はマヌケなことにアメリカが日本の利益を守るために行動すると盲信している好戦性の強い政権であることを見逃すはずがない。
トランプが、というよりもバノンが、ということになるが。
バノンという人は悪意と他人種への憎悪の炎のなかに立っているような人で、善意志などは鼻で笑う人だが、厄介なことに戦略的な勘と機敏な行動力には恵まれている人であって、NSCのまんなかに座らせてみると、破壊神が降臨したような、このくらい世界を破滅に追い込むことに向いたひとはいない。

イスラム人を入国禁止にして、なぜアメリカを分裂させるようなへぼな政策を初めに打ち出すのか、とヒョーロンカ的な気楽さで述べている人達がいるが、
スティーブ・バノンは分裂と混乱をこそ望んでいるのだ、ということを知らないのではないだろうか、と考える。
ヒラリー・クリントンが代表するようなエスタブリッシュメントによる安定は、バノンにとっては最も苛立たしい停滞であり、粘着して、アメリカ社会にこびりつくような富者の驕りにしかすぎなかった。
彼は破壊者であって、建設には興味をもっていない。
ワイフビーターでアルコール中毒なのは、よく知られているが、妻を殴ったりウイスキーを毎夜ひと瓶開けて怒鳴り散らすよりも有効な自己の解放を発見したバノンは、日毎、活き活きとした表情を見せるようになっている。

そして、念願どおり破壊の王の玉座に座った彼の手には、世界をなんども焼き尽くすだけの核兵器が握られているのです。


若い友達への手紙4

$
0
0

dsc00555

金曜日なので田舎へ遊びに行こう、と誘うと、
ガメのくるまは床の穴から道路が見えていて怖いから嫌だ、とわがままなことを言う。
いや、あのクルマはギアチェンジシフトのスティックがすっぽ抜ける癖がついて危なくなったので、新しいクルマに変えたから大丈夫、と言いかけて、今度のクルマは助手席側のドアが取れてなくなっていて、色違いではあるが新品同様のドアが手に入るのは来週で、いまはまだ「透明ドア」のままなことを思い出して、口をつぐみます。

ぼくは20歳だった。
ダッシュボードがあるだけ美品であるとおもうが、その女の人はオカネモチの娘なので、中古車のsubtleな美が理解できるともおもえない。

親にねだれば、いくらでもオカネを振り込んでくれて、明日からでもひとりで高級アパートに住めるのでは、ビンボもいんちきであると言わねばならないが、たとえば上に書いた元わしガールフレンドは黒の、ちょーカッコイイ、ベントレーのヴィンテージスポーツカーに乗っていたが、日本円で計算しなおせば一億円を軽く超えるああいうクルマに乗って、いいとしこいてもいないのに、夜毎、赤いカーペットとシャンデリアのある高い天井の下を歩いて過ごすような生活は正しくないように感じられていた。

「正しくない」はヘンだし、言葉としてカッコワルイが、その頃の自分の感情を表現するのには、いちばんしっくりくるような気がする。

ロンドンにいればイーストエンドの、隣のテーブルで中東人たちがファラージュやトランプが聞きつけたら大喜びしそうな談合にふけっているレバニーズカフェで、ファラフェルを食べていたり、マンハッタンならば、いまはもう閉まってしまった、ビレッジの英語なんか金輪際通じないラティノ人たちの定食屋に入り浸っていたりした。
きみは「定食屋に『入り浸る』って表現としておかしくない?」というかもしれないが、あの店にはバー、日本語でいうカウンターがあって、そこで赤豆がいいか黒豆がいいか悩んでいると、隣に腰掛けたおばちゃんが、「あんた絶対赤豆よ。黒豆なんて、ろくな人間の食べ物じゃないわよ」と話しかけてきて、それを聞きつけたおっちゃんが「なんちゅうことを言うんだ、ばーさん。ここの黒豆スープは世界一だぞ。」と述べにきて、「ばーさんて、なによ、この洟垂れ小僧」と言い返して、言葉だけ聞いているとすごいが、みなニコニコしていて、カウンターの向こうでは店主のおっちゃんがニヤニヤしながら見ている。
客は昼ご飯に来ているというのは口実で、話しかけやすそうな人間を見つけては、ダベって、午後のひとときを過ごしにくる。

ドレスダウン、という。
スピードダウンとは異なって、ちゃんとした、というか、ちゃんとした、は変か、普通に使う英語です。

冬空の下でも、Tシャツにジーンズで、お尻のポケットにはぐっちゃぐちゃなベーオウルフのペーパーバック版が突っ込まれていて、スケボーを抱えて雑踏のなかを歩いていた、20歳で、途方もなくバカタレな自分のことを思い出す。
なつかしい、という見苦しい要素が混入してきたのは、それだけ歳をとってきた、ということでしょう。

その頃は冬の低い空が好きで、鈍色の空の下で、通りを歩きながら、金融バブルでにぎわう街の、角角におかれた不幸の暗示であるかのような、ホームレスの人々や、よく見ると何日も着古した服の、顔まで少しよごれたティーンエイジャーの女の子たちをスポットして、「あそこに社会の実相へのドアが開いている」と若い人間らしい考えをもったりしていた。

その頃はまだ、日本語が子供のとき日本にいた頃の言語能力の続きみたいで、ちゃんと判っていなかったから、岩田宏の「神田神保町」を読んでも、意味が判るだけで、岩田宏というひとの、出口という出口を自分の日本的心性に満ちたすぐれた知性で塗り固めてしまったような、やりきれない閉塞と哀しみを理解してはいなかった。

自分のブログ記事を引用するのも変な人だが、めんどうなので(ごみん)
自分で書いた記事の引用を引用する横着をすると、

****************

「神保町の 交差点の北五百メートル
五十二段の階段を
二十五才の失業者が
思い出の重みにひかれて
ゆるゆる降りて行く
風はタバコの火の粉をとばし
いちどきにオーバーの襟を焼く
風や恋の思い出に目がくらみ
手をひろげて失業者はつぶやく
ここ 九段まで見えるこの石段で
魔法を待ちわび 魔法はこわれた
あのひとはこなごなにころげおち
街いっぱいに散らばったかけらを調べに
おれは降りて行く」

という出だしで「神田神保町」は始まるが、自分で記録したとおり、そのとおりの姿勢で
岩田宏は
「街いっぱいに散らばったかけらを調べに」
出ていった。
60年代の政治の季節のなかに。
巨大な鉄鋼の歯車に挟まれるようにして、たくさんの若い女や男が血を流している街のなかに。

「とんびも知らない雲だらけの空から
ボーナスみたいにすくない陽の光が
ぼろぼろこぼれてふりかかる」

「神保町の
交差点のたそがれに
頸までおぼれて
二十五才の若い失業者の
目がおもむろに見えなくなる
やさしい人はおしなべてうつむき
信じる人は魔法使いのさびしい目つき」

「おれはこの街をこわしたいと思い
こわれたのはあのひとの心だった
あのひとのからだを抱きしめて
この街を抱きしめたつもりだった」

さっき、この詩を思い出していたのは、チョー散文的な理由で、日本の人のひとりひとりの実質的な収入が1960年代に戻ってしまったようだ、と日銀の統計ページを見ていて、思ったからなんだよ。

国はまだ先進国なのかもしれないが、日本人に生まれたきみのふところは、どう考えて、どんな角度からみても、ビンボ国の若者の財布の薄さになってしまった。

この頃は、英語世界にも、先行世代が築いた富をただただ取り崩して借金を積み上げてゆくだけの、いまの日本の信じがたいほどのダメっぷりは、年長世代の、主に男達の「考え方」に起因していて、労働の実質よりも労働時間の長さを尊び、現実を直視せず、他人の言うことに耳を傾けるどころか、ちょっとでも自分達の社会を変える善意志を持たないなまけぶりがバレそうな方向の言葉を耳にすると狂人の集団のように群がって中傷誹謗を繰り返して相手が沈没するまで攻撃する、というような内情がばれて、さっきも日本の男達の時代遅れなダメッぷりについて書いた英語新聞記事を紹介したツイートをした人がいて、読んで見て、まあ、繰り返しというか、日本の当の男達だけが呪文ような決まり文句を唱えて認めないだけで、誇張でなくて世界中の人が繰り返し述べていることがまた書かれているだけだったが、読んでるほうは、もう飽きたというか、いくら言ってもムダでっせ、な気持ちしか起こらなくなっている。
なにしろ日本語世界では、トロルでしかないおっさんたちがマジョリティで、たいていは外国で生活しているらしい、まともなことを述べる人々は絶対少数派なのは、どんな人が見ても明らかです。

では日本に残る選択肢はないかというかというと、選択肢としてはバカまるだしで救いがないほど愚かだが、このあいだもきみに述べたように、仮に自分が日本に生まれた日本人だとして、想像力を逞しくしてみると、どうも日本にいることを選ぶような気がする。

数寄屋橋公園ですら、茂みにシンチレーターをかざすと、ぎょっとするような数値だという。
軽井沢は、どうやら東と南の、いつもの霧の進入路とおなじ経路で放射能雲が進入したとかで、ぼくがよく散歩した森がある追分などは、ホットスポットと呼んでいいくらいであるらしい。
「それなのに、近所のフランス料理屋はきのこ祭りといって、地元のきのこをふんだんに使った料理を出してるんだよ」と軽井沢の友達から憂鬱げなeメールが届いたのは、去年の9月だったろうか。

自分の現実世界での履歴から考えて、日本のサラリーマンとーちゃんの家に生まれて、郊外のベッドタウンで育っていれば、多分、案外、社会のその他おおぜいの兵隊生活に放り込まれたら死んでしまうと考えて、あるいは話が通じる友達と会えることを期待して、一生懸命勉強して、トーダイなり、試験が難しい大学に入っているのではなかろうか。

ガメは相変わらずヘンなことを言うね、と思うかも知れないが、数学と物理が得意で、英語が苦手な、国語は縦に書いてあるから嫌いじゃ、と述べるストロングスタイルの受験生になっていたかもしれない。
義理叔父や例のトーダイおじさんたちから、東京大学の入試は真冬のクソ寒い日に会場からおんだされて、二時間くらいも寒空の下で難民みたいに、凍えながら午後の試験の開始を待つんだよと聞いて、大笑いしてしまったことがあったが、ぼくは自分の性格のゲーマー部分を発揮して、要領もよく、暖かいカフェで昼ご飯を食べて、「午後もがんばるどおおおー」とノーテンキなことを述べるいやな受験生だっただろう。

修士までやって、就職して、やってられんと考えて、会社をやめて、テキトーに役所かなんかでバイトをしているのではなかろーか。
ときどきアパッチサーバーをつくって、余剰の収入を得たりしながら、めざせ年収400万円で、高田馬場の、小さなアパートで、明日はどの定食屋に行くべきか研究していそうな気がする。

それからぼくは旅にでる。
留学や移住じゃないんだよ。
高田馬場の見るからにインチキな航空券屋のカウンタで買った、一枚の、スターアライアンスの世界一周チケットを握りしめて、ふところの500ドルと、からきしダメな英語と、銀行口座の、外国にでかけてしまえば引き出せるかどうか覚束ない30万円だけを頼みに、とりあえず、なんだか正体が判らなくて怪しげな、背がめだって高くて綺麗な奥さんがいるらしいヘンテコな外国人の書いたブログ(しかも日本語)を信じてしまったことを半ば後悔しながら、ボーイング777のいちばん後のトイレの臭いが漂うエコノミークラスで、「どうしていいか判らなければ、とにかくスマイルじゃ。スマイルしまくっておればどうにかなる」という、あのガメ・オベールとかいう、ゲームオーバーな、ふざけた名前のブログ人の言うことを思い出して、ぎくしゃくした不自然な微笑いをうかべながら、コーヒーを頼むのに慌てて「アイムブラック!」と叫んで周囲の爆笑を買っているかもしれない。

先進国は大都市にかぎって、日本料理屋や日本食材店でバイトをして、ベトナムやマレーシアやタイの田舎を巡って、アフリカの町や、南米の湖を見て歩くだろう。

そうしているうちに、ビンボは若いときにはたいへんではなくて、歳をとってしまったときの生活の展望が持てないからたいへんなだけだという単純な現実に気が付くのに違いない。

天然全体主義を制度的な全体主義に変えようとして必死な安倍政権や、国を覆う勢いの放射性物資ですら、自分にとってはたいした問題ではなくて、自分を幸福にすることだけが自分の焦眉の問題なのだと、世界を見て歩いたあとに実感しない人間はいないだろう。

旅は人間に「明日」を与える。

The Motorcycle Diaries

http://www.imdb.com/title/tt0318462/

を見ると、若いゲバラが、南米を初めて理解してゆく様子がよく判るが、日本語という架空な現実と書き割りに囲まれた社会で育ったきみが、だんだん自分が「外国」や「世界」という名前で呼んでいたものこそが「現実」だったのだと、特に理屈立てて言われなくても判ってくるに違いない。

ガメ、それで、世界を1年かけて一周して、帰ってからどうすればいいって言うんだい?
ときみは聞くかもしれないが、
なにもしなくていいんだよ。
また同じバイトで、その日暮らしで、ホームレスになって、乞食になったって、別にいいじゃない。

ぼくは、ぼく自身が考えたこともなかっただけでなくて、友達も、妹も、両親ですらぶっくらこいてしまったことには、意外にも結婚して、あまつさえ冨まで形成したうえに小さなひとびとが走りまわるようになって、美しい人と幸福な家庭をつくって、なんだか冗談みたいというか、これがほんまにおいらの暮らしかという生活をしているが、本来は、ポケットにしわくちゃの20ドル札を一枚だけ突っ込んで、ヒースが広がる丘の上に腰掛けて、古本屋で買った、もう誰も振り返りもしなくなった作家の本を読んでいるはずだった。

日本でも、先週サイトで見たチョーおいしそうなトンコツラーメン目指して時給1200円で労働したり、正面から話してみたが止めさせてくれそうもないので、ぶっちして、来週は四国のお遍路道を歩いてまわってみようと画策したり、
生産性が低いどころか、ゼロの一生を歩いているだろう。

日本の社会となるべく関わりあいをもたずに、ひとりで、見届けたいものを見届けて、聴き取りにくい声に耳を傾けて採集して、なにも言わずに、なにも書き残さずに、野良猫がふっといなくなって死んでしまうように死ぬだろう。

さよならも言わずに


インド洋の世界

$
0
0

img_5605

旅客機が発達する以前、船が大陸間をつないでいた頃は、インド洋は「危険な海」で有名で、三角波が多いとか、暴風の日が多いという理由かといえば、反対で、あまりにベタ凪の日が続くので、乗客が倦んで、船から投身して自殺してしまう人の数が多いので有名だった。

あるいはインド洋の海底は、伝説のアトランティスそのまま、海に沈んだ大陸が初めて科学の力で発見されて、モーリシャスの最も古くても900万年前でしかない地層に、そっとくるまれるように見つかった30億年前のジルコン(ZrSiO4)塊の謎が解明されて、インド洋があるところには、大昔には大陸があったのだということがいまでは判っている。

日本との関連でいえば、太平洋戦争初期、まるでさすらいの盗賊団の趣があった大日本帝国海軍機動艦隊は、スリランカのコロンボまで遙々でかけて空襲して、このときマジメに作戦されたらイギリス東洋艦隊はいきなり壊滅だったが、南雲忠一らしく、「やりました」というだけの中途半端な攻撃で終わってしまったので、イギリス側は、「なんのこっちゃ」と思いながらも、胸をなでおろすことになった。

閑話休題

ぼくの部屋、というか投資部屋の壁には世界地図があって、というよりも世界地図が映し出されているでっかいスクリーンが二枚あって、ひとつは伝統的なユーラシア大陸と北米大陸が爪先立ちでのびあがって、塀ごしにキスしてるような、例のあの地図で、もうひとつは、インド洋がちょうどまんなかにあって、左端が西アフリカ、右端にニュージーランドがやっとひっかかっているくらいの位置関係の地図です。

この地図によれば主役はインド洋に面している諸国で、インド、インドネシア、イエメン、イラン、サウディアラビア、ソマリア、オーストラリア….というような国が並んでいる。

もうひとつ簡単に気が付くのは東南アジアで中国がやっていることは何か?ということで、タイランドに浸透しようとしていたり、メコン川を支配しようと努力していたり、要するにナチ・ドイツがダンチヒ廻廊を取り戻して北海へのアクセスを確保しようとしていたようにインド洋へのマラッカ海峡を経由しないですむアクセスが欲しくてたまらないもののようである。
中国が無理矢理な強引さでSpratly Islandsに要塞と飛行場を建設しているのは、インド洋への直截アクセス戦略の展開が芳しくないので、ここに軍事根拠地を建設して、日本で言う「シーレーン」を確保しようということでしょう。

大西洋から始まった近代経済世界は太平洋に焦点が移行して、いまはほとんどの投資家はインド洋を中心にした経済世界に視点が移行している。

地図をじっと眺めていてわかるのは、インド洋世界は、太平洋世界と異なって、特にわかりやすいものを挙げれば例えば石油において資源的に自足している。
金融をみるとシンガポールが中心に座っていて、今日の世界では無視できないムスリム圏の、宗教規律のせいで西洋の概念とはまったく異なる概念のムスリム金融が急速に発達している。

そして、このブログに何度も繰り返し書いたように2050年を越えて、まだ世界が存続できるかどうかの、最もおおきな鍵を握っているアフリカ大陸がある。
いまソマリアやイエメンで起こっていることは、チョー荒っぽいいいかたをすれば日本の戦国時代と同じで、現実には、社会の人口と生産性が高まって、社会内部の成長圧力が強まった社会がおおかれ少なかれ経験する動乱期であると見ることが出来るとおもいます。

中東もおなじで、こっちは別稿を設けて、そのうちに書くとして、「パルミラの破壊なんて、野蛮でお下品な」みたいなことをマスメディアは述べるが、日本で言えば、
日本の古城破壊や廃仏毀釈や鎮守の森破壊は、規模だけから言っても比較にならないものすごさで、単に「お上がやることは仕方がない」国民性が南方熊楠を数少ない例外として記録させなかっただけで、読んでいるとISISなんてうぶいじゃん、と呟きたくなるくらいの酷さだった。

アフリカ、それも西洋に馴染みの深い北アフリカとヌビアンのアフリカだけでなくて、バンツー族が浸透していった「真アフリカ」と呼びたくなるアフリカの興隆はケニヤのIT産業くらいを皮切りに、進み始めている。

自足しているのと、世界の三大宗教がバランスされているのとで、インド洋世界は、最もおおきな可能性を秘めている。
問題は政治の安定ということになっているが、考えてみると、さっきの例でいえば結局は日本全体の生産性が飛躍する淵源になった戦国時代にしても、イギリスやフランスが介入していれば、メチャクチャなことになって、当の日本は搾り滓にされて、ただ日本人同士の憎悪のなかに置き去りにされていたはずで、あれやこれや、
いろいろな例を見ていくと、「要するに欧州とアメリカが余計な口出しをしなければいいだけなんじゃないの?」と言いたくなってくる。

投資家というのは儲かってしまったあとでは、ヒマをこいて、いろいろなことを述べ始めて、甚だしきに至っては「投資哲学」とか口走りはじめるが、要するにもうかりゃいいのよで出だしをはじめる種族なので、暢気でマヌケな種族であるマスメディアや政府人よりも世界を冷静に眺めている。
読みがええかげんだと、口座からぞろっとオカネがなくなって、二回くらい読み損なうと投資タイプによってはおとーさんになってしまうので、よっぽどのバカでもなければ新聞記事を丸呑みに信じたりしません。
陰謀説おっちゃんたちに耳を貸しているヒマもない。

では何をやっているかというと、データデータデーターあああの毎日で、例えばわしならば「ねえええーニュージーランド観光にくれば?ね?ね?航空券代も全部こっちで出すし、わしゲストハウスに泊まりなさい」と人をだまくらかしてニュージーランドに来させて、生の声を聞くためのインタビューを繰り返すことを別にすれば、データを眺めて、そこから現実を読み取っていきます。

その結果、現今、投資家たちがなにをやっているかといえば、北朝鮮とのパイプを強くして、シンガポールに移住して中国圏と英語圏の接点で両岸を眺めて、あるいはイランのひとびととのネットワークを作ったりしている。

その結果できあがった世界地図を眺めようとおもうと、インド洋のまんなかくらいを地図の中心にして、世界の未来を眺めることになって、ここまで読んできて勘がいい人は判るとおもうが、
例えば2050年の「インド洋がまんなかにある世界」を考えると、なんと、なああああーんと、ヨーロッパも北アメリカもいらないのよ。
邪魔っけなだけです。
向こう行け、しっしっ、です。

多分イランの宗教勢力が倒れて、「イスラムよりもペルシャ」の伝統にイランが帰るとき、インド洋世界は大興隆時代に入るとおもわれるが、もういまの時点でも実はインド洋世界に属する諸地域がすくすくと伸びて、大西洋と太平洋の二世界がさまざまな齟齬を来しだしているのは毎日のニュースを観ていても一目瞭然であるとおもわれる。

ときどき、ちびちび酒をのみながら、グーグルマップの中心をインド洋にあわせて、じっと世界の様子におもいを巡らすことは、きみの一生をおおいに助けることになると思っています。

ほら、地球が、世界が、違ってみえてくるでしょう?
なんだか意味不明な文脈で世界が変化していくように見えるのは、太平洋をまんなかにした、きみの思考のせいなんだよ。
世界を捉える文脈が間違っているのだとおもう。

視点は、なにも観念のなかにだけあるわけじゃない。
物理的な地図のなかにも眠っているのね。

人間が現在だと思っているものは、たいてい過去が夢見た未来であるにしかすぎないという。
いまの要点を欠いた、調子っぱずれの「西」世界を見ていると、
ほんまだよなあーとマヌケな感想を持ちます。

古い地図で、新しい航海に乗り出すわけにはいかないんだよね、きっと。


サバイバル講座3

$
0
0

dsc00086

夏の、突然涼しくなった夕暮れ、有栖川公園を、ひとりの若者が歩いてた。
肩幅が狭くて、なんだか真横からみたら見えなくなってしまいそうなくらい、薄い、頼りない胸板で、少し躓くような、よく見ると自分の自意識に躓いてしまっている、とでもいうような、ぎくしゃくした、不思議な歩き方で、図書館をでて、暗い色の緑のなかを、地下鉄の駅のほうに歩いてゆく。

思い返すたびに、あれはきみだったんじゃないかと思うんだよ。

年齢を数えてみれば、あの青年は21、2歳の年格好で、いまきみはたしか21歳で、公園に立って、きみの姿を眺めていたのは10年も前なのだから、どんな酔っ払いが数えても勘定があわないが、人間の出会いは常に不思議なものだから、時の神様が、いたずら心を起こして、ほんのちょっと時間の表面に皺をつくって、10年前のぼくに、現在のきみを見せてくれたのかもしれない。

若い人間にとっては世界は巨大な壁に似ている。
しかも思いがけないときにあらわれる不可視の壁で、水木しげるが「ぬりかべ」という愉快な妖怪について書いていたが、道を歩いていると、どおおーんと突然あらわれて、回り込んで、避けていこうとしても、どこまでもどこまでも
続いている。

ぬりかべは、むかしは実際に存在していたらしくて、ぼくの日本語の先生である義理叔父の祖母にあたる人は、敗戦後、鹿児島と熊本の県境の山を、夜更け、買い出しの帰りに、その頃は日本中の買い出し道に現れたという若い女を強姦する目的の男たちへの対策として、わざと長い髪を濡らし、おばけのような姿で、歩いていたら、突然目の前にかすかに続いていた道がなくなって、どんっと壁にぶつかった。

疎開していた先の親戚の言葉を思い出して「ぬりかべさん、ぬりかべさん、どうか通してください。わたしは、このたべものを朝までに歩いて家に持って帰られなければならないのです」と一心にお願いしたら、かべがすっとなくなって、ああよかった、と思った耳に、「今日から悪い男たちのことは心配しなくてもよい」と幽かな声が聞こえたそうでした。

人間の世の中のほうの「ぬりかべ」は、そんなにやさしい気持ちを持っていなくて、ただ壁で、世界中の若い人間は、蹴っても、頭をぶつけても、肩から体当たりをしてみても、
びくともしない壁に阻まれて途方にくれる。

見たこともない、巨大な、絶対的な拒絶で、問いかけても、考えても、拒絶の理由さえ教えてくれない壁は、しかし、ほんとうは誰でも経験するものなのだということが、この記事を書いた理由なのね。

誰でも、と書いたけれども、100人の人間がいて、100人が、という意味ではなくて、真剣に、例の自分というパートナー、最良の友達を幸福にしようと考えて生きてきた人だけが「誰でも」に含まれる。

ほら、いまはどうしているか判らないが、マサキという風変わりな大学生がいたでしょう?

空をみあげる若い人への手紙
https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/07/15/letter5/

ときどき、びっくりするようなケーハクなことをいうが、一方では、年長のぼくが聴いていて、そうか世の中にはそんな気持ちが存在しうるのかと考えるような情緒に立った言葉を述べて、そのまま小さな沈黙を抱えて渓谷にわけいってしまう。

あれはきっと、ついさっきも

「町田で日雇いバイトの登録を済ませ、受験期によく食べていたまずいラーメンを食べ、帰って地元のコンビニに寄ったら、泣き叫んでいる中年女性が万引き常習犯のかどでつまみ出されていた」

と述べた、泣き叫んでいる万引き常習犯の中年女性を、路傍の、石になったように見ているきみとおなじことで、神様がつくった沈黙の影がさして、その影の下で、言葉が凍り付いた一瞬を経験したいのだと思います。

拒絶をおそれてはいけない、という単純なことを書こうとおもったのに、なんだか妙な寄り道になってしまった。

あるいは、もう少し親切ごかして言葉を注ぎ足した言い方をすれば、
正しい道を歩いていれば壁に必ず手痛くぶつかるのだから、ああ、あれかと思って立ち止まれ、ということを言おうと思っていた。

ハシゴをかけてみたり、東へずっと歩いて壁を端から回り込もうとしてみたり、おおそうか、こういうものは人間性の低さを掘り下げて、トンネルを下に掘って通過すればいいのだなと考えて、懸命に下品になってみたりしても、壁は上下左右、どこまでも続いていて、どうすることも出来ない。

議論する、という方法はあるよね。
友達に恵まれていれば、あるいは、そういう場所を常に与えられていれば、議論を積み重ねていくことによって、自分でも予期しなかった高みに言葉がつれていってくれて、その高みからは、壁が足下に見えて愕然とする、という幸福な体験を持つ人もいる。

でも残念ながら、そんな止揚の言葉を持っているのは、例えば大陸欧州の、週末にはパブすら開いていない大学町で、他にすることがないので、欧州や中東や東欧から集まってきた学生達が議論ばかりを娯楽にしているような土壌でなければ無理で、日本語のような狭く同質な世界では望めない。

100人の人間がいても、ひとつの頑なに等質な孤独が100個、判で捺したように整列してしまうだけで、孤独が百倍になるだけで終わってしまうだろう。

日本語で私小説が発達した、おおもとのおおきな理由は、そういうことで、作家は自分の足下に井戸を掘ってみるしかなかった。
ただもう闇雲に掘り下げて行って、運良く水が湧いてくると、さまざまな所から拾い集めてきた石を組んで、井戸をつくって、満月の夜になると、そっと身を乗り出して、自分の姿を映してみる。

そうして、そこに映った、まだ真実は子供にしか見えない自分の姿に失望したり、悪魔を見て戦いたりして、顔をあげてみると、壁は正当にも消滅している。

そこで、やっと壁は、世界への誤解という、自分自身の姿にしか過ぎなかったのだと思いあたることになる。

ぼくのきみへの自分の一生の説明には虚偽が存在して、「おもいもかけず発明というヘンなもので初めのおおきなオカネの塊を手にした」と述べているが、ほんとうは少し異なっていて、他人が聞いたら大笑いするだろうが、それがいちばん第二段階の投資を始めるためのスタートアップのオカネをつくるには簡単だろうと考えて、意図して、計画した。
そんなバカな計画を持つ人は、自分で考えてもぼく自身以外には存在しなさそうな気がするが、例の「他人にとっては確実なことが自分にとっても確実とは限らない。他人にとってはロトのいちばん当選じみたアホい夢にしかすぎないことが自分にとっては最も堅実な道でないとはいえない」という思い込みにしたがって、発明の努力をして、当時は大学総長だった大叔父の助力で、その考えを大金に変えることができた。

つまり、ぼく自身は世界の約束を頭からシカトすることによって自分の一生をスタートさせたのでした。

余計なことを書くと、この奇妙な自分の将来への提案を考えたきっかけは、ポール・ヴァレリーの有名な逸話で、あの偉大な評論家/詩人は、「姪にポニーを買い与えるために」、ひと夏苛酷に働いてオカネを稼いだと自分で述べている。
この、「ひと夏苛酷に働く」という科白にすっかり参って、ぼくも同じ事を、マネしてやってみたのね。

ひと夏、苛酷に働いて、ぼくは、(下品なので金額は言わないが)普通の人間が輪廻転生を繰り返してやっと稼ぐ、七生涯賃金よりも、さらに一桁異なる金額を、気が付くと手にしていた。

前にも述べたように、こういうことを自分で言ってしまう人間も変わっているが、実家はそもそも富裕な家なので、両親にゴロニャンをすれば、昔からおぼえもめでたいので、同じ金額など、あっさり恩賜になったに決まっているが、親のカネをもらうと人生全体が腐敗するというあんまり論理的とはいえない信仰を持っていたぼくは、そんなのは嫌だった。

でも「労働」なんかするのは、もっといやだった。
時間のムダとしか思えなかった。
従兄弟はガメの自分の一生に対する思想に脆弱点があるとすれば、そこだろう、とニヤニヤするが、脆弱でもなんでも嫌なものは嫌で、嫌なことは些細なことでも頭から受け付けない性格なので、工夫として、投資くらいしか考えられる道はなかったのだと思います。

ぼくの場合は、世界と折り合いをつける初めは、そんなふうだった。

テキトー変心を常とするぼくは、またまた変心して、サバイバル講座をつづけるべ、と気が変わったのだけれど、その準備に、まず自分がどんなふうに、このクソ世の中、いや、失礼、ちょっと言葉が悪すぎるのでオホホ語を選ぶと、人間として個人として生きていくのが難しい世の中を生き延びていくのに、聞かせられているほうは退屈でも、まず初めに、自分がどんなふうに世界と折り合いをつけてきたかを述べて、その手始めに、物理的基礎をなす収入は、もともとはどこから来たかを説明しようと考えた。

きみは「これじゃ、あんまり参考にならないんじゃない?」というに決まっていて、ま、そーなのだけれど、想像力を働かせてくれれば判るが、なにしろぼくは自分の一生以外は知らないんだよ。
だから、参考になってもならなくても、ほかには説明のしようがない。

サバイバル講座であるのに、こんなことを述べているのは、どうやら、ひとりの若い人間が人間として生きていくには自分の人間性を保持しながら収入を確保していくことが存外大切なことだ、と考えるようになったからであるみたい。
自分では、あんまりこの部分で困難に直面しなかったので、ちゃんと考えてみたことがなかった。

オカネの面で世界と折り合いをつけるためには、自分に対して、よく質問を繰り返して、何によって収入を得るのならば幸福が阻害されないのか聞いてみなければ、いかにも、千差万別、人によって異なるので一般化できない。
自分のまわり、年長者や、自分より若い人や、同じくらいの人を見渡すと、研究をしていたのにハリウッド映画のスターになってしまった人や、アカデミアと折り合いをつけて、週10時間(x3)と引き換えに、オカネについて考えることをやめる環境を整えた人、富裕な女の人と結婚して哲学と歴史に明け暮れることになった人、…様々で、この部分だけは、やはり本人が「何を最も楽と感じるか」に依るようです。

世界はだんだん壊れてきて、いままでの文法では未来を見ることは出来なくなってきた。
全体の側にしか視点がもてない人は、次つぎに全体に飲み尽くされて、個々の視点で世界を認識する人間だけが生き残っていくのは、いまはもうほぼ自明で、もともと全体の視点なんてくそくらえ(←言葉わるい)なぼくですら、難儀な時代になったなあーと思っています。

でもね、こーゆーことはあるの。
ぼくはボートやヨットに隙さえあれば乗るが、おおきな船で面白いのは接岸くらいで、冗談みたいに高い波を乗り越えたり、逆に、凪いだ海でイルカたちと遊んだりするには、小さい船のほうが楽しいんだよ。

次第に荒野に似てくる世界では、民族が集住する城塞よりも、天測を重ねながら砂漠を移動する、ノーマッドのほうが「安全」な世界を生きているのだと思います。

次はコミュニケーションを目的として発達しながら、逆に、個と個のコミュニケーションを阻害する壁としての機能を持つに至って、次第に孤独な思考の乗り物に変わっていった、言語について、きみと話をしたいと思っています。

でわ


コレスポンデンス

$
0
0

dscf0500

日本語ツイッタを通じて出来た友達の千鳥という人は、たいそう変な人で、生まれて初めて商業出版した本はフランス語で書いた本だった。
(アマゾン・フランスで誰でも買えます)
おおきな声で正義を述べるというようなことは皆無で、

というようなことを、ときどき、思い出したようにタイムラインに戻って来て、ぼっそりと述べて、また靄の向こうへ歩いてもどっていってしまう。
ツイートを「つぶやく」と日本語に変換して述べるのはぼくの好尚にかなっていないが、千鳥のツイートは、文字通り、呟いているので、なんだか午後になって起きてきて、風呂場の鏡に向かってヒゲを剃っている人が自分に向かって話しかけているようである。

むかしCueva de El Castilloについてブログ記事

https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/21/cueva-de-el-castillo/

を書いたら、しばらくして、千鳥が「行ってきた」という。
行ってきた、だけで要領をえないのは、千鳥らしいというべきで、こちらはどこに「行って来た」のか判らないので、どこへ?と聞くと、
Cueva de El Castilloに行ってきたのさ、と事もなげに言います。
クルマがなければ到底たどりつかない田舎にある洞窟なので、クルマを運転するとは知らなかったと述べたら、
バスを乗り継いで行ってきたんだよ、というので驚いてしまった。

あの洞窟の山の上には、六畳敷きくらいの広さがある平らな頂上があってね、そこでまわりを見渡していたら、いろいろなことを考えた。
ガメは、変わったところまで行くんだな。

変わってるのはぼくではなくて千鳥だが、変人較べをしていても仕方がないので、めんどくさいが、だんだん本題のほうに向かうと、行ってみてきたのならば千鳥も知っているはずで、アルタミラもラスコーも閉鎖になって、現物が見られなくなったいまではただひとつ見られる現実の洞窟のなかへ入っていくと、酸化鉄で描かれた手のひらと、ディスク、無数に描かれた円盤がある。

巨大源氏パイを頬張りながらシトロンのC5を運転して辿り着いたぼくも、バスをのりついで、なんだかここはすごい田舎だなあーと思いながら洞窟へやってきた千鳥も、等しく感銘をうけたのは、人間の抑えがたい「表現欲」とでもいうべき欲望だった。

このあいだ日本語の世界の歴史についての本を読んでいたら、おもいもかけずラスコーの壁画についての記述があって、「どこに行けば効率よく狩りができるかという伝達のためだった」と書いてあって椅子からずり落ちかけたが、そうではなくて、狩りの成功を祈る呪術的な意味あいだったという一般に行われている記述もほんとうとはおもえなくて、現実に洞窟画を目の当たりにしてみると、真相は、
ただ表現したかったから描いたのだ、という実感が起きてくる。

表現したい、という情動のベクトルがすべてで、なにを、や、どんなふうに、は二の次だったのではないだろうか。
あの「ディスク」を一種の方向を示した標識なのだと解釈する研究者もいて、本だけ読んでいるともっともらしいが、現実には、標識ならば、なんでこんなところにもあるの?ということもあって、自分では、どうしても「ただ表現したかったから」説に傾く。

何度かこのブログでも書いたように、戦争が終わったあと、エズラ・パウンドは70年代に及ぶ長い沈黙のなかで生活した。
かつてはあれほど饒舌で、しかも話術に巧みで、ファシストたちのためにイタリア人よりも巧みな表現のイタリア語を駆使して、弁じ続けたアメリカの詩人は、戦争が終わると、ぴたりと何も言わなくなってしまった。

30年に及んだ長い沈黙のあと、エズラ・パウンドは「なぜ沈黙していたのか?」と訪ねるインタビュアーのひとりに答えて
「人間の言葉は伝達には向かないからだ」と述べている。

これも前に書いたが、このパウンドの言葉はほぼ自動的に、同じように言語の伝達機能に懐疑的だったW.H.Audenを思い起こさせる。

言語に興味がある人が、まず初めに学習することは言葉にはふたつの異なる属性があって、ひとつは論理のレゴと言いたくなるような、論理的なベクトルの部分で、この属性が極端に出ているのは、むろん数式です。

数学者には全裸の美男美女のカップルも不完全な「2」にしか見えない、というのは有名な冗談だが、情緒を削ぎ落として、論理構築としての道具としての言語の解析は、たとえばエロ爺バートランド・ラッセルの全集でも読めば、あますところなく解説されている。

一方では言葉には、「死者のおもい」が堆積されていて、例えば外国語として日本語を学習する者の目には、どんなに日本人たちが半島人たちを侮蔑し、軽蔑の念を執念深いやりかたで述べ続けても、「朝鮮」という言葉自体が持つ日本語としての輝きに、日本人が過去の歴史を通じてもちつづけた、半島人の優雅や、美術的感覚の洗練への、抑えがたい羨望を透かしみることができて、なんとなく微笑ませられる。
百済観音の優美な表情を仰ぎ見て、半島の、自分達よりも遙かに進んだ文明に憧れる日本人たちの姿が「朝鮮」という、ふたつの文字にはこもっている。

あるいは、もう、どうだっていいのさ、とつぶやくとき、
その音や平仄には意味を遙かに越えて、過去の時間のなかで絶望して死んでいった人の感情が表出されて、生きて目の前に居る人の口を借りて、死者が語りかけてくるような気持ちに囚われる。

伝達を「水平な言葉」と呼ぶとすると、ただ自分の自己の暗闇のなかへ螺旋階段をおりてゆく「垂直な言葉」が存在して、洞窟のディスクを思い出すまでもなく、言語の本来の機能は、伝達よりも自閉であるという気がする。
庵を閉じて、暗闇のなかに歩みいって、じっと、畳が浮いてくるような感覚の揺れが感じられるまで、考えに考えぬくことには、あきらかに言語の始原的な機能に触れる喜びがある。

ぼくが伝達を機能とする言語をたいして信用しないのは、数学をバックグラウンドとしているからなのは、自分では、あんまり考えてみる必要がないくらい自明なことで、物理が嫌いで数学が大好きだった若いときの嗜好を考えれば、数学の言語としての明晰に快感を感じていたのは明らかであると思う。
物理学などは世界の物理的な運動を説明するという余計なことを数学を道具として使うというヘンテコな学問で、そんな目的に使役される数学は気の毒であるといつも思っていた。

数学のような美しい言語を、そういう下品な理由に使われるのは嫌だなあ、という気持ちがあったのだと思います。

自然言語も同じで、人間と人間が言葉で通じ合うことが出来ないのは、自分の普段の生活を観察すれば自明どころではなくて、相手が知らないことを言葉で解説するということはまったくの不可能で、せいぜい、同じようなことを自分の精神の井戸のなかで掘り下げていっているもの同士が出会って、ああ、この人は自分が昨日井戸のなかで見た、あの映像のことを話しているのだな、とおぼろげに重ねてみているにすぎない。

つまり、すでに垂直に掘り下げた思惟と思惟を照応させることは出来なくはなくても「伝達」というほどのことには及びもなくて、このあいだからまた考えているのだけども、言語で人間と人間が考えていることを伝達するというのは、まったくの虚妄ではないだろうか?

言い方を変えると、言語には照応の機能はあっても伝達の機能は備わっていないのではないか?

それがもっかの疑問で、疑問を再訪するたびに、ぼくの「存在の寂しさの盟友」である千鳥が、何時間もバスに揺られてたどりついた、あの洞窟の、まるで声そのものであるかのような酸化鉄の手のひらや、「ディスク」が、頭のなかに蘇ってくるのです。


十代という地獄

$
0
0

img_1812

ふと横をみると、ぶざまにでっかいペニスのジャマイカ系人が、透きとおるような白い肌の、18世紀に流行った上流階級人の肖像画から抜け出てきたようなブロンドの女の子に、自慢のペニスにコカインの白い粉をあますところなくかけさせて、「おまえ、これが欲しいのか?」とお決まりのセリフで訊ねているところで、
女の子は欲情に火が付いた薄い青い目を燃えるように輝かせて頷いている。

酔っ払ったときに義理叔父に尋ねてみたことがあるが、日本の高校生たちもおなじようなもので、宮益坂に近い地下にあるレストランに、無理矢理買わされた「パー券」をもって出かけてみると、夏目雅子の母校で有名な広尾山の女子校の女の生徒が、酔っ払って、下着を脱いで、カウチを囲んでいる義理叔父男子学校の生徒たちが食い入るように見つめるなかで、後で警察幹部になるOさんとセックスを始めたところだったそうでした。

「むごたらしさ」という、使われているのか使われていないのか、ついぞ分明になったことがない日本語があって、この言葉がいちばんぴったりなのではないかとおもうが、十代という文字通りすべての人間が通過する時期は残酷で、むきだしで、露出した神経に直截こたえるようなところがある。

「図書室の高い窓から入ってくる太陽の光で鮎川信夫詩集を読んでいたんだよ」と義理叔父が述べている。
司書係は鼻持ちならない反動野郎の同級生のWだったが、案外なところがあるやつで、ぼくが、これみよがしにジーンズの尻ポケットからフラスコを出して生(き)でウイスキーを飲み出したら、ニヤニヤしてみていたと思ったら、「水を持ってきてやろうか?」というのさ。

そうして、ガメも好きだと言ってくれた、橋上の人の、例の

あなたは愛をもたなかった、
あなたは真理をもたなかった、
あなたは持たざる一切のものを求めて、
持てる一切のものを失った。
というところへ辿りついたら、みっともないことに、ぼくは泣きだしてしまった。
そしたらWのやつが、みないふりをして後で陰口を利いて笑い物にするだろうとおもったら、図書カウンタをまわって、カウチにやってきて、
大丈夫か、と聞いたんだ。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/02/10/ayukawa/

おれたちは、結局、まるで不倫カップルのように、(見つかると、お互いの学校のなかの政治的立場で、おまえは裏切ったのかと言われるからね)人目を忍んで、
その頃はまだ坂の下にあった日赤産院におりてゆく坂の途中にあった「味一」という名前の定食屋でビールを飲みながら、絶対に一致しない政治的意見を述べあった。

Wの父親が汚職事件でつかまったのは、その年の冬のことだった。

おにーちゃん、この青い塗料、なに?
と妹に聞かれて、ぎょっとする。

自分の服は自分で洗うと言ったじゃないか、おぼえてないのか、と怒ったときは、もう手遅れで、

おにーちゃん、昨日、Kに出た暴力男の記事を読んだ?という。
顔を青と白に塗りわけて、満月の夜にひとりで現れて、両手にクリケットバットを握りしめて、集まっていたスキンヘッズをひとりで全部殴り倒して、夜空に向かって吠えていたというの。
マンガみたい。
この頃は単純な人間が増えたというけど。

どこのバカ男だろうと友達と笑っていた。
スーパーマンのつもりなのかしら。

世の中には、自分が正義だと思えば、他人に怪我をさせてもいいと考えるサイテーなやつがいるのね。

まさか、おにーちゃんの知り合いじゃないでしょうね?

いま考えてみると、あれはカップヌードルだったんだよな、多分。
大学生たちに誘われて、応援に出かけたロックアウトの、積み上げた机と椅子のてっぺんに腰掛けて、
ははは、アルチュール・ランボーの「一番高い塔の歌」みたいと思いながらマルキ(機動隊)のほうを観ていたら、あの図体ばかりでかいやつらが、なんだかマグみたいなものからラーメンを食っていた。
暖かそうでいいなあーと思ってうらやましかった。

やがて、夜になって、放水車が迫ってきて、高校生同士、来たぞ、みんな油断するな、顔を伏せろ、と述べあって、ふと後ろを振り返ったら、肝腎の大学生たちはひとりもいなかった。
その夜に警察署にひきずっていかれたのは、全員、おれたち高校生だった。

おれは問題学生のなかでは勉強ができるほうだったので、指名されて、ネリカン(←練馬監獄)に収容されていた、先輩の家庭教師を仰せつかったが、意地でも東大に受かってやるという先輩が鹿の絵を指さして、これはなんというんだ?と聞くので「deer、ですね」と答えたら、「そうか、絵のことは英語ではdeerというんだな」と深くうなずく始末だった。

その先輩が、自分の調査書を盗み見たら、担任の憎しみをこめた文字で
「この学生は過激思想の保持者で大学教育には不適格」と書いてあったそーだった。

そして、ぼくは冬のロンドンで、いつも凍えていたんだよ。
寒いのに、いきがってTシャツ一枚でいたからだけどね。

雪が降り始めて、雪が降って、降り積もって、なにも人生に蹉跌が起きているわけではないのに、
涙が止まらなくなって、なんだか頭がおかしくなった人のように泣きながらリーゼントストリートを歩いていた。
ぼくは、この世界が好きになれなかった。
どうすれば、この残虐であることを隠しもしない世界が好きになれるのか判らなくて途方にくれていた。

パーティで、望まなかった(でも、ちゃんとNOと言えなかった)セックスの結果、妊娠して自殺してしまった女の子に「突っ込んだ」大学生は、あきれたことに若い下院議員になった。

ぼくは、この世界を愛さなかった。
野蛮なだけで、何の取り柄もない文明のなかに生まれたことを呪っていた。

十代のぼくに、いまなら、教えてあげられるんだけど。

きみは、子供のときに何度か行った、大西洋を渡ったアメリカの、ニューヨークという町が好きになるだろう。
その町のセントラルパークの東の住宅地で開かれたパーティで、ひとりの、途方もなく美しい女の人に会うだろう。

そのひとは、きみのベアトリーチェで、手をとって、きみの一生を思いもしなかった色で塗り替えてしまうだろう。

その人が教えてくれることには、自分と最愛の人を愛することだけが人生の価値なのだということが含まれている。

人間の一生は、とても単純なものだという真実が含まれている。

そうして、そのひとは、きみを途方もなく幸福にするだろう。

こうやって、振り返っても、十代という「剥き出し神経の時代」を生き延びられたのは、不思議な気がする。
十代の人間の行く末は本人の分別には依らない。
うまくいくのも、クソ世の中に殴られ続けるような十代の終わりになるのも、ただの運にすぎない。
すぐれていたから、なんとか十代を生き延びられましたなんて述べる人間は嘘っぱちなんだよ。
信じちゃダメだよ。

あきらめちゃダメだよ。
この世界のどこかに、きみが出会ったことがない真の友達がいる。
きみは、ひとりであるわけはない。
いまは、どんなについていなくても、きみを探している同じ世代の人間がいるのを忘れないでね。

きみに会えたら、いいのに



Jさんへの手紙3

$
0
0

dsc02377

ほんとうは仲が良いもの同士で冗談を言い合いたいだけだったのを憶えているのは、もうjosicoはんくらいのものではないだろうか。

このブログは元元は零細なゲーム通販サイトの右端の隅っこに載っているゲーム・ブログで、オンラインeコマースの実験をやってみたかった義理叔父が、知っている人にお願いして開いた通販サイトが、あまりに索漠としていて非人間的に冷たいので、まず自分で書いてみて、うまくいかないので、外国語の天才をたくさん生みだした母親側の家系につらなって、日本語を含めた外国語が人並み外れて堪能ということになっていたぼくに、「練習代わりにやってみない?」と言い出したのが始まりだった。

義理叔父とシャチョーは輸入ゲームの通販サイトをやってみて、英語が少しはわかるふりをしている人が多いだけで、日本人がおもったよりもずっと英語が出来ないのを見てびっくりしたのだそうです。

あのころ純益はどのくらいあがっているの?と聞いたら、月に600万円から1500万円という答えで、あまりに少ないので、なんだか笑ってしまった。
どこから仕入れているのかと思ったらロサンジェルスやロンドンで、日本の人らしく、あんまり頓珍漢なので、ヒマなときにネットで調べたり電話をかけてまわったりして、スウェーデンの卸屋を教えてあげたら、特に少し古いゲームは一桁安かったとかで、義理叔父とシャチョーに感謝されたのをおぼえている。

いま、頑張って思い出そうと思ってたのだけど、もううまく思い出せないんだよ。
もしかしたら、一番初めの記事が、あの奇妙なゲームサイトの右上に現れたのは10年前ではないだろうか。

違うかな?

いまは「長すぎて読めない」という人が多いのでワードの3ページに収まるように書いているけど、ワードの1ページの半分を書くのにほぼ一週間かかっていたのをおぼえている。
テキトー、えーかげんを他人に対しては求めるのに、自分はなんでも完璧でないと嫌だという嫌な性格のぼくは、一行書くのにもネットで検索して用例を調べて、おなじ用法がないと日本語教科書や辞書にあたって、アケオメで始まる、たった数行のブログを書くのに、まるまる一日かけて、途方もない時間を注ぎ込んだりしていた。

josicoはんは、仕事の用事で、英語のゲームを買う必要に迫られて、サイトを探してたどりついたのだったとおもう。
そのうちに、ほんのときどき更新されるだけの、チョーいいかげんなブログがトップページにおかれているのに気が付いて、読者として、コメントをくれるようになった。

初めの頃は「日本人は、そこまでひどくない! いくらなんでもあんまりな言い方だとおもう!!」と瞬間湯沸かし器のjosicoはんらしく、よく怒っていたが、そのうちにウマがあって、仲良くなった。

ほら、emailでだったか、josicoはんがバルセロナへ行って、ぼくが初めてバルセロナに住んだときの、アパートへの坂道を歩いていくところがあったでしょう?
地下鉄の駅をおりて、地上に出て、緑のなんちゃらな名前のレストランや、やたらとおいしい蜂蜜を塗ったクロワッサンとカフェ・コン・レチェを出すベーカリーをすぎて、多分バルセロナでいちばんおいしいハモンを切り出してくれる肉屋を通り過ぎると、病院の手前に右側に曲がる上り坂があって、そこを上がっていった右手にグラシアでもあんまり治安がいいとは言えない側にある、ぼくのピソ、日本語で言えばアパートがある。

josicoはんは、なんとブログ記事だけを頼りに、あのアパートを探し当てて、あのちょびひげを生やして、頭がつるりんと禿げた、無暗矢鱈に親切なおっちゃんから、ハモンイベリコを買って、おお、ブログの通りじゃないか、と感想を述べてくれて、ぼくを驚かせた。
あの頃から、ネットと現実世界とを問わず、大親友のひとりに、josicoはんを数え始めたのだと思います。

あのアパートは、実はいまも持っていて、いま考えると大笑いしてしまうが、英語圏の人間の浅はかさで、英語圏市場と同様にペントハウスが中層階よりも高いのだと誤解していて、6階の、遠くにサグラダファミリアがみえるテラスがあるアパートで、まだ付き合いだしてからそんなに経っていなかったモニとふたりで、あの親切ハゲおっちゃんからハモンを買って、滅法うまいベーカリーからパンを買って、パンコントマテ、カタルーニャの言葉でいえばバンアムトマカをつくって、テラスに出したテーブルで食べたりしていた。

その頃のことを考えると、josicoはんもモニもぼくも、子供のように若くて、失敗ばかりしていて、他人の言葉に傷付いたり、うまくいかないことが続いて椅子を蹴飛ばしてみたり、いらいらしたり、寂しいと思ったりして、世界には自分と意思が通じる人間はそんなにはたくさんいないこと、友達になりうる人間の数はとても少ないことを学んできたのだと思います。

Casa Gracia、だっけ?
ディアグノルを渡って地下鉄のグラシア駅の行く途中にあるホテルの近くにタコ焼き屋を出そうか?と話していたことがあったでしょう?
Josicoはんが、日本のマネジメントに馴染めなくて、というよりも湯沸かし器のスイッチが入って、もう日本に住んでいられないと考えて、外国に移住してゲームデザイナーとしての一生をやり直すのだというものすごい決心をして、考えてみると日本語しか判らないので、これでは移住は無理だよねと考えて、ふたりで相談して、取りあえず連合王国のブライトンの語学校に行った、あれは、2008年のことなのだっけ?
もう随分むかしのことで、ちゃんとおぼえていないのだけれど、josicoはんがゲーム業界からは足を洗ってタコ焼き屋をやりたいと言い始めて、現実の世界では投資家同士の関係のjosicoファンになっていた義理叔父と、「Josicoはんなら、もう仕方がないだろう」ということで、いざとなったらjosicoはんの人間を見て、どうせダイジョブに決まっているから、あんたとぼくと半分半分で出資して、josicoはんはそんなのは嫌だろうけど、チェーン化を前提にしてタコ焼き屋を支援したらどうかと話がついていた。

あのとき義理叔父は、なんだか日本へ出張(でば)って、銀だこチェーンやなんかに行って見て、「これなら勝てる」とかなんとか、チョーシのいいことを言っていたの。

ところがjosicoはんは、うまく採用されて、いまはアマゾンの開発部門として買収された会社に入って、ゲームデザイナーとして復活して、あのときは言わなかったけど、義理叔父はかーちゃんシスターと一緒にわざわざやってきて、祝杯を挙げたんだよ。
4人で、不安そうだったjosicoはんが就職して、またゲームの世界の人になったことを、思い切り祝福したのだった。
おおきい声では言えないが、あの地区ではたしか禁止の打ち上げ花火まで上げたのね。
ぼくたちはみんな勇敢なjosicoはんが、とてもとても好きだった。

ぼくが、いつまで経っても、何年でもつきまとう、はてなに蟠踞すると自称するおっさんトロルたちや、ときどき明滅的に現れる、こちらは万国共通の、自分の生活がうまくいかなくて人生の失敗者となって、そのフラストレーションをぶつけにくるらしいネットストーカーたちに、ときどきうんざりしながら、日本語をやめないで来たのは、やっぱりjosicoはんがいたからだとおもう。
日本語用法上は「josicoはんたち」とか「josicoはんをはじめとする」とか言うべきなのは判っているが、そんなのは、ぼくが育った社会ではウソなので、ほんとうのことをそのまま述べるべきで、josicoはんがいたからいままで日本語に対して興味を失わないですんだんだよね。
そういう事情のことは、もっと後景にある、源俊頼が好きであるとか、北村透谷が好きであるとかとは、ちょっと別のことです。

josicoはんは職業人である以上、この仕事をクビになったらどーするんだ、と不安に思うことがあるとおもう。
ぼくは投資家おっちゃんやおばちゃんたちからは、ガメはオカネをコンサーバティブなほうにどんどん逃がすから狡い、と羨ましがられていて、投資家なのに借金がないというヘンな暮らしだけど、人間の運命はヨットみたいなもので、順風満帆のときはスルスルと水面を滑っていて他人がうらやんでも、嵐がいつくるかは、ほんとうは誰にもわからない。
ぼくも、これで大丈夫だと考えたことはいちどもありません。

これから先、どうなっていくか、お互いに判らないけど、ずっと友達でいようね。
ブログがなんだか公(オーヤケー)な感じになってしまって、裃を着て、口をすぼめて政治の話やなんかしそうで、自分でもうんざりだけど、josicoはんの目があるのが判っている限り、日本語でも正気でいられるのではなかろーか。

この頃、あんまりゲームの話しないけど、ちゃんと一日に一時間はゲームをやって、マウスを机にむかってバンバンしすぎて、バラバラにぶち壊してしまったり、後からしつこくついてくる敵機をマヌーバーでふりきろうとしてPCジョイスティックを、ぶち折るくらいには夢中になって遊んでいます。

VRが面白いので、VR専用につくった部屋でPS4も多くなったけど、やっぱりSE30以来のことで、机の前に座って、PCでゲームをやるのが、アットホームちゅうか、リラックスした感じがする。

ファイアフライ・スタジオがStrongholdシリーズを、クルセーダーやクルセーダーエクストリームも含めてsteam向けに作り直したので、全部買って、誰がみてもひと目でサッカーのフーリガンがモデルだと判る「おれたちゃ、メースマン!」や
スティーブ・バノンたちの白人至上主義者を思い起こさずにはいられない、重装騎士の、「鎧が重いぜ」と不平を言いながら頭上から熱した油をぶちかけられたり、矢を浴びたりしながら、ガッチャンガッチャン突撃して、なんでもかんでもぶち殺してしまう声を響かせたりしながら、毎日を暮らしています。

josicoはんは、どんなゲームをやっているだろう?
Civ6?

また会おうね。


英語を学んで世界へ出て行こうとしている友達に

$
0
0

img_0043

ある日、ぼくは劇場の椅子に腰掛けて、シェークスピアのコメディを観ていた。
観ていた、といっても、その日の出し物を観るのは、もうその月だけで3回目で、セリフも、工夫された演出も、暗誦(そら)で言えるようになっていて、ステージのうえに釘付けになっているべき眼は、テーブルに運ばれてきたワインとオードブルの盛り合わせと、それがシェークスピアコメディのいちばんの楽しみの、観客と俳優たちの掛け合いのほうにばかり気をとられていたのだけど。

観客席を眺めていると、シェークスピアが初演された16世紀の終わりから、タイムトラベルでやってきたような髭とヘアスタイルのおっちゃんや、でっぷり太って、なんだか不思議の国のアリスの女王のようなおばちゃん、そうかとおもうと、盛装して、三階席で身を乗り出している、びっくりするように美しい、身なりの良い若い女の人、平場の立ち見席で楽しそうに笑い転げている3人の、大学生だろうか、ジーンズ姿の若い女たち… 社会のさまざまな階層の人が、さまざまな装いで観劇していて、シェークスピアの時代から一向に変わらないこの雰囲気が、つまり劇場まるごとがシェークスピアの世界なのだと判ります。

シェークスピア劇には、子供の時からのたくさんの思い出があって、俳優に抱きかかえられてステージに立たされて、突然劇中人物として扱われてしまったり、長じては、ワイングラスの手をすべらせて、ちょうど出番だった俳優さんの頭からワインをぶっかけてしまったこともあった。
機嫌のよい日で、われながら冴えた相の手をいれて、大声で叫んで、それが劇場中にあまりに受けてしまったので、俳優たちに、「これ、そこの若者、われわれから劇を盗んではダメではないか」と本人たちも大笑いしながら言われたりした。

気がおけない、という言葉があるが、シェークスピアのコメディの最もよい点は、観客と舞台とが一心同体になって、機知のあるやりとりをしながら物語が進んでいくところで、ニューヨークで観たときには、舞台と客席が分離していて、ただの「歴史的見世物」じみて、観客席と舞台がグルなのはイギリスだけのことかと思っていたら、ニュージーランドでも、ロンドンと変わらない雰囲気で、なるほど、われわれが共有している文化の何事かが、この雰囲気をつくるんだなあ、と考えたりする。

言葉の話をしようと思っていたんだよ。
そんな言い方はひどい、ときみは言うだろうけど、英語人たちに較べて、日本語の人は、あんまり言葉のやりとりを楽しんでいないんじゃないか、と考えることが、日本にいるときにはよくあった。

もちろん、例えば、いまはなくなった銀座のビル地下の「山形屋」のような居酒屋で、畳の席に座って、どういうことなのか、安居酒屋であるのに他の居酒屋に較べて人品が圧倒的に良い人が多い、八百万の神様たちがこっそり地下に集まって宴会をしているような、隣客のひとびとと、訊かれて、イギリスの話や、わたしは庄内の出身なんですけどね、と述べる女の人が方言を実演してくれたりして、あの和気藹々の雰囲気を、もちろんぼくも知っている。
そういうときの日本の人たちは、ごく自然に親切で、朗らかで、楽しい人達だが、それが、おなじ郷土料理でも、でっかい茶碗蒸しが楽しみでよく出かけた長崎料理の「吉宗」では、もう、しゃっちょこばった、見慣れた日本人スタイルになっている。

そういう場所も、どこも隣のテーブルが、ぎょっとするくらいに近いのに、まるで不可視な衝立や架空な距離があるようにして、みな隣は眼中にないように振る舞っている。

その違いはどこからくるのだろう?

あるいは、シドニーの街で、モニさんに「まあ、なんて素敵なドレスでしょう?
どこで買ったの?」と話しかけてくる見知らぬ人がいる。
あるいは交差点で眼があって、にっこり笑って、「今日は、いい天気だな、兄弟」と話しかけてくる若い男がいる。
みなが言葉を使おうと手ぐすねひいている感じの社会が英語社会で、ずいぶん違うなあーと思わないわけにはいかない。

どうせ日本は特殊ですから、とむくれるきみの顔が見えるような気がするが、そうじゃないんだよ。

バルセロナの目抜き通り、日本でいえば銀座の晴海通りになるだろうか、パッサージュ・ド・グラシアで、チョーかっこいいドレスのアフリカ系の若い女の人がいて、イギリス人の観光客然としたおばちゃんが、
「あなたの、その素晴らしいドレス、どこで買ったの?」と聞いている。

ところが、訊かれた女の人はそっぽを向くようにして歩いていってしまう。
イギリス人のおばちゃんは、聞こえなかったと思ったよりは、無視されるという(英語世界なら)普通では考えられない反応にあって、気が動転したのでしょう、追いすがるようにして、もういちど同じ質問を繰り返したら、今度は立ち止まって睨み付けられていた。

しかも悪いことに、その次の瞬間、そのアフリカ系人の友人であるらしい地元のカタルーニャ人の若い女の人と偶然出会って、いかにも愛情にあふれたハグを交わしている。

タパスバーの外に出したテーブルで眺めていたぼくは、ここに働いている心理的メカニズムは日本人とおなじものであるよーだ、と独りごちている。

実際、バルセロナ人のひととひととの距離の取り方は、とてもとても日本人と似ていて、英語人には理解して納得するのが難しくても、日本の人には何の苦労もなく理解できそうなタイプのものです。

それが社会の、どんな機微によるのか、ぼくには判らないけど。

英語という言語は、ドイツ語やフランス語との関連などよりも、なによりも北海文明の言語で、英語人の強烈な仲間意識は、ヴァイキングに典型的な北海人の同族意識に根を持っている。
英語では見知らぬ人間同士のあいだでスモールトークが他の言語よりも頻々と起こるのは、多分、そういう歴史的な社会の性格があるからで、人種差別的な考えの持ち主のおっちゃんが、特定の、言語的にウマがあう中国系人と親友同士であったりするのは、英語に限ったことではないといっても、やはり英語世界に多い事例であるような気がします。

緊密な結び付きを持つ集団は、当然、他に対して閉鎖的な集団でもあって、Brexitやトランプで明らかになった白い人々の相変わらずの閉鎖性は、要するに言語の性格から来ているんじゃないの?と思うことがよくある。

このブログ記事に何度も出てくるように、いまの世界語としての英語は「外国語としての英語」で、体系や機能はおなじでも、北米語であったりUK語であったりするわけではないのは、英語人自身がいちばんよく知っている。

日本人も含めて、英語を身に付けていく人達がいちばん最後にぶつかる壁は、「外国語としての英語」と「母語英語」のあいだに立ちはだかる超えがたい壁で、この「壁」の嫌らしさは、たとえアクセントがまったくおなじでも、同族の両親ゆずりの英語でなければすぐにばれて、拒絶の反応が待っている。
いっぽうではニュージーランド人と連合王国人なのに、お互いのアクセントをいとおしくおもって同族としてふるまっている。
どんなに美しい英語でも、このレベルでは頑として認めなくて、英語人は陰口が大好きだが、「あいつの英語はいったいどこの英語なんだ。正体不明で気味が悪い」というような、いかにもな嫌らしい言葉を、例えばイングランドで生まれ育って、アメリカに長く暮らした人に向かって述べることは、とてもよくある。

現代の「定義がてんでんばらばら」と言いたくなる人種差別は、連合王国ならばトランプの奥さんのような東欧人も差別の対象で、オーストラリアやニュージーランドならばアフリカンアメリカンはダイジョブだがアジア人とミドルイースタンは差別される。アメリカに至っては「白ければなんでもOK」の杜撰さで、じゃあ、浅黒い肌のイタリア人はなんでいいの?とからかいたくなるが、人種という現代科学がすでに遺伝要素として否定しさった概念を無理矢理信じようというのだから、結論が白痴じみているのは当たり前でも、なんだか出鱈目なのは、やはり言語がおおきく絡んでいるからだと思います。

よく観察してみると、メラニアよりもイヴァンカのほうが風当たりが弱いのは、英語のアクセントと関連していると思えなくもない。

ぼくは、人種差別はやっぱりなくなるだろうと思っている。
いま世界を覆い尽くす勢いに見える人種差別の潮流は、あとで振り返ってみると、世界の哲学的な進歩についていけなくなった人間たちの最後の抵抗ということになるのではないかしら。

日本人のきみが、ようやっと勇気をだして日本の外へ出て行こうとしているときに、ファラージュやトランプのような愚か者が喝采を博して、ぼくのところにまで
「おまえは日本を出たほうがいいと言ったが、人種差別の世界になったじゃないか、ざまーみろ」という、なんというか、大幅にピンボケで、アンポンタンとしか呼びようがない人たちが来たが、現状は、「人種差別の考えにとらわれたひとたちが口にだしてもいい時代になったと考えて、いままで言わなかったことを言葉にして異人種にぶつけはじめた」ところで、ぼくがきみなら、バカな人間と口を利く手間が省けて返って好都合だとおもうだろう。

ぼくが子供の頃は、シェークスピア劇は、観客席をみると悲劇にだけアジアの人の姿があって、喜劇は全部白い人だったんだよ。
それがいつのまにか、中国系人のにーちゃんが立ち見席で、ステージに肘をついて、俳優に踏まれそうになったりしている。
その後ろで、やっぱり中国系の若いカップルがステージにむかって笑い転げている。
貴賓客用のボックスで、インドの裕福そうなカップルが満足げにステージを見下ろしている。

ごく正統的なシェークスピアのコメディの大団円で、みなが16世紀メッシーナの衣裳を着たまま、ポリネシアのダンスを踊り狂ったり、パーティの夜会のシーンでボリウッドダンスをみなで熱狂的に踊って劇場が盛り上がったりするのも、ふつうのことになってきた。

日本語ツイッタで、両親とも日本人なのに、真っ白な時代のスコットランドを懐かしんで、いまの多文化社会のスコットランドを疎む人に会ったことがあったが、ぼくはチョー飽きっぽい性格なので、白人ばっかりの英語社会は、もういいや、と思っている。
つまんないよ。

あの頃は、いま考えるとお笑いで、おいしいカレーを食べに島の西の端っこになるペンザンスまで行ったことまであった。
それ以上おいしいカレーを食べたければ、シンガポールに行くくらいしか手がなかった。
おとなたちはアジア人やジャマイカ系人の悪口ばかり言っていて、ネガティブ人間の共同体のような、世にもアホい姿をさらしていた。

ぼくは英語社会がそこにもどってゆくとは、まったく思っていない。
人間は、結局は、楽しいことが好きだからね。

きみらしく、慎重に、ビザが出るまでニュージーランドに来ることを黙っていたんだね。
日本ではトーダイだが、ニュージーランド人も流石にいまはトーダイの名前くらいは知っていても、知識のなかで判っているていどで、この国に来てしまえば、きみもただの、これから空中ブランコから空中ブランコへ跳び移って、虚空の闇のなかへ、自分の筋力と反射神経だけを頼りに跳躍していこうとしているひとりの青年にしかすぎない。

でも特権のない若い時代を経験するのは、とてもとてもいいことだと、擬似的なものにしかすぎなかったけど、誰もぼくの背景をしらない皿洗い場で、皿をジャグリングして遊んでいてシェフに怒鳴られていたりしたぼくは、よく知っているつもりです。

きみのは、どんな冒険になるだろう?
楽しみにしています。

でわ


いま、アメリカで起きていること

$
0
0

dscn0837

予想通り中西部人に多い「うん、ぼくはトランプに投票したよ」という友達と、あれから、少しずつ話してみると、驚いたことにというか、やっぱりというか、トランプ本人は大嫌いだという人が多かった。

じゃ、なぜトランプにしたの?
ヒラリーが嫌いだから?
と訊ねると、もう、したり顔で綺麗事を述べて、politically correctな言い草にしがみついて、その実、自分達はもとを正せば汚いカネで別荘を買ったりするやつらにはうんざりだからだよ、という。

慌てて付け足しておくと、ここで述べる「トランプに投票した友達」というのは、トランプ支持の中核だとマスメディアが述べている「プアホワイト」というわけではなくて、思いつくままに並べれば、戦闘機のデザイナー、軍需会社の広告を扱っている広告代理店会社の社長、インターネットプロバイダの役員、というようなひとびとで、アメリカの社会のなかでは、どちらかといえば富裕な層に属するひとたちです。

話していて面白いのはトランプに投票したわりに、トランプ個人を大統領に適格だと考えている人は、ひとりもいなくて、会話のなかでも
マヌケ、頭がわるいわりに自惚れが強いおっさん、吐き気がするような顔の豚、
すごい表現で、なんのことはない、リベラルのひとびとがトランプを罵倒する言葉が、いっそ上品におもえてくる体のものでした。

ひとり、スカイプでのっけからトランプの、よく出来たお面をかぶって出て来た友達がいたが、「メラニアは、こんな顔のおっさんと、よくまあ毎日暮らせるもんだよな。こんなのがのしかかってきて、顔が目の前にアップになるんじゃたまらないから、あの底辺から自分の容姿だけを頼りにのしあがってきた女は、夜は目をつぶっているに違いない」と下品なことを述べて、大笑いしていた。

意外におもったのは、トランプが大統領になった第一の理由はマケインだろう、と述べた人が複数いたことで、遠くから眺めていて、共和党のなかではマケインにぼんやりした好意を持っていたぼくは、へえ、と考えた。

だって、あのおっさんは口先だけだろう。
なんだかもっともらしいことを言って、なにもやらないじゃないか。
ヒラリーみたいにウォール街の貯金箱が大統領候補になったようなやつがしゃしゃりでてくるのも、ああいう共和党の保守派が、なんにも正面切った批判をできなくて、女のくせにナマイキだと言っているとしか聞こえないタワゴトを並べてきたからさ。
わかっているかい?
オバマの、見てくれだけで、国のカネを食い尽くすような政策を正面から批判したのは、グロいエロおやじのトランプだけなんだぜ。
オバマのインチキなところだけを煮詰めたようなバーニーじゃ、なおさらダメだしね。

アメリカはひたすら多様な自由主義に向かう潮流に乗っていて、だからトランプのような桁外れのタワケを大統領に選んでも4年間の恥を忍べば、そのあとは何とかなる、という理屈も共通している。

戦争は?
と訊くと、もうそういう時代じゃない、仮に戦争を始めても、アメリカが傷付く事態にはならないだろう。
ウクライナ人たちには申し訳ないことになるかもしれない。
韓国と日本の人達も惨禍に遭う可能性がないとはいえない。
でも、彼らはわれわれの犠牲で70年以上も平和を楽しんできたわけだからね。

あ、いや、そうか朝鮮戦争があったね… でも、あれは本来は同じ民族の啀み合いだろう?
国がなくなってしまうところだったのをアメリカが救済したわけだから。

バノンがホワイトハウスのなかで権力争いに勝てば、おおきな戦争になるかもしれないが、可能性は低い。
ヒラリーのような戦争屋が大統領になった場合よりも、トランプのほうが、確率の問題として大規模な戦争になる可能性はずっと低いのは、きみも知っているはずじゃないか。

戦争の可能性を過小評価しているんじゃない?
と訊くと、しばらく考えて、バノンのNSC入りは驚いた、とだけ述べた。

これはまた異なる友達だが、Brexitとおなじで、自分達の内輪の都合での政治的な戦略投票の意図とは別に、有色人種のひとびとはえらいめにあっているよね、と言うと、それはまあ、そうだけど、と口を濁したあとで、
こっちはそれどころじゃないわけだから、というようなことをモゴモゴ言っている。

ガメは、自分の文化に誇りを持っていないのかい?
と反問する。
誇りを持っているかどうかはわからないけど、自分の文化はそれは好きだよね、と応えている。
スピットファイアのエンジンの音は遙か彼方の雲の上で鳴っていてもわかるよ、と言うと、失礼にもけたたましく笑って、ガメらしいヘンな例だな、と言ってから、
でもそれって、おれでもわかるぞ、あのエンジンはP51とおなじだからな、などと言っている。
エンジンは同じだが、ほんとうは少し違う音なんだけどね、と心の片隅でつぶやいている、ぼく。

移民なんて、いらないよ、
と、次の瞬間、あっさりと、でもきっぱりと言ったのには驚いてしまった。
移民の経済への貢献、市場に占める地位のおおきさ、アメリカ経済はほとんど次から次へと新しい世代の移民が流入してくることによって成り立っているのを熟知しているはずの人だからです。

欧州の移民まではよかったが、アジアとラテン諸国は間違いだった、という。
そりゃまた露骨に人種差別的な意見だね、と嫌な顔をすると、

ほら、きみたちはそうやって!
と語気を強める。
なにかというと人種差別だ、性差別だといって正当な意見を黙らせようとする。
問題を見ようともしないじゃないか。
きみの国だっておなじだろう?

オカネ欲しさに移民を受けいれた結果、あいつらは増長して、おれたちの共同体を壊してしまった。
きみがロンドンに戻ろうとしないのは、かつての、思いやりに満ちて、みなで共生していたロンドンがもうどこにもなくなってしまったからじゃないのかい?

リベラルなんて、口にしないだけで、どいつもこいつも人種差別意識の固まりなのは、きみもぼくも知っているじゃないか!
あいつらは公には「どんな人種も平等だ」と言うくせに、腹のなかでは、
「そう言っておかないと問題を直視しなければいけなくなるからな」と考えている。
お題目人間で、真剣に現実と対決しようと思わない人間の集まりなんだよ。
流行りの ” I don’t see color” なんて、おれには虫酸が走るだけだね。
おれには黒い人間は黒くみえるし、黄色い人間は黄色くみえるよ。
だって、それが現実なんだから。

きみ自身、ほら、いつかツイッタで、オウムのように白人リベラルの口まねをする日本人に会って驚いた、と言ってたじゃないか。
彼らは、そうだよ。
おれたちが機会を与えてやったのをいいことに、社会に入り込んできて、汚いカネの稼ぎ方をするウォール街やなんかで、politically correctであることが知性的であるとかなんとか勘違いをして、頭のいかれたオウムみたいに白人リベラルのお題目を口にすることがアメリカ人になったことだとおもっていやがる。

おれたちは社会全体が暖かい家族のようだった、おれたちの文明社会に戻したいとおもっているだけさ。

だいたい、まとめると、トランプは出鱈目で信用ができない男だが、ヒラリーを選べばアメリカはそこで綺麗事だけの国になって終わってしまう、(ここで面白いのは、オバマがまだ紛争まっさかりのイラクで演説して、「イラクの紛争は、われわれの努力で平和裡に解決した」と述べて居並ぶ海兵隊員たちを茫然とさせたことを例として引用した人がふたりいた)だから、トランプがどれほど腐った選択肢でもヒラリーよりはマシだったのだ、ということであるらしい。
トランプが二期目も大統領であると考える友達はひとりもいなかった。

いろいろに言い方を工夫しているが、人種に関しては、つまるところは「他人種なんかいらないから出て行ってもらって結構だ」ということらしくて、話していて、トランプの出鱈目さの結果、アメリカが分裂の危機に直面した場合、十中八九、他人種への攻撃に問題を転嫁するだろう、と思われた。
その場合、アフリカンアメリカンとは共存して、アジア人とメキシコ・中南米諸国人を社会から叩き出すほうに動くだろう。
こういうひとびとの本音は「自分達の社会が存続の危機にさらされているときに、他の種類の人間のことなんか構っていられるか」ということであるらしい。

南カリフォルニアはハワイと並んでトランプの排外主義の影響が最も少ない地域だが、去年のサンクスギビングに、白人とメキシコ人が多い地区にいて、トランプは話題としてタブーの趣で、まるで存在しないかのようにひとびとは振る舞っていた。
選挙の話は家族や親しい友人間だけで話しあわれて、見知らぬ人間と話題にしたり、あるいは隣のテーブルの人間に聴かれるのすら危険な話題になっていた。

ぼくにとっては「内輪」である彼ら友人たちの話し方と、去年、トランプ当選が決まった直後のオレンジカウンティで観察したこととを比較して、考えてみて、ここからの4年間が、いかにアメリカ合衆国という国にとって、危険で、重要な4年になるか、ずいぶんスリルがあるとおもう。

普段なら、アメリカで起きることには、いちいち興味をもたないほうで、訊かれても「アメリカのことなんか、外国だもん、知らん」と応えるのを常とする。
いつか日系人で「アメリカのことは自分達アメリカ人が決める。外国人であるおまえが口だしをするな」とすごむおっさんに会って笑ってしまったことがあったが、
哀れではあっても、トランプなどはnuclear football
https://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_football
を握っているだけでも、アメリカだけの問題とは到底言えないだろう。

友達がいみじくも口にしたように、いまやアメリカ人以外の国民であることは、その意味においては「選挙権がないアメリカ人」なので、意見くらいは言わせてもらわねば困る気がする。

前に記事に書いたスティーブバノンについて、日本語では知らないが、英語圏では、あの後、盛んに記事にされるようになった。

バノンという厄災
https://gamayauber1001.wordpress.com/2017/02/01/steve_bannon/

最近、見えないところで、盛んに得意の陰にこもった権力闘争を繰り広げているらしいが、ぼく自身は、バノンがホワイトハウスを制圧してしまわないかぎり、トランプがヒラリーに代表される「行き詰まったエスタブリッシュメントのアメリカ」を4年間で破壊して、世界の失笑を買うような国に成り下がったあとで、少しはまともな人間が大統領になって、なんとかなるのではなかろうか、と考えている。
どの国も、日本以外は、おなじことを考えてトランプ政権からは明瞭に距離を置いている。
日本はアメリカと一心同体であることを世界に表明したつもりであるのかもしれないが、残念なことには、安倍政権が飛びついて抱きついてしまったのはアメリカ社会にとっては保守にとってすら、ヒラリーが象徴する腐敗したエスタブリッシュメントを破壊するために拾い上げた「使い捨て大統領」のトランプであって、アメリカ自体ではないことを、なんだかよく判らないほど外交音痴の日本の政府以外は暗黙の了解事項として共通に認識している。

4年間、保つだろうか?
そのあいだ、アメリカも世界も、どんどんメチャクチャになっていくだろう。
しかし波乱自体は、たとえばビジネスマンや投資家にとってはチャンスの連続で、大枠が壊れなければ、経済的には常に歓迎される性格のものです。
ヒラリーのように既得権益のゲートキーパーが大統領になる場合よりは遙かにマシだという立場はありうる。
市場で敗退したのに国民の税金を注ぎ込んでベイルアウトさせるという、自ら資本主義の最も基本的なルールを枉げた所業のあとでは、なおさらウォール街には弁解の余地はない。
彼らは貪欲な経済の破壊者としての側面を肥大化させすぎている。

ここからは社会の強度試験で、それもアメリカ一国に限らず、その社会がどの程度自由主義を堅持しているか試されていくことになる。

「イギリスやアメリカが、これほど不安定な政治状況になったのは、もともと政治というものに対する理解力がなくてジェレミー・コービンやナイジェル・ファラージュ、バーニー・サンダースやドナルド・トランプのようなポピュリストの述べる安っぽくて大衆受け狙いな理想に飛びつく傾向がある第三世界からの移民が増えたせいである」という皮肉な味の論文を読みながら、では、オーストラリアやニュージーランド、日本や韓国というような国は、それぞれに想定されるケースで、どうなっていくだろう、と世界地図をみながら、ぼんやり考えているところです。


ハッピー

$
0
0

dsc02367

日本語では、なんというのだろうと思ってオンライン辞書を調べたら「洗面台」と書いてある。
洗面台の縁を散歩する人はいないので、多分、日本語が存在しないのでしょう。
英語でbasinと呼ぶ、海と隘路で連絡したチョーでっかい池のような地形で、家からでかけるとホブソンベイという内陸に引っ込んだ湾口の次に近いウォーターフロントなので、ときどきモニとでかける。

この辺りの家は、水に面した家はどこの家も船着き場を持っていて、カヤックやローイングボートで水に出て、のんびり午寝が出来たりするので、悪くはない。

一周3kmくらいのボードウォークがあって、全部まわるのはめんどくさいので、たいてい、風光のよい、半分だけを歩いて、くるりんと方向を変えて戻って来ます。
ベンチや、誰もいない、緑でぎっしり埋まった公園や、遊歩道がやたらいっぱいあるのがオークランドのよいところで、世界でいちばんビーチが多い町であるとかなんとか、海辺だらけで、気が向けばテキトーに海にとびこんで泳げたりするところも気に入っていなくもない。

2ドル50セントのソーセージロールを買って、水辺のベンチに腰掛けて、モニと半分こして食べる。
お店のひとがサービスでつけてくれたケチャップをかけながら、ハインツのケチャップがいいかウォッティのトマトソースのほうがおいしいかについて議論する。

いつか日本語ウィキペディアを眺めていたら、トマトソースはニュージーランド特産の酢が入ってないケチャップだと書いてあって笑ってしまったが、種明かしはもっと簡単で、ケチャップのことをもともとニュージーランドではトマトソースと呼ぶ。
それもtomatoが日本語の「トマト」と発音が似ているので、初めて日本に行ったとき、面白いなあーと思ったのをおぼえている。
なんとなく親近感が湧いてくるような気がした。

やさしい、おだやかな風がふいてきて、もうすぐ秋だなあ、と考える。
今年は夏が短かった。
こうやってモニさんの横顔を眺めていて、ふと気が付くと目尻に皺がある、という日がいつかは来るだろうか。
もしかしたら、このひとは、永遠にいまのままなのではないかしら。

世界でいちばん青が深いのだという、見つめていると吸い込まれていきそうな青空を眺めたり、ときどきマレットが跳躍する水面を見ていたりして、あのシドニーの25ドルのソーセージロールはおいしかったが、価格は新記録だった。
ソーセージロールって云えば、この頃はカレーライスロール見ないよね。
そう?
ガメが気が付かないだけで、このあいだのMt Wellingtonのハンバーガー屋のフィッシュアンドチップスメニューには書いてあった。
でもイギリス人は、あんなおいしくないものを食べるなんて信じられない。
いったい、きみたちの先祖はどういう味覚をしておったのかね、とモニさんは男の口調をまねて、屈託なく笑っている。

料理は、論理的な民族のものだからね。
論理に興味がない民族は、料理にも関心がない。
ルネ・デカルトは、どんな夕食を食べていたのだろう?

モニさんと出会ってから、毎日毎日話していて、まして結婚してからは、のべつまくなし、朝も昼も夜も話していて、こんなことばかりやっていては飽きるのではないかと考えたことがあったが、モニさんと話すことの楽しさは無尽蔵で、いまだに飽きたことがない。

人間の幸福ってなんだろう?
なんて質問したら、どこかの哲人が、目の前に煙とともにドロロロンと現れて説教されそうな気がするが、それにしても、人間の幸福とはなにか。
人間は、どうやったら幸福になってゆけるのか。

オカネがあれば幸福だという人はいないだろう。
恋人といれば幸福だということは考えられる。
でも、ならばなぜ、恋人はいつかは去ってゆくものなのだろう?
裏切り、swear、テーブルを叩いて怒りのなかで苦しむのはなぜか。
やっと生き延びた恋が死によって引き裂かれる残酷は誰が考えたのか。

人間の恋する心は肉体の欲望が観念に投射した幻影なのではないか。
愛情は、覆いがたい欠落感の裏返しにすぎないのではないか。

夢のなかには褐色のローブを着た人が必ず現れて
「人間の子よ、永遠を願ってはいけない。
一年よりも、一ヶ月を、一週よりも一日を、一時間よりも一瞬を願うのでなければ、きみは幸福ではいられない」と述べる。

わしは寝ぼけて、そーゆーことを説教したいのなら、人間の意識の時間の計測装置を、もう少し、ちゃんとつくってくれよ、と悪態をついている。
せめて雨の水滴の一滴一滴を悠々と避けて飛ぶ蚊の意識の精細を人間がもっていれば、どれほどよかったか。

自分を幸福にする集中力を欠いた人間は好きになれない。
生活は投げやりに放り出したままで、したり顔で政治や社会の話をしている人間がいちばん嫌であるとおもう。

ところが自分を幸福にする一瞬をつくることは誰にでも出来ても、自分が幸福である状態を持続させるのは難しい。
自己の意識から見えにくい秘密が網の目のようにたくさんあるからで、どんな場合でも、「宇宙を支配する絶望感」に苦しんでいたはずの詩人が、夜更かしをやめて、早寝早起きをして、毎朝ジョギングをするようになったら幸福になってしまったというような散文的でバカバカしい解決はありうる。

短期間ならば、月に15万円だった収入が20万円になったら幸福になった、ということすらありうる。
どうやら人間の心には、さまざまな(生物学でいう)限定要因があって、その最後の限定要因をとりのぞく作業が幸福になるためには必須にみえる。
人間はバランスが肝腎と昔から賢人たちが述べることの具体的な内容は、要するにそういうことであるらしい。

仕事なり研究なりで忙しい人間は、幸福か幸福でないか以前の段階で、ゲーマー的な速度のベクトルのなかにいて、夢中になるということは快感ではあっても幸福とは相反している。
幸福は有り余る時間からしか生まれないのは、ルネッサンス以来、文人も哲学者も、繰り返し繰り返し述べてきたことで、世界の生産性が現代のように増大するまでは幸福はおろか不幸ですら上流階級の贅沢にしかすぎなかったのは、そのせいである。
忙しい人間は、人間をめざしているだけで、まだ人間には至っていない段階でしかないだろう。

I’m happy

と突然モニさんが述べている。
わし頭を両手でおさえてキスをする。
わしも、と応えるが、どうも自分の心を観察すると、こっちはタワケらしく、よーするにモニさんが幸福ならばわしも幸福、という子供じみた幸福感であるような気がしなくもない。

ホブソンベイの線路は、まるで湖のなかに敷設されているようで、夕暮れどき、電車が湖面を横切ってゆくと、千と千尋の神隠しに出てくる幽冥な電車のようであることは前にも書いた。
ニュージーランドのような国にいると、幸福には膨大な物理的スペースが必要なことや、人間の意識の流れの自然の速度は、現代人が感覚として仮定しているよりも、実は、もっとずっとゆっくりしたもので、現代の人間は、いわば生まれてからずっと「急かされている」のだということが自然にわかってくる。

人間は自分自身を欺くのが得意で、社会の形で、関係の形で、個人の意識の形で、本来の固有時間や、棄損されない自然な情緒を、さまざまな手であざむこうとする。

その個人の固有の時間や意識をつかまえようと伸びてくる無数の手を、するりと抜けて自分の幸福のなかへ入ってゆけるのは、ただ言葉という魔法によっていて、
言葉の変調は、人間という生き物が、いかに壊れやすくて、メインテナンスが難しい生き物なのかもいつも教えている。

わしが言語に時間と労力を割いて、例えば外国語の習得にさえこだわるのは、一に、そのせいであるのだと思っています。


ありふれた光景

$
0
0

ときどきミサイルが落ちてくる生活、というものを送った初めての国民はイギリス人で、1944年、成層圏から超音速で落ちてくるV2ロケット、Vergeltungswaffe 2は、戦争が終わるまでに1400発を数えた。

文字通りの晴天の霹靂であることもあって、では悪い冗談だが、それまでのパルスジェットを推進力とするV1に較べて、諦めが先に立つ、というか、「頻繁に起こる天災」というような感じだったようです。
V1は巡航ミサイルであるよりも無人飛行機で、迎撃に飛び立ったスピットファイアの熟練したパイロットたちは、幅寄せをしていって、翼をflipして、というのはつまり、ピンッと跳ねて、姿勢を崩させることによって、撃墜したりしていた。

V2のほうは、突然青空から落下してきて、建物が破壊されて、そのあとから、それが悪夢ではなくて現実であることをひとびとに思い知らせるかのように轟音が轟く、という人間の感覚とは順逆がアベコベな事象で、返って非現実な感覚をロンドン人に起こしたようでした。

近くにはスカッドミサイルという例がある。
1980年から8年間に及んだイラン=イラク戦争では、双方の手にソビエトロシアが外貨獲得のために大量に輸出したスカッドBを元にしたミサイルがあって、
イラクからは520発、イラン側からは177発のミサイルが発射されている。
年長のイラン人の友達に訊くと、拡大版V2というか、損害は決して小さくはなくて、瓦礫のしたで息絶える友人や、家に帰ってみると、かつて家であったところは廃墟で、家族全員が死亡していた、というような話を教えてくれます。

2017年になって北朝鮮がぶっ放した4発のミサイルは、スカッドの最終型であるスカッドDよりも遙かに洗練されていて、アメリカ人たちを驚かせた。
北朝鮮軍ミサイルパフォーマンスの最も重要な点は、4発のミサイルを、綺麗に80km間隔で落としてみせたことで、これは北朝鮮が制御技術を飛躍的に発展させて、ピンポイントで目標を攻撃できるようになったことを意味している。

過去には例えば赤坂の官邸をある日突然破壊するためには、官邸をターゲットとして少なくとも10発くらいはぶっ放さないと当たりそうもなかったが、いまは一発で必中する。
やる気になれば首相暗殺の目的にも使える。

パトリオットがあるじゃないか!という、パトリオットな人もいそうだが、パトリオットはいまのPAC-3であっても、迎撃爆破ポイントが地上に近すぎて、角度高く打ち上げられて目標の直上から地表めがけて突進してくるミサイルを撃ち落とすのは、出来なくはないが苦手なんです。

その欠陥をカバーするために開発されたのがTHAADシステムで、このシステムは中距離以上を飛来して、垂直に目標に向かって超音速で突進してくるタイプのバリスティックミサイルを粉砕するために特化されている。
近距離ミサイル迎撃が得意なPAC-3と一緒にセットで使ってね、ということでしょう。

中国の主張は、もっともな点もなくはなくて、1セット900億円近くもするTHAADを韓国に配備するのはおかしいではないか、ということに尽きている。
北朝鮮が韓国を攻撃するために使う予定の近距離ミサイルを迎撃するのに中距離以上に特化されたTHAADが必要であるわけはない、目的は言い訳と異なるのではないか。

多分、中国の言い分のほうが正しいので本来防衛システムであるTHAADにはアグレッシブな情報収集としての機能が備わっていて、別に特別な軍事知識がなくても、THAADを韓国に配備する理由が、人民解放軍の動きを即時的網羅的に把握する以外の目的があるわけはない。

金正恩は、安倍政権がトランプ政権に尻尾をふるように「仰ることは何でもやります」の、プライドもなにもかなぐり捨てた、これからは国家の独立性なんて、むかしみたいな駄々はこねませんから、という態度に出たのを見て、深刻な衝撃を受けたという。
のらりくらりと、平和憲法を盾に、面従腹背、アメリカの言うことを一向に聞かなかった歴代政権とは打ってかわって、進んでアメリカの走狗となることを表明した安倍政権は、金正恩の立場に立ってみれば、これまでにない脅威だった。

こっちを詳しく敷衍的に説明していると長くなってしまうので端折るが、経緯で、中国が不快感の表明として実行した北朝鮮からの石炭購入の停止という、ちょうど戦争前の日本でいえばルーズベルト政権の日本への屑鉄輸出の禁止くらいの段階にあたる経済制裁で痛い思いをしていることと相俟って、金正恩のフラストレーションの原因になっていた。

傍で見ていて不思議なのは、なぜアメリカがそこまで北朝鮮を追いつめる必要があるのか、ということで、オバマ政権と打って変わって、トランプの政権は殆ど戦争を起こしたがっているかのように振る舞って、金正恩を追いつめている。
1941年に日本が太平洋戦争に踏み切った理由を考えれば判るが、忍耐の限度を試されるような締め付けにあえば、余程の外交能力に長けた指導者でもなければ勝算がなくても「ひとあばれして活路を見いだすしかない」と思い詰めるはずで、北朝鮮は、いままさに窮鼠で、猫だろうが虎だろうが、噛むときには噛みつくしかないと思い定めているのが容易に見てとれる。
事態が急展開を迎えたのは、案外、ホワイトハウスのなかの戦争を必要と感じる勢力の意向が強く働いた結果なのでしょう。

驚くべきことに相談もなく金正男を殺すという重大なメッセージを受け取った中国は、もう自分たちは事態をコントロールする意志をもたなくなった、ここに至ったのは何の目的なのかも判然としない米日韓枢軸体制を表明したおまえらの責任なのだから、あとは勝手にやればいい、と投げ出してしまっている。
考えてみると、いまの局面で中国が事態の収拾に乗り出すことには、相手がトランプでは恩に着せることも出来なくて、外交上のメリットがなにもないので、当たり前といえば当たり前です、

これまでの数次のミサイル発射テストとは異なって、各国が、現実のミサイル攻撃の予行演習だと受け取っているのは、つまりは外交の必然が赴くところ、今回は高高度ミサイル迎撃システムであるTHAAD配備が完了する前に北朝鮮が日本に向かってミサイル攻撃を開始することが最も自然であるからで、多分、去年、Stars and Stripesが不用意に使ったのが初めの日本攻撃の「rehearsal」という言葉で頻用されだしたのを見ても、各国とも、あるいはどのマスメディアも「日本が戦場化されてゆくのは避けられない」と看做しだしているのがよく判ります。

70年間平和が続くという世界の歴史にも珍しい日本の人には異常な事態でも、考えてみると、ときどきミサイルが降ってくる日常というのは、いわば「ありふれた光景」であるにすぎない。
1974年のエジプトのイスラエルへのミサイル攻撃に始まって、ソビエトロシアの2000発を越えるアフガニスタンへのミサイル攻撃、イラクのサウジアラビアへのミサイル発射、2015年にはイエメンすらサウジアラビアに対してミサイル攻撃を試みている。

かつては平和憲法をうまく利用して、国是ですから、を盾に戦争を回避してきた日本が「普通の国になりたい」という願望をもった、当然の帰結といえなくもない。

どうでもいい、というか、余計なことを書くと、北朝鮮の伝統的な戦争戦略は二重の構造で出来ていて、祖父の代からの伝統兵器におおきく依存した対韓戦略と、ロングレンジ化した現代の戦争に即した対日戦略の二本柱で出来ている。

対韓戦略の中核は数百単位の多連装ロケット砲と重砲群で、北朝鮮との国境に近いというソウルの地理的な特異性に由来して、重砲群のいっせい射撃によって対韓戦が開始されるのは、ほぼ自明とされている。
韓国系人の友達に訊くと、「ソウル人は、みな判っているよ。ほら、デング熱はタイのひとたちは、生活に伴うリスクだから、というでしょう?日本人たちは地震が来ると知っていても東京に住んでいるじゃない?
あれと同じで、起きたら起きたでしょうがないと思っているのさ」ということだった。

ミサイル技術が向上したようなので、今回の4発のミサイル発射の翌日、ひさしぶりにCSISをはじめ東アジアに強いという定評があるシンクタンクや研究機関の公表されたレポートを読み漁っていて、なにしろ誰でもアクセス出来るように公表されているくらいで存在そのものが内緒な文書とは異なってびっくりするような新しい話は書かれていないが、革めて総攬すると、北朝鮮の軍備が意外なくらい洗練化されていて、しかも実戦的であることに驚いてしまった。
ケーハクなことをいうと、やる気あんじゃん、な感じでした。

いきなりそこまでトットと事態が進展するとは考えにくいが、北朝鮮が全面戦争を覚悟した場合には、特殊部隊の比重がおおきいという北朝鮮軍に特徴的な性格がある。
例の日本人拉致は、この特殊部隊スクールの卒業試験で、日本海の海岸に日本側に発見されずに上陸した証拠として日本人を誘拐できれば無事卒業認定というシステムであったようです。
この特殊部隊は、しかし誘拐を目的としているわけでは、もちろんなくて、破壊工作部隊で、目標は日本海側のインフラ施設、たとえば原子力発電所であると一般に信じられている。

その上にTHAADが機能し始めると無力化される中距離ミサイル群があって、北朝鮮からみれば残念なことに、日本に対して実効性のある兵器は、このふたつに限定されそうです。

北朝鮮のミサイル群には長所があって、発射台が移動性と隠匿性にすぐれているので、空爆で一挙に粉砕するということは出来なくて、イタチごっこというか、長期間、だらだらとミサイル戦が続くことになりかねない。
各国とも北朝鮮が6月の終わりまでに一挙に勝負をかけてくるのではないかと考える人が多いのは、だから、THAADの7月配備を睨んでのことでしょう。

なにが起きても冷静であることが無上の誇りである日本の人の国民性で、日本社会は平静を保っているが、今回のミサイル発射がいままでとは異なる意味をもっていて、国際社会のほうでも、もう熱がさめて、次の事象待ちになっているが、色めき立ったのは、つまり、いままで平和だった日本が「東アジア戦域」に含まれたのが明らかになったことで、70年ぶりに、日本は戦争に巻き込まれることが確定的になった。
どの程度エスカレートするのか、慢性的な戦域化か、短期なのか、戦争であるかぎりは、どこの国の、どんなに優秀な情報機関でも判らないことで、無責任な予想屋でもないかぎり、なにも言えるはずはないが、各国政府や投資家から「戦域」とみなされることのほうは確定したように見えます。
大規模で決定的な戦乱が起きない限り問題が根底的に解決されない形が出来上がってしまったからで、戦争というものは、日本の理屈家たちが考えるのと異なって、誰にも何にも利益がないときにこそ起こるという歴史上の厳然たる事実が、また証明されることになってしまった。

ゆいいつ止め男たる力量をもつ中国の、しかも東アジア外交の専門家である外務大臣が「米日韓合同演習とTHAADをいますぐ中止すれば中国には北朝鮮を止める努力をする用意がある」と述べているのは、要するに、「アメリカと日本が悪いんじゃ、おれは、もう知らん」と述べているのと同じことで、中国の動きを観察していると、これから渾沌にはいってゆく朝鮮半島をめぐる情勢にあわせて柔軟に国益を追求しようとする期待と、東シナ海での緊張に事態を利用する思惑との、ふたつで戦略を立てようとしているのが判る。
トランプ政権のアマチュアぶりを見てとって、中国支配の時代の到来を早めるチャンスだと考えているのが露骨になってきている。

今日はいい天気だなあー、と思って空を見上げているとピカッと光る点がみえて、次の瞬間、小さなきのこ雲があがる日常というのは人類が1944年以来、日常の光景に付加した、奇妙な光景です。
日本は望みどおり「普通の国」になって、それに伴って、ふたつの大洋で隔てられた大国がある北米以外では、「普通」な「ありふれた光景」を持つことになった。

あのなつかしい、戦争が身近な日常に、また戻ったのだと思います。


シェイクスピア

$
0
0

“From this day to the ending of the world,
But we in it shall be remembered-
We few, we happy few, we band of brothers;
For he to-day that sheds his blood with me
Shall be my brother; be he ne’er so vile,
This day shall gentle his condition;
And gentlemen in England now-a-bed
Shall think themselves accurs’d they were not here,
And hold their manhoods cheap whiles any speaks
That fought with us upon Saint Crispin’s day.”

シェイクスピアを観に行く楽しみは、日本で言えば、伝えられる江戸時代の歌舞伎を観に行く楽しみに似ている。
オセロのような悲劇でも、では荘重に悲壮に物語が進行していくのかというと、そんなことはなくて、途中で観客を笑わせるちょっとしたアドリブや仕草の演出が入って、観客のほうも笑ったり、しんみりしたりしながら、一夜の非日常を体験する。

喜劇はシェイクスピアの真骨頂で、観客も役者のうちで、舞台と客席とのあいだで掛け合いをしながら進んでゆく。

大好きなTwelfth Night, or What you willやMuch Ado About Nothingなどは、子供のときから、あの浮き浮きした、劇場全体の空気が軽くなるような雰囲気が好きで、ロンドンで、シドニーで、ニューヨークで、なんど観にでかけたことだろう。

おとなになってからは、バーで買ったワインを片手に、チーズボードのチーズやサラミやハムと突つきながら、3時間の、あっというまのひとときを過ごして、今日の俳優は上手だった、
おまけに歌のうまさときたら!
とコーフンしながら、ホロ酔いで、口まねをしてヘンリー5世の戦いの前の長い独白をふざけて述べると、いつもはお下品な、タクシーの運転手も唱和して、遺産が豊富な言語の世界にうまれるということは、なんという幸福なことだろうと考える。

もっか英語人たちを暴騰する土地価格や上昇する生活費で悩ませているバブル経済にもよいところはあって、みるみるうちに道路がよくなって、病院や学校が目に見えて改善されて、住宅街は毎年変化がそれとわかるほど綺麗になってゆく。
税金を払っているほうも、例えばオークランドなら市役所側が、レイツと呼ぶ、日本で言えば固定資産税について3.5%案、2.5%案、2%案と呈示して、
2%なら現状維持が精一杯で、2.5%あれば以前からの$15Mの留保金とあわせて、懸案の解決をすることは出来る。
3.5%ならばサイクリンロードや遊歩道、スポーツフィールド、さまざまな、言わば「贅沢」が出来ると提案するのに対して、あーでもないこーでもない、いまは社会ごと儲かっているのだから2%ということはないが、3.5%だとレイツが年に3万ドルを超えることになってたまらないので、2.5%ならどうですか?
と返答したりしている。

そうやって、皆で税金の使い途をわいわい考えながら、一方で、Pop-up Globe Theater

http://www.popupglobe.co.nz

のようなものが出来てくるところも英語社会で、日本でいえば、70年代?の黒テント、赤テントだろうか、ただし演し物はロンドンに倣って、すべてシェイクスピアで、去年オークランドのまんなかにロンドンのグローブシアターの1分の1縮尺の劇場をぶち建てて興行をしてみたら、主宰者側がぶっくらこくような数の観客が集まって、味をしめて、今年からは定例にするつもりになっているもののよーでした。

今年からはリミュエラの家から近いEllislie のレースコースに建物をつくるようになったので、ぼくはゼルダをやるのに忙しくて行かないが、家のひとたちは7時頃になると、そそくさとクルマに乗って出かけてゆく。
クルマだと5分か、そんなものなので、むかしの江戸や東京の人たちが毎日通っていたと本には書いてある銭湯にでかける気楽さで、なんだか毎日通っているよーでした。

「今年の建物は出来が悪くて通路がボヨボヨしてる」
「そりゃ、あんたが太ったのさ」
と相変わらずのアホな冗談を述べあいながら、それでも、ずいぶん楽しい時間を過ごしているようで、ガメも行こう、だってシェイクスピア大好きでしょう?と誘ってくれるので、初日には顔をだしたが、千秋楽にもちょっと出かけようかなあ−、その頃はメルボルンからもう戻っているかしら、と考えたりしている。

秋は楽しくて、行く先々でワインを飲み過ぎる危険に満ちてはいても、毎日遊びに行くのに忙しい季節で、やっと猛暑の夏が終わりそうなシドニーやメルボルンもあわせて、あれもこれも行きたくて、こんなに苦労するのなら式神を使う方法を習った講座とは別に、分身の術の講座もとっておけばよかった、と後悔する。

閑話休題

Henry Vは、分類すれば「史劇」で、日本ならば司馬遼太郎の「坂の上の雲」かなんか、そんなところなのかもしれないが、十分に通俗的でありながら、長セリフを聴いているとやっぱり感動して涙ぐんでしまうという点で、シェイクスピアの力量が実感される戯曲です。

最近、ビッグデータの研究者たちが「他の演し物はともかくHenry VIだけは語彙や表現方法の解析からシェークスピアの作品でないことを証明した」と発表して、ずいぶん話題になったヘンリー6世3部作に描かれたイングランド王のとーちゃんの物語で、かーちゃんのキャサリン・オブ・ヴァロワとヘンリー5世の都会の上流社会人然とした洗練された若い女の人と、立ち上がると血煙の匂いがしそうな、イングランドという田舎国出身の闘争に明け暮れる荒っぽい青年とのなれそめが描かれている。
シェークスピアは恋の楽しさや儚さを描くことに天才的な表現力があった作家だが、遺憾なく才能が発揮されて、武骨な若者と、我が儘だが典雅なフランス王女の、ふたりのやりとりに大笑いしながら、観る人はみな、人間に生まれたことの楽しさ、いちどしかない人生の尊さを考えて、明日からもっと意識をはっきりもって生きなければ、と決心する。

シェークスピアの歴史上の最大の功績は17世紀のイギリス人たちに人生の楽しさ美しさ、かけがえのない尊さを教えたことで、多分、このいまだに正体がよく判らない、生前から俳優として成功して富裕だった演劇人がいなければ、もともと全体主義的な英雄主義に酔いやすい体質のイギリス人が、いまのような個人主義をもつことはなかっただろう。
シェークスピアの言葉の浮遊力は、たいへんなもので、浮き立った、あでやかで、音楽的な、繊細な感情に満ちた華やかな表現は、いままでに生きて死んだ自分たちの祖先が、言葉のひとつひとつにこめた、自分たちの生活を愛おしむ気持ち、死んでゆく自分が、子供たちや孫達に「おまえたちも、しっかり人生を楽しむのだぞ」と告げているような、豊かな時間の記憶を、余すところなく、俳優たちの声帯に力を借りて、客席の観衆たちに注ぎ込む。

3時間の劇場での時間が、観衆の言葉を目に見えてゆたかにするありさまは、非現実的なほどで、日本でも、やはり舞台と客席のあいだに掛け合いが存在したという歌舞伎というものはこういうものだったのではないかなあーと、よく考えた。
かーちゃんのお伴で二三回銀座の歌舞伎座にでかけたことがあるだけだが、英語ヘッドフォンを付けていたからだけではなくて、いまでは掛け合いも存在しないようで、正直に述べて、なかなか日本の人は信じてくれないが、子供のときから熱狂的に好きだった能楽と較べて退屈で、江戸時代も皆が観客席で舞台のうえの歌舞伎を「鑑賞」してしまうような演劇であったとは、歌舞伎にいれこみすぎて身上つぶした逸話の数の多さを考えても、ちょっと考えられない。

もともと、観客が権力者ひとりであることすら多かったという、客席との交流を拒絶する芸術である能楽が、いまも強烈な幽玄の美を保っているのに較べて、歌舞伎の凋落あるいは変化は、さびしいことであるような気がしなくもない。

映画のつまらなさは、観客と演じる側をスクリーンが遮断しているからで、
いつだったかロンドンで、あきらかにシェークスピアをよく知っている人であるのに、劇を観ているうちにオセローを陥れたイアーゴーに対する嫌悪が抑えられなくなって、イアーゴーが捕らえられて引き回されるシーンで、「いけえー、吊せえ!ぶち殺せ!!」と客席から絶叫して、静まり返るべき緊張のシーンであるのに劇場じゅうを大爆笑に包ませることになってしまったおばちゃんがいたが、舞台は、そういうことを含めて、人間性というものに、常に肉薄する。

人間が人間を演じて、その言葉と演技に客席から声援を送りながら手に汗をにぎり、あるいは大笑いしながら涙をぬぐっているほうも、どんどん人間に返ってゆくシェークスピア演劇の舞台は、英語という言語が衰弱するたびに、エネルギーを補給し、英語人たちに、自分達がどこから来て、どんな人間だったかを思い出させてくれる。

ひとりの天才が、一個の民族全体になしえたことを考えると、なんだか途方もない気持ちになります。


Brexit

$
0
0

夜の山道に、乳白色の霧がたちこめていて、遠くにぼんやりと明かりが灯っている。ときどき、奇妙に切れ込むように鋭く曲がっている、霧で見通しが悪いカーブにひやひやしながら灯りに近付いてゆくと、レストランの看板が照明に照らされていて、予約もなにもないけれど、おいしそうな佇まいだから、今夜はここで食べて行くかなあ−、と考えている。
山道を来たのに、魚の絵の看板が不安でなくもないが、ドライブウエイの向こうに見えている建物の姿が、いかにもおいしい店であるように見えます。

ローマがあるラチオ州は、ローマからちょっとクルマで北上すると、意外なくらい貧しい州で、イタリアのイメージと異なって、日本でもよくある、日本ならばパチンコ店にあたる、スロットマシンを並べた店の看板が、せっかくの美しい風景を台無しにして、道の両側に並んでいたりする。
わずかに州の規制で、ちょうど道路標識を少し大きくしたような看板の大きさが同じになっていて、それが異なるだけのことで、あとは、軽井沢を東西に通り抜ける国道18号線に似て、ただ醜悪なだけの店舗やホテル、金の買い取りの看板が続いている。

その日本的な光景を抜けて、県境に近い山道に入ると、ところどころレストランがあって、そういう料理店はおいしいものだと決まっていて、例えばラチオでは、値段は忘れてしまったが、まるでカップラーメンのような、プラスチックの容器に入った、fedelini(細いスパゲッティ)が、うわっとびっくりするほどおいしかったりする。

ひさしぶりに、国際面のトップが、あの見るからに卑しい顔つきの、薄気味の悪い手振りの、アメリカの大統領にまで成り上がった老人でなくなって、ほっとしたら、メイ首相がいよいよBrexitを決定する書類にサインをしている写真で、連合王国が、ついに大陸欧州と離婚する手続きに入ったことを告げる記事で、苦笑いさせられてしまった。

連合王国の側でも、大陸欧州側も、ほとんど誰にも望まれないBrexitが、引き返せないところまで来てしまったのは、無論、政治的にはキャメロンの信じがたいほどの愚かさが原因だが、自暴自棄というほかない投票を行(おこな)ったひとりひとりのイギリス人にしてみれば、イギリス人らしく、普段の生活ではおくびにも出さなくても、「もうこれ以上外国人にのさばられて、心地がよく、穏やかだった社会を破壊されるのはまっぴらだ」という、やけのやんぱちな気持ちがあったのだと思われる。

セブンオークスやトンブリッジウエルのような町に限らず、ロンドン自体が、大都市というよりもおおきな田舎町で、生来迂闊なぼくが、財布を忘れて出かけても、たいして困ることのないような町だった。
小さな声で述べると、店主に外国人嫌いの人が多いと感じられるフィッシュ&チップスの店のおばちゃんのような人でも、「移民や難民には親切にしなくては」と自分を励ますように述べていたが、そう言ったあとに、自分で自分に呟くように「あの人たちは、良い人たちが多いのだから。そんなにたくさんで来なければ」と付け加えたりしていた。

そんなにたくさんでなければ、と必ず付け加えていたのを、たいして気にも留めないで来たが、実はそこにおおきな、抜き難い、否定的な気持ちがこめられていたのだ、と気が付いたのは、ずっと後のことです。

連合王国とアメリカ合衆国は、仇敵同士で、お国柄もおおきく異なるが、共通しているのはhonest baseの社会であることで、日本の人がよく口にする「性善説」とは似ているようで異なるが、善意志にもとづいて社会を建設・運営することが前提の社会で、要するに、アジア人やアフリカ人、なかんずく英語人の目には自己主張が強く、攻撃的にみえる中東人たちが増えることによって、といっても現実の中東人は、一向に攻撃性の強いところは見あたらないが、十字軍のむかしから、ほとんど定説のように中東人の攻撃性ということは英語人の頭にこびりついていて、移民の数が増えると自分達の社会が自分達のものでなくなってしまうと怯える人が増えていった。

日本語の丘に立って観ていると、失念しやすいことだが、連合王国ではアングロサクソンは、記憶もあいまいな歴史の昔から、あの天気が悪い島に住み着いているのだという気持ちがあって、オーストラリアやニュージーランドでは、白い人ばかりで酔っ払うと、田舎町のパブでは、politically incorrectな発言の大会が始まって、
普段は親切に応対している中国の人や、日本の人、アラブの人の悪口を述べ始めると、悪酔いした頭の弱いおっちゃんが
「あいつら、みんな自分の国に送り返しちまえ!」と叫んで、
すると、誰かが「そうだそうだ! でも、じゃ、おれたちもイギリスに帰らないと!」と混ぜっ返して、ガハハと下品に笑いこけたりするが、
イギリスがイギリスでなくなってしまえば、もうあのなつかしい故郷はなくて、
どこにも行き場はなくなってしまう。

奇妙なことに、自分が話した範囲では、このことをはっきり口に出して意見を述べたのはイラン人の友人だけで、
「ガメ、考えてごらんよ。イラン人もアラブ人も、自分達が住んでいるアメリカやイギリスの悪口ばかり言っているが、おれたちイスラム人が幸福なのは、アメリカやイギリスだけだ。
どのイスラム国が住んでいる人間を幸福にしているというんだい?
そんなイスラムの国なんて、この世界にはひとつもないんだぜ?」
と英語人が英語で言ったら、いっぺんに友達がいなくなるようなことを、明瞭に述べる。

なにか、文字通り、口にするのに憚られる現実がそこには隠れていて、その言葉によって検討されない暗闇から飛び出してきた魑魅や魍魎がBrexitの正体なのでしょう。
少なくとも、Brexitのもともとの論点である、金融規則や、社会運営に対するブリュッセルからの細かい規制のうるささが原因ならば、国民投票で離脱が決まるわけはない。

エラスムスが、不味い食事と、ワインすらない文明の欠如を呪詛して、愚痴をこぼしまくりながらイングランドに滞在し続けたのは、因循姑息な国民性であるのに、意外なことに社会としては自由闊達な、手品じみた知恵で運営されていたイングランドの空気のなかでしか、15世紀末から16世紀初頭の欧州人には自由な思考の可能性がなかったからであって、18世紀欧州の「常識」から疎まれたエマヌエル・スウェーデンボルグがたびたびイギリスに滞在したのも、おなじ理由によっている。

イギリスは欧州の端っこの島国であることを利用して、常に欧州全体の未来への窓として機能してきた。
日本語人には「え?イギリスと欧州は別ですよ。ぼくはイギリスに5年いたけど、イギリス人だって自分達を欧州人とは区別していますよ」という人がたくさんいるのは知っているが、現実は連合王国人は、むかしから北欧との行き来が盛んで、北欧州と北海文明を共有していて、特別に欧州人意識が強いスコットランドを別にしても、やはり骨の髄まで欧州人で、口では「イギリス人は大陸欧州人と異なる」と述べる人も、心底では自分が欧州人でしかないことを、言葉の底に堆積した真理を見つめるようにして、よく判っている。

メイ首相の書類へのサインを合図にして、世界中の新聞が「連合王国と欧州の離婚」を書き立てているが、現実は離婚であるよりもシャム双生児の片方が包丁を手にして本来ひとつでしか機能しない身体をふたつに切り裂こうとしているようなもので、ひょっこりひょうたん島という大洋を漂流する島というアイデアがおもしろい人形劇が60年代の日本では人気があったというが、なああーんとなくイメージとして、Brexitを決めてしまえば、連合王国ごと大西洋を西に移動できるような気持ちだった支持人たちも、決まってしまえば、小ブリテンと区別するために大ブリテンというエラソーな名前が付いた島が、実は移動できなくて、あいも変わらず、晴れた日にドーバーの白い岩の崖っぷちに立てば、向こうに欧州大陸が見える近さで自分の住む島が座り込んでいることにボーゼンとしている。

書いていて、悪い癖がでて、だんだんめんどくさくなってきたので、経過を端折って、結論だけ書いてしまうと、Brexitは、要するに自分のアイデンティティを自分で殺してしまった事件で、連合王国は、少なくともひとつの小文明としては、ここからゆっくりと瓦解して、退屈で凡庸な小国へ転落していくだろう。
インデックスをみると、史上に最も愚かな宰相として名を残すことになったキャメロンの時代は、戦前の英帝国時代も含めて連合王国の最盛期で、イングランドがあれほど繁栄したことは、かつてないことだった。
貧富の差の激しさを言い立てる国民性は、不平に酔っ払うのが好きな国民性の盛大な発露だが、実は、貧乏人の生活が最も質の向上が高かったのもキャメロン時代だった。
キャメロンが賢い宰相だったわけではなくて、愚かな男なりに運に恵まれて、ちょうど、荒事師サッチャーから始まった連合王国の再建の収穫期に首相になった、ということなのでしょう。

移民のひとびとのブロークンイングリッシュが、やや流暢になって、お互いに意思が通じ合えるようになった頃に、大陸欧州から自分を切り離して、血まみれになることになったのは、偶然の一致ではないが、いまここで、その機微に触れるわけにはいかない。
だいいち、日本語でそんなことを書いても、読んでなんのことかわかる人がいるはずもなければ、なんらかの意味もあるともおもえない。

いよいよ連合王国はBrexit人が、そう思いたがっていたとおり、非欧州の国となって、これからの連合王国人は、アイデンティティの上で、連合王国人であるか欧州人であるかを決断しなければいけなくなるのが、実際には、個々のイギリス人にふりかかる最もおおきな影響だろう。

ぼく自身は、是非もない、その決断をくださなければならないときに遭遇したら、躊躇せずに欧州人であるほうを選ぶだろう。
小さい人々がおとなになって、老人になる頃にはもう、なんだか冗談じみているが、大陸欧州による連合王国の併合という図式で、また連合王国は欧州の一部になってゆくだろうが、Brexitが進行してしまえば、自分が生きているあいだに、それが起きる気遣いはない。

手続きの国として政治的健全を自動的に回復する制度と、まだまだ個々のアメリカ人が強い自由社会保持への意志を持つアメリカの事情を考えると、バノンがトランプの右手をむんずとつかまえて、とらえて、核戦争のボタンを押しさえしなければ、Brexitはトランプ政権の誕生などよりも遙かにおおきな歴史上の事件で、連合王国の自殺は、人間が永遠に記憶する愚行として記憶されていくに違いない。

どんなに繁栄を積み重ねても、居心地のよかった社会をふいにするには、それが人間が陥りやすいいちばんの弱点である他者への嫌悪と悪意を煽ればよいだけであることを連合王国人は身をもって証明して、
アホらしいといえなくもないが、この先20年というような単位で考えると、どうやら「アホらしい」ではすまない結果が待っているようです。

ラチオの山間に、忽然と存在するレストランは、ドアを開けて入ってみると、びっくりするような広さの、「絢爛」と表現したくなるようなインテリアの店で、パスタをちょっと食べて、というつもりを変更して、フルコースとワインの食事をとってみると、夢のようなおいしさで、ローマ人の文明の底知れなさを感じるほどのものだった。
すっかり満足して、少し離れたところに駐めたクルマまで歩いて、振り返ると蜃気楼のように消えていそうな気がして、 振り返ると、でもそこにはまだレストランが、贅沢をつくした内装を隠して、素知らぬ顔で立っていて、狐狸のいたずらでないことを主張している。

イタリアは、こわい、と意味のない言葉をつぶやきながら、欧州に生まれた幸せを思って、また霧で閉ざされた、ガードレールもない山道を、断崖から落っこちそうになりながら県境を越えたのは、Brexitの3年前にしか過ぎなかったのだけど。



空を見上げる若い人への手紙2

$
0
0

少なくとも英語の世界では、いまでは忘れられてしまった小説、トーマス・マンの「魔の山」の出だしは、たしか、
「ひとりの青年が旅にでかけるところだった」というような文だった。
こんなに上手な物語の書き出しがあるのか、と考えて感心したのと、物語を読むにつれて青年の「旅」が重層的な意味を重ねていくのに感嘆したのとで、その物語の出だしをおぼえている。
T.S.エリオットの「四月は残酷な月だ」という有名な「荒地」冒頭の句も、ほんとうは、この小説からの引用なのだよね。

好きな詩人の名前に、Paul MuldoonやDylan Thomasやなんかと一緒にT.S.エリオットをあげたら、オーストラリアで文学の講師をしている人に「中学の教科書を思い出しますね」と言われたことがあって、その人はなにげなく言ったに決まっているが、そのひとことを憎んで、もちろんなにも言いはしなかったが、絶交してしまったことがある。
Emailをもらっても、テキストが来ても、いっさい返事をしないでいたら、あたりまえだけど、何も言ってこなくなって、それきりになってしまった。

ぼくは友達がいらないんだよ。
傲然とした気持ちや冷たい気持ちで述べているのではなくて、この世界に何も怖いものがないのとおなじように、友達と長く付き合っていたいと考えたこともない。
勇気をふるいおこして、「友達でいたいのなら、これまでのひどい仕打ちは忘れてもいい」ときみは話しかけてくれたけれども、ぼくは返事をしなかった。
シカトしたというつもりはなくて、ただ、なんとなく返事をしないほうがいいような気がしたからしなかっただけで、多分、きみとはもういちど会うような気がします。

きみがいたSEALDsは再結成だとかでニュースになっていて、ひとの悪いぼくは、なんとなく笑ってしまった。
時は満ちるもので、時が満ちてしまえば、人間は実質的な能力すら増大する。
だが同時に時は曳汐にように退いて、潮が退くときには、寄せ返しさえしなくなる。

ぼくはきみに「政治的な人間になるな」と述べたことがある。
きみには、やや信じがたいほどの善良な魂と同時に、頭の表層でいじくって知恵の輪を解いてみせるというような、頭の働きのよい人間が陥りやすい浅薄なもの思いにひたる癖があるからです。
きみは持ち前の善良な、善の存在を信じる魂ゆえに、不正で卑劣な社会に憤りをおぼえて、しかも狡い人間は他の何にも能力はないのに他人を陥れることだけは常に常人にすぐれて、きみを失望から怒りへ、怒りから憎悪へ、引きずり込んでいった。
目が眩むような怒りで世界の薄汚い姿を目の当たりにさせられた人間の反応は、政治的な思考に向かうことで、政治的な思考とは、実は言語の、暴力への憧憬にしか過ぎない。

むかし、岩田宏という言語運用能力に恵まれた人がいて、
「おれはこの街をこわしたいと思い
こわれたのはあのひとの心だった」と書いたけど、
南米をオートバイに乗って旅行して、見て回って、貧困と政治の暴力をつぶさに実見して、冷厳な革命家に変貌して、後年、「あの人は尊敬すべき革命家だったが他人に厳しすぎた」と言われることになる、気持ちのやさしい医学生だったゲバラや、1968年に、通りに立って叫び、次々に人生を諦めねばならなくなっていった欧州の学生たちは、みな、国家という力の壁に、政治性という暴力を模した言葉で立ち向かって、こぶしで戦車を打撃する人のように、ガラスのように心を砕け散らせて、恋人を、友を、あらゆる善意のひとびとの心を破壊していった。

日本語で、そういう経緯をつぶさに知りたければ、古本屋に足を向けて、戦後の、火炎瓶闘争時代の日本共産党員で、地下の工作員として革命活動に明け暮れて、革命の大義のために、友を公安警察に売り、恋人を政治活動の成就のために利用して、自分もまた平和政党に衣替えするために、暴力革命をめざした党の歴史に口をぬぐって、冷然と活動家たちを見捨てる方針に鞍替えした日本共産党によって存在しない党員だったことにされて弊履のように捨て去られた、天才詩人堀川正美の経歴を書いた文章を探しに行けばいいと思う。

世界をうまく考え抜くコツは、ネクトン、プランクトン、ニューストン、ペントスというように、遊泳能力とは別に表層や深層にあるかどうかの勘を持つことで、この勘を持たない人間は、どんなに本を読んで、どんなに思索しても、ただケーハクな、つじつまあわせのような考えに至ることしかできない。
その能力を身に付ける方法は、どんな言語でもいいから、言語の感覚を身に付けることで、言語感覚を身に付けるというのは、要するに、死者のもの思いが堆積した結果である言語のひとつひとつの語彙に、耳をすまして、その語彙の奥から、どんな叫び声や囁き声が聞こえてくるか、聴き取りにくい声を、どうにかして聴き取ることだと思います。

そうして語彙がひそやかに隠しもつ人間の声を聞き分けるためには、シェークスピアやT.S.エリオットに典型的であるように、言語の音楽性とリズムを理解するか、さもなければ、言語が必ずもっている、文字や音韻に依存しない、「これはこうとしか言われない」という定型を目に見えるようになるまで観念の高みをのぼっていくほかには方法がない。

そうでなければラテン語をひとことも分からないのに、難しい顔でガリア戦記のページをめくって、ゆっくりと考えながら読んでいる人とおなじことで、言葉は辞書の定義による単語が並んで、文法によって接続されているが、つまりは死語としてしか読まれてはいなくて、大量に読書をしているのにまるで箸にも棒にもかからないような頓珍漢な世界への認識を持っている人は、たいてい、お粗末な言語感覚のまま、本を読む行為に淫してしまった結果であるように見える。

ぼくは、この手紙を、いつか書いた「空をみあげる若い人への手紙」

https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/07/15/letter5/

の単純な続きとして書いている。
友達を必要としないのと全くおなじ理屈によって、いちど友達と考えた人間を、友達でないとおもうことがないからです。

ぼくはきみの軽薄さと浅さが嫌いだし、きみの底なしの善良さとクリスタルが陽光に輝いているような純粋さが好きである。

きみは、たしかぼくより10歳年下なので、もうすぐ23歳になるのかな?

ぼくよりずっと若くて、きみから見ればぼくはおっちゃんだけど、
この手紙は年下の人間への忠告として書いているわけではありません。
英語の世界の習慣に従って、年齢が異なるだけの、友人への手紙として書いている。

「政治的人間になるな」という言葉には、異なる側面もあって、若いときには「致命傷を避けよ」という意味もあります。

ぼくには、過去にはガラスが粉々になるように、一瞬で人生を粉砕してしまった友達がたくさんいる。
親とのケミストリが悪くて、この世で最も相性が悪い人間が親である事実に耐え切れなくて、自暴自棄になって、酒に酔って、ぼくが通りで出会った仲間に聞いて大急ぎで駆け付けてみると、すでに集団強姦に遭って、ぼろきれのようになっていて、いまでもその体験から抜け出せない女ともだちがいる。
あるいはデモの街頭で警官に殴打されて身体障害になって、いまだに身体の痛みとともに、世界への憎悪にうなされるようにして生きている友達がいる。
狡いようでも、取り返しがつかないダメージを自分に与えないですむかどうかを考えてから思い切った行動に踏み出すのがよいと思う。

きみをいままで見ていて、友達ならば、このくらいのことは言わねばのちのち寝覚めが悪いだろう、と思うのは、要するに「致命傷を避けるように」という、ただこれだけで、あとはあとで自分で思い出して恥ずかしさと危なっかしさに飛び上がるような気持ちで「あっ」と叫ぶような体験になっても、なにやったって、いいに決まってるのさ。

また、きっと会えるよ。
人間の世界は不思議なもので、というのは、多分、この世界にはきみやぼくの哲学では説明しえない法則が働いていて、会うべき人は、どうやってもどうしても会うように出来ているもののようです。
日本の人は、そのことを仏教的に理解して「縁」と述べたりするよね。

ある日、きみが、乾坤一擲キチガイじみて、決断して、日本で積み上げたすべて捨てて欧州に渡る決心をして、セキュリティゲートで、ふと前を見ると、真っ赤なゴジラのTシャツを着た、妙にでかいおっちゃんが立っていて、係員に「靴は脱がなくてもいいのかい?」と聞いていて、よく見ると、右肩のところに、ご丁寧にも漢字で「十全外人大庭亀夫」と書いてある。

ガメなのか?
と聞くと、ニカッと笑って、おお、このときを待っていたぞ、
とぼくは言うだろう。

そのときを、心待ちにしています。

でわ


ラットレースから抜け出す

$
0
0

株式というのは投資のなかでも、あんまり興味がない分野で、ただ世の中や特定の企業に対して関心の糸をつなげる目的だけのために続けていると言ってよい。
小さな規模で、あんまり小さすぎると、そもそも株を持っていることを忘れてしまうので、どのくらいの規模かというと、いま自分のポートフォリオを広げてみて、
例を挙げると、最近2ヶ月で60%くらい株価が上昇したテスラでいうと、上昇分で名前のよい通りの家が一軒買える、という程度です。
赤いのもちゃんとあって、fitbitとtwitterはそれぞれ買ったときの株価から67%と14%さがっていて、こっちは蒐集箱と称する観察用の株なので、いよいよたいした金額ではないが、前者は酔っ払って企業業績もなにも調べないで買ったら、「役員がデタラメ」という最悪のパターンで、なにしろ株価急降下ちゅうの最中に役員が自分の持ち株を売りに出してしまうくらいひどいので、モニさんのブラのストラップに留まっている赤くて小さな、テントウムシのようなfitbitを酔っ払って眺めて、うふふ、かわゆいなどと考えて、ベッドのなかでラップトップを広げて何の理由もなく株を買ったりすると、天罰覿面、こうなる。

twitterという会社は、設立当初からまったく収益モデルがつくれない会社だった。
そういう点からは株式を買うのは愚の骨頂で、案の定、ちょっと市場が不安感を持つと、すごい勢いでぐんぐん下がる。
目下はポートフォリオに並ぶなかでもツイッタ株価は真っ赤で、相変わらず無策を絵に描いたようなボードだが、こっちは多分グーグルかどこか、この手の事業に関心があって過去に失敗した会社が買うだろうと考えて、お気楽にほったらかしになっている。

持っている株式の中心はケチャップやスーパーマーケット、老人ホームのデベロッパー、養殖業、電力、空港…というような地味な企業が多くて、自分で建てた理屈と自分でつくったソフトウエアが示すガイドラインに従って、買ってゆく。
売る方は、めんどくさいというか、まだどういう状況で売るのがよいのか学習していないというかなので、買った株はいつまでもそのままで、銀行や保険の「危ない商売」の株式は業種のやくざっぷりを反映して上下が激しいので、あんまり上がると売り払ってしまうとか、通貨変動上の理由から売るとか、どっちにしろ、調整的に売るだけで、いちど買った株式は、ずっと持っているほうです。

性格を反映して株式投資においても、ちょーのんびりなので、秒単位のオンライントレーディングのメリットというものがよく理解できない。
ああいうものは忙しすぎて、あんまり夢中になると生活自体の時間を大幅にとられて、なんだかワンマンバンドの株屋になってしまいそうなので、普段は銀行が開設しているのんびりトレーディングにインターネットで注文を出したり、はなはだしきは電話を取り上げて、これとこれを買ってけろ、といったい何時代から来た注文なのかと相手が訝しがりそうな注文の仕方をする。
UK友には数学上の知識を駆使して自動売買をして大金を稼いだりしている人もいるが、それはそれで、そこまでやる気がなくて、株式に較べれば遙かにもうからない不動産投資のほうが本業で、やっぱりこの建物は面白いなあ、とか、そういう職業上の楽しみもあって、アメリカや日本の市場は知らないが、かつての連合王国系の国ならば、いまではもうさすがに鑑もあって、テキトーに暮らしている。
これはこれで、仕事をする楽しみもちゃんとあって、離婚して、落魄したおばちゃんが面接で断られて、しょんぼり帰るのを目にして、あれはなんでダメなことになったの?と聞いてみると、いくら管理要員でも落魄の様子がひどすぎるというので、ちょっと再面接があるからというデタラメな理由を拵えて、何食わぬ顔で面接担当のような顔をして会って、話してみると、案外と面白い人なので、雇ってみると、この人はたいへん有能で、ところが面白いのは、自分に合った仕事につくと人間はみるみる変わるもので、すっかりワーキングウーマンふうに颯爽として、ときどき一ヶ月くらいの休暇をとってバカンスに出かけたりしている。
どうも二度目に面接したのがぼくであることのほうは、多分、身なりが異なっているからでしょう、判っていないようで、自分が勤めている会社の持ち主くらい判別つかなきゃダメじゃん、とおもうが、なにしろ怪しまれて自分の会社のビルに入れなかったこともあるくらいなので、馴れていて、まあ、そんなものだろうと考える。

仕事というものには、そこここに人間の姿が見え隠れしていて、面白いが、株式には大脳のなかのスクリーンに映るさまざまな数字やニュースから、会社の姿を割り出していかなければいけないことが多いので、ちょっと放っておくと、すぐに興味がなくなって何か月もほったらかしにすることになります。

わしには自分についての悪口を探してきて眺めて楽しむという悪趣味があるが、日本語でも実行していて、いつか「こいつはオカネモチのふりをしているが投資家の日常というものがまるで判っていない。投資家というものは、眠るヒマもないほどの忙しさで、自分の人生をすべて事業活動に傾けつくしているものだ」という解説をなしている人がいて、大笑いしてしまったが、なるほど世の中の人のイメージというのはそういうものなのだな、と思って、ミーティングに珍しくえっこらせと出ると、「え?これが…?」で、なんだか呆気にとられたような顔が並ぶことの理由がしみじみと理解される。

ひーばーちゃんは、長い一生の終わりには、少しだがボケて、チビわしによく「ガメや、労働をする人間になってはいけませんよ。一生懸命に働くのは、頭が悪い人間だけが懲罰として働くのですからね。仕事をするなどは無能の証明です」と恐ろしいテツガクを述べて幼児教育を実践していたが、曾孫は見事にナマケモノに成長すると、これはやはり幼児教育の成果だろうか、と考えてみたりする。

投資家は鉄道模型やプラレールを組む子供に似ている。
アイデアを持って、だんだん現実の形にしたくてたまらなくなって、さんざん工夫を凝らして敷設して、いざスイッチをいれると、ちゃんと電気が流通して、列車が動き出し、遮断機が下りて、ジオラマがいっせいに活気を帯びる。

いまのアメリカ大統領トランプという人は、これも不動産成金だった父親からすると、頭も品行も悪い、ダメな息子でしかなかった。
期待もされていなくて、オカネを融通してもらえないドラ息子トランプが考えたのは、自分の不品行な頭のなかから出た名案で、グランドセントラルターミナルの近くに売りに出たボロビルを二束三文で買って、普通ならビルの修復から始めるところが、このひとらしく、外壁を金ピカで覆うことに有り金を使った。

このダメ息子が狙ったマーケットはグランドセントラルターミナルで乗降して通勤するマンハッタンのマネージャーと若い秘書で、仕事を終えて、家路に着く前にイッパツやって帰る不倫カップルや、昼休みにイッパツやらないと頭がすっきりしない役員おっさんたちが、常に適切な場所に困っている事情に、このドラ息子は通暁していた。

この中身のない金ピカ商売は大当たりで、要するにファッショナブルなラブホテルが当たったということだが、これで父親に認められた二代目成金不動産屋は潤沢になった資金を手に、ほぼ同様なお下品マーケティングで、どんどん蓄財していきます。
この人は、このアイデアひとつと脱税と借金を踏み倒すのが上手なのとで父親を上廻るオオガネモチになっていった。

下品な例に及んでしまったが、ことほどさように、投資はアイデアで、こういう回路は出来ないものだろうか、と考えて、ペンをとって紙に描いて、数日間、ときどき取りだして眺めて、件の、頭のなかで考えた事を現実に変えたくてウズウズする感覚が起きてくると、ガバッと起き上がって、あちこちに電話をかけ始める。
道路もない場所の油田であったり、よく見ると、これほど世界に普及している製品なのに不思議な事に不可欠な部品がチョー安い価格で、たいした金額でないのに独占できたり、街角の交差点に立って、ふと前を見ると、見上げるようなビルの幻が立っていて、そういえば、どうしてここにあって当然な○○な種類の商業ビルがないのだろう、と考えて調べ始めたり、細かいほうでいえばマリーナや駐車場も、あるはずのものがないということは、特に人口が増えて成長している国ではいくらでもある。
そうして、それは金鉱がそこに露出しているのと同じことなのでもあります。

わし実家はいわゆるオールドマネーの家で、ひらたくいえば大家さんなので、結局家業に近いものを選んで、なあんとなく親の世話になるのは嫌なので、自力でやってみました、というだけのことなのかも知れません。

これから世の中へ出かけていく若い友人たちのために述べると、「オカネを稼ぐ」ということは人間の行うことのなかでは最も易しいことに分類されて、まったく苦労なく達成できることなので、なるべく早く一生暮らせるくらいのオカネをつくってしまってから一生をスタートするのがよいと思う。

えー、まあーたそんなこと言っちゃって、みんなオカネつくるのに苦労しているんだよおー、と呆れるきみの顔が見えそうだが、そこにはカラクリが存在して、英語ではラットレースと言ってみたりする、現在の世界のデザインに秘密がある。

いまの世界は、(なんとなく、くだらない感じがする言葉だが)先進国では、と限定したほうがいいかもしれないが、大学を出た若いカップルがホームローンを組んで、あるいは家賃を払って、クルマを一台は持って、子供をひとりかふたりつくって育てながら共働きでやっと食べられるようにデザインされている。
社会自身にとって最も都合がいいデザインだからで、個々の人間の希望によってそうなっているわけではないのね。
それが標準デザインで、例えば日本で「クルマを持っている人間に対する敵意」が突然新しい流行のように湧き起こったのは、日本の自動車会社にはおおきな打撃だったが、標準デザインのうち「ホームローン」や「クルマ」「子育て」の部分に手が届かなくなった若い人口が増えて、そのことの、いわば「社会的な悔しさ」が敵意になって吹きだしてきたように見えました。
いわば社会の身勝手さに対する個人の側からの怒りの表明だった。

先に借金をさせて、それを返済させるのに見合う賃金を与えて、猛烈に働くエネルギーを吸い上げて社会を成長させるというのが基本デザインで、日本でいうと、やや変形で、日本では長らく金融機能が停止といいたいほど旧弊に留まっているので、借金すら出来なくて、ただ家賃を払い、食べるだけで暮らさなければいけない若い人が増えているが、どちらにしろ、そのサイクルにはまってしまうと、下手をすると一生抜け出せなくなってしまう。

では、どうすればいいか?

まず自分が社会によってデザインされたラットレースのなかで、ぐるぐる経済的な周回を強制されている存在だということがはっきりと判らなければいけない。
その周回レースから抜け出すには、他のネズミよりも速く走ることだと社会の側は述べるが、それは明瞭に嘘で、速く走ってトップにでても、やがて息が切れて他のもっと若いネズミに追いつかれて追い抜かれるだけです。
むかしの日本の大企業の会社員で財をなす方法で最も多かったのはインサイダー取引で、1970年代までは、例えば総合商社の人間が自分の職業を通じて得た知識を使って株取引で稼ぐのは当然の副収入だと考えられていた。
あるいは家電大手に勤めている人が長期大型発注先に決まった企業の株をあらかじめ買っておくというようなことは普通のことだったようで、そういうことはごく普通な立場の人にも及んで、東京で会った、ホテルのウエイター時代に仲良くなった大手家電会社の役員から、こっそりインサイダー情報を教えてもらって、そのオカネで自分の家とレストランを買う資金が出来てしまったと愉快げに教えてくれたレストラン経営者のことをいまでもよく思い出す。

昔の日本では、役得で、不正によってラットレースから出ることが普通で、同じ給料なら大企業でないと「給料の意味が違う」と昔の本のそこここに出てくるのは実はそういう意味だとトーダイおじさんたちが教えてくれるまでは気が付かなかった。

いまは大企業でも給料の額面通りの金額だけが収入なので、大企業の人気がなくなって終身雇用が加速的に廃れているのは、そういう事情もありそうです。

幸いなことに、アイデアが現実のオカネになりやすい時代で、英語世界では、「こういうのは、どうかな?」と考えて、ツールが闇雲に発達して簡単になったアプリケーション作成のプログラム言語で、昼休みにつくってみたら、それが3億円に化けてしまった、という子供はゴロゴロいる。
過去の日本でも孫正義という人は「自動翻訳機のアイデアをシャープの村上という課長さんに1億円で買ってもらったのが、あのひとの事業家としての人生のスタートだったんだよ」と教えてくれた人がいたが、ラットレース場から場外の、時間の流れ方がまったく異なる広い世界に抜け出すのは、どんな場合でも他人と異なる「アイデア」の力である場合が多いようです。

わし財布には「tile」という、なくした場合、GPSとブルートゥースで追跡できる小さくて平たいトレーサーが入っているが、これもたしかアイデアをKickstarterで公開してオカネを集めたのだった。

2005年頃までは、「tile」のような製品アイデアや事業アイデアには、その事業によってどうやってオカネを稼ぐかというビジネスモデルが必要だったが、いまは例えばIT事業でいえば、殆どビジネスモデルを持てなかったskypeがebayの買収によって、ふたりのエストニア人の若者に26億ドルをもたらしたくらいを皮切りに、アイデアに対して企業が直接巨額の支払いをするようになった。
個人から見ると、ラットレースから救済されるチャンスが飛躍的に増えたことになります。

わしの23歳友達は高校在学中に日本円で1億円ちょっとを手にして、大学の2年生になる頃には8億円くらいを持っていた。
この人はそれでどうしたかというと、それまでは法学だけだった専攻に美術を加えて、まるで儲かるわけのない未来像を描いて悦にいっている。
いちど、ガメ、最も安全な投資って、どのくらいのことを考えれば良いの?
とはるばるやってきて訊きに来たので、どんなコンサーバティブな投資でも4%を切ることはまずないし、不動産投資で住居用ならば10%を目安にして、空室が出たり維持費や管理会社に払う金額や会計コストをひいて6%くらいの純収入を考えるといいよ、と述べたら、顔を輝かせて、「ああ!ぼくは、それだけ収入があれば十分だ!」とダンスのステップを踏むようにして帰っていった。
多分、何の収入にもならない美術史の研究で世界を旅行しながら、幸福な一生をすごすのではないだろうか。

人間の一生は、本来、明るくて楽しいもので、 死んでしまうのがもったいないと感じるような体のものなので、きみが、それを斜に構えた態度や、初めからゲームを放棄するかっこづけ、どこかしらに悪意が籠もっている感じのする哲学で、台無しにしないように願っています。

では


柴戸を閉じて家に帰る

$
0
0

ふつうに考えればトランプのシリアのアサドに対する変心は、Kushnerに対して行われているロシアとトランプサーカスとの繋がりへの審問との関連だろう。
ロシアの顔に泥を塗ってみせたのはトランプなりの「おれはロシアの操り人形ではない」のジェスチャーで、こういう安っぽい言い逃れは、この人のこれまでの行動パターンに合っている。

どんな国でもそうだが、外交上、え?と思うような奇妙なふるまいを見せるときは、だいたい内政上の理由によって外交をすすめるからで、外交であるとおもって観察すると判りにくいが、内政だとおもって疑ってみると、簡単に動機が判明することが多い、という政治の文法にも、トランプの180度の変心は符丁があっている。
トランプが人道にめざめる、などというお伽噺を信じるのはめでたすぎるが、さすがにアメリカ人であって、そんなことを考える人は、広大なネット世界でもひとりも見あたらない。

第一次世界大戦は、当時の外交政治常識からは、ほぼ冗談のような理由で始まった。
オーストリー=ハンガリー帝国の皇位継承第一位だったフランツ・フェルディナント大公がひとりの男に射殺されたという、通常ならば戦争の契機にはなりえないことが、ちょうどいまの安倍政権に似て、戦争をやりたくてたまらなかったドイツに煽られて小国セルビアに対してオーストリー政府がハンガリーの反対を押し切って懲罰のための限定戦争を始めたのが、すべての始まりになった。

いまでは第一次世界大戦は、戦争というものが、大戦争であってすら、理由にもならない理由で始まるという教訓として知られている。
「戦争をやってもいい」という為政者の意志あるいは気分は、地面にしみ込んだガソリンのようなもので、愚にもつかない理由の、マッチの燃えさし1本が落ちただけで、爆発的で巨大な戦火が起きてしまう。
ケネディとフルシチョフの時代に米ソ間にホットラインをひくことが合意される時代に至るまで「諸国間の意志の疎通」が現代の安全保障の基本になっているのは、そのせいです。

背景には第一次世界大戦も市場で起きた大恐慌も「情報が共有されない」ことによって起きたという認識があった。
昨日(2017年4月7日)、英語世界で述べられていることを眺めていて思ったのは、普段は「大丈夫ですよ」をしている専門家たちが怯えたように戦争の影を考えていて、普段「警鐘を鳴らす」ことが好きな素人や批評家のほうが、暢気にかまえている。
通常とは逆の反応になっていて、素人以前というか、ただぼんやり眺めているこちらは、面白いなあ、という間の抜けた感想を持ちました。

バノンがNSCの常任の席から弾きだされるという、なんとも言えないほど安堵させられる朗報があった。
バノンという人は、ヒットラー型というか、世界を地獄の業火に叩き込んで、その業火のなかの破局から再生することによってのみ強大な白人支配が完成するという思想をもっていて、隠しもしていない、その思想の現実化を自らの政治目標にしている人で、つまり大戦争をいかにして起こすかが政治的テーマで、この人がNSCという「どこでいつ戦争をするか?」を企画検討しうる機関の中心に座ったのだから、それはそれは大変なことで、見ていて可笑しかったのは、普段は威勢が良い右翼人たちですら、「それでは世界の終わりになってしまう」と慌てていた。

ところがバノンと、バノンが打ち出す途方もない政策に怒ったアメリカ人たちが、連日街頭にでて拳をふりあげ、ジャーナリストたちがホワイトハウスから閉め出されてまで、トランプ政権がいかにデタラメで危険な政権であるかキーボードを叩きつづけて、早々と政権がレームダック化して、ほとんど大統領府としての機能が停止してしまう事態になって、初めは狡猾に、自分達には指弾が及ばないようにトランプを支持していた共和党員たちの離反も始まって、どうにもならなくなったトランプは
娘のIvankaと、その夫のKushnerと謀って、元職業軍人のテクノクラートグループを代表するマクマスターを実行勢力にしてバノンを追い出すことにした。

トランプという人は日本の人が理解したいとおもえば、要するに「中小企業のおやじ」をイメージすれば判りやすい人で、バノンの肩を抱いて、「ここは、ひとつ我慢してくれ」と囁いたのは、まるで目に見えるように判りやすい。
そんなのがアメリカ大統領なのか、と思って信じられない人もいると思うが、トランプというのは昔からそういう安っぽい人です。
もちろん、日本語世界の習慣にたまには従って余計な言わずもがなをつけ加えておくと、ロナルド・レーガンを思い出せば判る通り、まともにものが考えられない程度の知性で、ケーハクで安っぽい人間性だからといって結果として良い大統領にならないとは限らなくて、アメリカのように手続きで公正が保障されている国では、All Correctの綴りを知らなくて、ACであるべきところをOKと署名して語源をつくったという伝説をもつジャクソンの昔から、アホなおっさんが意外や大統領としては実効性をもって、根っからバカなドナルド・トランプといえど、大統領としては、振り返ってみればオバマよりもよかった、という可能性がなくはない。

いまはどうなっているかというと、共和党の資金面での大立て者であるRebekah Mercerに説得されてホワイトハウスを去る決心をひっこめたバノンは、捲土重来の努力ちゅうで、暫くはダイジョブ、という状態で、トランプのほうはといえば、プーチンはKGB出身らしく、実際にエージェントを動かして、自分がデザインした欧州やアメリカを現実のものにする努力をしているようで、どうやら、いろいろと明るみにでると拙いことがあって、対処に追われて理性的な判断をもって外交決断をくだすどころではないようです。

成金おやじの保身のために戦争が激化して、虐殺の渦巻きの中心に呑まれてゆくシリア人のほうはたまったものではないが、歴史ではときどきあることで、ときどきあるから仕方がないとは言えなくても、起きる事は起きてしまう。

ツイッタで付き合ってくれている人たちは知っているとおり、バノンが直接の影響力を行使できなくなったところで、ぼく自身の興味は途切れていて、Mercer一家の野望が現実化されだせばともかく、いまの状態では興味がないといえば興味がない。

最近はむかしの趣味にもどって、日本語の興味は続いているものの、北海文明や地中海文明の古典に頭がもどって、古典古典のコテンパンで、なんだか現代の世界は全面核戦争にでもならないかぎり、どうでもいいといえばどうでもいいと思う事がある。

日本でいえば、ほんとうは、北朝鮮をめぐる危機は去ったとは到底いえなくて、事態を救っているのは実はトランプたちがもともとアジアとアジア人の運命にはたいした興味をもっていないという事実のほうにありそうです。

先週は絶体絶命で、やけのやんぱちで核弾頭なのか通常弾頭なのか、ミサイルをぶっ放しまくることくらいにしか活路が見いだせそうもなかった金正恩は、バノンの失脚とトランプのシリア攻撃を見て、「これなら、おれにも生存の余地がある」と考えているでしょう。
習近平が石炭禁輸を解いて制裁を緩めるとか、逆に、アメリカ勢力圏と直接国境を接する事態さえ避けられれば、おまえらが飢えようとどうしようとわしらの知ったこっちゃないで、冷淡の度合いを強めるというようなことよりも、書いていてもバカバカしい気持ちになるが、トランプがシリアに続いて、国民の目をそらして自分への支持率をあげるために北朝鮮との戦争をおっぱじめるかどうかのほうに、日本の運命はかかっている。

なぜアメリカの北朝鮮攻撃に日本の運命がかかってしまうかというと、技術的な制約から、北朝鮮はまだアメリカ領土を攻撃するだけの能力を持っていないと信ぜられるからで、アメリカが北朝鮮をぶん殴ると、北朝鮮が韓国と日本を相手に殴り返すという図式になっているからなのは、英語メディアで読んだ人も多いと思います。

アベノミクスはうまくいくわけがないと4年前だかに述べたり、憲法を無視するのはダメなんじゃないの?と述べたら色んな日本の人に「アンチ安倍」「アベdisり」だと言われたので笑ってしまったが、安倍晋三さん自身がどうこうという気持ちは固よりなくて、ただの写実主義で、目の前で起きていることを自分の見たままに述べているにしかすぎない。

それでも安倍首相について「これはカッコイイのでわ」ということが書けないのは、度外れてダメというか、そもそも首相という職能に人間的に能力が及ばないのではないかというか、やることなすことヘマばかりで、いまでは他国から全くのもの笑いになってしまった「安倍外交」や、財政をどこまで悪化させれば国が破綻するか日本という特殊財政国家の強度試験をおもしろがってやっているような、(本来は独立した機能であるべき)日銀とグルの、これも外国資本家むけのエンターテイメントじみたアベノミクスというように、やってはならないことばかりに手を染めて、国民のおおきな支持を得ている不思議な政権で、今度は、まるで戦争に巻き込まれることを心待ちにしているような、当のトランプたちが呆気にとられて苦笑していると伝えられている「戦争大好き」ぶりで、いくらトランプたちがアジア人の運命に無関心だといっても、ここまで「戦争やってください」と言われれば、ほんならこっちでもイッパツとおもいかねない。

だからトランプの短慮の結果として、数十発程度のミサイル(多分、経費節約のために核弾頭だと予測されている)が基地のある町と東京を中心に降ってくるかも知れないが、いまの状況からみると、それ以上の継戦能力が北朝鮮にあるとはおもえません。

それ以前に、いまの時点で統一朝鮮が出来てしまうと最も困るのは中国で、多分、習近平は、おだやかな調子で、しかし、いまはもう本気で大規模戦争をやれば、2年という期間をしのげばアメリカ軍を圧倒するだろうと言われている人民解放軍を背景にトランプを恫喝して、中国の政府が伝統的に愛好している「棚上げ」に東アジアの状況をもっていくのだろうと楽観しています。

そうやって考えていると日本の人にとっても、核を伴ったミサイル禍くらいはあるかもしれないが、そこで終わりで、そのくらいは安倍政権の挑発の代価で国際政治の常識上は仕方がないとも言えて、バノン時代に心配された、全面戦争に東アジアが巻き込まれることはないのではないかと思っています。

ツイッタでいろいろなことを述べてしまったので、一応、ブログ記事の形にまとめておくことにしたが、そういうわけで、いったん本格的な危機は去っている、という判断です。

これで、きみもぼくも、普段の生活に戻れる。
ほっとしています。

では


戦争と貧困

$
0
0

トランプ政権のシリア空軍基地ミサイル攻撃への国際社会の評価は、おおむね好評で、英語世界での論評を見ると「トランプが大統領就任以来くだした唯一の正しい決断だ」というようなのが多くあります。
すさまじい怒りで近寄れないほどだと伝えられるプーチンと、「よく見ておけよ」と言わんばかりに目の前で示威行動を見せ付けられて、「いったい、なんなんだ、このおっさんは」と思って呆れたに違いない習近平を除いては、「このあとの戦略はどうするか、頭をはっきりさせるべきだ」という条件は付いていても、
「アメリカは、ずっと前からやらなければならなかったことを、ようやく実行に移した」が一般的な反応だった。

東アジアには微妙な気持ちにならざるをえない国がふたつあった。
韓国と日本で、案の定というか、シリアへのミサイル攻撃が、出来うるならば自分のほうから宣戦布告したくないトランプ政権の北朝鮮を開戦に追い込むための布石だったことが明らかになってくると、この二国が「国際正義」のために戦火に巻き込まれるのは、ほぼ確実になってしまった。
問題は「戦争になるか、ならないか」から「いつ、どんな形で戦争になるか」に、あれよあれよというまに移行してしまって、いつもは、「なあに、なんにも起きませんよ」で、原発が爆発しても「ダイジョブ、ダイジョブ」で涼しい顔をしている日本の人達も、今度ばかりは「圧迫」とすべきところを「牽制」と言い換えたりして、なんとか事態の深刻さを伝えまいと頑張っている日本のマスメディアの行間を読み取って「ひょっとして、ものすごく拙いことになってるんじゃない?」と悟っているように見えました。

西側諸国の勝手な都合で自国が地上戦の戦場になって、辛酸をなめつくして、戦後も、なにしろ米軍が将校たちに妻帯赴任を許さないほどの危険な最前線扱いで、民主制度を育てる余裕すらない貧乏くじで、ベトナム戦争でアメリカに押しつけられた平和憲法を、まさに、その「あんたが押しつけたんじゃないか」を盾に出兵をつっぱねるナマイキでずるっこい政府をもっていた日本人の代わりにベトナムに出兵して、以前に書いたような、この世の地獄をなめつくすことになった韓国は、またしても国際政治の巻き添えという気の毒な面があるとしても、日本のほうは国民が圧倒的に支持する首相が手をあげて「戦争やらせてください」と世界中を説得して歩いたのだから、どこの国も、それを前提に国際政治の構図を考え直すのはあたりまえで、みずから望んだ状況が現実になっているにすぎない。

憲法九条の終わりに
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/14/wherepeaceends/

アメリカはアサシン計画で、金正恩と取り巻きを個別に殺す計画を周囲に、わざと洩らしていて、現在十数カ所の動的に動く標的を同時に襲撃して殺害する能力を持つと言われる暗殺空軍力を動員して金正恩を殺すかもしれないと述べているが、これはどちらかといえば、心理戦の一環で、金正恩を暴発させるための心理的圧迫である可能性のほうが高いと考えられています。

金正恩と取り巻きをいっせいに殺害してしまうと北朝鮮政府そのものがregimeとしてつぶれてしまうからで、そうなると北朝鮮からの大量の難民流入と統一朝鮮が形成されてアメリカ圏と直截国境を接する事態を最も恐れている中国が黙っているわけはないので、今度は、それからこれへとおもいがけず展開して、米中全面戦争になる危険がでてきてしまう。

日本では「軍事通」の人達が、よく鼻で嗤う人民解放軍の実力は、アメリカ軍はよく知っていて、通常兵器と戦術核くらいの戦争に持ち込めても初めの2年で中国政府が手をあげてくれればよし、それを過ぎると、アメリカ軍の全面敗北はほぼ自明なので、「世界最強のアメリカ軍事力」の看板をおろさなければならなくなって、これまでアメリカ支配の原動力になっていた最強国幻想の元手を失ってしまう。

だから、ゆいいつ考えられる作戦は、機動艦隊の一部を割いて、空母を基幹とする攻撃部隊をつくって、巡航ミサイルと空爆で拠点を破壊するという伝統的なもので、北朝鮮も無論、戦略こそが教養とみなされる国柄なので、そのくらいは十分理解していて、今回、オーストラリアに向かっていたカール・ビンソンがシンガポールで踵(きびす)を返して朝鮮半島へ向かったことの意味は新聞記者たちの十倍くらいも承知している。

北朝鮮は、パトリオットで撃墜できない中距離ミサイルを射出できる移動発射台をすでに大量に持っていて、アメリカ軍がこれをすべて破壊するのは無理なので、アメリカに直截反撃したくても出来ない北朝鮮が狙うのは日本で、北朝鮮軍の三本柱、
核ミサイル、特殊工作部隊、サイバーテロ部隊の総力を挙げて在日米軍の拠点を狙うと考えられている。

年長友の賢者哲人どんが、軍事のようなやくざなものに興味をもたないで育った学者らしく、「核弾頭の小型化に成功していなければ飛行機に搭載してやってくるのではないか」と述べていたが、その心配はなくて、簡単にいえば水平もしくは放物線を描いて日本に向かう飛行体は、命中率が3割そこそこだとはいっても、途中のイージス艦と、そこで打ち洩らしたぶんはPAC3で撃墜される可能性が高いので、二の手を繰り出すオカネがない北朝鮮としては、リスクが高すぎて手がだせない。

ナチのV2を思い出せばイメージとして判りやすいが、いったん成層圏に出て、目標の直上から超音速で落下してくるミサイルだけが問題で、当然、最もおおきな関心は、このミサイルに核弾頭がつまれているかどうかにしぼられています。

「もう出来ているようだ」という情報機関側の情報と「出来ていたら、いつものように見せびらかすはずなので、まだ出来ていないのではないか」という専門家たちとに主に意見が分かれていて、どうやら、小型核弾頭の完成まで、あと一歩というところにあるらしい、というのが、実態にいちばん近いものであるらしい。

オンラインでも例のジョージタウン大学系のシンクタンクCSISを初め、膨大な、と呼びたくなるほどの論考が公開されているので、みんなもヒマがあるときに読んで推理にふけるのも切迫した東アジア危機の現状への理解を深めるのに良いのではないかと考えます。

ダイジョブ、戦争が起きるかも知れないなんて、頭おかしいんじゃないの?、何も起きるわけがない、というのは、実は一国が滅亡するときには必ず社会が陥る病気の症状のようなもので、もっと適切な例があるでしょうが、ぼくが少しはマジメに読んだことがある歴史の範囲ではかつての貿易帝国カルタゴの末路に、社会の考え方、経緯ともに、いまの日本は似ている。

気持ちは判らなくはないが、いまごろになって「安倍のやろー、ゆるさねー」をしている人がたくさん出て来たが、感心はできなくて、他人事のように「日本は滅びるしかない」と述べて仏頂面をしていられる時期は過ぎてしまった。

日本の戦後史を読んでいて、最も印象的なのは民族を挙げて戦争と貧困だけは二重にも三重にも排除しようという国家的と呼びたくなるほどの集中力で、他のことはどうでもいい、他国に嘲られても構わないから、戦争とビンボだけは日本から遠ざけなければならないという国民的な意志は日本の戦後を貫く特徴でした。
腫れ物に触るように憲法の話が半ばタブーであったり、もうとっくの昔にオカネモチになっているのに、社会ごと狂ったように働き続けていたのは、それが要するに戦争でボロ負けに負けて、例えば麹町に住んでいた内田百閒の「灰燼記」に細大が記録されている石器時代の生活に戻って、愛する人たちを失い、飢えて、昨日までの貞淑な妻たちが勝者相手に春を鬻いで、ようやっと生き延びた記憶に基づいているのは、たいした想像力なしでも気が付くことであると思います。

それが、他国の経済社会実験で、なんだか浮かれた頭で、とっくの昔にうまくいかないことが証明されていた 「トリクル・ダウン」というようなことを述べだした頃からおかしくなって、新産業を育てて、人口をゆるやかでも増加させるという地味な経済成長/維持の基底条件をつくる努力は、めんどくさかったのでしょう、見向きもしないで、机上の通貨政策と市場操作で経済を浮揚させようという、いまから振り返るとアホみたいなケーハクを極めた政策にはしって、景気がよくなるどころか、戦後つみあげた冨そのものを失ってしまった。

神のいない経済社会_ゾンビ経済篇
https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/01/07/isgoddead/

11回の日本訪問のうち、日本にいる最後の年になった2010年にはすでに、BBCのドキュメンタリで称賛されたほどだった「貧富の差が少ない日本社会」は死にかけていて、そこここに徴候が出始めていたのをおぼえています。

貧しさの跫音
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/08/22/takasaka/

日本の息の根をとめる役回りに巡り合わせたのは安倍晋三政権で、この戦時中の東条内閣の商務大臣で日本でいまもつづく国家社会主義経済の骨組みをデザインして、戦後はCIAのスパイと首相を兼業していた祖父を生涯の偉人として尊敬していると述べる、なんだか「そんなこと口走っても首相になれる国なのかあー」と驚かされてしまうひとは、実態(新しい産業)のない経済を蘇らせようと焦って、日本がもうひとつ宝物のように大事にしていた平和を売りにだすことにした。

もっとも、あんまりうまくいっているとは言えなくて、例えば潜水艦を買ってもらいたい一心で、日本の国民の個人資産へのアクセス権を投資会社に与えるという驚天動地の待遇をオーストラリアに与えたのに、ただどりされてしまったというか、
オーストラリア側は、その後、潜水艦を買う約束は「サインしてないじゃん」の一点張りで反古にして、なんのことはない、一方的に、オーストラリアの投資会社を入り口にして、我も我もと乗り込んできた英語圏の投資世界の無慈悲な投資会社に国民の虎の子を進上するだけで終わってしまったりしている。
あちこちで、こっちに30兆円、あんたには40兆円と、一方で借金をしまくってこさえたオカネをばらまいて、もらった外国政府がキョトンとしてしまうほど、もらえるものはもらっておくが、でもなんで?と言わないばかりの反応なのにも構わず、いまでもオカネを盛大にばらまき続けている。
裏では、ウラジミール・プーチンに「安倍は30兆円寄越すといったくせに、まだ払ってないじゃないか」と凄まれるというような、あんまり笑えない喜劇も起こっているようでした。
Phony Warを思い出せば判るように、戦争は方向が決まったからといって、すぐに起きるというものではなくて、「いつ」は、戦争が終わってからでないと判らない理由で決定される。
北朝鮮は実はもうあと少しで小型核弾頭を量産するところにいて、それが量産されるまで、と念じているかもしれないし、多分、金正恩が開戦後の止め男として期待しているはずの中国になにを言っても梨の礫で当惑しているのかもしれない。

いまの状況では、今夜かもしれなければ、4年後かもしれなくて、はっきり判っているのは、朝鮮半島をめぐる戦争が(トランプあるいは金正恩が突然失脚もしくは死亡するのでもなければ)避けられなくなって、 日本が、このあいだも述べた「戦域」に入ってしまったことで、70年間の長いあいだ日本人が影すらみることがなかった、戦争と貧困が日本の生活に戻ってきたという事実だけです。

英語ではconsequenceという。
やったことには結果が伴って、さっき言及した年長友達の哲人どんの言葉をここに引用しておくと

で、「現実は非論理を手厳しく現金化する」は言い得て妙で、いい気になって日本の人が言い合っていた詭弁も奇妙なロジックも、現実の第3艦隊攻撃部隊の前には、砂上の楼閣そのままの姿で風のなかの砂ほこりに返って姿がかき消えてしまう。

時期はわからなくても、こういうことは方向が決定してしまうと出来ることはなにもなくて、日本語でなにを書いても意味がないので、この記事くらいを最後に、この手の記事は姿を消すでしょうけど、残念で、まだ日本に住んでいる友達もいて、考えていると、いくら前回書いたようにバノンの失脚で東アジアが本格戦争に巻き込まれる危険が去ったとは言っても、ほんとうには心が晴れない気がしてきます。


新時代に入った日本

$
0
0

言葉をちゃんとつくるのがめんどくさいので「戦域」という造語にしてしまったが、判りにくかったかもしれない。
つまりは「戦争状態に入った地域」で、それなら「戦場」といえばいいんじゃないの?と言われそうだが、戦場というとベトナム戦争くらいまでの、ひっきりなしに弾が飛び交う地域が思い浮かばれて、こちらが言いたいと思っていることは、「常に戦争の危険にさらされている地域」という意味で、日本から最も近い場所でいうと1960年くらいまでの朝鮮半島は、これに当たる。

あとで考えてみると「紛争地域」という日本語があって、それでよかったような気がするが、日本は、ガキわしの頃に住んでいた時期を別にしても、言語と文化が好きで11回も訪問した国で、しかもそのうちの数回は数ヶ月に及ぶ長期の滞在で、
ニュージーランドを第二の故郷だとすれば、もしかしたら第三くらいに思っているかも知れない国なので、「紛争地域」というボスニア・ヘルツェゴビナのような凄惨で激しい戦闘が頻発した地域に使われた言葉は、禍々しくて、使いたくなかったのかもしれません。

安倍政権を批判されたと感じると過敏に反応して悪罵を投げつけてくる人が桁違いに増えるので、そっちはどうでもいいや、お任せしますということにしたいが、現今の、北朝鮮を巡る緊張は、世界中が認めているように、もともと「力の外交」をやりたかった安倍政権の大願の成就なので、常時、戦時の緊張を社会に与えることによって、だらしがない若い世代の背筋を伸ばす、という安倍政権の政治テーマの一環でもあるので、たまたまということではなくて、論理的な帰結で、ふにゃふにゃで、一向に他の国に感謝もされない平和憲法下の「かっこわるい」日本から脱したいと願った、国民と政権が望んだ外交局面になった、というだけのことにしかすぎない。

いわば日本が求めた外交状況を、なにによらず、考えるという習慣をもたない軽はずみなトランプが、あっというまに現実化してしまったわけで、いざほんとうに現実になってみると、核ミサイルが飛んで来そうであったり、あちこちに出兵を迫られそうであったりして、これはこれで大変だとおもうが、考えてみれば、例えばオーストラリアもずっとそうやって出兵したりして国を運営してきたわけで、日本人が望んだとおりの「普通の国」になったというだけのことでしょう。

いまは明日にでもミサイルが飛んで来そうなことを恐れているが、歴史を振り返ると、人間は案外「戦争が始まりそうで始まらないストレス」のほうを強く感じるもので、日本の近しい歴史でいえば、屑鉄を売ってもらえなくなり、戦争になんかなるわけねーや、とタカをくくって、ヒットラーの戦果のおこぼれに預からないのはマヌケであるとばかり、インドシナをフランスから盗んでみれば、「そんなことやるわけない」と「ダイジョブか?」危惧するひとびとを鼻で嗤っていたのに、あっというまに石油の輸出が禁止されて、資産凍結までされて、いらいらがつのっていた日本人は、真珠湾奇襲の一報を聞いて、文字通り躍り上がって喜んだ。
日本の歴史を通じて欣喜雀躍という言葉が最もぴったりくるのは、日露戦争に勝ったときよりも、このときでした。
右翼だけが喜んだわけではなくて、左翼も、リベラルも、軍人も民間人も、ありとあらゆる政治傾向の、ありとあらゆる階層の人が均しく歓喜して、ただひとり政治人では昭和天皇が憮然とした顔で、皇居の椅子に座っていて、ほかは、ひねくれ者文学人の、永井荷風や金子光晴が、前者はニューヨークとパリ、後者はフランスを漂白した経験から、こんな戦争に勝てるものかと考えて「日本人って、やっぱりアホだな」と低く内心につぶやいただけだった。

もっとも、公正を期していうと、「戦争状態に入っているのに戦争が始まらない」ストレスのおおきさは、欧州のPhony Warの歴史を眺めればすぐに判ることで、人間性の、どういう機微によるのか、どんな文明のどんな民族も「こんなにどっちつかずのイライラを募らせるくらいなら、いっそパアーと砲火をひらいてくれ」と願うもののようで、いくつかの戦争は現実に、人間の、この不思議な精神的傾向によって激しい戦火で国土を焼き尽くすことになった。

いまは相変わらず情報を遮断されてスケート選手の引退や、大手企業の決算を最重要事と考えることを強いられているひとびとを除いては、日本語で伝えられる政府の様子からすら明瞭にわかるようになった北朝鮮との緊張に、毎日、例えば北朝鮮の行事を数えて、15日の金日成誕生日か、いまかいまかと手に汗を握っているが、くたびれて、そのうちには考えるのをやめることになるに決まっている。

ひどいことをいうと、関心はあっても、要するに遠く離れた国のことなので、ちゃんと調べてはなくて、ほっぽらかしにしてあったが、調べてみると、「小型核弾頭」という、その核爆弾は、対日本攻撃用に開発中のものは、スカッドの改良型(長距離型)に搭載するためのもので、そうであれば、たかだか10キロトンで、被害は広島よりも小さく、もっと言えば長崎よりも小さいはずで、普通に生活を送れば「対処すればなんとかなる」範囲のものであるようです。
あんまり核爆弾の知識がない人のために述べると、といって、そんなヘンなものに知識があるほうが怪しい人であるような気がしなくもないが、広島の原爆はたしか15キロトンで、長崎はもうちょっとおおきいだかなんだか、そんなものであったはずで、長崎に落ちたプルトニウム239型の原爆のほうが破壊力が大きいのに被害が少なかったのは、平坦な地形と丘が入り組んだ地形では極端に効果が異なるair burst (中空爆発)型の爆弾/弾頭の特徴で、核爆弾が落っこちてくる個人の側にたっていえば「爆弾と自分のあいだに、でっかい遮蔽物があるかどうか」に自分の運命はかかっている。

広島の爆心地に近いところにいた人でも、ほとんど無傷で生き延びた例がたくさんあるのは、このためで、ビルの地下にいた人、たまたま自分が立っていた所と爆心のあいだに分厚い石の壁があったひと、つまりは丈夫で、でかくて重いものが自分と爆発のあいだにあった人で、逆に、肥田舜太郞医師は、6キロ以上離れた、しかも低い丘のつらなりの向こう側にある村の屋内にいてさえ、爆風で、家の屋外にまで吹き飛ばされている。

イラン・イラク戦争はミサイル戦という点では興味深い戦争で、イラクが500発、イランが177発、八年間にわたって双方が自力で改造したスカッドミサイルを撃ち合った。

北朝鮮はこの戦争に興味をもって膨大な戦訓を集めていますが、例えば、例をあげると、飛翔距離を伸ばすために弾頭の爆弾を小さくしてミサイルを発射すると、スカッド系のミサイルは、進行方向を軸に円を描きながら、しかし正確に目標に向かって飛んでいくことが判っている。

ここで面白いのは、といって、あんまり面白がってはいけないが、この軽い弾頭の小円を描きながら飛んでくるスカッドは、改良型のパトリオットでも全く撃ち落とすことができなかった。

ニュースで市ヶ谷におかれている発射装置の画像が流れているらしいパトリオットは、もともと高速で侵入してくる敵機を撃墜するためのミサイルシステムを改良して対ミサイル防衛に使われるようになった地対空ミサイルで、ミサイルの筐体だけを破壊して弾頭は目標物の近傍に落ちて爆発してしまう例が多い点で、実は、東京の市民にとっては傍迷惑なだけで、たいした効果が見込めないのは前にも書いたが、この「頭が軽い」改良スカッドに至っては、まったく命中させられなかった。

北朝鮮と日本のあいだには、日本の人にとっては、ありがたいことに日本海が広がっていて、ここに遊弋するイージス艦の対ミサイル迎撃システムは優秀なので、日本にまで到達するのは難しいが、成層圏から落とす中距離ミサイルに較べて圧倒的に安価なので、案外と低弾道のくるくるミサイルも、ミサイル戦が長引けば試してみる可能性があるのかも知れません。

その場合は、多分、10キロトンにも満たない核弾頭であるはずで、しかもground burst(地表に激突して爆発)である可能性が高いので、なんというか、だらだらと続くミサイル戦の「日常の風景の一部」のようになるのかも知れません。
考えてみると、イラン・イラク戦争は通常弾頭による、この手のダラダラ戦争で、なぜそうなったかというと双方オカネがない国だったからで、北朝鮮がアメリカによる空爆を避けてゲリラ的にミサイルを発射できる移動式ミサイル発射台を多数抱えていることも考えると、案外と現実性のある未来なのかも知れない。

このチョー弱小なブログも含めて、日本に関心を持つ世界じゅうのひとたちが、「なぜ日本人は、せっかく平和を享受して、この先の未来も戦争を避けうる幸運なポジションを占めているのに、わざわざ戦争に巻き込まれる国にしたいのか?」と疑問を述べるようになってから、もう何年も経っている。

怪訝な顔の世界の国ぐにを精力的に安倍首相が駆けずり回って、オカネをばらまきまでして説得して、憲法がすでに国民の合意によって改憲されたという真実とは異なる虚像をつくりだしてまで、全力でめざしたゴールに、やっとたどりついた。

同じロイター社のニュース記事を並べると、日本語版は

http://jp.reuters.com/article/sdf-korea-us-air-career-idJPKBN17D1VX

英語では、

http://www.reuters.com/article/us-northkorea-nuclear-japan-idUSKBN17E05Z

で、常にほんのちょっとしたニュアンスの置き換えでいわば「編集・検閲」作業ができてしまう日本語の本質的な特徴が、日本人の鈍感と呼んで笑うにはあまりに深刻な危機音痴の原因のひとつであることがよく判る。
ウソでも誤訳でもないのに、まるで、まったく違う様相がふたつの記事では語られている。

実態は、勇ましいことが好きな稲田防衛大臣の防衛省が、トランプの「力の外交」に日本も是非参加させてくれと要望しているらしくて、返ってアメリカのほうが、「いくらなんでも、それでは北朝鮮を刺激しすぎだろう」と困惑しているのだそうだが、海軍による示威・恫喝外交は戦前の日本の外交の伝統でも、傍からは、もう少し自国の国民の安全に気をつかったほうがいいんじゃないかなあー、と思わなくもない。

ナチのV2時代の、ひとびとの生活を見ても、ミサイル戦は生活の一部になりうることがよく判ります。
多分、核弾頭の小型化を完成していない北朝鮮は、なんとかして小型核弾頭の量産を終えるまで、あの手この手で実際の戦闘を先延ばししようとするに違いない。
一方のトランプ政権は、いまでは北朝鮮へのメッセージであると判っているシリアミサイル攻撃が国際社会に思ったよりも遙かに歓迎されて、先制攻撃をしたいのはやまやまでも、英語マスメディアにすでに「トランプの先制攻撃は同盟国である日韓の国民生命の犠牲によって行われることになる」と、さんざん書かれてしまっているので、なかなか思い切りがつかないよーです。

どちらにしろ、日本が戦域に入ってしまったことは、変更の可能性もない現実で、遠くからみていた英語人がうけとった教訓は、戦争は全力で避ける努力をしないでいれば簡単に生活に入り込んできてしまうのだということで、昨日もこのあいだまで威勢がよかった中国嫌いのメルボルンの友達が、妙に理性的になって、「やっぱりオーストラリアとニュージーランドは、地の利を活かして平和国家でいかないとダメだな」とスカイプで述べるので笑ってしまった。
この人はこの人なりに、安倍政権の行き方をみて、考えることがあったもののようでした。

マンハッタンの通りを歩いていると、下の画像のようなサインが町の至る所にある。

これが何であるかというと、冷戦時代、自国が「戦域」にあることを自覚していたアメリカ人たちが、自国の標的になりそうな都市の至るところにつくった対核攻撃シェルターのサインで、いったん核ミサイルが飛んでくれば、地下鉄の駅や、このシェルターのなかに逃げ込む手はずになっていた。
いま多くのアメリカ人たちが、日本人と韓国人の犠牲において、北朝鮮を逼塞させようというトランプの考えに、反トランプ人ですら傾いていることには、遠い昔に自分達の国が「戦域」にあると感じられた、その当時の息苦しさを社会としてまだ記憶しているからもあるでしょう。
バラクオバマは、それにロシアも中国も含めて、アメリカのどんな未来からも「戦域化」する可能性を駆逐しようとしたが果たせなかった。

いままた日本が、自ら望んだこととはいっても、紛争地域入りして、なんとも言えない気持ちになる。
バノンが去ったことのおおきな安堵も束の間、また別種の、バノンよりも遙かに軽はずみな、それでいて十分に危険な未来が、すぐそこに待っているような気がしなくもなくて、
どうやらその未来は日本・朝鮮半島・東北中国を舞台にする、あるいは西洋文明の意志によって遠く離れた自分達の文明とは無関係な地域に紛争舞台を設定してしまったように見えて、歴史を思い出すと、いやあーな感じになります。


Viewing all 799 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>