1 ピアノという器械は「神に近い器械でも複雑でありうる」ことを示した点で歴史的であるとおもう。 神に近付きうるものは、単純な勁い線で描かれている、という、それまでの世界の公理に反していた。 あれだけの複雑な機構をもった楽器はクラブサンのような通俗な音をだすのに相応しいが、鍵盤をたたいてみればわかる、あのダサいほど複雑で無理矢理な器械からは天国の音楽を奏でるのに相応しい音が出る。 ジャン・クリストフでなくたって、音というものへの感覚があれば弾いたりせずに、ひとつひとつ鍵盤をたたいていて、一日があっというまに経ってしまう。 2 現代詩の過半が「歌詞のある音楽」に移行して随分たつ。 シェークスピアやT. S. Eliotを読めば簡単に判る、不動産契約言語とフランス人たちが可笑しがる英語ですら、言語自体としてチューンやリズムを持っていて、言語の旋律に音楽の旋律を重ねることには定型に定型を鋳型する、途方もない無理がある。 だから、歌詞は普通、それだけでは詩をなしえない言語で書かれている。 もっともフランス語は例外で、どういう理由によるのか、あれだけカッチンカッチンの音の定型を持つ言語でありながら、旋律をつけると、ちゃんと音楽になってしまう。 Mon amour qui plonge dans ton regard bleu あなたの青い瞳に飛び込むと、ぼくの唇も青くなってしまうのだ、なんて岡田隆彦みたい、は冗談だが。 3 Lana Del Reyは歌手であるよりも詩人であるとおもう。 冷笑しようとおもえば、こんなに簡単に冷笑しうる人もめずらしいのは、ラナさんが友達たちと書いた曲の音譜を見ただけでわかる。 ほんとに、これをライブコンサートの舞台でやるんですか?という類の曲です。 スペイン人たちのフラメンコみたいというか、Lana Del Reyは世間の冷笑的な知性に挑戦している。 そして、わしは、あのひとは、いつも成功していると考えています。 Fine Chinaは、けっきょくリリースされない曲でした。 “Fine China” I wore diamonds for the … Continue reading
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ブルースを聴いてみるかい? 断章篇 (小田朋美さんに)
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では、どうすればいいのだろう? 1
何度も書いたが、子供のとき、日本に住んだ記憶は楽しいものばかりで、わしの日本に対するhaloが射している薔薇色のイメージの根幹をなしている。 やたら親切な店員さんたちがいるデパ地下や伊東屋やキデイランド、天賞堂のような店が大好きだったせいもあるが、なにしろ、もともと甘やかされて育って、ちやほやされるのが大好きな性分で、いちど女の高校生のひとびとに取り囲まれて、「わあああー、かわいいいいー」という嬌声とともに、おれはチワワか、それともチャウチャウ犬か、というあつかいで、なでられたり、さわられたり、怖かったことがあったが、それは例外ちゅうの例外で、おおむね適切な手段によって甘やかされていて、ニシムラも千疋屋も、おごってもらうには、ごく早くから、どのパフェが最もおいしいかメニューなどなくても注文できて、メニューを見て考えるふりをするのがたいへんだった。 書いていて、ぜんぜん関係ないことをおもいだしたが、日本のメニューは写真がついているところが秀逸であるとおもう。 のみならず、入り口のショーケースに、むかしはワックスで、いまはなにが材料だったか、忘れてしまったが、ほんものにそっくりのサンプルがずらっと並んでいたりする。 いつか高坂のサービスエリアのレストランだったか、おっちゃんが、憤懣やるかたない表情で、いかにも、こんな不正が許されてはいかんのだ、という瞋恚のほむろがみなぎった目で、表のサンプルよりもとんかつがちいさい、と怒鳴りまくっていて、店員さんが、軽蔑を必死に押し隠した顔で、 表のものはサンプルで御座いまして、と陳弁している。 それからしばらくして、おなじ食堂に寄ったら、「サンプルは実際の商品と異なる場合があります」と書いてあったから、きっと、ああいうおっちゃんはひきもきらず、自分が人生で認めてもらえなかった鬱憤や理不尽な上司にいびられる日常の憤懣をとんかつのおおきさや、御飯の盛を材料にレストランの修正主義を非難しにくるのだとおもうが、どうも、最近は、日本のことをおもいだすと、「おっちゃんたちが、ろくでもないのだな、あの国は」と考えることが多くなったので、薔薇の話を書いていても、おっちゃんのすだれはげとものほしげな目が浮かんでしまう。 すまんx2 なんの話だっけ? おお、そうだ。 子供のころは、そうやって、薔薇色の、これは「しょうび」と読むのであってバラとは読みませんと日本語の先生が述べていたが、そういうことはどうでもいい、毎日が楽しくて、失神してしまいそうな、もうひとつだけ全然関係のないことを唐突に書くとマグマ大使の妻役のひとは、應蘭芳というもともとはイギリス人として生まれた人で、満州国籍に変わって、最後は日本国籍になった人だが、蒐集した古雑誌を読んで調べて見ると、当時はエッチをするたびに失神に至る「失神女優」というのが売り文句の人で、黄金でできた巨大なロケット人間とエッチして失神して暮らすなんて、SFポルノファンの夢の生活を実地に生きていた人であるようにおもわれるが、ともかく子供のころは楽しくて楽しくて、毎日浮き浮きして暮らしていたが、それでも子供心にも、「この国は、最後には亡びるのではないか」と考えていた。 おとなたちが日本の実業家のおっちゃんを家に連れてきたときに、一緒に、なにを見ていたのだったか、プロジェクターで映像を観ていて、みなが大笑いするところで実業おっちゃんも笑っているのだが、日本のひとには判りにくいはずのところで、さも楽しそうに笑うので、おとなたちのひとりが、不思議におもって、好奇心に駆られて、「いまの、どこが可笑しいかわかったのですか?」と訊ねたのに対して、困惑したように「いいえ」と答えている。 一事が万事で、日本のひとは、付和雷同で、仲間第一で、自分の判断などは、せいぜい食べ物の好みくらいでしかしないように観察されたからでした。 どうも、ヘンな国だな、と考えた。 当然のことながら議論などは、まったく存在しない国で、後年、もういちど確認にもどるつもりもあって日本に「5年間11回の十全外人日本遠征」と称する滞在を繰り返すころになると、どうやら日本という国は、アメリカに押しつけられた民社社会がまったく身の丈にあわなくて、表面は民主制で運営しているように見せかけているが、その実は国民ひとりひとりが個人の自由さえ望んでいない、まるで天然に生成されたような全体主義社会であることが判っていった。 だから他人事だとおもって聴いていると、聴きすごしてしまいそうな、猛烈に奇妙なことがたくさんあって、たとえば「民主的な社会では、参加者のひとりひとりが十分に納得するまで徹底的に話しあうことが重要です」と、いいとしこいたおとながマジメな顔で述べている。 なんだか、こうやって書いていても、えっ?それが民主主義じゃないんですか?」と言う人がいそうで、怖い気がする。 全員が納得することを前提にするのは、過半数が決めたことを真理とみなすのと同質の誤りなのは言うまでもない。 いずれも「絶対」が欠落していることに原因するが、それは次の回の話題にします。 全員が納得するまで話しあう、というアイデアのいかがわしさは、「そんなことは現実には起きないから」で、少なくとも民主制の前提になっている社会の成員が個々にまったく異なる個性や人格をもった「個人」である社会では、全員が納得してしまうのは、全員が狂気にとらわれたときであるのは論理的に当然だとおもわれる。 では、狂気をめざして夜を徹して「議論」するのが民主制の基礎になりうるだろうか? それは、どちらかといえば全体主義社会をめざしているのに過ぎないのではないか? 「いじめ」は、どんな社会にも存在するが、日本の場合は、おとなが徒党を組んでいじめを楽しむ点で、特殊であるとおもう。 おとな同士のいじめは、英語社会ならば、無視か、男性から女性に対する性差別か、たとえば白い人からアジア人への人種差別と決まっている。 日本の場合は、異常なくらい強い加虐性が社会に充満していて、ほとんど、やむにやまれないような趣で、生意気であるとか、ひとりだけ幸福そうにしやがって、とか、外国人のくせに、とか、なにごとか自分達と異なる「個人」を発見すると、わっと群がるように加虐性を発揮して、しかも、なにしろ子供のときからスキルを磨いているので、ほとんど芸術的なでっちあげや嘘中傷の腕の冴えをみせる。 他人の例を出すと気の毒なので自分の例をだすと、たとえばこのブログのごく初期に捕鯨がいかに、当のクジラのみならず日本人全体の将来にとって有害であるかシリーズで記事を書いたら、はてなと2chの、と言ってもいま考えてみると、おなじひとたちなのかもしれないが、ひとびとがわっと寄ってきて、この記事を英訳してみせろ、という。 バルセロナのアパートに滞在していた頃の話だから、2008年かな? カバやハモンの楽しみを中断して英語に訳してやったら、おそるべし、いつのまにか「こんな英語は、日本人が和文を英訳しただけの下手な英作文だ」と「はてな」というコミュニティの内部で喧伝して、魚拓という、議論よりも釣果をめざす、いかにもな薄気味の悪い名前をつけたハードコピーにとって、それだけが英語記事であるようないいふらしかたをする。 はっきり述べて、この「おまえは英語ができない」トロルおじさんたちは、いままでも散々わし友のうち英語を母語とするひとたちが述べてきたとおり、「英語が母語かどうか」という考えへの執着自体が英語人が持たない発想で、多分密接に人種差別意識と結びついた日本人に独特のものだが、しかも自分達のほうこそ、まったく英語が判らないひとたちで、英語の記事なんて見せるだけ受験英語というのか、極めて特殊な英語を題材としてパズルの定石を縦横に駆使してみせる技術を大学受験のときに身に付けたらしくて、トンチンカンで噴飯ものの「構文解析」をやってみせて、もっともらしく母語人の英語をくさす材料にされるだけなので、まあ、「魚拓」もあまさずとってあることだろうし、うんざりなので全部削除したが、もともとのトロルたちの集団攻撃で嫌気がさしたせいで(トロルたちが現実には英語がまったく読めないのが判っているいっぽうで、当時の日本語友だちの大半は職業柄、英語が理解できる人がおおかったので)訳すというのではなくて、英語で書き直した捕鯨記事だけは、ひとつだけ残してあるのは、10年経っても、まだしつこく英語がただの英作文にすぎないと中傷を続けてあるからで、匿名のままつきあっていきたい英語日本語のバイリンガル友に、 当時の英語記事を読んで判断してね、という気持も、まるでないとはいえない。 Wailing about whaling https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/06/05/wailing-about-whaling/ 2chから「はてな」はてなからtwitterと移動してきた、このトロルたちは、どうやら、はてなidをもつおなじひとたちで、twitterではひとりでいくつものアカウントを使い分けて、彼らの言葉をそのままつかうと社会における「勢力」をつくろうとしているもののようでした。 安倍政権は、外国人投資家にとってはオカネをばらまいてくれるのはいいが、ちょっと外国人たちが日本に関心を抱いて瞥見するだけで、一目瞭然、ぶっくらこいてしまうほど無能な政権で、それどころか、日本の基礎である、例えば個人の預金であるとか年金、向こう50年は特に「役に立つ」心配が皆無の学問(例:カミオカンデ)、自衛のための軍備の整合性、あらゆる日本を日本たらしめていた体系、社会の建築基礎を破壊して、それはそれは箸にも棒にもかからない政権ではあるが、 ではそれが日本の本質的な問題かというと、そんなことはなくて、「結局は安倍政権を長期化させた国民の体質」のほうに問題があるのは、誰にでもわかる。 都合がわるいことはいっさい存在しないことにして目に入れないのが日本の伝統でもあって、それが社会全体の習い上であるのは、たとえば政治の右も左も関係がなくて、一緒にみてきたとおり、「慰安婦」問題の糾弾者たちは、現実には匿名アカウントで在日コリアンを嘲り、徹底的にバカにして、 被害をうけたほうは、剥き出しのモラルの欠如と、さらに悪いことには、自分達在日コリアンを最も低劣で卑怯なやりかたで苦しめて、実際に体調を壊して仕事をやめざるをえなくなったり、起きてから寝るまで、一日中自殺を考えている、とわしなどに書き送ってきたりするところまで追いつめた本人たちが、いっぽうでは、「慰安婦」問題でコガネ稼ぎをして、品の悪いいいかたをすれば飯の種にも足蹴にする石ころにも在日コリアンは使えて二度おいしい、と言わんばかりにせせら笑っているのをtwitterなどで眼前に見ているのに、平然とそういう人間たちを支持している日本人全体に対する怒りで、声が震えているのがわかるようなツイートを繰り返している。 前にも在特会デモのことで書いたが、差別が始まった当初の年は、「あれは一部の日本人で、わたしは彼らとは異なるので文句を言われても困ります」で澄ましていられても、それが年を経ても変わらないのは、日本人全体の責任であるとおもう。 こういう社会の素顔にあたる部分は、露見しても、世界の人間に伝播するのは十年以上はかかって、タイムラグがあるのが普通だが、いまではもう日本の人といえば、ああいう人間達の集まりだから、と内心でみんなが考えるようになったのは、不正を見過ごすことが不正者に加担することであるという、誰にでも明瞭な事実を知らないふりをしてきたことのconsequenceで、 … Continue reading
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shampain
メトロポリタン・ミュージアムの正面玄関の真上にあるバーで室内楽に耳を傾けている夢を見ていた。 天井の高い屋内に響き渡る心地のよい人声も、場違いなくらい、安っぽくておいしくないバーのシャンパンの味まで再現されているリアルな夢。 現実と異なるのはMoMAにひとりで行くことはあってもメトロポリタン美術館にひとりで行くことはなくて、いつもモニとふたりだったが、夢のなかでは、ひとりで、なんだか冷たい気持でエントランスホールの群衆を眺めている。 人間に生きる価値などないのは、少しでも洞察力があれば判り切ったことで、それでも人間ひとりひとりの命は地球よりも重いなどと安っぽい科白を述べて、人間個人が生き延びることが絶対的に重要であることにしてあるのは、そうしなければ価値の建設そのものが不可能になって、例えば誰がどう見たって人間よりは品性が高い犬たちのほうを上位に置かなければ話の筋としておかしなことになるからであるに違いない。 人間は近視であることを必要とする。 いちど東京という世にもおおきな町で、ゴールデンリトリーバーは、どうしてどいつもこいつも同じ顔をしているのだろう、と訝っている男に会った事がある。 初めは何を言っているのか判らなかったが、どうやら、この50代の男の人には、黒猫も、ブラックラブラドールも、同じ顔をしているように見えるようでした。 あるいは夏のアトランタで、オリンピックの話をしていて、突然、 なあ、ガメ、なぜ東アジア人はみんな似たような同じ顔なのだろう?とマジメにつぶやいていた人をおぼえている。 蒙古症の人間がおなじ顔の造作になるのとおなじような理屈だろうか。 東アジア人は、ひとりひとりまったく異なる顔をしているし、蒙古症のひとも、みんな違う顔をしている。 前提が誤っている、と述べると、心からびっくりしたような顔で、 差別的に聞こえないために、みなそういうが、きみとぼくとのあいだで、そんな体面にかかずらわった、ほんとうでないことを言わなくてもいいのではないか、と述べていた。 関心は距離の一種で、関心をもてば、近くからものごとを観察することになる。 無関心は、おおきな距離を生みだして、差異を見えなくする。 外銀河系からやってきた人間よりも遙かに知能が高い宇宙人、というような存在を考えると、まず間違いなく全人類がおなじに見えるはずで、名前をおぼえるどころか、ひとりひとりを区別するのに、ひどく苦労することだろう。 判りやすくするために政治の例をだすと、彼という高知能生命体にとっては、左翼も右翼もまるでおなじ主張をしているように見えるに違いない。 「力が社会のどこに偏在するかによって構造が決定される」という政治なるものそのものが、社会を運用する論理として政治よりも高次の理屈をもつ彼の頭脳からは、単純にすぎて、しかも死語に似た、「政治」という単語でひとくくりに出来る理屈にすぎないから、当然、そうなるはずである。 老人はたいてい自分の人生への失望のあまり不機嫌で短気になるものだが、なかには、奇妙なくらい世界に対して寛容な老人がいる。 このひとは死へ自分が近付いていることのほうに関心が強まってしまっているので、生者の世の中から意識が遠くに去って、善人も悪人も、ただ「生きたい」という盲目の意志に囚われた存在に見えて、区別がつかなくなってしまっている。 もう少しすると、善をもたない民族などは単にまだ未開で野蛮な状態にあるのだとしても、真善美を信じて追及してきた文明に対しても「おれとは関係がない」と感じてしかるべきである。 なぜなら、自分が無に還るのだということを知っているだけではなくて、実感しはじめているからで、自分が死にゆくものだという実感ほど、繰り返していうと「人間は死ぬものだ」という知識とは異なって、人間を人間から数百光年の遠くへ引き離してしまう認識はない。 「認識と実感では異なるのではないか」と言う人は、つまり、認識に対して過剰に希望的で、期待しすぎるのであるのかも知れない。 認識が、たかだか実感でしかないことのために人間は歴史を通じて苦しんできて、それがたしかに理性の主体として間違いなく存在しているのだと考えることで人類は人類であることに耐えてきた。 だがそれもほんとうは実感にしかすぎないことは、なんのことはない、自然の方角から人間を見れば、ほとんど自明である。 日本語ではブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である」という言葉が随分誇大に評価されているが、人間は一義的には葦なので、ほんとうのことを言えば、その葦が考えたって、考えなくたって、どっちみち、有意な差異はない。 考える葦と考えない葦は、犬を理解できなかった男にとってのゴールデンリトリーバーの顔のように、理性の立場からは異同が判然としない違いがあるにすぎない。 人間がこしらえた全文明は「自分は無価値ではない」と主張する、人間というたかだか言語を持つによって差別化できるかどうかという程度にしか他の生物と差異を持たなかった生物の(非望の)表明にしかすぎない。 どういう因果か、人間はやっと世界が判りはじめる端緒につくらいの時点で知能の低下が始まって、そのあと間もなく死んでしまうくらいの知性の寿命しかもっていないが、その、性能も段取りもいかにも悪い言語は意地悪にも、その人間が立っている地平よりも遙かに高い、いわば解像度が高い意識がこの宇宙のどこかには存在することを感知できる程度の高みには、少数の人間はたどりつける程度には発達している。 だから人間は神をつくった。 神という言語が届かない絶対を仮定することによって言語が到達しうる領域を明示化するという魔術的な方法で宇宙を自己の言語が届く範囲よりも広範囲に説明するという曲芸を編み出した。 だが絶対を仮定した理性は、おなじ理性世界の境界と領域を遠くまで旅することによって、神を仮定せずに宇宙を説明できる地点にたどりついてしまった。 自然言語が、天候の変化によっていっせいに萎れるようにうなだれてくるのは、数学言語が、神を否定しうるところに到達したことに呼応している。 人間は、哀れにも、到頭、自分が生きる価値がない存在である事実と直面するに至った。 シャンバンのハーフボトルを2本空にして、チェロの心にしみとおる響きのなかを、人間の古代文明の光芒を調べに、廻廊をふらふらと歩いていくのは、ニューヨークにいるときの日課だった。 でも、もう、あの言葉の廻廊にもどるわけにはいかない。 神は、もう死んでしまっているのだから。 「絶対」にも、向こう側があるだろうか?
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Nothing else matters
小さなひとたちやモニとみんなで実験してみるためのソーラーパネルがやってきたので、みんなで浮き浮きしながら包装を解いていた。 1m x 1.5mくらい。 小さなひとたちがDHLのデリバリのおっちゃんから受け取って、真剣な面持ちで、そおっとそおっと、モニさんに手伝ってもらいながら、ふたりでテラスまで運んできた。 いや人間の手助けが好きな猫のRも、やはり真剣な面持ちで一緒に持ってきたので、3人と一匹か。 それとも、猫さんも人間扱いして4人と呼ばないとpolitically incorrect だろうか。 知ってるかい? 太陽光での発電のキーはコントローラーであって、これにはMPPTとPWMの2方式があるのであーる。 簡単にいえばMPPTのほうが現代のたいていの用途には向いている。 過剰電圧を電流に変えるという曲芸もできます。 https://aasolar.co.nz/MPPT%20VS%20PWM.html トランピングやピクニック用の、例の、リュックサックの背に展開する式の折りたたみポータブルソーラーパネルには、ちいさああああい字で「パワーパックを充電して、パックを媒介して携帯電話等は充電してください」と書いてあるが、そうしないとiPhoneやなんかを直かにパネルのUSB出力端子につなぐと、電池を傷めて、悪くすると電話を壊してしまう。 最近、油断するとすぐにふさふさと生えてくる細くて密生したヒゲがのびて顔が半分ひげに埋まっていたりして、ややむさくるしくなってきたおとーさんはエラソーに講釈しているが、なああーに、とーちゃんの顔を立てて真剣な顔をして、六つの燃えるような緑の色の目で見つめて、頷きながら聴いていても、ほんとうは、そんなことはとっくに学んでいるのです。 初夏の光のなかで、ソーラーパネルをたてかけるスタンドを自作したり、途中で、BGMにかけていた音楽にあわせて3人で踊り出したりしているのを見ながら、なんて幸福な午後だろう、と考える。 この生活は100%、モニさんのデザインによるもので、モニと会わなければ、この生活と巡り会うことは出来なかった。 ゲームというものが大好きで、ゲーム理論はおろか、この世のありとあらゆるゲームの理論を身に付けていて、ゲームを始めれば、人間であることもいっさい忘れて、ただゲーマーとしてゲームに勝つことに夢中になってしまうぼくは、出会ったころは、モニみたいな人間が存在することの不思議さに打たれて、今度は、そっちのほうに夢中になってしまった。 波打ち際で美しいチューンをつくる貝殻の破片たちが奏でる音楽を聴くことや、冬が終わって少しずつ少しずつ割れてゆく湖の氷のびっくりするような美しい音楽を教えてくれたのもモニだった。 人間にとっては良い配偶者/パートナーに巡りあうことは決定的な意味を持っている。 その機微を「戦友」に譬えるひともいるし、プラトンのように、integrityの「失われた片方」と述べる人もいるが、実態に最も近いのは、自分が立っているのが地上ではなくて宇宙なのだということを唐突に認識させてくれる神様の息吹のようなものだとおもう。 人間は、各々が、しばらくのあいだ、この世界に射して揺らめいている陽炎に酷似するが、その陽炎は神がうらやむ感覚をもっていて、この世界に触れて、感覚して、身体の芯から痺れてゆくような官能や、深い水の底から激しい光が射す水面へ一気に息をつめて駆け上る悦楽を知っている。 人間は、だから、あんまりたいしたことがないのに、自分ではすぐれていると自惚れている叡知や、世界をうまく関連付けて説明してみせていると妄想している知性よりも、愚かさによってこそ存在することに意義を持っている。 なんのことかわからないって? 明日、通りにでて、R&Bにあわせて踊ってごらんよ。 自分の肉体がどれほど躍動において美しくて、魂も追いついていけないほどであることがわかるから。 このつぎ恋人にあったら、世界を説明しようとする彼女/彼の唇をやさしく手のひらでおさえて、そっと口づけして、抱きしめて、いつでももどかしい、あのぎくしゃくしたやりかたで、おおいそぎで服をぬいで、感覚の爆発に向かって一緒に飛んでいく、自分達の肉体が、そのたびに新しくなって、世界などどうでもよくなっていく、小さな死を死ぬこと。 恋人がきみの目を見つめて、 It hurts to love you と言う。 でも、それでもあなたを愛していて、だからこそ生きていけるのだ、と述べている。 人間は、だから、あんまりたいしたことがないのに、自分ではすぐれていると自惚れている叡知や、世界をうまく関連付けて説明してみせていると妄想している知性よりも、愚かさによってこそ存在することに意義を持っている。 光に包まれているのさ。 愚かさによって 小さなひとたちやモニとみんなで実験してみるためのソーラーパネルがやってきたので、みんなで浮き浮きしながら包装を解いていた。 … Continue reading
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ブルースを聴いてみるかい? 断章篇 (小田朋美さんに)
1 ピアノという器械は「神に近い器械でも複雑でありうる」ことを示した点で歴史的であるとおもう。 神に近付きうるものは、単純な勁い線で描かれている、という、それまでの世界の公理に反していた。 あれだけの複雑な機構をもった楽器はクラブサンのような通俗な音をだすのに相応しいが、鍵盤をたたいてみればわかる、あのダサいほど複雑で無理矢理な器械からは天国の音楽を奏でるのに相応しい音が出る。 ジャン・クリストフでなくたって、音というものへの感覚があれば弾いたりせずに、ひとつひとつ鍵盤をたたいていて、一日があっというまに経ってしまう。 2 現代詩の過半が「歌詞のある音楽」に移行して随分たつ。 シェークスピアやT. S. Eliotを読めば簡単に判る、不動産契約言語とフランス人たちが可笑しがる英語ですら、言語自体としてチューンやリズムを持っていて、言語の旋律に音楽の旋律を重ねることには定型に定型を鋳型する、途方もない無理がある。 だから、歌詞は普通、それだけでは詩をなしえない言語で書かれている。 もっともフランス語は例外で、どういう理由によるのか、あれだけカッチンカッチンの音の定型を持つ言語でありながら、旋律をつけると、ちゃんと音楽になってしまう。 Mon amour qui plonge dans ton regard bleu あなたの青い瞳に飛び込むと、ぼくの唇も青くなってしまうのだ、なんて岡田隆彦みたい、は冗談だが。 3 Lana Del Reyは歌手であるよりも詩人であるとおもう。 冷笑しようとおもえば、こんなに簡単に冷笑しうる人もめずらしいのは、ラナさんが友達たちと書いた曲の音譜を見ただけでわかる。 ほんとに、これをライブコンサートの舞台でやるんですか?という類のステージで歌うには難しい曲です。 スペイン人たちのフラメンコの伝統と似ているというか、Lana Del Reyは世間の冷笑的な知性に挑戦している。 そして、わしは、あのひとは、いつも成功していると考えています。 Fine Chinaは、けっきょくリリースされない曲でした。 “Fine China” I wore diamonds for the … Continue reading
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では、どうすればいいのだろう? 2
英語に限らず、他言語のネットをぶらぶらして歩いてから日本語インターネットにくると、情報量が圧倒的に少ないので驚く。 理由を考えると、多分、小さくいえば明治以来の翻訳文化、おおきく時間の幅をとれば、そもそも日本語がそのためにデザインされて発生した中国大陸の文化を翻訳する文化が、IT革命(どうもかっこわるいね、この言葉)によって、文字通り桁違いに増えた情報量に追いつけなくなってしまったのでしょう。 英語人(アメリカ出身)と話していて、肝腎の日本人からはなぜミン・ジン・リーのパチンコの感想が出てこないのか、あいつらは文盲なのか、とひどいことをいうので、いやいやいや、そうでなくてね、まだ日本語版翻訳が出来ていないそうで、出ていないのよ、と述べたら、なんだかボーゼンとしていた。 3年近く経っても正に自国の本質的な歴史に触れたベストセラー物語の翻訳が出ないって、そんなバカな、という。 いや日本語でツイートして、「出ないね」と書いたら、直截日本の出版社の人からツイートのご挨拶があって、「たいへんな良書なので慎重に訳しています。どうか、ご理解の上で、お待ちください」ってさ、とおぼえているかぎり、ツイートの内容をそのまま述べたら、今度は、爆笑していた。 爆笑の意味は、気の毒なので、ここには書きたくない。 たまたま聴いていたBBCのインタビューでは作者のミン・ジン・リーさんは、もっとずっと早く出ると「いつ」を具体的に述べて、予告していたので、本人もびっくりしているのかもしれません。 他の本でいえば、世界中で、と言っていい規模で話題になって、例えばISISの問題についての学生たちのパネルディスカッションに顔をだすと、Home Fireがよく下敷きに使われるが、これはいつか、どこが日本語訳を出しているんだろうね、とおもって、ネット上で検索してみると、なんと、日本語訳がない。 本棚の本の背表紙を見ながら、Teju Cole、Mark Strand…. と日本の人が好みそうな本を選んで見ていっても、Teju Coleの、まさに日系文学批評家のミチコ・カクタニが引退前の去り際の振り返りざまの機関銃射撃のようにしてボロクソにこきおろして書いていった、Open Cityが新潮社から2000円という、どえりゃあ価格で出ているくらいで、なんと、日本の人ふうにいえば「現代世界を考えるために読んでおかねばならない」ほかの本はいっさい日本語訳がでていなくて、ぶっくらこきました。 念のためにいうと、「読んでおかねばならない本」なんて、世の中に存在しないんだけどね。 万事スローな紙の単行本の出版の世界で、2017年のベストセラー、しかも日本の人が評判を聞きつけて、インターネットの至るところで、「いまかいまか」と待ち焦がれていて、アメリカ在住の女の人が、「日本人必読」というようにして新聞にも書いていたらしい本が3年近くたって、まだ出ていないことは象徴的であるかもしれなくて、そのうえさらに、政治や外交の分野で、あきらかに選択したうえで握りつぶされるニュースもたくさんあるように見受けられます。 英語社会で若いひとびとと話すときにProject Semicolonといえば、自殺の衝動と戦おうという運動を指していると、誰でも知っている。 観察していると、街角で、そっとセミコロンのタトゥーを見せて、なにごとかを見知らぬ人に囁いている人がいる。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/07/23/project-semicolon/ ところが、日本の若い人には、さっぱり通じないので、困ったことがある。 例えば日本語ではゴシック文学の概念そのものが欠落していて、ゴシック? 建築ですか? ああ、ドラキュラって、あのおばけの、なトンチンカンな会話になってしまうのは、また別の問題で、風土の違いでゴシックみたな、いわば悪天候文学は日本のように雨が空からしか降ってこない国では判りようがないので、情報量とは関連がないが、ポップミュージックになると、音楽が好きな40代後半くらいの人なのでKylie Minogueとか好きかなあ、とおもって話してみると、ああ、ガメさんって、オルターナティブ・ファンなんですね、という反応で、えええっ?になるくらいずれている。 海外の事情というようなことになると、アメリカ合衆国に20年住んでいるというような人が、日本語の「アメリカ生活ガイドブック」に書いてありそうなことを述べていたり、いつかは、ファラージュが台頭する直前のころに「連合王国では人種差別がまた擡頭している」とツイッタで述べたら、30年ロンドンに住んでいる、イギリス人と結婚して20年ロンドンに住んでいるというひとたちに、「いったい、いつのイギリスの話をしているんですか? いまのイギリスには人種差別なんて、まったくありません」と相当侮蔑的に冷笑されたりしていた。 中国系のロンドン大学助教授の女の人だか女の人の母親だかが騎馬警官にツバを吐きかけられて、「てめえの国に帰れ、この黄色い豚めが」と言われたとかなんとかな事件があった前年なので、どうやったら、そんなに街角のあちこちで当時の連合王国でみながヒソヒソしていた話題を知らないで暮らすということが出来たのだろう、とおもうが、疑うと、これも、たとえば英語で暮らしている人であっても「翻訳文化的な観点から相手の国の社会を見ている」のではないか、とおもうことがある。 つまり、おもいきって、どおんと端折って言ってしまうと、日本の人が自分で見てわかっているとおもっているのは、単なる妄想に近いもので、現実の世界は、まったく異なる様相で、立っている位置と、日本国内にいる場合には日本語化される段階で、極端に少なくなっている情報量とで、いわば映画の書割のようなものを見ているだけではないか。 日本は骨の髄から翻訳文化で出来た国で、たとえば近代日本語の建設者のひとりである二葉亭四迷は、ツルゲーネフの小説の翻訳語として、あのいまでも普通に読める日本語をつくった。 「睫毛はうるんでいて、旁々の頬にもまた蒼さめた唇へかけて、涙の伝った痕が夕日にはえて、アリアリと見えた。総じて首つきが愛らしく、鼻がすこし大く円すぎたが、それすらさのみ眼障りにはならなかッたほどで。とり分け自分の気に入ッたはその面ざし、まことに柔和でしとやかで、とり繕ろッた気色は微塵もなく、さも憂わしそうで、そしてまたあどけなく途方に暮れた趣きもあッた」 なんちゃっている日本語は、エヘン、上級日本語学習者として述べると、いまのブログやなんかの日本語よりずっと読みやすいくらいで、なにも変えないのが大好きな日本の人の面目躍如、そのころ、こう書くと戯作っぽくなりすぎだし、漢語が多いとこちこちだしと、ぶつぶつ考えて、透谷や二葉亭四迷が、「ありゃさっ」と一朝にしてつくった文章が、そのまんま近代日本語になってしまった感があります。 もともとは漢文の読み下し語として発達した日本語は、なにしろ本来の機能が他国の文化の模倣と消化なので、あんまり自分の考えをもつのには向いていない、と、多分、そんな失礼なことを言うやつはイギリス人に決まっているような気がするが、誰かが述べていたが、中国の「新漢語」の語彙を豊富に持ち、古代以来の漢籍に通じていて、そのうえで、専門研究者として、たしかウイリアム・クレイグだかに直に教わって、英文学にも通じていた夏目漱石は、日本人が西洋の考え方を日本語で考えられるように、思考の要請にしたがって、どんどん語彙をつくっていった。 なにしろ日本語世界なので、いやいやいや、それはきみが間違っておる、夏目漱石はそもそも簡単を単簡とオイニー(匂い)でケーサ(酒)しただけで、造語は鴎外のほうが多かったんですとかなんとか、トリビアがゲームでない悲しさ、あさっての方角の路地につれこまれて、ねちねちと説教されそうになるが、じゃ、漱石「たち」ならいいの? 漱石たちが、つくった「無意識」「価値」「新陳代謝」「討論」「健康」「抑圧」は、いまも、日本語が西洋のパラレルワールドをつくるのに役立っている。 いちど、大学でパートタイムで「哲学」の授業をもっている、特権をちらつかせるような気がするのでしょう、そういう類のことを口にすることそのものが大嫌いなオダキン @odakin が、珍しくも、この自称「研究者」の、在日コリアンを好きなように罵って、本職の哲学教授にまでもういっかい哲学を勉強して出直してこいと言わんばかりの態度をとる「はてな左翼」のスターだと自他ともに認める人の傲慢に、たまりかねて、いかにも言いたくなかったことを吐き出すように「あんなのインチキで、大学教員とはいわない。非常勤講師は大学教員ではありません。おれと一緒にするな」(註)と怒っていたが、自称は大学教員で「哲学者」のフランス語科の学士号だけは嘘でなくてほんとうに持っているらしい人が、ほぼ4年にわたって、はてなという会社のサイトで、不満老人を収容した老人ホームみたいなコミュニティのバカ仲間を集めて、しつこくしつこく「ガメ・オベールは白人をコーカシアンというから英語がわからないニセガイジンだ」と大騒ぎされて閉口したことがあったが、じゃ、あんたはなんでわし母国を「イギリス」というのかね、わし国は、そんな名前じゃねーよ、というか、日本語では白色人種は小金井良清の昔からコーカシアンと呼ぶことになっていて、日本語でも「白人」「黒人」には差別的な色彩がついてきたので、わしガキの頃は、普通に誰でも、White、Blackと呼んでいたのが、最近は、特にアメリカのアフリカ系人から「Blackと呼ばれると嫌な気がする」と言われるようになって、差別の定義は差別される側が差別とおもうかどうかなので、Caucasianと呼ぶことになってきて、それに対応した日本語を択びたいが、良清先生から始まって、軍部や学界で引き継がれたコーカシアンがよいだろうと考えて択んだら、あれはコーケージアンだ、知らないのか、と大騒ぎされた。 そんなこと知らないわけないが、あまりにバカなので相手にしないでいたら、「ほおら、なんにも言えないじゃないかおまえ」で4年間大騒ぎできるくらいバカな人間の集まりなので、いま思い出しても不愉快だが、日本の人は、ごみんだけど、日本の人の言語の理解力なんてその程度で、コーケージアンという、人間の言葉の響きがしないカタカナ語とCaucasianがおなじ言葉だとおもえるくらい言語的な痴呆であるのは、よく得心されました。 このはてな人たちに関してはツイッタ上では「バカには答えない」とかで、悪業がばれて、ばれてしまった自分たちの都合が悪いことにはいっさいほおっかむりして相手を侮辱するだけしてあとは「なかったことにして、おすまししてとぼける」スタイルなので、あまりのことに業を煮やして、色々な人が別個に訴訟を起こす準備をしているようだが、なにしろ人権に関しては定評がある日本の社会と法律なので、うまくいくのかどうか。 訴訟は時間もエネルギーも大量に消費するので、たいへんだろう。 バカなおっさんたちの話をしていたら、話が落ちてしまった。 … Continue reading
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日本という精霊
ふり返ってみると、日本語が自分ではかなりうまく書けるようになったと考えて、どんどん文章を書いて、ますますいろいろなことについて書けるようになっていって、楽しくて、有頂天で、はてなの集団トロルに襲いかかられて、すっかりうんざりして、幻滅して日本を離れるまでの2年くらいが、いちばん楽しかった。 すべてのよいことには終わりがある。 日本との蜜月の終わりは、あのとき物理的に日本を永遠に発った、2010年、だったのではないかとおもう。 英語世界にあきあきしていたぼくは、子供のときにパラダイスだと思い定めて、毎日毎日が楽しくてしかたがなかった日本にやってきて、まるで故郷に帰ってきたように感じていた。 わかってくると、日本にも日本の人自体にも、さまざまな問題があるのは、当然と言えば当然で、世界にあるいろんな国のひとつ、という印象になっていったが、一方では、夏に鐙摺の山の後ろに聳え立つ巨大な積乱雲や、新潟の鎮守の森、軽井沢の発地のホタル、セミの声でさえ、日本語的な受け止め方が出来るようになっていって、日本語という歴史的な意識が、風土とすれあってできる陰翳といえばいいのか、おなじものであっても日本語を媒介にすると異なってみえる様々なものの「見え方」に惹かれて、楽しめるようになっていった。 最盛期は、ではいくらなんでも言い方としてヘンだが、頭のなかではぴったりくるので臆せず使うと、最盛期は、赤地に「氷」と書かれた、かき氷のサインが風に揺れているのさえ、美しいと感じたりしたものだった。 日本には、どことなく「私的」なところがある。 光も、山も、流れ落ちる水でさえ、私(わたくし)の気持のありかたによって、見え方が異なるところがある。 セミの声を例にあげれば、日本語を媒介しなければ騒音にしかすぎないが、芭蕉の句を挙げるまでもない、むかしの映画に出てくる麦わら帽子の少年や、夏の陽射しのなかで、空を仰ぐ1945年・夏の広島の人たちの映像が、その騒音に情緒を吹きこんで、透明な意味をもつ「声」に変えてゆく。 何度も、しかも一回に数ヶ月という長さで滞在したので、次第に、風景を対象として眺める位置から、風景のなかに入って、溶け込む位置に変わって、日本をとばぐちに世界と和解しているような気持になっていった。 いつまでも、そうして「日本」のなかでたゆたっているわけにいかないのは判っていたが、もうすこし、もうすこし、という気持で、毎年のように日本を訪問したものだった。 「国」というものは不思議な制度で、イタリアから国境を越えてフランスに入ると、まったく異なる世界に変わる。 南仏にはいる国境には、ちょうど国境近くに、イタリア側にもフランス側にも日本でいうサービスエリアがあって、なにかの拍子に両方にはいったことがあったが、言語だけではなくて、人の様子がもう異なっていて、食べ物もパンもサンドイッチに挟まっているものも、つくりかたも異なっていて、その際立った対照をおもしろがったことがある。 スペインとフランスの国境は、ピレネーの側は、ちょうどフランスからイタリアに入るようにポーから出て、バスクのオンダビリアで、がらりと変わるが、地中海側は、案外となだらかな変わりかたで、こじつけて、カタルーニャという土地は、やはり強烈な独自の文化を持っているからだろうか、と考えてみたりする。 フランス側にも、フランコの内戦を逃れて移住した、たしか50万人を越えるカタロニア人が住んでいるからです。 国は、どの国も、びっくりするほどお互いに異なっている。 まして、本来ボスポラス海峡からガンジス川までが定義だったアジアの、そのまた東に広がる漠然と「中国の世界」と意識される東方アジアの、さらにその東に位置する極東アジアにある日本などは、室町くらいまでは、臓器や性器の位置まで異なると主張する人間がいたほどの別世界だったわけで、現代でも、それは本質的にかわらなくて、びっくりするほど異なっているどころか、まったく異質な世界で、だからこそ日本は魅力に富んだ国だった。 「都会は都会で、どこもおなじだ」と両親が述べていたことがあったが、ある程度は真実で、日本でもやはり田舎がいちばん楽しかった。 子供のときから日本のおおきな町ではもっとも気に入っていた奈良は中国をお手本につくったといっても、奈良は奈良で、日本でしかありえない町で、いまはどうなのか、むかしは柵もなにもなくて、国宝だという興福寺の五重塔の階の下に座って、夜更かしの鹿たちと一緒に、皓皓と輝く、いたずらっ気をだして岡田隆彦の表現を借りれば臨月のようなお月さま、満月を眺めてうっとりとしていられた。 鎮守の森が好きで、よく知られているように、南方熊楠の激しい反対運動にも関わらず、明治の政府は、鎮守の森を全国で破壊してしまったが、京都は政府の命令などどこ吹く風と受け流して、その京都に憧れをもっていた地方では、どこも内緒で鎮守の森をいかしておいた。 そのひとつの松之山に入る途中の鎮守の森は、むかしの日本の静寂をそのまま保存していて、名前もなにもない社に向かって、長い急峻な階段をのぼってゆくと、古代の神々がそのまま、そこに立って会合をもっているかのような杉の巨木が聳えている。 みあげると、まるで杉の木たちのほうでも、こちらを見下ろしているようで、日本には神がいないのではなくて、神がいらなかったのではないかとおもえてくる。 自然のなかに、すでに畏怖がはいりこんでいたからです。 日本は、ひとことでいえば霊の国で、霊的な大気が満ちていて、死者が必ず立ち寄って、そこから恐山に向かうという立山をみあげていると、なるほど日本は、こういう国なのだ、とわかってもいないのに、わかったような気持にさせられたものだった。 日本は信じがたいほど下卑たところと、これも信じがたいほど崇高な部分がないまぜになった国で、士農工商の士と商であるとか、日本の長い孤独な歴史であるとか、これまでにもさまざまな説明がなされてきたが、どの説明も肯綮にあたるものはない。 日本は、ただ、不思議で名付けようがなく、表現する言葉もないありかたで日本で、ただただ美しく、ただただ醜く、いままでも、これからも、日本でありつづけていくのでしょう。 いちどモニと寺泊を日没に通りかかったら、日本海の鈍色の海の、水平線に夕陽が沈むところで、その、日常とは到底おもわれない美しさに、びっくりしてしまったことがあった。 海で、水平線なのだから、世界の、西側に海がある、ほかの土地の、例えばサンタクララから見える夕陽と同じ様子でありそうなものなのに、まるで、異なる惑星にやってきたようで、血が通って、言葉で世界を意識しているとでもいうような、その夕陽の、人間的な赤光(しゃっこう)に息をのんだ。 ときどき、日本は日本語であるよりも、そのほかのなにごとかによって日本なのではないかと疑うことがある。 きみが聴いたら、ふきだしてしまうような理由で、ここには書くわけにはいかない。 ほんとうは、いまは、すっかり、そう信じているのだけれども。
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では、どうすればいいのだろう? 3
ひさしぶりに日本語twitter世界をのぞきに行ったら、ぶっくらこいてしまった。 なにしろ悪意と攻撃性がこれでもかこれでもかこれでもかあああーと渦巻いていて、それを上手に隠してまともな人間を装ったり、他人を中傷するアカウントを別に複数つくって、全身全霊をこめた秘術をつくしためちゃくちゃな中傷誹謗を繰り返しておいて、本人の実名アカウントは、素知らぬ顔で、背伸びした肩書きにあわせた正常人を装っている。 言語世界として醜悪を極めていて、あんまりびっくりしたので、これもひさしぶりに日本語でツイートを並べてみたが、糞便に交われば糞塗れになるという (←言いません) なんだか折角身に付けた日本語の品位が低下して、神様のQCにひっかかって弾かれてしまいそうな気がしてきたので、英語フォーラムで少し遊んでもどって、さっさと消してしまった。 ついでなので述べると、日本語世界の現下の下品さは果てしがないというか、ツイートを消すと「ほら、都合が悪いから消した」という。 呪詛と悪罵が飛び交うタイムラインから立ち去ると「逃げた」という。 なんのことはない、いかに自分達の品性が下劣か告白しているだけのことで、絵を描いていて、ヘンテコな線をひいてしまえば、パンのかけらを手にとってゴシゴシ消します。 それすら見咎める言葉を書き連ねば気がすまなくなるくらい日本語は救いのない幼稚な攻撃性に満ちた醜い言語になりはてている。 日本語は「自嘲」で遊べない言語で、自嘲すると、それみたことか、おまえはバカだ、と嵩にかかっていいに来る人が必ず現れる。 結果は、どうなるかというと、日本語版イソップ物語の、自分をおおきく見せようとして、空気を吸い込んで爆発してしまう蟇蛙そのまま、アルバイトなのに正社員を名乗るのとおなじことで、パートタイムの大学教師が大学教員のあるべき姿を教授たちに説教して、病院勤務の医師が医学研究者を名乗って、威張っていることで端的にわかるように自分をおおきくおおきく見せるコンピティションが存在して、傍でみていると滑稽なことこのうえないが、なに、本人たちは50代、60代という年齢になって、いいとしこいて、おおまじめに「詐欺でつかまらないんだから悪いわけはない」と言わんばかりの愚行を続けている。 日本の人には、良い評判がある。 「おもしろい人達だ」というのが最も多い良い感想で、 自分の人生の余白にマンガを描いてみたり、そのマンガを少しずつ形を変えて、退屈な授業のあいだじゅう描きつづけて、パラパラと動かしてみると、あな不思議、まるで生きているように、アドビのフラッシュは2020年にプレイヤーの配布を終了するそうだが、日本にはフラッシュよりも遙か前に、「大学ノート」という、考えてみれば哀切な感じがしなくもない名前の、アナログ・ソフトウエアが存在して、その大学ノートの余白から、リボンの騎士やトトロが生まれて来た。 食べ物にも、工夫された、一見はヘンテコだが、食べてみるととんでもなくおいしいものがたくさんあって、酢を混ぜた御飯をてのひらのなかで、ふんわり固めて、その上に切った魚片を載せる、というただそれだけに見える食べ物が、実はひどく難しい調理技術の積み重ねで出来ていることが判るようになってくると、なるほど文明の思想が異なるということは、ものごとを眺める視点がまるで異なることなのだと納得される。 鮨、むずかしいんだよ、あれ。 二年しか続かなかった「外国人向け鮨のつくりかた教室」というものがあって、参加して、トロが握れるようになって、すっかり有頂天で、 鮨の世界では有名な先生の職人さんに「ガメちゃんね、お願いだから、鮨を握るのをおれに教わったというのだけはやめてね」と耳元で囁かれた本人が言うのだから間違いはない。 日本の人には悪い評判もある。 平気で嘘をつく。 あまりにあっさりとためらいもなく嘘をつくので、うっかりすると、話の後先が判っているのに言っていることを信じてしまいそうになるくらい上手に嘘をつきます。 国民的な芸であるとおもう。 他人や他国を貶める目的であることが多いようで、「そういう人間はどの社会にもいる」というレベルではなくて、国民性と看做されていて、捕鯨問題や韓国・中国・東南アジア人を瞞してあるいは力ずくで掠ってきては生きたラブドールとして酷使した性奴隷問題、外交にまで及んでいて、もっとも、最近は「日本人の嘘」はすっかり有名になったので、首相が福島事故は「アンダーコントロール」だと見え透いた嘘を述べていても、誰も腹もたてなくて、未決箱既決箱と並んだ「日本のひとがいうこと箱」にあっさりいれられてしまったりしていて、逆に、日本の人は、自分達が嘘つきだとあんなに簡単に判定されて怒らないのは、やっぱり定評はほんとうだからなんだろう、と若い人に納得されたりしていた。 裃を来て、肩で風を切って歩くようなスタイルが好きで、なんだか世界中で出来損ないのナチSS将校みたいな振る舞いに及んでいる。 日系企業で働いた人は、ほとんど例外なく、退職したあとで、「日本人の豚野郎ぶり」について憤懣をぶちまける。 近所のおっちゃんなどは、20年間、日本人たちに立ち交じって生き延びるために本人がおもってもいない日本人や日本の美点について、心にないお世辞を述べて人格が崩壊したと述べていたが、面白がって、それって、自分が悪いんじゃないの? というようなことを口にすると、頭からビールをぶちかけられそうなほど怒る。 「きみは日本人の陰険さを知らんのだ」という。 知りませんよ。 知らなくてよかった。 ほんとうは、ちょっとだけ日本と日本人のことを知っている。 日本語を勉強してみたからね、というようなことをいうと、ややこしいことになりそうなので、教えてあげないけど。 日本はどうなるだろう? と、ときどき思う。 お友達たちが考えるように「心配している」わけではありません。 母国でもなんでもない国を「心配」するのは人間の気持ちとして難しい気がする。 心配、では誇張表現になりそうです。 言語を身に付けるということは、少なくとも上達してくれば、その言語の社会と関わりが出来るということで、英語にはcommitmentという適切な語彙が存在する。 関わりが生まれれば、最低限なにごとか述べなくてはならなくて、良い悪いではない、言語の習得はcommitmentを果たして初めて完結する。 自分で考えても言い訳にすぎないかもしれないが、この十年間で、言わなければならない、と思い定めたことは激しく反発されながらひとつずつ述べて、日本語を習得したことから来る恩恵(例:北村透谷の文章、鮎川信夫の詩)に対するお礼は述べたことになっている。 日本語ってね、おもしろいんだよ。 … Continue reading
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いつもの朝に
怒りんぼベーカリー、という。 主人らしい女の人が、いつも不機嫌な顔で、およそ朝のベーカリー向きでない厳しい態度を保持しているからで、特に店の名前がGrumpy Bakeryというわけではありません。 キューバン・サンドイッチが滅法うまいので、ときどき買って、店でトーストしてもらって、浜辺で食べます。 コーヒーは、このあたりにはおいしいコーヒーを淹れてくれる店がないので、自分たちで淹れていく。 セントヘリオスのようなおおきな有名なビーチにいくこともあるが、まるで神様が宝石を隠しておいたような、内緒の、小さな美しい砂浜に行くことがおおい。 モニさんは小さなひとびとと貝殻を拾いながら波打ち際を歩いている。 モニさんの夫は、なんだか難しげな顔をしてソーラーパネルとコントローラーの数値をにらんでいます。 (PV って、なんだっけ? なんでoffなんだ?) 時々は、にらんでいるうちに寝ちゃったりしていて、庭で転がっているあんまり賢くない仔犬とあんまり変わらないが、今日は、ちゃんと目を開けて数字を見ている。 12ボルトでパネル一枚の一時間発電量が1Ahだから、240ボルトだとして、えーと、と数学をベンキョーしたはずなのに相変わらず数字に弱い頭を軋ませながら回転させている。 ウィーンウィーン、ガリガリガリ、ギギ。 そこに中央アジア人ふうの顔をした数人のひとびとが、影のように、滑るようにあらわれて、小さな浜辺の、そのまた隅っこの、小さな木陰に、ちいさなちいさなピクニックマットを敷いて紅茶とパンを並べている。 一瞬、モニもわしもいないような素振りで、小さな砂浜での朝食というチョーいいグッドアイデアを始めかかるが、気が変わって、こっちを見ています。 目と目があう。 わしは、ほぼ自動的にニカッと笑う。 向こうの数人の首領であるらしい若者もニカッと笑い返している。 改めてみると、家族連れで、男の若者がひとり、作法どおりヒジャブをかぶった若い女の人がふたり、母親然としたひとがいて、合計4人。 天気の話をする。 このパン食べませんか? いや、わしたちは、さっきベーカリーででっかいサンドイッチを買って食べたからいりません。 パンミュアの町にあるイラン/トルコ・ベーカリーを知っていますか? このパン、そこで買ったパンで、とてもおいしいんだけど、一家4人には少しおおい。 ああ。 最近、支店をすぐそばに開いた店でしょう? パンに関してはマヌケな白いひとびとも、あのベーカリーは知っていて あそこには、よくパンを買いに行きます。 おいしいよね。 特に、トルコ風に舟の形をした、みっちりしたやつ。 ひととおり、所定の手続きの会話が終わると、 アフガニスタンから来ました、という。 難民の人です。 アフガニスタンの食べ物の話をする。 アフガニスタンの気候の話をする。 アフガニスタンの歴史の話を、ちょっとだけする。 アフガニスタンの言葉の話をする。 イギリスの話をする。 案外、長々とウエールズの話をする。 通りに人が歩いていないクライストチャーチの話になる。 … Continue reading
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12月20日
あめつちの かみをいのりて わがこふるきみを いかならずとも あはめざらやも 冷たい雨がふるチェルシーを、ぼくは歩いている。 「ブッシュに死を!アメリカに呪いを!」 80人よりは多いが100人には満たないイラク系人たちが叫びながら6th Aveを歩いていく。 世界が自由な場所だった、最後の年に、ぼくは18歳になっていた。 交差点では、左頬にラメの涙を光らせた美しい若い女の人が思い詰めたような顔で空を見ている。 知ってる。 あの涙は、ほんとうはほんものの涙で、あんまり何度も頬を伝ったので、「貼りついた光」に姿を変えてしまったのさ。 あいたは零下だというのに、Tシャツだけで、吐く息を白くして、膝がぬけたジーンズで、首に短いマフラーを巻き付けたぼくは、無害な狂人で、この世界のありとあらゆる正当性を憎んでいる。 あめつちの 神の実在を日本語人が鼻で嗤うのは、考えてみればあたりまえで、 だって、日本語を使って暮らす日本人の社会には、神も悪魔も実在しない。 ただただどこで切断しても点を押し出さずに切断可能な、びっしりとした不連続な点のつらなりとしての歴史で、寝る暇もないほど忙しく、翻訳している。 日本語は概念が絶えず翻訳されることなしに使うことが出来ない言語で、愛することも、衛生的に生活することさえ、翻訳という投射なしにおこなうことができない。 二六時中、翻訳された世界で呼吸している。 lifeは誤訳しか存在しない。 生きることも生活にも生命であることにすら失敗して、区分されたlifeを生きている。 あめつちの かみをいのりて だから日本語を使うことは投射の光源の後ろに立っている影たちから見れば、そのまま狂気にどっぷり濡れることなのだろう。 狂気は歓喜に似ている。 狂気は思考することから人間を救済する。 それは、やっぱり祝されるべきことなのではないか? 人間の観念に必要なのは、たった1インチ地上から浮き上がることだが、大半の人間はそれが出来ないまま死ぬ。 べったりと地面に張り付いた観念の足で、あひるのように歩いて、 「地に足がついた一生」だって。 あめつちの かみをいのりて 呪術的な日本語は、いったいどこに消えてしまったのか? それだけがゆいいつの日本語だったはずで。 窒息した言語。 要約に特化した言語で、恋人と語らう人たち。 自分でないものを演じるパントマイム。 饒舌な沈黙。 どこかから石炭を燃やす匂いがする通りを、Tシャツだけで、吐く息を白くして、膝がぬけたジーンズで、首に短いマフラーを巻き付けて、ぼくは、途方にくれて歩いている。 世界は言語であるにしか過ぎなかった。 実在が認識に過ぎないのは仕方がないが、現実が言語にしか過ぎないというのは酷すぎる。 現実が、どうあがいてもひとつしか存在しないということは、なんという残酷だろう。 日本語というmuteされた部屋にいて。
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マクラーレン
家から散歩で歩いていける範囲、リミュエラの東側に、イギリスやニュージーランド、もっと広くいえばオーストラリアやアメリカの田舎にもよくあるタイプの小さな白塗りのガソリン・スタンドがある。 普段、自分たちが話す英語をカタカナにすれば「ペトロル・ステーション」だが、日本語では見かけたことがないことを考えると、petrol stationは英語だけの言葉で、日本では使わないのかも知れません。 むかし、(ニューヨーク州の)アップステートに住む友達を訪ねていって、その町が、クルマが左側でなくて右側を走っているだけのことで、あとはイギリスやニュージーランドの田舎の町とまったく変わらないので可笑しかったことがあったが、そういう、人口が、千人か二千人くらいの町によくあるガソリンスタンドと自動車修理ガレージが機能の建物が、そのままアップランドビレッジという、リミュエラにふたつある商店街の小さなほうの、そのまた隅っこに残って居る。 いまは空き店になっていて、そのうちには取り壊される運命だろうことが見てとれます。 リミュエラに住むブルース・マクラーレン一家の父親が経営していたガソリン・スタンドのあとで、マクラーレンが初めてクルマの下に潜り込んで顔をオイルで真っ黒にしたガレージ(らしきもの)も、ここにあった。 スポーツくらいしかやることがないニュージーランドに生まれて育ったマクラーレンは、生涯、右足よりも1インチ半ほど短かった左足に悩まされて、ほかのニュージーランド人の子供のように、ラグビーやクリケットに興じる、というわけにはいかなかった。 リミュエラは海に近くて、実際、マクラーレンの伝記フィルムをみると、里帰りするたびに、ミッションベイやオラケイの海で遊ぶ、この天才レーサーが写っているが、ヨットやボート、当時は大流行で、いまでもリミュエラの鹹水湖にはジャンプ台やピアがあってリミュエラの「ご当地スポーツ」の趣がある水上スキーは生涯苦手で、「水は危ない」と笑って述べている。 結局、この小柄な、障害に悩まされていた少年が選んだスポーツはカースポーツで、15歳のときには、ニュージーランドではいまでも盛んな草レースに出場して、いきなり優勝する。 このころ、1950年代初頭のニュージーランドのカーレースは、砂浜を直線コースに見立てて速度を競う、ちょっと呆気にとられるようなもので、それでも、娯楽の少ない国のことで、毎週日曜日には、おおぜいの人がつめかけていた。 ぼくがいま住んでいる家のすぐ近くに住んでいた、エベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリーや、世界で初めての婦人参政権を長い激しい戦いのあとに勝ち取ったケイト・シェパード、ラザフォードのようなノーベル賞を受賞した物理学者もいるが、ニュージーランドを代表する名前といえば、ブルース・マクラーレンであり、John Brittenであり、「世界最速のインディアン」、いいとしこいて、オートバイの世界記録樹立に自分の手で改造した旧式な「インディアン」社のオートバイで挑んで183.58マイル/時(295.4km/h)の世界記録を樹立したBurt Munroであると感じる。 gravel road という単語はイギリス人やアメリカ人自身であっても、なかなか気が付かないがイギリス英語とアメリカ英語では意味がまったく異なるので、アメリカ人の伝記作者は読み過ごしてしまっているが、イギリス英語の国であるニュージーランドでは、砂利をいちめんに敷きつめた道路のことで、田舎道をクルマで旅行した人は判るとおもうが、60km/hを越えると、クルマがコントロールを失って、宙に浮いたようになって、飛んで行ってしまう。 オープンロードで、よくクルマが上下逆さま、デングリ返しになって、中国や日本からやってきた観光客の人がよく死ぬが、たいていは、このgravel roadについての知識を欠いているからです。 ニュージーランドでは、それなのに、砂浜レースのあとにつくられたレースコースがgravel roadでマクラーレン少年が勝ちまくっていったのは、この砂利道のコーナーを100km/h以上で駆け抜ける、なんだか尋常でないドライビング能力を発揮しなければならない難しいレースコースでのことだった。 マクラーレンの生涯の最もおおきな特徴は、よい友達や仲間に恵まれたことで、アルゼンチン、カナダ、アメリカ、イギリス、そして有名なル・マンがあるモナコと旅行するマクラーレン一座は、めんどくさがって月並みな表現をするなら家族のよう、もっと現実味のある表現ならば日本語の兄弟ではなく 英語でいうbrothersで、それもイデアのbrothersというか、人間が夢にみる最高の関係としてのbrothersに近いものだった。 レーシングカーの空力が勝敗のおおきな要素だった「ハイ・ウイング」の時代に超音速旅客機コンコルド設計チームにいたRobin Herdがチームに加わったこともあって、連戦連勝のプライベートチームという、カーレースの世界ではほとんど有り得ない事実をマクラーレンたちは積み上げてゆく。 いつか「日本の人は集団作業が下手だ」と書いたら「日本人は集団作業が得意なので知られる国民です。なにも知らないのですね」という人がいっぱい来てびっくりしたが、どう世界に知られていても、残念ながら下手は下手で、おなじことをみんなでやることが「集団作業」であるならともかく、ひとりひとり個性や得意なことが際立っているお互いにおおきく異なる個人がいないことが原因だとおもうが、日本の人が考える「集団」は集団作業の主体になりうる集団とは、少し意味が異なるようです。 日本の人は居職の職人さんが下を向いて丁寧な仕事をするような個人作業に向いているほうで、集団作業は苦手であると、いまでも考える。 カーレーシングのロックバンド一座のようなマクラーレンたちの若さと、どう言えばいいのだろう、源俊頼が定義する物狂いに取り憑かれたハッピーな面々は、ブルース・マクラーレンが32歳でグッドウッドサーキットでクルマのテスト中に事故死するまで、まるで、アップテンポなロックミュージックのように続いていく。 チーム自体は、ブルースの事故死の直後にやはり事故で焼けただれた両手をハンドルに「くくりつけて」レースを続けたテディ・メイヤーを中心にその後も勝ち続けて「マクラーレン」の伝説的な名前をいまに引き継いでいる。 マクラーレン、ブリッテン、ムンローと3人のニュージーランド人を並べて、誰でも気が付くことは、イギリス人がいう「長いワイヤーをニュージーランド人に与えてご覧よ、やつらは、それでなんでもつくっちまう。天地創造まで、やっちまうんだぜ」という言葉どおり、なんでもかんでも手作りで、ガレージにこもって、ビンボな人間たちが手製のマシンで世界の大企業マシンに挑戦して勝ったという事実で、それはそのままニュージーランド人の「なければつくればいい」という国民的な伝統を体現している。 ニュージーランド人は「ないものはつくればいいさ」のこの若い国の伝統に従って「世界最速のインディアン」を生みだし、伝説的なブリッテンV1000を世に送り出し、フェラーリを尻目に走り抜けるキィウィバッジのレースカーを出現させ、誰もが世界への反逆で邪悪なアイデアであると考えたサフラゲット、婦人参政権をこの世界に創造した。 ニュージーランドに住んでいると、この国が「新らしい国」であることを実感します。 歴史が浅い、ということよりも、例えばイギリスのような国とは「国」というものへの考えが異なる。 GDPが少なくても、便利がわるくても、人間の幸福ってのは、ほかのところにあるんでさ、という建国当初に、人間扱いされない故国を捨てて遙々荒れるので有名な大洋を越えてロンドンからやってきたワーキングクラスの若者の顔が見えるような社会です。 イギリスでは金融やITの企業で働いている人間のあいだでは「子供が出来たらニュージーランドへ行こう」と言う。 あの国は、子供を育てるには最高だぜ、収入は5分の1になるけどね、という。 ラザフォードは、どこの国でも育つが、マクラーレンはニュージーランドでしか生まれなかったような気がする。 アメリカと核を巡って対立して国ごと「干された」時代や、フランスと核実験をめぐって険悪な関係になって、ついにはオークランドで反核運動の船レインボーウォーリア号がフランスのスパイ達によって爆破されて沈没、死者が出たときでも、ホームローンの利子が24%を越えて、失業者の若者の「輸出」を奨励したらどうだと政治家達がヤケクソの冗談を述べた、どん底までいって国がなくなるのではないかとささやかれた不況のときでも、ニュージランド人たちは冗談を述べて笑って、もう少しで落っこってしまいそうになりながら世界の端っこで、縁に指先だけでぶらさがって必死に生き延びてきた。 口癖だったという「なんとかなるさ、メイト」というマクラーレンのニュージーランドアクセントの英語が聞こえてくるようです。 ニュージーランドは国であるのに、いつでも素手でこの世界に立っている。 ビンボな小国だが、どうやらこの頃は不思議な人気があるらしくて、このあいだインドコミュニティのFM局を聴いていたら、インドではニュージーランドが移民希望先国の1位だと述べていた。 … Continue reading
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静かな場所
日本語には、どこかしら静かなところがある。 あるいは静かさを希求するところがあるとおもう。 夏の、葉山の、山肌を縫う裏道を歩いて、濃い青色の空の下を、ときどき顔をのぞかせる海を見ながら、そこまで行けばもう横須賀に入る、長者ヶ崎に向かう。 セミの声があたりに満ちて、ひたすら暑いが、そういう日の午後には必ず起ち上がって、にょきにょきと成層圏に届く、純白に輝く入道雲をみあげながら、ああ自分は、このために日本語を学んだのだ、と考える。 「西洋人はセミの声の良さを理解できない」と何度も言われたが、セミがただうるさいだけなのは単純に日本語が判らないからではないだろうか。 アブラゼミでは、さすがに願いさげだが、奇妙だとおもわれるかもしれないが、オークランドのセミは、からだが小さいせいだろうか、とてもやさしい声で鳴いて、あたり一面がセミの声で覆われると、一面の雪景色と効果はおなじなのだと述べればわかりやすいかどうか、沈黙があらわれて、音がない場所よりも静かになる。 この世界での日本語という言語の存在は、それに似ている。 近代日本語で最も美しい日本語を書いたのは西脇順三郎だろう。 西脇の日本語の美しさは、西脇の頭のなかでは日本語は外国語として仮構されていたからであるのは、一目瞭然、と言いたくなるくらい明瞭であるとおもう。 あの愉快な、諧謔に満ちた活発な知性をもっていた詩人は、言語学者でもあって、大事なことを述べると、西脇順三郎は、言語学者の自分と詩人の自己を別々の独立した存在だと見做していた。 いちど日本人で言語学者の人と、一緒にお茶を飲んでいて、西脇順三郎の話になって、「禮記」や「穣歌」はいいですよね、と述べたら、感心した顔をして、「おや、西脇先生は、詩も書いておられたのですか」と言うので、びっくりしてしまったことがあった。 学者バカ、という乱暴な言葉があるが、この人はほんとうに西脇順三郎が詩人であることを知らないもののようでした。 詩を書いていらしたのは知らなかったが、あの方は言語学では、たいへんな人なのです。 カツシカやシバマタから、オイモイ!と悲哀の声をあげながら、プロヴァンスへアンドロメダへ大股で歩き渉って、短頭の哀しみから長頭形の悲しみへ、次第に透明になってゆく日本語を、詩人は楽しんだ。 「透明でこの静かなポセイドンのような この百姓は鳶色の神からうまれた いまは山国にあるアンズの国への 旅を考えているそこで牧人たちを 集めて夏期大学を開こうと 考えていたのであった 西国人の心についてかれの笛のような思想を 東方人に語ることを考えていた ところでかれは存在するものと 存在しないものを象徴する男だ 大地のようにだまりこんでいる天人だ 彼自身啓示的な一つの石だ」 長い散歩には心の昂揚という効果があるが、西脇は、柴又の堤を歩いて、目黒からメグロに歩いて、ヘオルテの祭りを通り過ぎて、アサガヤからテーレウーに至るころには、西脇先生の足は少しく宙に浮いて、よく見ると地面よりも2インチくらい上のところを歩いている。 初期には 「シムボルはさびしい 言葉はシムボルだ」 と説明をこころみていたが、年齢をかさねて説明的な表現は、最も説明の目論見から遠いと悟ったのでしょう、シンボルのさびしさを音で表現するようになってゆく。 すべての言語が沈黙をめざしているかといえば、そんなことはなくて、例えば英語やドイツ語は永遠をめざしている。 絶対を指向し、永遠をめざす言語群と、相対の精霊のあいだを縫って、歩き続けて、沈黙に至る日本語には、翻訳という作業を拒絶する、おおきな懸隔がある。 懸隔、というより、異なる地平にあるのだといったほうが実情に近いかもしれません。 西脇順三郎は日本におけるシュルレアリズムの紹介者なのだ、といろいろな本に書いてあるが、本人は、シュルレアリズムよりも言語の美にたどりつくことのほうに、ずっとおおきな興味を持っていたでしょう。 現実と角突き合うシュルレアリズムよりも、遠くのものをむすびつけた瞬間、ときに、激しく火花をあげる、その美しさのほうにずっと強烈に惹かれていた。 シュルレアリストである生々しさと衝迫には耐えられない人であったように見えます。 母語であるはずの日本語を「薔薇色の脳髄」のなかで、無理矢理外国語とみなしたのも、母語のままの日本語では言語の美として具合がわるかったからではないだろうか。 日本人が死という沈黙にむかって労働して、やがて、どこか、静かな場所に自分の身を横たえて息をひきとるために生きているように見えることには言語的な理由がある。 日本にいるときでさえ普段の会話に用いられることは殆どなくて、ただ読むために魂が乗り込む乗り物としてあった趣で、いまは、まったく会話には使われない言語であるせいかもしれないが、日本語は、自分にとっては沈黙を眼前に呼び寄せるための言語で、日本語で考えていると、いつも、彼岸から此岸を眺めているような、奇妙な気分に捕らわれる。 … Continue reading
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カレーライスの謎
インド料理屋のメニューに並んでいるカレーのなかでVindalooにだけは、なぜポークとビーフがあるのか、というのは子供のときからの疑問だった。 豚は言うまでもなくイスラム教徒にとっての禁忌で、ヒンズー教徒にとっては牛は聖なる生き物で、その肉を食べるなんてとんでもない。 神を信じない不埒者が多いイギリス人向けの開発商品なのかしら。 インド人は元は肉を食べることを厭わなかったという点では肉食です。 紀元前2000年頃に、いまのアゼルバイジャンからイラン北部に住んでいたインド=ヨーロピアン族は東に移動して、インド北部に移民として定住する。 このひとたちは、簡単にいえばいまでいうノーマッドで、普段はヨーグルトやミルクベースのうっすうーいオートミールみたいなものを食べていた。 肉は御馳走で、普段は手がでないが、婚礼や戦勝の特別な機会には食べていたでしょう。 いまのインド人はほとんど菜食で、ジャイナ教と仏教の教えが浸透してそうなった。 歴史でいうと紀元前500年くらいから、だんだんにそうなって、紀元前300年から600年ほど続いた「世界で最も富裕な地域」としてのインド帝国」は、だから、ベジタリアン帝国だったことになる。 食生活がおおきく変わるのは8世紀に海上からあらわれて、インドの西北から侵略・植民を始めたサラセン人たちの影響で、ここからいまでもインドと切っても切れないイスラムとの付き合いが始まるが、このひとたちは、いまでもインド料理に残るペルシャ名前の料理をたくさん持ち込んだ。 英語ではムガール料理と呼んで、この名前を考えた人はイスラム=ムガールと短絡していたに違いなくて、そういうテキトーで無知むちむっちんな命名をするのはイギリス人だと相場は決まっているが、実体はムガールとはなんの関係もなくてペルシャ料理です。 見ればわかる。 インド料理のうち、かなりおおきな割合を占める、ローズウォーターやサフランを使うものは、ほとんどペルシャ料理のレシピそのままで、料理を口にするのは多くは富裕な商人だったサラセン人たちだったが料理人がローカルなインド人だったせいで、食材などはややインド化しているが、サラセンたちは保守的な味覚だったのでしょう、ほとんど変更もないペルシャ料理です。 ややくだくだしいが、判りにくいかも知れないので補足しておくと、いまでも多分にそうだが、中東ではペルシャの文明度の高さは絶対で、別格で、ペルシャ人の知識人と友達になればわかる、21世紀になってもアラブ人はやや野蛮であるという偏見を十二分に持っている。 逆にサラセン人たちは、富裕になれば食事や学問はなんでもかんでもペルシャで、ちょっと古代ギリシャとローマ人の関係に似ていなくもない。 ほら、インド料理屋に行くと、前菜にはシシカバブとタンドリ・チキンが並んでいるでしょう? ぼんやりしていると、ふたつの料理は似たもの同士と感じられるが、出自はおおきく異なっていて、シシカバブは誰でも知っているとおりのトルコ・中東・アジアの広がりを持つ伝統料理だが、タンドリ・チキンは、ごく最近に発明された食べ物で、パキスタンからインドへ難民として逃れてきた料理人Kundan Lal Gujralが外国人向けの料理として、それまではパンをつくるのに使っていたタンドリをスパイスに漬け込んだチキンを料理するのに使うことをおもいついて1948年にイギリス人のあいだではチョー有名なMoti Mahalのメニューに加えた。 ちょっとちょっと、あんた、Vindalooについて書くんじゃなかったの?というせっかちな人のために、このくらいで端折って、結論に移行すると、つまり、インドの人はベジタリアンが基本で、インド料理においてはビーフもポークもラムもチキンも、ムスリム人由来か、さもなければ、近代になってからインドを制圧した欧州人向けに新しくでっちあげた食べ物であるにしかすぎない。 Vindalooは、名前のvinha de alhos(ポルトガル語で、ワインビネガーとガーリックという意味)で判る通り、いわばポルトガル料理で、ゴアのポルトガル人たちが料理人に命じて作らせた料理です。 だから、もともとのオリジナルレシピを見ると、な、な、なんとポークである。 閑話休題。 最近は、インド人の若い友達とランチに出かけると、バターチキンを注文する人が多い。 それが何か? というなかれ。 イギリス人のような、物識らずの、ぶわっかな国民性の国民であってすら、バターチキンが「インド料理は初めてなんだけど、なにを食べたらいんだろう?」な初心者外国人向け、気の毒にも本格インド料理が食べられない、哀れな人々向けのカレーなことはよく知っている。 実はこれも、さっきのKundan Lal Gujralの発明で、このひとは舌バカの客に対する深い洞察力があるというか、スパイスのおいしさが判らないイギリス人のような非文明的人間は、どんな味を好むかということについて知り抜いていたものだとおもわれる。 ついでに余計なことをいうと、ロビン・クックという、日本で言えばパタリロファンにとっては、やや冗談のような名前の外務大臣が2001年に「連合王国人の国民食」と呼んだチキン・ティカ・マサラも、同様にイギリス、この場合、イギリスという言葉にはスコットランドもウェールズも北アイルランドも含まれるが、の顧客用にイギリスで生みだされたもので、ちょっと考えると意外な気がしなくもないが、バターチキンよりも、さらに後の、1960年代の発明だと信じられている。 突然、自分自身の経験について述べるとブリテン島の西の果てにペンザンスという町があって、親につれられて、子供のときはよく出かけたが、生まれて初めて食べたインド料理がチキン・ティカ・マサラで、世の中にこんなに殺人的に辛いものがあっていいのか、と憤(いきどお)りを感じた。 いま考えてみると、たいした辛さであったわけはなくて、要するに大陸欧州料理ばかりの家庭内で供される料理だけを料理とおもいこんでいただけのことで、いまさらながら、チキン・ティカ・マサラちゃん、ごめんね、とおもう。 いまは、長年の恩讐を克服して、すっかり和解して、ジャルフレジにあきると、ときどき注文したりしてます。 むかしインドの人のガールフレンドがいたころは、あちこちのインド家庭に招かれてでかけて、若い人が集まって住んでいる家などは、おおきな皿に、ありあわせのスパイスミックスで料理た、カリフラワーやオクラ、ポテトを載せただけの「カレー」を食べたりして、楽しかった。 一方ではロサンジェルスの、文字通りお城のような家に住むインド家庭の祖母さんの90回目の誕生日に招かれたときは、ロココ風の装飾にドーリア式の柱廊という風変わりな内装の、ひたすら巨大なシャンデリアのある高い天井のホールに静々と階段を下りてきた老女を囲んで、ひとりひとりのゲストの後ろに侍立する給仕係の人が、次々に繰り出す美味三昧で、ここでも「カレー」が出て、両方をおもいだすと、なにがなし、もちろんイギリス人の発明で、「カレー」という言葉に込められた無知と誤解と、まだ帝国の直轄領化とともにやってきた植民地の現地人としてインドの人々をいちだん低くみるバカタレたちがインドに大挙植民する前の、東インド会社時代の純粋な好奇心とインド文明への憧れに満ちたイギリス人たちが生んだ「カレー」という言葉の一種の歴史的な「切なさ」を考える。 日本もカレー5大国(って、なんだかヘンテコだが)に数えられる独自のカレー文明を持つので有名な国で、むかしは海軍起源説を信じていたが、普及度を別にすれば、それ以前、幕末から入っていたもののようで、内緒では肉食を嗜んだ悪食な大名たちのなかには、口にした人もいたようです。 … Continue reading
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その日暮らし
暦が二月にかわると、セミがうるさくなった。 オークランドのセミは、体も小さくて、声もやさしくて、日本の獰猛な声のセミたちとは随分ちがうが、プタカワの木や、生け垣について、今年は余程数が多いので、朝になると、日本の人ならたいてい、ははあーん、あれか、とわかる、空気の底から湧き起こるような、わあああーんという反響をつくっている。 オークランドは人口が160万人をやや越えるくらいのコンパクトな都会で、ニュージーランドといえばクライストチャーチを意味していた子供の頃は、好きな町ではなかった。 いまはスーパーシティなどと呼号して単一自治体になって国の肝いり都市だが、昔は五つの町の寄り合い所帯で、てんでばらばらで、PCのパーツを買うようなときでもマヌカウやノースショアに店が分かれていて、例えばクライストチャーチならば、地震の前は、オンボロクルマのパーツならリカトンのレースコースの裏手、新しいクルマの用品ならばムアハウス・アベニューというように、小さい秋葉原のような町を想像すると判るが、固まって軒をつらねて、なにも考えずに、欲しいものがある通りをめざせばよかったが、オークランドになると、文字通り右往左往で、クライストチャーチなら30分ですむ買い物が半日かかって、なんだかダメな町の代表のように考えた。 その頃は、欧州をたって、チャンギや成田、あるいは稀にはロサンゼルスで乗り継いで空から降りてくると、オークランド空港は馬牧場に囲まれていて、クライストチャーチ空港は果樹園に囲まれている。 ロサンゼルスから来ればオークランド空港に降りて、乗り換えてクライストチャーチの別荘に向かった。 成田からは週に3便かあったうちの、たしか火曜日と金曜日にクライストチャーチに先に着いて、そこからオークランドに向かう便があって、このフライトは成田を夜の八時に出て、ぐっすり眠って、朝の八時にクライストチャーチに着く便だったので、よく利用した。 当時は、ニュージーランド滞在中に、なにか都会でなければならない用事があると、母親も父親もオークランドに行くよりはクライストチャーチからメルボルンに行っていた。 国内航空がAir NZに独占されていて、競争がなかったので、オークランド行きのフライトが$230だかで、一方、Quantasと競合するメルボルンへが$140くらいで行けたので、心理的にメルボルンのほうが近かったのもあります。 子供のときからのPCオタクで、それに加えて、ちょうど世紀の変わり目にあたる十代の後半くらいからはインドの映画や音楽に興味があって、なにしろその頃は例えばオーストラリア資本のHarvey Normanという家電チェーンがヒューレット・パッカードのコンピュータを売っていたが、最新モデルはシンガポールで先ず売られて、そこで売れ残ると同じストックが翌年オーストラリアに移動して、そこでさらに売れ残ると、さらに1年後にニュージーランドに持ってくるというていたらくで、おまけにビンボ国ニュージーランドでは低スペックの機種しか売れないと決めてしまっていたので、子供の頃でも、やむをえず、母親にせがんでシンガポールに連れていってもらうことが多かった。 シンガポールは、パラダイスだった! 1990年代のシンガポールは、イギリスやニュージーランドのような子供の感覚でいえば「田舎」にしか過ぎない国とはまるで違っていて、都会で、国全体がブンブン言っているような、活気のある町で、ずっとあとになって実は日本に行くよりも遠かったのが判って不思議の感に打たれてしまったが、そのころは、ほんの週末にシドニーやメルボルンに行くかシンガポールか、というくらいの心理的距離で、多いときは一ヶ月に4回出かけたりして、誇張でもなんでもなくて、いったい何十回でかけたか判らないのは、このブログ記事にも何度も書いた。 まずSim Lim Squareに行く。 Sim Lim Squareは、シンガポールをIT立国にしようと考えたリー・クアン・ユーが秋葉原をひとつのビルにまとめたらどうか、と考えたのが発端で、まだメイド喫茶が猖獗する前のPCタウンだった秋葉原の、駅前からの水平的な広がりを垂直的に移し替えた素晴らしいアイデアのビルだった。 あとでは扶南シティのほうが買い物に都合がよくなったが、初めの頃はSim Lim Squareこそが聖地だった。 一階が秋葉原の駅前で、だんだん上に行くにつれて、末広町になっていく。 いまではなかったことになっているが、ほんとうは誰でもおぼえているので、2000年頃までは、5階から上はソフトウエアの違法コピーの店で、シンガポールの人に訊くと「シンガポールの法律ではソフトウエアの複製は違法ではないからいいのだ」という不思議なことを言っていたが、Windowsからなにから、全部コピーソフトで、あまりにたくさん違法コピー店が犇めいているので、どの店に行ったらいいかわからなくて、大学生らしい人に訊いて、どれが「良いコピー店」で、どれが「悪いコピー店」か親切に教えてもらったりしていた。 店にいって、では違法コピーソフトを買って帰ってきたのかというと、やろうとおもっても出来なくて、ニュージーランドのカスタムはよく心得ていて、シンガポールから戻ってきた客の荷物は特に念入りに違法ソフトを持ち込もうとしていないかどうか調べていた。 インストーラーやアンインストーラー、セクター長をチェックするプロテクトのせいでハードディスクで使えないソフトウエアを使えるようにするためのプロテクト解除のソフトウエアを買いに行っていた。 足繁く通えば、自然とその国の文化にも馴染むので、母親と妹三人で、飲茶の習慣になじんだのはシンガポールでのことだった。 それまでも香港や台北で飲茶に出かけたことはあったが、それは単に「旅行先のローカルフード」であっただけで、たしかに人間の昼食な感じがしだしたのはシンガポールのおかげであって、もう名前を忘れてしまったが中国名のホテルの一階に、その店はあって、シンガポールに行けば、この店とパン・パシフィック・ホテルのなかにあるインド料理屋には必ず出かけることになっていた。 海南チキンライスも、もちろんで、初めはお馴染みマンダリンホテルのなかのチャターボックスだったが、あとではマクスウエルセンターの天天海南鸡饭を専らにした。 オークランドが魅力のある町になったのは、大規模なアジア移民受け入れが始まってからです。 1990年代にウインストン・ピータースの有名な「このままではニュージーランドは日本人の洪水になる」で始まる反アジア人運動があって、アジアの人たち自身は、それほど実感しなかったようなところもあったとおもうが、ブリスベンでもシドニーでも、メルボルンですら、おとなたちが集まると「アジア人たちの流入にも困ったものだ」とヒソヒソと話しあわれていて、子供の実感として、多文化社会などは無理なのではないかと考えていたが、経済上の必要から、アジア系移民は好むと好まざるとに関わらず、どんどん増えていって、いっときは「こんな人まで」というような人でも「クイーンストリートに立ってると、ここはシンガポールなのかとおもうよ。うんざりする。ガメちゃん、あんまりCBDに行ってはダメだよ」と述べていたりして、社会が壊れるのではないかと思わされたときもあったが、nuisanceなだけであるはずのアジア人が増えてくると、社会はどんどん良くなっていって、例えばITやアカウンティングに関してはインド系人は初めからレベルが異なっていたし、ビジネスについては中国系人たちのはしっこさと勤勉に適うニュージーランド人はいなかった。 特にインド文化が向こうから引っ越してきてくれたのは、望外の幸せで、母親もサリを上手につくってくれる店をみつけて、もうこれでシンガポールのリトルインディアにいかなくもよくなったと喜んだりしていたが、こっちはボリウッド映画や音楽を大量に買って一日インド文明に浸りきって、飲茶も質が劇的に向上して、韓国料理に至っては、韓国のひとたち自身が、「世界でいちばん韓国料理がおいしいのはオークランドのノースショアだ」というほどだった。 メルボルンとオークランドを根拠地にしても、なんとかやっていけるのではないか、と考えたのはそういう背景があってのことです。 モニさんと結婚して、しばらくはモニさんに付き合ってもらって、「五年十一度(たび)の十全外人遠征計画」と称した日本文明を理解するための滞在の掉尾で新婚生活を始めたが、そのあとはパリに住むかロンドンか、それともモニさんのマンハッタンに住むべきだろうか、と述べていたら、モニさんが、誰がどういっても決心が変わらないときの顔で、「わたしはニュージーランドがいいとおもう」と言い出したので、ぶっくらこいてしまった。 モニさんと意見が異なるときはモニさんの言うことに思考を停止して順うにしくはないのが経験上わかっていたので、 そのとき持っていたパーネルの家は市場並よりはおおきいが、本人は気が付いていないし言うと怒るだろうが生まれてこのかた贅沢になれたモニさんには手狭だと考えて、いまのリミュエラの家を購入した。 METもリンカーンセンターもなければテートギャラリーも英国博物館もないオークランドでは、5年も退屈しないで暮らせればいいほうだろう、と考えて始めたオークランド暮らしが、もう十年になるので、驚いてしまう。 ひとの一生はどうなるかわからないものだ、という月並みな科白が頭を通過する。 初期の頃は毎年、ニューヨークに二ヶ月、欧州に三ヶ月という具合で暮らしたりしていたが、ちいさいひとたちが登場するにおよんで、リミュエラの家のカウチに腰掛けてジャングルジムとして活躍する生活になっていった。 … Continue reading
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出かける前のメモについて
ただ立っているだけで息をのむほど美しい人と同じ家のなかで暮らしているのは奇妙な体験だと言わないわけにはいかない。 フロントエントランスのドアの脇で、射している夕方の陽光のなかで立って、手紙を読んでいる姿に永遠を感じる。 そのまま絵画にして残したくなる。 ひとに言えば大笑いされるに決まっているが、一緒に生活していて、これまで幾度、こんなに美しい人がほんとうに現実に世の中に存在しているのだろうか、と訝ったことだろう。 結婚などはエンゲルスに言われるまでもなく社会制度にしかすぎない。 それも最近は大層不人気な社会制度で、結婚していると言っても、訊いてみると、de factoであることのほうが多くなった。 一事が万事、鈍くさくて、変化が苦手な連合王国人の国ですら、十代向けの雑誌やサイトを見ると、若い女のひとびと向けに、ひとりで多人数のボーイフレンドを持つことの得失や、多人数の男たちと同時進行で性交渉を続けていくときに注意すべき点が書いてある。 ぼくなどは、遠い昔の化石で、結婚して、子供ができて、なんのことはない平凡なとーちゃんで、ここ数年は子供たちのジャングルジムとして使い手があって、人気もあったが、最近は小さい人たちの興味はプログラムで動くロボットやドローンに移行して、どうやら公園の片隅で、いつまでも待っていても子供たちがやってこないまま夕暮れを迎える、文字通り黄昏の遊具になっている。 結婚して、まず初めに気が付いたよいことは、人間は自分の幸福を願って暮らすよりは、愛する人間の幸福を願って暮らした方が、集中力もあり、気も楽で、自分では出来るはずがないと考えていたことも軽々と出来てしまうことで、なるほど人間の気持というのはそういう仕組みになっているのか、と考えることがよくあった。 あなたには、よく笑われるが、しばらく仕事で机に向かってから、一日に何度も、家のなかにしてはやや長いホールウェイを歩いていって、ラウンジを横切って、スタジオをめざす。 スタジオにたどりついて数段の階段をあがっていくと、そこにはあなたがいて、たいてい絵を描いている。 茫然とするような美しさで、そっと息をつめて眺めて立っていると、夢中になっていた絵筆をとめて、あなたがこちらに向かって顔をあげる。 息をのむ。 そういうことを何度も繰り返して、ぼくとあなたの生活は出来ている。 結婚すれば子供のほうが大事になる、というが、ぼくにはそういう気持の変化は起こらなかった。 子供は子供でかわいいに決まっているが、自己愛に近いもので、考えてみて、途中で捨てたり寄付してしまうわけにはいかないので、くだらない子供でなかったことは感謝するが、そのくらいのことで、あなたへの気持ちとは比べものにならない。 夕陽のなかを歩いてホブソンベイに行く。 あの「Spirited Away」に出てくる水上電車そっくりなので有名なヘッドライトが水に反射する、水面すれすれをいく電車をボードウォークから眺めている。 すべてが取り止めもなくボロボロになってゆくこの世界や、ベテルギウスの白色矮星の話をした。 ずいぶんたくさん買い込んだのに下がりきったはずのUS$30ドルから、またさらに暴落したクラフトハインツの株の話をして笑い転げたり、小さい人たちの教育の話をする。 なにもかもなにもかも話したくて、それでねそれでね、ばかりを繰り返していて、われながらチビコと変わらない。 ときどき、あなたが「ガメはおしゃべりでいいなあ。楽しいぞ」と褒めてくれるが、それもなんだか小さい子供を励ます口調に似ていなくもない。 少なくとも自分の妻については狂った頭の男というのは、どういうことなのか。 ヒマさえあれば、モニのことを考えている。 モニをもっと幸福にするのは、どうすればいいか。 モニがいちばん欲しいものはなんだろう。 モニはどんなふうに歳をとりたいだろう。 モニは、モニは、…. 結局、一日中、考えていることはそれだけで、目が覚めるとまず傍らにあなたがいることを確かめて、寝るときはたいてい先にベッドに入っているあなたに顔をくっつけて寝る。 どういうことなのか、夏には冷たくて、冬は暖かいあなたの身体が自動的にぼくの体にまきつけられて、その瞬間、微かな、でも明然とした、表現が不可能な良い匂いがする。 キッチンの出来た料理を出す小窓から、こっそりカメラを構えてあなたを撮影しようとして、見つかってバツが悪そうに手を振るシェフや、ちょっとちょっとと述べて、手招きして、「奥さんと一緒に写真を撮ってもらってもいいですか?」と訊く厚かましい警官にも、最近はすっかり慣れてしまった。 むかしは、それで、あなたがある日とつぜん死んでしまったら、自分はいったいどうなるだろう、どうやって暮らしていけばいいのだろう、と唐突に不安に捉えられて、まるで井戸の暗闇を覗き込むひとのような気持になったことがあったが、最近はそのanxietyすら、あなたの姿が解消してしまった。 ぼくはいままではただの恋に狂った男で、妻を愛する夫にしかすぎなかったが、30歳も半ばになって、やっと、ふたりで歩いていけそうな気がしているところです。 どこまで行けるか判らないが、遠くまでふたりで歩いて行きたい。 永遠がべったりと呪いのように貼り付いた神様ではいけない遠くへ、須臾の間を生きるだけの人間だけが辿り着ける遠くへ。 ただ、あなたの影を追うようにして。 神が嫉妬する、小さな死を死ぬ一瞬のなかで燦めいている永遠へ向かって。 (画像は、ひさしぶりにわしのお絵描き帖からでごんす)
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COVID-19
このブログは時事問題は苦手なジジブログだということになっている。 時事問題が苦手なほうは、いつか「桜を見る会」問題で世間がこれほど騒いでいるのに触れないなんておかしいのではないか、という投稿が来て、世の中の人の考えることは面白い、とひとりで悦に入っていたことがある。 ジジブログは、つまりは、「日本語が古い」ということのようで、本人はまともな日本語を使おうと考えているだけのことで、意識しないが、あるいは明治文学と戦後現代詩でつくった日本語なので、現代のクール・ジャパンな日本語が好きな人からみると古色蒼然として見えるのだろう。 むかし、イーブリン・ウォーが自分のそれまでの一生で楽しかったことを話していて、ウィンストン・チャーチルに、「きみが書く英語は、どんどん古くなるね」と言われたときの、得も言われぬ、有頂天の気持を述べている。 戦争大好き右翼爺であったウィンストン・チャーチルは、一方では、素晴らしい英語を書いた文人宰相でもあって、ウォーはチャーチルをたいへん尊敬していたから、さぞかし嬉しかっただろう。 時事問題にあんまり触れないのは、職業上の興味以外は、世の中の出来事にたいした興味がないからで、新聞は読むが、買い出しをする人は別に存在するのにスーパー・マーケットやエスニック食料品店に年中でかけているのと同じ理由からで、人間の社会に対する感覚を失いたくないから、というだけの理由に拠っている。 時事問題についてツイッタやフォーラムで話していると、まだ人間の子の生きている社会に生きていることが確認できて、なにがなし、気持が安定する。 COVID-19については、少し、事情が異なる。 パンデミックな疫病というものは、つねに人間性と密接な関係を持っている。 その代表的なものは、言うまでもなく中世のペストで、1348年から1420年まで猖獗したペストは欧州の人口を半減させた。 当時はペストに感染したネズミにとりついて吸血したノミがペットにとりつき、そのペットの猫や犬にとりついたノミが人にとりついて感染が始まる、という経路がわかっていなかったために、なにが原因であるかわからなずに混乱した人間たちは、文字通り、半狂乱になって、理性を失わねばならなかった。 もちろんCOVID-19は、そこまでのことはなくて、現に日本政府などは、故意に検査を少なくして、ちょうどfluに対する対策のように、感染が広がるにまかせて、自律的に収束するのを待つ政策であるように他国からは見做されている。 日本語の内視鏡を通して見ても、日本の社会は弱者を救済せずに、切り捨てる方向性を強くもった社会なので、社会の性格に合致していて、諸国民の観察は、ほぼ正しいのではないかと、ぼくも思う。 危機に際しては古代のローマ人の伝統に戻るイタリア人たちが素晴らしいスピードで、徹底的に対策をすすめたり、民主社会の優柔不断を常に鼻で嗤う傾向がある中国の全体主義政府が、武漢市全体を棺桶にしてしまう勢いで、凄まじい封じ込め策をとって、見事にすでに国内ではパンデミック化したCOVID-19を力ずくで収束に向かわせて、国外渡航も最小限にさせることによって、他国への影響も最小といっていいレベルにとどめているのを見ると、なるほど文明の伝統ってのは、こんなふうに活きているんだなあ、とこちらは暢気に感心してしまう。 律儀にしらみつぶしに陽性患者を洗い出して、一方でスプレッダーを厳しく糾弾する韓国社会は、かつての理非曲直に厳格な儒教社会朝鮮をおもいださせるし、日本と選手交代して東アジアの最先端技術の鋩の役をひさしい前から担っている台湾に至っては、38歳の天才ハッカー閣僚Audrey Tangがハッカーたちを率いて、あっというまにマスクのストック数を動的に表示するappをつくってみせたりして、アメリカや日本政府との、台湾政府の、知的水準の差をみせつけて世界を驚倒させた。 なんだかいままでは、ぼんやりとしか見えなかった、それぞれの国のお国柄や、そういう語彙が好きな人ならば、「民度」が浮き彫りになるようで、たいへんに興味ぶかい展開になっている。 当然、個々のひとのお国柄ならぬお人柄も浮き彫りになって、いつもみなれたアカウント名のひとたちが、意外な顔をみせたり、やっぱりな顔をみせたりして、ツイッタを覘く興味が倍加する。 ここぞとばかり政権を激しく批判する人、現実化がいかにも難しそうな思いつきプランを述べて、何故やらない、と悦に入っている人、「真の民主主義」について講釈する人、真の科学的態度かどうかについて考証する人、騒ぎすぎだよ、と冷笑する人、見ていて、不謹慎といえば不謹慎なのだが、面白いなあ、とおもう。 COVID-19に対抗する現実の対策を迅速に実行するよりもCOVID-19を巡る議論にずっと多く興味があるらしいところが、いかにも日本の人らしい。 自分はどうかといえば、もともと世間との交渉が極端に乏しい生活だが、その上に外にでかけるということ自体やめてしまったので、家の建物のなかと庭だけで構成される生活になっている。 自発的に幽囚の生活を求めたわけではなくて、ペスト時代のイメージが頭にあるので、ではこの本を読もう、この映画を観よう、と決めているうちに、朝から晩まで、意外と忙しい暮らしになってしまって、あっというまに一日が経ってしまう。 外に出て、家からいちばん近いPokemon GOジムくらいまでは歩いていこうとおもうが、たいてい紙魚のような一日で終わる。 いろいろな人があちこちで述べていたが、英国での1665年から1666年にかけてのペストの流行で、ケンブリッジ大学は閉鎖されて、当時22歳で雑用ばかりやらされてうんざりしていた下っ端大学人のアイザック・ニュートンは故郷のウールソープの町で「おおひまをこいて」暮らすことになる。 ちょうど、長い不遇の期間が終わって、教授アイザック・バローに薄ぼんやりとして冴えない外貌からは想像できない全く異なる異常と呼びたくなる数学上の才能を見いだされたばかりの気分が昂揚しているときで、タイミングもよかった。 この故郷の町での無為で莫大な時間のなかで、微分積分学や光学、万有引力の着想まで、ウールソープで天啓として得ることになります。 この連合王国人なら誰でも知っているエピソードで、たいていのUK人のパンデミック感染症時のライフスタイルは決まってしまっている。 庵を閉じて、燭を灯して、明窓浄机、心を静かにして机にむかうのに、こんなに適した機会はない。 食べ物は食べ物で、備蓄用の食料に手を付けて、たとえば冷凍庫の贔屓のハラル肉店のスパイスに付け込んであるタンドリチキンが、ぶっくらこくくらいおいしかったり、おなじ冷凍庫のNizami Sheek Kabab用のパテ、買ったまままるごと冷凍庫に放り込んであった中華デリ店の豚まん、はてはオークランドの餃子有名店「百味餃子」の餃子、インドの共働き夫婦用に急速に発展して改良されたインドのレトルトのJalfreziやKadaiのカレー、食べてみると、どれもこれも気が遠くなるほどおいしくて、これなら案外長期お籠もりさん生活も悪くない、という気になってくる。 準備万端だから自分だけはCOVID-19には縁がない、とおもうほどおめでたいわけはなくて、準備しようが面会を謝絶にしようが、感染するときは感染する。 誰でも知っていることで、あらためて書くのも妙な気がするが、こういうことはすべて思考の基礎は確率でできていて、少しでも感染する確率が低い方へ低い方へ道をたどるのがよいのは言うまでもない。 しかし無事に生き延びた場合に、「あの期間は無駄だった」とおもうしかないのでは腹が立つので、これも縁で、普段は怠けてやりはしない勉強や、これも何事もなければ読み返すことがなかったはずの本を読むのは、やはり良い事であるような気がします。 せめても、緊急時の生活を楽しんで、普段なら巡り遭わない自分の思考に巡り遭うことをお祈りします。 では
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死ぬことと見つけたり
人間の一生は陽炎に似ている。 生まれて、太陽が昇るように成長して、やがて崩れ落ちるように老いて、土に帰る。 そのあいだに、たかだか数種類の言語をおぼえ、オウムのように話し、森の賢者オランウータンのように沈思して、真実を求め、意味のない感情に駆られ、ときには嘘をついて、人間の知力の限界から来る愚かさの海を必死に泳ぎ渡る。 たいていは、途中で力尽きて溺れてしまうのだけど。 夏の午後、近所のクリケットグラウンドで遊んでいる十代のひとびとを観ていたら、一瞬、ふっと半分、透きとおってみえたような気がした。 まるで目の前でクリケットに興じているひとたちが、電波で不安定になって、ふらっと揺れる、粒子も粗い映像のように見えた。 人間のフィジカルな存在を稠密な肉体として認識する感覚は、そもそも間違っているのではないか、と無意味なことを考えた。 考えてみれば直ぐに判るが「現実」とは認識のことで、認識だけが現実であることを、もう近代の人間は知っている。 そして、しかも認識は上下、前後というような基本的な感覚さえ曖昧で頼りない、信頼がおけないものであることは、例えば黄昏どきに小型飛行機を飛ばしてみればすぐにわかる。 ちょっと油断すると、重力というものがあるから判りそうなものなのに、空と海の区別がつかなくなる。 自分が通常の姿勢で飛行しているのか、裏返しの姿勢で飛んでいるのか、降下しているのか、上昇しているのかすら判らなくなることがある。 それはつまり、自分の存在という確からしさのなかでは最大のものですら、ほんとうかどうか判らない、ということを意味している。 日本語の文明では、ひとの一生において最も確からしいことは自分が生きて存在していることよりも、自分が死ぬという現実のほうにあった。 日本人の思想は「死から見た生だけが真実の生なのだ」と主張して、生を軽んじて、たいしたことがない仮の姿だとみなして、旅の恥は掻き捨て、生きているあいだのことは、多少のさもしさや卑しい行動もおおめにみるべきだとされてきた。 日本のたいそう根が深い全体主義思考や、他者に対するempathyの欠如は、要するに、生を軽んじることから帰結している。 日本文明はマヤ文明以来、と言いたくなるような死の文明で、死者が常に生者よりも尊敬され、死者への悪口は宗教的な禁忌であって、人が称賛されるのは死後のことであるのが普通の社会を築き上げた。 近代日本の問題は、死の側に立って生を見る、この独特の文明が現実の間尺にあわなくなってしまったことで、日本文化の西洋化の最も深刻な影響は、そこにあるように思える。 日本人も生を楽しみたくなったが、歴史を遡っても、例えば江戸時代の商人や職人、「江戸庶民」のような、倫理が完全に欠落した野放図な享楽文化以外にはロールモデルが存在しない。 イザベラ・バードが書き遺した「昼間から酒を飲んで酔っ払って小博打を打つ」町人たちの姿くらいしか見あたらない。 社会の側からいえば言うまでもなく、「市民の形成に失敗した」と形容することが出来て、それがいまの、民主主義を標榜する日本の苦しみになっている。 日本の人は、自分を幸福にするためには、いままでの現実でありえない死の文明に立脚した価値観を覆さなければならないだろう。 現代の日本を見渡すと、死の文明が生みだした価値観を最も声高に主張しているのは武士道の名残を信奉するひとびとで、責任を取れの強調が「切腹しろ」「腹を切れ」で、観察では、人間的に卑しい人ほど「武士は食わねど高楊枝」「武士の情け」というような表現を愛用しているように見えます。 よく見ると、同じ人たちが面白いように、判で捺したように「馬脚をあらわした」とも述べるので単に頭のなかで蠢いている語彙が古くさい右翼壮士風の言語で、思考そのものがクリシェ化しているだけなのかもしれないが、そうであったらそうで、結果は同じなのは、人間の意識が言葉そのものである以上、あんまり説明する必要がない。 そう。 異なるいいかたをすれば「言語の潜在意識の隅々を浸している武士道を正面から否定すること」が、いまの日本人には必要なのかも知れません。 西洋の社会全体の屋台骨を支える倫理の概念に激しいコンプレックスと畏怖を感じた新渡戸稲造が、ようやっと「武士道」に抗弁の道を見いだして以来、日本の人は、近世武士道を西洋の倫理の体系に対抗しうるものとみなしてきたが、その選択は、ほぼ自動的に、根深く、揺るがない民族全体にしみついたような全体主義思考を生みだすことになった。 滅私奉公、忠誠、俘囚の辱めを受くることなかれ….等々 いずれも近世武士道の教えから来ているが、おもしろいことに、近世武士道はサラリーマン化したあとの、朝から酔っ払って登城していた武士が山ほどいた江戸時代の武士の世界を背景につくられたせいで、本来の、というのは室町時代までの、武士の生死観や、哲学とはまったく正反対というほど異なっている。 現実の強度テストを受けていない机上の観念なので、考えて観ると、この近世武士道を日本人が信奉するようになって以来、日本人の考えがうまく有効に働いたことは一度も無い。 ただただ個人としての人間を不幸にするだけで終わっている。 人間の一生は陽炎に似ている。 人間の存在の儚さは、およそ知性がある者ならば誰でも感得している。 なんということはない一日の日常のどこかで、自分の肉体が、すうっと透きとおって消えるビジョンを持った経験がないひとは少ないだろう。 だが、その儚さは人間の生への愛おしさにつながっている。 まるで掠れた音楽のように、途切れ途切れに奏でられて、突然終わる、その調べを、誰かが死んでしまったあとに涙と一緒におもいだす人間の良い習慣は、その儚さの意味を知っているからだとおもう。 死の側に立った生では、その儚さの代わりに投げ槍で不貞不貞しい、マナーの悪い旅人としての生があるだけで、短い一生が終わってしまう。 刀をおいて、180度、向きをかえて、生の側から自分と静かにむきあう。 そこからしか日本語人の一生は始まらないのかもしれません。
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COVID-19 その2
Domino’s ドミノスが新しいサービスを始めて、配達されたピザを手から手へ渡すのではなしに、指定された場所に置いて注文主に報せる配達オプションが出来た。 スーパーマーケットのCountdownはオンラインショッピングで買った野菜や果物、肉類、コンフェクショナリ、…あらゆるものを紙袋に小分けして配達するが、これも手渡しから、ゲートを開けて、ドアを開けて、家であれば、フィンランド製の大きな暗い茶色のキッチンテーブルの上に置いていってくれる。 4年前でも勤め人の近所の人は家のなかにビデオコンファレンス・ルームがあって、そこでミーティングをこなして、海辺にあるオフィスには週に一回出かけるかどうかだったが、COVID-19で、いよいよ会社に行かなくなった。 「上半身だけスーツで、下はknickersでシアトルの社長が加わっているビデオ会議に出てやったぜ」と笑っている。 ヨーロッパ人は中世から近世にかけて、正体不明の疫病、ペストに悩まされて、それが文明の性格そのものを変えてしまったことは前にも書いた。 COVID-19には独特の性格があって、専門家たちが何度否定しても、「P4漏出なのではないか?」という疑問が、主に生物兵器の専門家たちがなしている、もう一方のグループから繰り返し提議される理由になっている。 なぜ感染方法をふたつ持っているのか? なぜ自然界が生成するはずがない構成の分子を持っているのか? 数学であるよりは若い数学研究者であることに飽きて、愚かにも医学を修めようと考えて、医学の世界のひとびとの常軌を逸したマジメさに辟易して医者にならなかった出来が悪い元医学生としては、なんだかP4研究プロジェクトの匂いが確かにするよね、と思わなくもないが、素人の考えは休むに似たり、考えても仕方がない。 初めはたいしたことがないと考えられたSARS-CoV-2の奇妙な振る舞いが知られるにつれて、14世紀にはペストのせいで人口が半分以下になる経験をした、いわば「疫病被害者のプロ」たる欧州人は、文明への影響において、COVID-19がペストに似たインパクトを持っていることを理解しはじめた。 東アジアの端っこで、「きれいきれい」な清潔国家を運営してきた日本の人をCOVID-19鈍感だと責めるわけにはいかない。 だって経験がないんだから仕方がない。 しかし、欧州、なかでも欧州文明総本家のローマ人たちの後裔がいるイタリアでは、COVID-19禍の本質がペストであることを、ほとんど本能的に知っていたと思う。 仕事は基本的に家でやるものだ、というこの緊急時のやりかたはITの支えによってCOVID-19禍が治まったあとでも定着しそうに見えている。 連合王国の習慣からくるニュージーランド人たちの、特別な場合でもなければ外食はしない、習慣が復活しそうなのは、当たり前だが、ニュージーランドの外食産業にとっては悪いニュースであるとおもう。 2000年くらいから始まって、北半球では2008年のクレジット・クランチで一端中断して、すぐにresumeされた主に中国の冨の畸形的な再分配を原因に起きたバブル景気の狂熱から英語世界は醒めつつあるように見える。 ただの頼りない勘にしか過ぎないが、少なくとも英語圏の、「イギリス文化世界」では、COVID-19は、案外とライフスタイルそのものを根底から変えていきそうに見えます。 パーティ、パーティ、パーティ!!な「木曜日カルチャ」が終わって、週末にはカウチに寝転がって、ずっと読もうとおもっていた本を読んだり、映画館で観るのを逃した映画をiTunesでレンタルして観ている。 なによりも興味深いのは、個人の内面を流れる時間意識そのものが、減速されて、ゆっくりになってきたことで、その、のんびりな時間の流れは人間を創造に駆りたてる。 5年前だったか、出産による人口増加が世界で1位になるという、考えようによっては先進国(←ニュージーランド人は一応自国を、多少のためらいと共に先進国に数える習慣を持っている)としてはembarrassingな快挙を成したことがあったが、COVID-19が個人の生活の影響にはベッドも含まれる。 冗談はともかく、柴戸を閉めて、庵を閉じて、片付けて、窓も机も拭いて、明窓浄机、いまは自分の内面を井戸を覗き込む「井筒」の在原業平の想われ人のように自分の内面を垂直に見下ろす生活に帰るのがよいのだろう。 以前のブログ記事「COVID-19」で述べたアイザック・ニュートンの例を持ち出すまでもない、人間の魂は沈思黙考のためには疫病がpandemicな世界を理想とする。 自分の内面を覘いてみると、心が古典に帰ってゆくようで、新しい、というのはここ百年に書かれたものよりも、遙かに時間の水平線の向こうにある本を午後には毎日実際に手に取って開いてみる。 あれほど嫌いだったラテン語の辞書を手にとる機会が増えた。 自然の脅威のせいであるのが、なんとなく悔しいが、オカネと生産効率を求めて狂奔するゲーマー世界がいったんの終わりを迎えて、人間は結局人間の家に帰るのだ、という気がする。 さまざまな理由でCOVID-19禍によるライフスタイルの変化は一時のものではないと思われるが、あるいは思いたくないが、なんだか別の時間世界から買ってきた時計を壁にかけて、忘れていた時間の流れに身を置いて、ひと息ついたような気持になっているところです。 反社会的な追伸を述べると、これはこれで悪くない。 ちょっと暢気すぎるが。
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パンデミック
いったんベッドに入ったら、COVID-19の話は禁止という非常時命令がモニさんからくだっているが、守るのがなかなか難しい。 報道も一面COVID-19禍のトピックで埋まっている。 北半球の友達たちも南半球の友達たちも、skypeで話題になるのはCOVID-19禍のことばかりで、しかも、身から出た錆、悪ふざけが好きな友人ばかりなので、ありとあらゆるデマ、陰謀説をアーカイブして、お互いにだましっこをやっている。 そのうちのいくつか、というよりも、大半は、インチキとは言っても専門知識を駆使した巧妙きわまる説なので、いくら日本語で、しかもブログにしか過ぎないといっても、ここに書くわけにはいかない。 自由主義世界の攪乱を狙うKGBでも憧れをもちそうなほどの出来です。 陰謀論やデマで頭をいっぱいにしながら、何をしているかというと、本ばかり読んでいる。 日本語もあります。 最近、書籍編集者の友達に教えてもらってツイッタでフォローしている、「森の人」と呼んでいる、まっすぐに聳える大樹のような人がいるが、本を書いて生きてきた人なのに、その人の本を読んだことがないのでは情けないので、集められるだけ集めてもらって、まとめて送ってもらった。 アマゾンジャパンが海外への本の発送をいっさいやめてしまったので、セカンドハンドでしか入手できない本と一緒に書店で買える本も送ってもらう。 アンドレ・ブルトンの「ナジャ」は英語世界では微妙な本で、なにがどう微妙なのかというと、なあんとなく、この本はフランス語で読むことになっている。 いま思い出してみても、英語版のナジャを観た記憶がない。 もっとも記憶自体がないような人間が思い出しているので、あるんだかないんだか、頼りにならないが、少なくとも自分の友達たちは全員がフランス語で読んでいたと思います。 日本語は、簡単に想像がつく、翻訳の格として小笠原豊樹や上田保を思い起こさせる素晴らしい訳で、読んでいるうちに、まるでフランス語で読んでいるような錯覚を起こさせるのは、つまりは翻訳をしている森の人が、この物語を深く愛しているからでしょう。 もうひとつ、いつものことだが、日本の人の幸運さをおもわずにはいられなくて、ずっとブログを読んできてくれた人は皆が知っているように、日本の「翻訳文化」には、21世紀の世界を流通する情報や知識が瞬時に共有される時代にあっては致命的な所があるが、それでも、さっき妹や母親と家庭の団欒において離していた言葉で、この質がめっちゃ高い訳で、ナジャが読めるのは、日本の人が営々と築き上げてきた文明の上に咲いた、信じがたいほどの僥倖というほかはなさそうです。 なにごとによらず集中力が40分しか続かないウルトラプーなので、40分を超えると、脳裏のライトが赤く点滅しはじめて、気が付くとジュワッチになってカウチに寝転がってラップトップを開けている。 英語の記事をだらだらと読んで、そこから飛んでウイルスの構造についての、ほんの少し専門的な解説を読んだり、疫学の概説みたいな学術よりの記事や、疫学の数学モデルをお温習いしたりして遊ぶ。 家のなかをぶらぶらと歩いていって、モニさんにチューしたり、小さいひとびとにご挨拶を述べに行く。 わし家は礼儀正しい家なので、猫さんたちも、一日にいちどは、必ず挨拶にやってきます。 午前6時に寝室にやってきて元気な声で挨拶するのはやめてほしいとなんどお願いしても人語がわからないふりをして、聴いてもらえないが。 雨が降ったので、折角の機会、ベジガーデンのブロックをデザインしなおすことにして、グリーンオニオンはここ、おお、雑草だとおもったらお芋ちゃんではないか、素晴らしい、ではここは全面的にスウィートポテト地帯にしましょう、カボチャはここ、ビートルートは随分立派なのが出来るので、これも拡張しましょう、と見て回る。 庭の隅のベンチに腰掛けて、大空を観て、ふと、隔離された病室で、誰にも看取られず、愛するひとびとに別れを告げることすらできずに、孤独な死を死んでいく、何万というひとびとのことを考える。 文明世界の、特に都市に住んでいる人は、時に、自然の残酷さを忘れてしまっている。 自然はやさしいものだと信じ込んで、そのまま一生を終えるひとたちすら存在する。 冬に、十日間でもトランピングに出れば、自然の苛酷さ、容赦のなさは簡単に実感できる。 まして25フィートのヨットで陸影のないブルーウォーターを行けば、もうダメだ、このままぼくは自然に殺されて終わりだと観念することは幾度もある。 40フィートを越えるヨットを出しているときでさえ、晴れて凪いだ午後に、水平線の向こうがわずかに膨らんでみえて、いったい、あれはなんだろう?と訝しんでいると、平穏な海の、そこだけ意志をもってつくったような巨大な三角波がこちらに向かってきて、必死で逃れる、持ち合わせの自然への知識で金輪際説明がつかない事象に見舞われたことがある。 例えば連合王国には、人の手が入った自然以外はいっさい存在しない。 有名なシャーウッドの森も種を明かせば人間の手による植林で、それ以前は沼沢でしかなかった。 ニュージーランドの南島には、いまでもモアがひそかに棲息しているという根強い噂がある人跡未踏の原始林があって、そこにいけば、本来の自然が、いかに人間に対して敵対的なものか肌でわかる。 気が弱い人は、自然と地球の人類に対する明瞭な嫌悪感と敵意を受け取るでしょう。 COVID-19は、津波と地震とは形が異なる自然の厳しさの表現で、だから、イタリアでは、韓国では、と国境で区別して話をたてたがる人間たちを嘲笑するように、パンデミックになっていった。 医療従事者や政府の対策立案者がつねに考えては、頭から振り払って、考えないことにしているのは、「結局、なにをやっても時間の問題なのではないか」、自然の巨大な力を前にした人間の無力感です。 自然は常に圧倒的で、人間の側の「この社会の握手やハグをしない習慣のせいで、われわれは幸運にも災厄を免れた」「ITの力で迅速に対処できたのが惨禍を最小に出来た理由だとおもう」 インドの人々は、つい先週まで、自分達は手を使って食事をする習慣に、こんなに感謝したことはない、おかげで我々にはCOVID-19の洪水が及ばなかった、と述べていた。 あるいはグローバリズムのせいだ、と説明する人は、1918年のパンデミックは第一次世界大戦中で、グローバリズムどころか、正反対の国権主義のただなかの出来事だったことを忘れている。 現実は、それぞれが属する集団の、国民性や文明の特性によって、ひたすら大丈夫と決め込んで、なぜ大丈夫かという説明を懸命に探したり、あわてふためいて、品物もあろうにトイレットペーパーを買い占めてみたり、はては、奪い合って殴り合いを演じたり、つまりは、自然の、人間の想像力を遙かに越える、巨大な冷酷さ、容赦のなさに、人間の魂のほうはショックを受けて茫然としているだけなのかもしれません。 疫学的な予見においては世界で最も頼りになると思われているLarry Brilliantは、COVID-19のパンデミック化による死者数を1億〜1億6500万人と見積もっている。 アメリカのCDCはBrookingsがもたらす知見をベースにして見積もっているように見えるが、Larry Brilliantよりもずっと控えめな数字で、2020年末までに6000万人が死ぬだろうと見積もっている。 … Continue reading
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災厄日記 その1 3月26日
小さい人たちをみていると、「自分が判っていないということを判っている」ことが叡知の第一歩であることが手に取るようにわかる。 いちど家の小さい人のひとりが、いまよりももっと小さかったときに、 「どうも自分はコウノトリに運ばれてきたのではないような気がする」 と厳粛な顔で述べたことがある。 「そうですか。では、どこから来たのだと、きみはおもうの?」 と訊くと、ふたたび厳粛な顔になって、しばらくジッと沈思に耽ってから 「判らない。世界は謎だらけだ」 と言って、ホールウェイをトコトコと立ち去っていった。 見るからに頭のなかの「未決箱」にいれて、ほかの、たくさんのたくさんの「自分には判っていないこと」の仲間入りをさせたのであって、 父親としては、どうも、やっぱり、おれよりは頭がいいようだ、とニンマリしてしまった。 判りもしないのに、結論めいたことを考えつかないところが、聡明さの萌芽をなしている。 例を挙げても、判らない人には判らないのだから、これ以上例なんか挙げやしないが、専門家が往々にして自分の専門のことについてバカなのは、自分が専門のことについては「判っていない」ということを認める回路にロックがかかっているからだと思われる。 そこに罠がある。 ニュージーランドは、昨日、24日の午後11時59分から国家緊急事態宣言とともに国ごとロックダウンした。 時間が妙に中途半端なのは英語ではmidnightが分水嶺のどちら側に属するか曖昧な単語だからです。 3月26日が始まった瞬間には、もうロックダウンに入っているんだからね、という意味です。 現実主義の知恵は英語文明の国ならどこの国の国民でも持っている、というわけではない。 むかし、第二次世界大戦の前にイギリスの海軍士官がノーフォークで入港してくる軍艦を観ていたら、両舷にでっかく数字が描かれていて、 アメリカ人は海軍軍人の癖に艦艇の名前もおぼえられないのか、と内心で可笑しがったが、いざ戦争になってみると、同型艦がたくさん製造されて、あれとこれを区別するのにたいへん便利で、なるほど現実主義の知恵とはこういうものかとおもった、という話が本に出ている。 疑い深いことをいうと本に書いてあるからほんとうだとは限らないが、イギリス人よりもアメリカ人のほうが遙かに現実をうまく処理するための知恵に満ちているのは、ほんとうです。 アメリカ人の現実主義には、ずっと長いあいだ豊かな国でありつづけてきたことからの「音楽性がある」と呼びたいくらいの小気味よさがある。 今回のCOVID-19禍でも、中国が土臭いドコンジョを発揮してブルドーザーとディガーの大群を並べて病院を急速建造してみせれば、アメリカは、さっさと札束を用意して、ホテルやモテルを買い漁って病院に改装する。 ここで念の為にいうと、躊躇せず、まして「お国のために安く貸し出してくれ」などと言い出したりせずに、バババッと買い取ってしまうスピードが現実主義の現実主義たる所以で、現実主義の根幹は現実に対処するスピードであることは、台湾のAudrey Tangが率いるチームの活躍を観てもあきらかなことでした。 現実主義というものには、根に、聡明さがあって、その聡明さは叡知に根ざしている。 その叡知には「自分には判っていないことを、判っていないのだと明瞭に知っている」という核がある。 これから、出来れば毎日(←ほんとですか?)、この世界的な災厄である相貌がだんだん明らかになってきたCOVID-19禍に席捲されつつある世界を記録していこうとおもうが、まずは出だしにおいて、 対策がうまくスタートした国と、のっけからあさっての方向に歩き出してしまって、「集団免疫」だのと大衆心理をまるごと失念した絵空事を述べたりして、おおきく出遅れてしまっている国を岐ったのは、「自分に判っていないことを、判っていないと、ちゃんと意識していたかどうか」であることは是非書き残しておきたい。 早急に結論を出したがるのは、いわば人間の思考の癖なので、いかんともしがたい、というか、やむをえないことだが、怖がってから正しく考えればいいものを、正しく怖がっていては、いったい何人余計に死ぬことになるのか、想像したくもない。 正しく怖がるためには、怖がる対象を判っていなくてはならない。 判らないことは正しく怖がりようがない。 専門家は「いや、ぼくには判っている」という。 なんという嘘つきだろう。
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