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Channel: ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5
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垂直な暖かさについて

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なんだか変なところに来てしまった、と考える。
よく知っているつもりの路地を歩いていて、角を曲がったら、見たことがない通りに出てしまった。

この雑踏には、どこか、見慣れない、奇妙なところがある。

心のなかの、生家で、曾祖母が
「おとなになるということは、そういうことなのですよ」と述べているが、あのやさしかったひとは、もうとっくに死んでしまっているはずなので、あの声は、全身が善意のかたまりであった曾祖母の魂とは異なる、善意を装ったなにものかの声なのではないか。

生まれてから初めて声になった日本語は「ありがとう」だった。
まだ子供で、おつかいに行くと、いつも盛大によくしてくれるベーカリーの家族に、なんとか自分の気持ちを伝えたかった。
もちろん英語でも、そのくらいは相手にもわかって、通じるが、それだけではいけないような気がした。
Thank you.

ありがとう
では、違う言葉なのだということを、7歳のぼくは、もう知っていたのだと思います。

自分の日常では使う機会がない言語を習得するということは奇妙なことだ。
普段の日常で接する誰も日本語を理解するひとはいない。
義理叔父と従兄弟は日本語がわかるが、ただそれだけで、ときどきオークランドに表敬訪問にあらわれる義理叔父の友達や、稀には日本にいたときに知り合いになった(主に美術関係の)人と日本語で、部分的な会話を日本語で話す。

あまり機会がない日本の人が相手のときですら、英語で、なぜそうなるのかといえば、日本の友達も、そちらのほうが気楽で、嬉しそうに見えるからです。
ずっと昔は、日本語で話しかけているのに、英語で返答されると、気持が傷付いたが、おとなになるということはそういうことで、それもどうでもよくなってしまった。

日常に使う機会がない言語で考える、ということの豊穣さを知ったからです。

オダキン (@odakin)という人と大喧嘩をしたことがある。
未成年の若い女びとを危険に陥れるような趣味の「二次元絵」を趣味にしていていいと思っているのか、ということを巡る大喧嘩で、
なぜ、ふつうなら「悪趣味じゃん」ですむはずのことで大喧嘩をすることになったかいうと、オダキンは、ここから見ると日本語の良心そのもののような人で、意固地で、そんなに頑固に「男の子の意地」だとか、セクシズムの観点からも根本的に間違っていて、なに言ってんだ、とおもうが、なぜか、どうしても友達として感じられて、理屈には歯がたたない感情の強力さで、多分、自分の大学時代の友達よりも近しい情緒の同盟を感じてしまう。

日本語フォーラムに参加している、女の人達は、あくまでも、正当にも、あんな天然セクシストおやじ、という。
そしてそれはほんとうだが、セクシストであることさえ意匠と感じさせる、本質的な共生の感覚を持つ。
こんなことを言えば自分がフォーラムを追い出されてしまうが。

だから「期待しすぎるのだ」とも言えるが、それとも違って、オダキンに対しては、なぜきみはぼくなのに、ぼくと違う考えを持つのか、と述べているのと同じで、SNSに投稿する毎度の食事から考えて、不健康な炭水化物ばかり食べて、
学問という中毒にひたっている研究者のおっさんに対して、激しく腹をたてていたのだ、という気がする。

(しかし、もともと運命が決まっている友人を嫌いにはなれないのだ!)

あるいは、これも、たまたま研究者だが、ミショという知能がなみはずれて高い頭がぎくしゃくしている友達がいて、もっか、絶交されているところだが、こちらからも一回絶交したことがあるので、ミショのことだから「タイじゃん。文句あっか」と思っているかもしれないが、それはそれで、絶交されていても、まあ、そんなものだろう、と暖かい気持でいられるという、ヘンなことになっている。

それやこれや、考えてみると、物理的に会ったことがない日本語の友達たちが普段の現実の、英語世界の友達たちよりも好きであることを発見して驚く。
日常とは平板なもので、多分、日本語が現実の世界ではまったく使う用途がない言語であることが幸いして、
気が付いてみると、
オダキンやjosicoはんや、すべりひゆやミショや、ナス、千鳥 @charadriinae というような日本語の「仮想世界」で出会った人たちのほうが、普段、skypeやビジネス用のビデオシステムの向こうにいて、年中まくしたてている、古い輩(ともがら)よりも近しい友達と感じている。

とても不思議なことだが、なるほど、友達というものは、そういう仕掛けのものだったのかとおもう。

ぼくの魂は現実の世界から、仮想の世界のほうへ「切実さ」が移行してしまったもののようである (←モニと、小さな人々を除く)

控えめに言っても、ぼくは「変わった人」なのだろうが、それでもいいような気がする。

ゲーマー

アスペルガー人とゲーマーズ

の常で、ディテールがそげ落ちてしまった世界で、モニと小さな人々と並んで
「日本語人たち」が、ぼくの世界にはいる。

日本語人たちは、普段のぼくが住んでいる、チョーえらそーな「ガメ世界」とは違うルールで、自由に指弾し、「ガメ、それじゃダメだ」と述べる。

日本の文明からの声で、
なんだ、結局、「絶対に役に立たない言語を習得する」というはずだったのに、
役に立つどころか、魂におよぶムダになっているんじゃん、と、苦い、甘い、
日本語人とぼくにしか判らない気持ちがこみあげて、
裕かな気持にひたります。



勇者大庭亀夫はかく語りき2

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「目がさめる」って、こんなにぼんやりした感覚のものだっけ?
(生きているのか、死んでいるのか)
(それに、ここは、いったいどこだ?)

毛唐というけどな。
どうして、おれの腕には金色の産毛が生えているのか。
妙に長い腕、長い指、おおきな手のひら…
第一、こいつは、どんだけ長い身体なんだ。

いったい、おれは誰だ?

おおお。
思い出したぞ。
こいつ、この鏡に映っている、ふざけた野郎は「ガメ・オベール」とか自称している奴だ。
ニセガイジンなのか。
おれを、バカにしているのか。
どんなバカでも「ガメ・オベール」がGameOverで、もう終わっているおれの人生へのあてつけなのは判る。

終わっている?
なに言ってんだ。
あいつら。
「世界」とかいうものを代表しているつもりの、気取り屋のマヌケたち、
あいつら。

あいつらは、おれがもう死んだのだという。
「大庭さんも良い人だったが、精いっぱい生きてみたが、
報われなかった。
でも、それなりに全力をつくした立派な一生だった」

馬鹿野郎!
勝手に、おれを葬るな。
おれは、ここにこうして生きて…
あれ? おれの肉体は、いったいどこにいったんだ?

庶務の早苗ちゃんに会いにいかなくてわ。
「年の差なんて、たいしたことじゃないじゃないか」と言いに行かなくてわ。
早苗ちゃんは、おれが寄り添うたびに、なんだか嫌そうな顔をするが、
きっと、おれが好きなので、好きすぎて、防御反応を示すのだろう。

俺はなあ。
こら、お前、聞いてんのか。
頑張ったんだよ!
それなのに、ちょっと会社が傾いたら….えっ? 傾いたら、どうしたって?
言いたくねえよ、そんなもん。

いかん。
ついコーフンしてしまった。
なんだっけ?
ああ、そうか。
あの反日外人ガメ・オベールの話だった。

何より許せんのは、このガキが金持ちらしいことだ。
僻(ひが)みじゃないかって?
僻みなんかじゃねえよ!
だって、この野郎のブログ読んでみろよ。
「わっしはビンボーなのでビジネスクラス」って、なあああーんだとおおお、
ビジネスクラスって、俺の会社、いやもういまは「俺の会社」じゃねーけど、
まあ細かいことは言うな、
俺の会社でも部長以上じゃないと乗れないクラスのことだろーが。
こーゆーところだけでも、「反日外人監視サイト」の仲間が言うとおり、こいつがほんとうは北朝鮮のスパイだというのがわかるな。
ガメ・オベールの検索語でたどった「反日外人を見守るスレ」に書いてあるとーりだと思う。
西洋人版の金玉姫(ガメ・オベール謹注:「金賢姫」の間違いらしいです)に決まっておる。

あれっ?
興奮したら、なんの文脈だかわからなくなったな。
そうか、夢の話だな。
このガメ・オベールという反日外人にはわからんことがいっぱいある。
どうやらアパートに住んでいるらしいが、アパートのくそ贅沢な階段を下りてくそみたいに飾り立てたくそデカイ、くそ扉を開けると、いきなりどこかのスペインの街に出る。
どこだかわからんが、絶対スペインだ。
街はイタリアのようにも見えるが、バス停の広告が「¿倒産はてな?」だからな。
夢の中ではいつも隣に誰かがいて、どうも、あの、夢の中でも明瞭ななんだかこの世のものとは思われない良い匂いは、その人間からしているようだ。
第一、 現実の世界に、こんな綺麗なねーちゃんがいるのか?
第二、 この不思議な、部屋を満たす、圧倒的な、「静かな音」は、どこからくるのか

「夢を見続けるのは異常だが、そのくらいいーじゃないか」って?
バカ野郎!
そーゆーわけには、いかんのだ。
昨晩の夢は、細部まで結構はっきり見えた。
このクソ反日外人は毎日いくつかの言語で「ブログ」を書く。
それもコンピュータを言語別に持っている、ヘンな仕組みだ。
俺はこいつが台所のテーブルらしいところで「日本語コンピュータ」に向かい合っておるところにたまたま、こいつの頭のなかに居合わせた。
そのとき初めて気が付いたのだ。
こいつのブログ、
「大庭亀夫の生活と意見」というタイトルが付いておる。
ガメ・オベールだから、Game Overで、 Game->亀 Over->大庭(おおば)
というつもりのジョーダンなのだろうが、ひとの名前を虚仮(こけ)にしやがって、
俺は絶対許さない。
氏名僭称罪にあたるのではないか。

ふざけやがって。
俺様の名前を騙るなんて、とんでもない奴である。
俺が、ほんとーの日本人、真人にして勇者大庭亀夫のブログを書いてやる。
俺の人生をバカガイジンに乗っ取られてたまるかよ。
ガメ・オベールよ。
真の勇者大庭亀夫の名前を騙(かた)ったことを懼れよ。

近所のガキは、「あのおっちゃん背広着てっけど、ほんとは会社クビなんだって。
フローシャだって、ママ、言ってだぞ」とか、バカ親にゆわれてバカにしやがるが、
ガメ・オベールよ、第三小学校(近所の小学校です)のクソガキどもよ、思い知れ、その真実を。
失業した中年サラリーマンとは我の世を忍ぶ仮の姿、
われこそは暗闇世界の君主、人間の悪徳と欲望を糧として栄える、暗黒世界の真実の王なるぞ。
ありとあらゆる幸福を断罪せよ。
太陽を処刑せよ。
光に死を。

エロイムエッサイム、我は求め、訴えたり。

画像は、1月に俺の夢に現れたガメ・オベールが見た夜明け。
なんで、そんなものが写真に残ってるのかって?
うるせーなー。
念写だよ、念写。
そんなことも知らねーのか、ボケ。

2025年のことをおもいだす。

庶務の早苗ちゃんに会いに行かなくては。
32歳の年の差がなんだというの。
(あの胸の小さな膨らみ)
(おれを少年にもどす、あの微笑み)

早苗ちゃんは、真剣におれを愛しているので、あの夜、午前2時に早苗ちゃんのアパートのドアを、おおきな音をたてて叩いたときには、警察を呼んだりしていたけど、
あれも、もちろん、おれへの愛情の屈折した表現であったにすぎない。

そうして、おれの身体じゅうには、精気が甦ってみなぎる、
二次元絵の、「金剛さん」の短いスカートから、ちらと白い下着が見えたときのように、オダキン的にコーフンする。

(オダキン? オダキンって、誰だ?
この考えているおれは、いったいおれなのか、このガメ・オベールとかいうクソガイジンなのか)

お前たち若造に、おれの悲哀がわかるものか。
タクシー代をけちって、というか、もっと正直に言うと、そんなカネは残っていないので、会社から、遠い、地下鉄の駅まで傘もなしに、
ずぶ濡れになりながら歩く、おれの気持がわかるものか。

牡蠣もホタテ貝も、「Porn Hub」の日本人ねーちゃんたちも、黙りこくっている!

おまえなんかに、おれの気持がわかるものか。
おれはな、おれはな、おれはな!
おまえなんかが考えるよりも、まして、この、ふざけた毛唐野郎のガメ・オベールが考えるよりも、ずっと偉大な人間なのだ。
なにを笑ってやがる。
お前が笑うのは、こんなにも長いあいだ生きてきた人間が見てきたものを知らないからだろーが。

おれは、銀河と銀河が衝突するのを見た。
小隕石が惑星を破壊する一瞬や、太陽が、
死の一瞬、巨大に膨張して、須臾の栄光のなかで爆発するのを見た。

おれは、もう何もかも知っている。
宇宙の秘密を。
もう、すみずみまで知っている。

おまえなんかに、それがわかるものか!
I am ripper… tearer… slasher… gouger.

おい。
ガメ・オベールよ、
聞こえるか?
James F.よ

I am the teeth in the darkness, the talons in the night.

聞こえるか?
わしの魂の声。
(映画Beowulfの科白だけど、だから、なんだというのだ)

I am the teeth in the darkness, the talons in the night.

そうでも思わなければ、人生なんてやっていけるかよ。

いったい、この世界で、知性的であることに意味なんてあるのか?


福島第一事故がもたらしたもの

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(自分のなかの)日本語は、まだ健全なままだという気がするが、日本の社会については思い出せることが、とても少なくなってしまった。
去年、欧州の帰り途、数日だけ日本に寄った。
楽しかったが、その「楽しさ」は完全に観光客のもので、日本語の捷径を伝って、日本の人たちの心のなかへ歩みいっていくような、むかし、もっと日本の人たちに心が近かった頃の、あの不思議な感覚は、もう失われていた。

あれだけの時間とエネルギーをつかって理解しようとした見知らぬ文明が、こうもあっさり心に広がる野原のようなところから、根を失って、書き割りのような、比較文化の研究対象のような、生命のない絵画に変わってしまうのは寂しいような気もするが、いっぽうで、「そんなものか」という気もする。
もともと仕事でも学問の対象でもなくて、ただのひまつぶしだったのだから、相応の終わりかたであるのかもしれません。

日本の衰退は、例えば経済においては人口減少が根本原因だが、その人口減少さえ、より根底的な理由の結果にしかすぎなくて、もともと無神論的文明である日本の文明が、アニミズム的な「畏れ」のある精神のありようや、武士道という全体主義的な倫理規範を失って、「真実への畏怖」の気持をもてなくてなってしまったことが文明の衰退の原因ではないかと思うことがよくある。

みなで一緒に見てきた身近な例をあげると、ぼくを攻撃し誹謗中傷することを繰り返すトロルの最も悪質な3人の、現実社会における正体をしらべると、それぞれ、
私大講師、数理科学研の准教授、理研研究者で、
もちろん英語世界にも無数にトロルは存在するが、トロルの正体が「知識層」と分類される人間であることはありえないし、仮にこの3人のように正体が露出してしまえば、社会の側がさまざまな「見えない圧力」をかけて、税金で食べている寄生虫とみなして、職業もキャリアも、間違いなく、そこで終わりになるが、日本では、「裏の顔」でやっていることについて「表の顔」で呼ぶことも失礼だとかの、とんでもない未開社会の理屈で、3人とも、相変わらず、「自分は秀才だが、おまえらみんなバカ」の楽しい人生を過ごしている。

日本社会の根本原因が理解されるのと一緒に、それが死に至る他はない病で、日本のひとびとがどんなにジタバタしても、日本のアイデンティティそのものである「日本文化」が、関節が硬くて、お辞儀の動作しかできない、動的な現代社会に対応できない「天然全体主義」で、それこそが原因なのだと判ると、「なにを言ってもむだ」と考えるほかはない。
真実を指摘されると、判で捺したように、いっせいに相手をウソツキ呼ばわりして、reliabilityを足下から掘り崩して、みなで顔を背ければ大丈夫という日本では通用する手が、慰安婦問題でも、南京虐殺でも、性差別でも、そして福島第一事故処理でも、日本社会の外では、かえって日本全体への不信を起こして、それこそ日本語社会全体のreliabilityの喪失となって現れてきていることは、言うまでもない。

しかし、そんなことを議論して、どうなるというのだろう?

この頃、この零細なブログで、日本社会について「ほんとうのこと」を述べるのをやめてしまったのは、無論、ぶざまなくらい頭の悪い上記の3人トロルのようなおっさんたちを揶揄かうのに飽きたことよりも、言ってもムダなことは言う必要がない、という30歳を越えた人間の老化現象で、おなじ日本語でも「ちゃんと言葉が通じる友達たちと遊ぶ」ことにしぼったほうが楽しい、というところに退化したからだと思われる。

零細なブログだが、アクセス数でいうと、年がら年中「閉鎖・引越」を繰り返したあとのいまのブログで250万を越えるくらいはあって、読んでいる人の数は、分析を見たことはないが、多分、アクセス数なりで、「友達たち」が引用するtweetの殆どがブロックしているせいで見えないという、とんでもない使いかたのtwitterのテレビ視聴率みたいな思想であるらしい「フォロワー数」が、とても小さいので、よくトロルたちが嘲笑しにくるが、自分のほうからすると、嘲笑されている「7000」という数字でも多すぎて、相変わらず1000くらいのフォロワー数で、「友達たち」が100人くらい、がいちばん良いのではないかと思っている。

振り返ると、単純に受け狙いで遊んでいた以前の英語ツイッタアカウントは、ここに書くのが気恥ずかしくなるような、ものすごい大数のフォロワー数だったが、後半はうけるのが返って苦痛で、いかにもムダな時間の過ごし方におもえて、ときどきは、チョー面白い人と知り合えたりもして、現実社会でも会って、もったいないと思わなくもなかったが、閉鎖してしまった。
母語でSNSなんて学べることがなくて時間の浪費である、という吝嗇な気持もあったかもしれません。

日本が抱えている最悪で最も根底的な問題は、意外に思うかもしれないが、ぼくから見れば福島第一事故と、その処理で、この問題を(いま社会全体がそうしているように)故意に軽くみつもって知らないふりをして看過していくか、正面から対策して国家の財政が破滅するか、ふたつにひとつしか選択肢はない。
支配層の奥深くで意思の決定を行っている人間たち…それは決して首相や大臣たちではないが…が考えたのは、要するにそういうことで、ゴルバチョフがインタビューで「チェルノブルで私が直面した問題は、国民を犠牲にするか国家が破滅するかという選択で、私は国家の破滅を選択する以外に方法がなかった」と述べていたが、日本支配層はゴルバチョフとは正反対の選択を行(おこな)った。

ところが日本におけるthe best & brightest であるはずの秀才たちが予期しなかったことが起きた。
人間の「真実への畏怖の本能」を甘くみたことで生じた「言語の空洞化」で、マスメディアをはじめ、目立ちたがりの科学者や知識人、はては芸能人まで動員して、戦前からのお家芸の「世論形成」に成功したのはいいが、その次に起きたことは、言語の真実性の全面的な崩壊で、日本語による思考そのものの信頼性が破綻してしまった。
言語全体の詭弁化、と言ったほうが判りやすいかもしれません。

歴史上、初めて、というわけではなくて、古代ギリシャの最後期の日々、あるいは朱熹が起こした学問に支配された東アジア社会というような言語が真実性から乖離することによって社会全体が真実性を失って停滞・崩壊した例は歴史上いくつかある。
日本の近代が、衒学的訓詁的で秀才崇拝という悪い病気をもちながら、比較的健全な世界でありえたのは、現代日本語自体が原典を読むための「注釈言語」で、「外国の考えを珍重する」という社会的習慣をもっていたからで、「知識人」自体が「外国文明の翻訳・紹介者」という性格を色濃くもっていた。
日本の近代文学・近代言語が「イワン・ツルゲーネフの小説を翻訳しうる語彙と文体」をつくることで誕生したのは典型であると思います。

福島事故を正語によって正視することによってしか、日本の倫理規範、ひいては言語能力の再建は出来るはずがない。
アベノミクスが見事なくらい徹底的に基礎を破壊して貯えを干あげてしまい、「他国なみ」に脆弱にしてしまった経済と財政よりも、この日本語の言語としての崩壊のほうが遙かに深刻で、いったいどんな解決の方法があるのか、いっそ英語に言語を変えてしまうのか、あるいはエズラ・パウンドに倣って沈黙の民になるほかないのか、見当もつかないが、まだ日本語をおぼえているあいだは、少しおくれたり、道路からそれて、森のなかに彷徨いこんだりしながら、日本の人の傍らを歩いていければいいと願っています。

昇る太陽の姿が見えないので、どちらに向かって歩いているのか、方角すらわからないけれど。

(画像は大庭亀夫の「遊んでばっかし」の日常がよく判る。ダービーの画像。ワインを3本飲んで、なあーんにも、判らない午後)


モニに会いにいく

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モニに会いにいく。
10年前の「おれ」。
マンハッタンという都会の砂浜の、ちっちゃな一粒。
迷子の粒子。

小さなひと粒が、この世界につぶされてしまわないで生きていくには、たくさんの「支え」が必要だった。
小さな頃の、親の溺愛の記憶。
裏庭の小川を友達たちと行ったりきたりした思い出。

ガメは、いいもわるいもないでしょう?
あなたは、そのままでいい。
よりよい人間であろうとすることに、どんな意味があるの?

ガメが、世界で最悪の人間でも、でもわたしは、それでも、わたしはあなたを最高に愛している。
ガメこそが人間であると考える。

そのままでいい。

わたしは、あなたのすべてを許すでしょう。

モニに会いにいく。
10年前の「おれ」。
都会という砂浜の、ちっちゃな一粒。
迷子の粒子。

クリスマスプレゼントを腕の中に抱えて、雪が降るマンハッタンで、
ぼくは、そんなふうに考えていたのさ。

ダメでもいい。
もう、身捨てられても、別れて一生を別別に暮らすことになったっていい。
でも、どれほど自分がモニを愛しているかだけは、どうしても伝えたい。
あなたのためなら、死んでもいい、と考えたことを伝達したい。
どうしても、それだけは伝えたい。
死んでもいい。

雪が降って。
雪が降って。

雪が降って。
雪が降って。

個人が幸せになること以上のことが、
モニが幸せになって
ふたりで幸せになる以上のことが、この世界に、あるのか。

モニに会いにいく。
10年前の「おれ」。
都会という砂浜の、ちっちゃな一粒。
迷子の粒子。

チェルシーの南の端にある、ぼくの馬鹿アパートを出て、パークアベニューの、クソ通りを歩いて、アップタウンをめざす。

(雪が降って)
(降り積もって)

わたしどもの息子がご迷惑をおかけして

(畳は沈む)
(畳は沈む)

やさしい女びとたち。
世界を肯定するひとたち。

肯定。
(それも100%の全肯定で)
(女びとたちの、天賦の才能である)
(きみや、おれの、ケチな男たちに、あるわけがない才能だとは思わないか?)

モニに会いにいく。

10年前の「おれ」。

(宇宙がどうなったって、構いやしない。
ぼくは、モニと一緒にいたいだけさ)

(畳は沈む)
(畳は沈む)

もののけたち、中空に佇んでいる。

眺めている。

(でも、それは、自分達の骸かもよ)

波打ち際では、破砕された帆立貝の貝殻や、「浸蝕された夜」が、
モニさんが述べた、「耳を澄まさなければ聴こえない音楽」として流れている。
「聴き取りにくい声」が闇の隅から聞こえてくる。

われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり


Happy Birthday

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夏の終わりの青い空の下を、でっかくて真っ白な積雲の下を、屋根が開くクルマを走らせている。

(CBDへ、注文したティアラを取りに行くのさ)
(チョー、幸せな気分)

明朝(みょうちょう)は、モニの誕生日である。
貘も麒麟も、鯀でさえ鳳凰と一緒に森から出てきて、モニさんの誕生した日を祝う。

ユニコーンとドラゴンが肩を並べて、モニさんが生まれた日を描いた絵本に見入っている。
(この赤ん坊は、きっと世界で最も美しい人になるだろう)
(この美しい人の夫になる男に、いまから嫉妬しないわけにはいかない)

モニは、どんな人も巻き込んで幸福にする渦巻のような人だ。
どんな人も、選択の余地もなく、強制的に幸福になる。

モニの顔を見たとたんに、瞬間に花がひらく薔薇のような笑顔になるベトナム料理屋のおやじよ。
なんだか切ない声でモニのふくらはぎに顔を押しつけるエジプト猫よ。
ちょー特製の笑顔を向ける、小さな人たちよ。

明日は、モニの誕生日である。

(真っ黒くろすけも総出でお祝いする)
(幽霊たちも、障子の向こうから現れてお祝いする)
(もののけたちも)

あなたと一緒に住みたいけど、あなたは結婚するには、どう考えても若すぎると述べた日のことをおぼえていますか?

おとなのふりをして、ぼくはなんてバカだったんだろう。
気取り屋で、皮肉屋で、太陽の光が、ぼくの脳髄を横切ると、どのスペクトルも屈曲してしまう。
まっすぐなものがなにもなくて、リーマン幾何学みたい、なんちて。

身体ごとぶつかってくる、魂ごと、まるごとぶつかってくる、あなたの「真っ直ぐさ」に、ぼくは怯えていたのだと、いまは判る。

モニは、あらゆる障害を文字通り乗り越えて、まるで障害など何もなかったかのように、まっすぐに、ぼくに向かってきた。

ものすごい勇気。
投企。

男などには、到底もちようがない真摯で、あなたは生きてきた。

そうして、モニは、ぼくをすっかり幸福にしてしまった。
頭のてっぺんから爪先まで。

頭のてっぺんから爪先まで!

それが、どんなにすごいことか、きみにはわかるかい?

モニ

(夢を食べてしまうという)貘もヒポポタマスも、お祝いする。
サイも象さんも、祝杯をあげる。
馬さんたちもラクダさんたちも空に向かって祝辞を述べていなないている。

空想上の動物たち、いっせいに現れて、モニのために、お祝いの言葉を述べている。

モニ、わしのなかに渦巻き流れよ。
永遠に流れ落ちる水のように。

渦巻き流れよ。
(小さな人々と一緒に)

モニ、誕生日おめでとう。
今年もまた、モニさんが生まれた日に一緒にいて、祝杯をあげられることの幸福を思います。

小さな人々と一緒に


時間という贈り物

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一日を過ごすのと一生を過ごす事に本質的な違いがあるわけではない。
朝起きて、ぼんやりした頭で、プライオリティをつけて、50個なら50個ある「やらなければならないこと」や「やりたいこと」のうち、上から三つくらいならやれるかなあ、と考える。
えっこらせ、と起き上がって、まず一日の重大な準備である朝食にとりかかる。

プライオリティに頭の精細な働きが必要な事柄が含まれていないときは、コーヒーより先にシャンパンを開ける。
オムレツとハムとベーコン、エッグベネディクト、
ときにはパンケーキにしてもらうこともあるし、フレンチトーストを出してもらうこともある。
夕食などは、めんどくさいからとばしてしまうこともあるが、朝食だけは、そういうわけにはいかない。
ガソリンがなければ、クルマはすすまない。

別に学校で勉強しなくてもいいが、勉強しないと、朝食ぬきで一日を過ごしているようなもので、やりにくくてしようがない。

「一日をすごすこと」と「一生をすごすこと」には他にも類似がたくさんあるが、最も本質的なのは「時間がない」ことだろう。

父親は合理を好む人なので、もともと息子が仕事につくことには反対だった。
大学に残るのならともかく、ビジネスのようなことをするのは時間の無駄だという。
不動産を分けてやるから、そこからあがる収入で食べていけばよいではないか、という。
自力で生活するほうが楽しそうだったので断ってしまったが、父親のほうが正しいのか、自分の判断が正しかったのかがわかるまでは、まだ20年くらいかかりそうな気がする。

それでも、ただ収入をうるために一日8時間を労働するというのは、論外だった。
そのくらいなら銀行強盗で反社会的な大金を手にいれたほうがよいのではないかとマジメに考えた。
そして南米に行く。
イーブリンウォーの「大転落」ではないが、そちらのほうが大企業に勤めたりするよりは人間的な一生が送れそうな気がする。
死後に天国か地獄かという選択が現実であったばあいには天国にはいかれないが。

アメリカの人などでもニュージーランドやイギリスの社会に住んでいると、20年くらい住んでようやく、社会の底に流れる底意地の悪さや冷淡さに気付いて、失望して、ぞっとするらしいが、ひとつだけいいことがあって、社会として「他人に余計なことを言わない」社会である。

それはおかしいんじゃないか、と考える事でも、「あなたが言っていることはおかしいとおもう」と相手に述べる習慣がない。
むかし子供のときに、カンタベリーの「牧場の家」があった村に中国系移民の一家が越してきて、首の赤い若い衆が、色めき立って、ドアに鶏の死体を釘付けしたり、逆さの十字架を燃やしたり、という嫌がらせが続いたことがあった。

ある日、羊の生首が投げ込まれていて、たまりかねた中国人一家の主人が近所のスコットランド系人一家に相談に出かけてきたところに、居合わせた。
中国系夫婦が羊の生首が投げ込まれていた、と訴えると、
大男の主人が、「マグパイがくわえて飛んできて落としていったのではないか」と応えたので、内心「イギリスとおなじやんね」と笑ってしまったことがある。

不正直だから嫌いだ、とアメリカから移民してきて故国に帰ってしまう人達がいる。
アメリカ人の観点からは現実を明瞭に述べないニュージーランド人の態度が「許しがたい不誠実」に見えるからです。
ニュージーランド人やイギリス人は、国民性で、「うわべを取り繕うのが最も重要で、取り繕っているうちに、なんとかなるものさ」という気持がある。
実績上は、そうしているうちにものごとがどんどん悪化して、どうにもならなくなることのほうが多いが、国民的信念というものは、そうそう動かせるものではなくて「うわべ第一」で、とうとう21世紀に至ってしまった。

日本は、ざっかけなさを好むというか、フランクなのが売り物の社会で、仲がよくなると「肥ったんじゃない?」と遠慮なく述べて、それが親しみをあらわす表現であったりする。
ネット上でも、おやじトロルたちが典型だが、うるせーなほっとけよ、と言いたくなることを毎日毎日他人に絡みつくようにして述べる人の大群が存在する。

Don’t take it out on me.
と英語なら言うが、現実世界でのおやじトロルたちの姿が明らかになってみると、経歴からみて、若いときには期待されて、自分でも自負していたのに、失敗して、誰にもなにも期待されない立場になって、自分が人生で失敗したことがよほど悔しいらしくて、他人を糾弾することによって、自他の敬意を回復しようとする人がたくさんいる。
相当に頭が悪い人でも、行為の惨めさは理解できるはずだが、自画像の悲惨さには目を瞑る能力というものがあるらしい。
自分でも自分の人生は、トロル行為を頂点として終わりと観念しているらしいが、傍の者にとっては、不愉快であり、迷惑で、日本語社会では、何かを発言することが、そのまま不快な時間を過ごすことになってしまうのは、このおやじトロルの集団のせいである。

トロル行為くらいのことでも、日本語では特に重大な破壊者として、言語、ひいては社会の思考の能力を奪ってしまうものになっているので、みなに周知できる形で論じてきたが、もう飽きたというか、周知されると、実はそれが最も重要なことであるのが全員に実感されて、2,3の悪質な例について、みなで時折思い起こして反撃すれば、つまりはそれだけの存在でしかないことも判ってきた。

不愉快で頭のわるい、気色わるいおやじたちを相手にするのは、楽しい経験ではなかったが、特にムダな時間だったとは思っていない。
「何もしないためなら何でもする」日本社会が、では、実際には、どういう層の、どういう人間達によって形成されたか、眼前に明瞭に見えるようになったのは、やはり日本語世界で知り合った友達たちの努力によっている。
これからも、どうせ、それしか能がないおっさんトロルたちのことだから、棺桶のなかで静かになるまでやるだろうが、侮辱しようとする対象のほうが、個々ばらばらの存在でなくなると、最近は妙に丁寧な言葉に口調を変えたりしていて笑ってしまう冷笑や悪罵を述べる度に、自分のくびにかけた縄を自分の手で少しずつ絞める結果になるのを発見していくだけだろう。
「日本人の普通の人の良識」をバカにした結果で、あんまり同情の余地があるともおもえない。

小さな人達の初期養育専用にあてると決めていた期間が終わったので、モニとぼくには莫大な時間がまた手に入る事になった。
日本語をあまり書かなくなったので「日本人に愛想をつかしたのか?」と心配する手紙をいくつかもらったが、そんなことは全然なくて、単に家で足下で、父親のふくらはぎに噛みついて遊んでいたりする小さな人々とべったり一緒にいなくてもよいことになったので、出かけて遊んでばかりいて、ダービーだのアートフェスティバルだの、週末はウエリントンのバーに飛行機で遊びにいったり、無人島に上陸して、ふたりで夜空を眺めながら、あんないけないことをしたり、こんな人に言えないことをしたりしていて、日本語どころではなくて、よい日本語友達がたくさん出来て、遊びたいが、時間の制約で、ちゃんと遊べないだけです。

前にも述べたことがあるが、黒澤明の「生きる」の終盤、末期ガンの主人公が「自分が生きた証し」として、文字通り命をかけて立案した「どぶを暗渠にして、その上に小さな公園を」という小さな事業計画に、ようやく味方したいと考える同僚達が現れて、階段をのぼって、助役に嘆願しようとする主人公に「公園案を誹謗する一派がいる」と言う。
主人公が「わたしには、もう時間がない。彼らを相手にしている時間は、私にはもうない」という有名なシーンがある。

おやじトロルたちのような、本来は幼稚すぎて笑いのたねにしかならない存在は、それで、どうでもいいにしても、それならば職業はどうなのか、本を読む時間はどうなのか、と考えていくと、人間に与えられた時間はぞっとするほど短い。
60年という「意識が明晰な時間」を手にする人は稀なのではないだろうか。
心理学的な事実として、詩人はだいたい30代までの10年、数学者は40の声を聴くまでの20年、最も時間を大量に手にしているのが画家で、これは80年という。
一般的な明晰知性については、どうだろう、40年くらいのものではないだろうか。

そのなかでプライオリティを割り振って、一日の終わりに、「今日は楽しかった」と思う日を一日ずつふやしていくしか一生の過ごしようはなくて、それが、例外なく「死」という誰にとっても巨大な悲劇で終わることが運命づけられている人間の一生を、なんとか生きるに値するものとして過ごす、ゆいいつの方法なのでもある。

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、というが、その意味は年齢を重ねるにつれて段々深くなって、30歳ともなると、井戸を覗き込んで、底が見えない漆黒ほども深くなった言葉の意味に、すっかり戦くような気持になるのです。


普通のひと

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例えば、ネナガラ (@nenagara)というヘンなハンドルネームの人が好きである。インターネット上だけの付き合いだが、何年になるのか、もう忘れるくらい長い付き合いの人です。

どんな人かって?
知り合った頃は輸入中心の貿易会社のサラリーマンで、自分で自分を紹介するのに「退屈なサラリーマン」だと述べていた。
ふつーの人。
ふつーであることがテーマであるかのような人。

ところが、この「ふつーのサラリーマン」の芯の強さに、やがてぼくは舌をまくことになる。
例の、はてなを居住地とした、おやじトロルたちが大挙して押し寄せてきたときに、まるで当たり前のことのようにして、そばに立っていてくれたからです。

あるいは、すべりひゆという人がいる。
もともとは京都人で「小学生のときは太秦の敷地に置かれていた実物大のゴジラの足を横目に見ながら通学していた」という。

ゴジラは東宝の主役なので、ほんとうはガメラの足だったのではないかと思うが、
イタリア人と結婚して、ずっとヴェネトに住んでいるところが、やや普通の日本人と異なっているだけで、ネナガラと同じ、やはり、ふつーの人です。

なにかの科白に感心したのでしょう、つきまとっていたおやじトロルの何人かをRTし、フォローしたりすることがあって、「おい」と述べると、
ははは、という答えが返ってくる。

でもこの人も、いつも側に立っていてくれて、日本語をやめたときには、あるいは、そういうときにだけ、長い長いemailを送ってきてくれる。
諦めないで、続けてほしい。
わたしは、あなたの文章が好きなのだから。

当然だが、ぼくの日本語への信頼は、いちにもににも、ネナガラやすべりひゆたちへの信頼に依っている。
依拠している。
聴き取りにくいが、耳をそばだてれば、明瞭に聞こえる、はっきりとした発音の「静かな声」を、このひとたちは持っている。

そうして、そういう「聴き取りにくい声」を内在させていることは、ほとんど文明が文明であるための定義である。

窒息して、そのままヘドロのような言語社会のなかで息が絶えそうになるとき、
その「聴き取りにくい声」がするほうへ、懸命に泳いで、やっとそこで水面に顔をだして息をつぐ。
サイレーンのように大きな声ではない。
まして政治や社会について演説する、拡声器から聞こえてくるような割れ鐘じみた音であるわけはない。
静かな声。
「でも、それはちがう」と述べている、静かな、きっぱりとした声。

要するに、そうした声を聞くためだけに異なる言語を学習しているので、まして、
英語/欧州語世界で起きることどもを紹介して悦にいっているひとびとなど、(当たり前だが)どーでもよい。
一顧だにするに値しない。

もしかすると、日本人は自分達が西欧化されたアジア人であることに意味をみいだしすぎていて、自分達が自分の足でたった極小文明であることの誇りを忘れているのではないかと思うことがある。
福沢諭吉は自分たちの西洋化へのすすめを韓国人や中国人が頑迷に聞き入れないのに苛立って「脱亜入欧」と述べたが、遠慮をやめて言うと、当の欧州人からみて、これほどバカバカしい主張はない。

文明を模倣できると考えるのは、うわすべりな軽薄な考えにすぎない。
例をとれば、ローマ人の文明はギリシャ人に対する批判のうえに出来上がったので、ギリシャ文明の模倣のうえにローマの文明が出来上がったと考えるのは、いくらなんでも表層的に過ぎる。

ローマの文明を例に挙げたついでに、ローマ人の文明の独自性について述べると、ローマ人の文明の特徴は、その「時間」にある。
3時間かかることには、(たとえ2時間で出来ても)3時間という時間を、なみなみとかける、古代ローマ人の時間感覚は、その感覚のみによって当時の「世界」を征服するほどの発明だった。
あとでイタリアを旅行してまわるようになってから、古代ローマ人とは似ても似つかない。30分でフルコースのランチとワインを平らげるイタリア人たちを観察して、ずっこけてしまったが、もともとはどんなふうだったかは、幸いなことにローマ人たちは、自分達の生活についてたくさんの記録を残しているので、読んで安心することができる。

「煉瓦を積むように」時間をかけることが出来た、偉大な文明の素顔は、時間を縮めてものごとにあたることをしないローマ人の時間感覚に依っている。

そうやってつくられた文明の最大の成果は、いま挙げたネナガラやすべりひゆの「ふつーの人たち」で、逆に、魯迅を読めばわかるが、文明が破壊されると普通の人びとを、その社会は失ってゆく。
小ずるく立ち回って、このあいだから話柄に挙げている日本人のおやじトロルについて言えば、一方ですました顔で反体制・反歴史修正主義とインテリゲンチャふうのことを述べながら、上下に跳ねながら歯をむきだして悪罵のかぎりをつくす猿そのまま、匿名アカウントをつくって、ウソの限りをつくして相手を陥れるようなことを平然とする。
おおきく述べると、それは日本語世界が文明を喪失しつつある徴候であって、「普通さ」が「異様さ」に取って代わられる経過を、いまこのときの日本語人は目撃しているのだと考えられる。

ぼくは日本語を勉強してよかったと思っている。
なぜ「よかった」と考えているのか、自分で自分を観察してみると、意外と簡単なことで、ネナガラやすべりひゆやjosicoはんやナスに会えたからだという結論に行きつく。
「普通の人」と知り合いになれるということは、なんて素晴らしいことだろう、と思う。

しかも言語によって「普通の人」のありようは、とても異なる。
スペインの西部に行くと、窓から顔をだした老婦人に「お暑いですね」と述べると、花が開くような笑顔になって、腕を広げて、「ええ、ほんとうに! なんという暑い夏でしょう!」という。
まるで舞台に立っている女優さんのようです。
スペインに何ヶ月かいると、しかし、それがたとえばガリシアでは、普通のボディアクションなのだと納得されてくる。

あるいはイタリアのウンブリアで、曇って雨が時折降る天候の日に、テラスに立っている老女に「ボンジョルノ」と述べると、この人は挨拶の言葉の原義にもどって、「あんまりボンジョルノでもないわね。まあまあだとおもう」とイタリア人特有の仏頂面をつくって述べている。

そういう細部から外国語学習者は、その言語社会の偉大さをかぎとってゆく。
ありていに述べて、そういうディテールを持ち得ない、あるいは抑圧して、政治や社会や経済の「おおきなこと」ばかり述べたがる言語社会は、野蛮な社会で、学習するに値しない。そういう社会では、ひとりのネナガラやすべりひゆにも巡り会うことが出来なくて、これは言語なのか、それとも、ただの人間の温もりもない記号か、と思い迷うことになる。

酔っ払って、前後も不覚になると、大庭亀夫は日本語世界を訪問して、いえーい!をしに戻ってくる。
なんだかバカぽいが、その行為の背景は、日本語という言語世界への信頼があるのです。
間違っているのかもしれないが、「脱亜入欧」を脱して、日本が我に返る瞬間が訪れるだろうと、まだ信じている。

その瞬間を一緒に訪問しよう、一緒にこの堂々巡りに似た文明の袋小路を議論しよう、と思っている。

「普通のひと」が、まだそこに立っているから。


アート

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わし家では、ときどき宿泊した客の「ぎゃあああー」という 悲鳴が響き渡ることがある。
いけねー、教えておくのを忘れていたと考えるが、まあ、よい思い出にもなることだから、と自己弁護する。
心臓が弱い客は、泊まるのを遠慮してもらったほうがいいだろうか、と考える。

例えば、かーちゃんととーちゃんや妹夫婦がオークランドにやってくるときは、比較的に長期の滞在なので日本の感覚でいうと隣町のパーネルというところにある、以前住んでいた家に泊まってもらうことが多いが、通常の客は、モニとわしがいちゃいちゃしている区画から少し離れた部屋に泊まってもらう。
ニュージーランドの、というよりも英語世界全体のスタンダードに従って独立したバスルーム、バスタブとシャワーがあって、トイレもあります。
のみならず、庭に面したドアを開けると、これも独立した小さなテラスがあって、いきなり庭に出られるようになっている。
スイートになった続き部屋にある冷蔵庫から勝手にワインやシャンパン、あるいは健康的な客ならばミルクやペリエをとってテラスの小さなテーブルで飲むこともできる。
ビンボになったら料金表をつくってペリエ1本2000円というような阿漕な商売をしようと思うが、幸い、まだそういう財政の危機は経験したことがない。

ホテルと異なる点は絵やプリントがやたらいっぱい掛かっている。
美術品は、あんまり何も考えないでどんどん買っていいことにモニもわしも決めてあるので、だんだん増えてきて、なかには飽きるものもあって、飽きたものは客部屋におく、という傾向がなくもない。

絵は明るいものが多いので客にも評判がよい。
「まさかホンモノではないですよね?」という客がいたので、もちろん違いますよ、そんなオカネないもん、と、きっぱりオオウソをついたことがあるが、
実は全部「ホンモノ」です。
むかしは教科書的に有名な、もう死んだ画家の絵を買うことが多かったが、最近は画家の作品を本人から買うことが多いので、疑問の余地なく「ホンモノ」(←なんとなく下品な表現)である。
客室用に描いてもらったものもあって、このあいだは仲の良い絵描きに2mx3mの絵を描いてもらった。
夕暮れの海を表現(←推測)したデザインに近い抽象画で、実は、この友達の絵描きはこの注文を嫌がった。
このひとは力が強い強烈な絵を描く人で、若いときにはアートフェスティバルの主宰者に「絵が強すぎるから遠慮してくれ」というバカなことを言われたこともある。

ワイン半分くらい飲んで、軽いタッチでいくべ、と注文したら、ガメがいうことだからやらなくはないけど、やだなー、家具職人になったみたいだ、とこぼしていた。
ワインを二箱差し入れしたら、文句が止まって、あっという間に描いてくれたが。

素晴らしい絵で、客ベッドで目をさますと、目の前に夜明けの海が広がっているようです。
もともとは魂の力がこもっている、例えばフランシスベーコンが好きだったが、まさか家の壁にあんなものを掛けていくわけにはいかないので自重して、と書いていて、アメリカのコメディアン、スティーブマーティンは家のそこここにフランシスベーコンを掛けているのだ、という話を思い出したが、そういうわけで、明るい絵を心掛けて掛けてある。

絵は良いが、客にとっては困ったことに、ところどころに彫刻が立っている。
ホールを歩いて、ふと目をあげると、そこに2mはあるアンディウォーホルが筋肉マンになったような若い男がぬっと立っている。
「あれは心臓が止まる」と言われているよーです。

あるいはカウチに腰掛けて、へー、ガメって、いいとしこいて、まだこんな本を読んでるんだ、相変わらずアホだな、あいつ、と思いながら手元の本から目をあげて天井をみると空中ブランコ乗りが、いままさに跳躍しようとしているところで、不意をつかれた目撃者は、そのまま絶命しそうになる。

家の主は、温和で成熟したおとななので、決して客の悲鳴を楽しんでいるわけではなくて、夜中に絶叫が遠くから聞こえてくると、下をむいて本を読みながら、「やった」と、静かに、小さな声でつぶやいているだけである。

前には、客用のトイレの真横に、シートの上に座るひとを見つめて、なんだか斑な若い男が立っていたが、これは真剣に怒る客、妹だが、が現れたのでやめた。
今度は、その代わりに「天井の隅から上半身を突き出して、こちらを見ている長い髪の若い女」の彫刻を頼もうかとおもうが、突然目を光らせたりするとアートでなくなってしまう、という守旧的な芸術家友達の意見に阻まれて実現していません。

学生のときに、訪問して、知り合った「若い画家」が、どんどん有名になったりして、インタビューに出ていたりするのを見るのは楽しいもので、なにによらず知っているひとが成功するのが大好きなわしとしては、なんだか幸福な気持になってしまう。

画廊や卸会社の情報を交換したり、アートフェスティバルの前夜祭で思い切りのんだくれたりして、芸術家もゲージツカも一緒になって、みんなで楽しい時間をすごす。

本を読むことや、数学とおなじで、美術も好きになれば病膏肓で、モニの希望もいれて、旅行もコンサートやオペラとギャラリーめぐりを中心に予定をつくればよいのではないか、ということになった。
小さい人達を伴っていく場合には、スミソニアンの航空博物館や、小さなところならば、NYCやボストンの数学博物館にも行かないわけにはいかないので、お上りさんみたいだが、そういう目的地めぐりだけで日程は案外長大なものになってしまう。

むかし、Cueva de El Castillo

Cueva de El Castillo

に行ったときに、芸術表現への衝動というものが、人間にとってどれほど本質的なものか実感した。
あの頃はクロマニヨン人たちの残した壁画だということになっていたが、そのあとの調査で、ネアンデルタール人のものも混じっていることがわかって、大騒ぎになったが、なおさらで、教科書が述べる狩りを祈った呪術性であるよりもなによりも、たとえば有名な酸化鉄で描いた手のひらやディスクは、ただ純粋な芸術表現への衝動で出来たものに見えた。

わし友の千鳥(@charadriinae)も、千鳥はクルマを運転しないので、あんなド田舎まで遙々バスを乗り継いで行って、心の深いところで感動した、と述べていた(千鳥はモニとわしが気づきさえしなかった山の頂上の「小さな平地」にまで行ったのだ!)とおもうが、わしもあのあと、なんだか人間の世界におけるアートの位置、みたいなものが少しずれてきてしまった。
中心のほうにずれたので、酷い人ならば「趣味みたいなものではないか」という怖ろしいことを述べる人までいる芸術は、実際には、例えば数学や諸科学よりも人間の根源価値の中心に近いところにあるのではないだろうか。

現代人の皮肉な知性は“Vissi d’arte”と、あからさまに述べられてしまうと、据わりが悪いような、もじもじした気持になってしまうが、現実には芸術だけが人間の本質的な価値なのだ、ということは単純な事実なのではないか、とこの頃考える。
実際には、芸術以外の事象のほうが「余計なこと」なのであると考えたほうが、この世界の矛盾をうまく説明できるような気がする。
正しい仮説は、いつも予想外のところでカムフラージュに覆われてみえるが、たいてい、よく考えてみると誰も光をあてたことがない認識の角度が存在するから、誰にも見えないので、現実は現実として、不可視のまま、ごろり、と横たわっているものである。

絵は楽しい。
粘土をこねて、その辺にある草や木、あるいは外れて使い道がない飾りボタンを表面におしつけて文様をつくって陶器や磁器に焼くだけで、面白い。
あるいはTシャツが足りなくなって、赤ゴジラや、「大庭亀夫」と大書したTシャツをシルクスクリーンでつくって遊ぶだけで半日くらいは軽く過ごせてしまう。

人間の知性がつくりだしたロケットは、やっと月に人間を送り込める程度で、フェルマーの大定理の後ろに隠れていた島宇宙の相関さえやっと窺い知るくらいですら青息吐息でも、もしかしたら、人間の魂の愚かさがうみだした一幅の絵のほうは、銀河の外からやってきた知性が息をのむようなものであるのかも知れません。

神も



Do you speak English?

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目玉焼き、と聞いて「ああ、あれか」と考える人は異文化理解においてアマチュアであると思われる。
免許皆伝までの道は遠く、宮本武蔵が道場破りにやってきても、「おまえ、ちょっと行ってこい」で初めに相手をさせられて、どうやら馬鹿力のタヂカラオであったらしい武蔵に背骨をへし折られて美しい道場主の娘お初さんとの祝言を諦めねばならなくなるに違いない。

ええ、だから、ぼくは目玉焼きとフライドエッグで区別しているんです、という人に会ったことがあるが、それでは、まだまだ甘い、金沢の落雁よりあまいので、宮本武蔵が道場破りに現れれば….以下、略。

ガリシア出身のスペイン人の友達は「日本の目玉焼きくらい不味い目玉焼きを食べたことがない」という。
理由は簡単に想像がつきます。
スペインの「目玉焼き」は、卵の素揚げというか、オリブオイルのなかで「揚げる」ものだからで、それも周りが少し焦げてオリブオイルの香りと味が、ぷんとするようなものでないとスペイン人は目玉焼きを食べたと感じない。
日本のものはポーチドエッグとフライドエッグの中韓のどこかに漂っていて、北朝鮮のような存在だからでしょう。
鴨緑江まではいかないがギンポまでもくだらないで、くだらなくはないが、平壌くらいの位置にある中韓な中間的存在である。

平均的イギリス人、(といっても、あんな統一感がまるでなくて、インド料理を国民食とする点とワガママなところしか共通点がない国民を、どうやって「平均」するのか、という疑問はあるが、無理矢理「平均イギリス人」をつくれば)から見ると「へんなことをしている」ようにしか見えないアメリカ人の「サニサイドアップ」や「ターンオーバー」とアメリカ人から見れば、わざわざ目玉焼きのように食べるのは難しいが普通につくればおいしいに決まっているものを故意に不味くしてるようなイギリスのパブで朝ご飯に出る目玉焼きの両者がおなじ「目玉焼き」と言われても困るような気がする。

日本の定食屋でたとえばハムエッグと称して、なんだか不気味な圧縮肉片と共に出てくる目玉焼きは、油を極端に少なくして、チョー弱火でコトコトつくるから、ああなるので、プレゼンテーションにすぐれた日本料理の通例に従って見た目が美しい、合羽橋の蠟見本のごとき完璧な目玉美に包まれた目玉焼きだが、イギリス人からすると、白身が妙な、てろんとした歯触りになっていて、おまりおいしくない。
卵焼きのように、真に芸術的なおいしさの卵料理をつくる国民なのに、なんで目玉焼きは、こんなのしかつくれないんだろう、とひとりごちるが、それは目玉焼きという表現の同一性にひきずられて、イギリスと日本の両者が同じものだという妄念を抱いているからである。

ここまで読んできて、いったいあんたさんは、なにをぶつぶつ言ってますねん、と考えた人がいるに違いないが、「翻訳」ということは不可能作業なのだということを述べている。

最後に見たときには「私は偉い人にしか丁寧な言葉使いはしない。ガメ・オベールはそれに値しない」と抱腹絶倒なことが書いてあって、それだけ頭が幼稚なら本人は自分が書いたことの可笑しさに気付きもしないだろうし、あまりの頭の悪さに憐憫の気持が湧いてきたので名前は書かないが、おやじトロルが大庭亀夫の英語ツイートを、わざわざ図解して該当箇所に赤線をひく努力まで払って、自分がいかに英語が判らないか、そしてその原因が受験英語技術者化した言語頭にあるか、自分で実証して自爆して、英語日本語のバイリンガルの恰好の肴になって、バカッぷりを額にいれてフォーラムで顕彰される、という椿事があったが、そのときに英語人がみな気が付いたのは、日本の人が「話すのと書くのは下手だが読むのはダイジョブです」と述べているのは、ほんとうは英語を読めているわけではなくて、受験英語的な「英文和訳」が頭のなかで行程化されている、というだけのことだ、ということだった。

何事にも率直なオーストラリア人のLukeが、このおやじトロルを見て
「そう言えば、日本人って、あの子供でも満点とれる受験英語が程度が高いとおもってるんだぜ」と日本ではタブーに近くて、みなが日本の人があまりに英語を知的標準のよすがにして、その割には全然ひどい英語である現実への憐憫から「ああ日本の入試英語って、アメリカでも知的な人間でなければ読めないんですよね」とウソをつきまくっているのに、ほんとうのことを、しかも日本語で述べてしまって、読んでいて慌てたことがあったが、幼い頃から「思考力が必要な入試」に向けて塾や「進学校」で猛訓練を重ねてきた、この受験職人たちが、そういう出自の人間が、いちばん向いていない研究者や医師に養成される日本のオバカ制度のせいで、日本では英語能力は英文和訳と和文英訳の精度競争であって、TLが英語人部落であるのを(多分)知らずに、突然カミカゼ攻撃に現れた、ニューヨークに住んでいる日本文学の紹介者だとかいうオバントロルは上記おやじトロルよりも勇気があって英語で返事をすれば英語で罵り返すという度胸をみせたが、罵りかたの下品さと表現がまったく合致していなくて、どこかアジアの国から来てながいあいだ通りに立って売春生活をしていた女の人のような英語だったので、なんだか相手をしていて気の毒になってしまった。

もしあれが「頭脳内翻訳」の産物でないとすると、それが示す現実はたいへんなことになってしまう。

ニュージーランド人の強烈なロッカーであるGin Wigmore がブログを公表していたときに、失礼なアメリカ人たちが「子供の書いた文章のようだ」とコメントしていて、バカな奴だ、とケーベツしたが、アメリカ人とニュージーランド人の英語は、たとえばcheekyという言葉ひとつでもニュアンスが、だいぶん異なる。
あるいはspunkyも、イギリス語とは異なって、アメリカ語では、ずっと性的な意味合いを帯びている。
英語人同士でも、意味のずれを調整しながら話をしないと、コミュニケーションという点では、かなりヘンなことになる。

まして醤油をかけて食べたほうがおいしい目玉焼きと塩だけをかける目玉焼きでは、フライドエッグと言い換えても照応になるわけはない。
日本語では英語のFried eggは、ついに表現できないと判らないと日本の人が英語を理解する日はこないのではなかろうか?

文化の相互理解が文化の相互誤解になっているだけですめば、笑い話ですむが日本とアメリカが開戦に至った経緯や例のアメリカ大使館が安倍首相の靖国参拝に驚愕して発した重大な警告の「disappointed」ステートメント

disappointment

に端を発した自称他称の「英語がわかる知識人」を中心としたドタバタ喜劇を見ればわかるとおり、社会として英語を理解する能力が根本から欠けていることは、国の安全保障というようなレベルでも社会にとって危険なものになっている。

ただでさえ英語能力の纏足(てんそく)とでも言いたくなるような英文和訳と和文英訳の強制訓練を受けさせられて、自称「英語がわかる」受験戦士のなれのはてに社会の鼻面をひきまわされているところに、今度は「英語ではハウアーユー?なんて誰もいいません」と、多分、「ここでイッパツ頭の悪い日本人たちから大金を稼いじゃろう」ということなのでしょう、語学強盗みたいなアメリカ人が現れたりして、
「母語人がいうことだから」のお墨付きで、あっというまに広まって、気の毒にも慌てて「あれは、とんでもないウソだ」と警告しはじめた英語圏に住む日本人たちの指摘のほうを「おまえが英語ができない出羽守の証拠だ。おれは3年アメリカに住んだが一度もHow are you?なんて聞いたことがないぞ」と冷笑する始末で、ほんとうに3年間いちどもまともな挨拶を聞いたことがないとすると、どんな生活をして、どんな人間と付き合っていたか考えて心配になるが、多分、例えばニュージーランドなら、レジの若いひとびとが、どんなに忙しいときでも客に述べる「How are you?」(←興味深いことに、観光客や留学生が集中する地区のカウントダウンでは店員の側からは挨拶を述べなくて、こちらが挨拶すると、胸をなでおろしたように返事をする、という体験をしたことがある。多分、挨拶を述べても無視されるのが辛いので挨拶をやめてしまったのだと推測される)

むかしは、説明するのがめんどくさいので「すべての翻訳は誤訳だ」と簡単に述べていたが、すると怒濤のように、というべき勢いで、「はてブ」のようなところで
「ニセガイジンのくせにエラソーに、日本の翻訳者の努力をしらないのか」という、チョートンチンカンなコメントがつきまくって、アホらしくなったので言わないで放っておくことにしてあった。
どんなに精確に訳したところで、すべての翻訳は誤訳で、だからこそプロの翻訳者は不可能作業を承知のうえで挑んで苦労している。

日本人の英語能力が根本からダメなのは、メリケンがいつのまにかアメリカンにカタカナ表記が変わったり、あるいは香港人の英語がだんだんひどくなっていることに理由は現れていて、つまりは、学問化してしまったからです。
結果は悲惨で、頭のなかで忙しく英文和訳と和文英訳を繰り返す受験職人の末路にたつ人々と、5年間アメリカ人の夫と結婚生活を送っていて、アクセントだけはまともだがマクドナルドでハンバーガーを注文する程度のことしか英語は出来ない「歩く指さし英会話」のような不思議な人々の二極に分離してしまって、目もあてられないようになっている。

フィンランド語は、おおきく分ければ日本語や韓国語とおなじ膠着語という分類になる、英語とはおおきく異なる言葉で、むかしは英語圏に行くと言葉でひどく苦労して、たしか「リンガフォン」(←昔は日本でも流行っていたらしい)の売り上げも苦労を反映して欧州一だとかなんとかだったはずだが、30代くらいのフィンランド人は、どうかすると英語圏の出身だろうか、と思うくらい英語をふつうに話す人が多い。
具体的には若い建築家、数学研究者、画家という人々のフィンランド人に聞くと、「いやフィンランドでは学校教育をちゃんと大学まで受けるだけで、みんなこのくらい話せる」と口を揃えて、ぶっくらこいてしまうが、それが愛国心の発露でない真実ならば、簡単に、フィンランドの学校教育で行われていることと同じことを日本でもやってみればいいことになる。

英語人からみると、「英語が判らない人」が英語を教えているのが最も不思議で、アクセントや発音についてだけ教える助手が英語人なら、そっちのほうが授業の運営上よいと思う、というカナダ人に会ったことはあるが、授業の運営以前のところで、より深刻で本質的な問題があるように見えます。

世界の変化のペースが遅かった80年代くらいまでなら日本式の「翻訳文化」で辻褄を合わせられなくもなかったのかもしれないが、21世紀にはいると、日本はあきらかに情報社会のなかで孤立して、どんどん置き去りにされて、孤立が深くなるにつれて、「日本は世界の憧れになっている」という、ラーメンファンの増加が日本崇拝者の増加に、そのまま置き換えられているような奇妙な現象が広がっている。

鏡よ、鏡

いま日本社会に瘴気となって満ちている狂気から抜け出すためには、どうしても踏み出さねばならない第一歩だと思います。


幽霊たち

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昨日の夜、冷蔵庫が爆発する、という不思議なことがあった。
家のひとびとが片付けたあと、モニさんとふたりで二人事故調査委員会を組織して調べてみると、どうやら冷蔵庫のなかを仕切っているガラス棚が大崩壊したらしい。
ドアが開いて、床一面にガラスが飛び散る大爆発で、冷蔵庫のガラス棚というものはクルマとおなじに「安全ガラス」で出来ているのだということを初めて知った。

頻繁に物がなくなったり、家具がいつの間にか動いていることがある。
ゴーストハンティングの本を読むと、幽霊屋敷の条件をすべて満たしている。
だから、もしかすると幽霊さんと一緒に住んでいるのかも知れないが、特にこちらの生活に支障をきたす悪戯をしようという意志もないようなので、いたければいてもらって構わない、ということになっている。

モニさんの実家も、わし家も古い建築なので、当然のように幽霊が出る。
廊下ですれちがう、というような経験はないが、1ヶ月逗留するはずだった客人が一日でそそくさと発ってしまったことはある。
この人は、昼間に、ホールのドアの陰に立っていた背の高い「半分透明な」貴婦人を視たそうで、真っ青な顔で、そそくさといなくなって、子供心に「幽霊がそんなにはっきり見えるなんて羨ましい」と考えたのをおぼえている。

日本では幽霊が出るという噂が立つと不動産の価値が著しく下がるというが、連合王国では、そうでもない。
嫌がる人は嫌がるが、好きな人もいて、「幽霊がでるなら是非その家に住みたい」というヘンな人もいます。
ニュージーランドでは、聞いてみたことはないが、やはり嫌がるのではないかとおもう。

「幽霊の存在を信じますか?」と聞かれれば、「信じません」という以外には応えようがない。
肉体組織として脳髄をもたないのに、意識があって、口まで利かれては、たまったものではない。
声帯がないのに声をだして、あまつさえ、こちらに向かって歩いてきて「ここは私の家だ、出て行け」などと言われた日には、いったいわしが勉強してきた科学法則はどうなるんだ、と述べたくなる。
幽霊の存在を肯定することは、そのまま真っ直ぐにアイザック・ニュートンがつくった近代科学という世界を説明するための装置を否定することになるからです。

わし物理先生という人がいて、木曜日になると家にやってきて、物理を教えてくれる役だったが、この人は大学の先生でもあって、科学人として強烈な自負を持っている人だった。
ところが幽霊を視てしまった。
どんな感じでした?と聞くと、「すごく困った」という。
幽霊のようなものは、通常、視界の隅に現れると相場は決まっているが、先生が視た幽霊は机の正面に現れたそうで、そこにじっと立って先生を見下ろしている。
「あれはヴィクトリア朝の服だな」と述べていたので、明瞭に、高精細な姿であったもののようでした。

これが幻覚でないとすると、私は困ったことになるな、と考えていたら、机の前に立っていた女の人が、すっと歩いてきて、先生の手の甲を包むようにして触った。
「暖かかったんだよ、それが」という。
タイムトラベルの人なんじゃないですか?と意見を述べると、
ヴィクトリア朝にタイムマシンはないとおもうがなあー、と弟子とおなじくらいのんびりした意見を述べている。

困った困った、と呟いている、その顔が可笑しかったので昨日のことのように思い出せます。

貞子さんがクロゼットの隙間から這い出してくるようになると、ことは緊急で、そう悠然と構えているわけにはいかないが、そうでなければ幽霊の問題は「どうなっているのか、よく判らないが、いまは考えなくていい」問題の典型です。
死後の世界とおなじく、死んだことがないからわからない、としか言いようがない。

The Grey Ladyは、ニュージーランドならデニーデンのオタゴ大学に現れる有名な亡霊で、スコットランドならば、Grey Lady という、Glamis Castleで祈りを捧げる女の人の幽霊のことになる。
おなじGrey Ladyは、イングランドのRufford Old Hallにも有名な幽霊がいる。
だが、わしが子供の頃に聞いた「The Grey Lady」は、また別の人で、この人は例えばボンドストリートにあらわれる、美しい女の人で、よく見ると身体が透けているので、生きた人ではないと判る。
店の階段を上がって、誰かがドアを開けると、お礼を述べる様子で、なかに入っていく。
自分がもう死んでしまった人間であることに気付いてしまうと、気の毒なので、みな生きているレディとして扱います。
ぶつかると、素通りして、いよいよ自分が肉体のない魂だと判ってしまうので、道を空ける。
それが死んだ人に対する礼儀というものですよ、と小さい頃からわし躾の担当だった人に言われて、妙に納得したものだった。

冷蔵庫の爆発は幽霊の悪戯ではないか、と家のひとびとは言い合っていたが、モニとわしの観察によれば、おおきなガラスのボールに入ったシチューを、無理に冷蔵庫に突っ込んだ結果、どういう物理法則の働きにやありけん、大音響とともにガラス棚が一挙に大崩壊して、床一面に散乱する騒ぎになったもののようでした。

わし家のルールでは、モニとわし以外は自分の失敗を報告したり説明したりしなくてもよいことになっている。
だから誰が荒っぽいことをしたのか判らないし、どうでもよいが、日常、想像出来ない事件が起きると超自然ということを思い出すのだなあーとあらためて考えた。

ボンドストリートのGrey Ladyは、店が代替わりして、ブランド店ばかりになってから、通りの町並の品の悪さに辟易したのでしょう、もう噂を聞かなくなってしまった。
あの人にとっては、ずらりと並んだロールスロイスの屋根に肘をついて、制服を着た運転手たちが退屈そうにタバコをふかしているロンドンだけがロンドンで、いまの「昔はロンドンだった都会」は、訪問するだけの価値がなくなってしまったのに違いない。

ときどき、人が幽霊話を好むのは、人間が楽に人間たりえた、むかしを懐かしんでいるからではないかと考える。
わしが生まれた国には、古い家を買って床が傾いていたり、長い奥行きのあるホールを示して、「ほら、よくみると少し歪んでいるでしょう?」と述べて悦にいっているヘンな人がたくさんいるが、要するにそういうことで、過去の亡霊は、そういう人々の心に住み着いている。

鏡の前に立ってヒゲを剃る若い家の当主の傍らで、視界の隅の、後ろのほうから顔をのぞかせて微笑んでいる若い女の人は、もしかしたら彼自身の曾祖母なのかもしれなくて、自分が最も美しかったときの姿で、この非人間的な世界にあらわれて、自分の子孫を気遣って、見守っているのかもしれません。

そうやって考えると、幽霊といっても怖いものですらなくて、幻影にしろ、現実にしろ、ここにいてもらっていいですよ、いつか一緒に庭の椅子に腰掛けて、お茶を飲めればいいのに、というのんびりした気持になるのです。


パーティ経済

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21世紀の世界では中国世界との文明的なインターフェースを持たない国は衰退する。

よく知られているように西側諸国では、この「インターフェース」は中国系人たちが勤めている。

急成長を続けて現在26年目を迎える「バブルマーケット」の基礎を築いたオーストラリアの首相ジョン・ハワードは「オーストラリアに100万人を越える中国のスパイがいる」と演説して物議をかもしたことがあったが、あのとき「100万人とはオーバーな」と冷笑したひとびとは、みな外交音痴の国のひとびとで、オーストラリア人知識層はみな、なぜいまさらそんなことを言挙げするのだという人はいても、数字自体は妥当だろうと考えている人が多かった。

中国の「スパイ」は通常「パートタイム・スパイ」だからで、高度に専門的なスパイを採用したがる連合王国の対極にあって、たとえば海軍の高級将校の愛人になっている中国系人に「オカネを渡すから、このシステムについて聞いてこい。嫌なら嫌でいいが、故郷に家族を残してきていることを忘れるな」というようなやりかたをする。

では20世紀には有効だった、そういう方法がいまでも有効かというと、そんなことはなくて、中国式の「パートタイムスパイ」に対応することに慣れた西側諸国は、逆に中国人たちの専門家を前線にださない鵜飼い方式とでも呼びたくなるスパイ網への対応は、具体的には書かないが、遙かにすすんで、中国側を苛立たせている。

このアンチスパイの方法が極めて巧妙に出来ているのは、考案しているひとびとのなかに中国系人が何人もいるからで、欧州系人だけでは、到底歯が立たなかっただろう、と考える、たくさんの理由がある。

投資にしろビジネス活動にしろ、オーストラリアやニュージーランドでは、中国系人たちとやりとりなしで活動するということはありえない。

欧州系やアメリカ系の資本もたくさんはいっていて、たとえば卑近な例を述べると、ニュージーランドの至る所に趣味の悪い巨大なビルボードを掲げている寿司の最大チェーン「St.Pierre’s」はアメリカ資本の会社です。

クライストチャーチ復興事業の主要コントラクタのひとつにイタリアの会社が入っているせいで、おおぜいのイタリア人たちが移住してきていて、 ヴィンヤードの持ち主には本国での規制の多さに嫌気がさしたフランス人たちが、かなりはいってきている。

あるいは日本で言えば、ちょうど、青山・原宿にあたる繁華街のポンソンビーの街角に立っていると、中国語の投資集団の「自己紹介広告」のビルボードがあり、ノースショアに行けば不動産開発業者の、やはり中国語のサインが立っている。

中国系人やシンガポール人、韓国系人という人々は、オーストラリアやニュージーンラドでは英語を第一母語とする第二世代以降の世代を中心に、生活の隅々まで入り込んでいて、嫌韓、嫌中というようなことを述べる年寄りは、だいたい苦笑で迎えられることになっている。

 

 

中国系人の役割は中国市場からアメリカドルを引っ張ってくることだけではなくて、西側社会とおおきくかけ離れた巨大な独自文明である中国文明の振る舞いを理解する手助けをすることにもある。

20世紀には、まだごく少数の「中国専門家」が中国語を話し、たとえば杯をのみほして底をみせあい、箸をお互いになめあうような中国地方固有の習慣を身につけて、おおきく中国側に身を添わせて、ふたつの国をブリッジするやりかたが多かった。

あるいは、中小企業は、シンガポールか香港の西側と中国側の双方のロジックを解する社会を経由して契約の安全を期した。

いま面倒な中間をとばして、どんどん交渉が深まっているが、なぜそれが出来るようになったかというと、要するに双方に中国系人がインターフェースとして存在しているからです。

言語も、ほぼ英語で、ずっと気楽に中国側と付き合えるようになった。

 

オーストラリア人は、よくいまの世界経済の状況をパーティに譬える。

アメリカ人と中国人がおおぜいいるパーティに、オーストラリア人が混ざっていて、中国の人が「なぜアメリカ人は、ああ、判り切ったことをくどくど説明するのか?」と不審に思って訊いたり、アメリカの人々に「なぜ中国は、われわれの神経を逆なでするようことを平気でいうのか?」と訊かれるのに応えている。

 

世界を混沌から少し離れたところにつくったマルチカルチュラル社会から眺めてきたので、自分達のほうが、おなじく多民族国家であってもモザイクで、民族同士が溶けあわずに存在してきたアメリカよりも、ずっと中国系社会を理解している、という自信があるのでしょう。

さっき「バブル26年目」と書いたが、オーストラリアでも兄弟国化しつつあるニュージーランドでも絶えず、いまの生活レベルの急成長を伴う好況がバブルなのか、たとえばドイツや日本の戦後の一貫した急成長のような「成長」なのか、議論される。

不動産価格が高騰しすぎて高収入な若いカップルほどホームローンの支払いに収入が消えてしまういまの市場では、やがて消費にまわるオカネが減って経済が傾くのは見えている、というのが最も一般的な意見だが、いくら待っていてもバブルが崩壊しないで、不動産価格が天井であるはずの価格を突き破って、この5年間は特に、猛烈な勢いであがってゆくので、これは世界経済の冨の循環そのものが変化してしまったのではないか、と考える人も増えてきた。

鍵は、中国市場に眠るアメリカドルで、まともな統計がないので、いったいどういう様相なのか判らないことが、みなを苛立たせている。

オーストラリアでもニュージーランドでも。明瞭になって、ほぼ国民的な合意になっているのは、自分達が偏見を捨てて、マルチカルチュラルソサエティを作り上げていけば、それがそのまま経済的な繁栄につながる、という事実で、ちょうど共産主義恐怖症によって戦後の日本に、過剰というのもバカバカしいほどのアメリカドルを投入して日本経済の繁栄をつくってしまったアメリカと日本の関係のように、現状は、中国から「無際限に」と形容したくなるほど流れ込んでくるアメリカドルが、両国の繁栄を支えている。

ニュージーランドで言えば、日本から資本を流入させようとして失敗したあと、イギリス人が「ポンドの洪水」と言われたほどの資金投下を行い、イギリス経済がクレジットクランチで深刻な不振に陥ると、今度は中国人たちがアメリカドルを持ってあらわれる、というふうで、いまは社会全体が豊かになったので、いよいよ欧州人、アメリカ人、中国人、そしてもともと主役のオーストラリア人が入り乱れて資本を投入している。

おおきな集団から個人に目を移して、個々の顔を思い浮かべながら書くと、ピケティくらいから目立つようになった「中央政府に権限を与えての社会の冨の再分配の是正」の風潮に嫌気がさしてやってきたロンドン人、どうやらやや後ろ暗いオカネであるらしい大金とともにやってきて不動産や高級車を買い散らして、いざというときの逃げ場をつくろうとしているらしい上海人夫婦、北欧の高税率を嫌ってオーストラリアのアデレードに移住して、海と自然にひかれてニュージーランドで死ぬまでをすむことに決めた北欧人の富豪、全体主義社会の自由のなさにうんざりしてシンガポールを出奔した中国系のオオガネモチ、両親が築いた大財産をニュージーランドで運営しているやはり中国系のマレーシア人、それぞれがさまざまな理由でオーストラリアやニュージーランドへやってきて、離れた場所にきて、逆に、「ああ、世界の構造はこうなっているのか」と得心している。

いまは日本と中国を除けばマルチパスポートの時代で、ひとりでいくつも国籍を持っているのは普通のことなので、「移住」といっても、半分だけニュージーランドにいたり、何年かを過ごして、また自分の出生国に帰って数年を過ごしたり、別にオカネモチでなくても、そのときどきで居心地がいい国に住んで、そういうことが判って社会に浸透してくるにつれて、選択する職業も、なるべく社会の固有性に依存しない職業が人気になって、シェフやヘアドレッサー、タトゥイストというような職業はとても人気があって、ながい教育を必要とする職業ならば、国際会計やマーケティング、ITエンジニアリングのようなもののほうが、意外なくらい国際性のない医師のような職業よりも人気がでてきている。

こうした社会で最も物質的な成功に近いのは「英語を母語並に話す異文化理解者」で、残念なことに日本はそれ以前の国際性を欠いているというよりも経済的にはいまだに日本帝国陸軍のような存在で、孤立社会なので英語と日本語ができても利益はなにもないが、英語と中国語を母語にしているような若い人達は、たとえば、若い中国系友人のJR(←鉄道マンではありません)は、写真家で、契約にしたがって、ふらふらと欧州を仕事してまわってはノルウェー人のガールフレンドが出来たり、シリアに行くのだと述べて、途中のトルコで、なんだか美人なガールフレンドが出来てしまって、一緒にバルセロナで住んでしまったりしていて、ときどきスカイプがかかってきて「ねえねえ、東京に遊びにいくんだけど、ラーメン屋、おいしいところ知ってる?」などと言っているが、英語、中国語、フランス語、ドイツ語が母語並に出来るのが幸いして、あちこちの報道機関から契約をとってくる。

経済社会ではいうまでもなく、文明のおおきな違いから、本質的に「対立するふたりの巨人」であるアメリカと中国のまんなかに立って、解説者であり、友情メーカーで、調停者であるオーストラリア人やニュージーランド人がパーティを続けていくことで得ている利益はたいへんなもので、嫌な言い方をすると、ちょうど日本が冷戦構造によっておおきな利益を上げ続けたのとおなじように、アメリカ合衆国と中国の対立によって巨富を得ようとしているのだと言えないこともありません。

ときどき、というよりも頻繁に週末に遊びに出かけるウェリントンには「チャー」という「日本植民地時代の台湾料理」を売り物にする、なんだか滅茶苦茶においしい台湾料理屋があるが、深夜のテーブルに腰掛けて、モニとふたりで、日本でいう「豚の角煮」をつつきながら見回して、お国訛りに耳をすませてみると、ポリネシア人、中国人、イギリス人、ジャマイカ人、アメリカ人とおもしろいくらい異なる顔が並んでいて、若いときには半信半疑だった「多文化社会」が案に相違して、あっさりとうまくいってしまい、もともと貧富の差が激しいばかりでドビンボなオーストラリアや、もっと貧富の差が激しくて、もっと貧乏で、ドドドドドビンボだったニュージーランドが、あまつさえ、物質的な栄華を極めるようになったのは、不思議というか、神様でも思いつかない結末で、人間の世界は不思議なものだなあー、という退屈で平凡な感想が、また口をついて出てしまう。

パーティを主催する、ふたつの小国は、どこまで繁栄を続けていくだろうか?

ずっと続いていきそうな気もするし、泥酔するまで飲み続ける悪癖のある国民性で、茂みに顔を突っ込んで嘔き狂っているうちに昏倒してしまうのかもしれないし、先のことは判らないが、パーティはやっぱり楽しいぜ、いえーい、と、ケーハクな経済の楽しみにひたっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どうでもいい日乗

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韓国式フライドチキンというものをいちど食べてみたいと念願していた。

ドキュメンタリがあるくらいで、韓国では、会社をクビになる人の多さを背景に、人口あたりのフライドチキン店の数が世界でいちばん多いのだという。

ニュージーランドはもともと韓国系移民のプレゼンスがおおきい国で、韓国社会でのフライドチキン店ブームを反映して、オークランドにもいくつか「韓国式フライドチキン」の店が出来ている。

オークランドに住んでいる人のために述べると、例えば、ニューマーケットの駅前のバス停の前に一軒新しい店が出来ています。

チャンスが来た。

オペラを観にやってきたAotea Centreのフードモールに韓国式フライドチキン店があったからです。

おいしそーかなーとテーブルに座ってマンゴーラシを飲みながらチラ見する、わし。モニが、「ガメ、勇気をだして一個買ってくればいいではないか」と激励しておる。

ところが!

厨房でフライドチキンをトレイから一個落っことしたおばちゃんが床から拾いあげたフライドチキンをトレイに戻した!

がびーん。

がびーんがびーんがびーん。

おばちゃん、わし、注文できひんやん。

床からもどしちゃ、ダメじゃん。

内田百閒のエッセイに東京駅精養軒の「ボイ」が、注文したリンゴを床に落っことして、そのまま皿にもどして百鬼園先生のテーブルに持ってきたのを見て激怒するところがある。

日本文学のベスト50に入る名場面です。

先生は「せめて、いったん厨房にもどって皿にもどすくらいのレストランとしての誠意を見せろ」と文中、激怒している。

それがウエイタの職業的誠意というものではないのか。

なにくわぬ顔でトレイに戻したフライドチキンを陳列する韓国おばちゃんの顔をみながら、わしは、百閒先生のことを思い出していた。

なんという懐かしい感じがする人だろう。

最近ツイッタを介して少しずつ顔見知りになってきた「いまなかだいすけ」が、「辞表だして御堂筋を歩いたとき、嬉しさがこみあげてきた」と書いている。

https://twitter.com/cienowa_otto/status/726251061363625985

ツイッタでは、もっと控えめに反応したが、あれはunderstatementで、現実のわしは、このツイートを読んで涙が止まらなかった。

どんな社会にもいる「自分がボロボロになるまで踏み止まって頑張り続けるひと」の真情が伝わってきたからです。

どこでもドアを開けて、いまなかだいすけがいる大阪に行って、手をとって、

「がんばったね、がんばったね」と言いたかった。

もとより、わしは「頑張ってはいけない」と言い続けていて、社会をよくするためには絶対に頑張ったりするべきでないし、頑張ってしまっては例の「自分という親友」を裏切ることにしかならないが、それと「頑張ってしまう人」への抑えがたいシンパシーとは別である。

自分でも、うまく説明できないが、わしは「頑張ってしまう」人がいつも好きである。

なぜか?

それが説明できれば、こんなふうに日本語を書いていない気がする。理由がわからないが、理由がわからなくてもいいことにしてあることのひとつ。

自分の、最もやわらかいところにある、なにか。

 

 

日本の社会の個人への残酷さを許してはいけない、とおもう。

日本人は偏差値が高い大学を出た人間が当然のように「目下」の人間をみくだすような幼稚な社会習慣をこれ以上もちこしてはならない。

それは人間性に対する冒涜だからですよ。

わしのところにもツイッタを通して@buveryという飛びきりのマヌケおやじトロルがやってきたことがあるが、なぜ日本の社会が、あんなオトナになりそこなったくだらないトロルを許容しているのか理解できない。

きみとぼくは同じ地面の上に立っていて、対等に話ができて、お互いの失敗を紹介して笑いあったり、苦しかったことを述べあって一緒に泣くのでなければならない。

人間が社会をなしている意味があるとすれば、それは個人が生きやすくすることで、それ以外には意味があるはずがない。

個人を幸福にしない社会なんて社会じゃないんだよ。

20世紀の為政者は「社会の繁栄を優先しろ」と言いたがったが、それは20世紀的な迷妄にしか過ぎなかった。

そんなことは社会が繁栄を享受するためにも不必要なことだった。

 

日本の社会が20世紀を出て21世紀の社会に移動するのは、いつのことだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 


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静かなひと、もの言わぬ人が好きだという奇妙な性癖は、いまでも変わらない。
いくらみなでunderstatementが、subtleであることが、と言っていても英語社会は西洋社会なので、自己主張がうまくできない人間は避けがたくアホだとみなされる。

自分自身は自己主張が巧みなほうで演説をぶちこく大会でも好成績で討論でも相手を圧倒し、口が悪達者というか、相手の論理を先回りして待ち伏せしている人のように伏線を張り巡らせて論破する、というチェストーナメントみたいなことまでする。
しかし、奇妙なことに口べたな人が好きである。

目でわかる。
どうしても言いたいことがあって、喉元まで出かけて、なんとかして勇気をだして声にだして述べたいのに、あきらめて、下をむいて立ち去ってしまう人がいる。
議論の場に8人もいれば、たいていひとりは、そういう人がいる。
自分の興味は、常に、そういう人のほうにある。
理由は、自分の議論の明晰については過剰に自信があるからでしょう。
「聴き取りにくい声」には、いつだって明晰を上廻る切実が伴っている。

夕暮れ、広尾山の家をでて、根津美術館の方角へ急ぐ。
赤く染まった空の下を、白い息をはきながら歩いている。
別に急ぐ用事はないが、珍しくモニとは別行動でひとりなので、自然と急ぐ足取りになっている。
目指している場所さえ判然としなくて、小原ビルなのか骨董店なのか、裏通りのカフェのひとつに行こうというのか、まだ考えないまま、田宮虎彦の小説を思い出して、ああ、ここがスラム街があったところだな、と考えたり、根津という人は略奪者ではなくて、古美術品に相応の支払いを立てたというが、どういう人だったのだろう、と考えたりしながら大股で歩いてゆく。

ところがブルーノートに出たあたりで、ひとりの若い男が立っていることに気が付く。
その人は不思議な人で、信号の傍らにただ茫然と立っている。
信号が緑色になっても渡らない。
あるいは、周りの風景を見ていない強い印象を与えている。

よく見るとまわりの人も、その若い男の人にまったく注意を払っていないので、まるでその人が立っているところだけ切り取られた異次元の空間のように見えなくもない。
存在自体が「聴き取りにくい声のような人」で、目をこらさなければ見えてこない、という風情の人である。

そういうとき「死にたい」という、その人の声が自分の身体の奥からはっきりと聞こえてきて、混乱した気持になる、ということがあった。
自分の内心から聞こえる、他人の声。
悩んでいる様子もみえないし、まして、車道に飛び込もうとするわけでもないが、
その立っている姿から、明瞭な声になって心に語りかけてくる。

東京では、そういうことがよくあったような気がする。

いまごろになって、英語世界の生活にもどって6年も立ってから、日本の人は顔に表さないだけで苦しくてたまらなかったのだ、と気が付いた。
マヌケどころではない迂闊さだが、居直ると、文明が異なる、ということはそういうことなのでしょう。
あの無表情と、よく日本語では誤訳されて「神秘的な微笑」ということにされてしまうmysterious smileの仮面や、まるで自分のいっさいの精神活動を停止する能力があるような通勤電車の人々の仮面のような表情の向こう側には、鈍い、でも根底にまで届く「痛み」が存在して、その痛みが自我を閉じ込め、絶えず抑圧して、自分が「全体」の規格にあうように変形されることに耐えて、自由な魂を殺すことによって「全体」に受けいれられることへの苦痛そのものが日本の人の日常だったのではないだろうか。

日本人の特殊性ということに気持を奪われすぎていて、使う言語が異なり、習慣が異なり、教育が異なっても、おなじ人間なのだから「自分が解放された状態」もおなじで、その状態から遠く離れた状態におかれて、「全体」の部分としての存在である姿勢を強いられて、「痛み」だけが蓄積した心というものに思い至らなかった。
日本語世界に蔓延する冷笑も、あるいは、単純に「痛み」に耐えかねた精神がきしむ軋轢音なのかもしれません。
イギリス人の冷笑と日本人の冷笑が、前者が相手の存在をまったく無価値とみなす深刻な態度であるのに較べて、後者はどことなく「優越の演技」の幼稚な身振りのにおいがするのは、もともとが日本人の冷笑は自分の現実に向けられたものだからなのかもしれない。

もう日本の社会の記憶すら遠くかすかになってしまったので「だから、どうするべきだ」ということにまでは頭がいかない。
どうでもいい、と述べているわけではなくて、これだけ長い日本語との付き合いなのだから、どうでもいいわけはないが、考える手がかりがない、といえばいいか、日本が断片的にしか思い出せないので、全体像を伴って、いわば日本語の側に立って、日本を考えることが出来なくなってしまった。

そのかわり、「日本人の痛み」のほうは、感じられて、その痛みは、いまはもう社会ごと魂の底にこびりついたような鋭い痛みになって日本語全体を共鳴させて絶叫しているように見えます。

その痛みを通って、その痛みの向こう側に出なければ。

「わたしどもの息子が ご迷惑をおかけして」と夢のなかにあらわれて述べた老夫婦は、
いまでは遠い昔から日本語のなかに住む言語の精霊だと見当がつく。
あれは詫びを述べに来たのではなくて、いまの日本語の崩壊は一時のことで、また日本語は再生されてゆくから、もう少し待っていてはくれないか、と述べに来たのでしょう。
沈んでゆく畳や、障子にうつる山影や、縁側に後ろ姿をみせて腰掛けている漁師や、あのすべてのイメージは、たくさんの日本人の痛みのなかから姿をあらわせて、なんとかして子孫を明るみに引き出そうとした日本語自体の努力なのではないだろうか。

下を向いて立ち去ったはずのひとが、SNSのタイムラインに現れて、「わたしは死から甦った。ニューヨークで私は私自身になった」と語りかけてくる。
くぐもった声ですらなくて明瞭な声です。
ひとりの日本人に起きることは、日本語社会全体にもいずれは起こる。
それがどんなに不可能にみえても、歴史は、例えば清朝後期と中華民国の歴史は、
いったん兆した自由への光は、どんなに闇が濃くなっても消えない、ということを示している。

日本もまた、いまの昏睡から、やがて目覚めてゆく。
日本が日本自身に立ち返る日がくるのだとおもいます。


日本語のたのしみ

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なんだか、ものすごくくだらないパーティだったので、20分もいないで、主宰のひとに挨拶を述べて帰ってきた。
ロータリークラブみたい、というか、「オカネモチの上品な社交を目指している人々」が集まるパーティ特有の、上滑りな、表層だけの文化性のデモストレーションをしあっているような見苦しさで、話しかけてくる人々も退屈で、招待状をゴミ箱に放り込まなかったことを後悔した。

結局、パーティにいるはずだった時間がまるまるモニさんとのデートになって、よかったと言えなくもない。
パーティには夕食もでることになっていたので、食事の予定もなくて、どうしようか、とふたりで話しあって、むかし出かけたことがあるオーストリア風のインテリアのレストランに出かけることにした。

ガメ、日本にいた頃のことをおもいだすな、とモニさんが笑っている。
英語国の欧州風に装飾したインテリアのレストランで、なぜ日本のことを思い出すのか怪訝におもっていると、
東京にいたときは、ふたりで、こんなふうに、あてもなく町を歩いて、予約もなしにレストランに入ったものだった、と言うので、ああ、と得心する。
モニも、あの気軽さが好きだったのか。

「スーパーお手伝いさん」のYさんには来てもらっていたが、なにしろ200㎡だかなんだかしかない小さなアパートで、住んでもらうわけにはいかないので通いで、むかしから風来坊で、訳の判らないビンボアパートに住んで、ひとりでフライパンをふるって暮らしていたりしたわしとは異なって、小さいときから家のために働く人とともに暮らしたことしかないモニにとっては、広尾山と軽井沢を往復する、ふたりだけの生活が、新鮮で、知らない人が聞いたら笑うだろうが、「人間って、こんなふうにも暮らせるのか」というほどの経験であったらしい。

マンハッタンの、汚いヴィレッジのアパートメントの地下で、クオーターを4枚突っ込んで、洗濯機を蹴っ飛ばしていたりしたわしとは、どだい、生活への概念そのものが異なるもののよーである。

モニさんにとって東京が「懐かしい町」なのは、そういうことで、ブログ記事にも書いたが、深夜の国会議事堂前で、まるでスカートにじゃれつくような銀杏の葉と一緒にスピンするモニや、人形町の路地で、ピンセットで江戸時代を探すような目でカメラを構えるモニをおもいだす。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/

鮨がおいしかった!
というようなことのほかは、たとえば軽井沢の「山の家」を出て、佐久の奥へ出かけて、舗装道路のまんなかに敷物をひろげて、シャンパンを抜いて、サンドイッチを広げてピクニックをした。
日本は面白い国で、観ればすぐにわかる、というか、一面、紅葉に覆われていて、何週間もクルマが通ったことがない立派な舗装道路が建設されている。
じめじめした森のなかの地面よりも、アスファルトで整地された、そういう道路のほうがずっとピクニックに向いていて、モニとぼくは、よくそこでピクニックをして遊んだ。

もうひとつ良かったのは、日本が統計上の、あるいは統計にあらわれない真の犯罪発生率がどうであれ、気分として安全な社会で、たまには具体的に述べればモニさんは、cmでいえば182cmかそこいらの身長のはずだが、靴をはくと187cmくらいで、そうすると、雲海に頭が出た人のようなもので、たいていの日本人は頭髪しか見えない。
わしとは異なってモニさんは失礼なことはわしにしか言わないので、まさか口にだしては言わないが、付き合いが長いことの良い点で、言わなくてもモニさんが時々笑いをこらえて「日本の人は小さいなあー」とおもっているのが判る。

モニは細こい人なので、ほんとうはどうなのか判らないが、物理的に日本の男びとを「怖い」と思うことはなかったようで、ばらしてしまうと、日本のお巡りさんが自転車をこいで移動するところまで「かわいい」と言って写真に撮ったりしていた。

日本が安全な社会であることは、やはり日本の宝であるとおもう。
深夜に近い日比谷線で急に「ガイジン、帰れ!」と言われて、殴りかかられたことがある。
蹴ったりもしていたが、なんというか、子供が殴りかかっているようなもので、腕をつかんで、日本語で「やめなさい」と述べていると温和しくなった。

あるいは、これもブログ記事に書いたことがあるが、泥酔して、新橋の裏通りの道路の真ん中に正座して、全裸で、下着から背広まできちんと角まで畳んで積み重ねて「申し訳ございません。わたしは酔ってしまいました」と深々と頭を垂れて道行く人びとに詫びている若い会社員がいる。

そういうことを思い出しても、日本はワンダーランドで、楽しかったなあーと思う。
上海に来いよ! 日本よりも、ずっと面白いぞ!
と上海で英語教師をしているエマ(←仮称)が述べている。
上海はサイコーだぜ、ガメ。
おれはインターナショナルスクールからあてがわれた「高級」マンションに住んでいるが、昨日は轟音で目がさめた。
なんだったか想像がつくかね。
階段が3階から11階まで、なんの理由もなく崩壊した音だったんだよ!
3階から11階まで!

おまけに、このコンドミニアムには共有プールがあるんだけど、作った奴が排水溝をつけるのを忘れたので、いつも空っぽのままなのさ。
ガメ、遊びに来いよ、こんなに面白い町はない。
小籠包、うまいぞ、と書いてある。

こういうことは、いつも、うまく言えないが、世界はどんどん変わっていく。
東アジアで言えば、いまはもう日本の時代ではなくて、香港や上海の友達と話していると、フォーカスが、すこおおおしだけ移動して、中国の都市やシンガポール、ペナン、というようなところに移動しているのがわかる。

日本は、だから、すっかり田舎になってしまったのかも知れないが、それでも、東京は、ぼくにとっては特別な町なのだから仕方がない、と考える。
20世紀が21世紀に変わる前のロンドンと同じで、ぼくが知っている東京はもう存在しないのかも知れないが、それはそれでいいか、という気がする。

2000年に東京へ5年ぶりに出かけたとき、「丸ビル」がなくなっていたのでチョーぶっくらこいてしまった。
あのビルの裏側には「サラリーマン竹葉亭」があって、本店ならば3000円ださなければ食べられない鰻重を、ときどき縁が欠けている丼にいれて、1200円で出していて、コミューナルテーブルに並んで鰻丼をかきこんでいるサラリーマンたちの姿が好きで、よく、せがんで、連れていってもらったものだった。

サンフランシスコの、Market St.の、猫がいつも本の上に寝そべっている詩集専門の店も、いつのまにかなくなって、マンハッタンの、ヴィレッジのスペイン語しか通じないがチョーおいしい南米料理定食屋も閉店してしまった。

世界はますます退屈な場所になって、わしはどこに行けばいいのだろう、と思い迷っている。

でも、町には「記憶」があって、わしの頭のなかの東京は、いつも懐かしい場所として、そこにある。
外国人特派員協会は、組織が崩壊したようで、「あんなところには、もういけない」とUS人ジャーナリストの友達が述べている。
でも、サトウ製薬の気温計が見えるテーブルがある、あのバーを忘れられはしない。

夢のなかで、モニとぼくは帝国ホテルから築地まで歩いて、汗がかけないぼくは、茹で蛸みたいにすっかり赤くなって、こんなに暑い道を歩いてきたのに、いつもと変わらない涼しい顔で、「ガメは、子供みたいだ」と笑うモニを羨ましくおもっている。
あの先には「元祖」吉野屋があって、定食屋の「加藤」や「岡田」があるが、いまになってみると、なぜ自分がそんなことを知っているのか不思議な気がする。

ぼくの日本語友達は、半分以上が、インターネットを通じてできた友達で、じゅらや、すべりひゆ、ネナガラや、なす、加藤勲や、なによりjosicoはんや、二次元趣味は嫌だが、自分が正しいと思った事は後先も考えず述べる豪勇のodakinや、病院の椅子に座って、静かに亡霊たちの声に耳をすます妖怪目玉や、新しくできた友達の「いまなかだいすけ」や、考えてみると、「日本」は自分のなかでは日本に住んでいたときよりもおおきくなっていて、それが、どういうことなのかは理解できなくても、なんだか、日本語をやっていてよかったなあー、と考える。

いまなら、あのパーティの会場で、ポリネシアの女びとたちのように、巻髪をして、スーツを着て、なんだか仏頂面で立っていたのが、わしです。
あの会場には、たしかに日本人の女の人だと思われる人がいて、じっとわしを見ていたので、あるいは、このブログを読んでいる人なのかも知れなかった。
少なくとも、モニはそう考えたようでした。

はてなを根拠地にしているらしい、日本人集団おやじトロルたちの中傷は、6年(!)経ってもまだ続いていて鬱陶しいことこの上ないが、日本語や日本人との付き合いは、まだまだ続くとおもう。

「そうではなくて、ぼくには日本人の友達たちがいるんだよ」と折りにふれて述べて、人々をぶっくらこかせる一瞬を、まだまだ楽しみにしているのです。


ドナルド・トランプとヒラリー・クリントン

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ドナルド・トランプが共和党の候補確定になって笑ってしまった。
笑っている場合ではないが、やはりアメリカ人たちのいまの頭のなかを想像すると笑いがこみあげてくる。
事態に英語人の嫌な皮肉の琴線にふれるところがあるのだと思います。

トランプという人は、会ったことがある。
この人はニューヨークでは有名な「パーティ男」だからで、パリスヒルトンの男版というか、特に東欧人系のパーティに行くと必ずと云っていいくらい立っている。
立っているだけではなくて演説をぶちこくのが好きな人で、とんでもない意見ばかりだが、日本でいえばちょうど石原慎太郎で、デッタラメな主張に、ちゃんと喝采がわく人だった。

ここにアメリカ人たちが囁きあっている「恐怖のシナリオ」というものが存在して、ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンの一騎打ちの形勢になったところでクリントンがemailの一件、あるいはいまは手続きに合っていると見做されている、例えば中国政府筋からの献金が問題にされて失脚する。
「そうなるとトランプがアメリカの独裁者として君臨することになる」と、わし友たちはスカイプの向こう側でユーウツそうな顔をしている。

アメリカの民主主義には、常に不安定なところがあって、マッカーシー旋風
https://en.wikipedia.org/wiki/McCarthyism
を見れば判るが、ときどき観念や感情にひきずられて、社会がまるごと、とんでもないところまで行ってしまう。
共和制ローマ的で、激情から政治システム自体を破壊する傾向がある。

1930年代も危なかったが、アメリカにとっては幸運なことに、極東の小国で軍事力だけが肥大した、いまでいえば北朝鮮の大型版のような国だった日本が宣戦してくれたことで、健全な形で国がひとつにまとまった。
第二次世界大戦がThe Good Warと言われるようになった所以です。

エラリークインという人が書いた小説には
「そんなレーガンがカリフォルニア知事選に勝つみたいな現実味がないことが起きるわけがない」と誘拐犯の悪党が述べるところがあって、レーガンが知事選に立候補したときにカリフォルニア知事になりうるとマジメに考えた人はいなかった。
ロナルド・レーガンはカリフォルニア知事どころか、後年、アメリカの大統領になってしまうが、この人も、ドナルド・トランプと変わらない、デタラメな発言ばかりの人で、「冗談がうまいだけで大統領になった」と評された人でした。

この人がなぜ第40代大統領に選ばれたかについては、アメリカ人ならばたいていは見当がついていることがあって、第39代大統領のジミーカーターが知性的でありすぎたからでした。
アメリカ人は、よく、「アメリカはジミーカーターによって、『善い人』を大統領にしてはダメなのだ、と学んだ」という。
ジミーカーターは、すべてにおいて穏健であることを好んで、外交についても慎重を極めたが、それがアメリカ人たちの神経を踏みつけることになった。
カーターにしては大胆な「イーグルクロー作戦」でイラン人質救出に失敗すると、それまでの「弱腰外交」にフラストレーションをつのらせていたアメリカ人たちの不満が爆発します。

その結果、大統領にレーガンを選んでしまうが、あれほどただの受け狙い男に見えたロナルド・レーガンの下でアメリカは繁栄を回復する。
いまのアメリカ人たちが「どうも大統領というのは、少しくらいバカで乱暴な男のほうがいいようだ」と考えはじめた嚆矢になっていると思われる。

レーガンは、もちろん、インチキな失敗も多い人で「スターウォーズ計画」などは、いまから考えると噴飯物を通りこして、アメリカ人という人々はコンピュータソフトウエアへの理解を根本から欠いているのではないか、と疑わせるに十分な頭の悪さで、中南米に対する「レーガンドクトリン」などは、日頃の発言どおりの破落戸ぶりをみせて、レーガンの頭のなかにある幼稚な世界観をうかがわせるに十分だった。

ところがレーガンが「悪の帝国」と呼んだソビエトロシアが、「100の価値のものを加工して70の価値にする」と揶揄された社会全体の生産性の低さからくる経済停滞に加えて、軍人たちが強行したアフガニスタン出兵の出費と、なによりもゴルバチョフ自身が「国が経済的に崩壊するか、嘘で塗り固めて国民を犠牲にするかの選択、わたしには国民を救おうとする以外には選択がなかった」と後でインタビューで述べているチェルノブルの核発電所の爆発で、崩壊してしまった。
レーガンが歴代の大統領のなかでもベスト5に入る人気大統領として、いまでもアメリカ人たちに思い出されるのは、そのせいでしょう。

ある種類のリベラルの人が聞いたら激怒するだろうことを述べると、いま名前があがってるなかでバーニー・サンダースが大統領候補としては最悪の選択であると思うが、それを議論するためには、政治というものそのものについての長い議論が必要で、このブログ記事では書けはしないし、自分の日本語語彙が政治用に出来ていないので、英語であることを必要とする。
以前に述べたように英語でものを書くのはオカネをもらわないとやらないことにしているので、その点でも、ブログで何事かを述べることはないと思われる。

日本では、どういう理由からか、当然、最も心配しなければならないことについて言及がないが、日本の人が心配しなければならないのは実は、ドナルド・トランプが大統領になってもヒラリー・クリントンがなっても、日本にとっては良いことがひとつもないことで、このふたりは、安部晋三の浅薄さに辟易しながらも、戦後の同盟体制を維持するために、じっと耐えに耐えていたバラクオバマとは異なって、
「日本を甘やかす結果になって、そのせいで日本の全体主義化を許してしまった」戦後の体制を見直そうという点で一致している。
「日本は好きだが、防衛費は全額負担してもらう」とノーテンキに述べているトランプは判りやすいが、政治的に老獪なヒラリー・クリントンは、実際には(どう転ぶか判らないトランプに較べても)日本を目立たないように切り捨てる準備を行っている点で、日本の安全保障にとっては危険な存在であると思う。

「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/hillary-clinton/

日本にとっては危険だが、自分に立ち返って、特にNZパスポートの保持者として述べると、この提案はヒラリー・クリントンの外交能力の凄まじいほどの切れ味を示す提案であって、オーストラリア政府やニュージーランド政府が、にやにやしながら飛びついたのは当然であるように思えます。

バラクオバマが慣例を破ってジョンキーと一緒にゴルフのラウンドをまわったことは世界中のジャーナリストを不思議がらせて、ゆいいつ彼らがたどりついた推測は「TPPの話だったのだろう」だったが現実は異なっていて、彼らが話し込んでいたのは対中国を意識した「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」についてだった。

日本政府が靖国神社参拝に象徴されるように国家社会主義化を隠さなくなったことは、日本人たちは英語解釈の問題にすりかえて、とぼけてしまったが自由主義諸国にとっておおきな衝撃だった。

disappointment
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/01/02/disappointment/

しかも、そのあとに安倍政権を再選したことで「日本はもう自由主義国の仲間ではないのだ」ということは政治に実際に関わる人間のレベルでは常識になった。

そうなるとアメリカの国家としての選択は、中国の国力がアメリカを上廻る日に向けて、少しずつ「中国との直截の和解と共存」を念頭に、少しずつ「日本外し」を考えていくほかはないのは理の当然で、自由主義を標榜しない日本になど、何の価値もない。まして、アメリカが巨大な駐留軍を日本におくことにした根源的な理由である「日本の最軍事化防止」についての証言

A strong Japan has potentially some of the tendencies which the Prime Minister mentioned. A strong Japan has the economic and social infrastructure which permits it to create a strong military machine and use this for expansionist purposes if it so desires.
The American forces on Japan are in this respect totally insignificant.
They play no role compared to the potential power Japan represents.
In fact, they create a paradox because it is our belief, and this is one of the occasions where we may be right, our defense relationship with Japan keeps Japan from pursuing aggressive policies.
If Japan builds its own military machine, which it will do if it feels forsaken by us, and if it builds nuclear weapons, as it could easily do, then I feel fears which you have expressed could become real indeed.

In fact, Mr. Prime Minister, from the point of view of the sort of theory which I used to teach in universities, it would make good sense for us to withdraw from Japan, allow Japan to re-arm, and then let Japan and China balance each other off in the Pacific.
This is not our policy. A heavily rearmed Japan could easily repeat the policies of the 1930’s.

So I really believe, Mr. Prime Minister, that with respect to Japan,
Your interests and ours are very similar. Neither of us wants to see Japan heavily re-armed. The few bases we have there are purely defensive and enable them to postpone their own rearmament. But if they nevertheless rearm heavily, I doubt that we will maintain our bases there. So we are not using Japan against you; this would be much too dangerous for both of us.

を考えれば、ヒラリークリントンの念頭にあって、仮にドナルドトランプが大統領になったとすればレクチャーを受けることになる「日本との関係」は、「忍耐の人」であったバラクオバマの時代とは、比較を絶したものになる。

ふだんならば、なんでわしがアメリカの大統領選のことを考えないといかんねん、と思うところだが、日本語のメディアを眺めていると、あまりに暢気なので、
ほんとにそんなことでええんかいな、と考えて、余計なことを書いてしまった。

なんだか「外交的な津波」のようなものが日本には迫っているのだけど。



オダキンへの手紙1

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魚臭いにおいがする地下鉄の駅の階段をあがって交叉点にでると、そこは日本で、なぜぼくは日本にいるのだろう、と訝っている。
たしかに東京の街角に立っているのに、空気は、ディーゼル排気で汚染された、大陸欧州の街の空気で、いがらっぽくて、すれ違う東アジアの顔つきのひとびとを、でも、カタロニア人であると知っている。

日本語で日本のことを考えるのは、なんてへんてこなことだろう。
ぼくが日本語の世界に浸りこむように耽溺してきたのは、思い返してみると、やはり子供のときの「日本というパラダイスの記憶」だった。
ぼくはとても世界の東のはしっこで、地図から落っこちそうになりながら存在している、胸をそらせて、なんだか威張った形をしている島で出来た国が好きで、シンガポールを経由して南半球に行きたいと述べる両親にせがんで、成田の、不便な空港に降りて、数日を東京や鎌倉で過ごしたいと主張したものだった。

そうこうしているうちに、ぼくはバスク語よりも難しいという、その国の言語に通暁するようになった。
通暁、なんて言葉を使うと、笑われてしまいそうだけど、この6年間「こんなに巧い日本語を書ける外国人がいるはずがない」という、いかにもゼノフォビア文化のひとびとらしい理由でニセガイジンと集団でとりまかれて悪罵を浴びせられてきたのだから、居直って、自分で「日本語に通暁しているのだ」と述べても、神様も許してくれるのではなかろーか。

かーちゃんシスターの夫は日本のひとで、ぼくは、このおっさんが昔から好きだった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/05/02/girioji/
ニホンジンと聞くと、まず、この容貌の冴えないおっさんの顔がおもい浮かぶ。
年が二十余も離れているのに、東京で一緒にほっつき歩いた。
おっさんは、見栄なのか、それとも少しはマシな理由によるのか、日本語よりも英語で話すことを好んだが、ときどき、例えば物理的な動きというようなことになると英語の表現がおもいつかなくて、日本語で話すことがある。

ジャックスやテンプターズ、浅川マキ、三島由紀夫、てなもんや三度笠に、ヘイヘイポーラ、夢で会いましょう、シャボン玉ホリデーで、このおっさんが熱に浮かされたようにまくしたてる「日本」は、ぼくのパラダイスの記憶と合致していて、いいとしこいて、高校生の情熱で饒舌に日本を賛美するおっさんとぼくは、数寄屋橋の交叉点やすき焼きの「岡半」の座敷で、文字通り「話し狂った」ものだった。

あるいはこの「ヘンなおじさん」とスポーツウーマンで流線形なかーちゃんシスターとのあいだに生まれた子供は、マブダチで、子供のときから、葉山の氷屋で卒倒したり、鎧擦の山を見上げながら溺れかけたり、木崎湖の波が死んだひとびとの手招きに見えて、ふたりで宿に駆け戻ったり、そんなことばかりやっていた。

でもほんとうは、この父子とも、ほとんど英語での会話で、こうやって考えていても、自分の日本語がどこから来たのかは判らない。
「てにをは」を間違えない外国人がいるわけがないとか、あんなに関西弁が出来る外国人が存在するはずがないとよく言われるが、あの日本語教科書でばかり勉強すれば、日本人向けの英語教科書の裏返しで、中国の人でもなければ、自然な日本語が身につくわけはなくても、たとえば「てにをは」で言えば、あれは実は英語では冠詞の役割を念頭におけばいいのだ、とひとこと日本語の先生が言ってくれれば、間違わないですむようになっていく。
あるいは日本語を学ぶにつれて「標準語」は生活から剥離した奇妙な言語だと感じるようになって、日本語は方言じゃないとダメだと考えて京都弁を学習して、「けえへん」ではなくて「きいひん」のほうがいいな、とニコニコしながら考えたりして、隙さえあれば使うが、関西人の人から見ると、ほんとうは、とても奇妙な「つくりもの」の関西弁で、ちょっと聞いただけで、「嘘京都弁やん」と思う体のものだそーです。

そうこうしているうちに、フクシマのあとだったか、きみに会ったのだった。
日本風に描写すると、戸山高校をでて東京大学の「理一」に入ったのでしょう?
物理に狂って、はてには、物理研究者になった。
未成年性愛を連想させる二次元絵が好きで、そのことで、nastyな大喧嘩をしたことがあった。
オダキンの全人格を否定する勢いで、馬鹿野郎をしたが、でも、絶交したあとでも、きみのtumblrやtweetを、こっそり眺めるのが楽しみだった。

それはなぜだろう?と考えていて、この記事を書く気になったのだと思います。

ぼくは「アスペルガー人とゲーマーズ」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/10/09/asperger_gamers/
に書いたように、分類すればゲーマー族で、ルールが与えられれば、そのルール世界の定石を見いだして、ありとあらゆるゲームにあっさり勝ってしまえる。
英語世界の学校教育で言えば「飛び級制度はないが飛び級はできる」チョーへんな連合王国の制度や大陸欧州、アメリカ、ニュージーランドの制度を総攬して、ああ、こうすれば16歳で大学を卒業できるでねーの、と考えて実行するし、経済世界においても、オカネの交叉点の、この辺に立っていればウシシに儲かるのだな、と「手のひらにさすように」簡単にわかる。

でもゲーマー族は、ゲームに勝つ方法に長けているので、現代世界の一生に経済的に勝つということがたいしたことではないと知っているんだよ。
選択の問題で、ふだんあんまり言わないでいる(言うと、ぼくまでヘンな人だと思われてしまうからね)が内藤朝雄や自称においても「コミュ障」で天文研究者のもじん@mojinどんやオダキン@odakinのような「堀下がってゆく」知性と較べて、というか較べようはなくて、全然異なる一生を歩いているのだという自覚はあります。

「物理学者への手紙」というタイトルは、カッコワルイと感じるようになったので、今度は「オダキンへの手紙」と改題しただけで、ただの続きなんだけど、日本語世界で会った人のなかでは、josicoはんと並んで、オダキンのことをよく考える。

ぼくには、折に触れて、自分のいままでの一生の経過を点検する癖があって、あのときはこうすべきだったのではないか、とか、ああいう考えは失敗につながるものだった、と思って、ダメじゃないか!と考えたりして、モニに、「ガメはなんで過去のことを考える癖があるんだ?」と不思議がられるが、癖は癖なので仕方がない。
お好み焼きを食べながら突然暗い表情になったり、カヤック行の途中で、突然放心してこけたりしているのは、そういうときで、自分でもヘンな癖だと思わなくもない。

大叔父はオダキンと同類で、同じ物理学者で、学問に打ち込むだけの人生で、旅から旅、大学から大学へ渡り歩いて、このあいだ死の床にある大叔父の妻である人と話していたら、「ガメちゃんには話しておいていいと思うが、わたしたちは離婚したことがある」と述べていた。
英語世界では人間のつながりが大事で、一箇所に定住すればするほど生活の質が豊かになっていくが、研究者の妻ではそれが達成できなくて、酒に溺れたりで、アメリカ時代には、到頭耐えきれなくて離婚したもののよーでした。

大叔父は鈍感なひとで、いまでも自分が研究者として懸命に生きてきた結果、娘は自分を憎悪の対象としてしか見なくなって、妻は、苦しみに苦しみを重ねて生きてきたのを、ちゃんとは判っていなくて、「ガメ、真理に生きるということは、なんて素晴らしいことだろう」とノーテンキなことを述べている。

研究者として精進するオダキンの生活は、もしかしたら、自己の生活を破壊してしまうかもしれない。
でも、その右と左の中間ではない、右なのか左なのか、そのはしっこの延長の、遙か彼方に「安定」を見いだすオダキンの魂が、ぼくを日本語を媒介して呼び寄せたのだとおもう。

そういう機微を不思議に感じて、この記事を書いている。

(閑話休題)

オダキンと内藤朝雄は、深刻な知性を持っている。
もちろん哲人どんも高らかな知性の人だが、哲人どん@chikurin_8thの知性のありかたは、ぼくと似ていて(哲人どん、ごみんね)、批評的であるのに較べて、オダキンや内藤朝雄の知性は、揶揄されやすくても本質的であると感じる。
だから、これから書こうとしている、内藤朝雄やオダキンへの手紙は、ゲーマー族からの、異なるタイプの(より深刻な)知性への手紙なんです。

「広尾」の駅から、地表へでて、ナショナルスーパーへ寄って、ブルーベリージャムを買う夢を見ていた。
目がさめてみると、ぼくはNZという英語世界のド田舎にいて、傍らではモニが静かな寝息を立てていて、ホールを歩いていくと、小さなひとたちが、いいかげんな恰好で、てんでに眠っている。
この世界と日本語世界には、なんの関連もないが、オダキンやjosicoはんや最近生じたたくさんの友達がいて、日本語との縁は切れないなあーと思うが、告白すると、それは意外に幸福な感情でもあるのです。


ふたつのパスポート

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I (name) swear that I will be faithful and bear true allegiance to Her Majesty Queen Elizabeth the Second, Queen of New Zealand, Her heirs and successors according to the law, and that I will faithfully observe the laws of New Zealand and fulfil my duties as a New Zealand. So help me God.

と言う。
ニュージーランド市民になるときの誓いの言葉で、ニュージーランドのパスポートを持っている人は皆がこの誓いのもとに国への忠誠を契約したことになる。
モニがニュージーランドの市民権を取ったときは、グランドホールに300人くらいの人が列席していて、54ヶ国の国籍の人がいた。
サンタルチアのような小さな国からアメリカのような大国の出身の人まで、さまざまで、二階にある観覧席から見ていると、ニュージーランド人になることに決めた、さまざまな民族衣装の人々で、眺めているだけで飽きなかった。

国の名前を読み上げて、それぞれの国籍の人が立ち上がって手を振って挨拶する。
「インディア!」と司会の人が読み上げると、会場全体がどよめくほどたくさんの人たちが立ち上がって、最近、最大の移民集団になったインドのひとたちの数の多さをあらためて確認する。
「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」というチョー長たらしい名前の国がイギリスで、この国の名前が呼ばれたときも、やはり大勢が立ち上がって会場がどよめきます。

へえええー、と間の抜けた感想をもったのは中国の名前が呼ばれたときで、ふたりの人が立ち上がっただけだった。
移民の数と市民権を取る人の数は比例しないようで、特にニュージーランドの場合は、永住ビザを持っている人と市民権を持つ人とのあいだに、まったく権利の差がなくて、外国人にも選挙権がある国なので、例えば連合王国人にとっては「ニュージーランドが好きである」という理由以外に市民権を申請する理由がない。

最近の世界では、国籍をひとつしか持つことを許されないのは、多分、中国と日本くらいのものなので、悲壮な顔や感極まっている顔というものはなくて、気楽なもので、でもみなが誇らしい、楽しそうな様子です。

隣にパートナーが今日ニュージーランド人になるのだ、というコロンビア人の若い女の人が座っていて、ずっと話していたが、コロンビアのパスポートはボロいので自分たちにとってはニュージーランドのパスポートを手にすることにはおおきな意味があるのだ、と述べていた。
「ボロい」というのは、他国への行きやすさのことで、たとえば日本のパスポートは、たしか世界で5番目だかに「良い」パスポートであることになっていて、平和憲法のせいで、日本旅券の保持者は、たいていの国のビザを簡単にとることができて、観光目的ならば、3ヶ月までビザなしで滞在を許される国の数も多い。
シリア人などは大変で、長年の政府の愚かさのせいで、短期訪問ビザを取るだけでも、たいへんな手間です。

ひとりひとり名前を読み上げて市民権証明書を手渡す段になると、みなが一列に並んで、順に、壇上にあがってマオリ族の代表と、オークランド市の代表から祝福される。「ミスター」の代わりに「ドクター」の称号で呼ばれる人が意外なくらい多くて、ここでもちょっと驚きます。
この「ドクター」たちには共通した点があって、みながみな、マオリ族の代表の品のよい、威厳がある老人に、hongi、と言う、マオリ人たちの鼻と鼻をくっつける挨拶をしていて、知性というものはよいものだなー、という感想をもつ。

杖をついて、小柄なこのマオリ族の老人は、素晴らしいスピーチの才能の持ち主でもあって、ニュージーランド人がいかにこの国を愛してきたか、これでみなも家族なのだから、一緒にこの国を発展させていきましょう、とユーモアを交えて述べて、聴いていて、なんだかうっとりしてしまった。

マオリ語と英語で国歌が歌われて、散会になります。

ロシア語やフランス語、イタリア語やひどいロンドンの下町訛りの英語が響いているホールに立って見渡していると、移民の国はいいなあ、とおもう。
考えてみると、自分も移民なわけだけど。

わざわざブログ記事にしようとおもった理由は「日本の人がひとりもいなかった」ことに、びっくりしたからで、かつては移民の集団としては常時上位5位にはいっていて、いまでも移民がやってくる国としては、2005年までのようなことはなくても、かなり上位に位置している日本人が、市民権を申請する人がひとりもいないのは、どういうことだろう?と考えたからです。

さっき述べたように国籍をひとつしか持つことを許されない珍しい国なので、それが理由なのか、あるいは、2006年から移住を受けいれる段階で英語能力を厳しく問うようになったので、それが原因か、考えてみても判らなかったが、日本人のようにおおきな移民のグループの市民権申請者が「ひとりもいない」というのは異様なことで、現に、隣のコロンビア出身の女の人も「あら、日本人がひとりもいないわね」と驚いた顔をみせていた。

最近は日本語のインターネット世界を眺めているのが辛(つら)いというか、社会自体の常識も、行われていることも、多分、マスメディアという世界への「窓」にあたる部分が壊れているせいで、だんだんひとつの共通したルールと思想にまとまりつつある世界からずれすぎていて、20世紀的な国権主義への国家思想上の後退や、もう他の国家がとっくの昔に失敗した経済政策の実施、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/01/07/isgoddead/
ぶっくらこいてしまうゼノフォビア、到底現実とは思われないほどの女性差別、
スクリーンのなかに映される日本社会は、誰かが描いているSF世界のようで、自分にとっても、どんどん「遠い存在」になってゆくが、こんなところでも日本は非在だけが存在して、チュシャ猫のにやにや笑いを悲しみの表情に変えれば日本語社会を説明するのに適切なのではないか、と考えることがある。

2時間半の式典が終わって、階段の下でおちあったモニに、おめでとう、と述べるとモニはちょっとはにかんで、ありがとう、といって頬を薔薇色に染める。
これでふたりそろって無人パスポートコントロールが使えるね、と述べると、
ガメは、国籍のことになると、それ以外考えないみたいだ、と笑っている。

クルマのエンジンをかけながら考えてみたが、言われてみると、冗談ではなくて、その通りで、出入国管理の手間くらいのことしか、「国籍」のことなど考えたことはないようです。
へえ、と自分でもちょっと驚いてしまった。
一度などは、どのパスポートで出国したのか忘れてしまって、パスポートコントロールで慌てて、係官に大笑いされたことがあった。

でもね、モニ。
きっと国がそのくらいの重みしかない世界って、やっぱり良い世界なのではないだろうか。
きみとぼくと、ふたりの小さなひとびとは、これからどうなってゆくだろう。
面白そうだからシドニーに引っ越してみる?
ロンドンは大気汚染がひどくなったと、かーちゃんが述べていた。
欧州はどこも、だんだん住みづらくなっている。
でもたとえばジュネーブに住めば、小さなひとびとがいくつもの言葉を話すのに楽だろう。
自分達も、閉館したあとの美術館で、のんびり絵画を眺めるあの楽しみに、また戻ることができる。

なんだか迷ってしまうが、
おなじ銀色のシダのデザインのパスポートを係官の前で並べて出せるようになって、またモニとぼくは存在が近付いた。
「そのうち融合して、ひとりの人間になったりして」と高速道路を運転しながら述べたら、モニさん、
これ以上背が高くなると困るから、お断りします、だって。

なんて楽しい夜だろう。


断片1

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30歳を越えて自分が生きているのは不思議な気がする。
(もう33歳になってしまう!PMよ、BKよ、助けてくれ!)
「予定」は実行されないほうが普通だが、それにしても、30歳になる前に自然死によって死ぬことを予定していたのに未だに生きている自分の一生を訝る気持がある。

記録が残っている自分の先祖のなかで最も気に入った人は、娼婦の恋人に恋い焦がれて、あとを追って、ローマへ渡航して、そのままそこに住んでしまった人だった。
賭博と飲酒が家系をなしている、わし家のなかでも突出してダメだった、この人をわしは愛して、この人のように生きたいと念願してきたのに、モニさんという、中世の修道女のような人に、なんだか「べた惚れ」(←表現の感じが判らない日本語)してしまったことによって、この大転落の夢も潰えてしまった。

(耳元ではスウェーデンの歌手Lalehが繰り返し、「わたしはわたしでいたいだけだ」と述べている)

(I see you in the mirror
such a coward, why did you even smile?)

(I’ll just be myself)

ボロいジーンズのポケットに手を突っ込んで、セントヘリオスの海岸で、
憮然として波打ち際に突っ立っているぼくは、だから、なんだか無理をして空を見上げているのです。
空を見上げてばかりいるのは地上で起きていることを見たくないからなのではないか。

モニさんを大好きになったことは、わし人生の全体を変えてしまった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/07/monique/
わしは「結婚」などはケーベツしていたし、「貞操」なんてみると、ぶはははな人間なのに、モニさんは、わしとはまったく異なる信念に生きている人で、
わしを震撼させる。

モニさんは「たった一人の人間としかセックスはしない」という信念の人だが、では、毎週末、綺麗なねーちゃんを見つけてはチン〇ンを突っ込んで、全然知らない部屋のベッドで土曜日の朝に目をさましていたチョーだめなわしの人生はどう評価されるのか?

17歳のモニに、よく説教されていたわしの姿を思い出す。

なんだかチョー駄目な人なんだけど。
正しいことに意味なんてあるのだろうか?

日本語でしか自分の心象を書かないのは、それが「誰にも読めない言語」であるからなのは、前にも書いた。
英語人は「言語バカ」なので、わしの日本語を誰かが解読してしまう心配はなくて、好きなことを書いていられる。

普段の生活では、わしが日本語を理解することを知っている人はいない(あるいはチョー少ない)ので、安泰であると思います。

日本語ほど面白い言語はない。
マイナー言語なのに普遍性を獲得したのは明治以来の「近代化」の努力の賜物であるのに違いない。

透谷は素晴らしい。
漱石は退屈だが日本語をつくったことによって優れている。
西脇順三郎の表現の素晴らしさは、日本語ということを越えている。
岡田隆彦の言葉の瑞々しさは、いったいどこからくるのか。

元ダメダメな「わし」は、モニさんのBMWでコヒマラマの波打ち際に行くだろう。
(クルマで行けば5分だからね。)

波に足をひたして、空を見上げると、そこには(こんな都会なのに)空を横切る天の川があって、ニュージーランドて、昔からだけど、チョーへんな国だのおーと思う。

モニさんが、ガメ、と囁いて、振り向くといきなり唇を重ねる。
モニさんはいつも性的な振る舞いにおいて男のようである。

いつか、きみと会える

ぼくは、いつか、熱中した人のように、きみに手紙を書くだろう。
自分がどれほどこの世界が好きか、
どれほど世界は素晴らしいか、
きみが考えるほど、この世界は落ちぶれてはいない。
きみはもっと希望を持つべきであるとおもう。
来週、きみと会いたい。
そして世界について語り合う。

でも、ぼくはきっと、待ちあわせたカフェに行きはしないのだけど。

No longer I care


移動性高気圧3

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この5年間は広い意味での産休とモニさんがニュージーランドの市民権を獲得するための条件づくりとで、地球の表面をふらふら歩いてまわる、それまでの生活とはまったく異なる生活で、ときどきオーストラリアの町やウェリントン、クライストチャーチに出かけたり、強行なスケジュールでヨーロッパへ出かけて、用事が終わると怒濤のようにもどってくるとかで、本来の、どうせロンドンへ行くのに乗り換えるんだから東京に1ヶ月いて遊んでいこう、とか、シンガポールで行き帰り2週間ずつプールサイドで寝てくらそう、というような生活はやめていた。
小さな人々にとっては最も大切なのは家という暖かい絶対的に安定した巣のなかで親とべったりくっついている時間で、その「溺愛の記憶」が、小さな人々の「自己」の核になって、くだらない人間やプレデターがたくさんうろうろしている世界を横断する根源的な力になるのは判り切っているからです。

さすがに後半は飽きてきて、酒ばかり飲んで、オークランドのワインショップの繁栄の基礎をつくってしまったが、そのかわり、以前は習慣にすぎなくなりつつあった世界を一周してもどってくるタイプの旅行を、また楽しみにできるようになった。

何度も何度も同じところに行って、滞在もだんだん延びて、最後には住居を贖って短期間にしろ住んでしまう、というパターンなので、「まったく行ったことがない町」が意外とたくさん存在して、たとえばマレーシア系人たちがこぞって推薦する、名前を忘れてしまった小さな町に行ってみたいと考えるが、ついでに、こちらも行ったことがないペナンやクアラルンプールのような大きな町や、たいへん西洋化された行楽地のランカウイにも寄っていきたい。
あるいはロサンジェルスには仕事の用事で何度も出かけていても、隣のサンディエゴは観たこともない。

計画しているうちにモニとふたりで顔を見合わせて笑ってしまうほど、行きたいところがあちこちにあって、めんどくさがらなければ、今年の後半からは、また、旅から旅で、「移動性高気圧」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/05/24/drivinginitaly/
のモニさんとのバカップルな旅が始まりそうです。

もっとも旅行地図から姿を消してしまった町や国もあって、あれほどおおきな存在だった東京は、やはり怖いのでのんびり1ヶ月滞在する、というようなことは考えられなくなってしまった。
日本では福島事故はもう過去のことになっているようで、ちょうど沖縄戦とアメリカによる1972年までつづいた占領のあとに「沖縄の人の貴い犠牲は忘れません」で、あとは歴史の重い蓋を載せて封印してしまったのと性質は似て、「福島の人に寄り添って」絆を感じるだけでよいことになって、あまつさえ、放射性物質を日本中にばらまいて、みんなで食べればあぶなくない、異様な国になってしまった。
日本の人にとっては「全然、平気」な放射能も、そう言いたい、起きてはいけないことが起きてしまったことに他人にふれられたくはない人間の自然な気持はわからなくはないが、こちらは放射能が怖いので、むかしのように、有楽町のガード下の焼き鳥屋で、きゃっきゃっと機嫌がよい猿のように騒いだり、帝国ホテルの部屋でバスローブを着て、あるいは素裸で、シャンパン付きの朝食を自堕落に食べて、何日もデヘヘヘヘをしているわけにはいかなくなってしまった。

いままで生きてきて、最も残念なことのひとつが福島第一事故で、あれさえなければなあー、とたびたび思う。

東京は、昔から、というのは子供のときに初めて暮らすことになったときから、両親(ふたおや)のような町で、一緒に遊んで、さまざまなことを教わって、なによりも、どんな場合でも溺愛に近い愛情で、風変わりな子供を抱きとめてくれる町だった。
良い記憶しかなくて、毎日が興奮の連続で、楽しくてしかたがなかった。

2011年の3月に、自分の一生の一部として当然存在し続けると信じ込んでいた東京が生活地図から失われて、欧州との往復も、いまはずっと西にずれたドバイ経由ということになっている。

あるいはテロの標的の確率がおおきいところには、たとえば小さなひとびとを連れていくわけにはいかない。
世界は明らかに混乱期に入りかけていて、アメリカのように豊かな国でさえ、ドナルド・トランプのようなならず者を有力な大統領候補に押し上げてしまうマスレイジが満ちて、そういう社会的な鬱積は、やはり(特に旅行者が好んで訪れるようなおおきな都会では)細部にあらわれて、どう言えばいいか、町全体の空気がいがらっぽくなるものであるように感じられる。

もっとくだらない理由に目を移すと、かつては「隙さえあれば立ち寄って遊ぶ」町だったシンガポールは、統計上のGDP成長率を小さいほうに誤魔化す必要を感じるほど繁栄に繁栄を重ねて、その結果は、なんでもかんでもぶわっか高い町になって、おまけにタクシースタンドは延々長蛇の列で、こっちはUberがあるのでなんとかなるのかも知れないが、繁栄に飽きた人のなかにはぞんざいな態度になる人もあったりで、かつてほどの魅力がない町になってしまった。
ただの大都会、というか、どこに行ってもおなじ、譬えていえばショッピングモールのような都会で、そうであるならば、わざわざあの熱地獄に耐えにでかける意味はない。

マンハッタンも友達が次々に郊外や他の町に引っ越して、むかしよく出かけた町ではバルセロナは変わらないように見えるが、モニとふたりで話しあって、スペインならば今度はマドリッドにしばらくいてプラドに通おうということになっている。

イタリアは、なにしろ大好きな国なので、また出かけるに決まっているが、イタリアという国の重大な欠点は、クルマの運転が荒っぽいことで、多分、イタリア人は何らかの理由によってジキル博士とハイドのような二重人格で、ハンドルの後ろに座ると、歯が尖りだして、眉がゲジゲジになって、ギハハハと哄笑しながら対向車に突進したくなるものであるらしい。
だから今度はローマにずっと滞在して、裏通りに通暁しよう、ということになっている。

モニさんが「オーロラが観たい」と希望するので、ニュージーランドのサウスランドでもオーロラは見えるが、ついでだから冬の北欧へ行けばどうかと考える。
寒いうえにずっと夜なので敬遠する、というが、ベーオウルフを読めばすぐに了解されるとおり、日がな一日つづく深い闇のなかでの生活こそが北欧で、自分でも、どうしても一度経験したい生活なのではある。

オークランドにずっと腰掛けていて、インド人街に詳しくなって、サンドリンガムやフラットブッシュやパパトイトイで、なんだか理不尽なくらいおいしいタンドリ料理に舌鼓を打ったり、といってもほんとうにそんな下品なことをするわけではなくても、表現がおもしろいので舌鼓でいいが、チャイを菓子屋のテラスで堪能したり、あるいはベトナム料理屋で魚の丸揚げに目をまるくして、すげー、うめーを連発したり、夜のエリオットステーブルでチェビシェをつつきながらマルベックを飲む生活も、やってみるとチョー楽しいもので、オークランドという町の最大の取り柄であるハウラキガルフにボートを出して、モニさんがハミングしているのを聞きながら甲板に寝転がって日本語ツイッタにうつつをぬかすダメダメな毎日が好きでたまらない。

でもほんとうは、モニさんもわしも、正体は漂泊者で、漂泊者が深刻に聞こえすぎるならば、ノーマドで、世界を好奇心というラクダに乗って、砂漠を越え、草原を横切って、肩を並べて、どこまでも移動してゆくのが好きなのであるらしい。
ふたりでほっぺたをくっつけあうようにして、コンピュータのスクリーンのなかの地図を観ている。
ヴァージンやアメリカンエアーが来てからエアフェアが下がったね。
さっき電話してみたらマイアミでケーディクローガン見せてもらえるって言ってたぞ、ガメ、と話ながら、心はもう定着の生活からさまよいでて、海を渡って、コルクの森や、赤い岩の砂漠を歩いている。

旅へ


老いるということ

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「天人にも五衰がある」と、三島由紀夫が述べている。
増一阿含教第二十四や仏本行集経第五を引いて、大小の天人五衰について述べるが、

1 清らかだった衣服が垢にまみれはじめ

2 髪飾りが輝きを失ってくすみ

3 両の脇の下から汗が流れはじめ

4 嫌な体臭がにおうようになり

5 本座(本来いるべき場所)への安住を楽しまなくなる

と言う。
三島という人は若いときから「老いる」ということに対して異様な恐怖を抱いていた人で、だんだん読んで判ってくると、その恐怖は自分自身の老いた人間への抑え切れない嫌悪から来ているのが判って、その老人への激しい憎悪は、どちらかといえば生理的なものです。

ミトコンドリアのエネルギー生産の過程では活性酸素が不可避的に発生する。
簡単に最も基礎的な知識をおさらいすると、人間の活動エネルギーは
ATP(アデノシン三リン酸)からリン酸がひとつ分離されてADP(アデノシン二リン酸)になる過程で発生するが、「破壊者」活性酸素もこのときに生じて、ミトコンドリア自体も内部から攻撃されて老化する。
ミトコンドリアのDNAやタンパク質がこのとき傷つけられて、細胞の機能が低下し、そのことが老化のおおきな原因になっている、と考える研究者がいる。
コエンザイムQ10やα-リボ酸のようにミトコンドリア内のエネルギー生産を手伝うだけでなくて活性酸素を取り除く物質もあるが、そのことで寿命自体が伸びるということはないようにみえます。

極小的な仕組みから目を離して、生命維持活動を全体から見ても、寿命を延ばすことと老化を遅らせることには、あまり連関がないようで、そういうことについて書かれた本を読んでいると、ふと、「天人五衰」を思い出すことがある。

いずれにしろ、仕組みはちゃんと判っていないが、老化が避けることができないのは誰でもが知っている事実で、会話する老人同士が、なんだか秘密めかした共犯的な雰囲気を常に醸し出しているのは、「老い」という、秘められた病を共有しているからであるのに違いない。

老人の特徴は、

1 細かいことに拘泥してペダンティックである

2 事象に対して批評ばかり述べていて自分では何もしない

3 他者に対する、理由のない、内側から突き上げてくるような憎悪と苛立ちを持っている

4 自分と自分の一生に対する評価が甘い

5 自分より若い世代に対して、自分には経験がないことにさえ説教をしたがる

6 自分の「若さ」を誇る

というようなところだろうか、こういう特徴は老人たちを見ていると、殆ど逃れられないトラップに似ていて、ある日突然老いるわけではなくて、昨日よりは今日、今日よりは明日、と、ごくゆっくりと、しかし着実に連続的に老化することに、人間が必ず老化に絡め取られる秘密があるようです。
内心、「わたしは老いていない、肉体は衰えたかもしれないが、感性は若い」と考えることはすべての老人に共通しているが、そんな都合がよい現象が起きるわけはないのは明かで、草間彌生のように、老いにとってかわるデーモンがあれば「老い」などはたちまちのうちに取るに足りない矮小物に変わるが、そうでなければ、人間は、自分の老いを静かに見つめているほかはない。

「ものぐるひ」という。
何ものかに魂が取り憑かれた状態で、日本人は、この状態になることによって、死を怖れず、老いを意識から消し去ることができるのを古代から知っていた。
中年をすぎて、一心に芸術に狂って、自己をみても鏡に映らない状態を現出するのは、紫式部や清少納言にはもう観られて、やがて源俊頼にいたってはっきり方法として意識されるようになる。

アイザック・ニュートンやアルベルト・アインシュタインの一生も明瞭な「ものぐるひ」の生涯で、あるいはトーマス・マンは欧州版ものぐるひとでもいうべき思想を生涯隠匿していた。

そういう「ものぐるひの系列」に観念を少し高いところにポンと放り投げて、その観念の雲のうえにひょいと飛び乗ることが簡単に出来たバートランド・ラッセルのような人を加えてもかまわない。

そうやって考えると必ず老いて死ぬ運命にある人間のゆいいつの「老化」への適応方法は、知られている運動によってミトコンドリアを増加させることによって「若返る」方法よりも、一生の前半で、自分にうまく取り憑いてくれてコントロールしてくれる魔物をつくっておいて、それが絵でも、哲学でも、陶器でもかまわない、自分と手の主体がいれかわるほどの「ものぐるひ」で、自分が若いのか老いているのか、肉体はただの乗り物で、ブレークダウンして動かなくなるまでは、どっちでもいい状態にもっていくことが唯一の向き合いかたであると思われる。

人間の肉体を「乗り物」に変えるには魂がなければならないが、結局、一生の前半に「魂」を形成して、衒学的な態度や冷笑的な態度、糾弾魔的態度や批評的態度を捨てて、ものぐるひに至ることが、麻薬的に見えて、案外正当な「老いかた」なのかもしれません。


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