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Channel: ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5
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Haters

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予想どおり、というべきなのだろう。
エマ・ワトソンの素晴らしいスピーチ、自分が女優であることを忘れて、ひとりの、正当に扱われたい、「女」ではなく一個の人間として認められたいと願う若い人間に立ち返っての、だからこそ声が震え、女優らしくない張り詰めた緊張と戦いながら述べたgame changingなスピーチに対して、
「おまえのヌード写真を盗りだして晒しものにしてやる」と、日本の2ちゃんねるの模倣サイト4chanにたむろするひとびとが述べだしたのを嚆矢に、
「エマ・ワトソンの男への偏見はメル・ギブソンのユダヤ人への偏見と変わらない」
「あんなアイドル女優にしかすぎない女を国連が大使に選ぶなんて信じられない」
「なんにも新しいことは言ってなくて、もう何十年も言われてることを繰り返してるだけで、バカみたい」

という声が広がっていって、いまの3つの例はredditのAskMenだが、もうちょっと下品なほうにおりてゆくと、
「おれがイッパツやって黙らせてやる」
というようなのがいっぱい並んでいて、インターネットといえども現実世界の反映なのがよくわかる。

男に限らないところが面白くて、女のひとびとが集まるサイトを見ても、
「あんな程度のことは私たちがずっと言ってきたことじゃないの、かわいい顔の若い女が、うんざりするほど私たちが言い続けてきたことを芸もなく繰り返しただけで大騒ぎするなんて、それこそ世界がセクシストである証拠」
「あの程度の悪い認識しかジェンダー差別にもっていない人間を国連大使にするなんて国連はおやじ趣味かよ」
「ブラウン大学の卒業スピーチかなにかと間違ってるんじゃない?
あんな幼稚なスピーチを許すなんて国連も落ちたものね」
というようなのが並んでいて、自分が仲が良い年長の「フェミニスト」の友人たちの顔を思い出して、なんだか、にんまりしてしまう。

わしの「フェミニスト」の友達は、言うなればフェミニズム原理主義者で、「男のような邪悪な生き物は地上から抹殺すればいい。人工授精のような科学はそのためにある」というひとびとで、だいたい女同士のカップルで住んでいる人が多い。
「ガメ、おまえはいいやつだけど、余計なもんは切り取っちゃって、わたしと同じものを医者につけてもらって女になれ、ガメじゃでかすぎて不細工だけど、そっちのほうがまだ目障りにならんわ」と乱暴なことをいう。

シモーヌ・ド・ボーボワール、スーザンソンタグのようなひとびとから始まって、アニー・リーボヴィッツ、マーガレット・モス、ジョディ・フォスター、ロザンナ・アークエット…
無数の人間が立ち上がって声をあげては、男や女の暗闇から飛んでくる矢によって傷ついてきたが、
エマ・ワトソンはロケに出れば必ず群衆に取り巻かれる職業人なので現実問題としても怖いだろうと思う。
この人達には様々な脅迫や冷笑、おおっぴらな嘲りにあって、カウチに座り込んで両手で顔をおおう夜がある。
自分に向けられた憎悪の声が強いだけ世界にうんざりしてゆく。
人間性というものに信頼を失う。
そうでなくても「著名な友達」たちを見ていると、たいへんだなあ、と思うが、なかでも、むかしもいまも、「男性と女性は平等であるべきだ」と公然と述べることは、ひとりで全世界に宣戦を布告することなのである。
女の人間が「自分は女であるより人間だ」と述べることがなぜか自動的に世界への宣戦布告になって、往々にして、女のひとびとまで敵にまわすのでは、ぜんぜん理屈が立たないが、現実にいつもそうなのは玄妙なほどである。

Haters、とよく言う。
若い英語人のあいだで、このごろ、頻繁に「haters」という言葉が口端にのぼるようになったのは案外、Taylor Swiftのヒットソング、「Shake It Off」のせいだろう。

こういう歌詞です。

I stay up too late, got nothing in my brain

That’s what people say mmm, that’s what people say mm

I go on too many dates, but I can’t make ‘em stay

At least that’s what people say mmm, that’s what people say mmm
But I keep cruising, can’t stop, won’t stop moving

It’s like I got this music in my body and it’s gonna be alright
‘Cause the players gonna play, play, play, play, play

And the haters gonna hate, hate, hate, hate, hate

Baby, I’m just gonna shake, shake, shake, shake, shake

I shake it off, I shake it off

Heartbreakers gonna break, break, break, break, break

And the fakers gonna fake, fake, fake, fake, fake

Baby, I’m just gonna shake, shake, shake, shake, shake

I shake it off, I shake it off

誰でも知っているとおり、

「隣のふつうの女の子」で売り出したTaylor Swiftは、「いろんな男ととっかえひっかえデートにでかけるのに、どの男にもすぐうんざりされて捨てられる」
「歌えない」「踊れない」
まだ19歳なのにMTV のVideo Music賞の受賞式では、コニャックを飲み過ぎたKanye Westがステージに駆け上ってきて、「これはおまえがとっていい賞じゃないんだ、ほんとうはビヨンセがとるべきだったんだぜ」とマイクで叫んで受賞を台無しにされてしまうという運の悪さだった。

http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1213280/Kanye-West-ruins-Taylor-Swifts-big-MTV-acceptance-speech-storms-stage.html

音楽が好きな人間には、みな、Taylor Swiftなんて、けっ、と思う気持ちがあって、恥ずかしいことに、わしもそのひとりだったが、ある日、出かけた先でMTVを観ていて、えー、またTaylor Swiftやってるのかあー、と観ていたら、案に相違して、聞こえてくる歌詞に、なんだかちょっと涙ぐんでしまった。

表の歌詞は、「勝手に悪口言ってりゃいいわよ。わたしはどんどん前に行くんだから」だが、「ちょっとかわいいだけ」で、容貌もスタイルも歌も踊りも知性でさえも、「そこそこ」としか評価されない、ひとりの若い女びとが世間の瘴気にさらされながら、ひとりで途方もないおおきさの悪意や憎悪と向き合って、わたしはわたしなんだ、そのことを誰にもとやかく言わせない、と懸命に考えて、
しかもそれを自分の歌のマーケティングにしてしまっておおきな売り上げをあげてしまったのは素晴らしい。

あんたたちの悪意はあんたたちの問題にしかすぎないのがわからないの?
自分の問題にしかすぎない薄汚い感情をわたしにぶつけないでよ、という「声」が聞こえてきそうなビデオを観ながら、わしは 見はじめの「えー」な気持ちがどこかへ行ってしまって、「でかしたぞ、Taylorどん」(←いきなり友達あつかい)と考えていた。

Lady GaGaたち、自分がいつも比較されては冷笑の種にされてきた他のパフォーマーたちの明喩に満ちたビデオの最後で「ふつうのひとびと」が、めいめい勝手に、自分なりのダンスを踊り狂うところが出てくるが、人間の一生は一回しかない、
他人の悪意やぶつけてくる憎悪につきあっているヒマはない、どうしてあんたたちは他人のことなんかほっておいて自分の一生を生きないの?
というこの若い女のパフォーマーの声が聞こえてきそうである。

自分の心のなかのビートにしたがって、自分の一生に見合ったステップを踏んで生きていく以外にやるべきことはなくて、せめてもダンスのリズムを楽しみながら、自分に与えられた時間を生きていくしかないのだと、改めて、おしえてくれる。

日本は異様なほど攻撃性が強い社会で、自分がこうと思い込んだ落ち度を相手のなかに見いだすと、容赦なく攻撃する。
しかも「普通のひとたち」も誰かが相手の攻撃に成功しつつあると見て取ると、尻馬に乗って大集団で襲いかかる。

なにかしら自分から見て「優遇されている」と感じる存在への嫉妬も強烈で
視覚に障害がある人間の白杖を後ろから忍び歩いていって蹴り上げ、ストローラーを電車のなかに持ち込んだ若い母親を睨めつけ、信号を待って立っている全盲のひとの横で、わざと道路を横断するような足音を立てて、走ってくるクルマの前に飛び込ませようとする。
この話を記録した人は、全盲の人の後ろにいて、慌てて全盲のひとの腕をとってとどめたら、偽の足音を立てた男は舌打ちしたそうでした。
女性専用車へわざわざ乗り込んでいって、「こんなものはいらないのだ」と述べに行ったら、きっと以前に深刻なトラウマになる経験があったのでしょう、女のひとにおおきな声で悲鳴をあげられて、うろたえながら「男の側の正義」を弁じるというマンガ的なザイトックジジイもいた。

自分が理解できるいくつかの言語のなかでも、日本語世界に渦巻いている他者への憎悪と悪意は桁違いのもので、なんだかリアリティがないほどのものです。
日本以外の国に住んでいる日本の人は
「そこの日本人!聞いてるか? この国からでていけ。おまえらはおれたちの教育投資や社会保障や医療福祉を盗みにきただけだ。おまえたちは生まれついての嘘つきだろうが。
もし、でていかないなら、たたき殺してやるからそう思え」と叫びながら毎週末英語人たちが練り歩くのを想像すれば、その恐ろしさも非人間性も簡単にわかると思うが、
「韓国人でていけ」と 叫ぶひとびとが定期的に通りを行進するのを公然と許している社会では、悪意も憎悪もただの生活の一部で、その上に最近は首相が率先して憎悪を剥き出しにしているので、国ごと、まるごと「憎悪の王国」になってしまった感じがする。

だから日本で生活することは、意識するとしないとに関わらず社会全体に渦巻く憎悪と悪意の洪水に首まで浸かって暮らすことにほかならないが、伝染性のある「憎悪水」を飲んで自分まで憎悪人になってしまわないためには、退屈な結論でも、自分でいつづけるしかないよーです。
それがどんなに困難でも。

ほら、Taylorどん(←いつのまにか、すっかり仲間あつかい)も、
こんなふうに歌っておる。

And the haters gonna hate, hate, hate, hate, hate
Baby, I’m just gonna shake, shake, shake, shake, shake
I shake it off, I shake it off
Heartbreakers gonna break, break, break, break, break
And the fakers gonna fake, fake, fake, fake, fake
Baby, I’m just gonna shake, shake, shake, shake, shake
I shake it off, I shake it off

だから、

Shake it off!
It’s gonna be alright.

(おそれるの、やめようね)



Taking the wrong train

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ボリウッドの映画「The Lunchbox」を観に行った。
「English Vinglish」が面白かったというと、ほとんど判で捺したように、
「じゃ、The Lunchboxも観なければ」とインド人の友達たちが言うのと、たしか、日本の人でも(インドのマンガロールに住んでいるAxiangだったかも知れないが)「ほんならThe Lunchboxも面白いと思う」と述べていて、なんとなく、行かないわけにはいかないような、曖昧な気持ちになってきたので、曖昧を解決するためにモニとふたりで観に行った。

http://www.imdb.com/title/tt2350496/?ref_=fn_al_tt_1

「Rialto」は7つの小さな映画劇場からなるシネマコンプレックスで、家からはクルマで10分くらい、あんまり商業ベースでは成功しなさそうな、イタリア映画、フランス映画、ポーランド映画、インド映画、というようなものを上演する。
日本で言えば「岩波ホール」が7つあわさったようなものだろうか。
ニュージーランド人の体格にも少しおおきめな座り心地が良い椅子が並んでいて、肘掛けには小さなトレイがついている。
チェーン映画館のHOYTSのLa Premiereのようにレイジーボーイ式のカウチにゆったり腰掛けて、ウエイターが注文したシャンパンやピザをもってくる、というわけにはいかないが、バーで買ったボトルのワインとスナックをもって、週末、のんびりワインを飲みながら質の良い映画を観たりするには十分です。
実際、他の映画館のバーに較べると、ワイン屋で1本50ドルくらいのワインも置いてあって、だいたい1本10ドルくらいのワインをワインリストに並べている他の映画館に較べると、少し懐が暖かい層を狙っているのでしょう。

http://www.rialto.co.nz

隣には以前は小説家が経営している気の利いた冗談が言える店員のいるコーヒー屋と良い本ばかり並べた書店の複合体があったが、なくなってしまった。
クライストチャーチにも支店があったが、こちらは地震で建物ごとなくなったあと、再建するつもりはないようでした。

Irrfan Kahnが出ている。
ぼくが大好きな俳優で、微妙な感情を目だけで、あるいは、ちょっとした指先の仕草であらわせる人です。

http://en.wikipedia.org/wiki/Irrfan_Khan

Mira Nair は自分が1991年に撮った「Mississippi Masala」で投げかけた疑問に自分で答えるように「The Namesake」(2006)をつくったが、
この映画で息子を自分が専門のロシア文学の作家にちなんで「ゴーゴリ」と名付けてしまうインド系アメリカ大学教授がIrrfan Kahnで、そのとき以来、
インドの志村喬とでも呼びたくなるような、この人が好きだった。

日本語では「ネタバレ」というような奇妙な言葉があるくらいだから、なるべく筋を避けて話すが、映画自体、素晴らしい映画で、何が素晴らしいかというと、まず、映画制作上の冒険に満ちている。
映画のレッスン1は「語らしむるな見せよ」で、台詞であんまりぺらぺら状況を説明させたり、登場人物たちの思想を述べさせるのは、下手の骨頂で、絶対にやってはならないことになっているが、この映画は、映画のすべての文法に逆らって、物語は間違って届けられたランチボックスにいれたメモのやりとりだけで筋立てが進行する。

映像は朝と夕の日本の満員電車を彷彿とさせる通勤電車、家からほとんど一歩も出ないで暮らす「専業主婦」の生活の様子を飽きもせずに淡々と描写するだけです。

ここまで書くと「きっと、そうだな」と確信に達した人たちがいると思うが、打ち明けてしまえばその通りで、この映画は粗雑な観客には到底理解しえないsubtleな細部だけで出来ていて、夕方に向かって影が少しづつ伸びてゆくような微妙な陰影や表情、言葉使いの変化だけで物語りが出来ている。

56歳の初老の男が早期退職して保養地に向かう列車のなかで出会う老人の単調に動く老いた手の甲が男が次ぎの場面では保養地に行く切符を中途で放棄してアパートに戻ってくる理由になっているし、通りでクリケットをすることを許す子供たちへのひとこと「クリケットをやってもいいけど、窓ガラスを割るなよ」が、男の人生への希望の復活を表現している。

なんだか異様なくらいよく出来た構成の映画で、映画が終わった途端、
映画館のあちこちから、「えっ?ここで終わりなのか?」と言う言葉が出ていたが、この映画全体の哲学の鍵でもある
「Sometimes the wrong train can take you to the right station」という言葉が誰が述べた言葉であるかを思い出せば、案に相違して、この映画がハッピーエンドになっていることが判る。

しかも、主人公の初老の男は意識では主婦とふたりで「インドの1ルピーが5ルピーに使える」ブータンに駆け落ちするという考えを否定して、カフェで待つ相手を遠くから眺めただけで家に戻って、
「今朝、ぼくはバスルームで鏡をみながらひげを剃っていて自分の祖父が同じバスルームにいるような気がしました。
同じにおい、あのなつかしいにおい….
でも、それは祖父が立っていたのではなかった。
年をとったぼくの身体から、祖父と同じにおいがしていただけでした」
と述べるが、しかし、実は若い孤児の同僚に昇進を約束する早期引退を考えるのは実際には、女と駆け落ちするほうへあらがいがたく気持ちが傾いている潜在下の意識の表明になっている。

Sometimes the wrong train can take you to the right station.

と言う言葉は人間という誤謬に誤謬を重ねていきていくしかない知性にとって、最も哀切な願いの言葉である。
謬りを重ねないで生きていくことは出来ないのに、あろうことか、一生をもういちどやりなおすことは許されていない。

現実の社会のそこここで 生きているのは、自分の前にハリウッドの大女優ではなく、「ひとりの若い女」として立って、率直に、心からの「自分を愛してほしい」という希望を、イギリス人の冷酷なマヌケぶりを発揮して習い性になっている鋭い言葉で相手の魂を切り裂いてにべもなく追い返して後悔するNotting Hillの古書店主人William Thackerであり、 デンバーへ旅立ってしまったElise McKennaなのである。

真剣に生きてきた人間ほど、あのとき、ここでこうしていれば、と悔やむ。
悔やまないですむのは、帳尻あわせで生きたきた人間だけだろう。

「The Lunchbox」の若い主婦は、子供を殺して自殺するところまで追い詰められて、ついに「wrong train」に乗り込もうと決意する。
可能性のない賭けに賭けて、なんとかして自分の魂をすくいだそうとする。

もちろん、どんな道徳の文脈に照らしても「罪」であるし、しかも、その罪へ自分の魂を追い立てているのは情熱ですらない。
「自分は人間でいたい」という、つまりは利己主義でしかない。

でもその利己主義だけがすべてで、打ちのめされた人間にとっては、ある場合にはwrong trainに乗ることだけが、the right stationにたどり着く方法でありうる。

きみとぼくが住んでいるこの世界は成功した人間、あるいは自分が成功すると仮想した人間の決めた約束でできている。
子供を捨てて男と駆け落ちした女に対しては最も善良な人間さえ平然と言葉の石を拾い上げて、手加減すらせずに思い切り相手に投げつけるのは、それが善の体系だとされているからです。

でも、人間には、人間の正しさを裏切る権利がある。
なぜなら人間には失敗する権利があるからです。
失敗する権利があるのならば、もう二度とやってこない「the right train」のことはきっぱりと忘れて「the wrong train」に乗り込む権利は論理的に述べて自動的に生じる。

「人間の真の価値は愚かさにあるのだ」と、このブログ記事のどこかで、ずっとむかし述べたことのほんとうの意味は、多分、そういうことだったのではないかと、満足であるような、不審であるような、なんだか判然としない表情の顔が並んでいる映画館の客席で、考えました。

あのインドの5段に重ねるランチボックス、ぼくも買おうかな、
そうすれば「不道徳」というものが違って見えてくるような気がする、
と述べたら、
モニさんが帰りのクルマをスタートさせながら、きっとぼくには永遠にわからない、でも暖かい微笑でぼくを眺めていたのを、ご報告しておきます。

でわ


終わりにむかって

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島影(しまかげ)にはいると、突然、星の数が多くなる。
単独で輝いているように見える星だけが見えているうちは「星空」とは言われない。
ほんとうの、というのはヘンだが、宇宙が魂のすぐそばに迫ってくるような星空には水しぶきのような白い煙のような天体が映っている。
ハウラキガルフに船をだすときは、たいていモニとふたりだが、小さい人たちを連れていくと、なんだか茫然として空を見ている。
しばらく、じいいいっと満天の星を見て、感に堪えたように「うおぉぉー」という。
燃えるような緑色の目やまばゆい明るい金色の髪は母親に似ているが、頭のなかは父親と似ているようで、間のとりかたが、なんとなくバカっぽくて、そのバカっぽい「まぬけな感じ」が父親に奇妙なくらい似ているので笑ってしまう。

船をだしても、あんまり釣りをしなくなってしまった。
食べ物として魚には飽きた、ということもあるが、釣りは案外と忙しい作業なので、春で、暖かくなってくると、そんな忙しいことをやるのはめんどくさい、という気持ちがする。
冷蔵庫からとりだして、表面にオリーブオイルを塗ったステーキを焼いたほうがのんびりしていて楽しい。
ヨットは海面を滑るように走らせるのは楽しいが、ラウンジが窓の下になって、立たなければ海面や景色が見えないので、くつろぐにはやはりロウンチのほうがいい。
見渡す限り海で、運が良ければ、夕方、一家で物理法則に反するようなゆっくりとしたスピードで、それなのにびっくりするほど高くジャンプしながら湾口を横切ってゆくオルカの群れや、あの不思議な呼吸音の、神秘的な感じのする鯨たちを見ることもある。
「世界のことなんか、ぼくには関係がないね」と述べているような、波間にぷかぷか揺れているブルーペンギンたちがいる。
陸地では、あれほど意地が悪くて闘争的なかもめたちが、海にでると、飛行の芸術家であることを誇示するように低く、うまく風を使って飛ぶ。
まるで違う生き物のようです。

オークランドは、ただの英語圏の都会にすぎないが、船でハウラキガルフに出て、海の理屈で考えると、まるで別の街で、ハウラキはオーストラリアのグレートバリアリーフのような「死んでしまった海」とは異なって、まだ「生きている」海で、潜ってみればすぐに判るが、錨をひきずりまわすせいで完全に破壊されたグレートバリアリーフに較べて、ホタテ貝や他の生き物がカーペットのように敷き詰められていて、岩陰にはロブスターがいて、チョー意地が悪いタコたちとの争闘に勝てば、すぐに4、5匹のロブスターをひきずってボートの甲板に放りあげることが出来る。
ゆでると目が覚めるように赤い、おなじみの色になる。

スパイスをかけて、アリオリソースで食べる。
カモメたちが低空で近づきながら、うらやましそうにしている。

この7年間をふりかえると、日本人の友達がたくさんできて楽しかったが、日本がなぜ負のスパイラルを滑り落ちるように憎悪と非寛容の奈落へ落ちてゆくのか仕組みが明然とした形で了解されてしまったので、社会そのものが、現代の世界では許容しえないものであると結論するしかなかった。

こういうふうに考えてみればいいのではないだろうか?
日本人がなぜ嫌韓に民族ごと投企してしまうのか理由を考えたり、「いや、私は嫌韓じゃありませんよ」と慌てて言い訳する前に、なぜ、日本では嫌韓運動が止まらないのかを考えたほうが良いのではないだろうか。
現実がいっこうに変わらない場合、自分の、たとえば「嫌韓なんて、あんなものは一部のくだらない人間がやっていることだ」というのは、ただの自己満足にしかすぎない。
「安倍ちゃん」などと狎れかかっているあいだに、なぜ日本という国の全体主義化に自分が手を貸す結果になったのか、ごまかすのはやめて、問い直してみたほうがよくはないか。
なぜ自分たちには、まったく現実を変える力がないのか。
「喧嘩両成敗」というような気味の悪い言葉や、争闘を軽蔑する自分の感情は実際には社会から植え付けられた「上品な奴隷的マナー」であるのに過ぎないのではないか。

そういうことどもと、ストローラーを階段で引きずりあげる母親を見て「ああ、たいへんだなあ」と思うだけで手を貸したことがないことや、チョゴリの高校生にからむ酔っ払いを見て、我を忘れてなぐりかかったりは決してしないこととのあいだには深いつながりがあるのではないか。
もっと酷いことを言うと下地真樹が、たったあれだけのことで逮捕されたのに、きみが逮捕されたことがないのは、要するに、きみは政府とぐるなのだということではないだろうか。

Twitterに書いた、 「ガメさんにも香港きて欲しいよ。 いまからこない?笑 嫌なものを嫌と言う、人間でいたいという意思が街中に溢れて、歩いているだけで涙が出るよ。」 というemailを寄越した日本語人の友達が、 今度はもっと長いemailを送ってきた。
「ガメさん 今朝香港から戻って、まだ熱狂の残った頭でTwitterを覗いたら君が日本への結論を書いていたので思わず笑ってしまった。 たった3時間日本にいれば、人々が口を閉ざしていることがわかる。心と言葉をバラバラにして、単語ひとつ持たずに底なしの行間に落ち込んでしまった単独の群衆たち。 香港と日本はよく似ているなんて言われるけど、皮肉なぐらい差がある。僕には日本が憧れていた運命を香港が生きている気がした。決して良い運命でないにしても。」

ここから先は、この人の私的個人的な体験に及ぶので引用するわけにはいかないが、 emailは 「僕ももう日本語の世界を出ます。波紋も立たない行間の沼に沈むわけにはいかない。」 というところで終わっている。

もう本人の友達たちが書いているので、ばらしてしまってもいいのだと思うが、日本語で知り合った、最もヘンテコで最も繊細な友達のミショは、ずいぶん長い間「日本に居続けるのだ」と頑張っていたが、「ぼくはもう日本語は捨てるのさ」と述べてイスラエルの研究所に去ってしまった。

いまの日本社会で自由な魂を持っていることは、現象として、ナチ支配下のドイツでユダヤ人であることにとてもよく似ている。
遠くから眺めているぼくの目には、日本人友達のひとりひとりが、「自由な魂を持ちながら日本にいることの危険」を嗅ぎとっているように見える。
国会議事堂放火事件の日、道の先の角を曲がってくるSS隊員の集団を見た瞬間、ビリー・ワイルダーはアパートに引き返して詰め込めるだけの荷物をスーツケースに詰め込んで、そのまままっすぐフランスに逃げた。
当時はまだ英語が話せなかったこの人は、驚くべき事に、ハリウッドでのキャリアを脚本家として始めることになるが、フランスから危険を冒してたびたび説得におもむいても、「自分には自分の生活がある」「友達も恋人もこのウイーンにいるのに国外へ出るなんて無理だ」と躊躇した母親は、結局、戦後執拗に探しても行方不明のままで、どうやら、アウシュビッツでナチに惨殺されたもののようでした。
図式的には、いまあちこちの英語メディアで書かれているように、ドイツとユダヤ人の関係は、日本と韓国人の関係に引き当てられる。
魂が自由だと言っても、日本人ならば対照される関係はドイツとドイツ人で、殺される心配は無いが、香港プロテストの現場を見て、「日本にはただのいちども存在したことがないもの」を目撃して衝撃を受けて、日本語と日本社会を捨て去る決意をした日本人の友達を見ても、もうこれ以上日本にいて自分の社会をよくしようとしても時間の無駄にすぎない、と感じるひとびとにとっては魂の死は現実の死よりも耐えがたいのであるのかもしれません。

せっかくベンキョーしたのだからもったいない、という吝嗇でくだらない理由によって、このブログには時間があれば戻ってきて、記事を書いていくだろう。
ここまで来てしまっては政治や社会や経済のことを述べても仕方がないので、いまより、いっそう、毎日のどーでもよい出来事の記録が並ぶに違いない。
Twitterは、どーするか、またアカウント閉めるか、と考えたが、 日本についてのことをメモ書きする場が他にはないこともあって、まだ開いておくことにした。
Twitterまで日本語では、めんどくさいのと、どうやら何年にもわたってしつこく絡んでくるバカな人達は自称の「英語の達人」と異なって英語がさっぱり解らないらしいので、バカよけ(←言葉が悪くてごめん)になるのも一石二鳥で、英語だけになってゆくと思う。 すでに日本語はあちこちで役割を終えて、別に「世界で活躍」したりしなくても、英語で考えるのでなければ、たとえば学問の世界では、一人前の収入はもらえないようになっている。
功利を離れても、日本語は非常に深いところで憎悪と無責任に汚染されていて、日本語によって思考するひとは、自動的に救いの無い、スウェーデンボルグの見た地獄そっくりの場所で、現実から剥離した無効な観念の遊びに耽溺するだけの閉塞に陥っている。
日本語の歴史、という面からみてくると、ここまで日本語がおちぶれたのは、11世紀くらいまで遡ってもなくて、もしかすると日本語の歴史始まって以来の凋落ではなかろうか。

どんなことにも終わりがあるので、日本語の底の奥深くまで降りていって、日本語で充填された自分の心に映る世界の色彩や風の音、不思議に情緒的な姿をした形象、というようなものに目を見張る時期は終わりになった。
終わりにした、のではなくて、自然と終わりになったので、日本語も日本という社会も、さっそくずっと遠い過去のものになったような気がするが、 今度は趣味で、この扱いにくい、ともすれば詭弁に終わることが多い言語で、自分の「聴き取りにくい声」をしるしていくことにも意味がまったくないわけではないような気がする。
Twitterを見ている人たちには明らかだと思う。 日本人や日本社会には、あまり興味がなくなってしまったが、日本語自体にはまだ興味もある。
この言語のおもしろさは、言語自体が脚注から生まれたことによるらしい。
考えてみれば、レ点の種類に属するものが、文側(ぶんそく)から言語に発展して、だからこそ異様なほどの数の同音異義語を含み、観念が現実よりも常に優位である、倒錯した現実感を提供する言葉になった。

真がなく、したがって偽もなく、善もなく、それゆえに悪もない。
すべて、その場その場の間柄と情緒の流れに竿をさして思考が流れていくだけで、かけらほどの実効性もないかわりに、西洋語では空想も出来ない「偽の現実」を生み出すことができる。
そのよいほうの典型が「存在しない日本」を描ききった小津安二郎の映画であり、宮崎駿の作品なのではなかろうか。

日本語と日本社会が決定的におかしくなってしまったのは傍からみていると2011年3月11日の福島第一発電所事故からだった。 いま振り返ってみると、「この程度の放射能は無害だ」と述べていた人達も、内心ではどれほど恐ろしいことが起きたか明示的/暗示的に知っていたのだと思える。
「絶対に起きてはいけないことが起きてしまった」ことへのほとんど畏怖に近い恐怖の気持ちは、社会の潜在意識に潜り込んで、日本語の根幹にある「真実性」を破壊してしまった。
もとからそういう傾向がなかったとは言えないが、「現実」は製造可能なものになり、自分達の情緒が正しいと感じるものを正義の王座につけるためには、同じ論理構造のものでも、片方は善しとし、一方は悪いと述べるというようなことを平然と行えるようになった。 最近の事件で言えば到頭政府がなりふり構わずに朝日新聞社つぶしに乗り出した「朝日誤報事件」を見れば、「正しさという情緒」がいかに言語社会全体を狂気に導く力を持ち得るか判る。 構造としてはマッカーシーの赤狩りとまったく同じで、NHKを渦巻きの中心に一上院議員であったマッカーシーの代わりに首相自身が首狩り族の先頭を走っている。
マッカーシーの「共産主義」を安部首相の「反日主義」に置き換えれば、なんのことはない瓜ふたつで、これからはマッカーシー時代と展開は同じで、 社会の上層から下層に至るまで少しでも「反日」と見なされたものは徹底的に干されてゆくだろう。
しかもマッカーシー事件の傷を癒やした当時のアメリカの国力は、日本にはありはしない。
日本は日本の国内では「世界中から好かれて、世界が憧れている国」ということになっている

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/02/16/夏目漱石の贈り物/ http://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/mirrorx2/

が、日本の外側から見ている人間には一目瞭然で、どう言えばいいか、 力の衰えを自覚して、かつては睥睨していたはずの隣人たちから、憐れみの視線を投げられるようになった者の、悲しい自己暗示の試みにしかすぎない。

20年間という歳月に、ここまで最悪の選択を積み重ねてきてしまった社会に、この後どんな解決がありうるだろう?という深刻な思考の遊びが、このブログのいままでのテーマのひとつだったが、それもつまらなくなってしまったので、これからはいままでよりも更に、のんびりした記事になってゆくに違いない。

さよなら、日本人、と考える。
ぼくは案外、きみが好きだったんだけど。
もうこの辺で、古い習慣を捨てて、ぼくも先に行かなければ。

鵯、という日本語ツイッタで出会った人のなかでも赫奕として清明な魂を持った友達が述べている 「私は地獄行きのジェットコースターに戻るよ。「避難者であること」を終えて、生活を作り直す。それから孤立した異分子として生きる。非国民として生きる。承伏できないことに弱々しい声でもNOと言う。踏みつぶされて悲鳴を上げるだろうけれど。」

いまの日本社会で、「自分こそは孤立させられて敗退する者だ」と強く自覚することほど、光彩のある選択はない、とぼくはこれを読んで考える。
たとえ、きみがこれから始める戦いが敗北を予定した戦いに過ぎなくても、人間の栄光は、常にそうやって守られてきたのだと思う。 周囲から投げつけられた石で、きみの魂が、ぼろくずのように血まみれになって死ぬとき、周囲の冷笑や嘲笑をぼんやり聴きながら、きみの意識が少しづつ遠くなってゆくそのとき、きみが伸ばした手の指の、ほんの少し先に射している、きみには届かない、その自由の光だけが、 人間の社会のゆいいつの価値なのではないだろうか。
あるいは、言い直すと、それだけが、人間という、短い、中途で終わることが約束された生命をもった生き物の、ゆいいつの存在意義なのだと思います。

(twitterはブログの案内以外は英語だけのやりとりにします。 ブログ記事は、利己的な理由により趣味として続ける。 日本語フォーラムのひとびとは、気がついているように、フォーラムは書き込みが増えている。安倍政権は想像をこえて、だんだんおっかなくなるので、政治向きの話はフォーラムに限ったほうが、いいのかもしれません)


アスペルガー人とゲーマーズ

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日系アメリカ人の中村修二がノーベル物理学賞を取ったのは良いことだった。
誰もが知っているとおりノーベル賞はそのときどきの政治力学が強く働く場で、20年を「待たされた」中村修二は、もう自分にはノーベル賞はまわってこない、LEDではやはりダメか、と諦めていたことだろう。

良いことだった、というのは件のトーダイおじさんたちのひとりSさんから、自分の若い部下で、地方の国立大学しか出ていないことに強い屈折を感じていたひとから「東大卒でなくても、(研究が)やれるのではないかと希望が持てるようになりました」という、なんだか、事情を知らなければ、くすっと笑いたくなるような、単純簡明で向上心の強い20世紀的な若者の顔が思い浮かぶようなemailが来て、年が離れてはいるが、内心では友人のように考えていた人間なので嬉しかった、という、こちらも傍からみれば、なんとなく年齢に較べて純朴に過ぎるような、朴訥なSさんの顔が思い浮かぶ、
暖かい気持ちにさせられるemailが来ていたことが第一の理由と思う。

もうひとつには、いまのところ弊履破帽の骨董扱いに近い日本の高等教育環境のなかで勉強していても、ちゃんとどこの町のどんな研究室でも伍していけることが追認された気分がして、少し、晴れ晴れした気持ちになった研究者たちもいるのではなかろうか、という気がする。
企業からアカデミアにはいる例が多い日本では、特に、勇気づけられた人も多いに違いない。

中村修二は、「怒りがわたしのエネルギーです」と述べた、という。
怒りは燃料で言えばエチルアルコールで、透明な炎で、研究人のエネルギーにはなりそうもないので、「憎悪」という言葉が嫌なので「怒り」に言い換えたのだと思うが、日本語インターネットで拾い読みに読んでいっても、自分を認めなかった日本への怒りや、日本人への怒り、…と書いてあって、「怒り」を「憎しみ」と変換したほうが理解しやすい言葉に満ちていて、なるほどそういうことはあるのは知っているが、日本の人だなあ、というか、ここに至るまで感情的につらくなかっただろうか、
会社の廊下で「なんだ中村、おまえ、まだ辞めてなかったのか」と言い放った役員の顔を思い出して眠れない夜があっただろうなあ、
このひとが歯をくいしばってこちらを見据えるような表情のあの写真は、カメラのレンズの向こうに、自分への軽侮を隠さなかった、あるいは「日本経済新聞」という仮面をかぶって、自分を袋だたきにたたきに来た日本の社会のひとりひとりを睨んでいたのかなあ、と考えて、しばらく、もの思いにひたってしまった。

気を取り直して、日本語インターネットを眺め直してみると、中年世代以上で海外で職業人として生活している人には、「この発言はとてもよく判る」と述べている人が多くいて、そういうひとびとの他の発言をみてみると、自分がいかに日本社会と相容れないで足蹴にされるようにして国の外に出てきたか、それ以来、ただ日本社会への敵愾心と「負けるものか」という気力だけでいまの地位を築いたか、というようなことが指揮者であったり、画家、建築家、さまざまな分野に及ぶ人が述べていて、やや奇観様(よう)の光景を呈している。

アトランタオリンピックの水泳決勝で、どの国の選手も緊張で破裂してしまいそうな表情で、なんとかして自分の、これから、スイミングプールに飛び込んで、200メートルを、先頭を切って泳ぐことを期待されている肉体と筋肉とをリラックスさせようと懸命になっている。
「必死の面持ちでリラックスしようとしている」と書くと、滑稽だが、スポーツ選手はそれが宿命で、腕をふり、首をまわして、「リラックス」という気分を横紋筋の筋原繊維細胞の隅々まで行き渡らせようとしている。

カメラがひとりひとりの表情をアップで追っているときに、他の選手は精神の一点に集中して、カメラが存在しないかのように振る舞っているのに、たったひとりだけカメラに向かって微笑みかけている選手がいる。
ニュージーランドの代表選手で、たしか、あのとき19歳だったと思う。
カメラがびっくりしたように動きを止めて、その若い選手をズームアップしだすと、にっこり笑って、手のひらを開いて、
そこには、でっかい目の落書きがしてあって、その下に「ハーイ、マム! 元気?」と書いてあって全世界のテレビの前のひとびとをずっこけさせたものだった。

アトランタオリンピックのフリースタイルで2つの金メダルと2つの世界記録を手に入れたDanyon Loaderで、ニュージーランドでも「いくらなんでも不真面目だ」と怒る人がいたが、キィウィらしくて良いではないか、と言う人や、金メダルとって一位になったんだから、いいじゃない、それで、という、いつものニュージーランド人得意のええかげんさが発揮されて、笑い話で終わった。

あるいはロンドンオリンピックで、ヨットの470dinghyで金メダルを獲得した、17歳のJo Alehと16歳のOlivia Powrieは、決勝の最後の直線水路まで、なんだか、このふたりの所属するヨットクラブのあるコヒマラマの浜辺のベンチに腰掛けて、近所のベーカリーから買ってきたステーキパイを食べながら、近所のよもやま話にふける女の高校生ふたり連れの気楽さで、話しては、笑いあっていて、決勝をテレビで観たひとを「これは練習風景なのか?」と訝らせた。
近所のおばちゃんの証言によると、「私は、マイクロフォンが拾ったビクトリアアベニューのデイリー(←雑貨屋)の話をしているのをこの耳で確かに聴いた」ということだった。

このほかにも、オリンピックの試合前夜に全員で下町のパブで酔っ払って、次の朝の試合に出場できなかったバレーボールのチームや、ニュージーランド人がいかに競争においてリラックスしているか、というよりも、全然緊張しないか、あるいはぶったるんでいるかについての傍証はいろいろあるが、キリがないので、このみっつの例だけでやめておく。

21世紀の世界を担ってゆくのは、コミュニケーション能力を代償として、知力が高く集中心と知的持続力に秀れた「アスペルガー人」と、速い速度で変化する動的に動いてゆく現実事象の抽象能力が高く、あっというまにゴールへのショートカットを発見して殺到する「ゲーマーズ」のふたつの種族であることは、ほぼ自明であると思う。
社会の競争の激しさが20世紀の比でないのは出だしから明らかであるからで、たとえば20世紀においては「静的な権威」の象徴ですらありえた金融ですら、当時22歳のMITを出た新卒社員にすぎなかったアスペルガー人たちによって、ゲーマーズが「通常人」には到底ついていけないスピードで、いわばアイスホッケーのパックを追う業界に変貌した。

20世紀の段階でもすでにスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのようなアスペルガー的な傾向の強い人間が新しい産業を興したが、行ってみればすぐわかるのさ、というか、シリコンバレー、ベルリン、メルボルン、バルセロナ、というような、いまこの瞬間に新しいビジネスモデルや技術的アイデアで沸騰するように沸き返っている町へでかけて、企業の主立った人びとに会ってみれば、たいていはアスペルガー人で、直感的な割合でいうと、7割くらいにもなるのではないだろうか。
みな一様に「奇矯な」という古めかしい表現が似合いそうなひとびとで、コミュニケーションがてんで下手で、パーティなども酔っ払ってバカ騒ぎをするか、テーブルにひっそり腰掛けて、なんだか居心地が悪そうに座っているかで、しかし打ち解ける回路が見つかれば、これほど話していて楽しい仲間達はいなくて、つまりはぼくの友人達だが、憑かれたように話しだしたかと思うと、今度は黙り込んでしまう、このひとびとが正常である世界では、20世紀の「正常人」は、いかにも生産性も創造性もないデクノボーで、冴えない批評のような繰り言を述べているだけの凡庸で退屈な人間の集団に見えてしまう。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2012/04/28/いつか、どこかで/

不思議なことにゲーマーズのなかで抜群の知力をもつひとびとは、数は途方もなく少ないが、アスペルガー人と相性が良いようで、多分、「アスペルガー人が考えていることがわかる」点と、その考えと退屈で凡庸で頑固で、しかも数の上では圧倒的に多数の「正常人」の世界との折り合いをつける方法を機敏に発見する点で、このふたつの種族は共生しているものであるらしい。

ゲーマーズの最良の部分は、憎しみを帯びて帯電しやすいアスペルガー人の肩に手をやって、笑顔をとりもどさせる。
The Blues BrotersやMonty Python、The Three Stooges、Marx Brothers、はてはT.S.EliotにDylan Thomas、いよいよ興に乗るとシェイクスピアにシーザーまで引用して、夜通しふざけて、ついには朝方近いパブのテーブルに飛び乗って、ザ・クラシックス(←モータウン音楽のことです)やビーチボーイズの音楽にのって、足をあげてラインダンスまで始めて、居並ぶ「正常人」たちをボーゼンとさせるのを常とするが、それもアスペルガー人とゲーマーズはお互いに、まだ見も知らぬあいだがらだった頃から、会いたくて会いたくて、たまらなかった相手に会えたのだから、許してもらわなくては困る。

だいたいここまで書いてくると、気がつくとおもうが、アスペルガー人とゲーマーズは同じひとびとで、片方はうちに向かい、片方は表面を滑走するスピードを偏愛した結果、社会におけるあらわれかたが異なっただけなのであると、言えなくもない。
アスペルガー人のうち、モナドのようにして、ただひとりで生きてきたひとびとは憎しみを魂のなかで育てて、そのエネルギーで死をまぬがれ、仕事に精力を集中して生き延びてきた。
ゲーマーズたちは、憎しみどころか、感情らしい感情は思考から排斥して、手順をみいだし、その手順に従って判断を繰り返すという、いわば「宇宙の単純化」の過程をつくりだして学歴において財産つくりにおいてゲームにおける勝利を繰り返してきている。
正常人から言うと意識的な非人間化は下品であると思うだろうが、ゲーマーズにとっては20世紀にいたるまでに人間がつくりあげた文明そのものが、たいしてあてにならず、退屈で、我慢がならないほど独創性に欠けている。
ゲーマーズが、まるでやる気がないようにしかみえない冗談を楽しむような態度で事業上の困難に打ち勝ち、相手が工夫に工夫を重ねたつもりの間道の出口に立って待ち受け、正常人が全力で準備した探検の終わりに、目的地であくびをかみ殺しながらティーポットのお茶を飲んできみを手招きするのは、なんだか、哲学そのものが異なっていて、この地上の上にアスペルガー人以外には価値のある人間などいないと承知しているからでしょう。

無限にリラックスした人とまるで魂のなかに憎悪の超重力をつくりだして憎悪が世界を圧縮して解き放たれるエネルギーを利用して自らの生存を可能にしている人とが同じ人間だというのは奇妙だが、現実は現実で、案外、もう数十年のあいだには極大のブレークスルーがなければ破滅するしかない人類社会が最後のチャンスをうみだすために意図した投企の結果が、このふたつの種族なのかもしれません。


The cracked code_1

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日本語人と同じ地面に立って世界を眺めてみたらどんな景色が見えるだろう?、ということがぼくの興味だった。
うぬぼれてるなあー、と言われるに決まってるが、ぼくは日本人の頭になりきって考えることが出来るていどには日本語に熟達している。

相手が自分が賢いと思い込んでいるだけで自明な程度に頭が悪い場合に、気が遠くなるほどの長い間「言いたいだけ言わせておく」のはイギリス人に限らず、ある種類の欧州人がよく使う方法だが、「言わせておく」期間にぼくをニセガイジンだと「証明」してみせた日本人たちは、厳格すぎたかも知れない自分へのルールを取り外して突然英語を話しだした相手を見て恐慌に陥ってしまって、あちこちで笑いものになって気の毒だったが、ぼくのほうは彼らは彼らが予期しないやりかたで「バカよけ」の盾になってくれた点で感謝している。
皮肉で述べているのではなくて、とても手間が省けた。

でも、もうさすがに飽きてしまった。
これからは、日本語人と同じ地面に立つのは(たいへんなので)やめて趣味に返って、好きなときに好きなように話しかけたり、ブログを書いて、わがままぶりを発揮して、自分の興味だけで日本語を続けたい。

「好きなように」には今度は自分の話もするということも含まれている。
今度は「最大公約数」ぽい「日本人」でなくて、日本語を通じて知り合った友達たちに話しかけることに決めたからで、josicoはんやイルリメさんやもじんどん…という友達が対象なので、これまで本名はもちろん、さまざまな話を聴かせてくれた友達たちにガメ・オベールという名前のチョーへんてこな友達の話はしないですませてきてしまったが、なんだか気がとがめてきたので、ちょっとくらいばらしてもいいか、というか、ばらさないといけないのでわ、という気がしてきたということでもある。

たとえば、ぼくが、新興宗教のトレーニングキャンプに加わったとして、初めの自己紹介をどんなふうにすればいいだろう?
むかしHermes Trism   @hermes_trism が、ぼくを紹介しようとして、
「在NZイギリス人投資家の日本語ブログ」と定義したときに、「もうこの紹介だけで、なんだか、すごく『あれ』だよね」と、ふたりで声を殺して笑いあったが、チョーなんだか『あれ』な大庭亀夫の紹介をしているHermes Trism 自身が、「在日本スコットランド人科学者の日本語ツイッタ」を書いている、もっと『あれ』な人なのである。

あんまり書くと怒るが、「もじんどん」 @mojin の正体は欧州某所で外宇宙を見つめることを仕事にしている天文学者で、子供向けSFの設定みたいな人で、肝腎なところになるといつも「おお!お昼ご飯をつくらなきゃ」とゆって逃げていってしまうすべりひゆ @portulaca01 はイタリア語で思考するほうが日本語で思考するよりもずっとうまく行くことが多い『あれ』なひとで、つまりは、なんだか『あれ』な人の塊が日本語のTLを形成しているひとびとで、くだらない人間たちがしつこくつきまとって、みなをうんざりさせなければ、日本の人が「いままで見たことがなかった新しいもの」を見られた可能性はあると思う。

でも薄汚い言葉でつきまとって、そういうサークルを誰にでも見える「可視」の場所から、限られたメンバーだけの「不可視」の場所に追いやってしまうのは、どうやら、日本語世界の宿命であるようで、いまは「考えがあまかった」とお互いを笑う以外にはない、というふうに皆が感じている。
日本の人は、ほんとうは「自由に議論が行われる場所」など欲していないのだと思う。
そうでなければ、あんなフーリガンなみの「リベラル」をのさばらせておくわけはないだろう。

ある発言でびっくりしてフォーラムに加わってもらったJさんという人などは、まるでふだんのツイッタでは「バカを装っている人」のようで、同じ日本語で書かれているというのにツイッタとフォーラムでは別の人間であるよーです。
最後のお節介だと思うが、あんまり考えてみなくても、集団サディストが猛威を奮う日本語世界でだけ特徴的なこういうことどもは、ふつーに考えて、日本語文明全体にとって、ものすごいマイナスなのではなかろーか。
なぜ、これほどの異常な事態を放置しているのだろう、と不思議な気がする。
どうして自分がくつろいでいる居間に突然土足であがりこんで糞尿をぶちまけていくようなことをする彼らを日本人は許しておくのだろう?

日本語の世界へはいりこんでいるときの自分の気持ちと英語/仏語の家へ戻って暮らしているときの自分の気持ちの違いは、実は、いまでもちゃんと判ってない。
なにかが決定的に異なっているのに、日本語でうまく言えない。

意外と物質的なことだろうか、と考えてみたこともある。
「そんなこというのは酷い」と思うかも知れないが、ぼくは子供のときに日本にいたときから日本の人が豊かだと思ったことはない。
理由は難しいことではなくて、しばらく日本に住んでいるあいだに、たとえば「食器洗い機」がないことに気がついた、というようなチョー単純なことです。

ニュージーランドの30代の中小企業のカチョーさん、というような人の生活を考えてみると、
彼は、多分、オークランドの世田谷に住んでいて、子供がふたりいて、だいたい敷地が200坪くらいで、寝室が5つある家に住んでいるはずである。
寝室の他に2DKという、Dのダイニングと2LDKのLであるラウンジがある。
午後5時少し前に「NZ世田谷」で最も一般的なクルマであるBMWで家にたどりつくと電動ゲートを開けて、これも電動のガレージドアをクルマのなかからコントロールを使って開ける。

冷蔵庫を開けて白ワインを飲みながら、奥さんが帰ってくるまでの30分でつくれる料理を考える。
ホームサーバーは普通なので、少しテクノロジーに興味がある人ならば、タッチパネルか、そうでなければジーンズのポケットにはいっているメモリで音量で好みのプレイリストの曲が次次にかかる。

いいとしこいてAriana Grandeの最新の曲にあわせて巨体を揺すらせながら「ケララ風揚げ豆腐カレー」をつくっている。

週末にはベビーシッターを頼んで、ぬはははは、と思いながら、モダンダンシングのあとで埠頭のヒルトンに泊まってエッチしちゃうもんねー、と思いながらカレーをつくっているのだと思われる。
オークランドの、ふつーの夫の姿です。

「もう聞き飽きた」という人がいるのかも知れないが、日本の人の生活を振り返って思い出してみると、兵営のひとのようで、日本人の集団が「自由主義社会」にたどりつくためには、どうしても、どんなくだらないことにおいてでも、「個人の生活」を成立させるほかには道はない。

「今日は女房とデートなので、5時には会社でないとならないので、これから、その仕事やるの無理っすよ」と言えない社会は、ほぼ必然的に武張った全体主義に陥って世界のなかでの害悪と化するのは歴史が教えている。

ぼくはふつうの人よりもずっとはやく大学教育を終えた。
そのうえ、ときどき放浪するくせがあったのに社会から放逐されなかった。
(身体が年齢の割におおきかったのはラッキーだったが)別に特別頭がよかったわけではなくて、ぼくが住んでいる社会ではふつーのことです。
それがなぜ日本では出来ないかを考えると、やはり日本の人の悪い癖、「全体から個を見る」癖がぬけないからでしょう。
いつか、ツイッタで眺めていたら「子供をうまない人間は共同体からみれば非生産的である」と述べている(インターネットの世界では有名な)人がいて、この人らしい公然たる「考える能力の欠如」に不愉快になったことがあったが、正直に述べて、日本の人には、こういう、くだらないのを通り越して反社会的な発言をうっかり聞き逃してしまうところがあると思う。
観念的な理屈の遊びにばかりとらわれるからです。

ぼくはきみが火星人だろうが日本人だろうが、まちがっているものはまちがっているのさ、と言うだろう。
そうして、きみは盛大に腹を立てるだろう。
でも、それはきみとぼくのあいだに、依然として紐帯が存在する証左なのではなかろうか。

何年か前に、ifgのゲーム画面を前にして、真剣に「人間の自由とはなにか?」を論じあった夜は、もう帰ってこないかもしれないけど。


共同体への公共意識と手続き主義_1

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ロンドン中心部を歩いていてうんざりするのは戦勝記念物がやたらめたらあちこちにあることで、勝ったあー勝ったあーまた勝ったあー、勝たでもええのにまた勝ったあー、という鬱陶しい「英霊の声」が聞こえてきそうな気がする。
まことに下品の極みで、イギリス名物フーリガンの淵源が実は国民性の奥底に本質として流れているのではないか、と疑わせるのに十分であると思う。

イギリスがドビンボで弱小、そもそもの出だしにおいては自分達の女王が敵の遠征軍司令官におおぴらに強姦されてしまうわ、ひょっとして、このボロい国てカトリックのおっさんたちに分け取りにされちゃうんじゃね?という疑心暗鬼に苛まされるわ、のチョー悲惨な生い立ちから、勝てるもんなら勝ってみい、の不敗の体制を築くに至ったのは、とどのつまりはイギリス人が他国の社会に先立って「公共」(public)という概念をもったからだった。

Lord Nelsonは、トラファルガー沖でフランスとスペインの連合艦隊に遭遇したとき
「England expects that every man will do his duty」と
なんだか、50インチLCDテレビの前でヒマをこいているおっさんのようなことを信号旗に託して述べたが、もうすぐ戦闘だというのに、こんなムダな信号を送ろうと思ったのも、当時(1805年)には、すでに、じゅうぶんにイギリス人の下層にまで「公共」という概念が行き渡っていて、個々ばらばらな考えにはしっていては社会は全体として弱体化してボロくなる、という思想が行き渡っていたからだと思われる。

オークランドに移住してきた日本人や韓国人は、ニュージーランド人があまりに自分のことしか考えていなくて、そういうことはクルマの運転の仕方などにもあらわれて、車線を変更するときに方向指示器は自分が割り込みたいときにしか使わないし、左折も右折もインディケートなし、他のクルマにぶつかっても、多少のへこみならば隙があれば逃げる、という態度であることにボーゼンとするらしい。

あるいは家の外壁の修繕の見積もりに木曜日に行くからと言っておきながら次の週の月曜日にくる。
芝を刈りに水曜日の午後にうかがいますと述べておいて、前日の火曜日の朝にやってきて、どうやったら国内の叛乱を抑えながら隣の王国を侵略できるかという極めて難しい問題を沈思黙考しつつあった、主人(←ゲーム画面を眺めているわしのことね)の静寂を破って驚かす。

アメリカ人やイギリス人もよくぶっくらこくオーストラリア人やニュージーランド人のビジネス習慣について触れれば、仕事の依頼のemailが来ても興味がない場合には、めんどくさいので返信をいっさいださない。

なんだか、ひらたく言えば、チョーでたらめで、これでどうやって社会が成り立っていくのだろう、きっとこの国は崩壊寸前なのに違いないと考えて故国に帰ってしまう人もいるそーです。

外から見ると、オークランド住宅地の名前の良い通りは、おおきな見栄えのよい家が建ち並んで、静まりかえって、仮にビンボ人が通りを歩くというと、「けっ、おまえらもうすぐ革命を起こしてギロチン台に送ってやるから覚悟しろ」と思うこと間違いなしだが、内実は、問題がないことはない。
高級住宅地の家の値段があがりすぎて、賃金の上昇などはまったく追いつかないので、無理をして銀行からホームローンを借りすぎたあげく、返せなくなって、貸家にだす。
貸家といっても、そういう家は一週間の家賃が30万円を越える。
日本風に月で数えれば家賃が120万円を越えるので、おいそれとは借りられる人が見つからない。
ついには14人くらいの人間が共同で借りることになる。
いくら「豪邸」だと言っても14人7カップルで共有したりすればストレスがたまるので、というのは推測にすぎないが、週末ごとにプールサイドでパーティを開いてバカ騒ぎする。

こういう場合、近所はどう反応するかというと、オークランド市役所には24時間の騒音苦情対応デスクがあるので、ここに電話して文句を述べる。
ところが夜中の2時くらいでめんどくさいのだとおもうが、やってくる担当人は、クルマの窓を開けて耳をすませてみて、「たいしたことない」と判断して帰ってしまったりする。

ステレオの類いを接収する権利を持つ苦情対応係が動かないとみるや、7x2住民は大胆になって、ある通りの家などは日曜日にバカ騒音が聞こえるので窓を開けて騒音の方角を見たら屋根の上で20人くらいのひとびとが踊り狂っていた。
ニュージーランドはパーティピルやマリファナ、覚醒剤にいたるまで国民ひとりあたりの所持率が常に世界のベスト10にはいっているというストーン王国なので、やってるほうも何をやっているかわからなくなっていて、この世の終わりのような騒音が響き渡ることになる。

カウンシルが対応しないようだとなると今度は「ネイバーフッドウォッチミーティング」という「ご近所緊急会議」が開かれて対策が協議される(^^;
各人がそれぞれ意見を述べ、事務弁護士を雇って書類をつくって大家にクーリエで発送します。
ニュージーランドでは日本のような国と異なって口に出して誰か他人の行為に対して文句を述べるというのはたいへんなことで、その後段には法廷か暴力的な手段しか残っていない
(実際、アジア人の学生達が高級住宅に住んで、高級住宅地だからまわりは穏健で上品だと油断したのでしょう、毎日、朝な夕なに改造エグゾーストでぶおぶおゆわしていたら、ある週末の未明に近所のおっさんたちがクリケットバットやゴルフクラブを片手に、ぞろぞろとあらわれて、片っ端からクルマをぶちこわしてしまった有名な出来事がある)
ので、書状を見た瞬間に家の持ち主は恐慌状態で店子を追い出して対応することになる。

と書くと時間の経過がわかりにくいが、だいたい初めに大騒音パーティが起きてから、ついに書状に至るまで一年ほどかかることが多いよーだ。
なんだか煮え切らないまま、ずったらずったらと解決に向かうのはニュージーランドも英国風の文明であるというべきで、
本家の連合王国は、もっと憎悪のもちかたが気長で、以前、実家の郊外の家の近所には、生け垣をめぐって隣家と60年ほどいあがみあっている家があった。

「公共の利益」という考えが時代遅れと感じられるようになったのは、やはり世紀が変わって、21世紀に、移民がどっと増えたからで、これは英語圏の大都市全体の傾向です。
公共、という空間が最もおおきなのが国家的な公共意識をもつイギリス人とアメリカ人、最も小さいのが家族から公共の域が外に広がらない中国人というが、いまの現実は、全然そんなことはなくて、中国語を話すひとびとのなかでも香港人などはたいていの英語人よりも「公共」の範囲がおおきいようにみえる。

公共の概念が崩壊して、では社会ががたがたになったかというと、まあ、がたがたでなくはないが「公共」をもって屋台骨としていた20世紀よりはマシで、少なくとも社会全体の生産性は20世紀に較べて比較にならないほど向上している。

皮膚の色が違う、考えが違う、言うことが気に入らない、「ずるい」、
そんなことを気にしていては移民社会は成り立たないので、他人は他人で、自分に対して敵意をむけないかぎりは、どうでもいいや、というのがいまの英語圏の人間の基本的な生活における姿勢であると思う。
社会自体もどうでもいいので、日本政府の閣僚達はときどきびっくりするような奇妙なことを言うが、たとえば、いまの世の中で「社会のために子供を産む」人間など考えられない。
もっと言ってしまえば、出産どころか、社会のために個人が頑張るというような科白を聴くと、時代錯誤が極まっていて、敷島隊結成なのかー、というか、そういう社会は倒産寸前なのではないか、と思うほうがふつうだろう。

公共という概念の代わりに「手続き」(procedure)を導入したのは、もともとはアメリカ人の知恵で、最も判りやすい例を述べれば、アメリカの「Law & Order」のような刑事+裁判ドラマが日本の人をよく不思議がらせる「訴追側の手続き不備」による無罪で、容疑者が有罪であるとわかりきっていても、訴追側が手続きから外れて、たとえば、逮捕時に被逮捕者に法律上認められている権利(例:You have the right to remain silent when questioned)を言って聞かせるのを失念していれば、逮捕そのものが無効とみなされうる。

オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ合衆国、というような「移民で繁栄している国」では手続きの体系が洗練されて、いまでは公共の概念にとってかわっている。

イギリス人は「もんく国民」(←国民が全員修道僧という意味ではありません)なので、ネルソン提督が
「お国のために頑張るんだぞ」と信号旗をあげても、
「おら、弾丸の装填とかで忙しいのに、かっこつけてくだらねー能書きたれてんじゃねーよ、ばあーか」というひとびとがたくさんいたのに決まっているが、いまのイギリスならば、「自分達の社会のためにがんばる」という概念そのものが理解できなくて、艦隊の艦船をあげて
信号マストにいっせいに「?」「?」「?」「???」「はあ?」
という旗旒がはためきそうです。

さて、わしブログを読み慣れているひとは、ここまでの記事が、日本の政府や社会が盛んに強調する「社会のために行動しなさい」がいかに時代遅れで機能するわけがないか、まして、日本がやがて大々的に受け入れざるをえなくなるに決まっている移民たちが「日本を助けにくるひとびと」なのだ、というような妄想を持って開国を始めたりすれば、えらいことになるに決まっていて、
そもそも移民の力を社会の繁栄にもっていくためには、公共意識を十分に考えて練り上げた手続きの体系をつくって、移民ひとりひとりがただ自分の幸福を増大させるためにわがままに頑張るエネルギーを吸収できる社会の仕組みを前もってつくっておかなければ無理で、第一、いまどき公共意識なんて、けけけけ、というもくろみで書かかれていることに気づいていると思うが、今日はオークランドの初めての夏日で、砂浜でバク宙は飛ぶわ、沖まで全速力で泳いでいって足がつって沈没するわ、stand up paddle board
http://www.nauticexpo.com/prod/fanatic/race-stand-up-paddle-boards-sup-wood-39434-350454.html ( 画像の人物はわしではありません)
を後進させてみせて転倒して頭をボードにぶつけたりで、
たいへんに忙しい一日だったので、もう眠い。

次にします。


Summer Wine

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夏になれば飲み物も変わる。
ニュージーランド特有の質量をもっていそうなほど強烈で透明な午後の太陽の光が反射する芝を眺めながら飲むSauvignon Blancはニュージーランドで生活する楽しみである。
日本にも岩牡蠣があって、たとえば有楽町のFCCJ(外国人特派員協会)のバーから通り越しに見えるサトー製薬の「サトちゃん」の気温計が37℃をさすのを眺めながら白ワインと一緒に食べるのは東京らしいスリルも味わいもあったが、ニュージーランドにはClevedonの牡蠣があって、生で、あるいは天ぷらにして食べる。
タルタルソースでもおいしいが、ホワイトビネガーで食べると、ぶっくらこいてしまうほどおいしい。

10月になって、もう昼間(ちゅうかん)は夏で、緑の洪水のような自分の家の庭のなだらかな広がりと、白アンチョビと牡蠣の天ぷらを肴に、よく冷えたSauvignon Blancやロゼを飲みながら午餐ができあがるのを待っていると、夏だー、と思う。

日本では、ババリア人の影響なのだろうか、ビールは夏ぽい飲み物で、ビルの屋上ででっかいマグになみなみと注いで、一気に飲み干して、口の周りに泡をくっつけて「ぷはああー」というイメージがあるが、イギリスやニュージーランドでは、(最近はアメリカ人の影響で変わってきたけれども)どちらかという寒い天候のイメージがある飲み物で、飲み方も、半パイントのビールをふたつの手のひらで抱え込んで、ちびちびと飲む。

どこかで聞いたことがある人もいるだろうが、若い欧州人がワインを飲まなくなってひさしい。
週末になればダンスクラブに繰り出して、ときには裸になって踊り狂うクラブカルチュアのせいで、ワインは見捨てられたように飲まれなくなって、ジンとウォッカが取ってかわった。

20歳くらいの頃は、クラブのフロアで、グラスから飲むのがめんどくさくなって、ウォッカを瓶からラッパ飲みしたりしていたが、酔いの刺激は強烈で、まるまるひと晩の記憶がないのは普通のことだった。

ワインのほうはといえばお行儀のよい社交の道具で、初めて行く超高級レストランで、Tシャツとスニーカーのチョードレスダウンででかけて、なんとなくバカにした態度のウエイターおっちゃんも、テイスティングの仕草を確認すれば、いっぺんして悔い改めた態度になって、うやうやしくなる、というような下品な世界に属している。

母親がロシア人の女の友達の家のパーティに出かけて、スウィミングプールに古典的な飛び板がついているのをおもしろがって、バク宙で飛び込んだり、二回ひねりで飛び込んだり、しまいには60年代のサイコーにクールな映画「Harper」に出てくるローレン・バコールの娘のマネをして、ツイストで踊り狂ってみせて、くたびれはてて、カウチに深々と座り込んで、半分ねむっていたら、パーティのホステスが、やってきて、これを飲んでみろ、と冷凍庫からとりだしたばかりの、ロシアの、見たことのないラベルのウォッカの瓶をもって立っている。
「飲み過ぎたから、いらない」というと、両手を腰に当てて、
「ガメ、きみは、わたしのウォッカが飲めないというのかね」と、ふざけて述べる。
ふざけてるけど、どうやらこれには、このチョー美しい高校生の女びとの栄誉と誇りがかかっているようだ、と理解して、その氷よりも冷たい液体を一気に飲むほすと、凍った炎がのどを通過するようで、ウォッカという飲物の素晴らしさを理解したのは、そのときが初めてだった。

酒も飲み過ぎると興味がなくなるもので、この頃はもとにもどって、おとなしくワインばかり飲んでいるが、ときどきジンやウォッカを飲むと、モニさんと結婚するまえの、ろくでもない、でもおもいだすと、心臓を小さな棘でちくりとさされたような、感情でないもので涙腺を刺激されたような、不思議な気持ちになる。

分厚いコートを丹前のように着込んだばーちゃんふたりが、冬の朝のバルセロナの舗道にだしたベーカリーのテーブルに向かい合って座ってスペインのあのはちみつを塗ったクロワッサンとカバ(スペインの発泡酒)でおしゃべりに熱中している。
グラシアのカーサブランカがあるのとは反対側の端っこにある坂道の途中で、
「ガメの道順はわかりにくいなあー」とつぶやきながら、あの坂道をハモンショップに向かって歩いたjosico はんは、もう少し坂を先までのぼっていれば、このベーカリーの前を通ったはずである。
ベーカリーのテーブルでカバを飲むのはヘンだが、あの近所の人はいまでもそうしているに違いない。

カタロニア人のマネをしてporron

http://www.worldwinder.com/2013/01/17/drinking-wine-from-a-porron-in-spain/

からワインを飲むのが、グラシアにいるときの、ぼくの、モニが笑いながら顔をしかめる習慣だが、モニさんは笑っても、不思議や、バルセロナにいるときには、porronのみでないと赤ワインはおいしくない。

英語人のぼくには俄には信じがたいほどカッコイイ名前のカタランのガールフレンドと一緒に日本の四国島に住んでいるルークは、porron飲みが出来るかしら、と考えて、あのなんだか途方もなく無垢な魂のオーストラリア人ルークも、日本語世界の薄汚さに嫌気がさして日本語を使うのをやめてしまっているのを思い出して、ちょっと酔いがさめる。

カバでつくったサングリア

や、イチゴやオレンジやグレープを、これでもかこれでもかこれでもかといれた裏通りの料理屋のおばちゃんがつくってくれるサングリア、
バルセロナには夏の飲物がたくさんあって、やわらかい、それでいて爽快な飲み味を思い出すと、バルセロナがなつかしくなる。
グラフィティだらけのシャッターが降りた、夜更けのバルセロナの裏通りを歩いて、そこにだけ人恋しさの光が射しているような小さな広場に面した一角に出ると、
「Bona nit」
「Adéu」
カタロニア語の、少し誇りがこもって浩然とした響きが、あちこちで壁に反射している。

落ち着いて考えてみると、もうあんまり日本語の側に立って日本語と関わっていてはいけないのだな、と考えたのは、日本語に名物の、訳がわからないくらい理由もなく失礼なひとたちや、これと目を付けると、ほとんど永遠につきまとって、あれこれと秘術をつくして中傷を述べ続ける不思議なひとびとに嫌気がさしたというよりも、日本語人と世界への関心のもちかたが根本から違うからなのではないかと思いあたった。

あれ以来、ここまででたくさんの友達の日本の人が指摘してきたが、集団サディストたちも、突然やってきてひとつかみの悪罵を投げつけて自惚するらしいひとたちも、どうやらほんとうに「他人の視線」が自分をまで決定するらしい。
「自分が楽しければいいんじゃないの?」
ということはなくて、日本語人にとっては
「他人から見て自分が楽しんでいるようにみえる」ことのほうが大事なよーにみえる。

聡明であることよりも他人から見て聡明に見えることのほうが、あるいは、正しいことよりも他人から見て正しく見えることのほうが大事で、日本の人が話しかけられると、話題によらずに、なにがなし慌てたように大急ぎで返答するのも、そういうことに関係があるようにおもえる。

日本滞在中に、正午ちかく、山の家の裏の森に出したテーブルですっかり酔っ払って、
「あああああー、気持ちええだ、いえーい」とツイッタで述べたら、
間髪をいれずに
「昼間っから酒が飲めていい身分ですね。ほんとはリストラされたオヤジなんですか?」
と述べてきたひとがいて、チョー日本人ぽいと思ったが、
ときどき日本の社会が30年ほど前の過去に猛烈に繁栄して、この先の未来にも、また繁栄が待っているかもしれないのは、つまりは日本社会の非人間性のおかげで、いざとなれば一致団結して人間であることを捨てられる崇高な国民性のせいで、いまさら特に文句を述べなくても、こちら側の文明に手出しをするのでなければ、別にいいのではないか、という気がする。
個人にとっての自由主義といえど、欧州人とその系属以外にとっては、たくさんある社会のありようの選択肢のひとつにすぎなくて、「いまは便利だから便宜として『自由』を信奉しているだけ」だからです。
狂信的に自由を信仰する西洋人とは異なって、あくまでも相対的な価値である。

日本の社会を模倣することによって出発した、紛れもない全体主義国家のシンガポールが次第に西洋諸国家に受け入れられつつあるように、日本も人間性などは看板建築の看板として掲げるだけの全体社会主義国家として生き延びていくことは十分考えられて、その姿勢が「伝統文化」として当の日本人に圧倒的に支持されている現況では、外からとやかくいうことではない気がする。

カリフォルニアの先人が南アメリカ人とは異なってサマーワインに蜂蜜をいれるのを好んだのは、それが本質的にはどれほど苦い飲物だったかを知っていたからではないかとおもいついて、
笑いたくなるような、泣きたくなるような、人間のどの感情からも少しずれた感情がわいてきて、もう少しウォッカを足さなければ、
これからの夏は過ごせない。

あーあ。


日本語ノート2

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日本語の底の闇へ歩いていって、たとえば政治と個人の葛藤が立てる軋音を聞きたければ、やはり吉本隆明よりも堀川正美のほうがいい。
吉本隆明が自分の「絶望」に酔っ払ってしまった、そのさらに下の奈落まで堀川正美は降りていったからで、たとえが悪いが、潜航限度を遙かに超えて深い水深に沈潜して、鋼殻が水圧に耐えかねてあげる悲鳴であるとでもいうような日本語は、堀川正美だけがたどりついたものだった。

吉本隆明は、絶望、絶望と述べて同時代の誰彼にも「おまえは絶望が足りない。もっと深く絶望しろ」と述べることが多かったわりには、本人は、やさしい笑顔と近所の人に「先生」と呼ばれたりする下町風の「知識人への敬意」を単純に愛した人で、自分個人の生活には光が射しているが、堀川正美は、生活というようなものには遙かに背を向けて、吉本隆明が推奨する「絶望」の、その向こうの誰にも届かないさきへ歩いていってしまった人だった。

ぼろぼろな敗戦の、前線から引き揚げてきた復員兵士の眼で、鮎川信夫は戦後の日本を眺めていて、吉本隆明のように特に絶望など志さなくても、鮎川の詩を読んでいると、本来は抒情詩人であったこの人が、戦後の日本社会においては、そこに蠢く人間たちをさえ「意匠」と感じて眺めていたのがわかる。

国情のちがい
心性のちがいはどうしようもない
いかに私が外国かぶれでも
愛という言葉は身につかぬのである
身についていたら
とっくに破滅していたろう

_「愛」

と述べた詩人は、自分が「愛」という言葉を口にしたことがなく、「愛」を口に出してささやかれたことがないことを「愛」という感情そのものが舶来であることに理由を求めるのが常だったが、真実はどうだったろうか。

堀川正美は、しかし、鮎川が立っていた地平線をさえ通り越して、日本語世界には珍しい乾いた感情が言葉をひび割れさせ、変形させるところまで到達してしまっていた。

そこでは表現も言語も壊れて、美しさは浅薄なものとみなされ、完成された表現は、虚偽であるとみなされた。

わたしのイロニーはいまや一本の犬釘となる
この木偶ピノキオの心臓に打ち込む
心臓に打ち込む
よく心ひらいた御窓よ
はめ殺しの窓を許せ
日は輝いて降る霜をみつめる年々
すぐにあなたの年齢を追いこすさ
深い秋    もう ないさ

_ねむれ 姉貴 国友千枝追悼

と書く詩人には、現実の世界では、夜のあとに、また性懲りもなく太陽があらわれて、朝がくることが訝しくて仕方がなかったことだろう。

日本語が絶望に届いていたのは、だいたいこの頃までで、70年代といえば、すでに中年になってから徴兵されて戦場へ送られた大岡昇平や吉田健一を除けば、飢餓と陰惨な軍隊内部の暴力を生き延びて、戦いといえばほとんどの場合、現地の村落を襲って食べ物を収奪するか、女たちに襲いかかることを意味していた戦場から生還した鮎川信夫たちの世代は40代から50代であったはずである。

石原吉郎が死に、鮎川が死に、田村隆一や、北村太郎たちが死んで、日本語が記憶した「絶望」は、彼らの死とともに失われていく。
最大で直接の原因は「詩が読まれなかったから」で、二千部や三千部を刷って大量の返品がある詩集などは、ふりかえれば当時の日本語世界の最高の到達点でも、すでに物質的繁栄に浮かれて、コピーライターの言葉に踊るようになっていた社会では見返られることすらなかった。

ひどいことを言うと、きみが「日本語を捨てることにした」というときの、その「日本語」は、近代の遠くから日本語をここまで追いかけてきたぼくにとっては、ちょうど猿類の母親が死児を抱えて生活するように、日本語という一種独特な洞窟の壁に、もっとも心地よく反響する表現を売りさばいて、とうとう日本という社会の性格をつくりあげてしまった、商業的コピーライターたち、たとえば糸井重里のようなひとたちが、幾ばくかの見返りのために無惨に刺し殺してしまった日本語の屍にすぎないのだと思う。

きみが新しい生活を始めた町は、英語人の町で、英語は実務的で、不動産契約にもっとも向いた言葉だとフランス人がよく憫笑するように、情緒が剥落した言語だが、その奥には、人間性へのあきらめや、人間そのものへの途方も無く深い絶望が眠っている。

20年後、30年後、きみがそこにたどりついたときに、ぼくの母語について、きみがどんな感想を抱くか、ぼくにはわからない。
これからぼくは、肉体の原形をとどめないほど破壊された日本語を前において、検屍する人のように、日本語というかつては美しかった言語の肉体にメスをいれていくだろう。

紫色の痣斑、くずれた顔、とびだした眼球というような様相を呈しても、なぜか屍体というものは、やさしい、なじみ深い感じのする、言ってみれば、ずっと会いたかった友達と邂逅するような気持ちになるのを、きみは知っているだろうか。

もう誰もいなくなったこの部屋で、ぼくは日本語のうえに上体を屈ませて、夢中になって音韻に付着した褐色粒や、みつかりにくいところに隠れていた糜爛を注意深く眺めて、その理由を考えている。

そのことを、なんてムダなことをするのだろう、といつかきみは手紙で笑っていたが、そうでもないのさ、
日本語が大好きだというのが第一の理由だが、ほかにも理由はある。
その理由を話すのは、いまは早すぎる。
きみが英語の奥底の暗闇にとどいたとき、きっと、ぼくも打ち明ける。

そのときまで。



日本の横顔

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遠くから日本と中国、韓国を眺めていると、おもしろいな、とおもうことがいろいろある。
たとえば日本のがわに「日本に住んでいる韓国人は出て行け」という運動が存在するのに韓国側には「韓国に住んでいる日本人は出て行け」と述べる運動が存在しないらしい。
韓国人や中国人とはやりとりが英語(ひとりだけフランス語)で、日本語インターネットでみる日本人と知識層がちがうのかもしれないが、韓国人のほうは、なんだかおっとりしていて、
「日本で反韓運動やってるでしょう?」と水を向けても、やってますねえ、すごいらしいです、で、なんとなく他人事である。
話は、すぐにどこの国のどの大学で求人があるとか、英語のアクセントをなおすにはどうすればいいと思うかとかで、自分の生活の話にもどっていってしまう。
あんまり日本人がどう思おうと興味がない、というのがありありとわかるので、こちらも話の接ぎ穂がない。

仕方がないので、ひとりで日本で起きていることを眺めていると「歴史修正主義」に反対する人たちが「反嫌韓運動」をしているひとたちにかみついていたりして、
天井桟敷からでは距離が遠すぎて、なんだかよくわけがわからない。
南京虐殺が存在したことを認めろ、と迫っているひとたちが、猛烈な罵詈雑言で、相手が黙り込むと勝ちどきをあげて「がっはっは、おれが勝った。しっぽまいて逃げやがった。バカめ」と述べていたりして、読んでいる方は、
南京市街に突入して、悪鬼のように中国人を殺しまくり、銃剣が折れそうなほどの勢いで誰彼をかまわず刺突して、バンザイを吠えるように三唱する丸眼鏡の陸軍兵士たち、あるいは韓国人の「ピー助」をひいひい言わしてやったぜと笑いながら、慰安所の筵がけの小屋からズボンをずりあげながら出てくる「皇軍兵士」を思い出させられて、言葉にならないほど、げんなりする。
面白いのは、ふつうの国では、こういう、話者の品性を過不足なく反映する言語の醜さはナショナルフロントと自称したりするタイプの、我が国の栄光を見よ、国権国家主義者の属性であるのに、日本では多くリベラル側の特徴であることで、なぜそうなったのかは、誰かの研究材料になりそうなくらい興味深い。

酷いことを言うと、この攻撃性と、この蛮性では、攻撃している相手より、よっぽど「皇軍兵士」に似ているんだけど、と思う。

どんな国の政府も情報操作のためのセクションを持っているが、数ある反対を一挙に踏みつぶして全体主義国家を完成するためには、わざとリベラル側に野放図な攻撃をさせて、いきりたつ御用学者を抑えて、「自己満足のために正義を利用している」と「良識がある国民」がリベラルの非人間性にうんざりしたところで、いっせいにリベラルがよって立つ場所を粛清する、という古典的な手法がある。
だいたい単純な正義意識をもったジャーナリストを利用して、こういうセクションが直接接触をもつアンダーグラウンドジャーナリズムの世界を通じて話をもちかけ、しばらくやりたいだけやらせる。
むかしからリベラル人には、単純な正義の味方を気取ったオチョーシモノが多いので、パチモン知識人のなかから、いちばん調子をこきそうな(←言葉がチョー悪い)マヌケを選び出して、わざと御神輿の上にあげてしまう。
別に日本に限らず大衆社会とはそういうもので、ある程度有名になれば後ろをぞろぞろとたくさんの「反全体主義・国権国家主義」のひとびとがついて歩き出す。
あとは、おもいのまま、一網打尽であるのは言うまでもない。

年をとっても老婆にはジェンダーの問題で成れないので、来世を待たなければ老婆心はもてないが、ダイジョーブなんだろうか、と思う。
なんだか政府の思惑どおり、筋書き通りの気がする。
情報を操作するほうは、その道のプロである。
第一、他国人から見ても戦争をはじめて戦争犯罪を繰り返すのは社会の政治的な質よりも国民性の問題で、
日本研究者のなかには何よりも「リベラル」の言動を見て「ああ、やっぱり」と思ってみている人がいそうな気がする。

中国人に、この話をしたら、「日本人は、そうだよ」と言って、おまけに、当たり前ですよ、と言って、ふきだされてしまった。
日本の人に良いところがあるのはわかりきったことで、ドラゴンボールZもナルトも、中国系人にとっても共有財産で、日本の人がおもわず想像してしまうようなおどろおどろしい憎悪ではないが、中国の若いエリートは、よく「日本人の蛮性」ということを述べる。

東アジアきっての好戦的民族、他者を陥れたり攻撃したり、貶めたり、政治においても糾弾するのが三度の飯より大好きというイメージは、韓国からインドまで、あまねく広がっている「大和民族」のイメージでもある。
南京市民に襲いかかる皇軍兵士と寸分変わらない快哉を叫ぶ日本のリベラルは何のためにあんな論争の仕方をするのだろう、と疑問を口にすると、
「勝って、相手の顔を泥水のなかにぐりぐりするのが好きなんでしょう。日本人だもの。右も左もない」と言う。
当然、という顔つきです。
こちらは日本にいたことがあるので、そうだっけ、と、どんな社会だったか思い出そうとするが、考えてみれば最後に数ヶ月滞在してからまる4年経っていて、ちゃんと思い出せない。

そのうちに、めんどくさくなって、中国人友達が器用に散蓮華に乗せて食べている小籠包の話に移行してしまった。
きみは黒酢で食べてるけど、ほんとうは紅酢のほうが、おいしいんじゃないの?
きざみ生姜はなしでいいのか?
それとも、ないからショーガない?

考えてみると、子供のときに訪問した日本は、もっと手触りのよい、すべすべしてやわらかい社会だったような気がする。
Uさんという60年代から日本に住んでいるドイツ人ばーちゃんに述べたら、「そんなことはありません。日本は昔から野蛮な国です。どうしてあなたは、そんな事実と異なるくだらないことを言うの」とバシッと言われてしまったことがあったが、こちらは頭のなかに、葉山のかき氷屋さんの店先で揺れている「氷」の赤い旗や、森戸海岸の沖からみえる夏の太陽に照らされた鎧摺の山、あるいは青山のヘアドレッサーで、なあんだガメ、元気ないなー、よおおおーし、おねーさんが明日デートしてやるから、めかしこんでこいよ、キディランドでも行こか」と述べたりしてくれた、わしの最愛の年長の友だち歌子や、
思い出してみると、Uさんのように、きっぱり「日本は昔から野蛮な国だ」と言い切る気持ちのキリがつかなくて気持ちが曖昧になる。

ここで「維新號の豚まん」と言い出すと、食い意地が張っているのがばれてしまうが、銀座の維新號本店で、戦後すぐは東京人にとってゆいいつの肉がはいった食べ物だったという、あのでっかい豚まんを頬張りながら、デパ地下をめざして歩いてゆくのが楽しみだった。
荒廃した六本木やモニが死ぬほど嫌っていて世界堂にクルマで寄るくらいしかできなかった新宿と違って、銀座はわしにとっては子供の頃にストップオーバーで東京に滞在していた頃から終始一貫、おもろいものが理不尽なくらいたくさんある遊園地みたいなところだった。

東京の店の風変わりで良いところは、変わったものや、あんまり数が売れそうもない商品も「在庫」で置いてあるところで、アウロラやモンテ・グラッパの万年筆がずらりと並んでいて壮観だったり、一誠堂という書店に至っては、なんでこんな本がここに、と思うような連合王国の稀覯本が、おいてあったりした。
古書店街などという過去の遺物が残っているのは東京の神保町だけだと思うが、それは無論東京という時代から取り残された町の栄光で、影ではない。

東京の、やさしい、おだやかな顔を思いだそうとすると、当たり前なのかも知れないが、思い浮かぶのは「人の顔」で、透明な海や、南の風にそよぐ木の枝、というようなものではない。

ところが、その「おだやかな日本人の笑顔」と、日本人の生活のあらゆるところにみられる「好戦的な野蛮性」がどうしても結びつかない。
いまのざらざらとしてささくれだった社会の様相が、記憶のなかの「たおやかな日本」と結びつかない。
何度考えてみても、これはたいへんな難問で、もう日本語が剥落しつつある頭では考えても無意味なので、やめてしまったが、
誰かが考えてくれないものかなー、とよくないものねだりをする。
喉にひっかかった小骨、揉気扼腕、隔靴掻痒、というべきか、
なんだか糢糊として、そのくせはっきりとした違和感がある。
まるで一週間考えていたのに、結局解けなかった数学の課題みたい。

うー。


「美しい国」の向こう側

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A strong Japan has potentially some of the tendencies which the Prime Minister mentioned. A strong Japan has the economic and social infrastructure which permits it to create a strong military machine and use this for expansionist purposes if it so desires.
The American forces on Japan are in this respect totally insignificant.
They play no role compared to the potential power Japan represents.
In fact, they create a paradox because it is our belief, and this is one of the occasions where we may be right, our defense relationship with Japan keeps Japan from pursuing aggressive policies.
If Japan builds its own military machine, which it will do if it feels forsaken by us, and if it builds nuclear weapons, as it could easily do, then I feel fears which you have expressed could become real indeed.

In fact, Mr. Prime Minister, from the point of view of the sort of theory which I used to teach in universities, it would make good sense for us to withdraw from Japan, allow Japan to re-arm, and then let Japan and China balance each other off in the Pacific.
This is not our policy. A heavily rearmed Japan could easily repeat the policies of the 1930’s.

So I really believe, Mr. Prime Minister, that with respect to Japan,
Your interests and ours are very similar. Neither of us wants to see Japan heavily re-armed. The few bases we have there are purely defensive and enable them to postpone their own rearmament. But if they nevertheless rearm heavily, I doubt that we will maintain our bases there. So we are not using Japan against you; this would be much too dangerous for both of us.

テーブル越しにアメリカと中国の太平洋安全保障への認識がいかに同じ立場に立っているか、切々と述べているのはヘンリー・キッシンジャーで、時折うなづきながら真剣に聴きいっているのは周恩来です。

NSCに安全保障政策立案が移行した当時の
「日本に基地をおいているのは日本の軍国化を妨げるためである」
「アジアにおいて最も危険な国は我々の同盟国の日本にほかならない」
「日本が自らの意志で重武装化を始めればアメリカは日本との同盟を解消することになる」
というアメリカ合衆国の太平洋安全保障への認識は、いまでも変わっていない。

1971年にヘンリー・キッシンジャーが周恩来に述べた言葉が、最後のアメリカの東アジア外交で述べた「本音」の記録で、その後、冷戦が終了し、中国がアグレッシブな姿勢を見せるようになってもアメリカの東アジア外交、特に安全保障政策は、この認識の延長上にある。

「守られている」はずの日本人が、戦後からいままで、なんとなく釈然としない気持ちに陥って、昔からさまざまな形で、左から右まで、国民のあらゆる階層をあげて、片務軍事同盟条約を結んで一方的に「日本を防衛している」アメリカ合衆国に対して不快感を表明しつづけてきたのは、国民としての「勘」で、なにかがヘンだと気づいていたからでしょう。
日本人が沖縄について話すときに「日本とは分離したもの」として話したがるのは、物理的な基地面積の割合が小さいだけで、なんのことはない、本土もまたアメリカにとっては沖縄と同じ存在にしかすぎないことを、心のどこかに認めたくない気持ちが働いているからだと観察される。

アメリカのほうからすれば、暴力によって徹底的に粉砕した狂信的な国家主義の国を、組み伏せて、プライドも文化的伝統も破壊しつくして、相手の手から武器を奪って、その代わりにおれが守ってやるから、ということにして、相手の国に巨大な軍事力とともに居座ってしまえば、将来にわたって手も足もでるまい、という「読み」だった。
日本の側は日本の側で、日本には珍しい現実感覚にすぐれた外交官の出身で綱渡りの綱を渡りきってしまうだけの度胸と自信をもった首相が、アメリカの読みをさらに深く読んで、自らの桁外れの攻撃性によって滅んだ自国が復活するためには、もうこの方法しかない、と決意していた首相に政府が率いられていた。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/27/葉巻と白足袋/

予測が出来なかった「冷戦が終わる」という事態を迎えて、むかしから国際政治学者が世界の最終ステージと考えていた「文明と文明の衝突」の段階にはいっても、あるいは、その段階に移行したからこそ、アメリカ合衆国は、中国の視線の先にあるものは、日本よりも台湾であると信じてきた。

アメリカと中国の東アジア安全保障への認識が、どんなに対立的になっても基本は同じである、という事実はアメリカ合衆国と中国とに、いわば「落ち着いて」問題に対処する堅固な共通の地盤を与えている。
同質の共通認識をもたないムスリム諸国家やロシアとのアメリカ合衆国の対応の違いは、まさにそこから来ている。
何度かこのブログ記事に書いたヒラリー・クリントンの奇妙な手紙は、最終的にはアメリカが何を譲れないか(裏を返せば何を譲りうるか)という太平洋の自由主義諸国への表明であると同時に昔から高度な外交上の読解力をもつ中国政府への重大なサインでもあった。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/ヒラリー・クリントンの奇妙な提案/

だからこそ、
「Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan’s leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan’s neighbors.
The United States hopes that both Japan and its neighbors will find constructive ways to deal with sensitive issues from the past, to improve their relations, and to promote cooperation in advancing our shared goals of regional peace and stability.
We take note of the Prime Minister’s expression of remorse for the past and his reaffirmation of Japan’s commitment to peace.」

という在日アメリカ大使館のステートメントは、恐らくあとでふりかえれば、(ちょうどヘンリー・キッシンジャーとリチャード・ニクソンが日本へまったく相談することなしに中国と突然の友好条約を結んで日本を外交的窮地に追い込んだように)そう遠くない将来において起きることがほぼ決定づけられてしまった、日本を捨てて中国との直接交渉による東アジアの安全保障体制にはいっていったことへの分岐点として、いま認識されているよりも、もっと重大な歴史上の瞬間として記憶しなおされてゆくに違いない。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/01/02/disappointment/

 

政治においては起きてくる事象を説明するにあたって特異点を無視することがもっとも危険で、
たとえばアメリカが海軍の演習に中国を加えるというような特異点は、そのように考えられるべきで、他の観点からは、説明できないのだけど。
まあ、いまさら、ということなのでしょう。


衝立のこちら側で

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ハリウッド版の呪怨「The Grudge 2」でインターナショナルスクールの女生徒が怨霊によって押し入れに閉じ込められて、必死で引き開けようとして虚しく暴れるところが出てくるが、ポップコーンを食べながらシネマコンプレックスの椅子にカップルで腰掛けて眼を見開いて怖がっている英語人はごまかせても諸事万能の精細な知識を持つ十全外人は誤魔化せない。
襖などは、ほんとうは紙と、か弱い細木で出来ているだけのものなので、女といえど、健康ですくすく育った現代高校生の「がたい」があれば体当たりをぶちかまして襖ごと倒してしまえばいいだけである。

あるいは風車の屋七が助さんや角さんと悪代官の行状を声を潜めて話しているが、よく見ると隣の旅人のあいだにあるのは「衝立」だけで、チョー面白いというべきか、衝立くらい興味をひくものはなくて、襖はドアのふりをしているが、衝立に至っては壁のふりさえしていなくて、いわば注連縄と同じで「結界」の役割を果たしているにすぎない。

ヘンケン博士的仮説に過ぎないかも知れないが、日本人が観念をもって現実となすことかくのごとし、と思うことが日本にいるときにはよくあった。
その最たるものは満員電車で、一定密度を超えて車内が稠密になってくると、まわりからべったりへばりついてくる人間は人間としては存在しなくなって生物とは認められない物体化する。

満員電車がさらに稠密になると否応なく手先やときには股間(←下品)までが物理的に痴漢をはたらくが、これはぼくの意志ではありません、という強い表明を表情や身体の傾きや、特に手のひらの位置を調整することによって「主観的に痴漢ではない」状態をつくる。
みなし正常人というか、ほんとうは物理的には身体が痴漢していても観念の力によってマジメな勤め人として目的駅にまで到達する。

そこの口元が下品なきみ、あ、出羽の守!というような退屈で凡庸な罵り言葉によって早まってはいけません。

21歳のアルベルト・アインシュタインにならって、ここで思考実験を行う。
きみはシカゴのアラトンホテルでリフトに乗り込むところ。
別にアラトンホテルでなくてもいいが、むかしわしガキの頃に朝のアラトンホテルでリフトを待っていたら、若い知的で上品なキャリアウーマン風のチョー美人が、かーちゃん+わしとリフトを待っていて、ところが当時のアラトンホテルは大改修前で、なにしろ1920年代だかなんだかのリフトのままなので、ものすごおおおく、のんびりで一向に上がってこない。
20分という時間がすぎたころ、この若い品(しな)上がるひとが、「このf***in‘エレベータめ!ふざけやがって!!なめとるのか、クソが」と述べたのをいまでもときどき思い出しては昔のシカゴを懐かしむので設定として借りているだけです。

ドアがびいいいっと開いて、中にひとり人間が乗っている場合、きみはにっこり笑って、乗り込み、アラトン速度でゆっくりゆっくりゆうううっくり地上に降りるあいだ、ま、年代もののエレベーターちゅうのも悪くはないですのい、人間の社交性を刺激するという点で功徳があるともいえる、というように会話するだろう。
5人になると、乗るときににっこり笑うところは同じで、かつてのアラトンホテルのリフトの茶目っ気で、どおおーんと、ちょっと揺れたりすると、「ひゃ」と言って、「ロープが切れたかと思った」と軽口をのべて笑ったりもする。
ところが12人でぎゅう詰めで、夏の盛りに隣の女の人の剥き出しの腕がべったり自分の腕につくような状態では、だまりこくるのではないかと思われる。

インドの映画を観ていてもインド都市の東京に数倍する満員電車のなかでは、やはりお互いに眼をあわさず、あっちやこっちを向いて、まるで辺りが無人であるかのごとくに振る舞うのが正しいマナーと見なされているもののようで、特に日本文明がうんねんかんぬん、日本人はうんかんぬんぬん、というものではないよーです。

日本が特異的に、ということではなくて、ひとつのコミュニティが現実に対する感覚を失って観念が認識のなかで優位になる、ということには、社会生活における人間の密度はおおきな役割をはたしているようにみえる。
習い、性になる、という。
毎日毎朝、まわりの人間を人間でない物質とみなしていると、ついに人間を人間とみなす回路が崩壊するらしい。

「マンハッタンはアメリカではない。アメリカ人の条件である現実感覚を彼らは不思議なほど持ち合わせていない」という趣旨の意見は、たとえば中西部の町に行けばいくらでも聞けるが、田舎に住む人間の都会人への嫌悪というふうにとらないと決めて検討してみると、案外、ほんとうなところがあるかな? ほんとうだとしたら密度がやはり問題なのだろうか?とむかしはよく考えたものだった。

日本では、もうずいぶん前に放送されたらしい、ドイツの公共放送ZDFのドキュメンタリのリンク

を送ってきた年長の友だち(日本人・40代)は、
「日本はやはり破滅すると思う」と悲観的な言葉でemailをしめくくっている。

経緯を述べると、自分で言っていても信頼性がないような気がしたが、あまりに福島事故のあとにばらまかれた放射性物質に関連して自分と家族の将来を悲観するのでチェルノブルと異なって大半の放射性物質が地下に潜ったことによって生じる「対策をする時間」が日本人にとって幸運として働く可能性はなくはない、と書いておくったことへの返答で、ガメは、もう日本の将来に興味をもっていないから、そういうテキトーな慰めを言う、現実はそれどころではない、ということを示すためにおくってきたもののよーでした。

福島第一事故のその後についての、多少とも科学的素養をもつ英語人の目下の反応は、要約すれば、当初恐れたような海洋を媒介しての放射性物質の急速な拡散は実際には起こらないようだ、という曖昧な安心がまず存在して、その現実認識を元に「仮に犠牲者がでるにしても日本に住む人間に限定されるのだから、案外だいじょうぶだったという将来から大量の不審死者がでる将来まで、いずれにしても日本人の勝手でほうっておけばよい」というものだと思う。

日本の政府が述べているように事態がコントロールされているとはまったく思っていないが、おもいがけず拡散しないことがわかって日本に限定された災害であると判定されたところで急速に関心を失っている。
汚染水の垂れ流しについても、「最悪の場合でも北太平洋の魚を食べなければいいだけだ」と述べてあったりして、日本人はどうしてこれほどの問題に安全とひとり決めして安閑としているのか、と訝る気持ちはあっても、もう自分達にとっては切迫した問題ではない、という気持ちがあって、話題にのぼることはほとんどなくなった。
2020年の東京オリンピックが近づいたときに、選手として派遣されるオーストラリア市民の健康が心配されるのでボイコット運動をする、といまから発表しているカルデコット博士たちのような「短期間でも東京にいくことは自殺行為だ」という意見は、あまり聞かれなくなって、たとえば一週間や二週間の滞在なら、内部被曝は避けられないにしても帰国したあとに排出されるので、それほど心配するほどではない、という気持ちが強くなっている。

「自分達の問題でなくなった」という意識が強くなるにつれて、リンクのZDFにしても、2011年や2012年のものとは、よく観るとトーンが異なっていて、日本政府と東京電力の人道性の欠如を問題にしている。
それに伴って「日本人の非人間性」ということがよく言われるようになって、パーティやなんかで聞いていると、なんだか、通常の日本人にとっては踏んだり蹴ったり、というか、なにしろ外国の人間にとっては政府も東京電力も、その辺の日本人も、政府の無責任に激しく反発して通りに出てくる反原発の日本人も一緒くたなので、
政府や大阪市長の堂々たる慰安婦問題否定や嫌韓デモ肯定発言の印象とごっちゃになって「日本人は、人間性に乏しくてこわい」になっていると言えなくもない。

言えなくもない、と糢糊糢糊(もこもこ)した言い方なのは、自分達と直接関係すること以外にはなんの関心ももてない英語人の悪いくせで、日本のことなど関心をもつ人は稀だからで、こう述べている本人も日本語でブログを書いているとき以外は日本のことなど欠片も考えていないので、到底、同胞を非難するわけにはいかない。

傍から見ていると、日本政府は福島の東半分を「励ましながら悟られないように 見捨てる」ことに成功しつつある。 
ちょうど戦後の沖縄と同じで、「同情と憐憫をもちながら福島県民の犠牲に感謝する。でもなにもしないけどね」ということなのでしょう。
放射性物質の危険を説き、反原発を述べるほうの人たちのほうも、公平に述べて、福島人をいまの窮境から救い出す、という切羽詰まった気持ちよりも、観念の勝負所である「原発は是か非か」というほうに夢中なようで、遠くから無責任にゆってごみんx2と思うが、反原発より無茶苦茶に汚染された町で「こわい」というひとことも言うことを許されずに生活する福島人を救うほうがプライオリティとして普通なら先なんだけど、と思わせられる。
被災地帯の住民を仮設住宅から救いだせない運動は、実効的な意味をもちうるだろうか?
ひどい反原発人になると福島人をあしざまに言う人も存在して、読んでいて困った気持ちになる。

政府は激励ばかりで現実の援助はなにもしてくれない、と言った、例の南相馬村出身の女の人は、「日本人は冷たい。政府や東電はもちろん、いまでは普通の日本人も信用する気持ちはなくなりました」と書いてきた。
外国人に日本の悪口を書く、というものではなくて、どこにもやり場のないいつもは隠している「本音」を文字にしてぶつけている、という趣の激しい文面だった。

政府は、言うまでもない、論外で、たとえチェルノブルの強制避難区域に相当する放射能汚染地区が安全だと政府がマジメに思っているのだとしても、南相馬村の女の人が希望した「政府による全村民の強制移住」は出来なくても、移住を希望する住民は移住させるのが政府の最低限の役割ではなかろーか。
戦時中の日本政府ですら、そのくらいのことは出来た。

フクシマは、すでに観念の「衝立」の向こう側にある。
将来、汚染地区に住む人が死のうが生きようが障害のなかで苦しもうが、存在しなくなったのだから、日本の人も世界の人も、もう気に病みはしないだろう。
「原子力村の政治力」よりも、「関係がないものへの無関心」は遙かに強力で、太古のむかしから人間が不運に陥った人間を見殺しにする能力こそが、人間の社会を継続させるちからであったことの皮肉を思いおこさせる。

結界を築いて心の安寧を保ったつもりでも、自分が内側にいるはずの結界の外で孤独で荒涼とした死を迎えるのは、案外と観念をつくりだして安住したつもりの自分のほうなのかもしれません。

 


言葉のたのしみ

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Bon dia.

お盆におじやを食べているわけではありません。
カタロニア語で「おはよう!」という意味。

Good morning!
と英語なら言う。
Good morning、と述べて相手が、こんなクソ朝なんて、という人はいないが、ウンブリア(イタリアでゆいいつ海を持たない県。日本なら長野だろーか)の小さな村で、窓から顔をだしているばーちゃんに、
「Buon giorno」と述べたら、あんた、こんなくだらない天気で、どこがBuon jornoなもんか、と言われて笑ってしまったことがある。
スペイン人もそうだがイタリアの人は決まり切った表現のなかの単語の意味がまだ生きていると意識していて、ちゃんと反応するところがいつも面白いと思う。
「さようなら」に「左様でございますならば」という中世の声を聞いている。
大雨の冬の日にバールにはいっていって、Buon jornoと挨拶されても、
「こんなひどい天気だけど、良い朝というふうにかんがえましょうね」と言っているのではないかと狐疑するに至る。
人間はこうやって特定の外国を崇拝するようになるのではあるまいか。

言葉を話すということはそんなにたいそうなことではないので、誰かが6カ国語を流暢に話すといっても、たいていは成り行きでそうなっただけである。
自分のへなちょこな言語能力に照らしても、言語はあんまり「勉強」というような姿勢には向かない気がする。
技能の習得としては楽器を使えるようになる、というようなことに似ているのかもしれない。

いろいろな言語の「音」が頭のなかでおしくらまんじゅうをしているのは楽しいことで、日本語ならば言語学の泰斗で音楽的な詩人だった西脇順三郎が書いたものを読むと欧州語から「だべ」言葉になだらかに続く坂を通って、思考が散策しているのが見ていて、よく判って、おもしろい。

「夏日」という詩は

パパーイ
なんという幻花だ
八月十四日正午近く
寺の帰り
シバゾノ橋の方へ歩いて行くと
地獄の火炎で麦わら帽子が
燃えあがりそうだ
目が時々くらんで
向こうから来る二人の青年が
隠元豆に見えたり
火葬場に行く編笠をかぶった
杜甫のようにも見えてきた
いや金子光晴のように見えた
金網の柵に巻きついている
ヒルガホをつみとって

………

と続いて、
オイモイ!
という行で終わる。
思考がぶらぶらと散策する楽しさに満ちているが、ついでに述べると、西脇順三郎の詩は、全体が西脇クラブのようになっていて、ずっと付き合ってきた人には、「地獄の火炎」の地獄はトスカナのものだと感ぜられるようにできている。
芝園ではなくてシバゾノである理由もすでに了解されている。

頑張らなければ気が済まない人は頑張るのが好きなので、言語の習得も、なんだか海兵隊の新兵訓練のようで、そういう人は言語の発音も鞭のようで無知に鞭するムチムチなワークショップで参加者を「鍛えて」しまったりするそうだが、そういうことは嫌いで、のんびり楽しみながら言語を習得するほうがよかった。
日本語が最も難しい言語だったが、カウチに寝転がって、大好きな古い本のにおいにひたりながら、新明解国語辞典を読んだり、学研だかどこだかの、1962年というような年に刊行された子供向け「学習大百科事典」を読んで遊んだりした。
版によって違うというが、義理叔父から譲り受けた新明解国語辞典は、面白い辞典で、英語辞書風というか、書いた人の人柄が偲ばれる辞書で、おかしみがあって良かった。
「セックス」という言葉を引いてみると、「性」を見よ、とある。
どれどれ、と思って「性」を引くと「セックス」を見よ、と書いてあったりして、口がヘの字の、へそ曲がりなユーモリストが思い浮かぶ。

「学習大百科事典」のほうはもっと素晴らしくて、「火星人」の写真が出ている。
これはひょっとしてひょっとすると、と思って「木星人」の項を見ると、ちゃんと木星人の写真が出ていて、頭に堆積しているのは煉瓦状のウンチである旨が記されていて感動する。
世界は、こうでなければならない、という深い感銘に打たれたものだった。

スペイン語は歌の歌詞を丸暗記してだいぶん憶えた。
たとえスペイン語の表現を10くらいしか知らない人でも、
ばいらんどおおおおー、ばいらんどおおおおーおおおー、(註)とおよそ一ヶ月にわたって尻をふりまくりながらバカのひとつおぼえで歌いくるって、まわりも猫もうんざりしているのに、自分だけがスペイン語をおぼえなかったら、そちらのほうが奇跡であると思われる。

フランス語もブリジット・フォンテーヌのやたら美しいフランス語の発音とアレスキのチョーいい声に負けて、13歳くらいの頃に聞き狂っていたので、意味がわかる前から文章は話せたりして、贋AIが顔色を失う人間無能で、よく考えてみるとオウムさんと同じだが、あんまりそういうことを突き詰めて考えるような性格では言語は習得できないのだと考える。

ぜんぜん意味がわからないのに、クルマを運転しているときは、だいたいインド語FM局を聴いていて、渋滞にさしかかると、インド語のマネをして傍らのモニを悶絶させる。
「ガメ、それ、どういう意味なの?」と聞かれても、「知りません」以外はこたえようがない。

すべてのベンキョーと同じで、言語の習得も何かに役立てるためや、まして仕事のためでは、教科書にかみつきそうな表情で、必死になって勉強するぶんだけ上達するのかも知れなくて、本人は給料があがって満足だろうが、なんだか言語のほうがかわいそうな気がする。
最もありふれた例でいえば、「この天と地のあいだには、きみの哲学では42にならないことがたくさんあるのさ」と言われても意味がわからなくて、きょとんとするのは無理がないことでも、きょとんとした気持ちをあっというまにかなぐり捨てて、「英語の勉強で肝腎なのは…」と話し出す人をみると、やはりなんだか寂しい感じがする。
ムダなことを排除するようなベンキョーの仕方をすると、言語の学習そのものが「ムダ」になってしまう事情は、ムダを排除した数学の学習など何の意味もないのと同じことだと思う。
言語の習得においても脇道に迷い込む楽しみが、実は、本道を歩くことなのは、よく知られているはずのことである。
そういうことがらに潜む事情は、実際には、現実が生存に必要な能力への要求に満ちているからといって、それが現実に意味があることを保障しないのと歩を同じくしている。

頭の中で、現実のありようとして、てんでんばらばらな世界の平仄をあわせるには一定の言語の能力が必要で、言語的感覚が悪い人は、当然ながら、なにを考えてもダメで、どの言語世界にも存在するそういう人が書いたものを見ると、ひどい言い方だが単なるゴミの山で、こんなものの堆積を文章で積み上げるのならば、庭で薔薇を丹精するほうが世の中のためには余程よかったのではないかと思わさせられる。
言語の感覚の狂いは、そのまま世界への誤解になる。
母語といい、外国語というが、この平仄のとりかたは同じな気がする。
そうして、そういうすぐれた言語感覚と救いのない言語感覚の岐れめは、言語を成長の過程あるいは習得の過程で楽しめたかどうかにかかっている。

オベンキョーにおける楽しみは食べ物ならば「うまみ」のようなもので、いつかサンフランシスコ空港で、日本そばを売っている店があって、時間つぶしの午飯にそばを買ったら、そばつゆなしのもりそばが山のように載っただけの弁当?を渡されて、ぶっくらこいたことがあったが、無理矢理勉強する外国語などは、つゆなしのそばだけをもりもりと食べて、健康にいいのだと誇っている不思議な人に似ている。

日本語しかしらないで一生終わってしまう人の世界は、要するに人口が一億人しかいない地球に住んでしまった人の世界で、悪くはないが、もったいない。
少しでも楽しそうな言語を見つけて、ときに羽目を外して、淫して、あらー、世界って、こんなふうにも見えるのだな、と驚嘆することは、特にその驚きが簡単に手に入る点で現代にうまれた人間の特権でもある。

なんだか外国語学校の勧誘みたいだども。
ほんとなのね。

Arrivederci.
Adéu.

ほんでわ。

¡Buen fin de semana!

Besitox2、Besitox2

¡Ciao!

註 “Bailando”


オカネという批評

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当時の最強国ロシアと戦争して勝つことによって、歓喜のあまり、日本は発狂してしまったのだ、と夏目漱石は考えていたようでした。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/02/16/夏目漱石の贈り物/

黒溝台の会戦を耐えて後年の日本軍の作戦の思考停止ぶりを予感させる旅順攻略戦を経て、ついに日本海海戦での大勝に至る対ロシア戦の勝利は日本人の最も甘美な記憶となっていまも、たとえば安倍政権とその支持者たちの脳髄をピンク色に染め上げている。

感動的なシーンもまたたくさんあって、「ツシマ」(=日本海海戦)での日本軍の完勝が伝えられるとヘルシンキでもロンドンでも人々が通りに駆け出て帽子を空に放り投げて歓喜したという。
当時の新聞の挿絵になって、いまの時代にも、その圧倒的な歓び、あの「国家の赤ちゃん」みたいな国が巨大なロシアに勝ったのか、という意外な事態への驚愕が伝わってくる。

…ということになっているが、よく考えてみると、ヘルシンキで歓喜していたフィンランド人たちと、ロンドンの通りで、カフェのテーブルに駆け寄って、「おい、聞いたか?日本が勝ったぞ、きみ」と述べているイギリス人たちは別の事柄を喜んでいたので、フィンランド人たちは長い間強烈な圧迫を加え続ける、小国には手も足も出ないロシアという強権に仔犬がかみついて撃退したのを心底から喜んでいたのに比して、イギリス人たちは、欧州市場における、賭け金が何十倍にもなって戻ってきた、自分達の賭博の目も眩むような大勝に酔っていた。

事の発端はユダヤ系人たちの動きで、ロシアと開戦した日本を、ほぼ全面的に冷笑で迎えた金融市場のなかで、ユダヤ系人たちだけが日本のための資金の調達に動き始めていた。

ロシアにおけるユダヤ人弾圧への反発、あるいは義侠心から、ということになっているが、落ち着いて考えてみれば、そんなことがありうるわけはなくて、プロの投資家ならば、5分5分の賭けを熟考する、1%の要素に判官贔屓を加味することはありえても、判官(ほうがん)贔屓だけで投資したりすればハルク判官にあっさりフォールされるだけである。
なんちて。

…失礼しました。

動かせない事実は、極東アジア人への偏見、というよりは当時においては「常識」であった「嘘つきで仕事をしているふりをするのが上手な怠け者」というような極東アジア人観からユダヤ系資本家たちと、それを観察していて後に続いて日本の戦争債を引き受けた英語人たちが色眼鏡を自由に外して事象を観察する眼力をもっていたことで、そのちからがどこから来たかといえば、やはり長年の「金儲け」(←下品)の経験から来たのであると思われる。

カネのことはカネに聞け、という。
理屈をこねても仕方がないので、オカネを稼ぎたければ、世の中が何にオカネを払っているかを凝っと観察して、オカネの流れのどの辺にでかけて、なにに注目すればよいか考えろ、という意味です。
必ずしも投資だけではなくて、たとえば大きな会社に勤めているエンジニアで「優秀な人」というのは、たいてい、技術的なシャープさとマーケティングの感覚がうまくバランスしている。
むかしNTTがいったんそれで会社を持ち直したi-modeは技術的には全然ダメな技術ともいえたが、日本という市場には最適の技術で、テクノロジー的には先進的な相手に囲まれながら、あっというまにビジネスモデルを回転させて大金を生み出していった。

「オカネ」が、ぶつぶつと聞こえるか聞こえないかの低い声で呟いている言葉は、頭をしぼって、完璧な理屈を立てて考えてもダメで、日本で、最もマーケトのなかでのポジショニングが上手で、気がつくといつもオカネが盛大になだれ込んでいる滝壺に奥でマネーバッグの口を開けて待っている人といえば孫正義だが、この人の会社の名前の「ソフトバンク」は、
初期の頃役員だった人によると、音響カプラ300bps時代にソフトのオンライン自動販売機を思いついて、デパートメントストアにおいてあるATMのアナロジーで、その場で(当時のPCの記録媒体だった)カセットテープにソフトをダウンロードするビジネスを「ソフトウエアの銀行」でソフトバンクと名付けた。
渋谷西武デパートメントストアやなんかに設置したよーです。

ライバルのアスキー社もマネをしたりしたようで、コンピュータ業界の人間からは有望視されたビジネスモデルだったようだが、全然ダメで、あとから来た訳の判らない不明ガイジン(←わしのことです)が、だって、ダウンロードするのに2時間くらいかかったでしょう?
そのあいだ、機械の前でじいいいいっっと待ってるの?と聞いてみたら、いや、それは、だからデパートメントストアへの設置で、ダウンロードしているあいだは、店内をひとまわりして買い物するから一石二鳥だろう、という理屈だったんだよ、といいとしこいたおっさんがマジメに述べたので大笑いしてしまった。

畢竟、頭だけでこさえた理屈の画餅に帰する運命にあること、この如し。

オカネの「絶対批評力」がおよぶ範囲は興味深いもので、家のなか、
おとうさんの英語教材なんて何の役にも立たないんだから、次の教材はNHK基礎英語テキストでたくさんだと思う、から始まって、中央銀行の総裁が、経済を睨みながら決めたつもり、つまり国内に焦眉して決定した通貨政策を、もっとおおきなバックグラウンドの世界経済が批評力として働いて、円安も円高も、意外な結果を引き起こすことがある。

マイナーカレンシーに注目する習慣を持っている人はみな知っていることだが、実体経済で流通する通貨量の数倍が投資経済で流通するようになっても、案外と上下しながら国力、といっても現代ではパーキャピタに還元された国力だが、の水準へ収斂されてゆく。
ニュージーランドドル対日本円を例にとると、この15年間で1ドルが39円から92円のあいだで変動しているが、よく見ると、55円、62円、85円という国力を評価する「批評軸」が存在する。

背景にあるのはUSドルで、実はUSドルが「絶対批評力」として、円とニュージーランドドルとに評価をくだしている。

アベノミクスが失敗した理由のひとつはオカネの批評力についての無知だとも言えるとおもうが、こっちの話題にはいっていくとヘンな人がいっぱいくるだけなのが経験から判っているので、こんなところで述べてもよいことはひとつもない。

オカネの批評力が顕著にはたらく分野で常に興味深いのは美術や文学で、どんなに文学コミュニティの評価が高くても頑として市場がオカネを払わない作品(例:現代詩)もあれば、評価がぜんぜん低いのにどんどん売れてゆく作品(例:挙げるとうらまれる)もある。
蒐集したむかしの週刊誌を読んでいると流行作家が対談で酔っ払って、純文学作家にむかって「そんなこと言ったって、先生、あんたの小説は偉いのかも知れないが、ぼくの小説はあんたの小説の何十倍も売れているんですから」と乱暴な口を利いたりしていて、スリルがあって、なかなか良いが、冷静に考えれば流行作家と純文学作家は「小説」という便宜的呼び名が同じだけで、まるで異なるマーケットで活動していたのだから当たり前といえば当たり前で、単純に芥川賞作家の宇野鴻一郞が「あたし、あそこが…もっと感じさせて」とか書くから、マジメな文学青年が錯乱して、あれも文学これも文学で混乱しただけなのではなかろーか。

市場における美術の価値は、株式と同じで、その会社が生産性が高い良い会社かどうかよりも、人気投票で、株を買う人がその会社を良いと思うかどうかのほうで決まる。
つまり、どの美術が最も価値が高いと投票されるか、によって決定される。
洲之内徹は風変わりな人で、どの絵が市場において高く評価されるようになるか精確に知っていながら、画廊主であったのに、最も評価が高くなりそうな絵は売ろうとせずに押し入れにしまいこんで寝床へ行く前に日本酒をなめながら飽かずに眺めるのを趣味とした。
確かな審美眼があった、とも言えるが、マーケットと絶対美の関係を熟知したのでしょう。

美術とオカネの作家対批評力の相克は長いあいだ意識的に行われてきたのでダミアン・ハーストや村上隆のように作家の側から商業主義のほうへ踏み込んで長いあいだ受け身に終始してきた作家の側から批評軸を逆に作り出そうとするコントラバーシャルな試みも行われている。

以前に何度か書いたが、日本文学が破滅した理由のひとつは、突出してすぐれた日本語芸術であった現代詩に社会がオカネを払わなかったからなのは明らかで、いつかその趣旨を引退した老編集者にしたら、でもペラ(←200字詰め原稿用紙)一枚一万円とかいうひともいたのよ、と言っていたが、同じ一枚一万円でも、短編小説でも30枚30万円だが、現代詩なら多くても4枚4万円で、「一枚」にかけるエネルギーの大きさの違いを考えると、お話にならない気がする。

結局、社会が大金を払ったのは糸井重里に代表されるコピーライターたちのほうで、現代詩人の軽く百倍を超える収入を誇るコピーライターたちの空疎な(コピーライターの人ごみん)言葉のブラックホールに日本社会自体が呑みこまれていって、言語の空洞化、現実からの剥離が起きて、フリーター、ニート、エンコーという言い換えのなかでまぎれもない現実が虚構化されて日本人全体が現実に対処する力を失っていったのは、オカネという社会の批評の正直さの表れと言えなくもない。

音楽は、例の「ブルースを聴いたことがあるかい?」の続きで書きたいので、ここでは取り上げない。

オカネという、きみが立っている「場」からのきみへの批評は、たいていの場合、つまりは給料で、明然と言われないだけのことで、月に20万円の給料をもらう人は、社会からの評価が月にして20万円で、少し後退して、「場」自体が視野にはいる世界の経済からみると、オスロのマクドナルドで店員をしている高校生の半分以下の価値と評価されている。

いちど触れたのだから、ついでにもういちど孫正義の例をもちだして歴史をさかのぼってみると、このひとがオカネの声を聞いて、すたすたすたとオカネが流れを変える場所にでかけて、座り込む場所の絶妙さは素晴らしいもので、PCのソフトウエアは違法レンタルで入手するのが常識で、秋葉原のPCショップでPC9801を買えば「おまけ」を入れておきましたから、と言われて、家に帰って箱を開けてみれば、一太郎や123がコピーされたFDDがはいっていて、ソフマップのような違法「レンタルソフト」の会社が全盛のときに、他人の失笑を聞きながら、「日本にもアメリカ合衆国なみにソフトウエアをオカネを出して買う日がくる」と予測を立ててソフトウエアの卸売り会社を買い取って、市場に地歩を占めて、インターネットが始まれば、スタンフォードの京都校に巣くっていた学生たちの言うことをオカネの声と聞いてヤフーの主となるポジショニングは、英語の世界では不思議なほど知られていないが、見事であると思う。

オカネの声を聞くのに慣れてくると、たとえば自分の国の政府がどういう政府なのかも判然としやすくなる。

そう考えて安倍政権をオカネの方角から眺めると、とてもおもしろいことが判ってくると思います。


For everything a reason <哲学者の友だちとの往復書簡I>

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(口上:以下の記事は、尊敬する年長友人の「哲人どん」 @chikurin_8th と語らって、おもろそうだからやってみんべ、と決めた「往復書簡」の第一信です)
(そんなことをばらされては嫌に決まっているが、対話の環境を明らかにするために述べると、哲人どんは職業的な哲学者という珍しい職業の人で、かつ哲人どんが、うーそおおおおーん、と嫌悪感で身悶えしそうな通俗に通俗を、下品に下品を重ねた言い方をすると、「某旧帝大系大学哲学科教授」でもある。
つまり、簡単に言えば、あのヘロヘロ賢者、哲人さんの正体は、わしのようなアホにも判りやすく話をする教育者的技巧にも哲学的思考の定石にも、訓練がなされているどころか、熟達したマスター哲学亀仙人なのでもあります)
(ばらしちった)
(敬語はめんどくさいから省いてあるwので、ひでー、と思うでしょうが、ガメ・オベールのやることだと思って我慢しなさい)
(コメントやツイッタを通じて議論していくとりかかりにすべ、という企みなので、あらゆる意見を歓迎いたしまする。
おおおお、な意見は当然、みなで議論いたしまする)

—–<以下本文>—–

母語に限らない。
自分は何のために言葉を使っているのだろうと思う。

ある程度、言語に関心があって、人間の言語が伝達に向いていると考えうる人はいないだろう。
鳥の啼き声の模倣の厳格化から出発した人間の言語は自分の意識を深く掘り下げてゆくのには向いているのに、というよりも意識そのものであるのに、その意識が視ている陰や造形がどんなものであったかを他人に伝えることは出来ない。

認識は常に言語の褶曲に沿って歪んでいるが哲学的知識を持ち出さなくても、ちょっと考えてみればわかるとおり、認識は現実に対して優位である。
人間が現実だと信じているものは、どのような場合でも認識にしか過ぎない。

現実が個々の人間によって異なるので、あなたは世界を共有するためには自分の認識を他者に伝達する試みに成功しなければならないが、
そんなことが出来やしないのは、
たくさんの詩人
たくさんの物語作者
たくさんの画家
たくさんの音楽家
が証明している。

The force that through the green fuse drives the flower
Drives my green age; that blasts the roots of trees
Is my destroyer.
And I am dumb to tell the crooked rose
My youth is bent by the same wintry fever.

という孤独な表現は、おおかたの評言を裏切って、伝達を目的としている。
奇跡的なことに伝達に成功してさえいる。
だが魂から魂に手渡しされるような認識の伝達は、稀で、少なくとも言語が歴史的に形成してきた「定型」を厳格に復元して、掘り出して、壊れやすくても唯一でしかあり得ない単語と単語の、主に音韻によって連結された形を見いだす巧みさなしには起こりえない。
頼み事を頼む気安さで、自分が見ている世界を友だちに伝達するわけにはいかないのです。

人間の絶対の孤独はそこから来ている。

考えてみれば人間は内面に思い思いの曲率で屈曲した宇宙を映し込んではいるが、その宇宙の形と色彩とを他者に伝える方法をもたない以上、釣り針に顎をとられて、突き刺されて、空中でもがく鯛や、あるいはもちろん殺害者が意識することなしに足裏で踏みつぶす蟻の一匹と変わらない。
人間が考える葦であると述べたブレーズ・パスカルの不遜と滑稽さを最もよく知っていた同時代人はルネ・デカルトだろうが、そのパスカルに向けられた冷笑には言語と意識が乖離した「自己」を無意識に仮定するパスカルの知性の不潔さへの嫌悪も込められていただろう。

多分、ルネ・デカルトは、この世には神など存在せず、神などは 自分の脳髄に巣くった言語の、ほぼ閉じた体系の、救済のない孤独を慰藉するための(言語がとどかないと仮定した点で)極めて巧みな遠くにある言語というレンズの架空な焦点にしかすぎないことを知っていた初めての人だった。

無神論であるよりも、有神も無神も、「神」と名がつく「絶対」が言語の祭壇に祭られている宇宙では、人間が孤絶した認識装置でしかなく、世界が個々の人間の孤独な認識そのものにしかすぎないことへの、虚しい抵抗に満ちた仮説でしかないことを知っていた。

自分の首に向かって話しかけている首なし騎士の亡霊に似て、人間が言葉を使っている、という認識はばかばかしすぎて論外だが、言葉こそが人間の実体であるという現代人の知見も怪しいもので、仮に生物の個体がDNAの乗り物にすぎないとすれば、個々の人間の意識は言語の乗り物にしかすぎないのは、ほぼ、自明のことである。

だから、
人間には意志が認められず
人間には判断というものが存在しない。
人間は善をもたず
人間は悪をなしえない。

現代日本語人が神や悪魔を論じないで済んでいるのは、ちょうどエンジンの仕組みを知らなくてもクルマを運転することは出来るのと同じで、神や悪魔と格闘しなければならない西洋語が文化の交易上に製品として生み出した概念や技術のマニュアルを理解することだけが哲学の仕事でありえた幸福な模倣者の近代を生きてきたからだが、仮に物理学者や天文学者がいまおこなっている世界を説明することからの「絶対」の排除に成功したとすると、
手で触れられて、たしかな存在であるはずの物質文明は、文字通り砂上の楼閣として消えてしまう可能性がある、というとあなたは笑うだろうか。

だが、少なくとも21世紀に至って言語は絶対を失うことによって構造の梁と柱とを失う危機にさらされている。
あなたがとおの昔から気がついていたように、ぼくが日本語を習得することにしたのは絶対の存在しない言語の体系が、どんなふうに世界を説明するのか、より重大なことは、世界に対して、どのような情緒をもちうるのか、ということを知りたかったからでした。

20世紀の終わりから21世紀にかけていくつか現れた「この世界は巨大なプログラムがうみだしている仮想現実の一部にしかすぎないのではないか」という一笑に付するには、論理的には、あまりに深刻すぎる仮説は、現実が存在せずに認識だけが在って、意志が存在せずに(意志をはたらかせたと仮装するだけの狡猾さを身につけた)追認だけが存在する現実をつきつけられた人間の知性の呻きのようなものだとみなせる。

そうして、この呻吟は、伝達の能力を持たず、個々に縦穴を掘り下げることしか出来ない人間の言語の重大な不具からきているのだと思います。

では、また。


ノーマッド日記18

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Skip, という。
日本語ではなんというか知らない。
日本にいるときには見たことがないので、もしかすると日本にはないのかも知れない。
鋼鉄製のでっかいバスタブみたいな形のゴミ箱で、引っ越しでも大掃除でも、家から大量のゴミが出そうなときに頼むと、クレーン付きのトラックでやってきて玄関の前のロータリーなりなんなりに置いていきます。
クルマが一台そっくり入るくらいのおおきさがある。
高さは2m、長さが5m、幅が2m、そのくらいのおおきさ

http://www.joneswasteservices.co.uk/index.php?page=skips

庭のデザインを変えるので、大量の枝や葉っぱが出る。
庭師のひとびとがやってきて、毎日、朝から晩まではたらく。
青空がかげりだして、雨がふりだして土砂降りになっても、ずぶぬれになりながら昼時以外はびったり仕事をして、
料理のおばちゃんがつくったパイやキッシュを食べて、午後もまた暗くなるまで仕事をする。
仕事が終わったら驚くべきことにキッシュやパイのお礼状が来た。
いいひとたちだなー、と思う。

前の家の持ち主はなぜかバナナの木を植えてあったりして、ヘンな庭の趣味の持ち主だった。
会社の社長と外科医だかなんだかの夫婦だったかなんだか、そんなひとたちだったはずだが、夫婦の寝室の庭に面したドアから数歩のところにバナナの木を植えていたところをみると、起きて、もぎたてのバナナを食べるとかなんとか、変わった夢があったのでしょう。
夢はちゃんと現実になって、たわわなバナナがたわわたわわたわわと実って、食べると結構おいしいが、バナナの木は、しどけないというか、だらしないというか、収拾がつかない形の木で、庭木としてはチョーかっこわるいので、全部切り倒すことにした。

パームトゥリーの葉っぱは、見栄えはいいが、けっこう大きくて、おおきいものは3m以上ある。
下のほうは褐色になって、うううーむ、サイクロンが近づくと落ちてくるべな、と思ってみていると、ちゃんと落ちてきます。
ラドンが裏庭に降り立ったようなものすごい音を立てる。
棕櫚・パームトゥリーの類いは、ニュージーランドでは「雑草」の分類で、切り倒して掘り起こしてしまうのはよいが、一本始末するのに3万ドル(280万円)かかるので、吝嗇が発揮されて、ほっぽらかしになっていたが、これもぜんぶ伐採することにした。

ブログ記事に何回か出てくるブーゲンビリアも、年経りて、蔓がいよいよ太くなって、3センチくらいもある棘がいっぱいついて、びよおおおおーんんと跳ね返って庭仕事の人が怪我したりするようになったので、夏の盛りには花がぎょっとするほど美しいとは言っても容赦しないことにした。

一日経つと、skipがふたついっぱいになる。
このセルロースやなんかをみんな二酸化炭素と水で合成するんだから、自然の生産力はすごいなー、とアホなことを考えているうちに庭がみるみる違う姿になって、見違える姿になる。

モニさんと、ふたりで、紅茶を飲みながら、
あそこは薔薇にしよう。
奥のベジガーデンの手前は、こんどこそイタリア・トマトを大量に植えよう。
ナーサリーに行ったら、黒オリブの木を注文しておかないと、
レモンだけでなくて、隣にライムも植えよう、と話しあう。
塀のところはイチジクがよいのではなかろーか。
へー

庭について話し合うと言う行為は実は浦島太郎の玉手箱で、庭のランドスケーピングについてことごとく話し終えると、世界について語り終えた長老のように、あっというまにおじーさん、になってしまうよーな気がするが、人間30歳を過ぎると、余命はどうでもいいといえばどうでもいいというか、ぐいぐいぐんぐんやりたかったこと、というようなことは、あらかたやってしまったので、毎日の生活を楽しむ貪欲さのほうが頭をもたげてくるらしい。

われながら家付きジジへの第一歩だが、それならそれでいいもんね、と思う。
面目が一新されて、中途半端にトロピカルだった一角が廃止されて、(表の大陸欧州風に比して)イギリス風な裏庭を見渡しながら、フィジーのアウトリガーホテルの「プロモーションのおしらせ」を見て、おお、安い、おまけに小さい人たちタダで、しこうして、ナニーサービスまでついておる、とつぶやいてみる。

ニューカレドニア、フィジー、タヒチというような島はニュージーランドから3時間くらいなので、10日間くらいちょっとだけでかけて、プールサイドで、だらりいいーん、をしているのには向いている。

めんどくさいような気もする。
弛緩しすぎている自覚はあるけれども、これも悟りへの道と言って言えなくない。

弛緩駄座、なんちて。
(道元さん、ごみん)

2

ときどき日本語インターネットを訪問して、日本語読解力維持を兼ねて、どんなことが起きているか見物するが、ほかの言語に較べて相変わらずhaterが充満していて、際だった特徴をなしている。
憎悪人は憎悪人なりに工夫して、多少でも知的に見えるように皮肉を工夫したり、冷笑の挙にでたり、罵倒「芸」を磨いたり、ややそれなりに努力していると言えなくもないが、もともと他人が憎くてたまらない、という謎の気合いが下地として透けてみえるので、あんまり「功を奏す」というところまではいかないよーです。

国家社会主義的傾向がどんどんひどくなったり、ほとんど理由が不明な隣国への憎悪が膨れあがっていたりする現象は、いうまでもなく言語が孤立していて相変わらず「日本語の洞窟」に住んでいるからで、と書いていってもよいが、実はこの「言語の洞窟」から比較的自由なのは英語とスペイン語世界くらいのもので、ぜんぜん異なる文明が一カ所に犇めいていて人間が大規模に年中行き来している欧州を除いては、ロシア語世界も中国語世界も、といっても中国語はパーなので後者は中国系人からの伝聞によるしかないが、同じようなものと言えなくもない。

判ることは日本語世界の場合は、あからさまにものごとがうまくいかなくなりつつあることが地球の反対側にいても話題としてよく聞かれるくらい知られつつあることで、どうやら日本社会では女びとが奴隷とあまり変わらない立場であるらしいこと、ゼノフォビアが重症で移民による畸形人口比の解消などは、はっはっは、冗談はよしこさん(©林家三平)であるらしいこと、福島第一は「アンダーコントロール」どころか、当初よりもよっぽどひどくなって、ごまかすにも手も足も出なくなっているらしいこと、なんだかやたら戦争をしたがる人間が増えているらしいこと、中村修二のノーベル賞インタビューで述べられることを聞いていても、日本の会社は相変わらず社員のものはおれのもの、社員の家族もおれのもの、おれのものは、あたりまえだけど、おれのもので、社員のオカネも時間も、どうかすると人生そのものも会社のもので、あんまりわがままは言わせてもらえそうもない、という個人にとってたいへん厳しい生きづらい社会であるのが第一。

次にはそこまでして入れあげているのに、なぜか出来てくるものは冴えなくて、15年前ならばテレビはソニーとシャープで、コンピュータでも東芝とソニーが高級機で、ほんとうは日本製が欲しいけどオカネがないからacerや asusで我慢するべ、だったのが、いまはテレビで最も高いのはサムソンで、同じスペックのソニーのほうが安いが店員が、「ソニーは製品の思想が古くてニュージーランドみたいにホームオートメーションが普通に成っている国には向かないと思いますよ」という。
わし家はオートメーションなんちゅう、おそろしいシステムではないが、テレビなら大きさは65インチ、HDMIは少なくとも4つ、wifiにフックする機能と2.0でもいいからUSBのソケットがふたつはないと嫌なので、…と必要な条件を列挙すると日本製品で買えるものはなにもなくなって、コンピュータはアップル、テレビはサムソン、クルマはBMW、ランドローバー、シトロン、掃除機はどれもダイソン、セキュリティシステムは台湾、自動のゲートとガレージドアはオーストラリア、冷蔵庫はニュージーランド、自転車はアーンドラとイタリア、アメリカ、キッチンのホブはフランス、皿洗い機はスウェーデン、…と、さっき、この記事を書こうと思って家をうろうろしてみたが日本の会社のロゴがはいったものはパナソニックのマイクロウエーブがひとつあるだけだった。
あ。あとシマノの釣りのリール。
ヨットの(ヨットの世界では高級エンジンの)ヤンマーのエンジンをいれるのも忘れている。
でも、それだけです。
みっつ。

理由のひとつは、よく話題になる「日本の工場マネジメントの下手さ」で、同じ中国の地方に工場をつくっても、日本の人は要求が過大で、だいたい中国のひとびとのほうは面従腹背に陥って、日本の会社側がよく事態を把握できずに訳がわからないでいるうちにコントロールを失ってゆくのだという。
Made in Chinaと言っても工場管理手法によって品質に雲泥の差があるのはいまの世界ではふつーの消費者も心得ている常識だが、日本企業の工場のなかには平然と「安かろう悪かろう」製品を製造しつづけているところがある、と、なにげなし、やや低いつぶれた形の鼻を高くして、近所の、仲の良いビール友だちのドイツ人おやじが述べていたのを思い出す。
外国人と付き合う、付き合いかたの下手さが、製品の質に及んでいる。
なるほど、メルセデスSクラスとかは、「トルコ人のつくった芸術品」ちゅうもんね、とおっちゃんにいうと、ガメ、きみは国際親善という言葉を知らんのかね、ホスピタリティというものは異文化間では大事なものだぞ、と怖い顔をしてにらまれた。

日本語インターネットをみると、「外国の人がみたらどうおもうか」
「世界に対して日本人として恥ずかしい」という言葉がよく出てくるが、パスポートを一個しか持たしてもらえないらしい日本政府の呪いがかかった日本の人とは異なって、パスポートを複数もってちゃらちゃらして暮らしている身の上としては、国などはどーでもよいのでわ、都合がわるい旅券はどんどん捨てて、居心地がいい国の市民権をどんどんとってしまえばいいだけなのでわ、と考えるが、それを別にしても、傍からみていると、どちらかといえば、「誰も日本のことに関心をもっていない」ことのほうが、窓から差し込む一条の光線を渇望する日本人にとっては重大で、いまの世界は1930年代の世界の半分も日本に関心をもっていない。

話してみても比較的日本に関心があるのは韓国の人と中国の人くらいで、アメリカ人なら西海岸どまりで、こういうことは普段接する人間の観察に基づくのでそういう事情もあるのかも知れないが、ニュージーランドなども太平洋圏にあるのに、日本の話題はなにも聞かない。
旅行先として選ばれるのは欧州か、さもなければ3時間くらいで行けるフィジー、ニューカレドニアで、アメリカはエンターテインメントニュースやバラエティショーがよく流れるが、特に行きたい国とも思われておらず、要するに、ほんとうに関心があるのはヨーロッパだけで、あとは、たしなみというか、少しは知っておかないと、たとえばビジネスで出会った日本の人に話しかけられたときに、人民服を着て自転車の洪水のなかを出勤するのはたいへんでしょうね、というようなマヌケな受け答えをすると社交生活にも仕事にも差し支えるので、一応目を配っておかなければ、という程度であるように見受けられる。

違う方角から言うと、いまの世界では基本的に日々英語によって提供されている情報がすべての参加者によって共有されている、というのがルール・ナンバー1で、普段のスカイプ越しの会話でも引用されるのは、Financial Timesであり、The Economistであり、WiredやNational Geographicで、「インターネット情報」よりも、相変わらずの旧態依然とも言えて、英語のマスメディアが、しかし以前とは比較にならない大規模に世界中で基本情報として共有されていて、これが、いまの世界の、一種の「常識」に似たものを形成している。

この「常識」への批判勢力も、また英語で、Al Jazerra、RT をあげるまでもなく、英語という言語自体に常識としての機能を持たせようといまの世界は努力していて、なぜ「英米人」が大嫌いなひとびとまでがその努力の渦中にあるかというと、英語自体がすでに世界語で英米人の言語とみなされていないからなのは、前にも述べたと思う。

日本の人が日本語の側から見ている「日本を意識している世界」は、はっきり言えば、誰かがつくりあげたちゃちなつくりもので、日本は実際には文字通り言語が隔絶した暗闇のなかに立っている。
こちらからそちらは見えないし、そちらからもこちらが見えることはない。

日本の人は奈落や幕裏に潜む黒子のように暗闇のなかで蠢いていて見えないところで暮らしているのに、自分達を世界が見守っていると誤解しているのは、たいへんに危険なことで、正直に言って、日本語でやりとりされている中国や韓国についての議論、イギリス人と結婚してイギリスに何十年も住んでいるという人達のイギリス社会への本質的な誤解に満ちた報告への盲信、まして福島第一事故後に形成された原発事故と放射能についての日本の人の科学者ぐるみの「日本的常識」など、世界が仮に注視していたら厳しい拒絶にあうと決まっているものまで、なんとなく世界の信認を得たようなことになっていて、だからこのままでいいや、という空気になじんでいるのを見ると、暗闇のなかをマウンテンバイクで崖をめざして一心にペダルを踏んでいる人をみているようでスリルがある。

その崖の向こうに続いている道、きみの頭のなかにあるだけの幻覚なんだけど。
それをきみに知らせるために、ぼくには、いったい、どんな手段が残っているというのだろう?
シャツを手にもって腕をちぎれるほどふってみればいいのか、声を限りに叫ぶか、あるいは、手と足をバタバタさせて飛び跳ねてみればいいだろーか。

きみはもう崖の50メートルほど手前まで来てしまっている。
日本語というカーテンを透かして日本側がみえる数の少ないひとたちは、手を口に当てて恐怖に目を見開いている。

だから、ときどき無性に呼びかけたくなる。
もうぼくに出来ることは、なにも残っていないけれど。



言葉がとどかないところ _(哲人さんの返信)_For everything a reason <哲学者の友だちとの往復書簡 II >

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<以下は、

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/10/19/philosophy/

への、哲人さんが書いた返信です>

「言語に関心があって、言語について考える習慣を持っている人で、人間の言語が伝達に向いていると考える人はいない」
そうかな、そうなのかな。
ガメさんは今までにも何度かこのことを語っていたと記憶しています。それを読むたびに、「そうかな、そうなのかな」と立ち止まって考えたい気分になります。
私は、同じことをちょうど反対側から考えているようです。
言語は当初から社会的な伝達のためにあって、伝達しかできない。意識がほとんど言語からできているのは、私たちの心が社会からの働きかけによって形成されていることの――私たちの心が周囲の人々の働きかけによって作られてしまうことの――現れなんじゃないか。
だから、言語が掬い上げることのできない何かが自分の中にあるのを発見することは、むしろ、私が周囲の人々から侵蝕され尽くされていない、という事実を示すものだ。それは喜ばしいことだ。
それでは、反対側からの眺望を書いてみます。

言語を身に付けるとは、結局、他人の見方で世界を見ることを学ぶ、ということなのだ。私はこう考えているようです。幼児がどんな風に言語を身に付けて行くのか、本で読んだことを記してみます。
新生児は、生後数日で、母親の声を聞き分け、母親の顔を識別し、母親の匂いを他人の匂いよりも好むようになるらしい。そして、胎児のときに聴いた母語の音声に注意を向けるのだそうです。
たった2月齢で、赤ちゃんが母親と情緒を伝え合うことが実験によって確認できる。赤ちゃんは故意に無反応を保つ母親をいやがるのです(ひどい実験!)。
2月齢から4月齢くらいで、母親の視線の方向に赤ちゃんが視線を向ける、という現象がまれに現れるようになる。そして1歳頃には、母親の見るものを赤ちゃんも見る、という共同注意が成立する。
これが言語習得にとって重要らしい。共同注意とは、他人の見ているものを環境の中で探し当てて、自分もそれを見るという活動です。言い換えれば、「ものを仲立ちにして他人の気づきの内容に出会う」ことです。
つまり、言語そのものとほとんど同じものだ。言語は、音を仲立ちにして他人の気づきの内容に出会うことですから。
幼児は、共同注意ができるようになると、周りの大人の認識や情緒によって彩られた世界に出会うことになる。母親がにっこり笑って見るものと、顔をしかめて見るものは、幼児にとって違う意味合いをもつ。幼児は、文字どおり自分の死活にかかわる人々の見方に沿って、世界を見ることを学んで行く。
1歳頃にはまた、手を伸ばしてものを取ろうとしたり、指差す動作をしたり、何かを指差して「ウゥム」とか「ダァ」とか発声する、なんて動作も現れる。自分と他人が同じものを見て、同じものに注意して、そこに「ダァ」とか「ウゥム」とか音がくっつく。 言語習得の長い複雑な過程は、思い切って単純化すれば、「他人と同じものを見る」という体験が基礎になって、そうやって認知的・情緒的に共有される世界の上に、特定の発声や身振りが配置されて行く、という仕方で成り立つのでしょう。
一方、私的な世界をとらえる能力の発達は、やや遅れる。幼児は、他人が自分とは違う視点から世界を見ていて、違う情報を取り入れているということが、4歳から5歳くらいになるまで、よく分からないらしい。
3歳児に横から描いた亀の絵を見せます。その子からみると、亀は足が下、甲羅が上になっている。さて、机の反対側にいる人にその亀がどう見えているか、その絵を使って示すようにうながすと、3歳児はそれができない。向かい側からは、足が上、甲羅が下に「逆立ちして」見えていると推定できない。絵の天地を逆さまにして示すことができない。
それなら、というので、机の反対側に来させて、天地が逆さまになっているのを確認させて、もういっぺん最初にいた側に戻らせて、「さあ、反対側からはどう見えてるかな?」と尋ねると、驚くべし、やっぱり天地を逆さまにできない。3歳くらいでは、そもそも、自分と他人が、同じものを違う角度から違った像として見ている、という認知が成立していないようです。
また、3歳くらいの幼児の多くは、共有された知覚的世界の情報の一部を他人の目から隠す――他人をだます――ことができる、ということも理解できない。彼らは、自分が正しい事実認識をもっているときに、同じことについて他人が誤った認識をもっている、という状況をうまく処理できない。だから、誤った認識をもつように仕向ければ、他人を誤った行動に誘うことができる、という計算ができない。
3歳前後では、それぞれの人がそれぞれの視点から異なった姿で世界をとらえている、という考え方が成り立っていないようです。だいたい4歳から5歳頃に、それぞれの人の視点からとらえた私的世界という領域が、「他人の目の届かない領域」として徐々に設定されるらしい。言語習得の過程から見て行くと、私的世界とは他人と共有する世界の一区画にすぎない。その区画は、言葉のやりとりの中で、共有世界の片隅に「このわたしの心の中」や「あのひとの心の中」として囲われるだけなのです。
心の中という私的領域は、他人からは見えない――うっかりするとだまされちゃったりする――領域として、言葉のやりとりを通じて登場する。幼児は、自分と他人の認知状態をそれぞれ計算して、自分の心という領域を開いたり閉じたり操作できるようになってゆく。隠しすぎても、ばらしすぎてもいけない。ちょうどよいくらい他人に分かって、ちょうどよいくらい分からないようにしなければならない。
そして、それぞれの人間の中に、そのように外から容易には接近できない領域があると見なせば、他人の言動がうまく解釈でき、自分の対処もうまく行く。だから、それぞれの人の心とか心の中といった領域は、とりあえず社会生活の方便として出現する。そう言えるのではないでしょうか。

しかし、「容易には接近できない」のではなくて、「原理的に接近できない」私的領域もあるのじゃないか。それを考えてみます。
北杜夫は、1945年の初秋、人っ子ひとりいない上高地を訪れた経験があると、どこかに書いていました。風が立つと木々がいっせいに葉を散らして、それはたとえようもなく美しかった、と。
私はその描写を読み、理解し、記憶しました。北杜夫の経験の内容はその限りで確かに伝わった。でも、私はその光景を見てはいない。そもそも上高地には行ったことがありません。想像の中で、深く青い空、山の稜線、陽光を浴びて立ち並ぶ白樺、風に散る葉、といった絵葉書みたいな映像を適当につないで、「んまぁ、きれい」と思ってるだけです。
北杜夫は、人っ子ひとりいない初秋の上高地を現実に見た。私は、その経験自体を共有するわけではない。その経験自体は私の手の届かないところにある。それは原理的に接近できない。こう言ってよいと思います。でも、その北杜夫の経験の「内容」には、私の認識は届いてしまう。北杜夫の文章を読み、理解したことによって、伝わってしまったものがあるからです。

さて、「私の手の届かないところ」という表現は、一つの比喩にすぎませんが、文字どおり、私の身体は他人の経験に到達し得ないという意味にとると、意外に的確な表現かもしれません。
タイムマシンに乗って、1945年初秋の上高地に私が行ったとしましょう。私は、後年の北杜夫こと、斎藤宗吉さんと肩を並べて、人影のない初秋の上高地を見やります。私と宗吉さんが同じものを見ていることは確かです。でも、その見え方は違う、と言って言えないことはない。
どんなにぴったり肩をくっつけて立っても、同一の対象からの反射光が二人の眼球に入る角度は、二人の肩が隔てる分だけ違うでしょう。私の身体が、斎藤宗吉さんの身体と、厳密に同時に同一の空間を占める(同一の空間内で融け合う)ことはあり得ない。まさにこのことによって、私の身体が環境から受け取る物理的刺激と、斎藤宗吉さんの身体が環境から受け取る物理的刺激は、厳密に、別のものになる。
それぞれの身体は、厳密に同一の物理的刺激を受容するはずがない。感覚器官の位置する時空点で物理的刺激を検出すると想定すれば、それぞれの身体ごとに検出されるのは、異なる時空点に生じた異なる個別的物理現象ということになる。かくして、私の身体が他の身体と物理的状態を共有することはない。この意味で、私の身体は他の身体の経験に到達することはない。まさに、他の身体の経験は、私の「手の」届かないところにある。
しかし、この物理的な違いは、言語の意味体系にはほとんど影響を及ぼさないと思われます。というのも、言語は、自分と他人が同じ世界を見ているという社会生活の水準での確実性の上に、音声と身振りが配置されたものにすぎないからです。
だから、私とあなたが世界から受け取る経験の「内容」が厳密には異なっているのだ、と言いたいとき(それは上で物理的刺激の個別的な違いという手がかりで「外側から」描写してみたことですが)、その「厳密には異なっている内容」を言い表す方法は、言語の中には用意されていない。言語は、相異なる主体の体験する世界の共通性を示すように作られているからです。言い表すと、意外に容易に「分かられて」しまう(←被害受身形です!)
そういうわけで、取り替えのきかない一つのものとして私たちが生きているのは、言語的な生としてではなくて、身体的な生としてなのだと思います。生まれてから死ぬまで、私の身体と物理的刺激を共有する存在は、一つもありはしない。私の経てきた(物理的)歴史を一部分でも共有する人など、一人もいるはずがない。
(詩人は、取り替えのきかない一つのものとしての身体的な生を、言語的に表す、という離れ業に成功する人である、と言えそうです。)
身体として生きている私たちは、他人の手の決して届かない固有の領域を常にもちます。世界の共通性しか示し得ない言語という装置は、その身体的な生の固有性には届かないし、そこに届くことを目的ともしていない。
だから、ありふれた言葉では他人に伝えられない何かを私たちの身体が感じるということは、取り替えのきかない一つとして私たちが生きていることの実質です。いかにしても伝達できない――共有する(communicate)ことができない――身体の固有性だけが、個としての私たちの拠りどころだと思います。

取り替えのきかない一つの生を、上では、身体的な生として語りました。魂の存在を認める人たちならば、それは魂的な生であると言うでしょう。
一個の魂が、社会生活の便宜にすぎない人間的言語の外へと向かったとき、社会の外で出会うのが、真の言語にして真の理性であるロゴス(logos)、すなわち「絶対」であるかもしれない。ならば、絶対と向き合うことを通じて、魂はロゴスと交流すると言えるかもしれない。
日本語の場合、「和魂漢才」「和魂洋才」などと言われてきたように、魂は知的能力とは別モノと見なされる傾向が強いけれど、絶対が想定される文化圏では、むしろ魂は知性であると考えられてきたようです。すると、知性である魂がロゴスとしての絶対と交流するという設定が成り立つ。
この交流の中で獲得される言語、理性、ロゴスは、社会生活の便宜を超える水準に到るはずです。
だからこそ、こういう設定の中で絶対を見失うとしたら、ずいぶん難しいことになる。つまり、「絶対と交流する真の言語の働きによって、社会生活の便宜を超える水準に、一個の知性的魂は到達できる」という考え方をとりながら、絶対を見失うとしたら、それは容易ならぬことです。その難しさの大まかな形くらいは、絶対との交流を実感できない私にも推察できます。
あからさまに言えば、社会生活の便宜を超える水準の真と善と美は虚妄だった、ということになる。すると、言語を拠りどころとするかぎり、魂は、かえって社会生活の便宜の水準に吸収されてしまうことになりそうだ。それがどのような未来をもたらすのか、私には分かりませんけれど。

さて、もうずいぶん長くなりました。あれこれ書いているうちに、ああ自分はこんなことを考えてたんだ、という発見もありました。そんな機会を与えていただいたことをガメさんに、そしてブログ読者の方々に、感謝しつつ、とりあえずここまでの文章をご覧に入れることにいたします。


For everything a reason 3 (哲人さんとの往復書簡)

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ふたりの人間が相対(あいたい)して、これから話そうとするときに、片方が述べた言葉が相手に直接つたえられて理解されるかというと、そんなことはありえないことだ、と考えます。

こんにちは、はもちろん直接伝わるでしょう。
ひさしぶりですね、になると微妙だが、礼儀ただしくしようとすれば、やはり直接言葉を受け取るべきだろうと思います。

ところで奇妙なことを言うと「こんにちは」という挨拶を受け取っている人は、実は「こんにちは」に相当する信号を相手が送っていることを知覚しているだけで、特に述べていることを聞いているわけではない。

鎌倉の焼鳥屋に行ったら、そのとてもおいしいけれども、ぼくの身体のサイズにはなにもかも小さくて、その「小さい感じ」がとても楽しい夜になった焼鳥屋で、お勘定をすませて、いざ帰るときになったら、金髪でピアスをした気の良いおにーさんが「あてあああーす」とかなんとか、結局は聞き取れなかった威勢の良い挨拶で送り出してくれました。
一緒にいた義理叔父に、「いまのなんて言ったの?」と聞くと、
いや、おれにも判らない、という。
さよなら、という意味かしら、と言うと、
いや「毎度ありがとうございました。また、どうぞ」という意味だ、と自信たっぷりに答える。

いま聞き取れなかったって言ったじゃん、と蓮紡議員の国会質問並に鋭い指摘をすると、
いや、それでも意味は精確にわかっているさ、と言ってすましている。

ところで、相対(あいたい)して会話しているひとは、通常、互いに、言語社会全体が絶えず書き換えているひとつの「おおきな辞書」を参照しながらお互いが述べていることを理解しているのだとぼくは感じます。
すさまじい、という言葉は11世紀の日本社会が参照していた辞書では、「なんだかぞっとするようで興醒めである」という意味だったのだと思いますが、いまの(日本語人が会話するたびに絶えず参照している)辞書には「すさまじい面白さ」という用例が載っているでしょう。

よく上がる例だと「やばい」という言葉は現在進行形で辞書が書き換えられたり書き戻されたりしていて、こう書いているいまも、「すごく良い」と「ダメっぽい」という相反するふたつの意味を往復している。

本来、内的意識と照応している言語に伝達の機能をもたせるために、どの言語社会も、この全員が編纂と執筆に参加して絶えず書き換えられている「おおきな辞書」を持っていて、これを参照しながら普段「伝達」を行っている。

しかし考えてみると、ここで「伝達」と呼んでいるのは、お互いがすでに知っていることの追認にすぎないわけで、壁にかかっているいくつかのシチュエーションカードのようなものを何枚か取り上げて、これとこれとこれ、というふうに生起順に並べてみせているだけであるように思います。

ギョーム・アポリネールという詩人は、パブロ・ピカソという若い画家の友達とふたりで時間ばかりを持てあましている毎日のある日、詩を量産して大金(たいきん)を稼ぐのはどうか、と言い出す。
どうするかというと詩句を書いたカードを何十枚かつくって、シャッフルして、並べ直すことによって詩を大量生産すれば、ちょうどT型フォードのように売れると考えた。

これは大変示唆的で、詩を大量生産するのは無理だが、会話などはおよそ、その程度のものだ、ということを暴露していることにおいて面白いと思う。
むかし、ぼくが子供の頃、母親のおさがりのSE30というコンピュータでよく遊んでいた頃、(もしかすると同時期に持っていたコモドールのアミガのほうだったかもしれないが)「ラクター」という、「おはなしリカちゃん」のソフトウエア版があって、この「ラクター」は自称コンピュータのなかに住む詩人で、さまざまな美辞麗句を駆使したり、ときに、というよりも、しばしば、びっくりするように鋭い警句を述べるのですが、種明かしは、 ラクターはコンピュータのAI史上有名なELIZAと同じ人工無能プログラム で、特に相手の言っていることを理解しているわけではない。
適当にシンボル的に連関のある単語をつなげて、もっともらしいことを言っているにすぎない。
一定の複雑さをもつ質問を述べると、突然怒り出して、おまえみたいな低劣な人間とは口も利きたくないと言っていなくなってしまう大庭亀夫みたいな人で、7歳か8歳くらいのぼくは、退屈すると、「ラクター」で遊んでいたものでした。
そうして、「ラクター」はまわりのたいていのおとなよりも、興味深い世界への理解を発揮してぼくを楽しませる「おとな」だった。

「おおきな辞書」は哲人さんが述べる社会性を請け負っている言語が網羅的にかかれた辞書で、
「言語は、自分と他人が同じ世界を見ているという社会生活の水準での確実性の上に、音声と身振りが配置されたものにすぎない」
と哲人さんが書かれた哲学上言語学上の教科書的真実は、この「おおきな辞書」について述べられたものであると思います。
哲人さんがここで述べられていることは「正しい」ことでもあって、現に、言語について考えることに決めた人は、みな、この定義を教室で
教わったことがある。
ぼく自身も、哲人さんが書いた文章のこの部分だけ、自分のラテン語教師が書いたのではないかと一瞬さっかくしてびびりました。
哲人さんの正体は、日本語を学習して、態度も出来もわるい学生だったぼくに復讐するためにはるばる波濤を越えて日本の国立大学に職を得た、あの天敵ハゲではないかと考えた。

ぼくが話したかったのは、もっと編纂参加者が限られた、多くの場合はたったのふたりでさえある辞書や専門辞書の場合です。

「相手が知らない/判っていないことを伝達しようとしている」場面を考えると、「おおきな辞書」は、まるで使いものにならないのは直感的にわかりやすいのではないかと思います。
社会的な合意を参照して追認するだけの「おおきな辞書」には載っていない概念や、概念自体が誤解されている語彙がたくさん出てきてしまうからです。

「悪魔の実在」について議論するのは、大陸欧州では、そんなに奇異なことではありません。
欧州言語は、神を「言葉によって知覚できず、言葉の集合の外にある」絶対として定義して発展してきたからで、世界で最も無神論者が多い連合王国人が最近になって安んじて「神なんて、いるもんかよ、けっ」と述べられるように成ったのは、「神」という仮定が、ちょうど18世紀の物理世界における「エーテル」と同じく、世界を矛盾なく説明するためにはどうしても必要だった時代が終わって、主に物理学者の挑戦を契機に、宇宙を説明するための仮定としては、存在を認めると返って邪魔になってきたからにすぎず、神が存在しえないという物理的知見から逆に言語の側へ影響して、たとえば、神と神を仮定した「調和のある世界」にこだわっていると、どうしても現実感すらない、あるいは生活言語では存在の有り様を解説することさえできない量子論から徐々に生活のほうへ広がってゆく「言語の崩壊」は、まだ神や悪魔を仮定して議論するひとびとが使う言語にまで影響するには至っていない。

だから悪魔の実在について議論することは可能なはずですが、日本語には宗教について参照すべききちんとした「ひとびとの意識が参照できる辞書」が言語社会全体として存在しないので、現実には不可能なのは、ご承知の通りです。
神と悪魔が対立的なものではなく、悪魔は「最高神になりえなかった神」にしかすぎず、と説明するのもそうですが、それ以前に言語の定義の問題がある。

いちど、50代の人が「正直に言って北村透谷は滑稽で、浅い」とオオマジメに述べているのを見たことがある。
「処女の純潔を論ず」を、いまの「おおきな辞書」に照らせば、意味は全部伝わっても、誰でも、ぶっくらこいてしまうか、ふきだしてしまうでしょうが、しかし、北村透谷が述べた「処女」も「純潔」も、極めてクリスチャン的な概念の直訳で、いまの現代日本語から想像できる意味や、言語が含有する情緒とは遠く隔たった語彙の連続で、「おおきな辞書」以外の辞書を持っていない人には読めないのは理由があることだと感じる。

「観念の高み」という言葉を使いましょう。
詩人の田村隆一が使った用語です。
隣のひと課長になったんだって。へー、うらやましい、というような会話を地べたにはりついた会話だとすると、

「するどく裂けたホシガラスの舌を見よ
異神の槍のようなアカゲラの舌を見よ
彫刻ナイフのようなヤマシギの舌を見よ
しなやかな凶器 トラツグミの舌を見よ

彼は観察し批評しない
彼は嚥下し批評しない」

という言葉を理解するためには、
少し「観念の高み」が必要になる。
「観念の高み」の中空に浮いている「ちいさな辞書」が必要になる。

「処女の純潔を論ず」を逐語的に歴史的意味の変遷を追って、いわば地を這って、あの文章がいまの日本人が理解したと思う文章とは異なる文章なのだ、ということを示した丹念な評釈がありますが、それ以前に、たとえば吉増剛造は「処女の純潔を論ず」をオリジナルの意味のまま読んでしまっている。
このひとの読み方はおもしろくて、観念のレベルをどんどんあげていってしまって、自分の詩語が出てくるところまで上げてから一挙に散文を読み下してしまう。

この吉増剛造と北村透谷のあいだには一冊の100年を隔てて、ふたりの詩人が同じ意味にたどりつくことが出来る「辞書」があったはずで、しかもこの辞書は社会性をもった言語の集合の正反対で、語彙の歴史性に立脚した「孤独な言語」であったはずです。
そこにいささかでも社会性があったとすれば、それはすでに遠い昔に死んだ人間が持っていた社会性にすぎないのではないかと思います。

いままでいろいろな言語で遊んできて、簡単に相手に考えていることが通じるのは数学言語くらいのもので、それは多分数学という言語は 論理ベクトルしかもっておらず、死者が営々とためこんで語彙に堆積した情緒をもっていないからで、言語が伝達機能を持たないのは、この情緒がそれぞれ孤立した人間が「普段は使われない辞書」を書き換えてきているからだと思う。

生活言語であっても、観念の高みにのぼってゆくと、言語が言語を呼んで、スパークするような、激しい化学変化を起こして、書き手の意志とは離れたところで言語自体が伝達の役割をはたしてしまいことがある。

武蔵野、朝鮮、オルペウス

という詩句は、朗読の音韻が呼び寄せた、遠く異なったみっつの言葉の邂逅ですが、
その漢字とカタカナの輝くのなかでは、「朝鮮」という言葉は、文字通り、鮮やかに輝いていて、なんのことはない、日本の人が歴史意識のどこかで抱いていた百済観音に代表される半島人の文化への憧れを言語自体で表現してしまっている。

言語にとっては、たとえそれが社会性を担っているとしても、言語が秘匿している「過去にすでに死んでしまった人間の社会性」のほうがより圧倒的で強烈であることの証左として、ぼくは、よくこの詩句を考えます。

ここまでぼくは哲人さんの言うことにそむいて、人間の言語はいかに伝達が出来ないかをまだ執拗に述べている(^^;

ここから例証をあげて、伝達していると思っているものはすでにお互いに了解されていることの追認に過ぎないこと、どちらかが了解していない事柄については「おおきな辞書」を参照する会話によっては伝達はやはり不可能に見えること、などを述べていこうと思いますが、今日はインド人たちのお祭りで、明日からはインターネットはときどきしか通じない旅行に出るので、ちょっとここで、中断して、一週間ほど、おやすみです。

では、また


日本語廃止論

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1946年に志賀直哉が雑誌「改造」誌上で「日本語を廃止してフランス語にすればどうか」と提案したことは日本の、特に文学者におおきな衝撃を与えた。
1980年代になると、この発言は「志賀直哉の醜態」であり、「志賀直哉にときどき見られた機会主義的な発言」ということになって、「なかったこと」にされたが、当時の人の日記を読むと、日本一の日本語の書き手であることが周知で、おおげさに言えば、作家の誰もが志賀直哉の日本語の標準に達することを目指していた当人が「不完全な日本語ではダメだ」と言い出したことへの衝撃がどれほどおおきかったか判る。

考えの底が浅いことで終始一貫している丸谷才一は1970年代に書いた雑文のなかで志賀直哉の考えの浅さを笑っているが、言いようによっては丸谷才一自身と同じく深くものごとを考えることをしなかった志賀直哉には、その代わり、自分自身ですら何を感じているのか判らないでいるような、ほとんど自己の自意識とは独立した深い直観の力があった。
小林秀雄は電車で偶然乗り合わせた志賀直哉の「なにも見ていないようでいて、なにもかも見透している眼」の怖さについて述べている。

いまから考えると志賀直哉の意見を頭から「たわごと」と決めてかかった人たちは同じ文章のなかの「フランス語に移行することなど簡単だろう」のほうに「この意見はダメだな」と考える根拠を見いだしていたので、半藤一利の敗戦直後の見聞を記した文章を読んでも、「不完全な日本語ではダメだ」のほうは、なにをっ、という反発は感じても、どうも本当なのではないか、と感じていたのがありありと判る。

面白いことに、志賀直哉が激しい反発を受けて、「日本語廃止論」が志賀直哉の一生の汚点と決めつけられたあと、最も真剣に「日本語で世界を表現できるか」議論することになったのは、ロックミュージシャンたちで、日本語でロックがやれるかよ、という内田裕也やジョー・山中の「Flower Travellin’ Band」に対して日本のロックは日本語でなければオリジナリティをもちえないと考えた細野晴臣や大瀧詠一の「はっぴいえんど」が対立の軸であったように見える。

大勢の外国人たちで賑わっていた赤坂の「ビブロス」や六本木の「JAJU」に入り浸っていた内田裕也やジョー・山中に対して炬燵に入って「プレスリー、いいよね」などと述べあっていた大瀧詠一たちとでは拠ってくるところ、立っているところが全然別で、「日本語で自分たちの世界観が述べられるかどうか」という対立が並行したまま終わってしまったことには、ライフスタイルの違いもあったようです。

「見るまえに跳べ」という「フォークの神様」岡林信康のアルバムを見ると、あとで「ティン・パン・アレー」や「イエロー・マジック・オーケストラ」につながってゆく、この「はっぴいえんど」が、バックバンドとしてクレジットされている。
1970年には一緒にツアーにも参加している。

吉田日出子によれば、それまでの、岡林信康自身を含むベタベタした情緒で恨み辛みを述べるタイプの音楽に嫌気がさしていたらしいフォーク歌手と日本語でも乾いた音が出せるはずだと信じたはっぴいえんどのあいだに諒解点があったのでしょう。

一方、内田裕也のほうは逆に、日本語世界から剥離して、疎外され、人物的印象として、怒れる右翼のおじーちゃんみたいな人になっていった。

前に「日本語は言語としての役割が果たせなくなって地方語の位置に転落するだろう」と書いたら、「無知なようなので教えてやるが志賀直哉の発言も知らないくせに、くだらないことを書きやがって」と書いてきた人が何人かいたが、
志賀直哉、桑原武雄、山本有三たちの「国語改造論」が冷笑された過去を前提としての記事であることは、このブログ記事のずっと前のほうに何度か書いてあるはずで、見当が外れている。

積極的に日本語をやめるかどうかは、どうでもいいことで、記事の論旨は「日本語で世界が説明できなくなっているのではないか」ということと
「日本語は真実性を失って『空洞言語』(mannequin language)化しているのではないか」というふたつのことだった。
日本語全体が言語として死語になるのは、その当然の結果にしかすぎない。
どういう理由によるのか、日本にいるときには研究者の友達が多かったが、最も年長の50代のMさんですら医学生当時使っていた生化学の教科書(多分、コーンスタンプだろう)が、英語が第五版だったときに日本語は価格は数倍であるのに第二版で、到底つかいものにならなかったと述べていたのをおぼろげに憶えているから、医化学の世界では学部生レベルでも、日本語は英語世界に追いついていけなくなっていた。
同じことが戦前では技術・物理の世界で起きていて、いまはビジネスの世界や金融理論の世界で起きている。
さらに最も致命的に思えるのは、たとえば20代の人間には自分の生活感覚や上の世代とは明らかに異なる感情のリズムが日本語では表現できないことであるように見えます。

インターネットの根源的な役割は、もちろん世界の破壊にある。
もう少し詳細に述べれば人類の歴史を通じて何千年と続いたスタティックな世界の破壊者がインターネットで、定型に対して不定型、固定的に対して流動的、静的に対して動的、すべてのものが混沌として渦を巻きながら高速で変容しつづける世界のエンジンがインターネットだが、一方ではインターネットには「大数の動的な知性の集合体」という側面も持っている。
そのインターネットの性格が最も活かされているのは北海文明由来の「シェアリング」の堅固な思想をもった知性の持ち主がもともとたくさんいた英語世界で、英語の外側から英語によって参加する人間が素晴らしい速度で増加することによって、当面ゆるぎそうもない言語的優越を獲得した。
簡単に言ってしまえば、「英語で考えることが出来ない人間は世界に参加できない」図式ができあがって、ネガティブな効果のほうを知りたければ、日本も典型だが、イタリアやスペインの田舎を旅行して地元のひとびととイタリア語やスペイン語で話してみれば判る。
「世界から取り残されたひとびと」で、それがための良さとそれがための悲惨とを、両方、判然と見てとれる。

最も興味があるのはインドで、映画、たとえばEnglish Vinglish

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/08/04/english-janglish/

を観ても、The Lunchbox

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/09/27/taking-the-wrong-train/

を観ても、中層家庭の家庭内の会話が半分英語、半分インド諸語になっている。

インド版「X Factor」が好きなので、よく観るが、スター志望のパフォーマーたちに対して述べられる講評は、ひとつの対話のなかで、たとえばヒンディ語で話し始めて、英語に変わり、またヒンディ語に戻ったりする。
話したり聞いたりするのに都合がよい言語を選んで、ひとつの発言のなかでさえ言語が混在する。

あるいは、クルマを運転しているときに聴いているのは、たいていローカルのインド人コミュニティFM局だが、ひとつの番組のなかでも英語とヒンディやベンガル語、タミル語が混ざっている。

インドの中等教育の教師には全国的にベンガル人が多くいるが、ベンガル人はベンガル語に高い誇りをもっているので、たいていの場合、ヒンディ語を話さない。
良い学校にいれると、そういう事情が働いて、父兄懇談のような機会には自然、教師に失礼がないように会話はすべて英語になる。

BBCのドキュメンタリを観ていると、火葬を受け持つ不可触賤民の若い男が「私たちは、カーストの最下層だといっても、私たちなしではどんな高貴な人間も死ぬことさえできない」と誇らしげに述べている。
ところで、見終わってから気がついたが、この若い男の人は、流暢な英語で話していたのだった。

人間の最も根底的な情緒の場である家庭で英語が話されるのは「母語」というものへの強い思い入れがあった人間としては驚きだったが、しかし、インドに限らず、考えてみれば、たとえば海外に移住した香港人/広東人のあいだでは以前から普通のことだったのである。

本来の自分達の言語から英語への移行は、おもしろいことに民族や文化によって特徴的なパターンがある。
欧州人は「移行」であるよりも多言語型で、ただ、このやりかたは異言語の人間が大量に往来する欧州の特殊な事情に基づいている。
連合王国を例にとると、ロンドンの小学校でホッケーのクラブに所属している子供は、一年に数回はフランスに遠征する。
中学校になれば、フランスだけでなく、スペイン、オランダ、ベルギー、…と遠征して練習試合を繰り返すだろう。

日本では、どんなふうに言語の移行が起きるか判らないが、いまのような教室での学習のベースでは日本語世界の部屋に自分で鍵をかけてしまう結果にしかならないのは自明であると思う。
翻訳や通訳のような職分が10年後にもあるとすれば、それは日本が閉鎖的な一地方国家になることを意味している。

最もよろしくないのは「仕事のため」に英語能力を獲得しようとするバターンで、第一、そういう姿勢では英語そのものが身につくわけはない。
いまのところ、日本の人で英語が「出来る」人には自らにスパルタンな習慣を課して「歯を食いしばって頑張る」タイプの人が多いように見えるが、傍からみると、そういうひとの英語には名状しがたい「浅さ」があって、本人は得意でも、英語が母語の人間からすると、なんだか聴いていていやになってくる英語であると思う。

鍵は「自然と学習する」方法をみいだすことだろう。
考えてみれば、言語というものの性質から言ってあたりまえだが、言語の習得は個人によって異なる。
誰にも教えてもらえないもので、教師に教わって効果があるのは発音とアクセントくらいのものではあるまいか。

ヒントらしいことを述べると、昔から、社会的競争が発達した国の国民は、多言語を身につけにくい。
試験の選別が厳しいばかりで個人主義を「利己主義」「わがまま」と考えて忌む社会では、なんちゃら方式の能書きばかりが多くて現実に臨むと唖然とするくらい話せないし書けない。
「英語は読めるが話せない」は、自分が秀才であると思いたいロシア人の、昔から有名な言い訳である。
聴いている英語人のほうは、「話せなくて聴けないのなら、それは訳しているだけで読めていないのだとおもうぞ」と思って聴いているが、気の毒なので、なるほど、という顔をつくってみせて、困惑を隠蔽するために微笑んでいる。

新刊やインターネット上の日本語表現の貧しさをみると、日本語の崩壊は当初の予想よりもずっと早く起きて、簡潔にいえば、いま眼の前にある。
もっかは、大多数の日本人は「言語を失った国民」なのであると思う。

おおきな言語集団が言語を失いかけたのは近代中国以来で、その中国は詩人で虐殺者でもあった毛沢東が「中国文明をいったん廃止する」ことで建て直してしまったが、日本は、どんな方法をとるだろう?

楽しみな気がします。

(画像はブレナムにある復元されたレッドバロン、リヒトホーフェンとフライングサーカスのFokker Dr.1

http://gamayauber1001.wordpress.com/?s=Fokker+Dr.I&submit=Search

燃えるぜw )


夏のキャンプサイトで

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ニュージーランドのキャンピングサイトは、とてもよく出来ている。
無料の「フリーダムキャンピング」もあるが、ふつうは$30から$50を払って電源や水道が各個についたサイトがある有料キャンピングサイトに行く。
100㎡くらいの敷地が並んで、受付のひとがなるべく隣と離れるように割り振ってゆく。

共同棟にはトイレとシャワーとキッチン、ダイニングルームがあって、その上に、たとえば温泉で有名なロトルアならホットスパがある。
インターネットは、だいたい、500Mバイトまでタダで、5ドル払うと無制限に使える。
speedtest.netで測ってみたら、下りが5Mbpsで上りが3Mbpsというヘンな非対称だったので、少し離れたエクスチェンジボックスからVDSLを引いているのではなかろーか。
4年前は下りが1Mbpsだったので、へえ、と思う。

クルマで来てテントを張るひとも盛夏には多いが夏が始まったばかりのいまはキャンパーバンとバンガローがほとんどで、モニとわしのキャンパーバンのまわりにも、ボロボロのハイエースを自分で改造してLPGや240V電源をつけたバンから、一台3000万円を越える6berthの豪華なキャンパーまで、肩をならべて、のおおんびり座っている。

モニとわしのキャンパーバンはレンタルの2berth。後続している家のひとたちの巨大なバスと異なって、なんでもかでも2人用です。
むふふ。(←特に意味のない笑い)

ニュージーランドのレンタルキャンパーバンでは最もありふれたメルセデスのスプリンターを改造したキャンパーバンで、わしガキの頃と異なるのはディーゼルの馬力が向上したので、マニュアルでなくてオートマティック、4気筒でも、もりもり力が出て、クルーズコントロールで100km/hにセットしておくと、急坂でなければ、そのままずううううっと100km/hでオープンロードを走ってゆく。
室内にはキッチン、トイレと温水シャワーと冷蔵庫に、エアコン、ダブルベッドがある。
基本的には小さめのボートと同じつくりで、運転席と助手席は180度回転して、小さなベンチのあるコーヒーテーブルをはさんで食事が摂れるようになっている。

ニュージーランドは、国の特徴でベンチとピクニックテーブルが国中に、ばらまいたように置いてある。
ちょっとでも綺麗な景色のところには、必ずピクニックテーブルがある。
こーゆー感じ。

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オープンロードからラグーンに折れて、ホットドッグを調理して、鴨が群れているラグーンの水面をみながらモニとふたりで食べていると、人間の一生はいいなー、と思う。

積雲の団体が去って、太陽が姿をあらわして、世界でいちばん空気が綺麗だということになっている透明なニュージーランドの大気を陽射しが渉りはじめると、おおげさでなくて、言葉であらわすこともできなくて、地上にあらわれた天国のようなニュージーランドの広大な田園風景全体が輝きだす。

モニがおおまじめに、しかも普通な調子で、「フランスより美しい国を初めてみた」というので笑ってしまった。
連合王国で年に5000万円6000万円という収入がある30歳代のひとたちは、年収が5分の1になるのを覚悟してニュージーランドへやってくる。
自然のなかで暮らすためで、毒のある生物はまったくいなくて、肉食の最も凶悪獰猛な動物が猫である国(したがって猫たちはチョー威張っていて肩を怒らせて歩いている)で、湖の横の芝生に横になって、ぼんやり空を観ていると、人間の一生なんて、これでいいのでわ、と思えてくるそーで、
この国は人間をなんて怠け者で幸福にすることに長けているのだろう、と、いつか近所の連合王国人が笑っていたが、そのとおりで、ニュージーランドという国は、自然の力で、もともと真っ向から現代文明の価値に挑戦しているようなところがある。
なにしろ物価がものすごく高くなったと言っても、あるいは、それとは関係なく、ニュージーランドではまだ、やる気にさえなれば、ボートを出して魚を捕り、パドックで牛を飼って、現金収入などほとんどなくても食べていけるのだから。

モニとわしのサイトの隣の若いカップルはフランスからの旅行者で、その向こうはイタリア人の新婚カップルだった。
6人でピクニックテーブルを囲んでワインを開けて、見渡す限りヴィンヤードのマルボロで買ってきたカマンベールとサラミ、ロブスターにオイスター、みなで持ち寄ってきたものを並べて、夜中まで話して遊んだ。
フランス人たちには、よくあることだが、なんでポリネシアにヨーロッパ文明があるんだ、と、なんだか狐につままれたような顔で述べている。
イタリアのふたりは、この国はハンバーガーがうまい、と熱弁をふるって、だけど、あのスパゲッティの死骸みたいなパスタはなんだ、と怒っている。
あんな寝る前にゆで始めて、起きるまでゆでていたような根性のくさったパスタで2000円もとるのは頭がおかしい、それに、あの生クリームがどっちゃりはいった嫌がらせみたいに不味いソース!

そうやって話していると、ああ、夏が始まったのだなあー、と思う。
なんだかニュージーランドから動きたくなくなってしまう。

ずっとむかしに流行った歌で、Irgendwie, irgendwo, irgendwannという歌がある。
もともとは、まだベルリンの壁が存在した1984年に ドイツ語圏で流行した西ドイツのロックバンドNenaの歌だが、英語人がおぼえているのは、2002年にKim WildeとNenaのふたりが英語とドイツ語で歌った
Anyplace, Anywhere, Anytime
のほうでしょう。

1984年のドイツ語の曲が、刹那の昂揚を求めて手をさしのべあうラブソングであったのに較べて、2002年の英語とドイツ語の曲のほうは、人種、民族、言語が異なるふたりが、若さがうみだす勇気を力にあらゆる差異を乗り越えて恋に落ちることを暗示した曲として受け取られていたのをおぼえている。

ちょうどイギリスでも大陸欧州でも爆発的な文明の融合が始まった頃で、
1996年にパリで開店したブッダバーがレストランとしてだけではなく、中東・アフリカ・欧州が融合した音楽空間をつくって注目され、ヨーロッパの町々に以前とは桁が違う数でムスリム人と東欧人があふれだした頃と平仄があっている。

初めは肌の色が異なるカップルがおずおずと手をつないで、なんだか少し緊張した様子で交差点に立っていたりしたのが、異人種間の結婚が珍しくなくなって、しばらくすると、以前なら、そんなことはありえなかったパキスタンの子供と東アジア人の子供とアングロサクソンの子供が笑い声をあげながら一緒に学校から家に帰る姿が見られるようになり、いまでは民族や人種について言及したがる人は「少し頭がおかしい人」になって、相当に程度のわるい高校生たちのあいだでもアジア人や中東人を軽蔑するようなことを述べる人間は「ダサイ、不満屋のじじいみたいなやつ」ということになっていった。

そういう変化は、わしガキの頃から、たった20年で、素晴らしいスピードで起きたが、おおきく見れば、なにかというと人種や階級の違いを仄めかしたがる「気取ってばかりいる頭のわるいジジイたち」への、若い人間の反発の力がエネルギーになっていた。

いつかオークランドの、ポンソンビーという町のカフェで身なりのいい中年の女のひとが、後ろから見つめているアフリカ人の若い女のひとに気がついて、何の気ない調子で、
まあ、あなたとわたしって、顔の造作や全体の感じがそっくりね、まるで娘が立っているようだわ、と言って笑っていた。

なんでもない光景だが、20年前ならありえない光景であることは言うまでもない。
20年前の人間は、民族の違いや肌の色というような、いま考えてみるとバカバカしいような些細な「差異」のほうに眼がいって、自分達が似ているとはおもいもよらなかったからで、経った20年で、文明がこれほど変化できるものならば、なぜ、それまで何千年もくだらない差異にこだわって、ここまで時間を浪費してきたのだろう、と不思議な気がした。

21世紀にはいってからの現代社会の最もよい点は、20世紀の「世の中なんて結局は変わらないのさ」という「賢人たち」のしたり顔の怠惰を嘲笑うように、毎年毎年社会がよくなっていくのが実感できるところで、今日よりも明日のほうが良い社会であることが誰にも理解しやすい形で現実になってゆくところであると思う。

1990年代に「誘蛾灯に飛び込む二匹の蛾のように」、分別を忘れ、すべての現実的知恵を忘れて情熱のなかにとびこんでいった異人種・異文化同士のカップルは、しかし、20世紀までの分別のある人間がこしらえた巨大な闇を破壊してしまった。差異にばかり注目する「悪意」という闇です。
悪意という闇は人間を社会ごとのみこんで破壊し、さまざまなもっともらしい理由をつけて人間性全体を棄却しようとする。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2008/09/26/wish-you-were-here/

同性愛者でアフリカンアメリカンだったジェームス・ボールドウィンは、自分の絶望の日々から50年も経たないうちに人間が差異よりも共有しているものに眼をむけるようになるとは思っていなかったが人間は情熱という愚かさの力で、意外なほど早く闇を乗り越えてしまった。
そのことを、とても良いこと、自分達の世代が誇りにすべきことだと思います。

イタリア人フランス人のカップルとモニとわしは、みなで10本ほどもワインを空にして、なんだか酔っ払って、キャンプグラウンドのおおきな芝地を横切って川のほうへ歩いていった。
ニュージーランドにだけ星が多いのは、どういうことだ、
最近の天体は南半球に移住するのが流行っているのか、というフランス人カップルたちの言葉に笑いながら、NZではなぜか海辺にいることが多いパラダイスダックや、対岸でこちらをうかがっていた牛さんたちや、水に隔てられているのに安心して、逃げもしないでじっとこちらをのぞき見していた羊さんたちが塒に帰ったあとの川辺で、フランス語やイタリア語、英語がきまぐれに混ざる闇鍋みたいな会話を夜遅くまで楽しんだ。

イタリア人やフランス人やUK人の心の狭さについて
イタリア人やフランス人やUK人の心の広さについて
人間の矛盾や整合について
悟性や情熱について、

おお、そういえば、きみはKlangkarussellのビデオを観たことがあるかい?

欧州のカフェがある通りや、大学図書館の奥まった書棚や、クラブのフロアを右往左往するような、そんなことばかり話しているうちに朝になってしまった。

次の日、お互いに別れの挨拶をして、わしらは旅立った。
再会の約束なんて、しません。
また会えるに決まっているもの。
きみや、きみに似たひとや、鏡のなかの自分のイメージのような見知らぬひとに。

「新しい人」に


阿Q外伝

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一度、こういうことがあった。
藤沢のスーパーマーケットで、モニさんとふたりで買い物をしていた。
モニさんはフランス製のチーズだったので、興味があったのでしょう、棚に一個だけ残っていたチーズを手にとってみようとしたら、モニさんの手をはらいのけてチーズをつかみとろうとした日本人の女のひとがあった。
モニさんは、そういうときに黙って我慢するような育ちが悪いひとではないので、自分の手をたたいた女の人の手を、ふり除けます。
日本人の女のひとは諦めて立ち去るが、隣の夫とおぼしき人に
「あのガイジン、わたしを叩いたわよ。ガイジンは、荒っぽいのね」
と述べているのを聴いた。

生起したことは多分、

1 日本人の女の人は、自分が他人の手をはらいのけてチーズを手にとって買おうとした行動が失礼だとわかっていない

2 反応として、モニさんが相手の手をふり除けたことを一方的暴力ととらえて自分は被害者であると考えた

ということでしょう。

一方で、日本人同士のあいだで同じことが起きたとすると、
モニさんにあたる女のひとは手をはらいのけてチーズを奪っていった相手を眼をまるくして観て、黙っている。
その場ではなにもしない。
あとで家族なり友達なりに「びっくりするような失礼な人に遭遇した」と述べる、というくらいが平均的な反応であるような気がする。

英語人同士であったとすると、話は簡単で、
無論ふつうの相手であれば
「すみません」「ごめんなさい」で、このチーズを手にとってみてもいいですか?
特に買おうとおもってるわけではないけど、おいしそうなチーズですね、とかなんとか短い会話を交わすでしょうが、それは多分「ふつうの」日本人同士であっても同じであるとおもわれる。

考えているのは闖入する手のもちぬしが「ふつうでない」場合で、その場合、たとえば、アメリカ人ならば、女のひとでも
「おい、なにするんだよ。失礼ではないか」と大きな声でいうだろう。

そばで観ているのが日本人の男のひとなら、委細かまわず
「どっちもどっちだ。チーズのとりあいで喧嘩なんて女はバカだな」と言って笑うのではなかろーか。
ガイジンなんて、ひとかわむけば、あんなものさ。

少し深刻なことを書くと、モニさんは失礼を咎めたが、特に最近は相手の手をはらいのけてチーズを横取りしたのが東アジア人である場合は、文句を言わないひとが増えた。非礼をおこなったアジア人は存在せず、出来事もなかったことにする、という例が多いが、こっちはまた別の問題でしょう。

おおげさにいうと、
「自己が行っていることへの加害意識がなく、すべてを自分が被害者であるという点からみる」
というのは阿Q正伝の昔からの東アジア人一般への西洋人の観点で、
魯迅は無論、中国人の側から西洋人の観点を迂回してなおかつ同じ結論に達した初めての作家だった。

日本語読解力のリハビリテーションと称して、昨日は、半日、太平洋戦争についての日本語で日本側から書かれた本をまとめ読みしたが、数冊の本を読んだあとで頭のなかに出来る戦争の印象は、アメリカが一方的に人種差別的野心に燃えて日本を追い込み、ついに耐えられなくなって立ち上がった大日本帝国が100日の健闘も虚しく、巨大な偏見と悪の力であるアメリカに屈して、戦後に国民は前にもました臥薪嘗胆の苦しみに追いやられてゆく、というもので、東京空襲、広島原爆投下、長崎原爆投下を軸に一貫した国民の受難としての悲劇的叙事詩です。

溜め息がでる、というか、
前にも書いたが、ずいぶん違うもんだなー、と思う。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/

同じ戦争のヨーロッパ大戦に対してドイツはドイツ側の戦争と連合国側の戦争との
「ふたつの欧州大戦」を、ひとつの戦争にまとめる努力をしてきたのだったな、とも考えます。
歴史のなかに「ふたつの太平洋戦争」を残した日本に対して、「国民としての矜持」や「ゲルマン人の誇り」を自分達の最大の存在理由であると考える癖があるドイツ人の誇りが、自分達を「被害者」と思いなすことに抵抗させるのでしょう。
執拗に自分達を詰るひとびとに対して恐るべき自制心で自分達の非を認め続けて、70年後のいまでは、ついに欧州の大黒柱になってしまった。

全体に退屈でお決まりの何の工夫もない中傷をする人が増えて、2chなみの空間になりはてて、ばかばかしくなってやめてしまう前は、日本語ツイッタでもじん @mojin さんたち日本語人と話すことを楽しみのひとつにしていて、他人事なのだから止せばいいのに、嫌韓人の発言をみると、なんだか、からかいたくなって、いじめて遊んでいるうちに何度も「大庭亀夫の正体は韓国人だ」ということになった。
日本のひとは謙虚で有名な国民なので、「大庭亀夫と和名をなのっているが、こんなに頭が良い人間が日本人であるはずはない」という意味なのかもしれないが、ついこのあいだ、めんどくさくなって英語で話しかける(←なんのためだ?)まではニセガイジンで、今度は韓国人で、
そのうちに中国との対立が切迫してくると、今度は正体は中国人になって、多羅尾伴内(小林旭でなくて片岡千恵蔵のほう)みたいだが、
真実の正体であるタイプIII文明の落ちこぼれ高校生からはだんだん人物像が遠ざかっている。
おだてにのりやすい性格なので、ほめちぎりつづければダイソン球(註1)のつくりかたくらいは内緒で教えてあげるのに、バカなことである。

子供のときに両親の都合で日本に滞在していたようなのとは異なって、意識的に日本語で日本社会との交渉を楽しもうと考えてから、もしかすると7年くらいにもなるので、ぶっくらこいてしまう。
途中、某所からの金銭授受があって、おおお、ゼロが一個おおいやん、とかで、不純な数年があったが、もともとは非営利で、自分であんまり認めたくないが、どうやら外国語の習得というようなこととは趣味として相性がいいらしい。

言語をとおして見る社会は、考えてみればあたりまえだが、観念的に考えていた社会よりも遙かにお互いに異なっていて、さまざまで、いろいろな社会を行き来して見つめているうちに、妙なことを考えることもよくある。
イギリスと日本が似ているというひとが多いのは日本語をベンキョーしはじめて驚いたことのひとつで、日本とイギリスは180度異なる、全然あいいれない社会だと思うが、どうしてもヨーロッパの社会のなかで日本と似た社会を求めたければ、イタリアのほうが似ている気がする。
イタリアのある種類のひとの物腰は日本人に似ていると思う、と書いたら、いつか、巨大なゴジラの足を横目にみながら小学校に通った太秦人(註2)の前世から数世紀のイタリア暮らしを経てイタリア人化しているすべりひゆから「全然似てない」と怒られたが、似てないけど欧州のなかでは似ているというか、むにゃむにゃ言うくらいのところではむにゃむにゃと似ているのだと思われる。

日本の人はある名の売れた元ジャーナリストのおっちゃんが「日本がイタリア化したらどうする」という、どうするって、日本がイタリア化したら嬉しいのでわ、と思わずいい返したくなるようなことを述べたりして、コンジョわるのUK人や、かつてイタリア移民への差別発言を繰り返すのを常とした頭のわるいアメリカ人のコピーで、イタリア人を軽く軽侮してみせることが自分達が「一流文明人」であることの証左と考えたらしいむかしの習慣で、イタリアを軽くみて冗談のタネにすることが多いが、
ひとつ忘れている、あるいは見落としていることがあって、
およそ西洋人ならば、箸にも棒にもかからないアンポンタンなひとびとは別にして均し並みに「イタリア=ローマ」への深刻な文明的敬意を持っている。
キリスト教よりもローマで、
特に北海文明とローマ文明のふたつを基礎にして出来た英語人にとっては、あの長靴が文明の母で、その半ばは無意識化した敬意なしにイタリアをバカにするような口を利くのは、チョーかっこわるいというか、聴いていて居心地がわるい感じがする。
こういう感覚を「かたわらいたい」というのだそうだが、むかし、初期日本語時代に「片腹痛い感じがしますね」ととられて、用法を誤っておるといわれたことがあるので、今回はやめておきまする。

むにゃむにゃと似ているが、異なってしまったのは、好戦的な文明であると判定された日本文明をアメリカが徹底的に叩きつぶそうと決意したのと異なって、イタリアに対しては、占領してみたら、どいつもこいつも「おれはファシストに反対だった」で、げんなりした程度で、GIたちが悪態をついただけで終わったという違いがあるからで、ぐうの音もでない、というが、アメリカ人は日本人に対してはイタリア人に対してと異なって被害者意識すら持てないほど徹底的に踏みつけにしようと決意したのだと歴史は述べている。
そうしてイタリアを媒介にして考えなければドイツの戦後がいかに日本と異なっていたかも考えようがないような気がする。

軍政家としての才能があるばかりで政治家としての資質を欠いた総司令官と当時のアメリカ文明自体の共産主義恐怖症のせいで部内の統制がとれなくなった在日本アメリカ占領軍は、当初意図した改革をはたせないまま占領の終了を迎えてしまった。
破壊はある程度うまくいったが建設には失敗したのは明らかで、農地改革をゆいいつの例外として、おおむね中途半端に終わった「1945年革命」は、結局のところ、日本社会にいまに至る価値 と見地の混乱を生み出した。

日系アメリカ人ビジネスマンについての一般的に述べられるネガティブ面はアメリカ社会で都合が悪くなると「ぼくは日本人だから」と言い、日本で都合が悪くなると「ぼくはアメリカ人だから」と言い出す、ということだが、いまの日本社会全体についても、同じようなことが言えるように思えることがある。

おおきなほうは、もともと神の存在を前提とした西洋文明の体系に間借りして住んでいるのに、「神とか悪魔とか中二病じゃん」と嘯く。
その結果、天からふってきたというか教室で正しいと教わったことだけを借用してケリがつくものだという妄想をもって、それを「科学」そのものであると妄想して、原子力発電所をふっとばすことになる。
フェニックス計画に日本人たちが興味をもったときに、手続きとしての枚挙思想を持たない日本人に原子力発電をやらせれば事故が起きるに決まっている、と述べたフランス人たちは正しかったのだと言うしかない。

小さなほうは、つまり、冒頭のチーズをめぐる小さな出来事のようなことは、本来の日本人文化の文脈や本来の西洋文明の文脈では起きないことで、
「あのガイジン、わたしを叩いたわよ。ガイジンは、荒っぽいのね」という日本人同士のうなづきあいを求める科白は、うまく接合されていない西洋と日本との継ぎ目で、チョーおおげさに述べれば、よく顔をのぞかせる「偏見によって解決を求める」姿勢をあらわしている。

もっと酷い例を挙げると、むかし、かーちゃんと一緒に出かけた原宿でタクシーを拾おうとしたら、こちらに向かって駐まりかけたタクシーを横からとびだしてきたおっちゃんが横取りして乗ってしまった。
開いた日本タクシー名物自動ドアから乗り込む前に、おっちゃんは、アメリカ人的な仕草のつもりなのでしょう、デコの横に二本指を立てて軽い敬礼のような仕草をする。
かーちゃんは、「なんという野蛮人だ」というようなことをつぶやいて怒っていたが、ガキながら、そのときすでに一年間を日本社会を観察してすごしていたわしは、そのおっちゃんが、なんとなくええかげんな感じの子供を連れてはいるものの上流欧州人然としているかーちゃんの姿を認めて、西洋紳士的なマナーを守ったつもりであったに違いないことを知っていた。
「他人が乗るはずだったタクシーを横取りした」ことのほうは、多分、意識にのぼりもしなかったのだと思う。

いまの日本社会の混乱は(といっても日本のなかにずっといる人は混乱していると感じていないのは承知しているが)「自分がどういう歴史的コンテキストに立っているか」ということを理解していない結果、あるときは戦前日本文化が発言し、あるときはアメリカ文明の優等生が発言し、また他のときには欧州人のパチモンが発言して、すべて都合がわるくなるとアジア人として発言するという、「立場の混乱」であるようにみえることがある。
少し離れたところからは鵺が複雑化したような怪物に見える。

言葉は自分の内側の内奥を発して、外側に向かうべきだが、日本語世界では外側のどこかしらに「真実」があって、果実をもぎとるように収穫できるのだという妄想が流布している。
しかも1945年にアメリカ人によってチョコレートと一緒に投げ与えられた自由は、裁断弥縫のすべは教わらなかったので、いまや身丈にあわないばかりか敝衣と呼ぶのも難しいほどずたずたになってしまった。

日本人の精神の鏡に映っている世界のビジョンは常に外から自分へのベクトルでできあがっていて、本来、人間の精神がそうでしかありえない自分の内側から社会へ向かうベクトルには殆ど存在の余地がない。
言い換えると、日本人は、自分の視線のなかではなく他人の視線のなかで生きている。

日本人が常に正しく、「永遠の勝利者」であり「永遠の被害者」である本質的な理由は、つまり「自己の喪失」にあるわけで、かつて工夫した富国強兵の夢を加速するための国民管理上の手管が、いまになって個人に復讐し、それが結局は社会全体の伽藍を崩落させる力になってしまっているのかもしれません。

(註1)ダイソンの新型球形掃除機のことではありません

(註2)東映の撮影所になぜ東宝怪獣ゴジラの巨大な足があったのか、ということは考古学上の謎とされている


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